February 29, 2020

重要なのは、「方法」をみつけることであって
「理由」を探すことではない。

このことは非常に重要な法則だが、なかなか理解されない。

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新型コロナウイルス対策で、急遽、学校を休校措置にしたことについて、どこかの愛媛県知事が「唐突だ」などと、わけのわからない批判をしている。バカはほんと、どうしようもない。結局こういう人は「どんなことにもケチをつけたい、ただそれだけの人種」なのだ。


こういうタイプの人はふだん「日本人の組織の悪いところは、決断の遅さにある」などと鼻高々に言いたがる。

だが、こういう人間に限って、物事をパッと決めると、こんどは、「早く決めすぎ」だのなんだの、ケチをつけだす。ほんとに始末が悪い。


言いかえると、これまでよくいわれてきた「日本人は物事を決定するスピードがあまりに遅い」という指摘は、実は、「決断そのものの遅さが原因」ではないということである。

「誰かが決断した『決断』について、ああだこうだと言いたいだけの外野が『ケチをつける行為』があまりにも多すぎることによって、最初の決断者の「スピード感」が著しく損なわれるのがスピードダウンの真の原因なのだ。


例えば、何事によらずスタートアップを経験するとわかるのは、「できない理由を探す人の存在がスピードをダウンさせる」ということだ。

プロジェクト発案者にしてみれば、欲しいのは「それを可能にする方法を考えてくれる人」であって、「できない理由を探す人」ではない。

だが、「理由をみつけるのに必死な人」は自分の発想の貧しさを意に介さず、「できない理由」ばかり探して、重箱の隅をつつき続ける。言いかえると、自分のプロジェクトに「理由ばかりあげつらう人」がいることがわかったとしたら、その人は「必要のない外野」であり、「はずれてもらうべき人」だと判断すべきだ、ということだ。


例えば、MLBにこんど来た山口俊もそうだ。初登板がうまくいかなかったとき、彼がなんと言ったかというと、「MLBのボールの縫い目がどうたらこうたら」。

これは明らかに「できない理由探し」である。

必要なのは、「うまく投げるための『方法』をみつけること」であって、「うまく投げられない『理由探し』」ではない。

重要なのは「方法」で、「理由」ではないのである。


これから、人と会話するとき、人と仕事をするとき、相手の発言を点検してみるといい。ちょっと気をつけて発言ぶりを聞いていれば、その人が「方法を模索してくれる人」なのか、ただの「できない理由探しマニア」なのかは、すぐにわかる。

相手が語りたがってるのが、「方法」なのか、「理由」なのか。

それによって、その相手がどのくらい「実務的」か、それとも、単なる「センチメンタリスト」なのかが、あっという間にわかるのである。

February 16, 2020

「死刑制度廃止ロジックのまやかし」に関する前の記事同様に、これも以前ツイートした話題だが、あらためてまとめ直して、備忘録として記事化しておいた。
(ちなみに、以下に述べる内容は、トマス・ロバート・マルサスの『人口論』と同じではない。論理のプロセス、時代背景、視野に入れている科学技術など、多くの要素が、マルサスとは異なっている)

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貧富の差」というロジックは、社会批判によく使われるが、決定的な「盲点」がひとつある。

それは、あらゆる国家の成長において「生産量の飛躍的な増大は、人口の爆発的増加をもたらす」という「どこにでもある事実」を視野に入れていない、という点である。

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社会において「生産が量的に増加すると、人口が増えるという法則性」がみられることは、いいかえると
「ひとりあたりでみると、生産というものは、長いスパンでみるなら、常に『一定量』にしかならない」
ことになる。そのことの意味をまず以下に説明する。

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まず、たとえ話をひとつ書く。

もし「人口はまったく増えないという前提で、生産量だけ3倍とか5倍になる」ならば、「ひとりあたり生産」はどうなるか。当然、3倍とか5倍になり、それが維持される、だろうか?


そういうことは「長期的にみれば」起きない。起きるわけがない。
それはなぜか。

生産増加にともなって、人口増加が自然発生的に起きる
からだ。

たしかに生産の急激な増加は「ひとりあたりの生産」を急激に増加させる。だが、生産増加につられて起こる人口の増加はひとりあたり生産を下降させ、やがて変化は元の状態に押し戻されていく。

「人口がまったく増えないまま、生産量だけが劇的に増加する」などというような事態は、単なる机上の空論であり、長期的にみれば、そんな事態など起きない。

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たとえば日本の戦後の高度経済成長もそうだが、国家の経済がテイクオフ(離陸)する発展初期には、まず最初に、ひとりあたり所得が爆発的に伸びる時期が訪れる。

だがそれは「一時的な現象」で、生産があまりに爆発的な成長初期には人口増加がまだ追いつけないというだけの意味でしかない。やがて、高度経済成長期にベビーブームが起きたように、人口の爆発的増加が起きるから、事態はほどなく一変する。

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やがて社会は落ち着いてくる。
どうなるか。

人口増加が生産量増に追いつくようになると、生産の伸びは人口の急激な増加に吸収されてしまう。当然ながら、個人所得の急激な伸びもどこかで止まる。遅れて、人口の爆発的増加も止まり、社会は次の波が来るを待つことになる。

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生産の爆発と、その後の人口の爆発が終わった後、
どういう「世界」が待っているか。

人口プラミッドはさかさまに倒立した、歪(いびつ)な形になって、「数の少ない若い世代」が「あまりにもたくさんの老人の世話」に悩まされるという絶望的な事態がひき起こされる。

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世界のあらゆる例をみればわかることだが、こうした「生産と人口のサイクル」は「あらゆる国で自動的に起こる、わかりきったサイクル」だ。

それは「社会の歪み」などではない。むしろ「社会という集団のシステムにもともと備わっている、システム上の調整」で、どんな社会でも起こりうる。たとえ資本主義だろうが、社会主義だろうが、まったく関係ない

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かつて2013年に、以下の記事群を書いた。
カテゴリー:『1958年の西海岸』 アメリカにおける放浪の消滅 │ Damejima's HARDBALL

これらの記事で指摘したかったことを短く言えば、社会には爆発的な成長期のあとに必ずやってくる「安定期」があり、そこでは若者にありがちな無軌道な跳躍や飛躍は必要とされない、ということだ。芸術面に限定していえば、成長期にもてはやされがちな自分探し小説だのなんだのは、もはや必要とされなくなる。

かつての記事では、サイモン&ガーファンクルの "America" という曲が、昔の日本の熱心なファンが思っていたような「若さ礼賛」などではまったくなく、むしろ逆で、「若さというエネルギー」をもはや必要としなくなった1960年代アメリカの非常に痛々しい現実を容赦なく指摘した曲であること、また日本でも、明治という激動のあとの時代が安定期を迎えると、「若さ」はまったく必要とされなくなり、若さになんの意味もなくなっていく時代にあって、石川啄木が『我々青年を囲繞する空気は、今やもう少しも流動しなくなった』と嘆いた例を引用して、当時の日本の若者が時代に置き去りにされる姿を指摘した。

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では「貧富の差」は、なぜ、どこに、生まれるか。

ここまでの記述で明らかなように、「有利な成長期に蓄財したベビーブーマー」と、「不利な安定期に生まれ育ってしまった若者」との間には明白な「資産格差」が生じる。

この格差は、共産主義者やリベラルがいうような意味での「資本主義ゆえの貧富の差」ではない。それは、たとえ資本主義だろうが社会主義だろうが、離陸した国家経済がやがて安定する段階で生じる世代間のタイムラグだ。


ただ、問題は資産格差だけにとどまらない。制度疲労を起こしているアホらしい古い社会のしくみが老人や外国人を甘やかすことで、格差はさらに助長される。安易で根本的に間違ったヒューマニズムが横行する過度の福祉社会では、少数である若者が多数である老人を養う異常さを放置する異常な仕組みが、いつまでたっても改善されないからである。

このタイムラグが発生することはあらかじめわかっていたが、その有効な対処はほとんど何もされなかった。高齢化社会なのだから老人は大事にされるべきだ、などと、間違った、上から目線の甘えた考えを抱いている人に限って、「社会を、若者を厚く扱う社会にあらかじめ変えておき、その後に高齢化を迎えることこそが、本来の高齢化社会の『迎撃方法』だった」にもかかわらず、「誰もそうしようとしなかった不手際」をまるで理解しないまま、老人になって、社会を飴玉のようにしゃぶりつくしているのである。

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こうしたことをきちんと把握し、理解させていかないと、わけのわからない社会批判に耳を貸す馬鹿な若者が増えて困ることになる。

実際、放浪という行為が意味を失い、サイモン&ガーファンクルの " America " が指摘したような若者を必要としないアメリカが出現した戦後のアメリカには、フラワーチルドレン、ドロップアウトなど、さまざまな「社会からの逸脱」が流行し、若者は無軌道な社会批判に熱を上げた。日本でも、明治の安定期以降、大正期などには、社会に置き去りにされた若者の一部が社会主義にかぶれるという困った現象があった。

若者の不満を利用したいだけの老人は、資本主義社会の矛盾だのなんだのと、あらんかぎりの大声で叫び、共産主義の宣伝と選挙戦術に使おうとする。そうした「若者を利用したいだけの老人」が、実はその裏で「国家の経済の成長にすがって甘い汁をすすってきた老人」でもあることを忘れてもらっては困る。

アメリカの大統領選挙が近づいているが、アメリカの若者が誤った選択をしないことを切に願う次第である。

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February 15, 2020

2019年8月に「死刑廃止論ロジックがまやかしであること」を証明するツイートを書いた。140文字では書き足りなかった点を加え、備忘録としてブログにも残しておく。

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社会には「鉄則」がある。
「掟」といいかえてもいい。

集団に統率ルールが存在するのは、なにも人間社会だけと限らない。動物にも掟はある。だが、人間の場合、そのルールができる動機、モーメントは、生物学的な意味での本能とは必ずしも一致しない。むしろ、人間の社会の鉄則は、もっと別の、人為的あるいは歴史的な経緯の中で作られ、また、時代とともにそれは変化していく。

だが、だからといって、「鉄則に背く者が罰せられる」という「罰則」というルールが無くなることがあったか、といえば、そういうことは起こらない。

古来から罰則は存在した。
人間社会において、鉄則は常に罰則とともにある。

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さて、ここに
「人間には、その誰もにも生きる権利がある」という鉄則がある、とする。

では、
「重大な犯罪を犯した者にも、生きる権利があるから、その権利を奪う死刑制度は無くすべき」といえるだろうか。

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もうひとつ。
たとえば、ここに
「人間は、他の人間を殺してはならない」という鉄則がある、とする。

では、
「重大な犯罪を犯した者であっても、人間であり、社会がその人間を殺してはならない。だから死刑制度は無くすべき」といえるだろうか。

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いずれも答えは、
言うまでもなく、No
である。

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かつてツイートしたことを反復しておく。


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死刑廃止論のどこに「ロジックによる、ごまかし」があるか。

簡単である。
鉄則を罰則にまで適用しようとしているから
である。

もういちど書く。
その鉄則が、人を保護するものであれ、規制するものであれ、鉄則を破った人間は、適用の対象から除外され、罰則を受ける義務が生じる。理由は単純かつ明快だ。「その人間が、鉄則に背いたから」である。鉄則による保護が適用されるのは、「鉄則を遵守する、鉄則の対象者だけ」である。

罰則は、その鉄則の「『外部』に存在している」のであり、鉄則による制約を受けない。
罪を犯した者は「鉄則による保護」を外され、当然ながら「鉄則によって保護される権利を失う」のである。それが「罰」という「鉄則の外部の世界」だ。

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こんな単純なことがまだわからない人のために、
もうひとつ、「自由」を例に、たとえ話を書く。

鉄則「人間には、誰にでも自由がある」
罰則「刑務所に収監されると自由はなくなる」

ここで試しに、死刑廃止論と同じロジックをわざと使ってみよう。

人間には自由がある、だから、たとえそれが犯罪者であろうと、社会がその犯罪者を刑務所に収監して自由を奪うことは、断じて許されない。

さて。
この話はロジックとして正しいといえるか。

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答え

いえない」。

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いえるわけがない。
「人間には、誰にでも自由がある」という「鉄則」を盾に、社会が犯罪人を刑務所に収監するという「罰則」を人権侵害だなどと主張する根拠にすることなど、できるわけがない。

もういちど書いておこう。

鉄則を犯した者は、鉄則によって保護される権利を失って、罰則という「鉄則の外部」に追いやられる。つまり、罰則は、「鉄則による制約」を受けない。

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証明が終わった。あまりにあっけない。

あらためて言う。
「死刑」という罰則の制度は、「人を殺めてはならない」という、いわば平時の社会が維持している鉄則による制約を「受けない」のである。


考えれば子供でもわかることだが、要は、死刑に反対するロジック自体がもともと矛盾の固まりである。

そもそも「人を殺してはならないという基本ルールを犯し、他人を殺した人間が、殺されてはならない」と考えること自体、論理矛盾である。人を殺してはならないというルールに背いた者が、人を殺してはならないというルールの絶対性を盾に保護されるべきだ、などと、「矛盾した論理」を振り回すこと自体が異常である。

逆に考えても、矛盾は明確だ。もし、鉄則を犯した人間にふさわしい罰が適用されないなら、鉄則は鉄則でなくなる。ならば、人間社会の鉄則そのものが存在しなくなり、殺人者が死刑になるのを阻止するロジック自体の存立根拠が消えてなくなる。

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死刑廃止論のこうしたまやかしのロジックは、クジラ漁批判や、ヴィーガン的な肉食の拒絶などと、どこかで通底している。それはある種の「度を越した潔癖症」であり、一歩すすめば強迫性障害のようなものであると自分は考える。

February 12, 2020

2018年11月に以下のツイートをもとに記事を書いた。

野球ファンにとって、「データ」といえば、「個人データ」、つまり、選手のプレーを分析したデータに過ぎず、それはゲームを決めているすべての要素ではまったくない。

引用元:2018年11月3日、現状でいうデータとは「個人のチカラ」であり、「チームのチカラ」ではない。 〜 「チームのチカラ論」 序説 | Damejima's HARDBALL


また、同じ2018年10月には「チームのチカラ」について書いた。

いま思うに、ジム・リーランド時代のデトロイトがシャーザー、バーランダー、ポーセロと、3人ものサイ・ヤング級投手を揃え、ミゲル・カブレラやビクター・マルチネスなど強打者をそろえても、ワールドシリーズを勝てなかったのは、たとえ個人それぞれに類まれな才能があっても、「チームの強さ」がそれを支えなければ、ワールドシリーズを勝てないという、単純な理屈だった。

2018年10月10日、2018年MLBの「チーム三振数」概況 〜 もはや時間の問題の「1600三振」。 | Damejima's HARDBALL

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そもそもチームとは、どんな「存在」だろう。
そもそも何を目的に存在しているのか。

チームは「ひとつの生き物」と、よくいわれる。チームが、単なる「個人の能力の合算」であるなら、集合体としてのチームが存在する意味がない。

それは、言い換えれば、チームには、「選手個人の能力とは別種のチカラ」が備わっていなければならない、という意味になる。


だが、その「チームに求められるチカラ」は、これまで明確な言葉で語られてきたか。まったくそうは思えない。むしろ、曖昧な勘だけに基づいた、曖昧な世間話だけが幅をきかせてきたとしか思えない。

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その曖昧な話を、この際、ハッキリさせていきたい。

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まず、「チームの仕事」とは、何か。

チームを、選手個人それぞれがもつ能力値の合算を超え、
プラスアルファ」を生みだせる組織にすること、だ。

野球というスポーツではよく、「ポストシーズンの戦い方は、レギュラーシーズンと同じではいけない」といわれるが、この点についても、これまでは具体性を欠く経験論しか語られてこなかったし、多くの指導者がレギュラーシーズンと同じ戦い方をして敗れ去ってきた。

レギュラーシーズンと同じではダメなら、では、どうあるべきなのか。
それについても(多少の極論を覚悟して)自分流に定義しておく。

レギュラーシーズンを「選手それぞれの能力の優劣によって行われる戦い」であるとするなら、ポストシーズンは、チームが創出する「プラスアルファのチカラ」の優劣が問われる戦いである。

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このように「チーム」「ポストシーズン」という2つを、「プラスアルファ」という単語でくくってみると、かつてデトロイトでジム・リーランドが、テキサスでロン・ワシントンが、ロサンゼルスでデーブ・ロバーツが、ワールドシリーズ優勝に手が届かなかったことに一定の説明がつく。

選手層の厚さにはまったく問題なかったが、
「チームとしてのプラスアルファを生み出す能力」が足りなかったのである。

プラスアルファの源泉がないままワールドシリーズに臨んだ彼らは、ロン・ワシントンやデーブ・ロバーツの継投ミスに代表される「マイナスアルファ」を表面化させ、大一番に負けた。

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では、チームが「プラスアルファを生み出せる場所」であるためには、何が必要なのか。言いかえると、チームがプラスアルファを生み出せない場所になっているとしたら、原因はどこにあるか。

2010年代後半の金満ドジャースを例にみてみる。
以下に近年のドジャースが「2012年以降あたりに獲得した有名選手と、その引退年度」を、引退年度順に示してみた。

ジョシュ・ベケット(2014年引退)
ダン・ヘイレン(2015年引退)
カール・クロフォード(2016年引退)
スコット・カズミアー(2016年引退)
アレックス・ゲレーロ(2016年自由契約)
エイドリアン・ゴンザレス(2018年引退)
ブランドン・マッカーシー(2018年引退)
チェイス・アトリー(2018年引退)
ハンリー・ラミレス(2019年時点で実質引退)
ジミー・ロリンズ(2019年引退)
マット・ケンプ(2019年実質引退)
カーティス・グランダーソン(2020年引退)

まったく酷いものだ。よくも、まぁ、「引退間際の有名選手」をこれだけかき集めたものだ。どれだけ多くの選手がキャリアの最後にドジャースから大金をせしめたことか。感心するしかない。

だが、このリストすら、「つぎはぎドジャースのすべて」ではない。他にも、シーズンが終わればいなくなるのがわかりきっている選手、マニー・マチャドやジョシュ・レディック、ダルビッシュなどに手を出し、ヤシエル・プイグなどのキューバ系に手を焼き、セイバー系のファーハン・ザイディをGMにしたかと思えば、あっという間にいなくなり、こんどはムーキー・ベッツ獲得に必死になっている。

ヤンキースと同じ、この金満チームがどれほど「つぎはぎだらけの、統一性のない、趣味の悪い豪邸」か、よくわかる。

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少なくとも言えることは、「つぎはぎだらけの家」でプラスアルファは生まれない、ということだ。

たとえば、ヒューストンがワールドシリーズを勝てたのはサイン盗みをしていたからだ、という説明は当たっていない。それだけが「理由」ではないからだ。
彼らのプラスアルファの一部がたとえ「インチキなサイン盗み」であったとしても、彼らには少なくとも、ドラフトの成功とその育成の成功、トレードの成功によって、チームの土台となる選手層の厚さと一体感があった。

ドジャースがワールドシリーズを勝てないのはサイン盗みされていたせいだ、という説明も当たっていない。彼らがポストシーズンを最後まで勝ち抜けないのは、それだけが「理由」ではない。
これほど右往左往し続けているドジャースがポストシーズンに毎年顔を出せるのは、単に「カネがあるから」でしかない。「つぎはぎだらけ」の家に住む成金の彼らには、「育ちの良さ」と「知恵」、つまり、「チームとしてのプラスアルファを常に生み出せる体質」がない。カネだけでワールドシリーズが買えるなら、カンザスシティが勝てたりはしない。

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もちろん、この程度の言葉を連ねたからといって、ポストシーズンの真髄を垣間見ることができるわけはないのだが、少なくとも「チームのチカラ」の真髄にちょっとずつ近づいて言語化していく上で、自分として大事な最初の一歩と考える。

October 16, 2019

ワシントン・ナショナルズのクローザー、ダニエル・ハドソンの育休取得に、「外部の人間」のくせして難癖をつけたのは、マイアミの元社長David Samsonデビッド・サムソン)だが、こいつがどういう人物か、もっと踏み込んで書かないと、この話のニュアンスが伝わるわけはない。(もちろん、いうまでもないが日本のマスメディア、日本人のMLBライターは誰ひとりとしてきちんと書かない)



ことは、まずは「1980年」にさかのぼる。

この年、デビッド・サムソンの実母シルビア・サムソンSivia Samson)が再婚した。シルビアはデビッド・サムソンがまだ幼い頃に一度離婚していて、デビッド・サムソンの父親はその離婚相手だから、再婚相手は義父(step-father)ということになる。

その再婚相手、義父が、
かのクソ野郎ジェフリー・ローリアJeffrey Loria)である。


ローリアが悪名高いファイアー・セールをやったモントリオール・エクスポズを買収したのは「1999年12月」である。2005年にジェフリー・ローリアとシルビア・サムソンは離婚することになるが、エクスポズ買収時点では、まだ離婚していない。デビッド・サムソンは当時30代に入ったばかりである。

ローリアは、エクスポズ買収と同時に、自分の義理の息子デビッドをすぐに「エクスポズ副社長(executive vice president)」に任命した。デビッドには野球経験も球団経営の経験もないのだが、エクスポズ買収に関与しただけでなく、ローリアによるマイアミ・マーリンズ買収でも大きな役割を果たしたといわれている。

MLBでは2つの球団を同時に所有することなどできない。マイアミ買収にあたってローリアはエクスポズを売却して、法外かつ理不尽な売却益を得た。ジェフリー・ローリアが、モントリオールとマイアミでどれほどの悪行を働いたか、ここで書くまでもない。いろいろな紹介記事があるだろうから、自分で調べてみるといい。


その後、ローリアが新しく買ったマイアミ・マーリンズが2003年にワールドシリーズを勝つことになった一方で、ローリアがぶち壊したまま捨てたエクスポズは、2004年にモントリオールでの球団史に終止符を打ち、ワシントンDCに移転する羽目に陥った。

この移転で「やっとジェフリー・ローリアと縁が切れたナッツ」は、「再建のための故意の低迷」を続けた。ドラフトをうまく利用し、スティーブン・ストラスバーグ、ブライス・ハーパー、アンソニー・レンドンなど、有力な全米1位指名選手を次々と獲得。チーム力を急速にアップさせて、いつしかナ・リーグ東地区の常勝チームとなった。

そしてついに2019年、球団創設以来初のワールドシリーズ進出を果たすことになった。

この快挙は「球団創設以来51年目」だが、そこでいう「球団創設」とは、もちろん「エクスポズが創設された1969年以来」という意味だ。きっとモントリオール市民も喜んでいることだろう。この快挙により、ワールドシリーズに一度も進出していないMLB球団は「シアトル・マリナーズのみ」になった。


エクスポズが球団名を変えて移転しなければならなくなる理由を作ったのが、ジェフリー・ローリアと、かつてエクスポズのエグゼクティブだった義理の息子デビッド・サムソンなのだから、この2人はいわば「エクスポズを窒息死させた張本人」なわけだが、そのデビッド・サムソンは、いまやワシントン・ナショナルズと何の縁もゆかりもない。
それどころか、マイアミをローリアから買い取ったデレク・ジーターの投資家グループはデビッド・サムソンをクビにしたので、もはやマイアミの球団オーナーですらない。
(そのジーターにしても、マイアミでジェフリー・ローリアまがいのファイヤーセールをやって、クリスチャン・イエリッチなどを安売りし、マイアミ・マーリンズを崩壊させた。いってみればジーターはジェフリー・ローリアのstep-son-ownner、「義理の息子同然のオーナー」だ)


その、「いまやワシントン・ナショナルズとはなんの縁もゆかりもないデビッド・サムソン」が、51年ぶりにとうとうワールドシリーズ進出を果たした「かつてのエクスポズ」に、外野から難癖をつけたのである。自分と義父のせいでエクスポズを弱体化させておいて、遠くからナッツのワールドシリーズ進出にお祝いコメントをするどころか、重箱の隅をつつくような嫌がらせを言うのだから、義理の父と同じく、まったくもってクソ野郎としか言いようがない。

外野からケチをつけようとしたデビッド・サムソンの、この曲がった根性ときたら。かつてのエクスポズファンなら、「黙ってろ、このクソガキ」と言うところだろう。

January 25, 2019

ロイ・ハラデイがどういう意味で凄いピッチャーだったか。それを語るのにちょうどいいデータがあった。
以下のツイートによると、100年を越えるMLB史においてハラデイは「200奪三振以上、かつ与四球40以下」を5回も達成した唯一のピッチャーだったらしい。




この記録自体、たしかにすさまじいが、
同時に「誤解されやすいデータ」でもある。

というのは、
ハラデイが「豪腕タイプのピッチャーだったから、三振をたくさんとれて、大記録が達成できた」わけでは、まったくないからだ。彼は160キロを越える速球をブンブン投げるような手法で年間200もの三振を奪っていたわけでは、まったくない。

むしろ、ハラデイの真骨頂といえば、「球数が非常に少ないこと」だ。
完投数の多さをみればわかる。



上のツイートの顔ぶれをみてもらえばわかることだが、「200奪三振、かつ与四球40以下」という記録の複数回達成者には、クリス・セール、コーリー・クリューバー、クレイトン・カーショーといった2010年代のピッチャーの名前が多い。
2010年代の投手たちの三振数の記録はあまりアテにならない。それは、このブログで何度も書いてきたように、2010年代がMLB史で最も三振数が多い「三振の世紀」だからだ。ロイ・ハラデイ、クリフ・リー、ペドロ・マルチネスが活躍した2000年代は、それ以前と比べれば三振が多くなった時代ではあるにしても、2010年代ほどの酷さではない。


では、「球数が少ないハラデイに、なぜ数多くの三振がとれた」のか。ここからが話の本番だ。


以下のデータを見てもらいたい。
フィリーズ時代のハラデイのデータだ(2011年6月10日カブス戦)。「球種ごとの水平方向と垂直方向の変化」がわかる。

2011年6月10日のRoy Halladay

2011年を選んだのにはちょっとした理由がある。
彼の投球術としての完成形が2011年にあると思うからだ。

たしかに彼の2010年シーズンは輝いている。フィリーズでリーグ最多の9完投21勝を挙げ、完全試合とノーヒットノーランを同じシーズンに達成し、サイ・ヤング賞も受賞している。
だが、彼の自己最高の防御率2.35、自己最多の220奪三振が記録されたのは、その2010年ではなく、5年連続のリーグ最多完投を達成した翌2011年なのだ。
(ちなみに2012年以降、ハラデイはもはや往年のチカラがなくなってしまい、故障や肉体的な衰えから「らしさ」が決定的に失われて、2013年に引退した)


本題に戻ろう。
上のデータをクリックして拡大して眺めてもらいたいが、「同じ色のドット(点々)が、ほぼ同じエリアに集中している」。
どういう意味かというと、カットボール、カーブ、シンカー、「それぞれの球種が、ほとんどの投球において、ほぼ同じ変化をしている」ということだ。


ハラデイのデータだけみせると、「なんだ、そんなことか」と言われても困るので、他の投手をネガティブな例として挙げてみる。2017年のある日本人投手のデータだ。

ドットが非常にばらついている。どれだけピッチングが「なりゆきまかせ」か、わかるはずだ。
つまり、このピッチャーは「自分の投げた球が、どこに行くのか、わからないまま、なりゆきにまかせて投げている」のである。三流であることの証にほかならない。なりゆきまかせで名選手になれるなら、誰も苦労なんてしない。(ましてステロイドなんて論外である)

2017年6月6日の田中将大



世の中には、MLBのピッチャーはパワーにまかせて、なりゆきまかせに投げていると決めつけている人が大勢いる。

とんでもない。

「なりゆきまかせでないMLBピッチャー」の例を、もうひとりだけ挙げてみる。ハラデイのデータと同じ2011年のクリフ・リーである。

2011年6月28日のCliff Lee

見事としか言いようがない。
カーブ、チェンジアップ、シンカー、カットボール。すべての球種が、「常に同じ変化でキャッチャーに到達している」。
「ドットの分布エリア」が球種ごとに完全にスッパリ分かれて分布していることからわかるように、このゲームでのクリフ・リーは、往年のロイ・ハラデイ以上に「変化球のメリハリ」がすさまじい。カーブは「カーブらしく」、シンカーは「シンカーらしく」、カットボールは「カットボールらしく」変化し、しかも、それらの投球すべてがなんと、「自分の思ったところに投げている」のである。


これこそ真の意味での「ゲーム・コントロール」であり、「ゲームの支配力」だ。

「完投が非常に多い」ということは、100球制限のあるMLBにおいては、「球数が少ない投球ができる」ということだが、「球数の少なさ」は往々にして「奪三振の多さ」と両立しない。例えばダルビッシュやフェリックス・ヘルナンデスなどもそうだが、奪三振の多いピッチャーでたくさんの球数を投げるピッチャーなど、いくらでもいる。そんな投手は二流にしかなれない。


クリフ・リーが「ストライク率の異常に高い、ストライクばかり投げる稀有なピッチャーだった」ことは、過去に何度も記事にしてきた。
2010年6月7日、クリフ・リー、シアトルが苦手とするアーリントンのテキサス戦で貫禄の107球無四球完投、4勝目。フィギンズの打順降格で、次に着手すべきなのは「監督ワカマツの解雇」 | Damejima's HARDBALL
2010年10月6日、クリフ・リー、タンパベイを10三振に切ってとり、ポストシーズンまず1勝。フィラデルフィアでもみせた大舞台でのさすがの安定感。 | Damejima's HARDBALL


「球数が少ないのに、三振をとれる投手」であり続けるようとするなら、無駄な球は一切投げられない。また、自分が意図しないところにいってしまう荒れ球など、まったく必要ない。常に思ったところに投げ、常にストライクで勝負し、バッターを翻弄し続けなければならない。それが、ロイ・ハラデイやクリフ・リーだ。


投手がコントロールすべきなのは、ボールではない。
自分自身だ。

ロイ・ハラデイが、いかに真の意味での大投手だったか。少しだけでもわかってもらえたら、幸いである。

January 23, 2019

Roy Halladay(@RoyHalladay)さん  Twitter
ロイ・ハラデイの「2017年11月5日で止まったままのツイッターアカウント」には、いまだに6万4千人ものフォロワーがいる。例えば有名MLBライターのひとり、Jason Starkなども、いまだにフォローしている。理由はいまさら言うまでもない。


自分は、というと、いまはフォローしてない。「好きなプレーヤーだからツイッターをフォローする」という習慣自体が自分にないからだと思う。例えば、もしイチローがツイッターをやっていたとしても、もしかするとフォローしないかもしれないのである。
自分の場合、ツイッターでのフォローはあくまで情報収集が目的だ。フォロー対象は、あくまでKen Rothentahlなどの有名なMLB情報源であり、申し訳なくは思うが、自分をフォローしてくれたMLBファンを相互フォローすることは、ほとんどない。
ちなみに、言い訳がましく書いておくと、Ken RosenthalやJon Heyman、HardballTalk、Bob Nightengaleなんかも、ロイ・ハラデイのアカウントを今はフォローしてない。


いまもハラデイのアカウントをフォローしている人の中には、Jason Starkのほか、引退したMichael Youngや、MLBライターのPeter Gammonsなどがいる。マイケル・ヤングのこういう義理堅いところが好きだ。ちなみに、マイケル・ヤングのフォロワーは4万6千人あまりなので、既に鬼籍に入っているロイ・ハラデイより約2万人ほど少ない(苦笑)



さきほど、ロイ・ハラデイのツイッターをひさしぶりに覗いて、「殿堂入りおめでとう」と言ってみた。いわば「ツイッター墓参り」である。

彼がどういう野球選手で、どういうプレーをしたか、知らないまま野球を見ている人がいたら、どう説明したらいいだろう。よくわからないが、「初めてのポストシーズンのゲームでノーヒット・ノーランをした投手なんだぜ」とでも言えば、少しは興味をひくのだろうか。

そんな短すぎる言葉で彼の本当の偉大さや魅力が伝わるわけはない。本当なら彼がデビッド・オルティーズを手も足も出ないまま三振させた打席の配球なんか見てもらいたいところだが、そういう単純なきっかけで生前の彼に対する興味があらためて湧いてくれたらいいなと思う。

2017年11月7日、大投手 ロイ・ハラデイ。 | Damejima's HARDBALL

メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』 序論:2009年9月30日、大投手ハラデイの「配球芸術」を鑑賞しながら考える日米の配球の違い | Damejima's HARDBALL

January 09, 2019



上に挙げたリンクは、ダイヤモンド・オンラインに2019年1月7日掲載されたクソ記事である。クレジットは「清談社 福田晃広」となっているが、「2000試合以上を取材してきたMLBアナリスト古内義明」に話を聞いたという体裁になっている。カノーの所属球団が間違っていることからしてライターはMLBに詳しくない人間だろうから、情報の責任の所在は実質、古内某ということになる。

その古内なる人物、記事中で、こんな「わけのわからないこと」を言っている。
「日本人内野手で、今後もし可能性があるとすれば、スピードがあり、中距離打者以上のパワーがある二塁手かと思います。たとえば、ホセ・アルトゥーベ(ヒューストン・アストロズ)やロビンソン・カノ(シアトル・マリナーズ)のような、シーズンでホームランを30本ほど打てるタイプですね。ただ、今の日本のプロ野球界で、その条件に合う選手を見つけるのは正直厳しいです」


何を根拠にこういうわけのわからないことを言ってるんだ。と、言いたくなる。


まずは総論の間違いだ。

セカンドからいこう。

MLBの100年を超える歴史の中ですら、「30本ホームラン打てた2塁手」なんて、「のべ39人」しかいない。複数回達成者がいるので、選手数はその半分くらい、たった「20数人」しかいない。その「20数人」にしても、ロジャー・ホーンスビーのような古い時代の記録を除くと、大半が「2000年以降」の記録で、おまけに飛ぶボールなどでホームランが無駄に量産される「ホームランと三振の時代である2010年代」の例が多く含まれている。

つまり、MLBの、どの時代、どの選手を見て、そういう「空想」をしたのか知らないが、「ホームランを30本ほど打てるタイプしかMLBの二塁手になれなかった時代など、MLBのどこを探しても存在しないのである。


個々の例についてもみてみる。

「30本打てる内野手の例」としてホセ・アルトゥーベが紹介されている。だが彼は24本打ったシーズンが2度あるだけで、30本打ったことなど、一度もない。なのに、「30本打てるタイプ」に挙げるのは、どうかしている。彼の「シーズン平均ホームラン数」は、いまのところ「14本」。これは「歴代のホームランを打てるタイプの二塁手」より10本は少ない。だから、アルトゥーベはそもそも「30本打てる二塁手」というカテゴリーには到底入らない選手なのである。

カノーはたしかに、2度「シーズン30本以上のホームラン」を記録している。だが、こいつはアレックス・ロドリゲスやバリー・ボンズと同じ、「ステロイダーのクソ野郎」であって、その記録は詐称にすぎない。そして、その「ステロイド・ホームランのカノー」ですら、シーズン平均は「24本」に過ぎない。


近年「ホームラン30本打った二塁手」でいえば、挙げるべきなのは、達成2回のカノーより、2000年代後半に3回記録したチェイス・アトリーやアルフォンソ・ソリアーノだが、上の記事はアトリーもソリアーノも名を挙げていない。
アトリーのシーズン平均も「22本」で、ロビンソン・カノーとたいして変わらないが、ステロイダーでないだけマシというものだ。ちなみにイアン・キンズラーも、カノーと同じ2回、30本を達成しているが、シーズン平均は、アトリーと同レベルの「22本」で、30本には到底届かない。

「30本打たないとメジャーの二塁手になれない」などという設定はまったくのデタラメだ。


他の基本的な間違いも指摘しておこう。

最初に挙げた記事が配信されたのは「日本時間1月7日6:00」のようだが、その時点でカノーはとっくにシアトルの選手ではない。印刷媒体なら印刷後にトレードされたと言い訳もできるが、電子版は直そうと思えばいくらでも直せたはずだ。だらしないにも程がある。

また、日本の二塁手には、30本をそこそこコンスタントに打っている山田哲人がいるわけだが、どういうわけかこの記事は触れていない。これも解せない。自分は山田哲人がMLBで活躍できると思ったことはまったくないが、だからといって、「今の日本のプロ野球界には、30本打てる内野手はひとりもいない」と、上から目線で決めつけるのはおかしい。



次にショートについて。

総論はセカンドと同じである。
MLB100年の歴史で、「30本ホームラン打てたショート」なんてものは、奇しくもセカンドと同じ、「のべ39人」しかいないのである。この「のべ39人」には、カノーの先輩で、同じステロイダーのクソ野郎であるアレックス・ロドリゲスや、ミゲル・テハダなどの「ステロイダーのニセ記録」が含まれているから、リアルな達成者となると、もっと少ない。

個々の選手でみると、「ホームラン30本」は、例えばデレク・ジーターは一度も達成していない。ジーターに似たバッターで、同じ3000安打達成者でもあるロビン・ヨーントも達成してはいない。カル・リプケンはジーターより遥かに長打力があったバッターだったが、リプケンですらわずか一度しか30本を達成していない。

30本を2度達成したショートは、例えばノマー・ガルシアパーラ、トロイ・トロウィツキー、ジミー・ロリンズ、近年ではフランシスコ・リンドア、マニー・マチャドなどがいる。
ホームラン20本台後半の記録も、これら「30本を2度達成している選手」が達成した記録であることが多いために、ショートのハードルをもっと下げて、「25本以上」としたとしても、そのメンバーは「30本以上」とほとんど同じ顔ぶれにしかならない。

逆にいえば、30本打てるホームランバッターではないのにメジャーのレギュラーのショートになった選手なんて、掃いて捨てるほどいるし、むしろ、そちらのほうが「普通」だ。


これは余談だが、こうしてMLB全体を眺めたとき、「この2010年代に限って、ホームランを30本打ったセカンド、ショートが何人も出現しているのであるわけで、そのことは、「今のMLBが『三振かホームランかという異常な時代』であることの証拠」そのものである。
「2010年代に限ってホームランを30本打ったセカンド、ショートが何人か同時に出現した」ことは、その選手たちの実力がどれも「殿堂入りレベル」だから、ではなく、「飛ぶボール」とか、カノーのように隠れてステロイドをやって隠蔽薬を使っているせいだとしか、自分は思わない。


総じていえば、MLBのセカンドとショートを「ホームラン数」を基準にして「レギュラーとして通用するレベル」を設定するなら、「ホームラン30本」なんてものは、「殿堂入りレベルの選手」か、「ステロイダー」の記録でしかなく、それらはいずれも「特殊な例」でしかない。
「ごく普通のレベルのMLBのレギュラーのセカンド、ショート」を、ホームラン数でハードル設定するとしたら、20本どころか、なんだったら高打率ならという条件つきで「ホームラン15本」程度でまったくかまわない。実際デレク・ジーターがそうなのだ。

「MLBのセカンド、ショートは30本打てるのが当たり前」なんて話は、単なる空想に過ぎない。




November 04, 2018

この秋、最も強く意識したことは、
野球ファンにとって、「データ」といえば、「個人データ」、つまり、選手のプレーを分析したデータに過ぎず、それはゲームを決めているすべての要素ではまったくない
ということだ。



今にして思うと、なんでこんな簡単なことを今まで気づかなかったのだろう。

野球はチームスポーツなのだから、選手個人個人のプレー分析だけで、ゲーム結果が評価できるはずもない。にもかかわらず、「チームのチカラ」の判定は、評価の表面に現れてはこない
(もちろん、言うまでもないことだが、個別のチームは内部に「他チームのチカラを分析した非公開データ」をたくさん持っているはずだが、それらは色々な意味で「一般化」されてはいない)



ボストンが地区優勝監督であるジョン・ファレルをクビにして、ワールドシリーズを勝ったヒューストンからアレックス・コーラを監督に迎えたが、これはつまるところ、「チームのチカラ」を向上させるための策であり、この他に類を見ない試みは、2018年のワールドシリーズ優勝で早くも結果が出た。

今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。

ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。

出典:2018年10月10日、2018年MLBの「チーム三振数」概況 〜 もはや時間の問題の「1600三振」。 | Damejima's HARDBALL



真逆のケースでいえば、テキサスが強かった2010年代初頭に、短期決戦の才能が皆無なロン・ワシントンが監督としてワールドシリーズ制覇を2度も逃している例がある。このケースではテキサスは解雇どころか、ワシントンに2015年までの契約を提示して、結局チームの「プライムタイム」を無駄にした。テキサスには、ボストンのような才能、つまり、チームのチカラを見極める才能がまったくなかった。

NPBの広島が、この3年間リーグ連覇を達成しながら、一度も日本シリーズを勝てていない。これもロン・ワシントンとほぼ同じで、「短期決戦におけるチームのチカラの欠如」が原因だが、監督はクビになっていない。


この短い紙幅と足りないアタマで、「チームのチカラ」とは何か、そして、それを測定する方法論を論じきるのは無理な話だが、少なくとも言えることは、OPSにみられた打率軽視のホームラン主義はむしろ「チームのチカラ」の向上にとってマイナスであることがハッキリした、ということである。




日本シリーズ2018において広島は、非常に低打率の打者ばかりが並んでいる低調な打線において、必死になって盗塁しようとしたわけだが、そういう行為には意味がない。
なぜなら、たとえほんのわずか盗塁が成功したとしても、次の打者にタイムリーが出るような打線状態ではないからだ。


2018年のヤンキース打線にしても、「アダム・ダン的な低打率ホームランバッター」ばかり並べたわけだが、そんな「確率の低いことに命をかけるギャンブル戦略」でタイムリーが頻繁に出るわけはない。当たり前の話だ。
参考記事:2014年10月20日、やがて悲しきアダム・ダン。ポスト・ステロイド時代のホームランバッター評価の鍵は、やはり「打率」。 | Damejima's HARDBALL


レギュラーシーズンは、他チームをロクに分析しもしない、あるいは、分析できていてもそれを確実に実行する能力のある選手がいない、あるいは、分析の必要性はわかってはいるが資金が無い、そういう「チグハグなチーム」を、シーズンの半分以上のゲームで相手にする。
だから、ヤンキースのような「100年前のベーブ・ルース時代そのままの、あまりにも古くさい編成」や、ロン・ワシントンや広島のような、「選手頼み、運頼みのチーム運営」でも、なんとかなってしまう。


だが、ポストシーズンはそうはいかない。

ポストシーズンでは、相手の戦力分析くらい、どこのチームでもやる。また先発投手のレベルも上がる。
当然、(普通なら)主力打者の打撃は封じられ、お互いの打線が低調に推移することになるから、先発投手の出来や、継投タイミングなどがゲームを大きく左右する最大のポイントになる。

打線では、レギュラーシーズンで大活躍した主力打者でも、弱点ばかり突かれるポストシーズンでは絶不調に陥ることがよくある。かわりに、分析のメインの対象にならないダークホース的な選手が意外な活躍をみせることも多い。調子の最悪なレギュラー打者(例えば広島の菊池)を上位打線に残すべきか、残すとしたら、どんな仕事をさせるかもポイントのひとつになる。


こうして眺めたとき、「互いのストロングポイントを封じあう」のが当たり前のポストシーズンにおいて、ゲームを左右する「チームのチカラ」のかなりの部分が、「戦略決定者の状況判断能力」なのがわかる。(決定者は監督とは限らない)



選手個人のチカラ以外の、「チームのチカラ」に関する議論が必要なときにきていると思うし、数字で知りたいとも思うわけだが、同時に、それは簡単ではないとも思う。

たしかに、あの監督は継投が上手いとか、選手からの信頼が厚いとか、あのジェネラル・マネージャーはトレードが上手いとか、そういう「印象論」には意味がないが、では、何を対象に、どう測定して、どう語るか。それは簡単なことではない。また、セイバーメトリクスもそうであるように、数字にできたからといって、数字の根本に錯誤があれば、その数字は客観的ではない。数字にも「洗練」「見直しの繰り返し」が必要なのだ。


今の自分にできることが、例えば日本シリーズの個々の場面で、「チームのチカラ」に関する状況判断の正しさや間違いを、根拠を挙げつつ指摘することくらいしかないのは、たいへん残念だ。
誰それのポストシーズン継投成功率は何パーセントだとか、トレードへの投資がチームにもたらした貢献度が何パーセントとか、そういう「誰でも思いつく簡単なことを手始めに、「チームのチカラに関する分析」だけでなく、「チームのチカラにかかわる人間たちの能力判定」がもっと進むべきだと思う。

October 11, 2018

何度も書いているように、2010年代MLBは「三振の世紀」だ。

参考記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



いまでは信じられないかもしれないが、2000年以前には「1年に1300三振するチーム」など、ひとつもなかった

それが2001年にミルウォーキーが初めて「1399三振」を記録して以来、2000年代に「1300三振」が毎年1〜2チームずつ出現するようになった。
これが2010年代前半になると、全体の1/4〜1/3の球団が「1300三振」するようになり、さらに2016年以降の急増で、2017年には全体の2/3が、2018年にはなんと全体の90%が「1300三振」を超えてしまい、とうとう「1300三振するのが当たり前の時代」が2010年代後半に到来してしまった。


1400三振」が初めて登場するのは2010年アリゾナだが、それでも2010年代前半は1年に1チームか2チームでしかなかった。だが2010年代後半になって激増し、今では全チームの1/3が「1400三振」するようになって、「1400三振」はもはや珍しくない。

さらに「1500三振」は、いくら「三振の世紀」2010年代とはいえ、かつては登場しても年に1チームの「例外」に過ぎなかった。だが2016年以降、複数のチームが「1500三振」するようになり、2018年に史上初めて3チームが「1500三振」を越え、「史上初の1600三振チームが登場するのは時間の問題」となっている。

1500三振以上(計10チーム)

2018年 CHW(1594) SDP(1523) PHI(1520)
2017年 MIL(1571) TBR(1538)
2016年 MIL(1543) SDP(1500)
2015年 CHC(1518)
2014年 なし
2013年 HOU(1535)
2012年 なし
2011年 なし
2010年 ARI(1529)


1400三振以上(計34チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN
2015年 CHC
2014年 CHC HOU MIA
2013年 HOU MIN
2010年 ARI


1300三振以上(計103チーム)
2018年 CHW SDP PHI TEX SFG ARI MIL LAD NYY BAL NYM COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR MIA OAK STL CIN DET MIN KCR LAA
2017年 MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR WSN DET
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL



たぶん、世の中には三振なんかいくらしても得点できればいいのさ、などと、いまだにタカをくくっている人が数多くいると思う。

だが、2018年MLBで「最も三振数が少なかったチーム」は、最も少ない順に、CLE、HOUで、BOSが5位であることくらい覚えておいて損はない。

ちなみに今年のチーム打率は、良かった順に、BOS、CLE、CHC、TBR、ATL、COL、HOUである。この中に「ポストシーズンに行けたチーム」「勝率の高いチーム」「チーム力が回復したチーム」が何チームあるか。2010年代の中期以降に打率のいいチームが活躍する例は、カンザスシティやヒューストンのワールドシリーズ制覇など、枚挙にいとまがない。
フライボール革命などといった嘘くさい話など、どうでもいい。「打率重視」こそ真のトレンドである。



2017年の記事で、ボストンが地区優勝監督ジョン・ファレルをクビにしたことについて、こんなことを書いた。

ボストンが、地区優勝し、なおかつ2018年まで契約が残っていた監督ジョン・ファレルをあえてクビにし、ワールドシリーズを勝ったヒューストンのベンチコーチ、アレックス・コーラを監督に迎えた。
もちろん、チーム独自の個性にこだわりたがる目立ちたがりのボストンがヒューストンとまったく同じ戦術をとるとは思えないが、少なくとも、これまでボストンが長年やり続けてきた「過度なまでの待球」をバッターに強いる「出塁率重視の戦術」がピリオドを迎えたことだけは間違いないだろう。でなければ、ここまで書いてきたことでわかるように、四球を重視しない2017ヒューストンのベンチコーチを、地区優勝監督をクビにしてまでして、わざわざ監督に迎える必要がない。

2018年にボストンの打撃スタイルがどう変わるかを見ることで、2017年のヒューストン・レボリューションがどういうものだったか、逆算的に眺めることになるかもしれない。

2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL



かつてのボストンは、待球が大好きで四球数の多い、出塁率超重視のチームだったが、チーム三振数は、2013年、2014年と「1300」を越え、三振数トップから数えたほうが早い「三振の多いチーム」でもあった。四球数の多さは、けして三振数激減を意味しないのである。

だが、今年のボストンの打撃スタイルは、ホームラン数こそ全体9位だが、ダスティン・ペドロイア不在にもかかわらず、打点、得点でMLBトップ、打率でもMLBトップ。そして三振数1253は全体5位の「少なさ」と、中身が濃い。

ボストンが、思い切りのいい監督交代で、チーム内のケミストリーとオフェンスの質を劇的に変え、「より多くのヒット、より多くのタイムリーを打っていくことで、着実に打点を稼ぐヒューストン流に転向した」ことは明らかだ。


いま思うに、ジム・リーランド時代のデトロイトがシャーザー、バーランダー、ポーセロと、3人ものサイ・ヤング級投手を揃え、ミゲル・カブレラやビクター・マルチネスなど強打者をそろえても、ワールドシリーズを勝てなかったのは、たとえ個人それぞれに類まれな才能があっても、「チームの強さ」がそれを支えなければ、ワールドシリーズを勝てないという、単純な理屈だった。

そのことは、2018年ボストンの「変わり身の成功」が証明している。




October 08, 2018

2000年以降のMLBとDETの観客動員数の相関
赤:MLB 青:DET

2000年以降のMLBで「観客動員数が激減したシーズン」が、2002、2009、2018年と、3シーズンあり、そのいずれのシーズンにおいてもデトロイトの観客動員が激減していること、デトロイトの観客動員数そのものがMLB全体の観客動員の動向と連動する傾向にあることを示した。
2018年10月4日、2004年以降ではじめて観客動員数が7000万人を割り込んだMLB。観客動員数の動向を如実に反映する「マーカー球団」を発見。 | Damejima's HARDBALL


近年の「激減局面」において、「デトロイトの観客動員数が、MLBの観客の連動している」ことは、理由はまだ判然としないものの、ほぼ疑いない。


では、「急増局面」では、どうだろう。

2000年以降、観客動員数が前年に比べて急増したシーズンは、なんといっても「2004年〜2007年」が筆頭で、あとは2012年に小さく上昇した程度だ。以下に2004年〜2007年に「年間40万人以上、観客動員数が増加した球団」とその年の地区順位を列挙してみる。

2004
PHI(2位) SDP(3位) HOU(2位 NLCS進出) DET(4位) FLA(3位 前年WS制覇) TEX(3位)

2005
WSN(5位) NYM(3位) STL(優勝 NLCS進出) CHW(優勝 WS制覇)

2006
CHW(3位 前年WS制覇) DET(2位、WS進出) NYM(優勝 NLCS進出)

2007
MIL(2位) NYM(2位) DET(2位) PHI(優勝 NLDS進出)

かなりの数の地区順位「2位」があるのが、ちょっと面白い。スポーツファンが優勝に興奮するのは当然の話だが、ある意味、「ドラマチックな2位」にこそ興奮する、そういうものなのかもしれない(笑)


「急増」リストに複数回出現するチームは4つ(DET、NYM、CHW、PHI)あるが、3回以上出現するチームは、DETNYMの、2つだけしかない。
結局、「激減」「急増」の両面みて、そのほとんどに登場するチームは、30球団のうち「デトロイト・タイガースだけに限定される」。
デトロイト・タイガースが、MLB全体の観客動員増減に非常に連動しやすい球団、マーカーであることは、もはや疑いようがない。



さて、2000年以降の観客数の激減と急増、両局面を見たことで、もうひとつわかることがある。

デトロイトのような「激減と急増を繰り返している球団」はむしろ例外で、ほとんどのケースでは、「激減をたびたび経験した球団」と、「急増をたびたび経験した球団」とが異なっていることだ。

減少 PIT、CLE、TEX、MIA(FLA)、BAL
増加 NYM、CHW、PHI


「観客動員が急激に増減する要因」は、大小いろいろ考えられる。
ネガティブ面では、チーム低迷、人気選手の移籍や引退、ファイヤーセールなど。ポジティブ面では、前年のワールドシリーズ制覇で翌年の期待が高まったことや、地区での好成績、ポストシーズン進出など。


では、「チーム成績がすべて」か。

もしそうなら、大半のチームがデトロイトと同じように「チーム低迷時の激減」と「好調時の急増」を繰り返していなくては、辻褄があわない。
だが、事実は違う。チーム好調時の観客急増はよくあるが、低迷時の観客激減をすべてのチームが経験するわけではない


リスト全体を何度となく眺めていて、単なる直感ではあるが、こんなふうに思えた。

メインの仮説

MLB球団の観客動員の「特性」は、実はチームごとに異なっており
以下の4種類くらいに大別される

熱しやすく、冷めやすい 例 DET
熱しにくく、冷めやすい 例 PIT CLE TEX MIA BAL
----------------------------------
熱しやすく、冷めにくい 例 NYM CHW PHI
良くも悪くも大きな変化はしない 大都市の人気球団

おしなべて、中小都市にあるチームのファンは「冷めやすい」。対して、シカゴ、ニューヨーク、ロサンゼルスなど大都市マーケットのチームはおおむね「冷めにくい」。


もし上に挙げた「仮説」が正しいとしたら、
次に、以下のようなことが連想される。

メイン仮説からの敷衍

中小マーケットのチームは「冷めやすい」。一度観客を手離してしまうと、再び観客を取り戻すのに時間がかかり、容易ではない
対して、大都市マーケットのチームの観客動員は、固定観客が多数いるため、「冷えにくい」。したがって、チーム成績による集客への影響が常に小さくおさまる。




ここにきてようやく、「2018年の観客動員が7000万人をひさしぶりに割り込んだ理由」に「仮説」を立てられそうだ。

2018年のMLBマーケットが縮小した理由

ただでさえ「冷えやすい」中小マーケットの多くが、チーム低迷と、チームの核の人気選手の大都市チームへの放出などによって、「急激に冷やされた」ことによると、推定される。


2018年の大都市チームの概況

2018年はドジャース、ボストン、ヤンキース、カブスなど、「大都市チーム」が同時にポストシーズン進出し、チーム補強のために過度ともいえる「選手狩り」を行った。(例 マッカチェン、マチャド、スタントン、JDマルチネス、ハップ、ハメルズ、ランス・リン、キンズラーなど多数)

だが、大都市チームの集客力は常に上限付近にある。単年のポストシーズン進出や、有名選手の集結程度で、大都市チームの観客動員が激増することはない。

2018年の中小マーケットの概況

シーズン100敗チームが続出する中、かなりの数のチームが一斉に低迷を迎えてしまい、中小マーケットは一斉に冷えこんだ。

「中小マーケットの人気選手」はもともと限られた数しかいないわけだが、これが一斉に大都市チームに移動し、中小マーケットはより冷却されることになった。


このブログでは、マイアミGMに就任したデレク・ジーターがチームを無意味に解体したことをたびたび批判してきたわけだが、その判断にはやはり間違いがなかった。マイアミに本当に足りなかったのは、無駄な再建ではなく、「先発投手陣を買い集める資金」だ。


大規模なリビルドやファイヤーセールがファン心理に与える影響が、大都市マーケットと、冷えやすい中小マーケットとで、まるで違うインパクトをもつことを、多くの人が忘れすぎている。

大都市チームは「リビルド速度」が早い。
それは、豊富な資金力によって、チームに「強い回復力」が備わっているからだ。ファンのマインドも、選手の回転に慣れているから、リビルドの影響が小さくて済む。

だが、資金に限度がある中小マーケットでは、有力選手を簡単には買い戻せない。そのため若手を育てる戦略をとるわけだが、それには一定の時間がかかる。また、育った選手への愛着も強い。
中小マーケットでは、大規模なリビルドやファイヤーセールで一度マーケットを「冷却」してしまうと、チーム再建に時間がかかるだけでなく、ファンのマインドを再び温めなおしてボールパークに呼び戻すのにも、かなりの時間がかかるのである。


上に書いたような「規模の違いによるビヘイビアの違い」はなにも今年に限ったことではなく、昔からあったことだが、問題なのは、MLBマーケット全体の拡大のキーポイントが、飽和状態にある大都市マーケットにあるのではなく、むしろ「中小マーケットを過度に冷却しすぎないこと」にあることを忘れて、大都市マーケットにばかり熱中したがる視野の狭い人間たちが今のMLBやマスメディアを主導している点だ。

ロブ・マンフレッドは、大都市に選手が集結して、バットをやたらと振り回して三振とホームランを繰り返すような「雑なマーケティング」を誘導して、中小マーケットを冷やしたことを、心から反省すべきだ。

October 07, 2018

CLE対HOUのALDS Game 2がたいへん面白かった。


あとからデータだけを見た人は、12三振を奪ったヒューストン先発ゲリット・コールのピッチングのほうが圧倒的で、6安打を打たれたクリーブランドのカラスコはヨレヨレだった、と思うかもしれない。

だが、実際の「5回までの展開」はまったく異なる。

例えば、5回までの投球数

毎回のようにシングルヒットを打たれるカラスコのほうが、むしろ三振をバカみたいにとったゲリット・コールよりたしか「15球ほど少ない」。

これは、ストライクを積極的に投げて三振をとろうとするコールと対照的に、この日のカラスコは打ち気にはやるヒューストンに、ボール球から入って、ヒットにできない球を振らせ、結果的に球数をセーブするピッチングができていたからだ。(ちなみに、カラスコは2017年に226三振を記録しているように、三振をとれないピッチャーではまったくない。なので、球威がないからこういう投球をしたわけではない)


5回までの四球数が両軍ゼロだったことをみても、同じことがいえる。

三振の山を築いたクリーブランドが四球どころではなかったのに対し、打ち気にはやるヒューストンが早いカウントからボール球をひっかけてカラスコを助けたために、結果的に、両方のチームに「四球を選ぶ余裕」がなかった。

ゲリット・コールが相手をチカラでねじふせたて圧倒したのに対して、カラスコは相手のはやる気持ちを利用したのである。



5回が終わっても、ヒューストンは、毎回のようにシングルヒットが出るものの、「ランナーを貯める場面」がまったくなく、長打も出ないまま、無得点に終わっていた。
他方、クリーブランドは、たった2安打で三振の山。だが3回、フランシスコ・リンドアが偶発的なソロホームランを打ち、この1点のリードを死守する。

投球数は、カラスコが60ちょっとで、コールが80球に近づきつつあり、5回終了時点では、圧巻のピッチングをしたゲリット・コールがむしろ先に降板し、ヒットを打たれ続けたカラスコが無失点のまま7回まで投げてしまうという逆転現象が起こる雰囲気にあった。


この日のカラスコのピッチングが最も効果的だったのは、次のシーン。

3回表に超劣勢のクリーブランドが1点勝ち越して、その裏にすぐヒューストンは1死1、3塁と、絶好のチャンスを作った。打席には、今年膝痛に悩まされたホセ・アルテューべ

ここは外野フライでも、ボテボテの内野ゴロでも、同点になるはずの場面だが、アルテューべは最初の2つのボール球に手を出して追い込まれ、4球目のチェンジアップを引っかけてサードゴロ、ダブルプレーと最悪の展開。ヒューストンにとって、試合の流れは一気に悪くなった。

2018ALDS Game 2 CLE vs HOU 3rd inn. Altuve DP初球 Slider Foul
2球目 Changeup Foul Bant
3球目 4seam Ball
4球目 Changeup 併殺

ソース:Indians vs. Astros Play By Play | 10/07/18



流れが変わるのは、6回裏だ。

先頭アルテューべがまたもやアウトコースの変化球に手を出し続けた挙げ句、サード前にゆるいゴロ。これが内野安打になって、打者はアレックス・ブレグマン

ここまでのパターンなら、ここでブレグマンがカラスコのボール球に我慢ができずに手を出して併殺とか、ランナーが入れ替わるだけの凡打に終わるところだっただろうが、ブレグマンは最初の2球のボールを見逃したのである。この「見逃し」が試合を変えた。

2018ALDS Game 2 CLE vs HOU 6th inn. Bregman walk初球 2seam Ball
2球目 changeup Ball
3球目 4seam Called Strike
4球目 Slider Foul
5球目 Slider Ball
6球目 Slider Foul
7球目 4seam walk



このブレグマンの打席を少し詳しく見てみる。

初球。
右打者ブレグマンのインコースに2シーム。あとの球がすべてアウトコースだから、外で勝負することを最初から決めていて、初球だけ故意にインコースをえぐったことは明らか。

2球目。
初球が見せ球だったから、ここは当然ながら外の球。この日のカラスコの全体像からいえば、このチェンジアップは、ある意味で勝負球。3回にアルテューべを併殺打に仕留めたのも、この球。もしブレグマンがひっかけて内野ゴロ、併殺なら、この日のヒューストンの勝ちはなかった。
だが、ブレグマンは振らない。ブレグマン、かなり優勢。

3球目。
無死1塁で、カウント2-0。カラスコはどうしてもストライクが欲しい。高めに4シーム。ブレグマンは自重。この打席の7球のうち、ハッキリとしたストライクはこの1球のみ。

4球目〜6球目
カウント2-1から、3球つづけて外のスライダー。カラスコにしてみれば、5球目か6球目をひっかけて内野ゴロがベストだったが、そうはならなかった。フルカウントが続く。

7球目。
歩かせていい場面ではない。だがハッキリしたボール球が行って、フォアボール。


次打者グリエルがライナーを打ったのを見て、フランコーナは、カラスコをミラーにスイッチする。

だが、それこそがヒューストンにとって「最高の結果」ではあった。「打ち崩せそうなのに、打ち崩せないカラスコ」を、まだ100球いってもいないのに引きずり下せたからだ。ブレグマンの四球の功績である。ブレグマンは7回にもこの試合を決定づけるソロホームランを打っている。
マス・メディアはとかく2点タイムリーを打ったゴンザレスに注目するだろうが、実際にゲームを動かしたのはブレグマンだ。


試合後、なぜカラスコをあの場面でかえたのか、テリー・フランコーナに質問が殺到した。フランコーナは意外にも「4回とか、もっと早いイニングでかえようか、とも思っていた」らしい。
フランコーナにとって、この日のカラスコのピッチングが「意図的なボール球で、かわすピッチング」ではなく、単に「ハラハラするピッチング」に見えていたとしたら、それは監督としてどうなんだ、という気がする。

October 04, 2018

2000年以降のMLB観客動員数


2018シーズンのMLB総観客動員数が、2004年以来はじめて「7000万人」を割り込んだ
だが、このことはシーズン当初から予想されてはいた。というのも、シーズン最初の2ヶ月に天候があまりに悪すぎたことが、年間観客動員数に響くことが当時から懸念されていたからだ。


ただ、2018年5月にUSA Todayに掲載されたAP通信の記事は、観客動員数の減少がなにも天候のせいばかりでなく、「三振の激増も原因なのではないか」と、コミッショナーロブ・マンフレッドに疑念をぶつけている。
Attendance drop, strikeout rise has MLB concerned

マンフレッドは「シーズンは始まったばかり。あわててもしょうがない」と、例によって毒にも薬にもならない返事でお茶を濁したのだが、シーズンが終わってみると、観客動員数はAP通信が懸念したとおり、原因が「三振」かどうかはともかく、2018年は最も観客動員数が劇的に落ち込んだシーズンのひとつになった。


いち早く「MLBの三振激増」に気づいたブログ主の立場からいうと、USA Todayのようなマス・メディアが「三振増加のネガティブな影響」に着目したのはなかなか面白いことではあるのだが、少し仔細に点検してみると、ちょっと「違う話」がみえてくる。

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まず、どのくらい観客数が減ると「大幅な減少」といえるかを決めなくてはならない。


もちろん明確な基準などない。だが、たとえドジャースだろうと、どこだろうと、「20万人くらいの増減」は、どんな人気球団でもあることを考えると「1チームあたり、20万人」の増減では、基準値=マーカーにはならない。

今年は82試合ホームゲームを行った例外的なチームがあったが、通常のMLBのホームゲームは「81試合」なので、「1試合につき5000人観客が減少」すると、「年間約40万人の観客が減少」することになる。
この20年くらいでみると、この「40万人の減少」は、出現しても多くて1年に3チームほどが上限で、まったく出現しないシーズンも、数シーズンある。

だから「1チームあたり40万人」という数字なら、マーカーになりうる。


そこで、2000年以降の「40万人の減少チーム」を調べてみると、2000年以降に、8球団とか9球団がこの「40万人以上の観客減少」を同時に経験したシーズンが3シーズンあることがわかる。
「2002年、2009年、2018年」だ。

いいかえると、2000年以降のMLBで「観客動員数が激減したシーズン」は、実は2018年だけではなく、「3シーズン」あった。

その3シーズンには、ある「共通点」がある。
同じシーズンに8球団から9球団が、同時に大量の観客を失う
という現象だ。

いいかえると、観客激減シーズンの原因は、1チームが一気に500万人もの観客を失うというような1点集中の現象ではなく、多くのチームが「一斉に」観客数を失う横並びの現象だ、ということだ。


こんどは、それら「3シーズン」において、観客数が激減したチーム名を列挙してみる。「不思議な現象」があることがわかる。

1シーズンに40万人以上の観客を減らしたチームのリスト

2002年 MIL PIT CLE TEX FLA COL DET BAL HOU
2009年 NYM DET NYY TOR SDP WSN CLE ARI
2018年 TOR MIA KCR DET BAL PIT TEX

左から「観客減少数」が多い順
太字は上のリストに複数回登場するチーム


「不思議な現象」とは、以下のような話だ。

たった3つしかないリストに、3回デトロイトが登場する。
PIT、CLE、TEX、MIA(=FLA)、BALの5球団が、2度ずつ登場する。



デトロイトの2000年以降の観客動員数を図示してみる。

2000年以降のデトロイト・タイガースの観客動員数


次に、最初に挙げたMLBの図と、デトロイトの図を重ねてみる。

2000年以降のMLBとDETの観客動員数の相関


いやー。
作ってみて、ちょっと鳥肌たった(笑)


もちろん、30球団すべてを図示してみないと最終的に断言はできないが、上で指摘したように「2002、2009、2018シーズンすべてにおける観客数激減が、デトロイトタイガースのみにしか見られない現象」であることから、まず間違いなく、以下のことが言える。

デトロイト・タイガースの観客動員数というのは非常に特殊で、MLB全体の観客動員数の動向(特に減少する場合)を最も如実に反映する「鏡」であり、マーカーである。


もちろん、言うまでもないが、デトロイトが代表格であるにしても、2度登場する「PIT、CLE、TEX、MIA、BALの5球団」にも、おそらく「デトロイトに似た傾向」が見られるはずだ。



では、なぜデトロイトを代表格として、「特定の球団グループの観客動員数と、MLB全体の観客動員数とが密接に連動する傾向」がみられるのか。そして、それは「MLB全体の観客動員数の激減を直接左右するような要因」なのか。

そのことは「次の記事」に譲る。


少なくともここで言えることのひとつは、LAD、NYY、BOSなどの「大都市の人気球団の観客動員数の動向」と「MLB全体の観客動員数の増減」とは、あまり連動しない、ということだ。(ただし2009年の激減にはNYYが関係している)
「人気球団は、MLB全体の観客動員数と関係なく、人気が維持できる」という見方も、もちろんできるが、それは見方を変えれば「人気球団の観客動員はすでに天井、上限値であって、もうこれ以上なにをやろうと観客動員の増加が見込めない」という意味でもある。


また、MLB全体の観客動員数を7400万人前後に押し上げたようなパワーは、実は「人気球団以外の球団」をどれだけ底上げできるかに常にかかっている、ということもハッキリした。


この件については記事をあらためてさらに考える。

バック・ショーウォルターがボルチモアを去ることになった。

彼と彼のスタッフが2010年代初期のボルチモアで実践した「バランスの整ったチームづくり」は、長年にわたって投守打のバランスを欠いた雑な野球ばかりして低迷し続けたこのチームにとって、とても意味のある仕事だったと思う。


だが、残念なことに、「2013年あたり以降のボルチモア」は、それまでの野球を忘れたかのように、ネルソン・クルーズクリフ・デービスなどのステロイダー(ブログ主はマニー・マチャドもそのひとりだと思っている)に依存するチームになってしまい、かつてのような「投手はまったくもって酷いものだが、強力な打線に依存して、なんとか帳尻つける」という、昔の「雑なパワー野球」に戻ってしまった。


2010年〜2012年あたりまで、ブログ主はこのチームについて熱心に記事を書いた記憶があるが、2013年以降はどういうものか、あまり関心をもてなくなっていき、記事を書くこともめっきりなくなった。

2012年に以下の2つの記事を書いているが、今読みかえしてみても、当時のボルチモアの「バランスのとれたチームづくりにかける熱意」を感じさせる、意味のある記事だった。

今のボルチモアに、そのはまったくない。

参考記事:
2012年4月29日、長年の課題だった投手陣再建を短期で実現しア・リーグ東地区首位に立つボルチモア (1)ボルチモアはどこがどう変わったのか? | Damejima's HARDBALL

2012年4月29日、長年の課題だった投手陣再建を短期で実現しア・リーグ東地区首位に立つボルチモア (2)ジェイソン・ハメルはどこがどう変わったのか? | Damejima's HARDBALL


上の2つは、投打のバランスを長年欠き、長打重視の雑な野球ばかりして低迷を続けたボルチモアが、なぜバック・ショーウォルター監督以降に投打のバランスが整ってきたのかについて、当時のピッチングコーチ、リック・アデアが、冴えないエースだったジェレミー・ギャスリーをようやくトレードしてコロラドから獲得したジェイソン・ハメルに2シームを習得させた話を中心に、「ボルチモアの投手陣整備」を眺めた記事だ。

リック・アデアがコメントした、シアトルでピッチングコーチだった時代に育てたダグ・フィスターと、ハメルが似ているという話など、いま読むと、とても懐かしい。シアトル時代のブランドン・モローにカーブを投げるよう勧めたのも、リック・アデアだ。(だが、そのアイデアは実現しなかった)



そのリック・アデア、2013年に突如としてボルチモアのピッチングコーチを辞めている。理由は、当時の記事を検索しても、英語版Wikiをみても、なぜかほとんどわからない。

O's pitching coach Rick Adair takes personal leave of absence | Baltimore Orioles



これはあくまでMLBファンとしてのブログ主の想像だが、細かい事情はともかく、「2013年以降のボルチモア」は「2010年〜2012年あたりのボルチモア」と何かが大きく違ってきてしまい、投手の粘り強い育成にチカラを入れようとしなくなった、あるいは、有能なピッチングコーチを必要としなくなって、そのことが投手を育てることに熱心なリック・アデアを呆れさせ、ボルチモアを離れる理由になったのではないか、と思っているのである。


そんなことを思う理由はいくつかあるが、最大の根拠は「2013年7月の自軍投手の放出トレード失敗による戦力低下」だ。

2013年7月、ボルチモアはジェイク・アリエッタペドロ・ストロップジョシュ・へイダーと、自軍の若い才能ある投手陣をベイト(=英語でいう「餌」「エサ」)にして、カブスからスコット・フェルドマン、ヒューストンからバド・ノリスを獲得した。
結果的に、この「2013年7月の駆け込みトレードでの若手投手放出」は、それまでのボルチモアの投手育成の努力を「台無し」にし、ボルチモア投手陣の極端な劣化につながったと、ブログ主は見る。


ジェイク・アリエッタは、移籍先のカブスで2年連続ノーヒットノーランをやり、いまはフィラデルフィアで3年75Mもの高額契約を得て将来を確約されているわけだが、かつては2007ドラフト5位で入団し、数年にわたってボルチモアのマイナーが欠点を我慢しながら育ててきたたボルチモアの生え抜きプロスペクトだった。(2010年6月にメジャーデビューして、翌2011年に10勝。その後ヒジの手術で戦列を離れたが、2012年の開幕投手になっている)

ペドロ・ストロップは、2013WBCドミニカ代表で、いまはカブスで年間70試合弱を投げる優秀なブルペンピッチャーに育っている。

同じく、いまはミルウォーキーの堂々たるブルペン投手になっているジョシュ・へイダーは、ヒューストンのバド・ノリス獲得のために放出された。



アリエッタにストロップまでつけて獲得したスコット・フェルドマンだが、ボルチモアではまったく使い物にならなかった。いまは故障を抱えながらチームを渡り歩くジャーニーマンに過ぎない。
バド・ノリスにしても、良かったのは2014年だけ。フェルドマンと同じく、ジャーニーマンとしてMLBにぶら下がっているだけの投手に過ぎない。


リック・アデアが、まるで若者が突然無断欠勤して会社を辞めるように、突然として職を離れた理由は、おそらくはアデアが、「2013年7月の一連の駆け込みトレードによる、自軍投手放出」に、責任あるピッチングコーチとして断固反対したのにもかかわらず、GMダン・デュケットがトレードを強行したからではないかと、ブログ主は想像する。

なぜなら、アデアの辞職が、「2013年7月の駆け込みトレード」直後の、「2013年8月」だからだ。

もし自分が高いプライドをもってコーチ業をやってきて、ようやく若手が育ってチームの明るい未来を思い描けるようになってきたとしたら、こんなトレードには断固反対する。

それはそうだ。

ボルチモアのマイナーは時間をかけて、「これから長い活躍が見込める、若くて、健康で投手たち」をズラリと揃えたのだ。
にもかかわらず、プロのピッチングコーチとして、あの投手はステロイドで成績をもたせているだけだろう、とか、投げ方がおかしいとか、この投手のコントロールはどうやっても直せないとか、きっと故障を抱えているに違いない、などと感じる「将来性の乏しい中堅投手」を、その場かぎりの目的で獲得するだけのために、「これから長期に活躍できそうになってきた若手たち」を次々と放出させられたら、コーチとして、たまったものじゃない。



ボルチモアは、この「2013年7月の駆け込みトレード」の後、さらにマニー・マチャドジョナサン・スクープといった野手も失って、ネルソン・クルーズやクリス・デービスといったステロイド系打者に依存する姿が顕著になる。
ステロイドが疑われるマチャドはともかく、もし「2013年7月の駆け込みトレード」の失敗によって投手陣が崩壊することなく、ボルチモアがずっと優勝争いに常時加われるチームだったら、ジョナサン・スクープがチームに残ってくれる可能性があったかもしれない。


長い話になった。
かつてあれほど強いボルチモアの再建に熱心だったダン・デュケットは、これほど酷い成績に終わった2018年も、まったくといっていいほど何もしないまま、チームの惨状を放置した。
おそらくはこのシーズンが終わったらボルチモアを去って、どこかのチームに行く腹積もりじゃないかと想像する。酷い話だ。


もしブログ主の想像があまり間違っていないとしたら、だが、こんな悪い流れの中で監督をやらされていたバック・ショーウォルターには、責任はない。ぜひ来シーズンには違うチームで指揮をとってもらいたい。

October 02, 2018

MLBにおけるロスターは25人しかいない。

先発が最低5人、ブルペン7人程度、クローザー1人。野手が8人、場合によってDH。控えが、キャッチャー、内野、外野、ユーティリティと、4人程度。その25人が、「他のスポーツに類を見ない、多くのゲーム数」をこなす。

年間試合数の多さは、高額年俸をはじめとする選手の待遇の良さ、スタッフの充実、立派な専用スタジアムの維持など、スポーツとしての豪華さを維持可能にしている。また、その豪華さは、才能ある選手を世界中からMLBに集約する原動力にもなっている。

いいかえれば、プロのスポーツとしての野球は「限られた人数で多くのゲームを戦うチーム運営技術の優劣を競っている」という見方もできる。



野球に限らず、企業や自治体のような組織においても、「限られた人数、最低限の人数を前提に、組織運営の効率を上げていく」には、「プレーヤーの多くがマルチタスクであること」が非常に重要だ。専門性なんてものに高い給料を払っているばかりでは、その組織のコスト体質はいつまで立っても改善されず、少ない人数で回せるようにはならない。





もし例えば野球チームに「肘の痛くない大谷翔平が5人いる」としたら、どうだろう。
先発5人全員が「マルチタスク」になるわけだから、典型的なチーム構成にあと5人の選手を追加できることになる。別の見方をすれば、ロスターがたったの「20人」で回せる、といってもいい。

逆に、投手12人以外が、すべて「守備のほとんどできないDH」だったらどうか。
高得点が期待できると思うかもしれないが、守備時間が膨大に長くなるから、疲れきって、たぶん攻撃どころではない。
素人以下の守備しかできない集団は、大量失点を繰り返す。難しい内野ゴロは、ほとんどヒット。ダブルプレーなんて完成するわけがない。外野フライのかなりの数が長打やホームランになる。素人キャッチャーはプロの投手の球が捕れないで、変化球の多くを後逸する。盗塁はもちろん、やられ放題。
これではいつまでたってもチェンジにならない。当然ながら、投手は膨大な球数を投げさせられ、投手がすぐに足りなくなる。

これではプロではない。
というか、野球ですらない。


こうした例示でもわかるように、そもそも野球というスポーツは「マルチタスクなプレーヤーのスポーツ」として出発しているのである。


かつてエンゼルス全盛期のマイク・ソーシアは、足の速いスイッチヒッターをズラリと並べる独特の打線で地区優勝をかっさらい続けた。ソーシア流スイッチヒッター打線では、相手投手が左だろうと右だろうと、打線も守備の布陣も組み直す必要がない。

対して、最近あまりに多すぎる「左右病監督」や、オークランドに代表されるプラトーンシステムでは、相手投手によって左打者と右打者を使い分ける。そのためポジションそれぞれに2人ずつ選手を用意し、毎試合のように打線を組み直す。下位打線の選手は、続けて出場できないからどうしてもコンディショニングが難しくなる。

どちらがマルチタスクかは明らかだ。マイク・ソーシアこそ、野球本来の「マルチタスク」のオーソリティだ。


話をもう少し拡張していこう。

「HRばかり狙って、低打率で、守備のできないバッター」は、シングルタスクだ。
そうした選手を何人も打線に並べる打線は、当然三振も多くなるし、タイムリーなど期待できない。また守備のための交代要員も必要になる。

参考記事:2017年2月1日、41本ホームラン打ったクリス・カーターに再契約オファーがなかったことからわかる、「ホームランバッターは三振が多くて当たり前」という話の真っ赤な嘘。 | Damejima's HARDBALL



こういうことを書くと、必ず「2人か3人の打者が連続でヒットを打って得点することより、たった1人で得点できるホームランのほうが、はるかに『マルチタスクだ」などと、わけのわからないことを言い出す人間が必ずいることだろう(笑)

そういう根本的にアタマの悪い人間が出現する原因は簡単だ。ホームランの「出現頻度の少なさ」や「出現確率の低さ」をまるで考慮しないからそうなる。


かつてデタラメ指標のOPSでは、「ホームランでベースが4つ回れるから、その価値はシングルヒットの4倍だ」などと、単細胞きわまりない奇怪な思考方法(笑)から、ホームランに過大な価値を認めていた。(実際には計算式のトリックを加え、4倍以上もの過大評価をしていた)

出現頻度の低さをきちんと考慮すれば、「まぐれ当たり的なホームランしか打てない、スカウティングされやすい、低打率の打撃専門野手」の価値なんてものは、打って走って守れる5ツールの選手の、5分の1どころか、それ以下の価値しかないことは言うまでもないことだが、OPS信仰時代には、そんな簡単なことすら誰もが忘れていた。


OPS全盛時のセイバーメトリクスなんてものは、片方でアウトカウントを増やすのは悪だなどと決めつけつつ、他方で、効率の非常に悪いホームランバッターに異常な過大評価を与え、シングルタスク・プレーヤーのネガティブな面を考慮しないまま、野球を「間違った価値観」で覆い尽くした。

そうしたデタラメ指標の影響は、今でも無くなってなどいない。フライボール革命などと称してホームランを称揚した挙げ句、2010年代のMLBは未曾有の「三振激増時代」に突入したのも、間違ったデータ主義が遠因になっている。



だが、現実の野球は、まったく違う。

例えばクリス・カーターのような「非効率なシングルタスクのバッター」の打撃の中身の無さを見ればわかる。
全打席のほんの数%をホームランする程度の能力しかないにもかかわらず、大半の打席で凡退して数多くのチャンスを潰し、打席の30%以上にもあたる200以上の打席で三振して、アウトカウントを増大させ、ランナーを釘付けにする。
その効率の悪さは、3割打者の多くがマルチタスクであり、打席の30%以上をヒットにしてランナーを進め、打席の35%以上で出塁する一方で、盗塁や犠打、守備などをこなせるのと、まるで対照的だ。


wOBAのような、よりリアルな指標において、ホームラン1本の得点寄与能力がシングルヒット1本のせいぜい2倍ちょっと程度に過ぎないとみなされることでもわかるように、「シングルヒットの得点生産能力」は、ホームランと比べ、けして低くなく、デタラメなOPSが言っていたような「ホームランの4分の1」ではない。
「得点圏にランナーがいて、シングルヒットが出れば得点が生まれる可能性がある場面の数」、「シングルヒットによる打点が実際に発生する可能性」は、ホームランのそれに比べ、はるかに出現頻度が高く、同時に、ずっと高い確率で実現する。



シングルタスクの権化といえば、ホームランにばかり頼ってタイムリーが出ず、いつまでたっても地区優勝に縁がないヤンキースだが(笑)、マイク・ソーシアがエンゼルスで目指した野球が、そうしたヒエラルキー主義のシングルタスク野球ではなく、マルチタスクだったことは明らかだ。(ソーシアがベンチからサインをやたら出しまくるのも、ヒエラルキーそのものではあるが 苦笑)
彼が大谷翔平を気にいっていた理由もたぶん、大谷が投打に才能があるからだけでなく、大谷の二刀流が「ソーシアが大好きなマルチタスクそのもの」だったからに違いない。


いまもMLBには「マルチタスク主義」と「シングルタスク主義」、2つの流れがある。

ワールドシリーズを制覇したときのロイヤルズ、優勝争いの常連になった近年のアストロズなど、成功しているチームがやっているのは野球本来の「マルチタスク」だ。

参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2017年11月14日、ヒューストン・レボリューション2017。 「四球偏重時代」の終焉。 | Damejima's HARDBALL

参考記事:2018年4月11日、意図的に「ホームランの世紀」をつくりだそうとした2010年代MLB。実際に起きたのは、「三振とホームランの世紀にさからったチーム」によるワールドシリーズ制覇。 | Damejima's HARDBALL


だが、MLB全体でみると、近年横行しているのは、年間1300三振するチームの激増でもわかるとおり、シングルタスク主義であり、選手単位でみても単純なタスクしか実行できない不器用な選手が激増している。


エンゼルスも、マイク・トラウト、大谷と、才能あるマルチタスクのビッグネームを抱えている一方で、かつてソーシアがエンゼルス全盛期にやったような「攻守走すべてがこなせるスイッチヒッターを、ズラリと打線に並べたマルチタスク打線」なんて徹底した芸当は、「シングルタスクのプレーヤーばかり増えてしまった現状」からいうと、人材不足で実現しにくくなっている。

ソーシアが長いエンゼルスでのキャリアでやろうとしてきた彼独特の野球は、いまや実現不可能になりつつあるかもしれないから、彼がアナハイムを去るのは、いたしかたないかもしれない。



しかしながら「ソーシア流のマルチタスク」を受け入れて、チームを根本から変えるべき「方針の間違っているチーム」、「方針が見えないチーム」は、今のような時代だからこそ、むしろ、たくさんある。

長年にわたって雑な野球ばかりやってきたボルチモア。本来ならマルチタスクをもっと徹底させ継続すべきだったカンザスシティ。ワールドシリーズ優勝が実現しないまま賞味期限切れしたデトロイト。投資金額はデカイが総合力がたいして上がってない成金ドジャース。無能なGMがチームを低迷させたテキサス。いつまでたっても何がやりたいのかわからないサンディエゴ。チーム本来のいやらしい強さがなくなったセントルイス。常勝チームの賞味期限切れが近いナッツ。他にもある。


ソーシアをこのまま引退させるのは、もったいない。

監督でなくても、いまのこの「三振の王国に退化しつつあるシングルタスクのMLB」を質的に改造する大仕事を、どこか他のチームでやってもらいたい。


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