January 25, 2019

ロイ・ハラデイがどういう意味で凄いピッチャーだったか。それを語るのにちょうどいいデータがあった。
以下のツイートによると、100年を越えるMLB史においてハラデイは「200奪三振以上、かつ与四球40以下」を5回も達成した唯一のピッチャーだったらしい。




この記録自体、たしかにすさまじいが、
同時に「誤解されやすいデータ」でもある。

というのは、
ハラデイが「豪腕タイプのピッチャーだったから、三振をたくさんとれて、大記録が達成できた」わけでは、まったくないからだ。彼は160キロを越える速球をブンブン投げるような手法で年間200もの三振を奪っていたわけでは、まったくない。

むしろ、ハラデイの真骨頂といえば、「球数が非常に少ないこと」だ。
完投数の多さをみればわかる。



上のツイートの顔ぶれをみてもらえばわかることだが、「200奪三振、かつ与四球40以下」という記録の複数回達成者には、クリス・セール、コーリー・クリューバー、クレイトン・カーショーといった2010年代のピッチャーの名前が多い。
2010年代の投手たちの三振数の記録はあまりアテにならない。それは、このブログで何度も書いてきたように、2010年代がMLB史で最も三振数が多い「三振の世紀」だからだ。ロイ・ハラデイ、クリフ・リー、ペドロ・マルチネスが活躍した2000年代は、それ以前と比べれば三振が多くなった時代ではあるにしても、2010年代ほどの酷さではない。


では、「球数が少ないハラデイに、なぜ数多くの三振がとれた」のか。ここからが話の本番だ。


以下のデータを見てもらいたい。
フィリーズ時代のハラデイのデータだ(2011年6月10日カブス戦)。「球種ごとの水平方向と垂直方向の変化」がわかる。

2011年6月10日のRoy Halladay

2011年を選んだのにはちょっとした理由がある。
彼の投球術としての完成形が2011年にあると思うからだ。

たしかに彼の2010年シーズンは輝いている。フィリーズでリーグ最多の9完投21勝を挙げ、完全試合とノーヒットノーランを同じシーズンに達成し、サイ・ヤング賞も受賞している。
だが、彼の自己最高の防御率2.35、自己最多の220奪三振が記録されたのは、その2010年ではなく、5年連続のリーグ最多完投を達成した翌2011年なのだ。
(ちなみに2012年以降、ハラデイはもはや往年のチカラがなくなってしまい、故障や肉体的な衰えから「らしさ」が決定的に失われて、2013年に引退した)


本題に戻ろう。
上のデータをクリックして拡大して眺めてもらいたいが、「同じ色のドット(点々)が、ほぼ同じエリアに集中している」。
どういう意味かというと、カットボール、カーブ、シンカー、「それぞれの球種が、ほとんどの投球において、ほぼ同じ変化をしている」ということだ。


ハラデイのデータだけみせると、「なんだ、そんなことか」と言われても困るので、他の投手をネガティブな例として挙げてみる。2017年のある日本人投手のデータだ。

ドットが非常にばらついている。どれだけピッチングが「なりゆきまかせ」か、わかるはずだ。
つまり、このピッチャーは「自分の投げた球が、どこに行くのか、わからないまま、なりゆきにまかせて投げている」のである。三流であることの証にほかならない。なりゆきまかせで名選手になれるなら、誰も苦労なんてしない。(ましてステロイドなんて論外である)

2017年6月6日の田中将大



世の中には、MLBのピッチャーはパワーにまかせて、なりゆきまかせに投げていると決めつけている人が大勢いる。

とんでもない。

「なりゆきまかせでないMLBピッチャー」の例を、もうひとりだけ挙げてみる。ハラデイのデータと同じ2011年のクリフ・リーである。

2011年6月28日のCliff Lee

見事としか言いようがない。
カーブ、チェンジアップ、シンカー、カットボール。すべての球種が、「常に同じ変化でキャッチャーに到達している」。
「ドットの分布エリア」が球種ごとに完全にスッパリ分かれて分布していることからわかるように、このゲームでのクリフ・リーは、往年のロイ・ハラデイ以上に「変化球のメリハリ」がすさまじい。カーブは「カーブらしく」、シンカーは「シンカーらしく」、カットボールは「カットボールらしく」変化し、しかも、それらの投球すべてがなんと、「自分の思ったところに投げている」のである。


これこそ真の意味での「ゲーム・コントロール」であり、「ゲームの支配力」だ。

「完投が非常に多い」ということは、100球制限のあるMLBにおいては、「球数が少ない投球ができる」ということだが、「球数の少なさ」は往々にして「奪三振の多さ」と両立しない。例えばダルビッシュやフェリックス・ヘルナンデスなどもそうだが、奪三振の多いピッチャーでたくさんの球数を投げるピッチャーなど、いくらでもいる。そんな投手は二流にしかなれない。


クリフ・リーが「ストライク率の異常に高い、ストライクばかり投げる稀有なピッチャーだった」ことは、過去に何度も記事にしてきた。
2010年6月7日、クリフ・リー、シアトルが苦手とするアーリントンのテキサス戦で貫禄の107球無四球完投、4勝目。フィギンズの打順降格で、次に着手すべきなのは「監督ワカマツの解雇」 | Damejima's HARDBALL
2010年10月6日、クリフ・リー、タンパベイを10三振に切ってとり、ポストシーズンまず1勝。フィラデルフィアでもみせた大舞台でのさすがの安定感。 | Damejima's HARDBALL


「球数が少ないのに、三振をとれる投手」であり続けるようとするなら、無駄な球は一切投げられない。また、自分が意図しないところにいってしまう荒れ球など、まったく必要ない。常に思ったところに投げ、常にストライクで勝負し、バッターを翻弄し続けなければならない。それが、ロイ・ハラデイやクリフ・リーだ。


投手がコントロールすべきなのは、ボールではない。
自分自身だ。

ロイ・ハラデイが、いかに真の意味での大投手だったか。少しだけでもわかってもらえたら、幸いである。

January 23, 2019

Roy Halladay(@RoyHalladay)さん  Twitter
ロイ・ハラデイの「2017年11月5日で止まったままのツイッターアカウント」には、いまだに6万4千人ものフォロワーがいる。例えば有名MLBライターのひとり、Jason Starkなども、いまだにフォローしている。理由はいまさら言うまでもない。


自分は、というと、いまはフォローしてない。「好きなプレーヤーだからツイッターをフォローする」という習慣自体が自分にないからだと思う。例えば、もしイチローがツイッターをやっていたとしても、もしかするとフォローしないかもしれないのである。
自分の場合、ツイッターでのフォローはあくまで情報収集が目的だ。フォロー対象は、あくまでKen Rothentahlなどの有名なMLB情報源であり、申し訳なくは思うが、自分をフォローしてくれたMLBファンを相互フォローすることは、ほとんどない。
ちなみに、言い訳がましく書いておくと、Ken RosenthalやJon Heyman、HardballTalk、Bob Nightengaleなんかも、ロイ・ハラデイのアカウントを今はフォローしてない。


いまもハラデイのアカウントをフォローしている人の中には、Jason Starkのほか、引退したMichael Youngや、MLBライターのPeter Gammonsなどがいる。マイケル・ヤングのこういう義理堅いところが好きだ。ちなみに、マイケル・ヤングのフォロワーは4万6千人あまりなので、既に鬼籍に入っているロイ・ハラデイより約2万人ほど少ない(苦笑)



さきほど、ロイ・ハラデイのツイッターをひさしぶりに覗いて、「殿堂入りおめでとう」と言ってみた。いわば「ツイッター墓参り」である。

彼がどういう野球選手で、どういうプレーをしたか、知らないまま野球を見ている人がいたら、どう説明したらいいだろう。よくわからないが、「初めてのポストシーズンのゲームでノーヒット・ノーランをした投手なんだぜ」とでも言えば、少しは興味をひくのだろうか。

そんな短すぎる言葉で彼の本当の偉大さや魅力が伝わるわけはない。本当なら彼がデビッド・オルティーズを手も足も出ないまま三振させた打席の配球なんか見てもらいたいところだが、そういう単純なきっかけで生前の彼に対する興味があらためて湧いてくれたらいいなと思う。

2017年11月7日、大投手 ロイ・ハラデイ。 | Damejima's HARDBALL

メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』 序論:2009年9月30日、大投手ハラデイの「配球芸術」を鑑賞しながら考える日米の配球の違い | Damejima's HARDBALL

January 09, 2019



上に挙げたリンクは、ダイヤモンド・オンラインに2019年1月7日掲載されたクソ記事である。クレジットは「清談社 福田晃広」となっているが、「2000試合以上を取材してきたMLBアナリスト古内義明」に話を聞いたという体裁になっている。カノーの所属球団が間違っていることからしてライターはMLBに詳しくない人間だろうから、情報の責任の所在は実質、古内某ということになる。

その古内なる人物、記事中で、こんな「わけのわからないこと」を言っている。
「日本人内野手で、今後もし可能性があるとすれば、スピードがあり、中距離打者以上のパワーがある二塁手かと思います。たとえば、ホセ・アルトゥーベ(ヒューストン・アストロズ)やロビンソン・カノ(シアトル・マリナーズ)のような、シーズンでホームランを30本ほど打てるタイプですね。ただ、今の日本のプロ野球界で、その条件に合う選手を見つけるのは正直厳しいです」


何を根拠にこういうわけのわからないことを言ってるんだ。と、言いたくなる。


まずは総論の間違いだ。

セカンドからいこう。

MLBの100年を超える歴史の中ですら、「30本ホームラン打てた2塁手」なんて、「のべ39人」しかいない。複数回達成者がいるので、選手数はその半分くらい、たった「20数人」しかいない。その「20数人」にしても、ロジャー・ホーンスビーのような古い時代の記録を除くと、大半が「2000年以降」の記録で、おまけに飛ぶボールなどでホームランが無駄に量産される「ホームランと三振の時代である2010年代」の例が多く含まれている。

つまり、MLBの、どの時代、どの選手を見て、そういう「空想」をしたのか知らないが、「ホームランを30本ほど打てるタイプしかMLBの二塁手になれなかった時代など、MLBのどこを探しても存在しないのである。


個々の例についてもみてみる。

「30本打てる内野手の例」としてホセ・アルトゥーベが紹介されている。だが彼は24本打ったシーズンが2度あるだけで、30本打ったことなど、一度もない。なのに、「30本打てるタイプ」に挙げるのは、どうかしている。彼の「シーズン平均ホームラン数」は、いまのところ「14本」。これは「歴代のホームランを打てるタイプの二塁手」より10本は少ない。だから、アルトゥーベはそもそも「30本打てる二塁手」というカテゴリーには到底入らない選手なのである。

カノーはたしかに、2度「シーズン30本以上のホームラン」を記録している。だが、こいつはアレックス・ロドリゲスやバリー・ボンズと同じ、「ステロイダーのクソ野郎」であって、その記録は詐称にすぎない。そして、その「ステロイド・ホームランのカノー」ですら、シーズン平均は「24本」に過ぎない。


近年「ホームラン30本打った二塁手」でいえば、挙げるべきなのは、達成2回のカノーより、2000年代後半に3回記録したチェイス・アトリーやアルフォンソ・ソリアーノだが、上の記事はアトリーもソリアーノも名を挙げていない。
アトリーのシーズン平均も「22本」で、ロビンソン・カノーとたいして変わらないが、ステロイダーでないだけマシというものだ。ちなみにイアン・キンズラーも、カノーと同じ2回、30本を達成しているが、シーズン平均は、アトリーと同レベルの「22本」で、30本には到底届かない。

「30本打たないとメジャーの二塁手になれない」などという設定はまったくのデタラメだ。


他の基本的な間違いも指摘しておこう。

最初に挙げた記事が配信されたのは「日本時間1月7日6:00」のようだが、その時点でカノーはとっくにシアトルの選手ではない。印刷媒体なら印刷後にトレードされたと言い訳もできるが、電子版は直そうと思えばいくらでも直せたはずだ。だらしないにも程がある。

また、日本の二塁手には、30本をそこそこコンスタントに打っている山田哲人がいるわけだが、どういうわけかこの記事は触れていない。これも解せない。自分は山田哲人がMLBで活躍できると思ったことはまったくないが、だからといって、「今の日本のプロ野球界には、30本打てる内野手はひとりもいない」と、上から目線で決めつけるのはおかしい。



次にショートについて。

総論はセカンドと同じである。
MLB100年の歴史で、「30本ホームラン打てたショート」なんてものは、奇しくもセカンドと同じ、「のべ39人」しかいないのである。この「のべ39人」には、カノーの先輩で、同じステロイダーのクソ野郎であるアレックス・ロドリゲスや、ミゲル・テハダなどの「ステロイダーのニセ記録」が含まれているから、リアルな達成者となると、もっと少ない。

個々の選手でみると、「ホームラン30本」は、例えばデレク・ジーターは一度も達成していない。ジーターに似たバッターで、同じ3000安打達成者でもあるロビン・ヨーントも達成してはいない。カル・リプケンはジーターより遥かに長打力があったバッターだったが、リプケンですらわずか一度しか30本を達成していない。

30本を2度達成したショートは、例えばノマー・ガルシアパーラ、トロイ・トロウィツキー、ジミー・ロリンズ、近年ではフランシスコ・リンドア、マニー・マチャドなどがいる。
ホームラン20本台後半の記録も、これら「30本を2度達成している選手」が達成した記録であることが多いために、ショートのハードルをもっと下げて、「25本以上」としたとしても、そのメンバーは「30本以上」とほとんど同じ顔ぶれにしかならない。

逆にいえば、30本打てるホームランバッターではないのにメジャーのレギュラーのショートになった選手なんて、掃いて捨てるほどいるし、むしろ、そちらのほうが「普通」だ。


これは余談だが、こうしてMLB全体を眺めたとき、「この2010年代に限って、ホームランを30本打ったセカンド、ショートが何人も出現しているのであるわけで、そのことは、「今のMLBが『三振かホームランかという異常な時代』であることの証拠」そのものである。
「2010年代に限ってホームランを30本打ったセカンド、ショートが何人か同時に出現した」ことは、その選手たちの実力がどれも「殿堂入りレベル」だから、ではなく、「飛ぶボール」とか、カノーのように隠れてステロイドをやって隠蔽薬を使っているせいだとしか、自分は思わない。


総じていえば、MLBのセカンドとショートを「ホームラン数」を基準にして「レギュラーとして通用するレベル」を設定するなら、「ホームラン30本」なんてものは、「殿堂入りレベルの選手」か、「ステロイダー」の記録でしかなく、それらはいずれも「特殊な例」でしかない。
「ごく普通のレベルのMLBのレギュラーのセカンド、ショート」を、ホームラン数でハードル設定するとしたら、20本どころか、なんだったら高打率ならという条件つきで「ホームラン15本」程度でまったくかまわない。実際デレク・ジーターがそうなのだ。

「MLBのセカンド、ショートは30本打てるのが当たり前」なんて話は、単なる空想に過ぎない。




November 04, 2018

この秋、最も強く意識したことは、
野球ファンにとって、「データ」といえば、「個人データ」、つまり、選手のプレーを分析したデータに過ぎず、それはゲームを決めているすべての要素ではまったくない
ということだ。



今にして思うと、なんでこんな簡単なことを今まで気づかなかったのだろう。

野球はチームスポーツなのだから、選手個人個人のプレー分析だけで、ゲーム結果が評価できるはずもない。にもかかわらず、「チームのチカラ」の判定は、評価の表面に現れてはこない
(もちろん、言うまでもないことだが、個別のチームは内部に「他チームのチカラを分析した非公開データ」をたくさん持っているはずだが、それらは色々な意味で「一般化」されてはいない)



ボストンが地区優勝監督であるジョン・ファレルをクビにして、ワールドシリーズを勝ったヒューストンからアレックス・コーラを監督に迎えたが、これはつまるところ、「チームのチカラ」を向上させるための策であり、この他に類を見ない試みは、2018年のワールドシリーズ優勝で早くも結果が出た。

今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。

ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。

出典:2018年10月10日、2018年MLBの「チーム三振数」概況 〜 もはや時間の問題の「1600三振」。 | Damejima's HARDBALL



真逆のケースでいえば、テキサスが強かった2010年代初頭に、短期決戦の才能が皆無なロン・ワシントンが監督としてワールドシリーズ制覇を2度も逃している例がある。このケースではテキサスは解雇どころか、ワシントンに2015年までの契約を提示して、結局チームの「プライムタイム」を無駄にした。テキサスには、ボストンのような才能、つまり、チームのチカラを見極める才能がまったくなかった。

NPBの広島が、この3年間リーグ連覇を達成しながら、一度も日本シリーズを勝てていない。これもロン・ワシントンとほぼ同じで、「短期決戦におけるチームのチカラの欠如」が原因だが、監督はクビになっていない。


この短い紙幅と足りないアタマで、「チームのチカラ」とは何か、そして、それを測定する方法論を論じきるのは無理な話だが、少なくとも言えることは、OPSにみられた打率軽視のホームラン主義はむしろ「チームのチカラ」の向上にとってマイナスであることがハッキリした、ということである。




日本シリーズ2018において広島は、非常に低打率の打者ばかりが並んでいる低調な打線において、必死になって盗塁しようとしたわけだが、そういう行為には意味がない。
なぜなら、たとえほんのわずか盗塁が成功したとしても、次の打者にタイムリーが出るような打線状態ではないからだ。


2018年のヤンキース打線にしても、「アダム・ダン的な低打率ホームランバッター」ばかり並べたわけだが、そんな「確率の低いことに命をかけるギャンブル戦略」でタイムリーが頻繁に出るわけはない。当たり前の話だ。
参考記事:2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。 | Damejima's HARDBALL


レギュラーシーズンは、他チームをロクに分析しもしない、あるいは、分析できていてもそれを確実に実行する能力のある選手がいない、あるいは、分析の必要性はわかってはいるが資金が無い、そういう「チグハグなチーム」を、シーズンの半分以上のゲームで相手にする。
だから、ヤンキースのような「100年前のベーブ・ルース時代そのままの、あまりにも古くさい編成」や、ロン・ワシントンや広島のような、「選手頼み、運頼みのチーム運営」でも、なんとかなってしまう。


だが、ポストシーズンはそうはいかない。

ポストシーズンでは、相手の戦力分析くらい、どこのチームでもやる。また先発投手のレベルも上がる。
当然、(普通なら)主力打者の打撃は封じられ、お互いの打線が低調に推移することになるから、先発投手の出来や、継投タイミングなどがゲームを大きく左右する最大のポイントになる。

打線では、レギュラーシーズンで大活躍した主力打者でも、弱点ばかり突かれるポストシーズンでは絶不調に陥ることがよくある。かわりに、分析のメインの対象にならないダークホース的な選手が意外な活躍をみせることも多い。調子の最悪なレギュラー打者(例えば広島の菊池)を上位打線に残すべきか、残すとしたら、どんな仕事をさせるかもポイントのひとつになる。


こうして眺めたとき、「互いのストロングポイントを封じあう」のが当たり前のポストシーズンにおいて、ゲームを左右する「チームのチカラ」のかなりの部分が、「戦略決定者の状況判断能力」なのがわかる。(決定者は監督とは限らない)



選手個人のチカラ以外の、「チームのチカラ」に関する議論が必要なときにきていると思うし、数字で知りたいとも思うわけだが、同時に、それは簡単ではないとも思う。

たしかに、あの監督は継投が上手いとか、選手からの信頼が厚いとか、あのジェネラル・マネージャーはトレードが上手いとか、そういう「印象論」には意味がないが、では、何を対象に、どう測定して、どう語るか。それは簡単なことではない。また、セイバーメトリクスもそうであるように、数字にできたからといって、数字の根本に錯誤があれば、その数字は客観的ではない。数字にも「洗練」「見直しの繰り返し」が必要なのだ。


今の自分にできることが、例えば日本シリーズの個々の場面で、「チームのチカラ」に関する状況判断の正しさや間違いを、根拠を挙げつつ指摘することくらいしかないのは、たいへん残念だ。
誰それのポストシーズン継投成功率は何パーセントだとか、トレードへの投資がチームにもたらした貢献度が何パーセントとか、そういう「誰でも思いつく簡単なことを手始めに、「チームのチカラに関する分析」だけでなく、「チームのチカラにかかわる人間たちの能力判定」がもっと進むべきだと思う。

October 11, 2018

何度も書いているように、2010年代MLBは「三振の世紀」だ。

参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



いまでは信じられないかもしれないが、2000年以前には「1年に1300三振するチーム」など、ひとつもなかった

それが2001年にミルウォーキーが初めて「1399三振」を記録して以来、2000年代に「1300三振」が毎年1〜2チームずつ出現するようになった。
これが2010年代前半になると、全体の1/4〜1/3の球団が「1300三振」するようになり、さらに2016年以降の急増で、2017年には全体の2/3が、2018年にはなんと全体の90%が「1300三振」を超えてしまい、とうとう「1300三振するのが当たり前の時代」が2010年代後半に到来してしまった。


1400三振」が初めて登場するのは2010年アリゾナだが、それでも2010年代前半は1年に1チームか2チームでしかなかった。だが2010年代後半になって激増し、今では全チームの1/3が「1400三振」するようになって、「1400三振」はもはや珍しくない。

さらに「1500三振」は、いくら「三振の世紀」2010年代とはいえ、かつては登場しても年に1チームの「例外」に過ぎなかった。だが2016年以降、複数のチームが「1500三振」するようになり、2018年に史上初めて3チームが「1500三振」を越え、「史上初の1600三振チームが登場するのは時間の問題」となっている。

1500三振以上(計10チーム)

2018年 CHW(1594) SDP(1523) PHI(1520)
2017年 MIL(1571) TBR(1538)
2016年 MIL(1543) SDP(1500)
2015年 CHC(1518)
2014年 なし
2013年 HOU(1535)
2012年 なし
2011年 なし
2010年 ARI(1529)


1400三振以上(計34チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN
2015年 CHC
2014年 CHC HOU MIA
2013年 HOU MIN
2010年 ARI


1300三振以上(計103チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR MIA OAK STL CIN DET MIN KCR LAA
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR WSN DET
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL



たぶん、世の中には三振なんかいくらしても得点できればいいのさ、などと、いまだにタカをくくっている人が数多くいると思う。

だが、2018年MLBで「最も三振数が少なかったチーム」は、最も少ない順に、CLE、HOUで、BOSが5位であることくらい覚えておいて損はない。

ちなみに今年のチーム打率は、良かった順に、BOS、CLE、CHC、TBR、ATL、COL、HOUである。この中に「ポストシーズンに行けたチーム」「勝率の高いチーム」「チーム力が回復したチーム」が何チームあるか。2010年代の中期以降に打率のいいチームが活躍する例は、カンザスシティやヒューストンのワールドシリーズ制覇など、枚挙にいとまがない。
フライボール革命などといった嘘くさい話など、どうでもいい。「打率重視」こそ真のトレンドである。



2017年の記事で、ボストンが地区優勝監督ジョン・ファレルをクビにしたことについて、こんなことを書いた。

ボストンが、地区優勝し、なおかつ2018年まで契約が残っていた監督ジョン・ファレルをあえてクビにし、ワールドシリーズを勝ったヒューストンのベンチコーチ、アレックス・コーラを監督に迎えた。
もちろん、チーム独自の個性にこだわりたがる目立ちたがりのボストンがヒューストンとまったく同じ戦術をとるとは思えないが、少なくとも、これまでボストンが長年やり続けてきた「過度なまでの待球」をバッターに強いる「出塁率重視の戦術」がピリオドを迎えたことだけは間違いないだろう。でなければ、ここまで書いてきたことでわかるように、四球を重視しない2017ヒューストンのベンチコーチを、地区優勝監督をクビにしてまでして、わざわざ監督に迎える必要がない。

2018年にボストンの打撃スタイルがどう変わるかを見ることで、2017年のヒューストン・レボリューションがどういうものだったか、逆算的に眺めることになるかもしれない。

2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



かつてのボストンは、待球が大好きで四球数の多い、出塁率超重視のチームだったが、チーム三振数は、2013年、2014年と「1300」を越え、三振数トップから数えたほうが早い「三振の多いチーム」でもあった。四球数の多さは、けして三振数激減を意味しないのである。

だが、今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。

ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。


いま思うに、ジム・リーランド時代のデトロイトがシャーザー、バーランダー、ポーセロと、3人ものサイ・ヤング級投手を揃え、ミゲル・カブレラやビクター・マルチネスなど強打者をそろえても、ワールドシリーズを勝てなかったのは、たとえ個人それぞれに類まれな才能があっても、「チームの強さ」がそれを支えなければ、ワールドシリーズを勝てないという、単純な理屈だった。

そのことは、2018年ボストンの「変わり身の成功」が証明している。




October 08, 2018

2000年以降のMLBとDETの観客動員数の相関
赤:MLB 青:DET

2000年以降のMLBで「観客動員数が激減したシーズン」が、2002、2009、2018年と、3シーズンあり、そのいずれのシーズンにおいてもデトロイトの観客動員が激減していること、デトロイトの観客動員数そのものがMLB全体の観客動員の動向と連動する傾向にあることを示した。
2018年10月4日、2004年以降ではじめて観客動員数が7000万人を割り込んだMLB。観客動員数の動向を如実に反映する「マーカー球団」を発見。 | Damejima's HARDBALL


近年の「激減局面」において、「デトロイトの観客動員数が、MLBの観客の連動している」ことは、理由はまだ判然としないものの、ほぼ疑いない。


では、「急増局面」では、どうだろう。

2000年以降、観客動員数が前年に比べて急増したシーズンは、なんといっても「2004年〜2007年」が筆頭で、あとは2012年に小さく上昇した程度だ。以下に2004年〜2007年に「年間40万人以上、観客動員数が増加した球団」とその年の地区順位を列挙してみる。

2004
PHI(2位) SDP(3位) HOU(2位 NLCS進出) DET(4位) FLA(3位 前年WS制覇) TEX(3位)

2005
WSN(5位) NYM(3位) STL(優勝 NLCS進出) CHW(優勝 WS制覇)

2006
CHW(3位 前年WS制覇) DET(2位、WS進出) NYM(優勝 NLCS進出)

2007
MIL(2位) NYM(2位) DET(2位) PHI(優勝 NLDS進出)

かなりの数の地区順位「2位」があるのが、ちょっと面白い。スポーツファンが優勝に興奮するのは当然の話だが、ある意味、「ドラマチックな2位」にこそ興奮する、そういうものなのかもしれない(笑)


「急増」リストに複数回出現するチームは4つ(DET、NYM、CHW、PHI)あるが、3回以上出現するチームは、DETNYMの、2つだけしかない。
結局、「激減」「急増」の両面みて、そのほとんどに登場するチームは、30球団のうち「デトロイト・タイガースだけに限定される」。
デトロイト・タイガースが、MLB全体の観客動員増減に非常に連動しやすい球団、マーカーであることは、もはや疑いようがない。



さて、2000年以降の観客数の激減と急増、両局面を見たことで、もうひとつわかることがある。

デトロイトのような「激減と急増を繰り返している球団」はむしろ例外で、ほとんどのケースでは、「激減をたびたび経験した球団」と、「急増をたびたび経験した球団」とが異なっていることだ。

減少 PIT、CLE、TEX、MIA(FLA)、BAL
増加 NYM、CHW、PHI


「観客動員が急激に増減する要因」は、大小いろいろ考えられる。
ネガティブ面では、チーム低迷、人気選手の移籍や引退、ファイヤーセールなど。ポジティブ面では、前年のワールドシリーズ制覇で翌年の期待が高まったことや、地区での好成績、ポストシーズン進出など。


では、「チーム成績がすべて」か。

もしそうなら、大半のチームがデトロイトと同じように「チーム低迷時の激減」と「好調時の急増」を繰り返していなくては、辻褄があわない。
だが、事実は違う。チーム好調時の観客急増はよくあるが、低迷時の観客激減をすべてのチームが経験するわけではない


リスト全体を何度となく眺めていて、単なる直感ではあるが、こんなふうに思えた。

メインの仮説

MLB球団の観客動員の「特性」は、実はチームごとに異なっており
以下の4種類くらいに大別される

熱しやすく、冷めやすい 例 DET
熱しにくく、冷めやすい 例 PIT CLE TEX MIA BAL
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熱しやすく、冷めにくい 例 NYM CHW PHI
良くも悪くも大きな変化はしない 大都市の人気球団

おしなべて、中小都市にあるチームのファンは「冷めやすい」。対して、シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルスなど大都市マーケットのチームはおおむね「冷めにくい」。


もし上に挙げた「仮説」が正しいとしたら、
次に、以下のようなことが連想される。

メイン仮説からの敷衍

中小マーケットのチームは「冷めやすい」。一度観客を手離してしまうと、再び観客を取り戻すのに時間がかかり、容易ではない
対して、大都市マーケットのチームの観客動員は、固定観客が多数いるため、「冷えにくい」。したがって、チーム成績による集客への影響が常に小さくおさまる。




ここにきてようやく、「2018年の観客動員が7000万人をひさしぶりに割り込んだ理由」に「仮説」を立てられそうだ。

2018年のMLBマーケットが縮小した理由

ただでさえ「冷えやすい」中小マーケットの多くが、チーム低迷と、チームの核の人気選手の大都市チームへの放出などによって、「急激に冷やされた」ことによると、推定される。


2018年の大都市チームの概況

2018年はドジャース、ボストン、ヤンキース、カブスなど、「大都市チーム」が同時にポストシーズン進出し、チーム補強のために過度ともいえる「選手狩り」を行った。(例 マッカチェン、マチャド、スタントン、JDマルチネス、ハップ、ハメルズ、ランス・リン、キンズラーなど多数)

だが、大都市チームの集客力は常に上限付近にある。単年のポストシーズン進出や、有名選手の集結程度で、大都市チームの観客動員が激増することはない。

2018年の中小マーケットの概況

シーズン100敗チームが続出する中、かなりの数のチームが一斉に低迷を迎えてしまい、中小マーケットは一斉に冷えこんだ。

「中小マーケットの人気選手」はもともと限られた数しかいないわけだが、これが一斉に大都市チームに移動し、中小マーケットはより冷却されることになった。


このブログでは、マイアミGMに就任したデレク・ジーターがチームを無意味に解体したことをたびたび批判してきたわけだが、その判断にはやはり間違いがなかった。マイアミに本当に足りなかったのは、無駄な再建ではなく、「先発投手陣を買い集める資金」だ。


大規模なリビルドやファイヤーセールがファン心理に与える影響が、大都市マーケットと、冷えやすい中小マーケットとで、まるで違うインパクトをもつことを、多くの人が忘れすぎている。

大都市チームは「リビルド速度」が早い。
それは、豊富な資金力によって、チームに「強い回復力」が備わっているからだ。ファンのマインドも、選手の回転に慣れているから、リビルドの影響が小さくて済む。

だが、資金に限度がある中小マーケットでは、有力選手を簡単には買い戻せない。そのため若手を育てる戦略をとるわけだが、それには一定の時間がかかる。また、育った選手への愛着も強い。
中小マーケットでは、大規模なリビルドやファイヤーセールで一度マーケットを「冷却」してしまうと、チーム再建に時間がかかるだけでなく、ファンのマインドを再び温めなおしてボールパークに呼び戻すのにも、かなりの時間がかかるのである。


上に書いたような「規模の違いによるビヘイビアの違い」はなにも今年に限ったことではなく、昔からあったことだが、問題なのは、MLBマーケット全体の拡大のキーポイントが、飽和状態にある大都市マーケットにあるのではなく、むしろ「中小マーケットを過度に冷却しすぎないこと」にあることを忘れて、大都市マーケットにばかり熱中したがる視野の狭い人間たちが今のMLBやマスメディアを主導している点だ。

ロブ・マンフレッドは、大都市に選手が集結して、バットをやたらと振り回して三振とホームランを繰り返すような「雑なマーケティング」を誘導して、中小マーケットを冷やしたことを、心から反省すべきだ。

October 07, 2018

CLE対HOUのALDS Game 2がたいへん面白かった。


あとからデータだけを見た人は、12三振を奪ったヒューストン先発ゲリット・コールのピッチングのほうが圧倒的で、6安打を打たれたクリーブランドのカラスコはヨレヨレだった、と思うかもしれない。

だが、実際の「5回までの展開」はまったく異なる。

例えば、5回までの投球数

毎回のようにシングルヒットを打たれるカラスコのほうが、むしろ三振をバカみたいにとったゲリット・コールよりたしか「15球ほど少ない」。

これは、ストライクを積極的に投げて三振をとろうとするコールと対照的に、この日のカラスコは打ち気にはやるヒューストンに、ボール球から入って、ヒットにできない球を振らせ、結果的に球数をセーブするピッチングができていたからだ。(ちなみに、カラスコは2017年に226三振を記録しているように、三振をとれないピッチャーではまったくない。なので、球威がないからこういう投球をしたわけではない)


5回までの四球数が両軍ゼロだったことをみても、同じことがいえる。

三振の山を築いたクリーブランドが四球どころではなかったのに対し、打ち気にはやるヒューストンが早いカウントからボール球をひっかけてカラスコを助けたために、結果的に、両方のチームに「四球を選ぶ余裕」がなかった。

ゲリット・コールが相手をチカラでねじふせたて圧倒したのに対して、カラスコは相手のはやる気持ちを利用したのである。



5回が終わっても、ヒューストンは、毎回のようにシングルヒットが出るものの、「ランナーを貯める場面」がまったくなく、長打も出ないまま、無得点に終わっていた。
他方、クリーブランドは、たった2安打で三振の山。だが3回、フランシスコ・リンドアが偶発的なソロホームランを打ち、この1点のリードを死守する。

投球数は、カラスコが60ちょっとで、コールが80球に近づきつつあり、5回終了時点では、圧巻のピッチングをしたゲリット・コールがむしろ先に降板し、ヒットを打たれ続けたカラスコが無失点のまま7回まで投げてしまうという逆転現象が起こる雰囲気にあった。


この日のカラスコのピッチングが最も効果的だったのは、次のシーン。

3回表に超劣勢のクリーブランドが1点勝ち越して、その裏にすぐヒューストンは1死1、3塁と、絶好のチャンスを作った。打席には、今年膝痛に悩まされたホセ・アルテューべ

ここは外野フライでも、ボテボテの内野ゴロでも、同点になるはずの場面だが、アルテューべは最初の2つのボール球に手を出して追い込まれ、4球目のチェンジアップを引っかけてサードゴロ、ダブルプレーと最悪の展開。ヒューストンにとって、試合の流れは一気に悪くなった。

2018ALDS Game 2 CLE vs HOU 3rd inn. Altuve DP初球 Slider Foul
2球目 Changeup Foul Bant
3球目 4seam Ball
4球目 Changeup 併殺

ソース:Indians vs. Astros Play By Play | 10/07/18



流れが変わるのは、6回裏だ。

先頭アルテューべがまたもやアウトコースの変化球に手を出し続けた挙げ句、サード前にゆるいゴロ。これが内野安打になって、打者はアレックス・ブレグマン

ここまでのパターンなら、ここでブレグマンがカラスコのボール球に我慢ができずに手を出して併殺とか、ランナーが入れ替わるだけの凡打に終わるところだっただろうが、ブレグマンは最初の2球のボールを見逃したのである。この「見逃し」が試合を変えた。

2018ALDS Game 2 CLE vs HOU 6th inn. Bregman walk初球 2seam Ball
2球目 changeup Ball
3球目 4seam Called Strike
4球目 Slider Foul
5球目 Slider Ball
6球目 Slider Foul
7球目 4seam walk



このブレグマンの打席を少し詳しく見てみる。

初球。
右打者ブレグマンのインコースに2シーム。あとの球がすべてアウトコースだから、外で勝負することを最初から決めていて、初球だけ故意にインコースをえぐったことは明らか。

2球目。
初球が見せ球だったから、ここは当然ながら外の球。この日のカラスコの全体像からいえば、このチェンジアップは、ある意味で勝負球。3回にアルテューべを併殺打に仕留めたのも、この球。もしブレグマンがひっかけて内野ゴロ、併殺なら、この日のヒューストンの勝ちはなかった。
だが、ブレグマンは振らない。ブレグマン、かなり優勢。

3球目。
無死1塁で、カウント2-0。カラスコはどうしてもストライクが欲しい。高めに4シーム。ブレグマンは自重。この打席の7球のうち、ハッキリとしたストライクはこの1球のみ。

4球目〜6球目
カウント2-1から、3球つづけて外のスライダー。カラスコにしてみれば、5球目か6球目をひっかけて内野ゴロがベストだったが、そうはならなかった。フルカウントが続く。

7球目。
歩かせていい場面ではない。だがハッキリしたボール球が行って、フォアボール。


次打者グリエルがライナーを打ったのを見て、フランコーナは、カラスコをミラーにスイッチする。

だが、それこそがヒューストンにとって「最高の結果」ではあった。「打ち崩せそうなのに、打ち崩せないカラスコ」を、まだ100球いってもいないのに引きずり下せたからだ。ブレグマンの四球の功績である。ブレグマンは7回にもこの試合を決定づけるソロホームランを打っている。
マス・メディアはとかく2点タイムリーを打ったゴンザレスに注目するだろうが、実際にゲームを動かしたのはブレグマンだ。


試合後、なぜカラスコをあの場面でかえたのか、テリー・フランコーナに質問が殺到した。フランコーナは意外にも「4回とか、もっと早いイニングでかえようか、とも思っていた」らしい。
フランコーナにとって、この日のカラスコのピッチングが「意図的なボール球で、かわすピッチング」ではなく、単に「ハラハラするピッチング」に見えていたとしたら、それは監督としてどうなんだ、という気がする。

October 04, 2018

2000年以降のMLB観客動員数


2018シーズンのMLB総観客動員数が、2004年以来はじめて「7000万人」を割り込んだ
だが、このことはシーズン当初から予想されてはいた。というのも、シーズン最初の2ヶ月に天候があまりに悪すぎたことが、年間観客動員数に響くことが当時から懸念されていたからだ。


ただ、2018年5月にUSA Todayに掲載されたAP通信の記事は、観客動員数の減少がなにも天候のせいばかりでなく、「三振の激増も原因なのではないか」と、コミッショナーロブ・マンフレッドに疑念をぶつけている。
Attendance drop, strikeout rise has MLB concerned

マンフレッドは「シーズンは始まったばかり。あわててもしょうがない」と、例によって毒にも薬にもならない返事でお茶を濁したのだが、シーズンが終わってみると、観客動員数はAP通信が懸念したとおり、原因が「三振」かどうかはともかく、2018年は最も観客動員数が劇的に落ち込んだシーズンのひとつになった。


いち早く「MLBの三振激増」に気づいたブログ主の立場からいうと、USA Todayのようなマス・メディアが「三振増加のネガティブな影響」に着目したのはなかなか面白いことではあるのだが、少し仔細に点検してみると、ちょっと「違う話」がみえてくる。

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まず、どのくらい観客数が減ると「大幅な減少」といえるかを決めなくてはならない。


もちろん明確な基準などない。だが、たとえドジャースだろうと、どこだろうと、「20万人くらいの増減」は、どんな人気球団でもあることを考えると「1チームあたり、20万人」の増減では、基準値=マーカーにはならない。

今年は82試合ホームゲームを行った例外的なチームがあったが、通常のMLBのホームゲームは「81試合」なので、「1試合につき5000人観客が減少」すると、「年間約40万人の観客が減少」することになる。
この20年くらいでみると、この「40万人の減少」は、出現しても多くて1年に3チームほどが上限で、まったく出現しないシーズンも、数シーズンある。

だから「1チームあたり40万人」という数字なら、マーカーになりうる。


そこで、2000年以降の「40万人の減少チーム」を調べてみると、2000年以降に、8球団とか9球団がこの「40万人以上の観客減少」を同時に経験したシーズンが3シーズンあることがわかる。
「2002年、2009年、2018年」だ。

いいかえると、2000年以降のMLBで「観客動員数が激減したシーズン」は、実は2018年だけではなく、「3シーズン」あった。

その3シーズンには、ある「共通点」がある。
同じシーズンに8球団から9球団が、同時に大量の観客を失う
という現象だ。

いいかえると、観客激減シーズンの原因は、1チームが一気に500万人もの観客を失うというような1点集中の現象ではなく、多くのチームが「一斉に」観客数を失う横並びの現象だ、ということだ。


こんどは、それら「3シーズン」において、観客数が激減したチーム名を列挙してみる。「不思議な現象」があることがわかる。

1シーズンに40万人以上の観客を減らしたチームのリスト

2002年 MIL PIT CLE TEX FLA COL DET BAL HOU
2009年 NYM DET NYY TOR SDP WSN CLE ARI
2018年 TOR MIA KCR DET BAL PIT TEX

左から「観客減少数」が多い順
太字は上のリストに複数回登場するチーム


「不思議な現象」とは、以下のような話だ。

たった3つしかないリストに、3回デトロイトが登場する。
PIT、CLE、TEX、MIA(=FLA)、BALの5球団が、2度ずつ登場する。



デトロイトの2000年以降の観客動員数を図示してみる。

2000年以降のデトロイト・タイガースの観客動員数


次に、最初に挙げたMLBの図と、デトロイトの図を重ねてみる。

2000年以降のMLBとDETの観客動員数の相関


いやー。
作ってみて、ちょっと鳥肌たった(笑)


もちろん、30球団すべてを図示してみないと最終的に断言はできないが、上で指摘したように「2002、2009、2018シーズンすべてにおける観客数激減が、デトロイトタイガースのみにしか見られない現象」であることから、まず間違いなく、以下のことが言える。

デトロイト・タイガースの観客動員数というのは非常に特殊で、MLB全体の観客動員数の動向(特に減少する場合)を最も如実に反映する「鏡」であり、マーカーである。


もちろん、言うまでもないが、デトロイトが代表格であるにしても、2度登場する「PIT、CLE、TEX、MIA、BALの5球団」にも、おそらく「デトロイトに似た傾向」が見られるはずだ。



では、なぜデトロイトを代表格として、「特定の球団グループの観客動員数と、MLB全体の観客動員数とが密接に連動する傾向」がみられるのか。そして、それは「MLB全体の観客動員数の激減を直接左右するような要因」なのか。

そのことは「次の記事」に譲る。


少なくともここで言えることのひとつは、LAD、NYY、BOSなどの「大都市の人気球団の観客動員数の動向」と「MLB全体の観客動員数の増減」とは、あまり連動しない、ということだ。(ただし2009年の激減にはNYYが関係している)
「人気球団は、MLB全体の観客動員数と関係なく、人気が維持できる」という見方も、もちろんできるが、それは見方を変えれば「人気球団の観客動員はすでに天井、上限値であって、もうこれ以上なにをやろうと観客動員の増加が見込めない」という意味でもある。


また、MLB全体の観客動員数を7400万人前後に押し上げたようなパワーは、実は「人気球団以外の球団」をどれだけ底上げできるかに常にかかっている、ということもハッキリした。


この件については記事をあらためてさらに考える。

バック・ショーウォルターがボルチモアを去ることになった。

彼と彼のスタッフが2010年代初期のボルチモアで実践した「バランスの整ったチームづくり」は、長年にわたって投守打のバランスを欠いた雑な野球ばかりして低迷し続けたこのチームにとって、とても意味のある仕事だったと思う。


だが、残念なことに、「2013年あたり以降のボルチモア」は、それまでの野球を忘れたかのように、ネルソン・クルーズクリフ・デービスなどのステロイダー(ブログ主はマニー・マチャドもそのひとりだと思っている)に依存するチームになってしまい、かつてのような「投手はまったくもって酷いものだが、強力な打線に依存して、なんとか帳尻つける」という、昔の「雑なパワー野球」に戻ってしまった。


2010年〜2012年あたりまで、ブログ主はこのチームについて熱心に記事を書いた記憶があるが、2013年以降はどういうものか、あまり関心をもてなくなっていき、記事を書くこともめっきりなくなった。

2012年に以下の2つの記事を書いているが、今読みかえしてみても、当時のボルチモアの「バランスのとれたチームづくりにかける熱意」を感じさせる、意味のある記事だった。

今のボルチモアに、そのはまったくない。

参考記事:
2012年4月29日、長年の課題だった投手陣再建を短期で実現しア・リーグ東地区首位に立つボルチモア (1)ボルチモアはどこがどう変わったのか? | Damejima's HARDBALL

2012年4月29日、長年の課題だった投手陣再建を短期で実現しア・リーグ東地区首位に立つボルチモア (2)ジェイソン・ハメルはどこがどう変わったのか? | Damejima's HARDBALL


上の2つは、投打のバランスを長年欠き、長打重視の雑な野球ばかりして低迷を続けたボルチモアが、なぜバック・ショーウォルター監督以降に投打のバランスが整ってきたのかについて、当時のピッチングコーチ、リック・アデアが、冴えないエースだったジェレミー・ギャスリーをようやくトレードしてコロラドから獲得したジェイソン・ハメルに2シームを習得させた話を中心に、「ボルチモアの投手陣整備」を眺めた記事だ。

リック・アデアがコメントした、シアトルでピッチングコーチだった時代に育てたダグ・フィスターと、ハメルが似ているという話など、いま読むと、とても懐かしい。シアトル時代のブランドン・モローにカーブを投げるよう勧めたのも、リック・アデアだ。(だが、そのアイデアは実現しなかった)



そのリック・アデア、2013年に突如としてボルチモアのピッチングコーチを辞めている。理由は、当時の記事を検索しても、英語版Wikiをみても、なぜかほとんどわからない。

O's pitching coach Rick Adair takes personal leave of absence | Baltimore Orioles



これはあくまでMLBファンとしてのブログ主の想像だが、細かい事情はともかく、「2013年以降のボルチモア」は「2010年〜2012年あたりのボルチモア」と何かが大きく違ってきてしまい、投手の粘り強い育成にチカラを入れようとしなくなった、あるいは、有能なピッチングコーチを必要としなくなって、そのことが投手を育てることに熱心なリック・アデアを呆れさせ、ボルチモアを離れる理由になったのではないか、と思っているのである。


そんなことを思う理由はいくつかあるが、最大の根拠は「2013年7月の自軍投手の放出トレード失敗による戦力低下」だ。

2013年7月、ボルチモアはジェイク・アリエッタペドロ・ストロップジョシュ・へイダーと、自軍の若い才能ある投手陣をベイト(=英語でいう「餌」「エサ」)にして、カブスからスコット・フェルドマン、ヒューストンからバド・ノリスを獲得した。
結果的に、この「2013年7月の駆け込みトレードでの若手投手放出」は、それまでのボルチモアの投手育成の努力を「台無し」にし、ボルチモア投手陣の極端な劣化につながったと、ブログ主は見る。


ジェイク・アリエッタは、移籍先のカブスで2年連続ノーヒットノーランをやり、いまはフィラデルフィアで3年75Mもの高額契約を得て将来を確約されているわけだが、かつては2007ドラフト5位で入団し、数年にわたってボルチモアのマイナーが欠点を我慢しながら育ててきたたボルチモアの生え抜きプロスペクトだった。(2010年6月にメジャーデビューして、翌2011年に10勝。その後ヒジの手術で戦列を離れたが、2012年の開幕投手になっている)

ペドロ・ストロップは、2013WBCドミニカ代表で、いまはカブスで年間70試合弱を投げる優秀なブルペンピッチャーに育っている。

同じく、いまはミルウォーキーの堂々たるブルペン投手になっているジョシュ・へイダーは、ヒューストンのバド・ノリス獲得のために放出された。



アリエッタにストロップまでつけて獲得したスコット・フェルドマンだが、ボルチモアではまったく使い物にならなかった。いまは故障を抱えながらチームを渡り歩くジャーニーマンに過ぎない。
バド・ノリスにしても、良かったのは2014年だけ。フェルドマンと同じく、ジャーニーマンとしてMLBにぶら下がっているだけの投手に過ぎない。


リック・アデアが、まるで若者が突然無断欠勤して会社を辞めるように、突然として職を離れた理由は、おそらくはアデアが、「2013年7月の一連の駆け込みトレードによる、自軍投手放出」に、責任あるピッチングコーチとして断固反対したのにもかかわらず、GMダン・デュケットがトレードを強行したからではないかと、ブログ主は想像する。

なぜなら、アデアの辞職が、「2013年7月の駆け込みトレード」直後の、「2013年8月」だからだ。

もし自分が高いプライドをもってコーチ業をやってきて、ようやく若手が育ってチームの明るい未来を思い描けるようになってきたとしたら、こんなトレードには断固反対する。

それはそうだ。

ボルチモアのマイナーは時間をかけて、「これから長い活躍が見込める、若くて、健康で投手たち」をズラリと揃えたのだ。
にもかかわらず、プロのピッチングコーチとして、あの投手はステロイドで成績をもたせているだけだろう、とか、投げ方がおかしいとか、この投手のコントロールはどうやっても直せないとか、きっと故障を抱えているに違いない、などと感じる「将来性の乏しい中堅投手」を、その場かぎりの目的で獲得するだけのために、「これから長期に活躍できそうになってきた若手たち」を次々と放出させられたら、コーチとして、たまったものじゃない。



ボルチモアは、この「2013年7月の駆け込みトレード」の後、さらにマニー・マチャドジョナサン・スクープといった野手も失って、ネルソン・クルーズやクリス・デービスといったステロイド系打者に依存する姿が顕著になる。
ステロイドが疑われるマチャドはともかく、もし「2013年7月の駆け込みトレード」の失敗によって投手陣が崩壊することなく、ボルチモアがずっと優勝争いに常時加われるチームだったら、ジョナサン・スクープがチームに残ってくれる可能性があったかもしれない。


長い話になった。
かつてあれほど強いボルチモアの再建に熱心だったダン・デュケットは、これほど酷い成績に終わった2018年も、まったくといっていいほど何もしないまま、チームの惨状を放置した。
おそらくはこのシーズンが終わったらボルチモアを去って、どこかのチームに行く腹積もりじゃないかと想像する。酷い話だ。


もしブログ主の想像があまり間違っていないとしたら、だが、こんな悪い流れの中で監督をやらされていたバック・ショーウォルターには、責任はない。ぜひ来シーズンには違うチームで指揮をとってもらいたい。

October 02, 2018

MLBにおけるロスターは25人しかいない。

先発が最低5人、ブルペン7人程度、クローザー1人。野手が8人、場合によってDH。控えが、キャッチャー、内野、外野、ユーティリティと、4人程度。その25人が、「他のスポーツに類を見ない、多くのゲーム数」をこなす。

年間試合数の多さは、高額年俸をはじめとする選手の待遇の良さ、スタッフの充実、立派な専用スタジアムの維持など、スポーツとしての豪華さを維持可能にしている。また、その豪華さは、才能ある選手を世界中からMLBに集約する原動力にもなっている。

いいかえれば、プロのスポーツとしての野球は「限られた人数で多くのゲームを戦うチーム運営技術の優劣を競っている」という見方もできる。



野球に限らず、企業や自治体のような組織においても、「限られた人数、最低限の人数を前提に、組織運営の効率を上げていく」には、「プレーヤーの多くがマルチタスクであること」が非常に重要だ。専門性なんてものに高い給料を払っているばかりでは、その組織のコスト体質はいつまで立っても改善されず、少ない人数で回せるようにはならない。





もし例えば野球チームに「肘の痛くない大谷翔平が5人いる」としたら、どうだろう。
先発5人全員が「マルチタスク」になるわけだから、典型的なチーム構成にあと5人の選手を追加できることになる。別の見方をすれば、ロスターがたったの「20人」で回せる、といってもいい。

逆に、投手12人以外が、すべて「守備のほとんどできないDH」だったらどうか。
高得点が期待できると思うかもしれないが、守備時間が膨大に長くなるから、疲れきって、たぶん攻撃どころではない。
素人以下の守備しかできない集団は、大量失点を繰り返す。難しい内野ゴロは、ほとんどヒット。ダブルプレーなんて完成するわけがない。外野フライのかなりの数が長打やホームランになる。素人キャッチャーはプロの投手の球が捕れないで、変化球の多くを後逸する。盗塁はもちろん、やられ放題。
これではいつまでたってもチェンジにならない。当然ながら、投手は膨大な球数を投げさせられ、投手がすぐに足りなくなる。

これではプロではない。
というか、野球ですらない。


こうした例示でもわかるように、そもそも野球というスポーツは「マルチタスクなプレーヤーのスポーツ」として出発しているのである。


かつてエンゼルス全盛期のマイク・ソーシアは、足の速いスイッチヒッターをズラリと並べる独特の打線で地区優勝をかっさらい続けた。ソーシア流スイッチヒッター打線では、相手投手が左だろうと右だろうと、打線も守備の布陣も組み直す必要がない。

対して、最近あまりに多すぎる「左右病監督」や、オークランドに代表されるプラトーンシステムでは、相手投手によって左打者と右打者を使い分ける。そのためポジションそれぞれに2人ずつ選手を用意し、毎試合のように打線を組み直す。下位打線の選手は、続けて出場できないからどうしてもコンディショニングが難しくなる。

どちらがマルチタスクかは明らかだ。マイク・ソーシアこそ、野球本来の「マルチタスク」のオーソリティだ。


話をもう少し拡張していこう。

「HRばかり狙って、低打率で、守備のできないバッター」は、シングルタスクだ。
そうした選手を何人も打線に並べる打線は、当然三振も多くなるし、タイムリーなど期待できない。また守備のための交代要員も必要になる。

参考記事:2017年2月1日、41本ホームラン打ったクリス・カーターに再契約オファーがなかったことからわかる、「ホームランバッターは三振が多くて当たり前」という話の真っ赤な嘘。 | Damejima's HARDBALL



こういうことを書くと、必ず「2人か3人の打者が連続でヒットを打って得点することより、たった1人で得点できるホームランのほうが、はるかに『マルチタスクだ」などと、わけのわからないことを言い出す人間が必ずいることだろう(笑)

そういう根本的にアタマの悪い人間が出現する原因は簡単だ。ホームランの「出現頻度の少なさ」や「出現確率の低さ」をまるで考慮しないからそうなる。


かつてデタラメ指標のOPSでは、「ホームランでベースが4つ回れるから、その価値はシングルヒットの4倍だ」などと、単細胞きわまりない奇怪な思考方法(笑)から、ホームランに過大な価値を認めていた。(実際には計算式のトリックを加え、4倍以上もの過大評価をしていた)

出現頻度の低さをきちんと考慮すれば、「まぐれ当たり的なホームランしか打てない、スカウティングされやすい、低打率の打撃専門野手」の価値なんてものは、打って走って守れる5ツールの選手の、5分の1どころか、それ以下の価値しかないことは言うまでもないことだが、OPS信仰時代には、そんな簡単なことすら誰もが忘れていた。


OPS全盛時のセイバーメトリクスなんてものは、片方でアウトカウントを増やすのは悪だなどと決めつけつつ、他方で、効率の非常に悪いホームランバッターに異常な過大評価を与え、シングルタスク・プレーヤーのネガティブな面を考慮しないまま、野球を「間違った価値観」で覆い尽くした。

そうしたデタラメ指標の影響は、今でも無くなってなどいない。フライボール革命などと称してホームランを称揚した挙げ句、2010年代のMLBは未曾有の「三振激増時代」に突入したのも、間違ったデータ主義が遠因になっている。



だが、現実の野球は、まったく違う。

例えばクリス・カーターのような「非効率なシングルタスクのバッター」の打撃の中身の無さを見ればわかる。
全打席のほんの数%をホームランする程度の能力しかないにもかかわらず、大半の打席で凡退して数多くのチャンスを潰し、打席の30%以上にもあたる200以上の打席で三振して、アウトカウントを増大させ、ランナーを釘付けにする。
その効率の悪さは、3割打者の多くがマルチタスクであり、打席の30%以上をヒットにしてランナーを進め、打席の35%以上で出塁する一方で、盗塁や犠打、守備などをこなせるのと、まるで対照的だ。


wOBAのような、よりリアルな指標において、ホームラン1本の得点寄与能力がシングルヒット1本のせいぜい2倍ちょっと程度に過ぎないとみなされることでもわかるように、「シングルヒットの得点生産能力」は、ホームランと比べ、けして低くなく、デタラメなOPSが言っていたような「ホームランの4分の1」ではない。
「得点圏にランナーがいて、シングルヒットが出れば得点が生まれる可能性がある場面の数」、「シングルヒットによる打点が実際に発生する可能性」は、ホームランのそれに比べ、はるかに出現頻度が高く、同時に、ずっと高い確率で実現する。



シングルタスクの権化といえば、ホームランにばかり頼ってタイムリーが出ず、いつまでたっても地区優勝に縁がないヤンキースだが(笑)、マイク・ソーシアがエンゼルスで目指した野球が、そうしたヒエラルキー主義のシングルタスク野球ではなく、マルチタスクだったことは明らかだ。(ソーシアがベンチからサインをやたら出しまくるのも、ヒエラルキーそのものではあるが 苦笑)
彼が大谷翔平を気にいっていた理由もたぶん、大谷が投打に才能があるからだけでなく、大谷の二刀流が「ソーシアが大好きなマルチタスクそのもの」だったからに違いない。


いまもMLBには「マルチタスク主義」と「シングルタスク主義」、2つの流れがある。

ワールドシリーズを制覇したときのロイヤルズ、優勝争いの常連になった近年のアストロズなど、成功しているチームがやっているのは野球本来の「マルチタスク」だ。

参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2018年4月11日、意図的に「ホームランの世紀」をつくりだそうとした2010年代MLB。実際に起きたのは、「三振とホームランの世紀にさからったチーム」によるワールドシリーズ制覇。 | Damejima's HARDBALL


だが、MLB全体でみると、近年横行しているのは、年間1300三振するチームの激増でもわかるとおり、シングルタスク主義であり、選手単位でみても単純なタスクしか実行できない不器用な選手が激増している。


エンゼルスも、マイク・トラウト、大谷と、才能あるマルチタスクのビッグネームを抱えている一方で、かつてソーシアがエンゼルス全盛期にやったような「攻守走すべてがこなせるスイッチヒッターを、ズラリと打線に並べたマルチタスク打線」なんて徹底した芸当は、「シングルタスクのプレーヤーばかり増えてしまった現状」からいうと、人材不足で実現しにくくなっている。

ソーシアが長いエンゼルスでのキャリアでやろうとしてきた彼独特の野球は、いまや実現不可能になりつつあるかもしれないから、彼がアナハイムを去るのは、いたしかたないかもしれない。



しかしながら「ソーシア流のマルチタスク」を受け入れて、チームを根本から変えるべき「方針の間違っているチーム」、「方針が見えないチーム」は、今のような時代だからこそ、むしろ、たくさんある。

長年にわたって雑な野球ばかりやってきたボルチモア。本来ならマルチタスクをもっと徹底させ継続すべきだったカンザスシティ。ワールドシリーズ優勝が実現しないまま賞味期限切れしたデトロイト。投資金額はデカイが総合力がたいして上がってない成金ドジャース。無能なGMがチームを低迷させたテキサス。いつまでたっても何がやりたいのかわからないサンディエゴ。チーム本来のいやらしい強さがなくなったセントルイス。常勝チームの賞味期限切れが近いナッツ。他にもある。


ソーシアをこのまま引退させるのは、もったいない。

監督でなくても、いまのこの「三振の王国に退化しつつあるシングルタスクのMLB」を質的に改造する大仕事を、どこか他のチームでやってもらいたい。

October 01, 2018

樹木希林さんのご葬儀に前後して、たぶんかなり型破りな関係だろうと想像されてきたご主人との夫婦関係について、生前のやりとりの一部が公開され、世間で感動を呼んでいるようだ。

ブログ主には、世間の人たちと、希林さんの娘さんは、外からは理解しにくかった2人の奇妙な夫婦関係に「愛が存在することを発見して、ようやくホッとした」、というふうに見えた。



この記事でブログ主が言いたいことは、その「愛が存在することを確かめることでようやく安堵する現象」は、とても人間的ではあるものの、始末に負えない、人間特有の悪癖だ、ということだ。


後でわかったことだが、実際には、彼ら夫婦の間には、周囲にわかるかどうかは別にして、当初から「彼らなりのカタチでの恋愛や夫婦関係」があったようだ。

だが、希林さんの娘さんを含め、世間には、彼らにある種の「不安(人によっては嫌悪感)を覚えた人たち」がたくさんいた。
希林さんの娘も含めた世間が、希林さん夫妻の不思議な夫婦関係に、不安を覚えたり、人によっては嫌悪を抱いたりした理由は、おそらく「愛がないのに、関係だけ維持している」、「ああいうのは愛とはいえない」などといったネガティブな感情であり、それらをひとくるめに言えば、「先入観」である。



このケースで、人がなぜ不安を覚えるか。
人は、愛がたしかに存在することを確かめずにいられないという、非常に強い欲求から逃れられないからだ。



この「確かめずにいられない欲求」の一端について、女性向けアダルトビデオを制作しているという牧野江里さんという方が、「セックス」という切り口から、ある意味岡崎京子の漫画を文章にしたような秀逸な文章にまとめていらっしゃる。

参照:セックスは愛を確かめる行為ではない?エロメンから学ぶエクスタシーに達する方法|AM

牧野さんが不思議に思ったことを自分なりに受け止めて書きなおすと、人は「愛を確かめる行為こそセックスだ」と思いたがる。だが実際のセックスにおいては、相手の性感帯もわからないまま愛をたしかめようとするような、ある意味で無謀で乱暴な行為が頻繁に行われもする。
その結果、人は不幸なセックスを繰り返しながら、別れと出会いを繰り返す。
(この「愛」という部分は「幸福」といいかえてもいい。「セックスでこそ幸福が確かめられる」と思い込んでいる人がたくさんいるにもかかわらず、その方法論はといえば、「出たとこ勝負」だったりするのである)


ブログ主の今回の問題意識に換算してみよう。
すべての「出発点」は、これだ。

人は「愛というものの存在を確かめずにいられない」。


確かめずにいられない、確かめないと不安になる、と、いうのなら、確かめればいい、ただそれだけの話だ。

だが、現実にはどうか。
確かめない」で、不安だけ抱える、のである。
あるいは「不用意に、不手際だらけの手法で確かめようとして、関係を壊す」のである。


そういうことになってしまう理由はいくつか考えられるが、そのひとつが、「外部からは、そこに愛が存在することが簡単に確かめられないような人間関係」のケースだ。

例えば、「子供から見た、親の夫婦関係」がまさにそうだ。

ブログ主だけの理解かもしれないが(笑)、「恋愛感情も含め、夫婦の関係というものは、親子関係とは、まったく異質、まったく異次元のもの」であり、「子供から、両親の人間関係が見えるわけがないし、まして理解できるはずもない」のである。

だが、不思議なことに、そういう事例に出会うことは、まずない。「理解させるべき」「理解できるはず」「理解したい」「確かめたい」「理解したら美しい」、そんな安易なヒューマニズムのオンパレードで、人は洗脳されていく。

だからやたらと確かめたがる。


確かめないと、どうなるのか。
確かめない関係は可能なのか。


樹木さんなら、たぶんこう言うと思う。

「確かめたら、どうなのよ。あの人、家に帰ってくるの?(笑)
帰ってくるような人だったら、アナタ、うれしい?(笑)」


だから、ブログ主は言うのである。
あれは「恋」だ。と。

確かめることを放棄する(放棄させられる)ことから始まったロックな関係に、常識など通用しない。そのことはご当人が誰より理解していたはずだ。そういう関係にあてはめる言葉がない。「恋」とでも呼ぶほかない。




ちなみにブログ主は、両親が愛し合っていたかどうかとか、気にしたことがほとんどない。そのことで失った人間関係の感覚もある一方、そのことでしか得られなかった感覚もある。そのことは、自分自身が一番よくわかっている。

September 27, 2018

落合博満については、何度か記事にしている。

2011年10月18日、落合・中日優勝に見る、「野球ファンが視線を共有する時代」と、マス・メディアの「時代の読めなさぶり」や「限界」。 | Damejima's HARDBALL

2011年11月14日、落合博満の居合。 | Damejima's HARDBALL

当時こんなことを書いた。長い引用をする。

勝ちを求める人は多い。
それはそうだ。
勝てば、褒美がついてくる。

だが、「勝ち方」を愚直に求める人はどうだ。多いか。
いや。多くない。
スティーブ・ジョブズを見てもわかる。自分にしかない道を歩く定めを自分に課して生きる人は、ほんの一握りしかいない。

自分なりの勝ち方を、時間をかけ、手間をかけ、追求し続けることに、どれほどの価値があるのか、誰も確信が持てない。もしかすると無駄に終わるかもしれないことを、誰もがやりたがらない。
勝ち方より、勝ちそのもののほうが価値が高い、高く売れると思い、誰もが日々を暮らしている。

(中略)

「勝ちと勝ち方は似ているが、まったく違う。勝ちを追い求めるより先に、勝ち方を身につけろ」


今読んでも、自画自賛になるが、まったく間違いがない。

だが、就任当初から落合は、理解力のない地元ファンや、プロスポーツをわかっていない親会社の中日新聞のホワイトカラーのアホウによって、やれ生え抜き選手をコーチに使わないだの、なんだのかんだのと、いわれのない批判を受け続けた。


今シーズンかぎりの引退を前にした中日・荒木雅博が、2003年秋季キャンプで落合に受けた「ノック」の苛烈さについて、こんなことを語っている。
(引用元:「僕は野球を二度なめたことがある」中日・荒木雅博、41歳の告白(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
それまで中日の特守は約30分。ノック中、時計を見るんですが、30分経っても終わらない。1時間を過ぎても。この辺りから時計を見る余裕がなくなる。汗が出なくなる。思考も停止する。すると、不思議な現象が起きるんです。グラブの音がパンと高くなる。これは無駄のない動きで打球に入って、芯で捕っている証拠。もう動物の本能です。

技術も体力も向上しましたが、一番大きかったのは甘えを削ぎ落としたこと。



たしかに、いい記事ではある。

だが、1点だけ、この記事は「大事なこと」を書きもらしている。
忘れてもらっては困る、非常に大事な点である。

それは、このノックが、「落合が中日の新監督に就任した直後」の2003年10月に行われたという点である。この記事には、落合が「新監督就任直後」に荒木にこういう苛烈な特守を課したことの「意味」が書かれていない。

落合が監督に就任した2003年オフ、中日はロクに補強をしなかった。その理由は荒木のインタビューで明らかだ。落合が「外部からの補強」ではなく、「既存の選手のレベルアップに主眼を置いたから」である。

そして落合は、就任1年目の2004年、チームをいきなりのリーグ優勝に導く。それが偶然ではないことは、荒木のインタビューで明らかだ。さらに2006年優勝、2007年日本一、2010年優勝、2011年球団初のリーグ連覇と、落合中日の黄金時代は続く。


荒木の言葉と、2004年にいきなりリーグ優勝した事実から、落合が中日において成し遂げた「これまで目にみえにくかった巨大な業績」がハッキリする。

2003年以降、落合が中日の監督として成し遂げた業績とは、当時の地元ファンや中日新聞などが期待し、公言もしていた「既に引退している生え抜きのOB選手を、指導能力とは無関係にコーチとして採用する」というような、生ぬるい、将来性の無いことではない。

中日というチームの将来を担う中心選手を、あえて選手に容赦しない外部の人材を使って「内部の選手を鍛えぬくこと」にこだわり、未来に使えるホンモノの人材を量産すること」だったのである。

素質こそあったが、とかく甘えの多かった二流の野球チーム、中日の「贅肉」をとことん削り、毎年のように優勝にからむ一流チームに仕上げたのは、ほかならぬ落合の豪腕である。



浅尾についてだが、「落合中日の黄金期における浅尾の位置」について勘違いしている人が実に多い。

勘違いの例を挙げると、浅尾は最初から落合中日の黄金期の中心にいたわけではない。
例えば、落合中日が初のリーグ優勝を果たして黄金期を歩み始めるのは「2004年」だが、そのとき浅尾はまだ「大学生」で、プロの投手ですらない。浅尾がドラフトで中日に入団したのは「2006年」なのである。
また浅尾はデビュー当時からセットアッパーとして酷使され続けてきたわけではない。浅尾のプロデビューは、落合中日が晴れて日本一になる「2007年」だが、このシーズンの後半に浅尾は肩を痛めており、2007年の優勝に不可欠といえる貢献を果たしたわけではない。
浅尾が「年間通じて活躍できるリーグトップのセットアッパー」という他に類をみない独自の地位を築きはじめたのは、落合中日が3度目のリーグ優勝を果たす2010年以降だが、チーム全体として見ると、2010年には既に中日にはリーグ優勝を毎年争えるだけの投打の戦力は整っていた。


にもかかわらず、浅尾拓也の引退について、「落合が浅尾を潰した」などと、根本的に間違った意見をいまだにネットで公言しているアホウが多数いる。そういう了見の狭い地元ファンと、2004年当時から落合を批判し続けてきた中日新聞のアホウは、いまこそ真剣に落合博満に謝罪すべきだ。


確かに、浅尾は2011年シーズンに79登板して、「セットアッパーにして、最優秀選手」という「野球史に残る偉業」を達成し、ピークを迎えた。そして、それは同時に、落合中日の黄金期のピークでもあった。

だが、「2011年のピーク」に至るまでの間、落合が「選手が潰れるほどの練習」、「選手が潰れるほどのゲーム出場」を課した選手は、なにも荒木や浅尾だけではない。

そうしたハードな経験なくして、やがて引退していくことになる中日の選手たちが得た「日本一経験者」あるいは「日本シリーズ経験者」という「永久に消えない栄光ある業績」、そして、彼らがこれから経験する第二のステージにおける「指導者としての権威」が存在しえたと、ブログ主はまったく思わない。


ファンはチームに日本一になることを期待して、夢を見る。

だが、夢を見るだけで、「方法論」がない。方法論として、どこをどうすると、日本一になれる「本物のチーム」「一流のチーム」ができるのか、それを考え、実行するのは、ファンではない。指導者だ。


ツイッターでも書いたが、「頂点に立つ」ということは、「一度きりしかない人生を、自分の信じた道に賭し、その課程に必ず立ちはだかる激烈な痛みに耐えぬく」ということだ。

「日本一になれ、だが、そっと丁寧に選手を扱え」などという矛盾した戯言(たわごと)は、あらゆるプロスポーツ、ことに中日という甘えたチームにおいては、単なる「おとぎ話」に過ぎない。そのことを忘れてもらっては困る。

落合は、「勝てる選手、勝てるチームになることと引き換え」に、限界を超えて選手を鍛えた。「限界を超えた経験」のない人間は成長しないことがわかっていたからだ。
浅尾についても同じように、落合はゲームにおいて、2011年に79試合も登板させた。もし浅尾がいなかったらあの年の日本シリーズには出られなかっただろう。それは、言い換えるなら浅尾を酷使してでも日本一に出てやる、日本一になるという強い意思がなかったら、チームを日本シリーズに出してやれなかったのである。

落合なくして、日本一なし。そして
浅尾なくして、落合中日のピークなし、である。



誤解されても困るので公言しておけば、ブログ主は死ぬほど浅尾の大ファンだ。落合の監督時代が、日本シリーズどころか、優勝にもまったく縁がない、浅尾の肩も壊れました、というブザマな結果なら、誰よりも先に落合をクソミソに言ったことだろう。

だが、落合は責任を果たした。
浅尾は2011年に、チームとして、そして選手として、「リーグの頂点」にたどり着いている。このことで、このことだけでも、浅尾には十分な報いがあった、そう思いたいのである。

September 10, 2018

年をとると、怒りっぽくなる人がいる。

想像だが、自分の体が若いときのように言うことをきいてくれなくなったり、周囲が自分のことを年寄り扱いすることで、周囲の自分への評価の低さと、まだまだ若いつもりでいる自分のセルフイメージが、実はまったく一致していないことに気づかされて、それが気にいらないのかもしれない。

とはいえ、自分の責任を認めたがらない人間、自分の衰えを認めようとしない人間には、厳しい言葉をちゃんと発しておかないと、モノゴトは真っ直ぐにならない。でないと、モノゴトは間違ったまま、曖昧なまま、固定され、歴史になってしまうのである。それは間違っている。

だから自分は、モノゴトをきちんとしておきたいから、あえて以下のような「四角い、尖った言葉」を書くことを自分に課してきた。



テニスの2018全米オープン女子決勝におけるセリーナ・ウィリアムズの行動は見苦しいものだった。
たとえ彼女が試合後の表彰式で、あまりにも礼儀をわきまえない、無礼な観客に勝者を讃えるよう訴えたとしても、だからといって、セリーナ自身の試合中の見苦しい態度を「帳消し」にできると、自分はまったく思わない。


この試合中にセリーナに行われた「3度の警告」は、
それぞれ以下の理由による。

禁止されているコーチによる試合中の選手への助言
ラケットの破壊
レフェリーへの暴言

警告それぞれに、合理的かつ明確な理由があったことは、明らかなのである。

参考
かつてテニス界のスターだったマルチナ・ナブラチロワの意見
Opinion | Martina Navratilova: What Serena Got Wrong - The New York Times

元女子プロテニス選手で現在はNBCリポーターのメアリー・カリロの意見
NBC Sports' Mary Carillo: Serena Williams Acts Like a Bully


アメリカの大手スポーツメディアのMLB担当記者たちなどは、「審判があまりにもクソ野郎だったから、自分たちのスターであるセリーナが負けた」という趣旨のツイートを試合直後からしていたが、それは根本的に間違った認識であり、審判にも、大坂なおみにも、謝罪が必要な無礼さである。


大坂なおみが全米オープンに勝った理由は単純だ。大坂なおみが、かつて女王だったセリーナを上回る、正確で、ゆるぎないプレーをしたからだ。言葉をかえれば、若い選手の理知的でクールなプレーが、ヴェテランの「慢心」に打ち勝ったといってもいい。

以下のゲームスタッツにみられるように、彼女の勝利には1点の曇りもない。大坂なおみは「勝つべくして勝った」のであり、「セリーナが審判に不利な判定を受けたから、勝つはずのない大坂なおみに勝利がころがりこんだ」のでは、まったくない。ありえない。




相手のチカラを凌駕することで合理的に得られた大坂なおみの順当な勝利のあと、不合理で不条理な罵声を浴びせる形となった会場の恥知らずな観客のブーイングには、なんの合理性もない。それどころか、それはある種のレイシズムですらある。


また、試合後のプレス・カンファレンスにおいても、数多くのハラスメントがあったことも忘れてはならない。

栄光ある勝者である大坂なおみに、自滅したセリーナ・ウィリアムズの乱れたふるまいについてコメントするよう、記者たちは執拗に求め、大坂なおみが答えに窮し涙まで流す事態となったことは、言うまでもなく「釣り竿の先にエサを垂らし、大坂なおみがうっかりセリーナに対して批判や暴言をするのを待っているような、悪質な行為」はスポーツマンシップとは完全に無縁のものだ。
また、大坂なおみの「名前」について故意に間違え、何度もゲームの内容と無縁な、愚鈍な質問を繰り返した「最前列の男性記者」などは、新たに誕生した若き女王を見下す尊大な態度、記者としてアスリートに対するリスペクトに欠けた無礼きわまりない態度を、謝罪すべきだ。


なお、今回の大坂なおみが発した sorry という単語について、sorry という単語には「残念です」という軽い意味の場合がある、などと、したり顔で解説しているハワイ大学教授(たぶん日本人)のコメントを見たが、まったく現場の空気をわかってないとしか言いようがない。

そんな辞書的な、進学塾とか高校の教員が中学生相手に受験英語を指導するような紋切り型の解説では、輝かしい勝利者であるはずの大坂なおみが「試合後に何度となく流した涙の説明がつかない」し、また、彼女が「セリーナがグランドスラムを24回勝つことをみんなが期待していたことは、わかってました」と発言したことの「辻褄」がまるであわない。

大事なのは彼女の発言が「どんな感情から発せられたか」、であって、辞書上の解釈など、どうでもいい。今回の勝利が自分の描いていた夢にはほど遠い「後味の悪い決着」をしたことで、心に傷を負った大坂なおみが、事態に一定の距離をおいて、「いやー、残念ですなぁ」などと、ババくさいコメントなど、するわけがない。

大坂なおみは「20歳」で、「当事者」なのである。

文脈と、事態の流れから判断して、sorry という単語の背景に流れている「感情」とは、「残念でした」などという大人びた態度ではなく、なんにでもすぐ謝ってしまう、なんとも「日本人的」な「ごめんなさい」の感情である。



この試合の後味の悪さをつくった原因は、セリーナ・ウィリアムズの間違ったふるまいと、ふるまいの間違いと自分自身が原因である敗北を素直に認めない態度であり、ブーイングした観客の無礼なふるまいであり、一部のメディアの尊大なふるまいだ。
実力はあるが、20歳の、まだナイーブな勝者にネガティブな感情を抱かせたことについて、衰えつつあるオバサンのセリーナ・ウィリアムズ、礼儀と程遠い行動をしておいて無反省な現場の観客、事態の全体像をまったく把握してないクセにセリーナを持ち上げてきたメディアの古い価値観にとらわれて審判批判をしたニューヨークあたりの頭の固いスポーツライターは、大坂なおみに謝罪すべきである。






米ボストン・グローブ
Rules are rules, and Serena Williams went too far this time - The Boston Globe

英タイムズ
Serena has joined the MeToo victims’ cult | Comment | The Times

ニュージーランド・ヘラルド
Peter Williams: Serena Williams' tantrum after Naomi Osaka loss was calculated, cynical and selfish - NZ Herald

英テレグラフ
Serena Williams is not just a bad loser – her dominance of tennis is over

英スカイ・スポーツ
Serena Williams' sexism claims in US Open final are 'unjustified', says Greg Rusedski | Tennis News | Sky Sports

米フェデラリスト
Why Serena Williams Would Probably Have Lost The U.S. Open Anyway

September 05, 2018

世界初の本格的な海上埋め立て空港である関空が水没した。

「海上空港」だからこそ、アクセスに「」が必要であり、その橋が壊れたことは、「空港へのアクセス方法そのものが喪失した」ことを意味している。それは当然ながら、空港にたくさんの人が「取り残される」こと、そして同時に、救助も「遅れる」ことを意味する。
これは、福島の原発事故において、電源が喪失し、原子炉を冷却する方法が喪失したことでメルトダウンが引き起こされたのと、意味はまったく同じだ。


水没の理由は、以下のブログが非常に明快に指摘してくれている。
関西空港の水没は起こるべくして起きた。〜地盤沈下が招いた標高1.4mの滑走路〜 - イケてる航空総合研究所
とある別サイトでは、関空の工法について、「海底の軟弱地盤を強化して護岸工事を行い、土砂で埋め立てるといった順で進められました。現在でも地盤沈下は止まってはいませんが、一部だけでなく均一に沈下するよう設計されているため、トラブルとは無縁です」とあるが、先のブログによれば、今回の滑走路水没の理由は「地盤沈下」にある。こういう「ちゃんと数字を示した上で、はっきりモノを言う態度」は非常にいい。


1994年開港以来、2018年までの平均沈下量は「3.43m」だという。ならば関空のA滑走路は「これまでもずっと年平均14センチ程度、沈下し続けてきた」ことになる。

なので、最も低い位置の標高が「たった1.4m」しかないA滑走路は、理屈の上では、あと10年で「海面下」になる計算になる。そうなると、関西国際空港のA滑走路は、海面より低い、いわゆる「ゼロメートル地帯」ならぬ「ゼロメートル滑走路」になることになる。


もちろん、こうした事態が管理会社によって今後も放置されるわけではない。なんらかの対策が講じられることだろう。

だが、問題なのは、「5年くらいのサイクルで護岸を高くし続ける、とか、地盤を上げ続けるといった地盤沈下対策が、それも定期的に、必要になる」ということだ。

そのコストはたぶん、けして少なくない金額になる。


ちなみに、関空の管理会社は「関西エアポート株式会社」という企業であり、筆頭株主は、オリックス株式会社が40%、フランスの空港運営会社であるヴァンシ・エアポート40%である。(なぜまたフランスの会社が日本の空港の、と、当然思うわけだが、航空業界に詳しくないのでよくわからない)


それにしても、これまで地盤沈下がわかっていなかった、2017年に一気に3メートル地盤沈下してしまいました、というのならともかく、関空が年々地盤沈下していることに多くの関係者は気づいていたはずだ。(ちなみに、ブログ主はこの事件が起きるまで知らなかった)

ならば、今回の高潮のような被害が発生する可能性はあらかじめ予測されていなければならないし、対策もとられていなければならない。


自分は関西国際空港になんの利害もない第三者であり、今回の高潮被害についてもなんの利害もない第三者だが、もし自分が今回の高潮でなんらか大きな被害を受けた立場だったなら、迷うことなく空港の管理のずさんさを批判し、必要なら損害賠償を求めて訴える。


いずれにせよ、地盤沈下が止まらないというのは、「その場所の地盤そのものが定常的に流出するか、沈下する状態にある」という意味だ。
もちろん、地震による液状化が起きれば沈下スピードはさらに上がる。近畿圏では近年いくつかの大地震が起きているのだから、関空でも液状化が起きていた可能性がないとはいえない。

関空はおそらくは今後とも地盤沈下から逃れることはできない空港だ。本来なら、空港の再開を安易に急ぐより、根本的なところでA滑走路の地盤そのものを改修すべきだろうが、関係者がどういう判断を下すのか、ちょっと見ものである。

August 28, 2018

以下のツイートについて、ブログでもう少し足りない言葉を付け足しておきたい。




まず最初に注釈。

大嫌いな言葉のひとつに、「持続可能な」というモノの言い方がある。
この記事での「連続性」という造語においては、「持続可能な開発」だの、「持続可能な環境」だのという意味は、まったく、これっぽっちも、含まれない。注意して読んでほしい。強く明記しておく。


「持続可能な」というモノの言い方は、ひとえに「1970年代世代と、いまだにその影響下にある人々が、みずからの思考やの破綻を誤魔化すときに、使ってきた方法」のひとつで、実際には、単なる「妥協点の模索」という曖昧な意味しか持たず、厳密な定義など存在しない。
例えば70年代までにあった過剰なエコロジーブームと先進国における環境に配慮しない開発は、両者が両者とも限界を示した。そのため、彼らはしかたなく、ただ環境保護だけ、または、ただ開発だけに走るのではない「妥協点」を、ちょっと耳障りのいいスローガンとして示してみた、ただそれだけにすぎない。これはいわば「道端の交通標識」に過ぎず、中身は何もない。

80年代以降もエコロジストは、持続可能という言葉と社会批判を場面に応じて都合よく使い分けてきたが、それは、エコロジストの主張では世界がうまく回っていかないことが判明したために作り出した「新しいカラクリ」であり、それは「70年代まで大流行していた左翼思想に、まったく現実性がないことが、80年代以降判明した現象」に似た意味でしかない。



さて、ここから本題。

社会には、「連続性」が不可欠だ。

ここでいう「連続性」とは、最初に書いた「持続可能な」などという陳腐な話ではない。
人間という生物の生存維持シェルターである「社会」は、「連続性そのもの」であり、「連続性」は社会が自己再生産能力を有する連続性をもったシェルターであるための絶対条件である。

この「連続性」は、どこにでもある平凡な家庭、どこの国にもある企業が持つ連続的な「自己再生産能力」をだいたい意味する。
親が子を産み、育て、人が再生産されるプロセスがあるからこそ、社会は「連続性」を維持できている。その単純だか崇高な事実の重要性については、他人と議論する必要など、まったく感じない。



しかしながら、ツイッターでも例を挙げたように、残念なことに、現代社会は多くの「非連続性」に侵食され続けている。


例えば「同性愛」である。
この現象が「社会の平凡さに、どれほど依存して成り立っているか」は、議論を必要としない。たとえその同性愛カップルがどれほど文化的であろうと、関係ない。彼らが「社会の連続性にどっぷりと依存し、連続性の恩恵を受けていること」にまったく変わりはない。


ただ、なにも同性愛や同性婚を撲滅すべしなどと、物騒なことを主張しているわけではない。
そうではなく、「あなたがたは『社会の平凡な連続性』に依存して成り立っているだけの浮草にすぎないこと」を自覚して行動すべきであり、権利ばかり振りかざしてもらっては困る、自分たちのコミュニティにばかり籠らず、『連続性』に明確な形で貢献すべきだ」と言いたいだけである。

だから社会維持の方法論のひとつとして、ブログ主は「同性婚と一般の結婚とは社会的に意味が違うよ」ということを明確に示す制度があっていいと考える。

もう少し具体的に言えば、「ある意味の『差額』みたいなものを徴収させてもらいますよ」というアイデアが存在するほうが、社会的には正しいと思う、ということだ。

例えば、同性愛カップルがあえて養子をとって自分たちの子供として育ててくれるとしたら、国や自治体は「よく決意してくれました」と応援する意味で支援金を贈って支えるべきだと思うし、逆に、同性婚は認めるが「同性婚税」のようなものを別途納入してもらうという自治体があってもいい。他にも、一定のボランティア参加を義務づけて地域社会への参加や交流を促すとか、アイデア次第で、いろいろ「同性婚者の社会の連続性への貢献を義務化する制度」を考えられると思うのだ。

そういう過程で自治体ごとに「制度の違い」ができてくれば、アメリカの州ごとの制度の違いに対する人々の反応と同じで、より負担の緩い自治体に行きたい人はそこに引っ越せばいい。全国のすべての制度がすべて同じである必要など、どこにもない。個人の多様性は最大に認めるべきと主張するが、自治体の多様性は絶対に認めない、全国一律の制度が必要だ、などというワガママきわまりない発想につきあう必要などまったくない。
同性婚の人たちが集中して活性化する自治体が出現すればそれはそれでいいし、そのことが災いして人口が減少し衰退する自治体があれば、それはそれで結果を受け入れるしかない。


「連続性」の侵食の例は、他にも数多くある。

例えば「引きこもり」は、かつての「家庭を持つ」という当たり前のように思われ、実行されてきた幸福の尺度から距離を置く現代的な現象のひとつだ。
もちろん、人が「引きこもり」になるからには、何かやむにやまれない事情があってのことだろう。だが、だからといって、それも文化のひとつだ、しかたない、などと認めるのでなく、ある種の「病」と判定すべきであり、社会の連続性に復帰してもらう方法を模索してもらうべき、というのがブログ主の考えだ。


また、「老人中心社会」も、やはり社会の「連続性」を損っている。

若い世代に「老人のための費用負担」ばかりさせ、他方では、老人ばかりが資産を抱え込んでいて、オレオレ詐欺にばかりひっかかり、クルマを運転すればアクセルとブレーキすら踏み間違え、他人を轢き殺す、というような社会は、やはりどうかしている。
若い世代にこそ、身を立てるための十分なチャンス、例えば教育、技能習得、起業のための資金など、さまざまなチャンスを与え、若い世代の疲弊をもっと真剣に、そして全力で、防止すべきだ。


ロリコン」とかいう現象も、「連続性の侵食」とけして無縁ではない。


結婚できない神父が同性の少年にセクハラするのは、もちろん犯罪だが、見方を変えれば、これほど「社会の平凡な連続性から遠いところにある行為」もない。

ロリコンというのは、「国際的な精神疾患の診断基準にも記載のある『性嗜好障害(パラフィリア)』のひとつで、れっきとした医学的な診断名」らしいが、ロリコンの追い求めるエデンの園は、カトリックの神父が密かに行ってきた悪事と同じくらい、その人を「社会の平凡な連続性から遠ざけている」と思うのである。
(また、あるロリータ趣味の女性のブログによれば、「ロリータは絶望的なほど、男ウケが悪い」らしいが、「社会の平凡な連続性から遠ざけている」という意味では、ロリコン男とロリータ趣味の女性には、どこかしら共通点みたいなものがあるのかもしれない)


ここに書いたことはどれも真っ当な論理の帰結に過ぎない。こんな単純な話を読んで、ウヨクだの保守だのとレッテルを貼るのは他人の勝手だが、そんな間違ったレッテルなど、ブログ主にはまったく関係ないし、気にとめる理由などない。

こんな当たり前のことをまったく突き詰めもせず、将来の日本を考えもせずに、自虐史観、コミュニズム、ジャーナリズム、エコロジーなど、そのときどきの流行の社会観に浮かれて、非連続性ばかり称揚してきた能無しの世代の人間たちが、どれほど馬鹿で、どれほど文化人ぶった、カッコつけのアホウばかりだったか、呆れるばかりである。



社会は、ひとつの生き物だ。

人間の個体と同じで、病をこじらせると元気がなくなる。「連続性」の大事さに配慮もせず、どこかで習い知っただけの新しい考え、新しい趣味、新しい流行とやらに熱中して、社会を病気にするのはもうやめてもらいたい。

社会はもっと、ごく普通であることの意味を評価すべきだし、ごく平凡な笑顔のある家庭の重要さを認めるべきだ。

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