April 02, 2018



メジャー初登板の大谷が3ランを打たれたとき、マイク・ソーシアは『ここから抑えれば何も問題ないから』と声をかけ、まだMLBに慣れていない若者を落ち着かせた。

初登板をなんとかホームランの3失点だけで乗りきった大谷が、試合後「野球を始めて、はじめてマウンドに行くときのような気持ち」で楽しかったとコメントしたと聞いて、マイク・ソーシアの「度量」の大きさを感じた。


ソーシアが、『ここから抑えれば何も問題ないから』とあっさり言える理由はハッキリしている。

「ショウヘイ。ウチのチームは、だな。あのマイク・トラウトも、アルバート・プーホールズもいるチームなんだぜ。心配しなくてもヤツラがそのうち逆転してくれるさ。だからオマエは自分の仕事さえしてくれれば、それでいいんだ。』

もっと短く言うなら、
「オマエはひとりで野球やってるわけじゃない。心配すんな。」
ということだ。



「ひとりじゃない」という意味の言葉が「ある特別なタイミング」で耳に入れば、ヒトの傷んだココロを一瞬で救える魔法の言葉になることは、わかる人にはわかると思う。


うがち過ぎの推測かもしれないが、日本にいるときの大谷は、エースでクリーンアップとでもいうような「1人2役」的な立場にあったわけだから、いってみれば、「ひとりで野球やっているような感じ」がぬぐえなかったのではないかと、この話を聞いて思った。

大谷という選手は、他人から「2刀流という自分独自のスタイルばかり追い求めている」とみなされることが、たぶん多い。
けれど、だからといって、彼は「ひとりで野球やりたい」と思って野球をやっているわけでもなければ、「ひとりでできるのが野球というスポーツだと、心の中で思っている」わけでも、おそらくない。

もしかすると、大谷は2刀流がやりたくてアメリカに渡ったばかりではなく、「ひとり野球がつまらなくて」アメリカに渡ったのかもしれないのである。

ならば、マイク・ソーシアに「肩のチカラを抜いて」もらって、長年たまっていた「ひとりで野球やっている感」から「解放」してもらえば、そりゃ野球が楽しいに決まっている。そして、「選手に楽しく野球をやらせることができる監督」は、「指導者として一流」に決まっている。



ちなみに、このオフの話題の中心だった大谷とジャンカルロ・スタントン、どちらがシーズンが進むにつれて成績を残すか、といえば、たぶん大谷のほうだろうと思う。

投手としての大谷は、これからMLBの環境や打者データへの順応がますます進んでいく立場にある。つまり、「のびしろがある」わけだ。
対してスタントンは逆に、2017シーズン前半しか活躍できず後半に大きく失速したアーロン・ジャッジと同じで、これからスカウティング好きなア・リーグ東地区各チームの研究対象になって、「のびしろがどんどんなくなっていく立場」にある。

だから、スタントンが、投手がまだスタントンの十分なデータを得られない春から夏にかけて、あの狭いヤンキースタジアムのホームゲームでいくらホームランを量産したとしても、それは単に「想定内」の出来事にすぎない。
他方、投手・大谷が春先に打たれる場面が多くみられたとしても、それもまた想定内の出来事にすぎない。いくらオークランドの新人君たちが「オオタニからホームランを量産できる自信があるぜ」と(笑)オオグチたたいてみせても、春先に1本や2本ホームランを打てるかもしれないが、長期的にはほとんど何の意味もないのである。


たかがスプリングトレーニングや、春先の投手有利なゲームの中で、新聞を売りたいだけのせっかちなメディアがどんなことを書こうと、短気なファンが「大谷はマイナースタートが似合い」とツイートしまくろうと、そういう「余計なお世話」など、何の意味もない。そんなことくらい、長年監督をやってきたソーシア自身が誰よりもわかっているのである。

March 26, 2018




ムネノリ・カワサキの存在は明らかに「ベースボールについての意識」を変えた。保証する。間違いない。

というのは、野球というチームスポーツに必要な要素というのが、技術やパワーや指標やペイロールやホットドックだけではないということを、彼が「身をもって」教えてくれたからだ。


技術やパワーや指標やペイロールやホットドック以外に、野球に必要なのは、「ムネノリ・カワサキ・ファクター」だ。

「ムネノリ・カワサキ・ファクター」がどんなものか。
わかる人にはわかる。説明なんて無粋なことなどしない。わからない人は、わからないまま人生を終えてもらってかまわない。



自分の想像では、「ムネノリ・カワサキという仕事」はかなりの重労働だ。川崎宗則のメンタルは「ムネノリ・カワサキという仕事の重さ」によってひどく損傷した部分があるのではないかと心配している。

March 08, 2018

こういうことが起こるのは、アーシュラ・K・ル=グウィンのファンタジー小説の中だけだと思っていた。

しかし、違った。

まったく説明できないが、イチローのシアトル復帰に関するあれこれを眺めているうち、彼が今回のシアトル復帰によって、さまざまなことに「帰結」をもたらしたことが感覚的にわかったのである。





永久欠番が予想される背番号の問題も、「帰結」のひとつだ。

これまでずっと「シアトルの51番」は、同じ番号をつけていたランディ・ジョンソンとの「共有物」みたいに思われてきた。

だが、今回の復帰で誰もがわかったことだろう。ランディ・ジョンソンがつけていたのは、「イチローがつける前の51番」にすぎなかったのである。(ランディはアリゾナのユニフォームで殿堂入りするだろう)

もはやシアトルの51という背番号はイチローのものであって、他の誰のものでもない。イチローより前に誰がつけていたかは、あくまで「イチローが51番をつける前の話」であって、もはやなんの意味も持たない。
イチローがシアトルを去って以降、ずっと死んでいた「ただの数字に過ぎないもの」に、文字どおり「生命」をふきこんだのが、ほかならぬ「イチロー」であるのをまのあたりにすれば、議論の余地など、どこにもない。


なにも背番号のことだけ言っているのではない。あらゆる「複雑すぎて、もつれた何か」に解決がもたらされたのである。

だからこそ、その独特のオーラが、多くのライターを刺激して名文を書かせる。






なんだろう、このフィーリング。
言葉ではまったく説明できない。

例えば、エリック・ウェッジとジャック・ズレンシックはもうマリナーズにはいない。ジョー・ジラルディはもうヤンキースにはいない。だが、ヤンキースで一緒だったロビンソン・カノーはイチローと一緒にいて、マイアミで一緒だったディー・ゴードンも、デイビッド・フェルプスも、イチローと一緒にいる。そのことだけでも十分だ。


Ichiro Era 2.0 begins.
まさに新しい世紀が始まったのである。



February 26, 2018

カーリング男子日本代表スキップ・両角友佑の五輪を振り返ったインタビューは、読み物としてはなかなか悪くない。
https://pyeongchang.yahoo.co.jp/column/detail/201802250010-spnavi
ただ、カーリングという「日本においては、まだまだ特殊な競技」の、「この20年の歩み」を考えると、彼が語ったことのすべてが全カーラーの意見を代表しているとも思わない。



まず、カーリングというスポーツが「日本においては、まだまだ特殊」ということの意味について書きたい。


もともと「冬季五輪のスポーツ」の選手層は特殊ではある。
というのも、夏季五輪が採用している競技種目が、「1年を通して楽しめるスポーツ」や、「東西南北どんな気候の国でも競技可能な汎用性の高いスポーツ」を中心に構成され、1年を通して練習や競技が可能であることが多いのと比べ、冬スポーツでは「(都市の大規模なスケートリンクを含めて)氷や雪がある場所」と、「寒冷な地域で生まれ育ってきた選手や指導者」が前提になるからだ。

だから、冬スポーツの場合、有力選手の「出身地」が、世界ではカナダやロシア、北欧といった「寒い国」、日本では北海道とか長野といった「特定の都道府県」に片寄るのが普通だし、フィギュアスケートの選手の出身地がスケートリンクや有能な指導者のいる特定都市に片寄ったりするようなことが必然的に起こる。


それでもカーリングの場合、カナダやヨーロッパではテレビのレギュラー番組すらある人気スポーツのひとつと聞くから、けして「特殊なスポーツ」とばかりもいえない。
だが、競技環境が万全でない日本のカーリング環境では、銅メダルのLS北見の選手たち全員の出身地が北海道で、うち3人は「同じ町」に生まれ、中学生時代に「同じチーム(=常呂町ROBINS)」でプレーしていた選手であることからもわかるように、選手層拡大にはもともと大きな制約がある。


そうした競技環境の限界に悩まされてきたカーリングの風向きを変えたのは、北海道常呂町出身で、カーリングでは日本初のスタープレーヤーとなった小野寺歩林弓枝の登場だった。

2002年ソルトレイク冬季五輪に出場した女子カーリングチーム「シムソンズ」の一員だった小野寺と林は、五輪出場後に日本選手権に出場したが敗退。競技続行のため青森に移住し、新たに「フォルティウス」というチームを結成した。
この小野寺・林コンビを中心とした青森の新チームがトリノ冬季五輪出場を果たしたことで一時的なカーリングブームが起き、カーリングという競技が日本中に知れわたるきっかけを作った。
だが、一時的とはいえ人気を博しながらも、2人は日本選手権終了後に一時的に競技を離れることになり、ブームは一気に終息に向かった。


「トリノ後」、日本におけるカーリングは10数年をかけてたて直し、今回の銅メダルにたどりつくわけだが、紆余曲折を語る上で欠かせないターニングポイントは、おそらくトリノ五輪直後に行われた第23回日本選手権だ。

このイベントは当時の人気コンビである小野寺・林を擁する「青森」で行われ、おまけに五輪直後というタイミングで開催された国内最大の競技大会だったが、にもかかわらず、どういう理由からかはわからないが、「テレビ中継」が無かったのである。
そのため、某巨大掲示板では自主的に「現地情報をネット共有するライブ実況」が行われ、ファンの熱い支持を得たという事実すら残されている。(参考記事:カーリング日本選手権決勝実況スレ

当時の人気ぶりを考えると、このときテレビ中継が無かったことは、たしかに不思議でならない。

第23回日本選手権は小野寺・林コンビのチーム青森の劇的な優勝で幕を閉じたが、その直後、優勝にもかかわらず(なにか他言できない「オトナの事情」があったのだろうが)小野寺・林コンビの競技休養と青森からの離脱が報じられ、日本におけるカーリングブームはいったん終息することになった。


この第23回日本選手権には、小野寺・林コンビの常呂町の後輩にあたる「常呂町ROBINS」という中学生チームが出場していて、オトナたちのチームを大いに苦しめる活躍を見せ、コアなファンの間で話題となった。
その早熟な「常呂町ROBINS」のメンバーのうち、3人、吉田知那美吉田夕梨花鈴木夕湖が、今回の日本初の銅メダルメンバーである。

だから結果的にいえば、シムソンズから出発した小野寺・林コンビが築いたのが第一次カーリングブームだったとすれば、そのチーム青森のトリノ五輪出場メンバーだった本橋麻里(=常呂町出身)が、こんどはオーガナイザーとして、後輩である常呂町ROBINSの骨組みを元に構成したLS北見を10年かけて銅メダルチームへと育てた結果が、第二のムーブメントということになる。



長々と「常呂町出身の女子カーリング選手たちがつないできたリング」について書いたが、それは日本のカーリングが「いかにほんのひとにぎりの、限られた人たちが細々と支え続けたスポーツだったか」を伝えたかったからだ。
今回の銅メダルという偉業は、その「ほんの限られた選手たち」の人生をかけた20年にもわたる長い戦いによってたどりついた高みなのである。

だから今回のメダルは「後継者が育って、競技する地域や競技人口が広がった結果、メダルをとった」という話では、まったくない。
むしろ、「『1990年代の終わりに、ジュニアですでに名声を得ていた北海道の子供たち』が、20年、ふたつの世代にまたがって頑張ってきた結果、とうとう銅メダルという栄誉にたどりついた」というのが事実であって、後継者が育ったといえるほどカーリングの裾野はまだ広がっていないし、むしろ「常呂町の20年」を引き継げるような、有力な後継者、選手層は、まったくといっていいほど育っていないのである。


冒頭にあげた両角君の談話に戻る。


彼は「この10年、何も変わってない」と、競技環境の変化の遅れを嘆く。だがその「何をやっても変わってくれない世界」を相手に、しつこく20年もかけてアプローチし続けてきた女子カーリングは、ほんのわずかな限られた選手層の中から、ついに世界で銅メダルを得る快挙に辿り着いたのである。

これまで、女子選手たちそれぞれがどれほどの数の紆余曲折を味わったことだろう。おそらく選手たちは、カーリングの故郷である常呂町を離れ、スポンサーを得ては失い、チームやパートナーを変え、住む場所すら転々としながら、右往左往する暮らしに耐え、人生を賭けて、今回のメダルという偉業に到達したのである。

五輪と日本選手権の順番が違うと怒る気持ちもわからないではない。だが、かつてのカーリングブームにおいては、両角君が主張する「五輪後に日本選手権」という開催順序だったにもかかわらず、「ブームは去った」のである。事は単純ではない。ことにマスメディアの気まぐれすぎる対応ぶりは、今も昔も変わってはいない。

彼の正論を否定しようとはまったく思わないが、正論を吐くことも時には大事であるにしても、10年と言わず、20年、30年と、10年単位で自分を信じて頑張り続けてみること。それが最も大事なことなんじゃないか。そう思う。



今回のメダルは、ほんの少数の人たちが、実に20年もの歳月をかけて「10年にひとつだけしか上がらせてもらえないような階段」を上がる努力をしたことの結実だ。
これまで女子チームの後塵を拝し続けてきた男子カーリングには、最低あと10年、現実的にはあと20年くらいは努力し続けてもらうとして、それ以外の人たちは、「10年にひとつだけしか階段を上がらせてもらえないような、あまりにもノロいペース」を作り出してきた責任が、いったい「誰に」あるのか、いい機会だからゆっくり考えてみるといい。

February 16, 2018



あまり、というか、
ほとんど日本人スポーツライターを褒めた記憶がない。

だが珍しく、このインタビュアーはなかなかいいと思う。いろいろと考えさせられるものを引き出すことに成功している。



スポーツではよく、「気持ちの切り替えが大事だ」などという。
だが、その言葉がどれだけ無意味か、このインタビューを読んでわかった。


わかったことの最も大事な要点は、こうだ。
実は、人は「感情」を切り替えることができない。


なぜなら
一度発生した「強い感情」は、簡単には消去できない
からだ。(だからこそ「クール」という価値がある)


多くの感情、特に、怒りや悲しみ、極度の欲求や緊張といった、「ヘビーな重さをもつ感情」は心に溜まりやすい。人の心という「泉」の底には、そうした「残渣」や「澱(おり)」が日々たまっていく。「ストレス」とは、心に溜まった「ゴミの重さ」のことだ。
ことにトップアスリートは「他人と競うこと、果てしない緊張の場面に晒され続けることが当たり前にあるような、特殊な生活を強いられる人種」なので、よけいに心のゴミがたまりやすい。


多くの人は、激しすぎる怒りや、強すぎる悲しみなど、「鉛のように重い感情」に晒されると、カラダ全体が泉の底に沈んでしまう。
そうならないよう、周囲の人は「気持ちを切り替えろ」などと言葉を発したがるわけだが、繰り返しになるが、そのアドバイスは実は無意味だ。感情を消去しようと思えば思うほど、その感情はむしろアタマをもたげてきてしまうことが少なくない。


だが、「感情の消去」を目指すのではなく、
別の形に変換して、放置してしまう」のなら、
どうだろう。

よほど、やりやすい。
できもしない「消去」を目指して、かえって疲れるのではなく、「変換」すること。そのほうが簡単なのだ。


これが、誰かが平野君の言葉を引き出してくれたことで「わかったこと」だ。ありがとう。メンタルに傷を負っている社会人や学生にも、この記事を贈りたい。

February 01, 2018



オックスフォード大学が2014年に「10年後に無くなっている職業」を列挙した。「スポーツの審判」もそのひとつだが、「MLBアンパイアという職業の消滅」について本気で考えたことなど一度もない。そんな予想はドナルド・トランプ当選が予測できなかったNate Silverのデジタル予想とたいした違いはない。

ガーデンハイアー

理由はハッキリしている。
MLBにおけるアンパイアは、良くも悪くも
野球というシステムの一部
だからだ。

10年後、「プレーの判定における主導権が人間から機械に移行すること」くらいはありそうだが、だからといって、スポーツ全体で「審判そのものが消滅する可能性」はまるで無い。

特に、MLBアンパイアの場合は、ありえない。
MLBアンパイアの仕事は、なにも「正確なジャッジ」だけではないからだ。彼らは「パフォーマー」であり、「オーガナイザー」でもある。
テニスとか卓球、バレーボールなど、他スポーツの審判と、MLBアンパイアとでは、立ち位置が違いすぎる。(逆にいえば、アンパイアが文化の一部として機能してきたことは、MLBの他スポーツにない面白さでもあった)

アンパイアの役割のユニークさから、もうひとつわかることは
MLB野球という料理の味の決め手は
トラディショナル風味」だ
ということだ。

そもそも、アンパイア、ボールパーク、ユニフォームなど、MLBを彩っている「トラディショナル風味」は、このスポーツを、プロスポーツとして他のスポーツに無い存在として支えてきた重要ファクターであり、そのことはMLBのデジタル化が進んでいる今も、まったく矛盾しない。


最近、MLBがオールスターの延長戦を「11回以降はランナー2塁から始めるタイブレーク方式」にすることを検討するなどと言い始めたが、それは施策として間違っているとブログ主は考える。

オールスターは、ワールドシリーズ初日の開催権がかかっているにしても、別に「勝ち負けを決める、ただそれだけのため」にやっているわけではない。むしろオールスターは、MLBファンが、野球本来のトラディッショナル風味を満喫するフェスティバルであることを忘れてもらっては困る。


敬遠の申告制にしても、ゲームは別にスピードアップしなかった。一刻も早く元に戻すべきだ。MLBは、自らのストロングポイントである「トラディッショナルなフレーバー」を損なうような「誤った施策」に手を染めるべきではない。

「MLBという料理の決め手のスパイスは、何か」、そんな基本的なことすらわかっていない、数字だけの人間が、MLBのスピーディー化とか言い出して、「やってはみるものの、ほとんど目的どおりに動かない愚策」ばかり連発するのは、ほんと、勘弁してもらいたい。

damejima at 16:39
アンパイア 

January 27, 2018

2018年冬のFA市場が「凍りついて」いる。

スプリングトレーニングを目前に控えているというのに、有力FA選手の契約先が決まっていない。そのためFA選手の間には、「契約が決まるのを待っていてはカラダを作れないから、FA選手だけで集まって自主的なスプリングキャンプをやる」なんて案すら検討されているという話さえある。


FA市場が凍りついた理由については、これまでいくつかの意見があったが、そのほとんどは的を得たものではなかった。

例えば2017年暮れに、主にマスメディアのライターによって「作られていた意見」は、こんな感じの主旨だ。
少しでも好条件を引き出そうと
代理人が球団となかなか契約しないことでFA市場が停滞した

これについては、「説明」が必要だ。

「代理人」といっても、「今年の有力FA選手の多くを抱える代理人」は、クソ高い契約をしたがることで有名な、あのスコット・ボラスであり、なにも代理人業界全体がFA市場を停滞させているわけではない。

にもかかわらず、MLB関連メディアのライター、例えば、ESPNのバスター・オルニーのような半端なライターが、「代理人」などと、曖昧な書き方で書いたから、読んだ人には、まるで「代理人全体が共同してFA市場を停滞させる、または、停滞を批判している」かのような誤解が生じた。

そのボラス、年が明けたあたりから「FA市場停滞は、オレのせいじゃないぜ」とばかりに「反撃」に出た。ボラスとの契約に応じようとしない球団側をこんなふうに攻撃しはじめたのである。

「チームを強くしよう」という意思がまるでない球団がある。
それはベースボールそのものへの冒涜だ。

この話も、「説明」が必要だ。説明するのも馬鹿馬鹿しい話だが、いちおう説明だけはしておこう。

最初に結論を言えば、スコット・ボラスごときが球団全体をボロカスに言い、自分がベースボールの守護神ででもあるかのようにふるまうのは、まったくもってお門違いだ。

MLBに30もの球団があるとはいっても、すべてのチームがワールドシリーズ優勝を真剣に狙っているわけではない。例えば、「再建中のチーム」はワールドシリーズ出場なんて狙っていないのが当然だし、また、「常に限られた低い予算の中でしか戦えないチーム」もけして少なくはない。

だから、「スコット・ボラスが抱え込んでいる『高額契約が確実視される有名FA選手』と、契約交渉できるチーム」なんてものは、「最初から『予算を潤沢に持っているチーム』に限定されている」のである。説明するまでもない。

もっとハッキリ言うと、「ボラスの有力FA選手と交渉を持つチーム」は、最初から、NYYやLADのような金満チームに限られているのである。
そうした「予算を潤沢に持っているチーム」は、当然ながら「毎年のように地区優勝にからむ」し、「毎年のようにワールドシリーズ優勝をもくろんで」もいる。だからこそ、予算を潤沢に持っているチームは、「チーム強化」を毎年のように懲りもせずやっている。


だから、スコット・ボラスが「チームを強くしようという意思がない球団がある」などと奥歯にモノがはさまった発言をしたからといって、MLBの球団全体の姿勢をボロカスに言っていると考えること自体、間違っている。
ボラスは、実際には、NYYやLADを代表とする「カネを持っている球団」に遠回しにケチをつけているだけなのだ。
もしボラスが「カネがある球団は、もっとカネを使って、金持ちらしくふるまえ」とでも言いたいのなら、誤解をまねくような曖昧な言い方などせずに、NYYとLADを「名指しで批判」すればいいのだ。馬鹿馬鹿しい。


むしろ、ブログ主が、クチの減らないスコット・ボラスと、ボラスと交渉したがる金満球団の、両者に聞きたいのは、
「予算を潤沢に持っていて、チーム強化を毎年のようにやっているチーム」が、近年ワールドシリーズを勝てているのか。

という点だ。この肝心な点を抜きにいくら議論しても、何の意味もない。

たしかに、カネを持っている球団は、地区優勝には毎年からむ。10年か15年に1回くらいなら、ワールドシリーズにも手がかかることだろう。

しかし、だ。

「毎年200M(=2億ドル)以上ものカネをかけて球団を強化し続けている金満球団だけ」がワールドシリーズに出ているか、勝てているか、というと、そうではない。

むしろ、事実は逆だ。

カネを使う前にアタマを使って、10数年に一度のチャンスをモノにした球団だけがワールドシリーズを勝ってきた、それが「この10数年のMLB」だったのではないのか。

(ちなみに、アタマを使うというのは、なんでもかんでもOPSを指標にするかわりに、なんでもかんでもWARでモノを考える、というアホな意味ではない。それが証拠に、「近年にワールドシリーズを勝ったチームのWARの合計」は、けして高くない。つまり、
今のWARなんてものに、それほど正確さなんてものはない
ということだ。このことは稿をあらためて書く)



上の2つの意見パターンは、マス・メディアとボラスがお互いに攻撃しあっているように見えても、実のところは、「お互いが、攻撃対象を巧妙にボカしたり、ズラしたりして、遠まわしの、あたりさわりのない攻撃をしあっているかのように『みせかけている』だけの、毎年のようにやってきたワンパターンなやりとり」にすぎない。
 
マスメディアが、こういう「ワンパターンな、みせかけだけの、やりとり」をしてお茶を濁している間に、「実際の」FA市場は本格的に凍りついた。

そんなとき、Yahoo.comのJeff Passanがこんなソースを提示してくれた。


以下のような意見には、スポーツ専門メディアやスコット・ボラスのウソっぽい世論操作にはない説得力がある。
PITやMIAがチーム再建のために有力選手を大量に放出しているが、そのことがFA市場を冷やしている。


例えば、マイアミ・マーリンズのデレク・ジーターは、チーム予算削減を理由に、ジャンカルロ・スタントンはじめとする外野手3人と、1番打者でセカンドのディー・ゴードンを放出した。
有力外野手が3人も同時に放出された、ということは、当然ながら「デレク・ジーターがFA市場の「外野手の就職先」を、一挙に3人も減らしたという意味になる。
おまけに、PITが放出したアンドリュー・マッカチェン外野手だ。


ならば、だ。
例えばスコット・ボラスが抱えるJ・D・マルティネスのような「高額条件のFA外野手の就職先がなくなってしまう」のは、当然の話だ。

加えて、J・D・マルティネスを「超高額な長期契約がとれる一流外野手」として扱うこと自体、そもそも間違いだ。
マルティネスの打撃成績が一流クラスといえる数字だったのは、「まだ、ほんの短期間」にすぎない。加えて、マルティネスは守備がうまくない。なにより、盗塁が数多くできるような俊足ではないので、センターが守れない。これが痛い。
マルティネスが決まらないうちに、より安いオースティン・ジャクソンがSFGに決まったのも、無理はない。ジャクソンの打撃成績にしても、過去の成績すべてを眺めれば、マルティネスと同じく、去年たまたま数字が良かっただけの眉唾ものともいえる数字なわけだが、なにせ、センターがアホほど広いコメリカ・パークで長年センターを守った経験があるのが大きい。第4の外野手は守備が上手くないと獲得する意味がない。


ストーブリーグが開幕して早々にトレードされたジャンカルロ・スタントンを獲ったヤンキースにしても、話は同じだ。
ただでさえ贅沢税が気になるチームで、ペイロールは常に天井付近にある。なのに、ハンパなマルティネスと違って「本物のスター外野手」であるスタントンを獲ったから、高額の費用を長年にわたって捻出し続けなければならない。(スタントンがアーロン・ジャッジと並んで、どのくらい三振しそうかについては、稿をあらためて書く)

スコット・ボラスにとってヤンキースは「カネをたくさん持っている上得意の交渉相手」なわけだが、スタントンを獲った時点で、高額な外野手など、もう獲れない。
そのうえスコット・ボラスが抱える先発投手ジェイク・アリエッタや、(彼のエージェントはボラスではないが)ダルビッシュなど、高額なFA先発投手にかけるカネなど、どこにもない。せいぜい「低い額でいいなら、おいで」と、粉かけるくらいが関の山だ。(だからこそヤンキースはダルビッシュに「期限つきの低額オファー」なんてものをこっそり出して、あわててひっこめるような「無様なマネ」をした)

つまり、
デレク・ジーターがスタントンを放り出したことによってヤンキースの「自由に使えるカネのレンジ」が大幅に狭まり、そのことによってFA市場の「高額先発投手の売れ行き」にも影響が出た、ということだ。(もちろん、ゲリット・コール放出の影響もあるが、市場全体を凍りつかせるほどゲリット・コールは一流じゃない)



スコット・ボラスはマス・メディアと「馴れ合いの批判合戦」などやっている暇があるなら、デレク・ジーターに苦情電話をかけるべきだ。

January 18, 2018

元ヤンキースのダスティン・ファウラーがホワイトソックスを訴えて、「将来得るはずだった収入をよこせ」ってサ。ほんと、ガキには呆れてモノが言えない。



まぁ、何はともあれ、まずは動画を見て、「どういう状況で起きた怪我か」を確認してもらいたい。2017年6月29日ギャランティード・レート・フィールド(=かつてのUSセルラー・フィールド)のCWS vs NYY戦、1回裏、バッターはメルキー・カブレラ。ファウラーは6番ライトで、このゲームがMLBデビューだった。
New York Yankees at Chicago White Sox Box Score, June 29, 2017 | Baseball-Reference.com
次に、ファウラーが激突した「」を静止画で見てもらおう。

Dustin Fowler


ブログ主は、この怪我の場面をリアルタイムでは見てないし、このニュースに関する当時の記憶もない。なので、動画などを見て、あらためて事実を確認した。

動画を見る前は、こう思った。
「選手が、球場を管理する球団を相手にわざわざ訴訟を起こした」からには、よほどのことだろう。たぶん、怪我した場所に、「突出した危険な構造物」とか、「不自然な出っ張り」とかが、改善されないまま長期間放置されていて、ファウラーはボールパークの構造上の不備が原因で怪我したのではないか。


ところが、だ。
そうではないのである。


動画をみてもらえばわかるが、このライナー性のファウルフライにファウラーは「追いついてない」。

追いつけない理由には、2つの可能性がある。

ひとつは、「ファウラーの走力が不足しているか、もともと捕れない打球であるため、たとえ彼が全速で走っても、アウトにはできない」。2つめには、「躊躇しながら走っていたために対応が遅れた」。

いずれの場合にしても、ブログ主は、こうした「スタンドに入ってしまうかもしれないファウルフライ」で、「ライトを守る外野手が、フェンス寸前で膝を曲げて止まろうとした」のを見た記憶が、あまりない。

というのも、こういう場合、普通なら、フェンスに体を預けて、フェンス内に上手に倒れこむ(ときには観客の身体も衝撃の吸収や分散に使う)ことで、大事故を防ぐのが普通だろうからだ。


ファウラーの場合、そもそも「ホームでない球場なので、フェンスへの距離感がつかめていない」。

距離感がつかめないまま、ファウラーは、フェンス直前になって、最後の最後に、停止しようとして思わず膝を曲げており、そのために膝からフェンスに突っ込んでしまっている。
事故の直接の原因は、この「膝からフェンスに突っ込んだこと」にある。そして、そのさらに原因は、もとをただせば彼の「経験不足」に理由がある、としかいいようがない。


ファウラーはマイナーでの成績を参照してもらえばわかるが、本職は「センター」であって、ライトではない。(他に、レフトとライトもやっているが、レフトの守備機会のほうが多い)

その「マイナーですらロクにライトを守ったことがないルーキー外野手」を、「MLBデビュー戦」で、おまけに「ホームグラウンドではない、ビジターのボールパークでいきなり使った」のだから、そりゃ怪我もする。

監督は、もちろん、昨シーズンでヤンキースをクビになった、あの、ジョー・ジラルディである。

100億歩ゆずったとしても、ダスティン・ファウラーは「訴える相手」を間違っている。
もしジラルディが、彼のデビューをヤンキースタジアムでセンターとして起用していたら、結果はまったく違っていたはずだ。ファウラーがもし、どうしても誰かを訴えたいのなら、「新人をデビューさせるための場所とポジション、両方を同時に間違えた配慮の足りないアホな監督ジョー・ジラルディ」を訴えるべきだ。


まぁ、冗談半分な話はともかくとして、正直、こんなことで訴訟を起こしていたら、プロスポーツなんて成り立たない

もしスキーのジャンプ選手が試合で怪我をしたら、ジャンプ台とか気象庁を訴えるのか。柔道の試合で対戦相手に怪我をさせられたら、対戦相手とか、畳メーカーを訴えるのか。テニス選手が負けたら、サーブのときに音をたてた観客を訴えるのか。変化球が曲がらなくてホームラン打たれたら、ボールを作ったメーカーを訴えるのか。


おまけに、「得るはずだった収入をよこせ」というけれども、ルーキーなんてものは、「1シーズン限りでクビになって、生涯の総収入=40万ドルで終わるのも当たり前」の不安定な存在だというのに、わずか「1試合」どころか、「たった1度の守備機会しかメジャー経験がない選手」の、「将来性」だの「未来の収入」だなんてものが計算できるわけがない。


ほんと、馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。

December 31, 2017

最初に結論を書いておこう。

自由にはもともと「価格」がある。
このことを出発点にすべきだ。


こうハッキリ書くと必ず、「何を言うか。自由は誰にでも与えられているべき無料の権利だ。」などと、教科書みたいなことを言いたがる人間がいることだろう(笑)どこで誰に教えこまれたのか知らないが、自分のアタマで考えない人間に限って、そういう安易なヒューマニズムで描いた絵空事を主張したがる。


近代という時代は、「中世の価値観を払拭して、新たな価値を築くことに必死になった時代」であり、新たな価値感の創設こそ、他のなににもかえがたい、偉業の中の偉業ともてはやされた時代だった。
「自由」も、実は、「近代に創設された価値のひとつ」であり、音楽や絵画、小説などの芸術作品から、精神分析、経済理論、社会学、共産主義にいたるまで、「価格や価値による支配から、人間を解放すると息巻く主張」は、近代に掃いて捨てるほど数多く現れた。また、この耳ざわりのいい「自由」という言葉を、多くの人から共感をかちとる、ただそれだけの目的で利用する人間も多数登場した。


「自由ついての議論」は、近代に最も熱心に議論され、最も重要な問題のひとつだが、では、その議論が明晰で正しいものだったか、というと、実は、まったくそうではない。

むしろ、「自由についての議論」の大半は、実は、そのほとんどが「ぼやけた、緩慢な議論」ばかりであり、そもそも議論の中心が最初からズレてもいる

例えば多くの人は、自由という問題の核心が、「いかにすれば全員に無料で自由を保障できるか」などという、「無料の自由の実現」にあるのではないというような、議論のポイントをきちんと教えられてはこなかった。

そのため多くの人はいまだに、「自由という言葉はとても耳ざわりがいい。自由というからには、『無料』に違いない。自由はタダであり、タダであるべきものだ」などと、自分勝手に思い込んでいる。


だが、そうした「自由に価格があるべきではない」などという話は、論理的なものではない。むしろ、単なるエスカレートした思い込み、夢物語、生半可な正義感にすぎない。
そして、そうした「生半可な正義感」こそが近代の歴史において非常に多くの間違いを引き起こしてきたにもかかわらず、その一方で「自由は無料であるべき」という主張こそが真にラディカルな態度だ、などと、間違った評価が非常に数多くなされてきた。



例をあげて考えてみる。

たしかに世界には教育や医療が無料の国がある。
では、それらは「個人が価格から自由になれた例」のひとつだろうか。


まったく違う。

教育や医療といったサービスの無料化は、サービスのコストを「個人が負担する」かわりに、「国家の負担」、あるいは、国債という形で「将来の国民の負担」にきり変えた、ただそれだけのことにすぎない。
そうした手法が可能なのは、例えば国家に石油のような「特別に利潤の大きい収入源」が確保されている場合や、赤字国債発行によって税収不足を長期的にまかなっても破綻しないでいられる財政状態の国のみに限られる。
(発展途上国で、急激すぎる自由へのチャレンジが、むしろ長期独裁へのトリガーを引いてしまう例は多々ある。それは、なんの財政的支柱もなく、収入源が確保されてもいないのに、民衆へのサービスの急激な拡大に一気に踏み出してしまうことによって、国家財政の破綻と経済の大混乱をまねき、その混乱鎮圧を名目に独裁が開始されることに、原因のひとつがある。つまり「安易なヒューマニズムが独裁を手招きする」のである)


さらに言えば、教育費や医療費が「国家の負担」にきりかわった社会システムにおいては、個人はもはや何も負担しないで済むのか。

これも違う。

たとえ教育費や医療費が「見た目だけ無料」になっても、その維持には「財源」が必要であり、石油産出国ででもない限り、財源は「個人や企業が負担する税」だ。
言い換えれば、教育や医療の無料化は、正確にいえば、サービス維持コストの徴収方法が、直接徴収から間接徴収に変わるだけにすぎないのである。たとえ教育や医療を直接負担しなくなったとしても、個人は間接的に「税という形のコスト」を支払わなければならない。

そして、悪いことに、教育や医療が無料になれば、決まって経営の効率やスキルの低下、社会のモラルの低下が起こり、社会における「コネの影響力」は著しく強いものになり、汚職や賄賂といった犯罪が蔓延することが避けられない。こうした効率悪化やコネの悪影響が蔓延した社会においては、当然ながら税率は本来の負担割合より「ムダに高く」設定しなければ社会のサービスシステムが維持できない。

そして、サービス無料化の実現は、国家機関に権力を集約させることも意味する。
日本も含め民主的なシステムのトレーニングを長年受けてきた国ならともかく、例えば中国のインターネット統制や南北朝鮮の無責任さを見ればわかることだが、民主的なシステムが未発達な国では、往々にして権力の集中を維持するために個人の自由が犠牲になる
つまり、強い国家集権的システムのもとでは、個人は、単に高額な税を負担させられるだけではなくて、「ある意味のシステム維持コストとして、『あたかも税金を徴収するように、個人の自由を国家に徴収されてしまう』」ことになる。



趣味。健康。財産。移動。主張。レジャー。恋愛。「自由」といわれても、何を思い浮かべるかは、ひとりひとり、かなり違うはずだ。だが、気をつけてもらいたい。そのうち、どのひとつをとってみても、「無料なもの」、「タダで維持できそうなもの」など、無いのだ。

そう言い切る根拠は簡単だ。むつかしくない。
自由というものは、もともと無料化することができない
からだ。

「時間」という無形の存在が「宇宙の発生」以来ずっと特別な存在であり、あらゆるモノが時間と切り離して思考することができないのと同じように、「近代の発生」とともに生産され続けてきた「価値意識」である「自由」には、「もともと近代という時代の最大の特徴のひとつである『価格』が、不可分の存在として付随している」のである。
(ちなみにそれは、カネさえあれば人は自由だ、とか、カネがあってもヒトは自由にはなれない、とか、そういうアホなヘリクツとは無関係であり、また、自由さえ得れば近代という時代から自分だけ抜け出せるわけでもない)


なぜ近代の人間が「安易なヒューマニズム」を振り回すに至ったか。

それは「自由と価格の不可分な関係」を、あえて無視しようとする、あるいは、知らないために起こる。

安易なヒューマニズム、無意味なくせに耳ざわりだけがいい軽い主張に耳を貸すべきではない。そういう雲をつかむような主張をして、それだけで生きているようにみせかけている人間にはたいてい隠しておきたい収入源があるものだ。

自由がタダで手に入る社会を夢みる、なんてことを出発点にした議論などに、もはや何の意味もない。

December 23, 2017



Sports Illustratedは雑誌が母体の老舗スポーツメディアだ。長い歴史のある一流メディアなだけに、ファンが好き勝手に書き連ねた文章を電子化して作られているSB Nationや、メディアとは名ばかりでセンセーショナルに煽ることしか能のないイエロージャーナリズムのニューヨーク・ポストあたりと違って、良くも悪くも、「節度」というものがある。

その「温厚な」はずのスポーツ・イラストレイテッドが、MLB30球団ランキングでマイアミ・マーリンズを「言うまでもない最下位」に位置づけた。その上、It's an insult to the fans who are surviving their third teardown since 2003. 「2003年以来、3度の崩壊を耐え忍んできたファンたちへの侮辱だ」とまでハッキリ書いたのだから、やはりマイアミ・マーリンズの「ファイヤーセール」はタダゴトではない


そりゃそうだ。

過去のジェフリー・ローリアの悪行を知っていれば、今回のデレク・ジーターがやっているファイヤーセールが「ローリアそっくりなタイミングのとりかた」であることくらい、誰だってわかる。



このファイヤーセールについては、MLBコミッショナー、ロブ・マンフレッドもインタビューされている。インタビュアーはESPN RadioDan Le Batardだ。

このインタビューは、スポーツのインタビューとして近来まれにみるほどの「激烈なトーンのインタビュー」だったようで、両者の激突ぶりはタダゴトではない。
VIDEO: ESPN radio host Dan Le Batard rips Rob Manfred - NY Daily News
例えば、Le Batardが挑発的に「マイアミのファイアーセールについて事前にご存知でしたか?」と単刀直入に質問すると、マンフレッドは「興味深い話題ではあるね」などとノラクラした答えで質問をかわそうとした。だがLe Batardは、すぐにマンフレッドをさえぎって、「イエスかノーかでお答えいただけるよう、申し上げましたが?」と、わざと見下したトーンでたたみかけたものだから、マンフレッドがキレてしまい、「嘘つき呼ばわりは許さん!」などと語気を強めるなどという、激しいやりとりで始まっている。(だが、結局マンフレッドは当たりさわりない返答に終始し、この話題への介入を徹底して避けた)


過去に、大多数のMLBファン、特にモントリオールとサウス・フロリダの野球ファンが「思い出したくもない、ジェフリー・ローリアがらみの災難」は数えきれないほどたくさんあるわけだが、最大のものといえば、「2004年のエクスポズ身売り」と、「2012年のファイヤーセール」だろう。

エクスポズオーナー時代の2001年、ローリアは放映権を突然値上げして地元メディアともめた。地元メディアが高額な放映権料を拒否したため、モントリオールでは「地元のエクスポズ戦の英語放送」がなくなってしまい、野球人気を一気に冷やすことになった。
その後ローリアとMLB機構は、こんどは地元自治体に「新球場建設の資金援助」を求めた。これも財政難の自治体側が拒否すると、ローリアは、なんとエクスポズをMLB機構に売り渡すという暴挙に出た。
これによりエクスポズは「オーナーのいない、宙ぶらりん球団」になってしまい、一時的にMLB自体が直接運営することになった。
宙ぶらりんのエクスポズは2004年にワシントンDCに移転。2005年5月にやっとオーナーが決まってできたのが、ワシントン・ナショナルズだ。ナショナルズは的確な再建方針の実行により、いまでは押しも押されぬナ・リーグ東地区のトップ球団になった。


「エクスポズ身売り騒動」において、当時のMLBコミッショナー、バド・セリグは、ローリアに「無利子の融資」という特権待遇を与えた。これがそもそも間違いのもとであり、ローリアは結果的にまったく損することもなく、次の買収ターゲットとしてマイアミ・マーリンズに資金投入できた。


2003年マーリンズオーナーとなったローリアは、初年度のワイルドカードからワールドシリーズ制覇しているのだが、勘違いしてもらっては困るが、これはローリアの前オーナーであるジョン・W・ヘンリー(=かつてマーリンズGMだったデーブ・ドンブロウスキーをクビにした人物)の時代の選手たちの活躍が原動力なのであって、ローリアの功績でもなんでもない。
それが証拠に、ローリアはシーズン終了後、ワールドシリーズで活躍した選手たちをさっさと手放した。もし自分が苦労して集めてきた選手がワールドシリーズを優勝してくれたのなら、そのほとんどをを即座に売り払うような真似はしない。

そして2012年、地元自治体が建設資金の約4分の3を負担した新球場マーリンズ・パークが開場したわけだが、ローリアは、たった1年だけチームに多額の資金を投入し、マーク・バーリーなど有力選手をかき集めてみせた。
だがローリアは、その選手たちもすぐにファイヤーセールで売り払った。新球場に資金援助してくれた地元ファンを、たった1年だけ夢を見させておいて、すぐに裏切ったのである。この「裏切り行為」は、いうまでもなく地元のファンとメディアの大顰蹙をかった。それが「2012年のファイヤーセール」だ。


こうした2球団での事件の数々に加え、ジェフリー・ローリアのすべての「悪事の前提」として知っておくべきことは、彼がずっと「MLB機構が、収入の少ないチームに資金を再分配する『分配金制度』を悪用してきた」ことだ。
ローリアはMLB機構から「多額の分配金」を受け取る一方で、選手の年俸全体を「低く抑え」、さらにはサラリーが高騰しそうな有力選手が出現するたびに他球団に売り払うという手法で、結果的に「多額の差額収入を得てきた」のである。



ちなみに「2012年のファイヤーセール」ではマーリンズの有力選手のほとんどがトレードされていなくなったが、ほんの少数「チームに残されたスタメン野手」がいる。そのひとりが、当時22歳で、サラリーがたったの48万ドルだったジャンカルロ・スタントンだ。
そして、ファイヤーセールの翌年、2013年に、突如として出現した若手投手のホープが、当時20歳で、サラリー40万ドル台だったホセ・フェルナンデスだ。

フェルナンデスのコカイン使用中のボート事故死という不祥事と、今回のスタントンのトレードが、マーリンズの歴史においてどういう意味をもっているかわかるはずだ。この2人はいわば、ローリアが崩壊させ続けてきた2000年代以降のマーリンズの「最後に残された希望」だったのである。


ところが、だ。
その「最後のピース」をニューヨークに売り払う人物が現れた。
デレク・ジーターである。

「少ない予算の中で勝てるチームをつくるために有力選手をファイヤーセールするのは、よくあることだ」とジーターは言い訳している。だが、それはローリアがこれまでやってきたことと、まったく何も変わっていない。


おかしな点は多い。

ジーターは「予算が少ない」というが、カネがないなら、MLBチームなど買うべきではない。当たり前の話だ。言い訳にすぎない。

また、ニューヨークなどのビッグ・マーケットのGMの年俸を調べれば誰でもわかることだが、まだ新人で何の実績もないGMにしては、ジーターの年俸「600万ドル」はけして少ない金額ではない。もし「カネがないチームだ」というのなら、なぜなんの実績もないGMが多額の年俸を約束されているのか。

さらに、イチローのオプションの件もおかしい。若手中心のチームに作り変えるためにスタントン、オズーナと、「スタメン外野手」を次々に手放す予定だったのなら、「年俸が安くて、外野のどこでも守れる、打撃のいい控え外野手」を「真っ先に手放す理由」がない

また、スタントンは当初からトレードを望んでいたわけではない。むしろ彼は数少ない「はえぬき」のスタメン選手のひとりとして「投手補強によるマーリンズ強化」を望んでいた。(ちなみにスタントンは2012年ファイヤーセールのときもツイッターでローリア批判を公言している)
実際、2017マーリンズの打撃面は、十分にポストシーズン進出を狙えるだけの内容だったが、2017年マーリンズはホセ・フェルナンデスを事故で失って投手補強が急務だったにもかかわらず、ポストシーズンを前提とした投手補強を行わなかった。このことはマーリンズが2017シーズン終盤に大きく失速する最大の原因になった。
いってみれば、2017マーリンズは、ポストシーズンに行けるチャンスもあったのに、「故意にチャンスを投げ捨てた」のである。


細かい点をだいぶ端折って書いたために事実関係が曖昧だったり、記憶違いだったりする点があるかもしれないが、ご容赦願いたい。
いずれにしても言いたいことは簡単で、デレク・ジーターがいまやっていることは、かつてジェフリー・ローリアがやってきたことと、そっくりだ、ということだ。
ドラフトで有力選手がボコボコ獲れた時代はもはや終わった。ストラスバーグとハーパーをドラフトで獲ったナショナルズと同じ再建手法がもはや成り立たないのは、シアトル・マリナーズの再建の失敗ぶりをみればわかる。
(ちなみにジェフリー・ローリアはニューヨークのマンハッタン生まれで、子供の頃からヤンキースの試合を見て育った人間であり、今でも1年の半分はニューヨークに住んでいる。そしてマーリンズ監督ドン・マッティングリーも、GMデレク・ジーターも、元ヤンキースである)


こうしてこの10数年の流れを大局的に眺めてみると、以下の言葉をつらねるのが嫌になるが、書いておくしかないだろう。
かつてイチローを嫌っていたはずのマーリンズがイチロー獲得に動いたことの「真意」は、結局のところ、「イチローのクリーンなイメージを利用して、ファンを呼び戻し、売り払う前の球団価値を多少なりともアップすることにあった」としか言いようがない。
いいかえるなら、球団を高く売り払うためにローリアは、イチローを利用し、マイアミの野球ファンを利用し、そして2012年ファイヤーセールの「最後に残ったピース」であるジャンカルロ・スタントンをも含めて「すべてを売り払った」のだ。

それが悪行でなくて、なんだというのだろう。


そして、ジェフリー・ローリアがようやくいなくなって、誰もが「やれやれ、やっとこれでサウス・フロリダもマトモになる」と思っていたところで、新しいGMであるデレク・ジーターが「ローリアそっくりのファイヤーセール」をやったわけだ。

怒りを通りこして、呆れるしかない。








November 15, 2017

「四球と出塁率が打撃力の要(かなめ)」とかいうアホ理論は、2017年をもって死んだ、という話のあらましを以下に書く。(実際にはこのアホ理論、とっくの昔に死んでいるのだが、ビリー・ビーンのオークランドが典型例だったように、アホなチームと無能なGMが採用し続けていたために「ウォーキング・デッド」と化している)


2017年シーズンが始まる前、2017年2月に書いたように、「三振数が1300を超えるチーム」が大量生産されだしたのは、2010年代に入ってからのことであり、2010年代のMLBの打撃面の最も特徴的なファクターのひとつが「三振の激増」である。

平たく言えば、2010年代は「クリス・カーター大量生産時代」なのだ。(ちなみにヤンキースは、クリス・カーターをクビにしたにもかかわらず、まったく同タイプであるトッド・フレイジャーを獲得し、スタメンに並べた。それがどのくらい無意味な行為か、ホームラン馬鹿には理解できないらしいから呆れた話だ)
「MLBで『三振ばかりするホームランバッター』が大量生産されだしたのは、『2000年代以降』のことであって、とりわけ『2010年代』に大量に生産されだした。彼らは、本物のスラッガーではなく、いわゆる『大型扇風機』にすぎない。」

出典:2017年2月1日、41本ホームラン打ったクリス・カーターに再契約オファーがなかったことからわかる、「ホームランバッターは三振が多くて当たり前」という話の真っ赤な嘘。 | Damejima's HARDBALL


以下にあらためて2000年以降に「大量に三振するチーム」を列挙してみた。「三振の多いチーム」が特定のチームに偏っていることがわかる。

シーズン1300三振以上のチーム(計56チーム)
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL

元記事:2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL


では「2017年」はどうだったのだろう。
「1300三振以上したチーム」は
増えたのか、減ったのか。

答え:
大量に増えた


年間1300三振したチーム

2016年
MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL

2017年
MIL TBR SDP TEX OAK ARI PHI BAL COL CHC CHW NYY LAD STL MIN CIN TOR WSN DET


2000年代に「年間に1300三振以上するチーム数」は、年に1チーム、多くて2チームしかなかった。だが、2016年には11チームと2ケタになり、さらに2017年には19チームにもなって、なんとMLB30球団の3分の2が1300三振する「大型扇風機チーム」になったのである。
ホームランが大量生産された2017年が、どれだけ「バッターがバットをむやみに振り回してフライを打とうとし、ホームランを狙ったシーズンだったか」がわかる。

------------------------------------------------------

ところが、だ。

「2012年〜2016年まで、常にチーム三振数がMLBトップクラスで、毎年のように三振ばかりしてきた、とあるチーム」の名前が、どういうわけか、2017年の三振チームリストに見当たらない。

ヒューストン・アストロズである。

ヒューストンの今シーズンの三振数は1087
なんとこれ、2017MLB最少の三振数なのだ。

つまり、MLBで「最も三振ばかりしていたチーム」が突然、「最も三振しないチーム」になり、ワールドシリーズを勝ったのである。


話は、まだまだある。
以下のメモを見てもらいたい。

2017年 MLB30球団における
ヒューストンのチーム打撃成績ランキング

打率 1位 .282
ヒット数 1位 1581本
二塁打数 1位 346本
ホームラン数 2位 238本

出塁率 1位 .346
三振数 30位 1087
四球数 20位 509


注目に値するのは、これだけあらゆる打撃が抜きん出ていた2017ヒューストンにあって、こと「四球数」だけは「全体平均の528四球」を下回っていることだ。

言い換えると、2017ヒューストンの「出塁率 MLB1位」の中身は、「四球」とまったく関係がないのである。

もっと正確に書けば、ヒューストンの出塁率の高さは、「チーム打率が高かった」ことによって派生したオマケにすぎないのであり、出塁率が「原因」となって、チームの好調さという「好結果」を生み出したわけでもなんでもない、ということだ。

2017ヒューストンはバッターに「待球」を強制し、チーム四球数をむやみと増やすことで出塁率を高めれば、得点増加に直結して自然と勝てるようになる、というような、「アタマの悪い人間が考えだした、デタラメなヘリクツ」で野球をやっていたわけではないのである。(注:そもそもチームが選手に待球を強く指示したとしても、チーム四球数はそれほど増えたりなどしない)


2014年、2015年と2年連続でワールドシリーズに進出したカンザスシティの勝利の原動力が「ヒット中心主義による打率の高さ」だったことは、2015年4月の記事に書いている。
参考記事:2015年4月14日、昨年のワールドシリーズ進出がフロックでなかったことを証明し、ア・リーグ中地区首位を快走するカンザスシティ・ロイヤルズの「ヒット中心主義」。 | Damejima's HARDBALL

2017年ヒューストンは、当時のカンザスシティほどではないにしても、打率で他チームを圧倒したのである。
かねてからこのブログで指摘してきた「出塁率を決定しているのはあくまで打率であって、四球はほとんど関係ない」という事実を、2017年ヒューストン・アストロズは現実化してみせた。
参考記事:
2011年9月3日、チームというマクロ的視点から見たとき、「出塁率」を決定している唯一のファクターは「打率」であり、四球率は無関係、という仮説。 | Damejima's HARDBALL

2015年2月8日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論にむけて(3)100年もの長期でみても「四球数」は、「得点」や「出塁率」はもちろん、他のゲームファクターの増減と無縁の存在である可能性は高い。 | Damejima's HARDBALL



アタマの悪い人間が、ホームランの多さこそ2017ヒューストン打線の特徴だ、などと言い張るかもしれないので(笑)ちょっとだけ、ヤンキースなど「打率軽視の、中身のないホームラン馬鹿打線」と比較しておこう。

ヒューストン(238本)と同じくらいのホームラン数のチームは、ヤンキース(241本)、テキサス(237本)、オークランド(234本)など、いくつかあるが、ヒューストンとそれらのチームの「打線の差」は、ホームラン数ではない。
両者の差は、二塁打の数チーム打率を比べたとき、はじめて歴然とする。つまり、ホームラン数の多さはけしてヒューストン打線の「最も際立った特徴」ではない、ということだ。「打率軽視のホームラン馬鹿打線」のオークランドやテキサスを相手にしているかぎり、ア・リーグ西地区におけるヒューストンの優位性はゆるがない。
2017 チーム二塁打数 チーム打率

HOU 346本 1位 .282 1位 (四球数 509 20位)
OAK 301本 6位 .246 24位 (四球数 565 10位)
NYY 266本 22位 .262 6位 (四球数 616 3位)
TEX 255本 25位 .244 25位 (四球数 544 13位)



では、なぜ突然ヒューストンは「最も三振するチーム」から「最も三振しないチーム」に変身できたのか。

それについては、残念ながらハッキリしたことはまだ何もいえない。

あくまで「直感」レベルとしてだが、2013年から2016年の「三振ばかりするヒューストン」は、わざと選手に「フルスイングさせて、若い選手の成長を促進してきた」のではないか、などとは思っている。


もちろんこれも今のところ根拠のない空想にすぎない話だが、ブログ主には、「2010年代のMLBが『三振か、フライか』という時代になることを予見できていたチームが、2010年代の覇権を握った」と思えてならない。
「早くからボールの変化に気づいていたチーム」であるヒューストンは2010年代の早くから「フルスイングによるフライ打ち」を奨励し、数年かかって若い打者のバッティングがまとまってきたところでワールドシリーズを勝ったのではないか、などと夢想するわけだ。
最近ボールが飛ぶボールに変わったと、よくいうけれども、それをヒットやホームランに変えるためには「準備」というものが必要であり、例えば「フライを打ちまくれる打撃フォームの確立」にはそれ相当の時間がかかる。2015年にワールドシリーズを勝ったカブスも、思い起こせば、当時「三振だらけのチーム」だったことを思い出してもらいたい。


ボストンが、地区優勝し、なおかつ2018年まで契約が残っていた監督ジョン・ファレルをあえてクビにし、ワールドシリーズを勝ったヒューストンのベンチコーチ、アレックス・コーラを監督に迎えた。
もちろん、チーム独自の個性にこだわりたがる目立ちたがりのボストンがヒューストンとまったく同じ戦術をとるとは思えないが、少なくとも、これまでボストンが長年やり続けてきた「過度なまでの待球」をバッターに強いる「出塁率重視の戦術」がピリオドを迎えたことだけは間違いないだろう。でなければ、ここまで書いてきたことでわかるように、四球を重視しない2017ヒューストンのベンチコーチを、地区優勝監督をクビにしてまでして、わざわざ監督に迎える必要がない。

2018年にボストンの打撃スタイルがどう変わるかを見ることで、2017年のヒューストン・レボリューションがどういうものだったか、逆算的に眺めることになるかもしれない。

November 08, 2017

何を表現すべきか、それすら、よくわからない。まさかチェイス・アトリーについて書いた数日後にこんなことが起きるとは思ってもみなかった。
大投手ロイ・ハラデイ、飛行機事故で逝去。享年40歳。



2010年に以下の記事を書いた。
2010年10月21日、ちょっと心配になるロイ・ハラデイの「ひじ」と、「アンパイアのコール」。今日の球審は、今年8月、これまで一度も退場になったことのないニック・マーケイキスと、監督バック・ショーウォルターを退場にしたJeff Nelson。 | Damejima's HARDBALL

ハラデイのフォームに違和感を感じて書いた記事ではあるが、正直いって、当時ハラデイの身体が「壊れている」とまで感じたわけではなくて、ちょっとヒジの調子がよくないのかな、と思った程度だった。
実際、この年ハラデイは、21勝して最多勝を手にし、完全試合と、ポストシーズン初戦のノーヒット・ノーランまで達成して、2度目のサイ・ヤング賞投手にもなったのだから、大投手ハラデイの「全盛期」はまだまだ「長い」、と思えた。
2010年10月6日、長年の念願をかなえポスト・シーズン初登板のロイ・ハラデイが、いきなりノーヒット・ノーラン達成! | Damejima's HARDBALL



彼の真骨頂は、短く言えば
球数の少なさ」にある。


球数が少ない中でバッターをうちとれれば、「長いイニング」を投げられる。当然だ。だが、球数を減らすには、「ストライクを投げ続ける勇気」のほかに「バッターに振らせる才能」がなければならない。
ただ、振らせて、マトモにバットの芯で打たれるのでは、困る。芯を食わないためには、「いかにも打てそうな、だが、実際には打ちにくい球」を投げ続けなければならない。当然ながら、「コントロール」がよく、「変化球がキレて」いなくては、話にならない。

ノーヒットノーランを達成した2010NLDSのシンシナティ戦も、わずか104球での達成だ。ひとりあたり3.85球と、ひとりあたり4球以下でバッター27人を仕留めたことになる。まさにハラデイの面目躍如となった歴史的なゲームだった。


このブログに1000以上書いてきた記事の中で、自分が常に「これを読んでもらいたいと思っている記事」のひとつが、これだ。フィラデルフィアに移籍する直前、トロント時代のデイヴィッド・オルティーズに対する投球について書いたものだが、本当に効果的に考えぬかれた配球だと今でも思う。
メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』 序論:2009年9月30日、大投手ハラデイの「配球芸術」を鑑賞しながら考える日米の配球の違い | Damejima's HARDBALL


分析が大流行の時代ではある。
では、その「分析」とやらがあらゆるバッターに通用するか、というと、アーロン・ジャッジ程度のバッターにホームランを50本も打たれるのだから、そうでもない。なぜって、いくら打者の攻略方法が分析でわかったとしても、「思ったとおりに投げられる能力」がない投手ばかりなら、分析結果が役に立たないからだ。
誓ってもいいが、もしハラデイと対戦していたら、アーロン・ジャッジ程度の弱点のわかりきっているバッターは三振を繰り返して手も足も出ない。


あれほど輝かしい2010年を経験したハラデイだったが、その後数年で引退した。思えば2010年はキャリアのハイライトだったわけだ。引退直前のハラデイについて、マイケル・ヤングがこんなことを弔意とともに語ってくれている。


「あれは忘れもしない(2013年の)8月13日。ドクと僕は引退を2ヶ月後に控えてた。彼は明らかに怪我してたが、まだ投げていた。ある日、彼はリグレイ・フィールドで83球投げ、自分をコントロールする力を失ってた。マウンドに行ったら、彼は「どこもかしこも痛む」とだけ言った。でもマウンドは降りなかった。彼はいつもそうやって戦ってたんだ。」


痛々しすぎる。
読むのが辛かった。


親友の突然の死にあたって、普通なら、その人の生前の「最盛期」のことを「英雄的に」語ったりするものだ、と、われわれは思いがちだ。
だが、よく考えれば、最盛期だけ語って悲しむような「うわべの行為」は、実は、その人のことをメディアを通してしか知らない、「疎遠な人」のやることだ。マイケル・ヤングはそうはしなかった。

マイケル・ヤングは、よくあるRIPというような省略語ではなく、彼自身の言葉と経験で、「ロイ・ハラデイが、引退するシーズンの最後の最後まで、自分が『ロイ・ハラデイであり続けよう』と必死に頑張っていたこと」を静かに語ってくれた。



今はもう、ロイ・ハラデイはこの世にいない。
ロイ・ハラデイは、「大投手ロイ・ハラデイ」として、その野球キャリアとともに名誉ある短い人生を終えたからだ。

大投手、ロイ・ハラデイ。
野球とともに生きた40年間だった。


Roy Halladay




November 03, 2017

2017年ワールドシリーズの最終第7戦の9回裏に、先頭打者として「代打」に立ったのは、チェイス・アトリーだった。結果は3球三振。これで彼の2017年ポストシーズンは、8試合出場、14打数ノーヒットと、酷い結果に終わった。ジャスティン・バーランダーを讃える多くの声にかきけされるように、ヴェテラン二塁手はドジャースタジアムからひっそりと去った。


2017年のポストシーズンに彼がスターターとして出場したのは、アリゾナとのNLDS第3戦、カブスとのNLCS第3戦、ヒューストンとのワールドシリーズ第2戦だが、打撃面で結果をまったく残せなかった。
3試合の相手投手が、ザック・グレインキーカイル・ヘンドリックスジャスティン・バーランダーと、すべて右投手ばかりだったことをみれば、ドジャース監督デーブ・ロバーツがチェイス・アトリーを「右投手先発時専用の臨時セカンド」として起用したことがわかる。ワールドシリーズ第7戦の代打のときの投手も、右のチャーリー・モートンだった。


ロバーツが2017ポストシーズンに起用したメインの二塁手は、2017年1月にタンパベイから獲得したローガン・フォーサイスで、46打席で11安打9四球を獲得、.435もの高い出塁率を残した。2017レギュラーシーズンに119試合出場したフォーサイスは、うち76試合でセカンドを守ったが、セカンド出場時が打率.274で、最もいい。
Logan Forsythe 2017 Batting Splits | Baseball-Reference.com

このワールドシリーズの打席結果で「フォーサイスはシュア打者」という印象をもった人もいるかもしれないが、どういうものか彼には「右投手がまったく打てない」という致命的な欠点がある。



ドジャースのセカンドといえば、かつてはディー・ゴードンの定位置だったわけだが、ゴードンも、ゴードンがマイアミに去った後の後継者のハウィー・ケンドリックも、右も左も関係なく打てた。そのため、ちょっと前のドジャースは二塁手をツープラトンにする必要がなかった。

だが、ケンドリックの後釜になるはずだったアトリーは、残念ながら違った。2016年に138試合も出場させてもらいながら、どうしたわけか左投手がまったく打てなくなってしまった。フィラデルフィア時代の彼は、左に多少苦手意識があったにしても、全然ダメというわけでもなかっただけに、原因はよくわからない。とにかくドジャースは年齢の高いアトリーにフルシーズンまかせるのをすぐに諦めた。

そこで2017年1月にタンパベイからトレードしてきたのが、かつてサンディエゴの2008年ドラフト1位だったフォーサイスで、たしかにフォーサイスの2016年のスタッツだけみれば、右投手に100個もの三振をさせられているとはいえ、「左も右も、そこそこなら打てる打者」であるようにみえた。
Logan Forsythe 2016 Batting Splits | Baseball-Reference.com

ところが、こんどはそのフォーサイス、ドジャース移籍以降「右投手がまったく打てない」のである。
おまけに、悪いことに、2016年から指揮をとりだした監督デーブ・ロバーツは、ヤンキースを実質クビになったジョー・ジラルディ同様の、非常に悪性の「左右病患者」ときた。


そんなわけで、2017年ドジャースのセカンドは、投手が左なら右打者フォーサイス、右なら左打者アトリー、と、「典型的なツープラトン体制」にあった。

この「重症の左右病患者デーブ・ロバーツのツープラトン」がどういう結果を招いたかといえば、以下の記事にみるとおり、選手に非常に難しいコンディショニングを強いることになったと、ブログ主はみる。
とりわけ、さすがに体力の衰えが隠せないチェイスは、何試合かおきに先発するような、断片的な出場のもとでは、実力を発揮することが難しかっただろう。
イチローの苦悩がわかる。アトリーが語る「代打で試合に出る難しさ」|MLB|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva


では、2017年のチェイス・アトリーは何も足跡を残さなかったか。

そうではない。

かつて以下の記事で「二塁打を数多く打てる打者の意味」を少しだけ書いたことがある。
2012年1月3日、率と期待値を足し算している「OPSのデタラメさ」 (4)実例にみる「四球数の、長打力イメージへのすりかえ」。数字に甘やかされたハンパなスラッガーたちのOPSの本当の中身。 | Damejima's HARDBALL
アトリーは、2017年のレギュラーシーズンに「353打席」という限られた打席数の中で、「20本の二塁打」を打ってみせている。これはけして少なくはない。
この「レギュラーシーズン、二塁打20本」の意味するところは、「まだまだチェイス・アトリーはやれる」という意味だとブログ主は考えたし、ポストシーズンにも、彼のワールドシリーズ経験をもっと生かすべきだった。
Chase Utley 2017 Batting Splits | Baseball-Reference.com


だが、なにも「デーブ・ロバーツはポストシーズン全試合で、フォーサイスではなく、アトリーを使うべきだった」と言いたいわけではない。
言いたいのは、少なくともロバーツは、短期決戦のポストシーズンではツープラトンなどという中途半端で無意味な戦術はやめ、「どちらの二塁手と心中するのか」ハッキリ決めて、フォーサイスかアトリーのどちらかを「しっかり使いきる」べきだった、ということだ。
きちんと決め打ちしないから、コンディションのよくないアトリーがたまに起用されては打線を寸断する原因になったりする悪循環に陥るのである。


ドジャースは打線がまったく機能しなかった試合が多かったわけだが、ダルビッシュの第7戦先発を含め、「ロバーツの選手起用の下手さ」はワールドシリーズの明暗を分けた。

第7戦のアトリーの代打起用にしても、いくら右投手がマウンドにいるからといっても、試合の趨勢が決まってしまった9回裏に、それまで13打数ノーヒットのチェイス・アトリーを打席に立たせる必然性など、どこにもない
もしワールドシリーズ制覇をあきらめていないのなら、無意味なツープラトンでコンディションを崩していたチェイス・アトリーを打席に送るのではなく、他の誰かでよかったはずだ。最後の1球まで試合を諦めるべきではないことなど、ワールドシリーズでは言うまでもないことだ。



それにしても、2012年12月にフィリーズの2年契約オファーをイチローが受けていたら、3000安打ももっと早く達成できていただろうし、「1番イチロー、2番マイケル・ヤング、3番チェイス・アトリー、先発クリフ・リー」だったのに、などと、2017年になっても、いまだに思っているブログ主ではあった(笑)
2015年2月26日、「1番イチロー、2番マイケル・ヤング、3番チェイス・アトリー、先発クリフ・リー」なんてスタメンがありえた「夢の2013年フィリーズ」。イチローへの2年14Mのオファーを懐かしむPhilliedelphia.com | Damejima's HARDBALL

September 16, 2017

代打で打率.292打てるバッターがいたとして、もしあなたなら、この選手がスタメンでずっと出場していたら、どれだけの打率残せたと思うだろうか。
あるいは、ちょっと言いかえるなら、「もしあなたが代打という、気まぐれなシチュエーションでワンシーズン出場したとして、3割打てるか」という質問でもいい。


イチロー2017年

月間(打率、出塁率) 
7月 .321 .472
8月 .346 .370
9月 .375 .500

2017年通算(打率、出塁率、wOBA)
走者なし  .240 .303 .280
走者あり  .296 .367 .326
得点圏   .341 .426 .381

ソース:Baseball Reference, Fangraph


自分は、今シーズンイチローがスタメン起用されていたら確実に3割打てただろうと思っている。だから、来シーズンのイチローの契約について、自分は心配したことなど、一度もない。


そんなことよりも、だ。

むしろ、今シーズンのイチローについて、「なぜ?」とクビを傾げていることがある。

盗塁がゼロであることだ。


イチローを見る、という「行為」は、バッティングだけでなく、走塁を見て、守備を見て、あらゆる「野球のあらゆる時間を楽しむ総合的な行為」であるべきであって、代打でバッティングだけ見るというのは、苦痛以外のなにものでもない

盗塁死が1度だけあるところをみると、イチローの側に走る気持ちがまったくなかったわけでもなさそうだが、とはいえ、ゲーム終盤にイチローが代打として起用されるシチュエーションの大半が、盗塁を期待しない、リスクをかけられないシチュエーションばかりだったのかもしれない。よくわからない。

なぜだ。
足のどこかを痛めているのか。

誰か、マッティングリーにイチローの盗塁を禁止してないかどうか、聞いてきてくれ(笑)


冗談はさておき、ついでだからいうと、マイアミのオーナーが来シーズンからデレク・ジーターのグループに変わったら、監督ドン・マッティングリーか、GMマイケル・ヒルのどちらか、特にマッティングリーはクビになるんじゃないかと、ちょっと思ってる。なぜって、やりようによっては今シーズンのマイアミはポストシーズン進出の可能性が十分あったと、誰しも思っているはずだからだ。

September 01, 2017



日本の国土の上空をミサイルが通過するこの異常な時代にあって、官房長官に「ある程度、金委員長側の要求に応えるような働きかけはしないのか?」などと質問する度を越したアホがジャーナリストを気取るような、キチガイじみた時代である。

ブログ主は、もし近い将来に、東京新聞記者・望月が、中国や北朝鮮などから資金提供を受けた宣伝協力者、あるいは工作員、あるいは内通者とわかったとしても、特に驚かない。
なぜそんな三流スパイ小説まがいのことを懸念するのかといえば、第二次大戦後の暗号解読や情報公開によって明らかになったさまざまな「事実」によって、英国やアメリカの、それも戦時の政権や情報機関の内部においてすら、「欧米向けの宣伝活動の従事者」、「内通者」、「スパイ」が、少なからず実在していた実例があるからだ。以下のエピソードはそのほんの一部にすぎないが、これらは作り物の小説でも、映画でもない。


第二次大戦前後の英米におけるスパイ事件で、まずアタマに入れるべきは、Venona projectだろう。(ベノナ・プロジェクトは単に「ベノナ」と表記される場合も多い。また「ヴェノナ」という表記も多数あり、検索に工夫が必要)
Venona project - Wikipedia
アメリカで1943年から30年以上にわたって続けられたベノナ・プロジェクトの目的は、当時の米国内にいたソ連スパイと、ソ連との間で交わされる暗号電文に使われていた "one-time pad" (ワンタイム・パッド)と呼ばれる「使い捨ての暗号化方式」の解読によって、「スパイの実在を確定すること」にあった。
one-time pad は現代のネット取引で使われている「ワンタイム・パスワード」の前身にあたり、ベノナ・プロジェクトで解読に成功した文書の多くは、いまもウェブ上で公開されている。

ベノナ・プロジェクトの最も大きな成果は、「疑惑」を「事実」に変えたことだ。
原爆製造情報の流出を筆頭に、アメリカから外部への情報漏洩については、アメリカ国内にいる多数のソ連スパイの関与が指摘され続けていたが、その実在の証明はいまひとつ不確かなものであり、また、当時のマスメディアはスパイ疑惑の追及に対して「冤罪」を主張して抵抗していた。
だが、ベノナ・プロジェクトによってアメリカ国内はもとより、当時の政権の中枢にすらソ連のスパイが実在していたことが証明され、また、スパイ疑惑に抵抗する当時のマスメディアの冤罪キャンペーンにも、コミンテルンやソ連の誘導や資金提供があったことが後年の検証で判明した。
(また、この記事では触れきれないが、第二次大戦前のアメリカ国内には「見た目に中国支援者にみえる有力者」が多数いて、中国支援のロビー活動や反日世論の喚起を熱心に行っていたが、ベノナ・プロジェクトによって、そうした当時のアメリカ国内の中国支援団体の主要人物の多くがソ連のスパイだったことがわかっている)


具体的事例に移ろう。
ベノナ・プロジェクトの暴いた代表事例といえば、
ローゼンバーグ事件だろう。

これは、アメリカのユダヤ人夫妻ジュリアス・ローゼンバーグJulius Rosenberg)とエセル・グリーングラス・ローゼンバーグ(Ethel Greenglass Rosenberg)が原爆製造情報をソ連に売りわたしていたスパイ事件だ。
夫妻の情報源は、アメリカの原爆開発地であるロスアラモス国立研究所で働いていた妻エセルの実弟デイヴィッド・グリーングラス(David Greenglass)であり、この男も夫妻同様にソ連のスパイだった。

夫妻は1951年に死刑判決を受けたが、判決を不当と主張する左翼系マスコミなどによってアメリカ政府を非難するプロパガンダが行われた結果、「プロパガンダに乗った多くの著名人」が冤罪を訴えたことでも有名になった。(サルトル、コクトー、アインシュタイン、ロバート・オッペンハイマー、ハロルド・ユーリー、ネルソン・オルグレン、ブレヒト、ダシール・ハメット、フリーダ・カーロ、ディエゴ・リベラ、ピカソ、フリッツ・ラング、教皇ピウス12世などなど)
だが結果的には、ベノナ・プロジェクトによる暗号解読によって「ローゼンバーグ事件が事実だった」ことが判明。また、冷戦終結後に公表されたソ連の内部文書や証言によって、ローゼンバーグ事件における左翼系マスメディアのプロパガンダそのものが、ソ連が関与した「ステマ」だったことすら明らかになったらしい。


さらにもうひとり、ベノナ・プロジェクトで判明したソ連のスパイに、元・財務次官補ハリー・ホワイトHarry Dexter White)を挙げないわけにはいかない。

ローゼンバーグ夫妻と同じユダヤ系アメリカ人で、ボストン生まれのハリー・ホワイトは、ハーバード大学の大学院を経てフランクリン・ルーズヴェルト政権の財務次官補の要職についた。
彼は、在米日本資産の凍結を支持した人物であり、また、第二次大戦直前の1941年、米国から日本への最後通牒となった、いわゆる "Hull note" (ハル・ノート)の原案となったモーゲンソー私案を作成した、まさにその人物である。
ハリー・ホワイトは1943年から始まったベノナ・プロジェクトによってスパイ疑惑を指摘され、1948年に米下院非米活動委員会に召喚されたが、疑惑を否定。そのわずか3日後、毒性のある植物であるジギタリスの大量服用による心臓麻痺で急死している。


ソ連のスパイだったハリー・ホワイトが「ハーバード卒」だったことは、わざと明記しておいた。それには以下のような理由がある。

第二次大戦当時、中華民国総統だった時代の蒋介石の周辺にたくさんのハーバード卒業生がいたといわれるように、第一次と第二次の大戦間には、英国ケンブリッジ大学、米国ハーバード大学など、英米の有名大学卒業生に非常に多くの「共産主義信奉者」「左翼思想にかぶれた若者たち」がいたことがわかっているからである。

以下を読んでもらえばその責任の一端がわかると思うが、第二次大戦後の「核兵器の時代」、つまり「相互の核武装を前提にした東西均衡」の発端は、大戦前後の混乱期に多発した「共産主義を信んじこんだ無謀で無責任な各国の若者たちによる、原爆などの国家機密の漏洩」に原因のひとつがある。


例えばケンブリッジ・ファイブCambridge Five)と呼ばれたイギリスの集団は、1930年代にケンブリッジ大学で共産主義を信奉するようになったグループで、主犯格キム・フィルビーKim Philby)は、ソ連のスパイでありながら、同時になんとイギリスの諜報機関の次期長官候補ですらあった。
同じように、ケンブリッジ・ファイブのメンバーはその一流大学卒の経歴を生かし、イギリス外務省、情報機関MI6やSIS、国営放送BBCなど、国家機密や情報に直接関わりをもつ要職につき、ソ連のスパイとして、イギリスとその同盟国の情報を大量にソ連に手渡したとされている。

広島と長崎に投下された原爆を製造したアメリカのマンハッタン計画で、原水爆製造に深く関与した元ドイツ人クラウス・フックスKlaus Fuchs)も、ソ連のスパイだった西側欧米人のひとりだが、このクラウス・フックスがアメリカからイギリスに移って以降にもたらした原爆製造情報をソ連に流していたのは、ケンブリッジ・ファイブのひとり、ドナルド・マクリーンDonald Maclean)だった。
ケンブリッジ・ファイブの容疑は1950年代に露見しかかったが、主犯格キム・フィルビーがメンバーに通報したために、メンバーの大半がソ連に亡命し、処罰をまぬがれた。マクリーンも1951年に亡命、ソ連共産党に入党して財産を与えられ、モスクワで死去している。



次に、赤いジャーナリスト、エドガー・スノーEdgar Snow)を挙げておこう。

エドガー・スノーはミズーリ大学とコロンビア大学の出身で、気まぐれに出かけた世界旅行のついでに中華民国に長期滞在したのをきっかけに中国専門ジャーナリストになった。1937年になると、毛沢東を神格化し、毛沢東による中国革命を賛美する中国宣伝本 "Red Star Over China" 『中国の赤い星』を出版。当時の欧米や日本の「知識人気取り」の間で「必読本」として扱われ、一世を風靡したようだ。いいかえると、この書籍を読んだ若い知識人気取りが共産主義にかぶれる原因のひとつをつくった。

だが、日本人として忘れてはならない彼の著作は、なんといっても1941年出版の "The Battle for Asia" 『アジアの戦争』だろう。
南京事件を報道した "The Battle for Asia" は、後に「南京で日本軍が30万人を虐殺した」という歪曲情報を固定する「宣伝戦略」の中心材料となった。

スノーが著作を書くにあたっては、接触がJDサリンジャー並みに難しかった毛沢東がインタビューを許すかわりに、「果てしない数の原稿の書き直し」をさせられていたことがわかっている。同様の「書き直し作業」は、 "Red Star Over China" のみならず、エドガー・スノーの第二次大戦時の著作の大半にみられるようだ。
つまり、スノーは言われるがまま、「宣伝文」を書かされていた、ということだ。後年の検証で、エドガー・スノーが南京大虐殺に関する一次情報を扱う立場になかったことなど、彼の著作の信憑性には多数の疑問がつきつけられている。
またスノーの著作によって神格化していた毛沢東の実像についても、例えばユン・チアンとジョン・ハリデイによる『マオ 誰も知らなかった毛沢東』など、近年の検証によって当時の実態が明らかにされつつある。
「 『マオ』が伝える中国の巨悪 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト



また、エドガー・スノーに似た、アメリカの中国共産党専門のジャーナリストに、アグネス・スメドレーAgnes Smedley)がいる。

スメドレーは、毛沢東に会うチャンスを与えてもらうかわりに「宣伝のための作文」を書かされていたエドガー・スノーに似て、1940年前後に、当時内戦状態にあった国民党と共産党の双方から取材して記事を書かせてもらえるチャンスに恵まれたことで一躍有名になった。
だが、1950年に下院非米活動委員会から召喚状が発せられたスメドレーは、その日にロンドンに飛んで、召喚に応じることなくその夜に急死した。これは非米活動委員会から召喚され3日後に突然死亡したハリー・ホワイトとまったく同じ展開であり、スメドレーも、ハリー・ホワイト同様に、冷戦終結後の情報公開によって「コミンテルンから資金援助を受けて欧米向けの宣伝活動に従事していた」ことが判明した。

なお、南京事件自体を初めて世界に発信したのは、エドガー・スノーではなく、イギリスのマンチェスター・ガーディアン特派員、ハロルド・J・ティンパーリHarold John Timperley)だが、このティンパーリにしても、スメドレーと同様、国民党中央宣伝部顧問の肩書きがあり、その著作群が中国国民党中央宣伝部の意をうけて発行されたものである疑いをもたれている。



もちろん、ここに書いた数々の話題の真偽を、どう確かめ、どう判定するかは、読む人の自由であり、ブログ主の関わるところではない。
少なくとも言いたいことは、「情報」というものが「意図的に作られ」、世論というものが「意図的に操作される」ことなど、かつても、今も、けして珍しくない、ということ、そして、そういうスパイ小説まがいの行為について「それは陰謀論ってやつですね(笑)」と笑い飛ばして無視できる時代は、残念ながらとっくの昔に終わった、ということだ。

官房長官への記者会見という公式の場所で、堂々と異常な質問を繰り返す東京新聞記者の異常さは、まさに「言葉でできたミサイルを日本に向けて飛ばす行為」としか、言いようがない。



また蛇足だが、日本の戦後史の評価についても、いい機会だから自分で調べてみることをお勧めしたい。
ハル・ノートを起草して日本を戦争に追い込んだハリー・ホワイトや、南京事件の歪曲報道に関わったエドガー・スノーやハロルド・ティンパーリの足跡から、「第二次大戦前後の国際世論がどれほど、中国やソ連、コミンテルンなどによって誘導されていたか、そして、その情報の歪曲が、これまで日本の国益をどれほど損なってきたか」考えるべきだ。


共産主義かぶれの人間は、とかく核の時代を批判したがる。だが、むしろ聞きたいのは、核による危険な均衡の時代の『開幕』に、あなたがたは関与してこなかったと本当にいえるのか、ということである。

ハワイ移民150周年
No Ichiro, No watch.

Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です




Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
Categories
ブログ内検索 by Google
Google

livedoorブログ内検索
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month