April 03, 2020

シリーズ3回目となるこの記事では、「感染者数グラフの正しい書き方」について論じる。

「正しい」などという言葉は、正しさ自体が混迷したいまの時代には、たしかに「きわどい言葉」である。だが「ウイルス感染のグラフ」では「正しい書き方」というものがあるのである。

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いま武漢コロナウイルス感染のさなかにあって世界中の国々が苦しんでいる。だが、その惨状の渦中にあって、たったひとつだけ、光明といえる事実がある。

それは、他のウイルス感染と同様に、このウイルスの感染爆発においても、、どんな国にも共通の『拡大から終息に向かう決まったパターン』があるらしい」ということだ。その「パターン」はどうやら、たとえ生活文化や医療制度が違う国であっても「共通」らしいのである。

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なぜパターンが「存在する」といえるのか。

世界の国での感染の「規模」と「かかった日数」を、「横並びに比較してみること」で、感染拡大から終息までの経過に『共通性』『パターン』があることが判明したからである。

別の言い方をすると、人々は「自分の国がいま、そのパターン上の、どの地点にあるのか」を知ることで、自分たちの環境が今後どうなっていくのか、多少はわかるようになったのである。

それは、対数グラフ化することでパターンを「可視化」したおかげである。

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ただ、やみくもにデータをグラフ化しても、何も見えてこない。
可視化には「有効なやり方」もあれば、「まったく無駄なやりかた」もあるからである。

ウイルス感染の「パターン」を探り当てるには、グラフを「正しく」書かなくてはならない。「『感染の拡大終息のパターン』をみつけだすのに有効なグラフの書き方」の一部を以下で論じてみる。

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さて、具体例をあげる。

最初は、あるメディアの「失敗例」である。例によって、横軸は「絶対表示的な日付」、縦軸は「対数軸による感染者数」である。

このグラフは「3月4日時点」で、まだ「欧米全体での本格的オーバーシュート」は始まっていない。当時はまだダイヤモンド・プリンセス号事件が世界の注目を集め、「日本の感染者が世界的に見て多い」などと間違った批判を受けていた時期のグラフである。

図13月4日付の対数グラフ

3月4日時点の感染者数をみると、感染者数トップは中国が独走、その後ろを、第二グループの「韓国、イタリア、イラン」が追い、そのまた後ろには、第3グループの「ダイヤモンド・プリンセス号、ドイツ、フランス、日本、スペイン、アメリカ、スイス、イギリス、シンガポール、オランダ」が「団子状態」で続いている。

余談ではあるが、上のグラフだけからいうと、「3月4日時点」でのダイヤモンド・プリンセス号の感染者数は、堂々世界第5位を占めている。このグラフがそうであるように、「日々の感染者数」しか見ない、知性に欠けたマスメディアは、「ダイヤモンド・プリンセス号事件が、世紀の大事件に見えた」のだろう。だから必死になって日本の悪評を書いたのである。

だが、その後の1ヶ月で、どの国、どのタイミング、どんな規模でオーバーシュートが起こったか、思い出すべきだ。欧米を中心に、あっという間に世界中で、何十万という感染者、何万もの死者が出現するに至ってようやく人々は、「ダイヤモンド・プリンセス号での感染がいかに、規模の小さい、世界が注目するほどでもない、ささいな出来事だったか」を思い知ることになったのである。

当時日本を批判した人々は、武漢コロナウイルスの感染が一般的にどう推移するか、まったく知りもせず、単に「3月4日時点での、世界第5位という感染者数」という「数字」だけ見てモノを言っていたにすぎない。


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さて、
この「感染者数を、日付順にただ並べただけの、平凡きわまりないグラフ」から、なにか「法則性」読み取ることができるだろうか。

申し訳ないが、自分にはとても無理だ。

「日付順に感染者数をただ並べただけ」では、感染者数の増加がたどる「世界共通のパターン」を探り当てることなど、できない。「日付順に感染者数をただ並べただけ」のつまらない作業から読み取れるのは、ただ単に「それぞれの国で感染者数が、それぞれに増えた」という、なんともつまらない事実のみでしかない。

この3月末のグラフから、その後1ヶ月で、グラフにあるいくつかの国はド派手にオーバーシュートし、いくつかの国の感染が終息に向かうことが4月初頭の今の時点ではわかっているわけだが、このグラフのデータから「その後1ヶ月に起きることの兆し」はまったく見えてこない。

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結論を先に言うと、
このグラフの欠陥は、
日付を絶対表示にしているから
だ。
これでは何の収穫も得られない。


以下において、日時における「絶対表示」とは、例えば「2020年3月4日」というような「リアルな日付」という意味であり、「相対表示」とは、例えば「感染発生から10日目」というような「相対的な日付」という意味だ。

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2つ目の例として、いつもとりあげているUCLのグラフを挙げる。こちらのグラフには、「日付を相対表示する」という違いがある。

ソース:CoVID 19 Growth Rate
CoVID 19 Growth Rate 2020-04-05

「日付の相対表示」について、このグラフの作者(ロンドン・カレッジ・ユニバーシティの研究者)のサイトでのコメントによると、作者は「その国の感染者数が10人を越えた時点」を、その国のグラフの「始点」にしていると発言しているのを見た記憶がある。

だが、上のグラフを仔細に眺めると、「それぞれの国のグラフの始点における感染者数は、国によって微妙に異なっていて、必ずしも『10人』ではなく、『100人前後』から始めて」いる。
それはおそらく「グラフの差異を越えた『共通性の発見』を強調するために、細部では多少妥協しているのだろう。
たとえそうであったとしても、このグラフはたいへんに貴重な情報を提供してくれる。

それが、
世界共通の拡大パターン」の発見である。

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この作者のグラフはどれも、横軸の日付は「3月4日、5日、6日」というような絶対表示ではなく、す「感染開始から何日目」という相対表示であることに特徴がある。
横軸の目盛りはすべて「感染が始まってからの経過日数になっている」のである。


そうすることで初めて、
各国のグラフに「ピッタリと重なりあう部分がある」
ことがわかってくる。

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その「重なり」をもう少し詳しく書くと、以下のようになる。
グラフの始点を「感染の開始」とすると、「感染者数が4000人〜5000人という、1000単位のレンジに達するまで」は、どの国でもグラフは「共通の傾きを」もった「右上がりの直線」になっている。また、「傾きが同じ」であるからには、その特定レンジに達するのにかかる日数も、世界でほとんど「共通」している。

「感染の開始」から「感染者数が4000人から5000人というレンジを超える」と、グラフはそれぞれの国によって異なる展開をみせはじめる。

いずれにしても、「感染の開始」から「感染者数が万単位のレンジに入ってくる」と、グラフは「寝て」くる傾向にある。

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たかだか「日付」を「絶対表示から相対表示にした」だけじゃないかと思う人がいるかもしれないが、雲泥の差とはまさにこのことであって、2つの表現に存在する差はあまりにも大きい。「絶対表示の日付と、絶対表示の感染者数しか見ない」ような馬鹿なマスメディアが日本にも欧米にも数多くいるからこそ、日本を批判したりする馬鹿が続出するのである。

(つづく)

April 02, 2020

「感染者数グラフの正しい書き方、読み方」の最初の記事(2020年3月31日、「感染者数グラフ」の正しい書き方、読み方。(1)ウイルス感染数の増加はなぜ時間をX軸にした片対数グラフがフィットするのか。 | Damejima's HARDBALL)では、自然現象に指数関数的な増加や減少が多くみられることから、ウイルス感染の把握に対数グラフが適している理由を説いた。

2回目のこの記事では、グラフを具体的に書くべきかについて論じてみたい。(以下、常にX軸は「日付」、Y軸は「感染者数」)

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出発点として、まず、目盛りが等間隔にできた、リニアなグラフを見てみる。の2つのデータをプロットしてある。

図1リニアなグラフ(基本図)

赤い線
赤い直線が表しているのは、「毎日、同じ数だけの感染者が増加していく」という状態であり、この例では「1日ごとに2万人ずつ」、「2万、4万、6万、8万、10万」と増えて、5日間で感染者数10万人に到達する。

緑の線
緑色は曲線で、赤い線とは「増加のしかた」がまったく異なる
赤い線のように1日の増加が「毎日2万人ずつ」と決まっているのではなくて、感染者数が1日ごとに「10人、100人、1000人、10000人、100000人」と、「毎日毎日、その前日の10倍に増えていく」。

また、2つのグラフは見た目も違う。緑の直線は「最初はほぼ横ばい」だが、感染の急激な拡大が起こると「いきなり立って」くる。

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どちらのグラフが「現実に即して」いるか。
これは論ずるまでもないので、次にいく。

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通常のリニアなグラフにおいては、「2万、4万、6万、8万、10万」と「決まった数ずつ増加する事象」は「直線」で表される。

対して、「10人、100人、1000人、10000人、100000人」と「増加のしかたそのものが右上がりに増えていく」という増加は、「指数関数的な増加」であり、緑で示したような曲線であらわされる。

武漢コロナウイルスの感染では、「1人の感染者から、2人〜2.5人に感染する」という拡大がみられるという研究結果が中国にある。つまり、武漢コロナウイルス感染の拡大という事象は、前の記事でも書いたように、1人の感染者が2人に感染させ、その2人の感染者が4人に、4人が8人に、8人が16人に、「1→2→4→8→16→32」というふうに、「増加が、時間経過とともに急激になっていく」という、自然界によくみられる典型的な指数関数的増加なのである。

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問題はここからだ。

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典型的な指数関数的な増加である武漢コロナウイルスの感染者数の爆発的増加(オーバーシュート)を図示する最適な方法を探すため、まず「3日おきに感染者数が決まって10倍になる」というグラフを2種類用意した。

図22つならべたグラフ

左:リニアなグラフ
Y軸の目盛りはそれぞれ等間隔でできている。ここではオーバーシュートは、「急激に右上がりになる曲線」として表現される。

右:Y軸が対数でできたグラフ
次に、同じデータを「対数グラフ」で書いてみる。Y軸のみを対数にした片対数グラフである。グラフの横線が均等に並んでいないことでわかるように、Y軸の目盛りは等間隔ではない
すると、「右上がりの曲線」だったグラフが、こんどは「まっすぐな直線」として表現される。


2つのグラフは、データそのものは同じだが、「Y軸の目盛りの並べ方がまったく異なっている」ために、表現されるグラフの形状がまったく異なる。このことから、次のようなことがわかる。

・対数グラフにおける「右上がりの直線」は、「感染の拡大が続いていること」を意味する。

・対数グラフにおける「右上がりの直線」の「傾き」は「増加の激しさ」を意味していて、傾きが「立って」いるほど、増加は激しい。

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次に、上の2つグラフに少し変化をつけてみる。

「1日目から7日目までは『3日ごとに10倍』になったが、7日目以降で感染者数の増加がちょっと鈍り、10日目の感染者数は『7日目の10倍の10000人』ではなく、『3倍の3000人』だった」という状態を、太い青線で示してみた。

図32つならべたグラフ変化型

このことからわかることは、以下である。

・対数グラフにおける「右上がりの直線」の「角度がX軸に平行に寝てくること」は、「感染の増加がやや鈍ってきたこと」を意味する。

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この例によって、「なぜ『見た目の感染者数の増加』にとらわれるべきでないか」がわかる。

数字にとらわれやすい人は「7日目が1000人で、10日目に3000人」と聞くと、「なんと2000人も増えた! 大変だ!」と感じてしまう。増加率の変化にまったく気づかないまま、2000人増加という数字の増加だけにとらわれて、パニックを起こしてしまうのである。その挙げ句に、全員をPCR検査しろだの、都市を封鎖しろだのと無意味に騒ぎたて、買いだめに走るのである。

だが、それはまったくの勘違いだ。

事実は、
対数グラフがX軸に平行に寝てきた」ということであり、それは「感染の拡大が落ち着いてきたかもしれない」といえる状態なのだ
という意味である。

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もう少し説明する。

上の例では、最初に、「感染者数が3日おきに10倍になる」と、「『同じ増加率』が10日間ずっと続く」という「想定」でグラフを作成した。「増加率に変化がないこと」は、片対数グラフでは「右上がりのまっすぐな直線」として示される

その後、変化を加え、「3日おきに10倍という決まった率」ではなく、7日目以降に「3日で『3倍』」としてみる。すると、それまで「まっすぐな直線」だったグラフ形状が変わり、「寝てくる」のである。

この「グラフの形状の変化」が、「もしかすると感染の拡大が落ち着いてきたかもしれない」という近未来の推測につながる。

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もういちど、元の「3日おきに感染者数が10倍になる」という2種類のグラフを眺めてみる。

図42つならべたグラフ3つのパターン

左のリニアなグラフの最大の欠点は、10日目の感染者数が、「9000人」だろうが、「1万人」だろうが、「1万1000人」だろうが、見た目に「ほとんど違いがわからず、どれもこれも同じ、右上がりの急激な曲線にしか見えない」ことである。

こんな雑なグラフでは「事態の推移」を読み取ることはできない。マスメディアが感染者数の増加だけを記事にする無責任な行為は、事実の報道などではなく、パニックを煽っているのと同じなのである。

だが、右の対数グラフでは、実数の変化にとらわれずに、感染の拡大がいまどういう傾向にあるかを「グラフの形状の変化から直接読み取る」ことができる

「1万1000人なら、グラフがやや右上がりに曲がる。右上がりに曲がることは、感染が『より拡大傾向にある』ことを意味する」

「1万人なら、グラフは直線のままで、感染はそれまでと『同じ率』で拡大を続けている」

「9000人なら、グラフは右に寝てくるから、感染は『やや収束に向かいつつある』」


(3につづく)

April 01, 2020

武漢コロナウイルスの世界的感染において、「log scale」の有用性がやっと認識されてきたようだが、その「使い方」、「読み方」は、いまだに満足いくものではない。

なので、「感染者数グラフの正しい書き方、読み方」をもっと理解してもらうために、以下の記事を書く。誰が読んでもわかるようにはしたいのはやまやまだが、だからといって、読む人の努力がまったく必要ないというような過剰サービスをするつもりはない。譲れないところは正確を期して、しっかり書く。

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まず最初に理解しなければならないのは、なにも「対数グラフが見やすくて便利だ」などと、単に視覚的な意味の話をしているのではない、ということだ。
武漢コロナウイルスの感染拡大のような時間とともに変化が急激になる自然現象こそ、対数グラフで表現するのが妥当なのは、なぜなのか」ということを、なにより先に理解しなければ意味がない。

先に簡略化した結論を示せば、
「時間軸に沿って推移する自然現象の動的な変化」には「指数関数的に推移するケース」がかなり多いから
である。

ウイルス感染症の拡大をlog scaleグラフで見ると「より全体を読めるようになる」が、それは、感染症のオーバーシュートが、現象として「自然界では、よくある変化のしかた」だからなのである。

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自然現象、ことに「時間と事象の関係」が、リニアではなく、むしろ、対数的であることが多々ある。

もっとかみ砕いて書くと、時間が「1日、2日,3日,4日」とか、「1年、2年、3年、4年」とか、「決まった数だけ変化していく」間に、現象は、例えば、感染者が「1人、2人、4人、8人、16人」とか、温度が「1度、10度、100度、1000度、10000度」などというふうに、「時間がたつにつれて増加が急激になる」(あるいは「時間がたつにつれて減少が急激になる」)ような事象が少なくない、ということだ。

例えば、モノが冷えるとき、時間の経過とともにみられる「ニュートンの冷却の法則」。時間経過に対する放射性物質の崩壊。細胞分裂。「時間と位置の関係」である雨粒の落下速度。コンデンサーに蓄えられた電気の減衰。 地震の強さを示すマグニチュード。音圧。エントロピー。情報量。大気圧と高度の関係など、とても書ききれない。

だからこそ、自分は武漢コロナウイルスの対数グラフについては、X軸もY軸も対数であるような「両対数グラフ」ではなく、X軸だけが「リニアな時間」、Y軸には「対数で示した感染者数」という「片対数グラフ」を推奨するわけである。


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生物の生理現象ではかなりの部分が指数関数的にできているらしいが、細胞分裂非常に典型的でわかりやすい現象だ。

一般的な細胞は、「ひとつの細胞が2つに分裂して」増えていく。だから、その増え方は「1、2,3,4」という「リニアな増加」ではない。「1、2、4、8」と、倍々に増えていく「指数関数的な増加」なのである。「時間がたてばたつほど」、その数は「急激に」増えるのが特徴だ。
例えば、人間の赤ちゃんは母親の体内で最初はとても小さい。だが、臨月が近づくにつれて急激に発達するから、おかあさんのお腹は急に大きく膨らんで、出産が近いことを知らせてくれるのである。

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ウイルスの増殖そのものは、一般的な生物にみられる「1、2、4、8」という細胞分裂ではない。

というのも、一般的な生物では、細胞は「ひとつが、2つに分裂する「1、2、4、8」的な方式(=「対数増殖」)で数を増やしていくが、ウイルスは「1つのウイルスが、入り込んだ宿主、たとえば人間の細胞内で数を大きく増やし、それを体外に一気に放出して、次の宿主を探す」という感染方式(=「一段階増殖」)だからで、例えば「ひとつのウイルスが、放出時にはいきなり10000個になっている」ような増殖形態だからだ。

だが、
ウイルス感染を、「感染者数」という角度からみてみることで、指数関数的な現象として把握することが可能になる。

なぜなら、感染拡大の、特に初期においては、「ひとりの感染者が2人にうつし、2人の感染者が4人にうつし、4人の感染者が8人にうつす」というふうに、ひとりの感染者から「指数関数的」にウイルス感染して広がっていく。これは一般的な生物での増殖と同じ、指数関数的な増え方である。(1人の感染者が何人にうつすかを示す「基本再生産数」は現在のところ、「世界全体で2から2.5」)

このことは、ウイルス感染の拡大を、「死亡者数」ではなく、「感染者数」でみていったほうが事態の推移がわかりやすいと考える理由でもある。
死亡者数の推移は、自然現象そのものというよりも、その国のふだんの衛生状態、医療制度の整備度合い、国としての裕福さなどのような、人工的個別的な要因に左右されやすい。

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ウイルス感染者数の増加にみられる「自然現象によくある指数的な増加傾向」の「数の変化の特徴」を、もっと平易な言い方になおすと、
最初の段階では変化の量が少ないが、時間の経過とともに爆発的な増大に移行する現象
ともいえる。

最初のうちは、「1→2→4→8」と、数字の絶対値が小さい。だから、人はほとんどその意味の重さに気づかないし、ビビらない。

だが、その数字がやがて、「256→512→1024→2048」となっていくと、事の重大さに気づき、さらに「16384→32768→65536→131072」となると、パンデミックだ!と誰もが気づいて、絶望感が漂うわけである。(いわゆる、日本でいう「将棋盤問題」、西洋でいう「小麦とチェス盤の問題」である)
この「時間の経過とともに、変化が急激になる」という部分は、とても大事な部分で、武漢コロナウイルス感染者の対数グラフが、両対数グラフではなく、X軸が「リニアな時間」になった片対数グラフが望ましいと考える理由のひとつでもある。
自然界の指数関数的な増加現象は、常にリニアでゆっくりした時間変化と対比させながら注視していかないと、その激増や終息の始まりを視覚的に追っていけないのである。

(2につづく)
2020年4月2日、「感染者数グラフ」の正しい書き方、読み方。(2)なぜ実数が増えているのに「事態は落ち着いてきた」と言えるのか。 | Damejima's HARDBALL

March 26, 2020

いまだに武漢ウイルスの感染について、世界のマスメディアはいまだに感染患者数や死亡者数といった、「表面的な数」ばかり追跡して、人の不安を煽り、買い物パニックを誘発し続けている。挙句の果てに、ニューヨーク・タイムズなどに至っては、「日本の感染者数が少なすぎる」とケチをつけ、検査が少なすぎるからだと無理矢理に理由づけして印象操作しようと必死になる始末だ。

本当に、くだらない。
マスメディアには、なんの責任感も、知性のカケラもない。

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いま必要なことは、何か。

事態の推移を見ること」だ。

数字の増加にまどわされてはいけない。

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「日本以外の世界」において、感染症の拡大を決める要素で重要なのは、
人の「密度」と「移動の自由度」だ。

感染者数とか死亡者数といった、「数」にふりまわされてはいけない。「数」というのは、単体では時として意味がないのである。

世界で最も長い歴史をもつ国家である日本の場合は、「人の密度や、移動の自由度」のみで感染症の拡大度合いが決まるわけではなく、加えて、「衛生面を非常に重視して築き上げられてきた文化と、それを維持管理してきた非常に長い歴史」が「加算される」わけだが、そうしたハイレベルな文化的伝統をいますぐ全世界に求めることは残念ながら難しい。

なので、世界全体についてはやはり、「密度」と「移動の自由度」程度の簡単な指標で判断するほかない。

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例をあげる。

その地域に何人の医師がいるか、という「数値」があるとして、では、その数値から、その国や地域での医療サービスのレベルが推し量れるか、というと、それは無理だ。わかるわけがない。

例えば「ある地域に、医師がひとり」といっても、その地域の人口が「100億」なのか、「100人」なのかによって、『医師の密度』は、まったく変わるのである。

人は、「人口100人の過疎の村に、医師がひとり」というと、ものすごく「劣悪な環境」とか、「かわいそうに」とか、安易なヒューマニズムでモノを考えがちだ。
だが、「国別にみた、住民1000人あたりの医師数」は、世界ランキング1位のキューバですら「7人ちょっと」であり、日本全体でも「2人ちょっと」でしかない。だから「住民100人に医師ひとり」、つまり、「住民1000人あたり、医師10人」という状態は、実は「ダントツで世界No.1の医師密度」なのだ。

だから、「医師が何万人」とか「死亡者が何人」というような「」そのものにはたいした意味はなく、なんの比較基準にもならない。

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話をもどす。

日本の住民1000人あたりの「医師密度」は「2人ちょっと」で、世界の先進国でみると、けして高くない。むしろ、かなり低い。

では、武漢ウイルスが感染爆発した国はどうだろう。
イタリアやスペインが「4人」前後で、世界のトップクラス。他に、フランスとかイギリスが「3人前後」だ。アメリカは日本とほとんどかわらない。

先進国を気取っている欧州の方々には、たいへん申し訳ないが、「住民1000人あたりの医師の多さ」は、感染症の防御力にならないということが、こんなに簡単に明らかになる。先進国のみなさんはたいへんデリケートで、理解したがらないだろうが(笑)事実なのだからしょうがない。

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では感染者数を、まずは「リニアなグラフ」でみてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020

最も下にある「横ばいの、茶色の線」
わが日本である。

CoVID 19 Growth Rate 2020-03-27


このグラフは、縦軸の目盛りが、10000、20000、30000というふうに、「10000単位」でできている。一定の幅でできている「リニア」なグラフだ。
日本の茶色のグラフが「横軸にくっつかんばかり」に横に伸びている。「感染者数の少なさ」は一目瞭然だ。これだけでも、日本がいかにこの感染症をコントロールできているかがわかる。

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では、サービスとして(笑)感染者数を「住民100万人あたり」に直したグラフにしてみる。何か変化があるだろうか。(日本のグラフの位置があまりにもわかりづらいので、赤い丸をブログ側でつけてある)
ソース:Coronavirus Disease (COVID-19) – the data - Our World in Data viewed 03/26/2020

Coronavirus cases 2020-03-27

「人口100万人あたり」でみると、なかなか面白いことがわかる。

無能なライターやマスメディアが、日本をこきおろす目的で日本との比較にやたらと使いたがる「感染者数の少ない国」は、アジアではシンガポール、台湾などだが、それは『感染者の密度』で考えれば、根本的に間違いだ。

だが、(別に武漢ウイルスを発生させた重すぎる責任のある中国を懐柔する意味でなく言うのだが)シンガポールの「100万人あたりの患者数」は、武漢肺炎大国の中国を既に越えてしまっている。
また、(これも友好国である台湾に対して悪意からではなく言うのだが)台湾の「100万人あたりの患者数」は、日本とたいした差はない。
また、欧米メディアが感染への対処成功例として「検査数の多さ」を理由に持ち上げたがるのは韓国だが、その「住民100万人あたりの感染者数」は「中国のほぼ2倍」という、べらぼうな数なのであって、初期対応が見事だ、などとはとてもいえず、各国、特にアメリカでの報道ぶりが事実をロクに見ていないことは明らかだ。

ちなみに、この「100万人あたりの感染者数」は、指数関数の感染者数グラフに慣れた人でも、あまり見ていないと思う。というのも、シンガポールや台湾が「人口あたりでみると、感染者数が想像以上に多く、感染者の密度が高いこと」は、どのマスメディア、どのSNSでも、ほとんど指摘がみあたらないからだ。

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さて、さらにこんどは
グラフの縦軸を対数、log scaleにしてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020

他のグラフ同様、最も下にある「横ばいの、茶色の線」
わが日本である。

World 2020-03-27



最初に挙げた、同じソースからひっぱった「リニアなグラフ」と比べると、事態の見え方の違いがわかる。

グラフの縦軸が対数で、できている」というグラフの特性で、「感染者数がものすごく多い国」と、「感染者数がものすごく少ない国」が、非常に接近してみえるのである。

であればこそ、さらっと見ただけの人の中には、「日本には感染者が大勢いるんじゃないか」などと勘違いしてしまう人がいるかもしれないのである。

だが、それは「錯覚」にすぎない。

グラフの上のほうの部分の「目盛り」が「1万から10万まで」と「10000が単位」であるのに対し、グラフの下のほうの部分の「目盛り」は、「1、100、1000」と、おおよそ「100単位」なのである。
上と下とでは、目盛りの1単位が「100倍も違う」のだから、「数そのもの」はここでは何の意味もなさないのだ。

対数グラフにすることの主な意味は、
カーブの傾きから、感染拡大の『傾向』がどう変化しているかを読みとること、そしてもし可能ならば、近い将来の状態を予測して、それを対策に活かすこと
だ。このグラフには人数の多さを比較する意味はない。

グラフが「立っている」間は、感染が「かなり爆発的にピークに向かって進む状態」だし、グラフが「寝て」くれば、「感染拡大が止まっていく傾向にある」のである。


特に、人口の多い国、例えば中国やアメリカでは、毎日100人単位、1000人単位で感染者や死亡者が出る。そのため、単に人数だけを追いかけてしまうと、数字の大きさにまどわされ、事態が悪化の一途をたどっているようにしか見えない
それでは、「事態の大きな変化」が見えてこない。

では、対数グラフにすると、何がいいのか。
例えば、ここが最大のボトルネックだが、「グラフが寝てきた、フラットになってきた」時点では、「まだ感染者が多数発生している状態」ではある。だからもし「感染者数の発表だけしか見てない」と、ただ憂鬱になるだけで終わってしまい、不安はまるで解消されない。
だが、対数グラフでは、たとえ「まだ感染者が多数発生している状態」であっても、「グラフが寝てきた、フラットになってきたこと」によって、「その国での感染のピークがやや過ぎつつある段階に入るのかもしれない」という意味であることがわかるのである。

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さて、ついでだから、
こんどはグラフの縦軸を対数、log scale
かつ、「人口100万人あたり」にしてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020

他のグラフ同様、最も下にある「横ばいの、茶色の線」
わが日本である。

CoVID 19 Growth Rate 2020-03-27


「縦軸を対数にしただけのグラフ」と、「縦軸を対数かつ人口比にしたグラフ」では、ほとんどの国でポジショニングの違いは起こらない。例えば、中国、アメリカ、イタリア、スペインなどの位置付けはほとんど変わらないのである。なぜなら、これらの国が「人口も感染者数も、両方が多い国だから」である。

日本についても、位置付けはほとんど同じだが、その意味するところは、中国やアメリカなどとは、まったく違う
日本は、世界で人口10位と、多いほうから数えたほうが早い国であるにもかかわらず、「武漢ウイルス感染者数では、世界で最も感染の少ない国のひとつ」なのである。この日本の優秀さを認識しようとしないメディアが多いのには、まったくもって理解しかねる。

ちなみに、「縦軸を『対数+人口比』にしたグラフ」で見えてくるのは、むしろ、「人口が少ないからわかりにくい、隠れ感染国」の存在である。いい例がアジアではシンガポール、ヨーロパではスイスだ。
世界の報道ではシンガポールが感染対策で大成功などと宣伝されることも多々あるが、騙されてはいけない。「狭い国土の国」は、たとえ人口が少なくても、「人の密度」は高い。
感染症という事態において、「密度」はとても重要なのだ。世界各国の大都市で感染が大発生するのが当たり前であるように、「国土の狭い国」でも大きな感染は起こる。だが、そんな当たり前のことでさえ、感染者数だけ見ていると気づかないのである。

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ブログ主はなにも、対数で見ないとダメだ、などとは思っていない。適宜、場合と目的に応じて、フレキシブルにさまざまな数字を見ていけばいいとは思う。
だが、毎日のように感染者数が増えました、死亡者がこれこれ、などと、人々の不安を煽るようなことしか言わない無能なテレビや新聞のような馬鹿げた報道ぶりに、あきれてモノがいえないのである。

何度もツイッターで発言しているとおり、今の日本は、「世界でも有数の、感染者数の少ない国」であり、「世界でも稀有な、人口が多いのに感染者数の少ない国」であり、「感染者数の増加傾向の変化を示す対数グラフのカーブが寝てきていることからわかるように、感染の増加のピークを越えつつあるところにある、数少ない国のひとつ」なのだ。

だが、東京という巨大な都市はちょっと別で、今後の推移を見ていかなければいけない、「どちらにころぶか、わからない状態にあること」が、数字の微妙な傾向からわかる、と言っているのである。

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日本全体が無能なマスメディアに踊らされることなく、責任と自覚ある行動、日本人らしい他人を思いやる行動をとることを、心から願っている。

March 20, 2020

フランスの大臣Olivier Veranがさしたるエビデンスもない現状なのにもかかわらず、「武漢コロナウイルスについては、イブプロフェン摂取を控えるべき」と軽率な発言をしたことで、以下にみるように、さまざまなデマが生じるスキを与え、無責任なリツイートによって、たくさんの誤解が生まれた。


英国の国営メディアBBCは3月19日、このところネット上に非常に多くみられていた『新型コロナでのイブプロフェン摂取に警鐘を鳴らす各国の事例』」について、それらが事実かどうかチェックしたところ、多くが「デマ」であることが判明したと発表している。

BBCによれば、以下の事例はすべてデマである。

1)アイルランドのコークで、集中治療室に収容されている既往症のない4人の若者は、全員が抗炎症薬を服用しており、それによって深刻な病気が引き起こされた懸念がある

2)ウィーン大学は、コロナウイルスの症状がある人々に「イブプロフェンを服用しないよう警告するメモ」を送信した

3)フランスのトゥールーズの大学病院で、既往症のない若者4人がコロナウイルスによる重篤な状態にあるが、彼らはいずれも感染初期にイブプロフェンなどの鎮痛解熱剤を服用した

ソース:Coronavirus and ibuprofen: Separating fact from fiction - BBC News


これらの「デマ」は新たな誤解を誘発するという意味で、たいへん悪質である。

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ここからちょっと長い前置きになる。

痛みや発熱を起こす体内の炎症を抑える薬剤は、「ステロイド性」「非ステロイド性」など、いくつかのジャンルにわかれている。ステロイド系は強い副作用の制御が容易ではないため、一般的な用途には多く「非ステロイド性抗炎症薬」が用いられる。

非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs、NonSteroidal Anti-Inflammatory Drugs)には非常に多くの薬剤があるが、一般的な代表例としては、アスピリン、イブプロフェン、アセトアミノフェン、ロキソプロフェンなどが広く知られている。

このとき気をつけるべきなのは、アスピリンを例にとれば、街のドラッグストアで「アスピリンそのものが商品名として売られている」わけではないということだ。薬局では、「アスピリンを主剤(=主成分)にした薬」が「製薬会社ごとに違う商品名」で売られているのである。

逆にいえば、世の中には数え切れないほどの鎮痛解熱剤が存在しているが、「主成分の違い」だけに絞ってみれば、それらには、アスピリン系、イブプロフェン系、アセトアミノフェン系、ロキソプロフェン系など、おおまかな「分類」があるわけだ。

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では、話を最初に戻す。


もし「コロナ感染を心配している人」が、「新型コロナに感染したら、イブプロフェンを服用すると危ない」と聞いたら、どういう反応をするだろうか。

「イブプロフェンが危ない? ならば、他のタイプの鎮痛解熱薬、例えばアスピリンやアセトアミノフェンを試そう」などと考える人が確実に発生する。


だが、それはちょっと待つべきだ
インフルエンザを例に説明してみる。


まず、これはあくまで推測だが、「新型コロナ感染において、イブプロフェンが症状をむしろ悪化させる」というデマは、「インフルエンザにおいては、イブプロフェンがインフルエンザ脳症を起こすから投与すべきでない」という医学的検証の済んでいる話を「コロナに流用」し、デマとして流布したのではないかと考える。

たしかに、「インフルエンザではイブプロフェン投与は避けるように」と欧米で公式に指導されている。

だが、だからといって、「インフルエンザ感染時に、イブプロフェンでない解熱剤の服用なら安全といっていい」のか。たとえば「アスピリンなら、安全といえる」のか。

そうではない

「アスピリン」に関しては、「水痘やインフルエンザ時に使用すると、(特に小児は)ライ症候群になりやすい」という指摘が、すでに1980年代にアメリカで指摘されている。また、インフルエンザ時に安全と思われがちな「アセトアミノフェン」にすら、死亡率が高まるケースがあるという一部専門家の警告もある。

総じていえば、感染症においては「きつい解熱剤の使用」が、かえって症状を重症化し、死亡率も高めるケースがあることは、多くの専門家が指摘するところだ。

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この「インフルエンザと、各種の鎮痛解熱剤との間でみられる副作用の関係」でわかるように、『イブプロフェン服用がかえって危ない』という言説が一部にあったからといって、それが、『アスピリンなら安全』、『アセトアミノフェンは安全』、『イブプロフェンではない薬は全部安全だ』という意味には、まったくならないのである。

だが、悲しいことに人間は、ツイッターなどで「コロナにはイブプロフェンを投与するな」というロジックを目にすると、アタマの中で勝手に「アセトアミノフェンなら大丈夫、安全」などと話をすりかえて、「専門家への相談もなしに、アセトアミノフェンに手を出してしまう」のである。



薬物のことなどわからない素人のわれわれは、たとえ「イブプロフェンが新型コロナの症状をかえって悪化させる」ことが専門家の調査でわかったとしても、だからといって、「アスピリンなら大丈夫」とか、「アセトアミノフェンなら安全」とか、「何の根拠もない思いつきだけで断定的にモノを言う」ことは許されないのである。

薬物の服用に関しては、たとえそれがインフルだろうと、コロナだろうと、素人が、いわゆる素人考えで、勝手に服用したり、医師の指示した服用を勝手に止めたりすることなく、まず専門家に相談すべきだし、さらにいえば、真実かどうかもわからない「いい加減な情報」の拡散は慎むべきであり、また、いい加減に拡散された情報から「自分の脳内で勝手に情報を拡張したり増幅させたりすること」も止めるべき、なのだ。



追記

WHOは2020年3月20日あたりに、新型コロナ感染者のイブプロフェン服用を控えるよう求める勧告は「しない」などと言い出した。その論拠として「治療にあたっている医師への調査の結果、通常の副作用以外に、症状を悪化させるという報告はなかった」というのだが、WHOのこの無能さ、無責任さは、いったい何事だろうか。

WHOは、世界保健機関との名前のとおり、世界の健康を預かる非常に大事な仕事であるはずだ。にもかかわらず、この人たちはロクに医学的追求もせず、デマにのっかる形で、「武漢肺炎におけるイブプロフェン服用は避けるべき」などと発言し、こんどはそれを撤回したのである。

医学にかかわる立場にある組織が、なぜ最初から風説に踊らされることなく、事実を専門家にたしかめないのか。

このことで、WHOが単なる「素人集団であること」は、もはや確定した。こんな素人の集団に対して、日本は資金を拠出したりするべきではないし、WHOの責任者は、事務局長以下、全員が自発的にこの不祥事の責任をとって辞任すべきだ。

March 18, 2020

CDC、米疾病対策センターがダイヤモンド・プリンセス号事件の経緯の一部を2020年3月17日週報に掲載した。明らかに、この船は横浜に来る途中で既に「武漢ウイルスまみれ」の状態にあったことがわかる。こんな状態の船を受け入れさせておいて、CDC自身、あるいは、日米のマスメディアは「日本の責任だ」などと濡れ衣をきせたのだから、そのいい加減な姿勢、根拠の無い責任追求には、いまさらながら腹がたつ。

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乗客の感染判明は2月1日

まず乗客の感染判明だが、Wikiなどに「1月に横浜から乗船した中国系乗客」で、「乗船直後の1月23日に症状が出た」「下船後の2月1日に感染判明」とある。
船内に「症状のない別の感染者」がすでにいて、その感染者からウイルスをもらった可能性もないわけではないが、感染から発症までに「潜伏期間」があることを考慮すると、この最初の感染者である中国系乗客が「最初は健康だったが、ダイヤモンド・プリンセス号船内で感染した」というよりも、むしろ、最初から感染者で、この人物が「船内にウイルスを持ち込んだ」可能性のほうが高いといえるだろう。

横浜で乗船したこの乗客が、「中国在住の中国人観光客」なのか、「日本在住の中国系住民」なのかはハッキリしていないが、いずれであるにしても、この「中国系の乗客」が最も初期の感染者のひとりであることは疑いようがない。
ウイルスの遷移はDNA解析によって、誰から誰に伝染ったのか、経路を多少なりとも推定できると聞くから、この乗客のウイルスを調査し、他の乗客の感染者や乗員の感染者のウイルスのDNAと比較して、「ウイルスの遷移の経緯を明らかにすべき」だろう。


乗員の感染判明は2月2日

乗員における最初の感染判明は「2月2日」だ。

乗客の最初の感染判明が「2月1日」だから、その翌日には乗員の感染も判明したことになる。「乗客と乗員の感染拡大は、平行して進んでいた」とみるべきだろう。
船が那覇を出て横浜に向かったのが2月1日、横浜沖到着が2月3日だから、横浜に接近する間にはすでにダイヤモンド・プリンセス号の船内では乗客と乗員の両方でコロナ感染が始まっていたわけだ。
これも潜伏期間の長さを考慮すると、乗員への感染についても、那覇から横浜に向かう途上では、感染は、始まったばかりどころか、拡大期にあったとみるのが自然だろう。


乗員の食事担当グループが
乗員における感染拡大の原因


CDC週報によれば、最初の乗員感染者は「乗員の食事担当」であり、後になって判明する「乗員における感染者」の「約75%」が、この「乗員の食事担当乗員」で占められていたという事実がある。

「乗員の食事を用意していた乗員が発症」し、それが、同じ食事担当乗員の間で感染拡大し、さらに他の仕事をする乗員にも感染が広がっっていったのは、ほぼ間違いない。
また、乗員のウイルスが乗客へ感染し、感染拡大を増幅した可能性も十分あるが、これも、ウイルスのDNAを調査することで、「乗客と乗員のどちらの感染が先か」を判明させることが可能なのではないか。


日本側の検疫開始は2月4日

日本側が、最初の検疫を行ったのは、「2月4日」である。

乗客の最初の感染確認が「2月1日」、乗員の最初の感染判明が「2月2日」だから、これも潜伏期間を考慮すれば、2月2日時点では、乗客にも、乗員にも、「感染の素地はとっくにできていて、感染拡大は既に始まっていた」のである。
乗客にも乗員にもウイルス感染が判明した2月2日時点では、まだダイヤモンド・プリンセス号は「横浜に向けて航行中だった」のであり、「船内に目に見えないウイルスが既に充満していたことは明らかであり、日本がこの船が横浜沖に着くのを待って2月4日に検疫を行ったこと自体は、けして遅くなどない。


こうして丁寧に日付と役割を追っていき、さらにDNA鑑定なども加えていけば、ダイヤモンド・プリンセス号における「横浜沖に戻る前の、船内での感染度」というものはかなりの部分が明らかになるはずだ。
ならば、CDCやアメリカのメディアが日本を名指しで批判したことが、どれほど馬鹿げていたかは明らかになるし、日本のメディアがアメリカのメディアの日本批判に便乗したことが、どれほど恥知らずな行為だったかも明らかになる。

March 10, 2020

いま2020年2月末段階でのコロナウイルス騒動を振り返ってみると、日本のコロナ感染の程度について、非常に多くの「デマ」が飛ばされ、いつのまにか日本が世界最大のコロナウイルス汚染国ででもあるかのように「仕立てられてきた」ことがわかる。


デマが根拠にしたのは、「検査は、すればするほど、事態を改善していくはず」という「誤った思い込み」である。だが、そこにはなんの科学的根拠もない。


例えば以下のブログを例にとると、2020年2月末の記事で「韓国と日本は10万人あたり感染者数が、実はほぼ同じだろうと推測」などと、根拠のないことを主観のみで述べたてている。
感染者爆発の韓国と日本が実は人口あたり感染者数がほぼ同じという推測

こんな馬鹿げた主張に何の根拠も、裏付けもないことは、ほんのちょっと事実を並べてみればわかることだ。たぶん、テレビのワイドショーかなにかが無責任な反日報道をするのを見て、真に受けたのだろう。哀れなものだ。


こうした無責任な主張がよりどころにしているベースは、「韓国では大量の検査をしているが、日本ではあまり検査をしていない」という、「あやふやな話」だ。
もし、検査の数がそれぞれの国で異なるというささやかな事実を指摘したいだけなら、そのことだけを指摘して満足していればよかった。だが彼らは、よせばいいのに、そのささいな事実を針小棒大に利用して、大きなこと、つまり、「日本では実際にはコロナ感染が蔓延している! 政府の事実隠蔽だ!」などと、「デマ」を流そうとして墓穴を掘ったのである。


では「事実」はどうか。
簡単にふりかえる。

2月末の時点で、上記ブログが指摘した韓国の10万人あたり感染者数は「1.2人」だが、3月8日〜10日のいくつかのソースからみると、韓国の10万人あたり感染者数は「14人」をこえ、検査をやたらとしていた韓国の感染者数は、たった10日でその10倍以上に激増しているのである。

もし本当に、日米マスコミのデマニュース、素人のデマブログ、デマSNSがいうように、「きちんと検査をしてないことが日本のコロナ対策の重大な欠陥」であり、他方で「韓国がきちんと検査していることが、彼らのコロナ対策成功の証である」ならば、2月末から3月10日には、日本のコロナ患者が激烈に増加する一方で、韓国は封じ込めに成功し、その結果「両国の感染割合は接近してきて」いなければ、ロジックの辻褄があわない。


だが、「事実」はまるでそうではない。

10万人あたり感染者数でみると、2月末に「1.2人」だった韓国は、その後の10日間ほどで10倍以上に膨れ上がって「14人を越えた」のであり、その一方で、3月10日現在の日本は「0.39人」と、月末の韓国や、アジアより遅れてコロナ感染が始まったヨーロッパより、はるかに少なく、おまけに、そのヨーロッパの中でも感染者の少ないイギリス以下の数値にすぎないのである。
新型コロナウイルスによる死亡率 イタリアが世界で最高に - Sputnik 日本


これらの事実が示すのは、単純なことだ。

「数多くの検査をすることが絶対的な感染症対策になる」わけでは、まったくないのである。

軽症の患者をも対象に加えて、検査をしすぎると、医療システムそのものが機能不全を起こして機能しなくなり、重篤な患者への対応をはじめ患者全体への対応が麻痺する事態が起こることは、感染症対策で意識しておくべき基本のひとつであり、韓国の事例で実証されている。


検査そのものはべつに「正義のありかを示す剣(つるぎ)」でもなんでもない。なのに、それを安易なヒューマニズムにかぶれた人間が「検査!検査!」と怒鳴りまくって称揚し、あたかも日本が世界最高のコロナ感染国のひとつであるかのような無責任なデマを飛ばしまくって、国民の危機感を無駄に煽って、トイレットペーパーをはじめとするプチ・パニックを誘発したのが、この「PCR検査デマ」という恥知らずな行為なのである。

付記:ダイアモンド・プリンセス号での感染は
   「日本での感染ではない」


例のダイアモンド・プリンセス号での「700人あまりのコロナ感染者」だが、あの中国寄り発言の連発で悪名高いWHOですら、「日本の感染者数」にはカウントしていない
当然である。なぜなら、あれは、「船籍はイギリスで、所有者はアメリカ」の船であり、感染が起こったのも公海上、いわば「外国での感染」なのであって、「日本での感染ではない」のである。
にもかかわらず、日米のマスメディアなどはダイアモンド・プリンセス号の700人を日本での感染者数にカウントするような恣意的な印象操作報道を意識的に繰り返したために、世界の多くの地域で誤解や日本人差別が生じたのである。彼らは日本に謝罪すべきだ。



March 07, 2020

まずは、以下の2つのNHK(=日本の国営テレビ)記事を読み比べてもらおう。ダイアモンド・プリンセス号事件の記事である。

2つの記事が書かれた日付は、わずか10日間しか離れていない。
だが、短い期間、同じメディアの記事であるにもかかわらず、2つの記事の間には気味が悪いほどの「事実認識の隔たり」がある。(以下の記述において、2つの記事はすべて記事A記事Bと略す)

記事A)2020年2月23日NHK記事
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200223/k10012297661000.html

記事B)2020年3月4日NHK記事
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/31092.html


項目1)アメリカ人乗客を船内にとどめたのは誰か

記事Aに、明確に日本側はアメリカ人乗客の早期帰国を提案したが、船内にとどめるよう要請したのは、むしろアメリカ側で、CDCもそのことを事前に知っていた旨の明確な記述がある。(*CDC=アメリカの伝染病対策にあたる政府組織である「疾病対策センター」)
記事Aからの引用(太字による強調はブログ側による)

日本政府が、当初、アメリカ人乗客の早期下船と帰国を提案したのに対し、アメリカ政府は日本側の対応に謝意を示したうえで、CDCなどと議論した結果、「乗客を下船させ、横田基地などに移動させれば、感染リスクが高まることが予想される。船は衛生管理がきちんと行われており、船内にとどめてほしい」と要請していた

しかしながら、記事Bの記述ぶりはまったく異なる。

まず、記事Bでは「アメリカ側からの要請で乗員乗客を船内にとどめた」ことについて、悪質なことに、すっぽりと記述が抜け落ちている。
そして、記事Bでは「『日本政府の危機感が薄かった』と断定できるだけの記述量が、記事冒頭にまったく欠けている」にもかかわらず、「アメリカ側からの要請にまったく触れない」というレトリックによって都合よくも、いきなり「当初、政府に危機感は薄かった」などと記者が主観的に断定することから記事を始めている、のである。
また、記事Bの要所要所で記者は、「ある政府関係者」「政府高官」など、「曖昧な主語」を故意に散りばめることで、名前すら挙げない不特定の人間をあたかも日本政府自身が、みずからの失態をわかっていて、恥じてでもいるかのように陳述することで、読む人間の印象を操作しようとしている。
その結果、記事Bは記事全体として、あたかも「日本政府の当初の見通しの甘さが、乗客乗員を船内に長く留め置く原因になった」かのような「印象操作」を読者に強いているのである。

項目2)CDCの責任逃れ

記事Bには、CDCのコメントについて以下の記述がある。
5日以降、乗客・乗員を船内に留め置いたことは、むしろ感染を拡大させたのではないか。こうした疑念が国内外に広がった。アメリカのCDC=疾病対策センターも、「乗客は感染するリスクが高い状態に置かれていた」などと指摘。国内外から批判が相次ぐこととなった。

この記事の最初の「項目1」を読んでもらえば明らかだが、「アメリカ人乗客に関して、船内にとどめるよう要請した」のは「アメリカ側」であり、その相談にはCDCも参加していたと、少なくとも記事Aは明記している。
つまり、ことアメリカ人乗客の下船に関する去就に関していえば、「乗客を船内にしばらくとどめるとする決定」は、CDCを含むアメリカ側に主な責任があり、また、全乗客の多数派であるアメリカ人乗客に関する「決定」が、他の国の乗客全体の処遇の決定に大きな影響を与えるであろうことは言うまでもない。
船内にとどめることに当初から同意していたCDCが、船内隔離による感染リスクについて他国の政府を批判できる立場にはないことは明らかだ。


項目3)「船内に乗客をとどめたことが感染を拡大させた、のではない」という日本の国立感染症研究所の指摘

記事Aにおける時系列をあらためて確認すると、日本が乗客を船内にとどめることにしたことには、「理由」がある。それは「『症状がある人』の中に武漢コロナ感染者がいることが明らかになったことで、すべての乗客乗員への検査の必要が生じ、また、たとえ結果が陰性であっても、2週間程度の経過観察を要するという判断が生じた」からだ。
記事Aが記述した時系列
2月1日 香港で下船した男性の感染が判明
2月3日 乗客・乗員3711人のうち「症状がある人」を対象に検査開始。当時の厚生労働省は「検査の結果が判明するまで全員船内に待機させたうえで、無症状者は検査を行わず下船させる方針」
2月5日、10人のコロナ感染が判明。厚生労働省、すべての乗客・乗員を検査し、陰性と確認され、健康状態にも問題がなければ14日間の健康観察期間が終了する2月19日から下船という方針に転換
2月19日〜21日 969人が下船


では、なぜ「2月5日以降に乗客・乗員を船内に留め置いたことで、むしろ船内に感染を拡大させたのではないか」というような「根拠の曖昧な疑念」が生じたのか。
きっかけのひとつは、いうまでもなく、神戸大学教授・岩田健太郎がYoutubeにアップした主観的で独善的な動画(=既に削除されている)だ。そうした根拠のない主張が、アメリカのCDCの責任逃れに「口実」を与えることになり、CDCは尻馬に乗る形で「乗客は感染するリスクが高い状態に置かれている」などと批判を口にできたのである。

だが、記事Bにこういう記述がある。
国立感染症研究所は、クルーズ船内で検疫が開始される前に、ウイルスの実質的な感染拡大が起こっていたと指摘。感染者の数が減少傾向にあることから、5日以降、乗客を自室にとどめたことなどが、有効な対応だった

つまり、日本の国立感染症研究所によれば、「乗客乗員を船内にとどめたことによって感染が拡大した」のではなく、全員を検査するとか、船内での14日間の観察期間を経過するとかより以前の段階で「船内ですでに感染拡大が起きていた可能性が高い」と指摘しているのである。
にもかかわらず、神戸大学・岩田教授の無責任きわまりない動画を見た大衆や日米のマスメディアは、「船内にとどめたことで感染が広がった」などと、無根拠なデマを飛ばしたのである。


項目4)アメリカがチャーター機を手配したことに関する記述

アメリカがチャーター機を手配するに至った経緯について、記事Aは以下のように記述する。
日本側が2週間の健康観察期間が過ぎる19日から下船が順次可能となると説明したのに対し、アメリカ側は日本政府の負担を軽減すべきと判断したとして、19日を待たずにチャーター機を派遣し、アメリカ人の乗客らを帰国させる方針を伝えた


しかしながら、記事Bはニュアンスがまったく異なる記述を、故意かつ主観的に採用している。「日本の国立研究所が『船内での2週間の待機期間を設けたことで感染が拡大したのではない』と指摘した」という主旨の記述部分に続けて、こう書いて、印象操作しているのである。
しかし、懸念は払拭できず、乗客の間にも不安が拡大する。
アメリカは、自国民を帰国させるため、各国に先駆けてチャーター機を手配。

この「事実の断片を部分的に主観で切り取って、無理につなげた文章」だけを読むと、あたかも「世界が懸念を表面化するなかで、何事にも迅速なアメリカが、もっとも早く他に先駆けて動き、自国民をいちはやく救済した」かのような印象を読む人に与える。

だが、「項目1」における記事Aによれば、それは事実ではない。
そもそも「船内にとどめるように要請した」のはもともと日本でなく、アメリカであり、また、アメリカ側がチャーター機を手配して2月19日の待機期限を待たず、アメリカ人乗客を帰国させたこと自体、日米両国間でとっくに了解済みの話なのである。「2週間の船内待機がウイルス汚染を拡大させた。それを危険視したアメリカが急いでチャーター機を飛ばした」という朝日、毎日、ニューヨーク・タイムズなどの下世話な論理は、そうしたメディアがもはやタブロイド紙まがいの三流ジャーナリズムでしかないことを如実に示している。

項目5)たとえ検査結果が「陰性」であっても発症する新型コロナウイルスの特性

記事Bは、アメリカのニューヨーク・タイムズの以下の記事を紹介している。
日本がクルーズ船の乗客を自由にしたが、それは安全なのか?
Japan let's passengers walk free. Is that safe?

中国でのいくつかの事例、また、日本を含めた他の国での事例においても、この新型コロナウイルスについて「大流行のあとからわかった、最もやっかいなこと」のひとつは、たとえ「検査で陰性」だからといって、「いちど感染した人間は二度と発症しない」「症状がない人間は発症しない」「感染したからといって、症状が出るとは限らない」ことだ。

たしかに、「陰性で、2週間の待機を経過した乗客たち」であっても、「公共交通機関」で帰らせたことは迂闊な判断といえる。

だが、だからといって、「陰性の検査結果が、いったいどこまでの『安全』を意味するのか、いまだにはっきりしない」ような曖昧な状況では、「陰性とわかったはずの人間」、「治療が終わったとみなされた人間」の処遇において、「一定の誤り」が生じることは、それが誰であっても避けることはできない。
何が本当に安全といえる状態なのか。それは当分の間、誰にもわからないことだけはわかっているというのに、ニューヨーク・タイムズはいかにも「自分だけは、すべてがわかっている」かのような上から目線の態度なわけだが、そういう無意味で失礼な態度は笑止千万というものでしかなく、やがてくるブーメランの到来に備えたほうがいい。

サンフランシスコ沖のクルーズ船「グランド・プリンセス号」は、日本の「ダイヤモンド・プリンセス号」と同じ会社の所有する客船だが、ハワイで下船させた乗客が既に新型コロナに感染していたことがわかっている。
ニューヨーク・タイムズがいかに「上から目線」で語ろうと、アメリカでの新型コロナの検査が拡大すればするほど、この冬、アメリカでのインフルエンザ大流行と思われ、インフルエンザでの死者と思われていた症例の何パーセントか、何十パーセントかが、実は武漢コロナでしたという話になるのは目に見えている。


以上、同じNHKの異なる2つの記事を点検した。日米両国のマスメディアによるこのところの日本批判が、どれほど恣意的なものか、わかったことと思う。

われわれは常によく目を開けて、報道と事実の差異を点検すべきだ。

February 29, 2020

重要なのは、「方法」をみつけることであって
「理由」を探すことではない。

このことは非常に重要な法則だが、なかなか理解されない。

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新型コロナウイルス対策で、急遽、学校を休校措置にしたことについて、どこかの愛媛県知事が「唐突だ」などと、わけのわからない批判をしている。バカはほんと、どうしようもない。結局こういう人は「どんなことにもケチをつけたい、ただそれだけの人種」なのだ。


こういうタイプの人はふだん「日本人の組織の悪いところは、決断の遅さにある」などと鼻高々に言いたがる。

だが、こういう人間に限って、物事をパッと決めると、こんどは、「早く決めすぎ」だのなんだの、ケチをつけだす。ほんとに始末が悪い。


言いかえると、これまでよくいわれてきた「日本人は物事を決定するスピードがあまりに遅い」という指摘は、実は、「決断そのものの遅さが原因」ではないということである。

「誰かが決断した『決断』について、ああだこうだと言いたいだけの外野が『ケチをつける行為』があまりにも多すぎることによって、最初の決断者の「スピード感」が著しく損なわれるのがスピードダウンの真の原因なのだ。


例えば、何事によらずスタートアップを経験するとわかるのは、「できない理由を探す人の存在がスピードをダウンさせる」ということだ。

プロジェクト発案者にしてみれば、欲しいのは「それを可能にする方法を考えてくれる人」であって、「できない理由を探す人」ではない。

だが、「理由をみつけるのに必死な人」は自分の発想の貧しさを意に介さず、「できない理由」ばかり探して、重箱の隅をつつき続ける。言いかえると、自分のプロジェクトに「理由ばかりあげつらう人」がいることがわかったとしたら、その人は「必要のない外野」であり、「はずれてもらうべき人」だと判断すべきだ、ということだ。


例えば、MLBにこんど来た山口俊もそうだ。初登板がうまくいかなかったとき、彼がなんと言ったかというと、「MLBのボールの縫い目がどうたらこうたら」。

これは明らかに「できない理由探し」である。

必要なのは、「うまく投げるための『方法』をみつけること」であって、「うまく投げられない『理由探し』」ではない。

重要なのは「方法」で、「理由」ではないのである。


これから、人と会話するとき、人と仕事をするとき、相手の発言を点検してみるといい。ちょっと気をつけて発言ぶりを聞いていれば、その人が「方法を模索してくれる人」なのか、ただの「できない理由探しマニア」なのかは、すぐにわかる。

相手が語りたがってるのが、「方法」なのか、「理由」なのか。

それによって、その相手がどのくらい「実務的」か、それとも、単なる「センチメンタリスト」なのかが、あっという間にわかるのである。

February 16, 2020

「死刑制度廃止ロジックのまやかし」に関する前の記事同様に、これも以前ツイートした話題だが、あらためてまとめ直して、備忘録として記事化しておいた。
(ちなみに、以下に述べる内容は、トマス・ロバート・マルサスの『人口論』と同じではない。論理のプロセス、時代背景、視野に入れている科学技術など、多くの要素が、マルサスとは異なっている)

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貧富の差」というロジックは、社会批判によく使われるが、決定的な「盲点」がひとつある。

それは、あらゆる国家の成長において「生産量の飛躍的な増大は、人口の爆発的増加をもたらす」という「どこにでもある事実」を視野に入れていない、という点である。

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社会において「生産が量的に増加すると、人口が増えるという法則性」がみられることは、いいかえると
「ひとりあたりでみると、生産というものは、長いスパンでみるなら、常に『一定量』にしかならない」
ことになる。そのことの意味をまず以下に説明する。

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まず、たとえ話をひとつ書く。

もし「人口はまったく増えないという前提で、生産量だけ3倍とか5倍になる」ならば、「ひとりあたり生産」はどうなるか。当然、3倍とか5倍になり、それが維持される、だろうか?


そういうことは「長期的にみれば」起きない。起きるわけがない。
それはなぜか。

生産増加にともなって、人口増加が自然発生的に起きる
からだ。

たしかに生産の急激な増加は「ひとりあたりの生産」を急激に増加させる。だが、生産増加につられて起こる人口の増加はひとりあたり生産を下降させ、やがて変化は元の状態に押し戻されていく。

「人口がまったく増えないまま、生産量だけが劇的に増加する」などというような事態は、単なる机上の空論であり、長期的にみれば、そんな事態など起きない。

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たとえば日本の戦後の高度経済成長もそうだが、国家の経済がテイクオフ(離陸)する発展初期には、まず最初に、ひとりあたり所得が爆発的に伸びる時期が訪れる。

だがそれは「一時的な現象」で、生産があまりに爆発的な成長初期には人口増加がまだ追いつけないというだけの意味でしかない。やがて、高度経済成長期にベビーブームが起きたように、人口の爆発的増加が起きるから、事態はほどなく一変する。

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やがて社会は落ち着いてくる。
どうなるか。

人口増加が生産量増に追いつくようになると、生産の伸びは人口の急激な増加に吸収されてしまう。当然ながら、個人所得の急激な伸びもどこかで止まる。遅れて、人口の爆発的増加も止まり、社会は次の波が来るを待つことになる。

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生産の爆発と、その後の人口の爆発が終わった後、
どういう「世界」が待っているか。

人口プラミッドはさかさまに倒立した、歪(いびつ)な形になって、「数の少ない若い世代」が「あまりにもたくさんの老人の世話」に悩まされるという絶望的な事態がひき起こされる。

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世界のあらゆる例をみればわかることだが、こうした「生産と人口のサイクル」は「あらゆる国で自動的に起こる、わかりきったサイクル」だ。

それは「社会の歪み」などではない。むしろ「社会という集団のシステムにもともと備わっている、システム上の調整」で、どんな社会でも起こりうる。たとえ資本主義だろうが、社会主義だろうが、まったく関係ない

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かつて2013年に、以下の記事群を書いた。
カテゴリー:『1958年の西海岸』 アメリカにおける放浪の消滅 │ Damejima's HARDBALL

これらの記事で指摘したかったことを短く言えば、社会には爆発的な成長期のあとに必ずやってくる「安定期」があり、そこでは若者にありがちな無軌道な跳躍や飛躍は必要とされない、ということだ。芸術面に限定していえば、成長期にもてはやされがちな自分探し小説だのなんだのは、もはや必要とされなくなる。

かつての記事では、サイモン&ガーファンクルの "America" という曲が、昔の日本の熱心なファンが思っていたような「若さ礼賛」などではまったくなく、むしろ逆で、「若さというエネルギー」をもはや必要としなくなった1960年代アメリカの非常に痛々しい現実を容赦なく指摘した曲であること、また日本でも、明治という激動のあとの時代が安定期を迎えると、「若さ」はまったく必要とされなくなり、若さになんの意味もなくなっていく時代にあって、石川啄木が『我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなった』と嘆いた例を引用して、当時の日本の若者が時代に置き去りにされる姿を指摘した。

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では「貧富の差」は、なぜ、どこに、生まれるか。

ここまでの記述で明らかなように、「有利な成長期に蓄財したベビーブーマー」と、「不利な安定期に生まれ育ってしまった若者」との間には明白な「資産格差」が生じる。

この格差は、共産主義者やリベラルがいうような意味での「資本主義ゆえの貧富の差」ではない。それは、たとえ資本主義だろうが社会主義だろうが、離陸した国家経済がやがて安定する段階で生じる世代間のタイムラグだ。


ただ、問題は資産格差だけにとどまらない。制度疲労を起こしているアホらしい古い社会のしくみが老人や外国人を甘やかすことで、格差はさらに助長される。安易で根本的に間違ったヒューマニズムが横行する過度の福祉社会では、少数である若者が多数である老人を養う異常さを放置する異常な仕組みが、いつまでたっても改善されないからである。

このタイムラグが発生することはあらかじめわかっていたが、その有効な対処はほとんど何もされなかった。高齢化社会なのだから老人は大事にされるべきだ、などと、間違った、上から目線の甘えた考えを抱いている人に限って、「社会を、若者を厚く扱う社会にあらかじめ変えておき、その後に高齢化を迎えることこそが、本来の高齢化社会の『迎撃方法』だった」にもかかわらず、「誰もそうしようとしなかった不手際」をまるで理解しないまま、老人になって、社会を飴玉のようにしゃぶりつくしているのである。

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こうしたことをきちんと把握し、理解させていかないと、わけのわからない社会批判に耳を貸す馬鹿な若者が増えて困ることになる。

実際、放浪という行為が意味を失い、サイモン&ガーファンクルの " America " が指摘したような若者を必要としないアメリカが出現した戦後のアメリカには、フラワーチルドレン、ドロップアウトなど、さまざまな「社会からの逸脱」が流行し、若者は無軌道な社会批判に熱を上げた。日本でも、明治の安定期以降、大正期などには、社会に置き去りにされた若者の一部が社会主義にかぶれるという困った現象があった。

若者の不満を利用したいだけの老人は、資本主義社会の矛盾だのなんだのと、あらんかぎりの大声で叫び、共産主義の宣伝と選挙戦術に使おうとする。そうした「若者を利用したいだけの老人」が、実はその裏で「国家の経済の成長にすがって甘い汁をすすってきた老人」でもあることを忘れてもらっては困る。

アメリカの大統領選挙が近づいているが、アメリカの若者が誤った選択をしないことを切に願う次第である。

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February 15, 2020

2019年8月に「死刑廃止論ロジックがまやかしであること」を証明するツイートを書いた。140文字では書き足りなかった点を加え、備忘録としてブログにも残しておく。

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社会には「鉄則」がある。
「掟」といいかえてもいい。

集団に統率ルールが存在するのは、なにも人間社会だけと限らない。動物にも掟はある。だが、人間の場合、そのルールができる動機、モーメントは、生物学的な意味での本能とは必ずしも一致しない。むしろ、人間の社会の鉄則は、もっと別の、人為的あるいは歴史的な経緯の中で作られ、また、時代とともにそれは変化していく。

だが、だからといって、「鉄則に背く者が罰せられる」という「罰則」というルールが無くなることがあったか、といえば、そういうことは起こらない。

古来から罰則は存在した。
人間社会において、鉄則は常に罰則とともにある。

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さて、ここに
「人間には、その誰もにも生きる権利がある」という鉄則がある、とする。

では、
「重大な犯罪を犯した者にも、生きる権利があるから、その権利を奪う死刑制度は無くすべき」といえるだろうか。

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もうひとつ。
たとえば、ここに
「人間は、他の人間を殺してはならない」という鉄則がある、とする。

では、
「重大な犯罪を犯した者であっても、人間であり、社会がその人間を殺してはならない。だから死刑制度は無くすべき」といえるだろうか。

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いずれも答えは、
言うまでもなく、No
である。

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かつてツイートしたことを反復しておく。


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死刑廃止論のどこに「ロジックによる、ごまかし」があるか。

簡単である。
鉄則を罰則にまで適用しようとしているから
である。

もういちど書く。
その鉄則が、人を保護するものであれ、規制するものであれ、鉄則を破った人間は、適用の対象から除外され、罰則を受ける義務が生じる。理由は単純かつ明快だ。「その人間が、鉄則に背いたから」である。鉄則による保護が適用されるのは、「鉄則を遵守する、鉄則の対象者だけ」である。

罰則は、その鉄則の「『外部』に存在している」のであり、鉄則による制約を受けない。
罪を犯した者は「鉄則による保護」を外され、当然ながら「鉄則によって保護される権利を失う」のである。それが「罰」という「鉄則の外部の世界」だ。

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こんな単純なことがまだわからない人のために、
もうひとつ、「自由」を例に、たとえ話を書く。

鉄則「人間には、誰にでも自由がある」
罰則「刑務所に収監されると自由はなくなる」

ここで試しに、死刑廃止論と同じロジックをわざと使ってみよう。

人間には自由がある、だから、たとえそれが犯罪者であろうと、社会がその犯罪者を刑務所に収監して自由を奪うことは、断じて許されない。

さて。
この話はロジックとして正しいといえるか。

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答え

いえない」。

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いえるわけがない。
「人間には、誰にでも自由がある」という「鉄則」を盾に、社会が犯罪人を刑務所に収監するという「罰則」を人権侵害だなどと主張する根拠にすることなど、できるわけがない。

もういちど書いておこう。

鉄則を犯した者は、鉄則によって保護される権利を失って、罰則という「鉄則の外部」に追いやられる。つまり、罰則は、「鉄則による制約」を受けない。

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証明が終わった。あまりにあっけない。

あらためて言う。
「死刑」という罰則の制度は、「人を殺めてはならない」という、いわば平時の社会が維持している鉄則による制約を「受けない」のである。


考えれば子供でもわかることだが、要は、死刑に反対するロジック自体がもともと矛盾の固まりである。

そもそも「人を殺してはならないという基本ルールを犯し、他人を殺した人間が、殺されてはならない」と考えること自体、論理矛盾である。人を殺してはならないというルールに背いた者が、人を殺してはならないというルールの絶対性を盾に保護されるべきだ、などと、「矛盾した論理」を振り回すこと自体が異常である。

逆に考えても、矛盾は明確だ。もし、鉄則を犯した人間にふさわしい罰が適用されないなら、鉄則は鉄則でなくなる。ならば、人間社会の鉄則そのものが存在しなくなり、殺人者が死刑になるのを阻止するロジック自体の存立根拠が消えてなくなる。

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死刑廃止論のこうしたまやかしのロジックは、クジラ漁批判や、ヴィーガン的な肉食の拒絶などと、どこかで通底している。それはある種の「度を越した潔癖症」であり、一歩すすめば強迫性障害のようなものであると自分は考える。

February 12, 2020

2018年11月に以下のツイートをもとに記事を書いた。

野球ファンにとって、「データ」といえば、「個人データ」、つまり、選手のプレーを分析したデータに過ぎず、それはゲームを決めているすべての要素ではまったくない。

引用元:2018年11月3日、現状でいうデータとは「個人のチカラ」であり、「チームのチカラ」ではない。 〜 「チームのチカラ論」 序説 | Damejima's HARDBALL


また、同じ2018年10月には「チームのチカラ」について書いた。

いま思うに、ジム・リーランド時代のデトロイトがシャーザー、バーランダー、ポーセロと、3人ものサイ・ヤング級投手を揃え、ミゲル・カブレラやビクター・マルチネスなど強打者をそろえても、ワールドシリーズを勝てなかったのは、たとえ個人それぞれに類まれな才能があっても、「チームの強さ」がそれを支えなければ、ワールドシリーズを勝てないという、単純な理屈だった。

2018年10月10日、2018年MLBの「チーム三振数」概況 〜 もはや時間の問題の「1600三振」。 | Damejima's HARDBALL

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そもそもチームとは、どんな「存在」だろう。
そもそも何を目的に存在しているのか。

チームは「ひとつの生き物」と、よくいわれる。チームが、単なる「個人の能力の合算」であるなら、集合体としてのチームが存在する意味がない。

それは、言い換えれば、チームには、「選手個人の能力とは別種のチカラ」が備わっていなければならない、という意味になる。


だが、その「チームに求められるチカラ」は、これまで明確な言葉で語られてきたか。まったくそうは思えない。むしろ、曖昧な勘だけに基づいた、曖昧な世間話だけが幅をきかせてきたとしか思えない。

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その曖昧な話を、この際、ハッキリさせていきたい。

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まず、「チームの仕事」とは、何か。

チームを、選手個人それぞれがもつ能力値の合算を超え、
プラスアルファ」を生みだせる組織にすること、だ。

野球というスポーツではよく、「ポストシーズンの戦い方は、レギュラーシーズンと同じではいけない」といわれるが、この点についても、これまでは具体性を欠く経験論しか語られてこなかったし、多くの指導者がレギュラーシーズンと同じ戦い方をして敗れ去ってきた。

レギュラーシーズンと同じではダメなら、では、どうあるべきなのか。
それについても(多少の極論を覚悟して)自分流に定義しておく。

レギュラーシーズンを「選手それぞれの能力の優劣によって行われる戦い」であるとするなら、ポストシーズンは、チームが創出する「プラスアルファのチカラ」の優劣が問われる戦いである。

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このように「チーム」「ポストシーズン」という2つを、「プラスアルファ」という単語でくくってみると、かつてデトロイトでジム・リーランドが、テキサスでロン・ワシントンが、ロサンゼルスでデーブ・ロバーツが、ワールドシリーズ優勝に手が届かなかったことに一定の説明がつく。

選手層の厚さにはまったく問題なかったが、
「チームとしてのプラスアルファを生み出す能力」が足りなかったのである。

プラスアルファの源泉がないままワールドシリーズに臨んだ彼らは、ロン・ワシントンやデーブ・ロバーツの継投ミスに代表される「マイナスアルファ」を表面化させ、大一番に負けた。

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では、チームが「プラスアルファを生み出せる場所」であるためには、何が必要なのか。言いかえると、チームがプラスアルファを生み出せない場所になっているとしたら、原因はどこにあるか。

2010年代後半の金満ドジャースを例にみてみる。
以下に近年のドジャースが「2012年以降あたりに獲得した有名選手と、その引退年度」を、引退年度順に示してみた。

ジョシュ・ベケット(2014年引退)
ダン・ヘイレン(2015年引退)
カール・クロフォード(2016年引退)
スコット・カズミアー(2016年引退)
アレックス・ゲレーロ(2016年自由契約)
エイドリアン・ゴンザレス(2018年引退)
ブランドン・マッカーシー(2018年引退)
チェイス・アトリー(2018年引退)
ハンリー・ラミレス(2019年時点で実質引退)
ジミー・ロリンズ(2019年引退)
マット・ケンプ(2019年実質引退)
カーティス・グランダーソン(2020年引退)

まったく酷いものだ。よくも、まぁ、「引退間際の有名選手」をこれだけかき集めたものだ。どれだけ多くの選手がキャリアの最後にドジャースから大金をせしめたことか。感心するしかない。

だが、このリストすら、「つぎはぎドジャースのすべて」ではない。他にも、シーズンが終わればいなくなるのがわかりきっている選手、マニー・マチャドやジョシュ・レディック、ダルビッシュなどに手を出し、ヤシエル・プイグなどのキューバ系に手を焼き、セイバー系のファーハン・ザイディをGMにしたかと思えば、あっという間にいなくなり、こんどはムーキー・ベッツ獲得に必死になっている。

ヤンキースと同じ、この金満チームがどれほど「つぎはぎだらけの、統一性のない、趣味の悪い豪邸」か、よくわかる。

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少なくとも言えることは、「つぎはぎだらけの家」でプラスアルファは生まれない、ということだ。

たとえば、ヒューストンがワールドシリーズを勝てたのはサイン盗みをしていたからだ、という説明は当たっていない。それだけが「理由」ではないからだ。
彼らのプラスアルファの一部がたとえ「インチキなサイン盗み」であったとしても、彼らには少なくとも、ドラフトの成功とその育成の成功、トレードの成功によって、チームの土台となる選手層の厚さと一体感があった。

ドジャースがワールドシリーズを勝てないのはサイン盗みされていたせいだ、という説明も当たっていない。彼らがポストシーズンを最後まで勝ち抜けないのは、それだけが「理由」ではない。
これほど右往左往し続けているドジャースがポストシーズンに毎年顔を出せるのは、単に「カネがあるから」でしかない。「つぎはぎだらけ」の家に住む成金の彼らには、「育ちの良さ」と「知恵」、つまり、「チームとしてのプラスアルファを常に生み出せる体質」がない。カネだけでワールドシリーズが買えるなら、カンザスシティが勝てたりはしない。

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もちろん、この程度の言葉を連ねたからといって、ポストシーズンの真髄を垣間見ることができるわけはないのだが、少なくとも「チームのチカラ」の真髄にちょっとずつ近づいて言語化していく上で、自分として大事な最初の一歩と考える。

October 16, 2019

ワシントン・ナショナルズのクローザー、ダニエル・ハドソンの育休取得に、「外部の人間」のくせして難癖をつけたのは、マイアミの元社長David Samsonデビッド・サムソン)だが、こいつがどういう人物か、もっと踏み込んで書かないと、この話のニュアンスが伝わるわけはない。(もちろん、いうまでもないが日本のマスメディア、日本人のMLBライターは誰ひとりとしてきちんと書かない)



ことは、まずは「1980年」にさかのぼる。

この年、デビッド・サムソンの実母シルビア・サムソンSivia Samson)が再婚した。シルビアはデビッド・サムソンがまだ幼い頃に一度離婚していて、デビッド・サムソンの父親はその離婚相手だから、再婚相手は義父(step-father)ということになる。

その再婚相手、義父が、
かのクソ野郎ジェフリー・ローリアJeffrey Loria)である。


ローリアが悪名高いファイアー・セールをやったモントリオール・エクスポズを買収したのは「1999年12月」である。2005年にジェフリー・ローリアとシルビア・サムソンは離婚することになるが、エクスポズ買収時点では、まだ離婚していない。デビッド・サムソンは当時30代に入ったばかりである。

ローリアは、エクスポズ買収と同時に、自分の義理の息子デビッドをすぐに「エクスポズ副社長(executive vice president)」に任命した。デビッドには野球経験も球団経営の経験もないのだが、エクスポズ買収に関与しただけでなく、ローリアによるマイアミ・マーリンズ買収でも大きな役割を果たしたといわれている。

MLBでは2つの球団を同時に所有することなどできない。マイアミ買収にあたってローリアはエクスポズを売却して、法外かつ理不尽な売却益を得た。ジェフリー・ローリアが、モントリオールとマイアミでどれほどの悪行を働いたか、ここで書くまでもない。いろいろな紹介記事があるだろうから、自分で調べてみるといい。


その後、ローリアが新しく買ったマイアミ・マーリンズが2003年にワールドシリーズを勝つことになった一方で、ローリアがぶち壊したまま捨てたエクスポズは、2004年にモントリオールでの球団史に終止符を打ち、ワシントンDCに移転する羽目に陥った。

この移転で「やっとジェフリー・ローリアと縁が切れたナッツ」は、「再建のための故意の低迷」を続けた。ドラフトをうまく利用し、スティーブン・ストラスバーグ、ブライス・ハーパー、アンソニー・レンドンなど、有力な全米1位指名選手を次々と獲得。チーム力を急速にアップさせて、いつしかナ・リーグ東地区の常勝チームとなった。

そしてついに2019年、球団創設以来初のワールドシリーズ進出を果たすことになった。

この快挙は「球団創設以来51年目」だが、そこでいう「球団創設」とは、もちろん「エクスポズが創設された1969年以来」という意味だ。きっとモントリオール市民も喜んでいることだろう。この快挙により、ワールドシリーズに一度も進出していないMLB球団は「シアトル・マリナーズのみ」になった。


エクスポズが球団名を変えて移転しなければならなくなる理由を作ったのが、ジェフリー・ローリアと、かつてエクスポズのエグゼクティブだった義理の息子デビッド・サムソンなのだから、この2人はいわば「エクスポズを窒息死させた張本人」なわけだが、そのデビッド・サムソンは、いまやワシントン・ナショナルズと何の縁もゆかりもない。
それどころか、マイアミをローリアから買い取ったデレク・ジーターの投資家グループはデビッド・サムソンをクビにしたので、もはやマイアミの球団オーナーですらない。
(そのジーターにしても、マイアミでジェフリー・ローリアまがいのファイヤーセールをやって、クリスチャン・イエリッチなどを安売りし、マイアミ・マーリンズを崩壊させた。いってみればジーターはジェフリー・ローリアのstep-son-ownner、「義理の息子同然のオーナー」だ)


その、「いまやワシントン・ナショナルズとはなんの縁もゆかりもないデビッド・サムソン」が、51年ぶりにとうとうワールドシリーズ進出を果たした「かつてのエクスポズ」に、外野から難癖をつけたのである。自分と義父のせいでエクスポズを弱体化させておいて、遠くからナッツのワールドシリーズ進出にお祝いコメントをするどころか、重箱の隅をつつくような嫌がらせを言うのだから、義理の父と同じく、まったくもってクソ野郎としか言いようがない。

外野からケチをつけようとしたデビッド・サムソンの、この曲がった根性ときたら。かつてのエクスポズファンなら、「黙ってろ、このクソガキ」と言うところだろう。

January 25, 2019

ロイ・ハラデイがどういう意味で凄いピッチャーだったか。それを語るのにちょうどいいデータがあった。
以下のツイートによると、100年を越えるMLB史においてハラデイは「200奪三振以上、かつ与四球40以下」を5回も達成した唯一のピッチャーだったらしい。




この記録自体、たしかにすさまじいが、
同時に「誤解されやすいデータ」でもある。

というのは、
ハラデイが「豪腕タイプのピッチャーだったから、三振をたくさんとれて、大記録が達成できた」わけでは、まったくないからだ。彼は160キロを越える速球をブンブン投げるような手法で年間200もの三振を奪っていたわけでは、まったくない。

むしろ、ハラデイの真骨頂といえば、「球数が非常に少ないこと」だ。
完投数の多さをみればわかる。



上のツイートの顔ぶれをみてもらえばわかることだが、「200奪三振、かつ与四球40以下」という記録の複数回達成者には、クリス・セール、コーリー・クリューバー、クレイトン・カーショーといった2010年代のピッチャーの名前が多い。
2010年代の投手たちの三振数の記録はあまりアテにならない。それは、このブログで何度も書いてきたように、2010年代がMLB史で最も三振数が多い「三振の世紀」だからだ。ロイ・ハラデイ、クリフ・リー、ペドロ・マルチネスが活躍した2000年代は、それ以前と比べれば三振が多くなった時代ではあるにしても、2010年代ほどの酷さではない。


では、「球数が少ないハラデイに、なぜ数多くの三振がとれた」のか。ここからが話の本番だ。


以下のデータを見てもらいたい。
フィリーズ時代のハラデイのデータだ(2011年6月10日カブス戦)。「球種ごとの水平方向と垂直方向の変化」がわかる。

2011年6月10日のRoy Halladay

2011年を選んだのにはちょっとした理由がある。
彼の投球術としての完成形が2011年にあると思うからだ。

たしかに彼の2010年シーズンは輝いている。フィリーズでリーグ最多の9完投21勝を挙げ、完全試合とノーヒットノーランを同じシーズンに達成し、サイ・ヤング賞も受賞している。
だが、彼の自己最高の防御率2.35、自己最多の220奪三振が記録されたのは、その2010年ではなく、5年連続のリーグ最多完投を達成した翌2011年なのだ。
(ちなみに2012年以降、ハラデイはもはや往年のチカラがなくなってしまい、故障や肉体的な衰えから「らしさ」が決定的に失われて、2013年に引退した)


本題に戻ろう。
上のデータをクリックして拡大して眺めてもらいたいが、「同じ色のドット(点々)が、ほぼ同じエリアに集中している」。
どういう意味かというと、カットボール、カーブ、シンカー、「それぞれの球種が、ほとんどの投球において、ほぼ同じ変化をしている」ということだ。


ハラデイのデータだけみせると、「なんだ、そんなことか」と言われても困るので、他の投手をネガティブな例として挙げてみる。2017年のある日本人投手のデータだ。

ドットが非常にばらついている。どれだけピッチングが「なりゆきまかせ」か、わかるはずだ。
つまり、このピッチャーは「自分の投げた球が、どこに行くのか、わからないまま、なりゆきにまかせて投げている」のである。三流であることの証にほかならない。なりゆきまかせで名選手になれるなら、誰も苦労なんてしない。(ましてステロイドなんて論外である)

2017年6月6日の田中将大



世の中には、MLBのピッチャーはパワーにまかせて、なりゆきまかせに投げていると決めつけている人が大勢いる。

とんでもない。

「なりゆきまかせでないMLBピッチャー」の例を、もうひとりだけ挙げてみる。ハラデイのデータと同じ2011年のクリフ・リーである。

2011年6月28日のCliff Lee

見事としか言いようがない。
カーブ、チェンジアップ、シンカー、カットボール。すべての球種が、「常に同じ変化でキャッチャーに到達している」。
「ドットの分布エリア」が球種ごとに完全にスッパリ分かれて分布していることからわかるように、このゲームでのクリフ・リーは、往年のロイ・ハラデイ以上に「変化球のメリハリ」がすさまじい。カーブは「カーブらしく」、シンカーは「シンカーらしく」、カットボールは「カットボールらしく」変化し、しかも、それらの投球すべてがなんと、「自分の思ったところに投げている」のである。


これこそ真の意味での「ゲーム・コントロール」であり、「ゲームの支配力」だ。

「完投が非常に多い」ということは、100球制限のあるMLBにおいては、「球数が少ない投球ができる」ということだが、「球数の少なさ」は往々にして「奪三振の多さ」と両立しない。例えばダルビッシュやフェリックス・ヘルナンデスなどもそうだが、奪三振の多いピッチャーでたくさんの球数を投げるピッチャーなど、いくらでもいる。そんな投手は二流にしかなれない。


クリフ・リーが「ストライク率の異常に高い、ストライクばかり投げる稀有なピッチャーだった」ことは、過去に何度も記事にしてきた。
2010年6月7日、クリフ・リー、シアトルが苦手とするアーリントンのテキサス戦で貫禄の107球無四球完投、4勝目。フィギンズの打順降格で、次に着手すべきなのは「監督ワカマツの解雇」 | Damejima's HARDBALL
2010年10月6日、クリフ・リー、タンパベイを10三振に切ってとり、ポストシーズンまず1勝。フィラデルフィアでもみせた大舞台でのさすがの安定感。 | Damejima's HARDBALL


「球数が少ないのに、三振をとれる投手」であり続けるようとするなら、無駄な球は一切投げられない。また、自分が意図しないところにいってしまう荒れ球など、まったく必要ない。常に思ったところに投げ、常にストライクで勝負し、バッターを翻弄し続けなければならない。それが、ロイ・ハラデイやクリフ・リーだ。


投手がコントロールすべきなのは、ボールではない。
自分自身だ。

ロイ・ハラデイが、いかに真の意味での大投手だったか。少しだけでもわかってもらえたら、幸いである。

January 23, 2019

Roy Halladay(@RoyHalladay)さん  Twitter
ロイ・ハラデイの「2017年11月5日で止まったままのツイッターアカウント」には、いまだに6万4千人ものフォロワーがいる。例えば有名MLBライターのひとり、Jason Starkなども、いまだにフォローしている。理由はいまさら言うまでもない。


自分は、というと、いまはフォローしてない。「好きなプレーヤーだからツイッターをフォローする」という習慣自体が自分にないからだと思う。例えば、もしイチローがツイッターをやっていたとしても、もしかするとフォローしないかもしれないのである。
自分の場合、ツイッターでのフォローはあくまで情報収集が目的だ。フォロー対象は、あくまでKen Rothentahlなどの有名なMLB情報源であり、申し訳なくは思うが、自分をフォローしてくれたMLBファンを相互フォローすることは、ほとんどない。
ちなみに、言い訳がましく書いておくと、Ken RosenthalやJon Heyman、HardballTalk、Bob Nightengaleなんかも、ロイ・ハラデイのアカウントを今はフォローしてない。


いまもハラデイのアカウントをフォローしている人の中には、Jason Starkのほか、引退したMichael Youngや、MLBライターのPeter Gammonsなどがいる。マイケル・ヤングのこういう義理堅いところが好きだ。ちなみに、マイケル・ヤングのフォロワーは4万6千人あまりなので、既に鬼籍に入っているロイ・ハラデイより約2万人ほど少ない(苦笑)



さきほど、ロイ・ハラデイのツイッターをひさしぶりに覗いて、「殿堂入りおめでとう」と言ってみた。いわば「ツイッター墓参り」である。

彼がどういう野球選手で、どういうプレーをしたか、知らないまま野球を見ている人がいたら、どう説明したらいいだろう。よくわからないが、「初めてのポストシーズンのゲームでノーヒット・ノーランをした投手なんだぜ」とでも言えば、少しは興味をひくのだろうか。

そんな短すぎる言葉で彼の本当の偉大さや魅力が伝わるわけはない。本当なら彼がデビッド・オルティーズを手も足も出ないまま三振させた打席の配球なんか見てもらいたいところだが、そういう単純なきっかけで生前の彼に対する興味があらためて湧いてくれたらいいなと思う。

2017年11月7日、大投手 ロイ・ハラデイ。 | Damejima's HARDBALL

メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』 序論:2009年9月30日、大投手ハラデイの「配球芸術」を鑑賞しながら考える日米の配球の違い | Damejima's HARDBALL

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  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
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  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
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