August 27, 2017

2001年イチローがMLBデビューしたことで築かれたシアトルのシーズン記録116勝を塗り替えるかもしれない今シーズンのドジャースだが、その原動力は編成部長アンドリュー・フリードマンだと思っている。

そのフリードマンのよく知られた言葉のひとつに、「情報はいくらあってもいい」というのがあるが、この言い方は「誤解」を招きやすい。「情報を集めれば集めるほど、勝てる」などという「間違った理解」を生みやすいからだ。情報の多さが勝ち負けを決めるなら、誰も苦労などしない。(もちろんフリードマン自身、そんな意味では言ってないと思う)



「現場」にとって、情報は重要なのはたしかだ。
だが、情報が多ければ多いほど「対策や戦術がパーフェクトになる」わけではない。

むしろ大事なのは、以下の鉄則だ。
情報は常に不完全だ」という前提で戦う


災害」を例に考えてみる。


ブログ主が東日本大震災から学んだことのひとつは、災害の被害規模を決定する要因は、過去と現代とでは異なる、ということだった。
かつては地震の震度やマグニチュード、台風の風速や暴風圏の広さがそのまま被害規模を決定していたが、現代では、天変地異のパワーが被害規模とイコールとは限らない。
むしろ、ブログ主がみるかぎり、東日本大震災の未曾有の惨事の被害規模を決めたファクターは地震の大きさではなく、「情報の混乱と寸断」にあるとしか思えなかった。


例えば台風だが、昭和の時代には室戸台風や伊勢湾台風のような「数千人もの死者が出た事例」があった。だが近年になると、物理的な被害はまだまだ防ぎきれないにしても、こと人的被害についてだけいうなら、「対処のしかた次第で、その大半を防止できる可能性」は高い。「防災技術や情報共有メディアの発達した現代」においては、災害の被害規模は、必ずしも「天変地異の規模だけ」で決定されるのではなくて、「避難や情報供給の成功不成功」によっても決まるのである。

この話をもっと一般化していえば、「避難と対策さえ的確なら、災害の被害は多少は抑え込める可能性がある」ということであり、逆にいえば「避難や対策が失敗なら、被害はより拡大する」ということでもある。


ここでちょっと横道にそれる。

これはあまり気がつかれないことだが、
「災害」という現象の最大の特徴は、実は、災害そのものが『避難や対策を妨げるように働く』ことなのである。むしろ、これこそが災害の怖さの本質と言っていい。

例えばだが、洪水や津波で押し寄せる大量の水で溺死の危険に晒されることは誰でもわかっている。
だが、家のまわりが大量の水であふれかえっている状況になったら、簡単には避難できなくなる。つまり、「大量の水によって、生命の危険がさし迫っていることがわかっていても、避難自体ができない状況が、広範囲に、かつ同時に生まれる」のであり、これこそが災害という事象の「現代的な怖さ」なのだ。
もちろん、災害対策を実行する立場の人々にとっても、災害は、情報伝達、分析、決断、人材や資材の移動など、あらゆる面でのスピードや的確さなど、あらゆる対策の妨げになる。

これは地震や火事などでも同じだ。
地震の激しい揺れそのものが多数の人命を奪うというよりも、揺れによって家屋や道路などあらゆるものが破壊され、精神的にも萎縮してしまい、「避難も対策も困難になる状況」が多くの生命を危険にさらすのである。

災害という現象は「人を避難させないように、その場に釘付けにする」という、とてもやっかいな特徴をもっている。「避難もできず、かといって対策もとれない状況」が生まれることで、災害の被害は拡大する。現代における災害、特に人命の危険という点で怖いのは、災害時の自然現象そのものより、むしろ「避難」と「対策」の両面が長時間にわたって妨げられ続けることにある。


では、福島原発のメルトダウンはどうだったか。
この未曾有の惨事の直接的な原因は、「冷却のための電源が喪失したこと」だが、ブログ主は、もしこの事故が「平常時」に起きていたら、おそらく「結果はまったく違ったものになった」のではないかと考えた。
つまり、「情報がスピーディーかつ正確に伝わるための障害も混乱もない」という意味での「平常時」においては、「冷却のための電源が喪失した」という「情報」はおそらく、もっとスピーディーに伝達され、もっと的確に分析され、より正しく決断され、対策のための人材と資材がもっと適所に配置されたのではないか、と思うわけだ。


だが、福島原発で実際に起こったのは
メルトダウン」という最悪の事態だった。

詳しい経緯を知っているわけではないが、「冷却のための電源の喪失」という非常事態が、情報の伝達、分析、決断、人材や資材の配置など、「情報管理のあらゆる面でミスを発生させていたこと」はなんとなく推定できる。


では、情報が多ければ多いほど、対策は万全になったのか。
そうではない。と、ブログ主は思う。本当に必要だったのは、「欠けている情報下での決断」だったはずだ。

・災害の現代的な怖さは、自然現象の規模そのものよりも、水、雨、風、火、揺れなどの自然現象が、家屋の倒壊や道路の寸断などと重なって、「避難」と「対策」の両方が著しく、かつ広範囲に妨げられる点にある

・災害対策の妨げになるのは、とりわけ「情報の流れが決定的かつ大規模に阻害されること」だが、それが災害の本質そのものである以上、「情報の阻害をゼロに抑えこむこと」は不可能。非常時に情報収集にばかり気をとられることは、むしろ対策の実行の妨げになる可能性が高い

・ゆえに、災害のような非常時においては、むしろ「情報の欠如」を前提に行動すべき



現場」というものは、多くの場合、「情報が不完全」なのが当たり前なのだ。そういう場所においては「情報が多ければ多いほど、対策はより万全になる」なんていうタテマエは何の意味もなさない。このことをもっとよく考えるべきだ。

自然災害だらけの国、日本でさえ、人は災害においてこそ、パーフェクトな情報収集が必要だなどと思い込みやすい。
自治体の災害担当者などにしても、責任感からか何か知らないが、おそらくそういう思い込みを根強く持っているにちがいないから、災害を目の前にすると、ついついこんなことを考えてしまう。
情報の正確でスピーディーな集約
的確な分析
正確な決断
効率的な資材や人材の調達と配置

だが、実際に起こることは、まったく別の事態だ。
情報網の寸断や消滅
情報の不足や遅れ、デマの流布による混乱
決断の遅れや誤り
資材や人材の不足、配置ミス
避難手段の欠如
無駄な行動の多発


「現場」というものは、常に「情報が不完全な状態」にある。このことを忘れて、情報をパーフェクトにそろえないかぎり何も決断できないような組織を作るなら、そんな不安定で役たたずの組織は「現場」ではまったく機能しない。

例えば、「災害時に情報管理を完璧にこなせるシステム」なんてものを大金かけて構築しようとしている人がいるとしたら、そんなもの、非常時に役に立つわけがない。
また、大学の情報論の教授が、「いかに情報を完璧に収集し、完璧に行動するか」だけを論じるなら、そんな議論は何の役にも立たない。
また、もし災害の現場で「何やってるんだ! 完璧な情報を早くもってこい!」と、大声で怒鳴り散らしている管理者がいたら、そんアホウこそ「最も現場に必要ない人間」だ。(実際、東日本大震災時の首相菅直人はおそらくそういう風に行動したに違いない)


いつも思うことだが、『24』のようなアメリカのドラマは、シナリオとして、とてもよくできている。

というのは、時々刻々と変わる現場、情報の錯綜、「現場」と「管理者」との情報のズレ、現場の変化についていけず判断ミスを繰り返す頑迷な管理者、自分だけ正確な現状を理解している「主人公」が判断を躊躇している「組織」にどう対応すべきか、など、緊急時の「現場」に起こるさまざまなシークエンスの大半が、「情報の不完全性を前提に」描かれているからだ。
こういうドラマはえてして、無理すぎる設定、辻褄のあわないエピソード、キャストの都合によるシナリオの変更など、細かいミスが数多くあるわけだが(笑)、そういう制作上のいい加減さはともかくとして、「非常時に起こる情報のズレ、ギャップ、断片化など、非常時の情報収集に起こる混乱ぶりを描くことによってのみ表現できる、現代的なリアルさ」が、この「情報混乱時代」に生きる視聴者を飽きさせない理由だと思う。




August 05, 2017




上に挙げたツイッターでの質問に対する「答え」にたどり着くための「道筋」となる記事を書きとめておいた。ここに書いたことが糸口になって、とめどなく垂れ流され続けているマスメディアのウソに流されない「自分なりの考え」をまとめるきっかけにしてもらえたら幸いである。
とはいえ、これを読んでもまだ理解できないようなら、あなたの知性は危険水域にあるとは思う。こんな簡単なロジックすら理解できないようでは、「国家という集団維持システム」の大事さも、「グローバリズムのまやかし」も、理解することはできない。


憲法というルールの性格は、
国ごとに異なる」という点にひとつの特長がある。

いいかえると、
憲法は世界共通ルールではない

当然ながら、
日本の憲法が、同時に、世界共通ルールでもあるべき「義務」など、まったく存在しない

そして、「国ごとのルール」である憲法においては、「それぞれの国に所属する(あるいは所属を宣誓した)国民だけがルールの対象」なのだ。

したがって、
外国人は「憲法の対象外」だ。


にもかかわらず、だ。
憲法が大事だとか、心にも無いことを言いたがる輩に限って、「国家という枠組み」を軽視したがる。憲法というルールは、「国家という単位を前提にして成立しているルール」なのだから、それはどう考えても「矛盾」である。
国家は大嫌いだが憲法だけが好き、それも、憲法の「ごく一部分だけ」が好きで、憲法の嫌いな部分は死んでも守らない、などというのは、「子供じみた好き嫌い」に過ぎない。外部からどんな新しい概念を持ち込んで矛盾をごまかそうとしても、そんなものは詭弁でしかない。


さて、
最初に挙げた設問でいう「憲法」とは、
もちろん「日本国憲法」を意味している。


では、
「日本国憲法」は外国人に適用されるだろうか。
答えは簡単だ。

外国人には適用されない


憲法の項目には「外国人にも適用されうる条項」があると主張したがる人がいるが、そういう詭弁を耳にして勘違いしてはならない。

憲法の条項には、国際的な共通の理解のもとにある人道などの範疇内にあるものもある。だが、それは単に「異なる2つのルールがオーバーラップしている部分がある」という意味に過ぎない。
オーバーラップしているからといって、そのことによって「日本国民だけに適用されるはずの日本の憲法のすべてが、外国人全員にも適用される」わけではない。そんなこと、ありえない。


また、これもいうまでもないことだが、「日本の憲法は、外国人全員の権利や義務を保証する責務を負っている」という意味にも、まったくならない
くり返して言わせてもらうが、「あらゆる国の憲法と同じく、日本の憲法は、全世界をカバーするルールではない」のだ。当然のことだ。ゆえに
日本の憲法が「日本という国家が全世界の人々に対して義務を負うと、宣言している」わけでもなければ、全世界の人々に権利の保証を公約した、わけでもない。
のである。
(国際条約があるだろ、などと、「例外を示したつもり」になる人もいるだろうが、国際条約は単に「批准した国々の間の取り決め」に過ぎない。批准していない国にはなんの拘束力もない)


さらに、間違ってはいけないことがある。以下のようなことだ。
「日本国憲法が外国人全員に適用されるかどうか」という問題と、「日本にたまたま滞在しているだけの外国人に、国際的な了解が成立している範囲での人権が存在するか」という問題とは、イコールではない。それどころか、まったく別の話だ。
ということだ。

この点で、前後の歴史において世の非常に多くの「人権を錦の御旗にしてきたブログ、メディア、SNS、外国人組織などが、「問題のすりかえ」を行って、日本に損害を与えてきた。その手口は、まさに上に挙げた「論点の意図的なすりかえ」によるものだ。


「たとえ」を挙げてわかりやすくしてみる。

旅行で日本に来た外国人ツーリストがいた、とする。

いうまでもないが、その人間に「人権がまったくない」わけがない。そんなことは、ありえない。
しかしながら、世界レベルで了解されている国際的な人権が外国人ツーリストにもあるからといって、「日本国憲法が定める国民の権利や義務」が外国人にも適用されるかどうかというと、それはまったく別次元の話だ。こんなことがわからないようでは、アタマがおかしいと言われてもしかたがない。

例えば、日本の「伝統的な」銭湯には、「全員が全裸で風呂に入る」という日本独自の文化習慣、日本独自のルールがある。このルールは、酔っ払いなどの不心得な人を除外すれば、「入浴者全員が守るべき日本のルール」だ。

では、もし「銭湯を経験したい外国人ツーリスト」が、「自分の出身国では、全裸になった自分を他人の視線に晒す文化はない」と理由をつけて、番台で「水着で銭湯に入らせろと、大声を挙げてゴネた」としたら、どうだろう。

それは、許されない

もちろん、もしその外国人ツーリストが「他人の目の前で全裸入浴を強制された」のだとしたら、それは明らかに「人権問題そのもの」だが、それはまったく別の話だ。いうまでもない。

日本の伝統的な銭湯で外国人に「裸になりたくない」と声高に主張されても、いい迷惑だ。日本には、「他人の目の前で全裸になって入浴したくない人」や、「日本式の入浴と異なる文化のもとで育った人」には、他に無限の「選択肢」がある。また、異なる選択肢を利用・検索するための情報元も無数にある。
日本の銭湯では、「日本人か外国人かを問わず、全裸での入浴が求められる」のは当然のことだし、外国人にも全裸での入浴を求めることは人権の侵害ではない。(むしろ、「国籍を問わないドメスティックなルール」だからこそ、「平等に」全裸での入浴を求めるのだ)


さらに、ここも大事なことだが、「日本の銭湯に入る」という行為は、別の観点からいえば「銭湯という日本文化を受け入れる」という意味である。
もし「日本の文化を受け入れない狭量な人間」が、日本の文化を味わいたいという美名(または言い訳)のもとで、自分だけが水着で銭湯に入ろうと主張してゴネるとしたら、それは自分個人の価値観の「強要」であり、土足が許されない日本の家庭に「土足であがる」ようなものである。

日本の文化という家を土足で踏みにじること」は許されない。


上記の「たとえ」だけでも話の大半は終わっているが、
もう少しだけ本来の話をしておく。


「日本国民であることによって生じる、自由、権利、義務」には、「外国人を対象としないもの」、あるいは「外国人の場合は内容に制限がもうけられるもの」が複数ある

例えば以下のようなものだ。(以下がすべてではない)
参政権
出入国の自由
政治活動の自由
社会保障を受ける権利


このことは、逆にいえば、どんな国であれ、「外国人については、その国の憲法が規定する自由、権利、義務などが、まったく適用されない、あるいは、一定の制約が生じるのが、あたりまえなのだ」という意味でもある。
この「外国人には、その国の憲法が適用されない」という原則は、憲法というルールがもともと「その国の国民にのみ適用されるルールであること」から生じているだけの話だ。それは、日本の憲法が「世界的な平等の原則にそむくものであること」を意味していない。また、もしそういう批判があったとしても、それは単なる「いいがかり」に過ぎない。


ここからは余談だが、上で書いた「憲法が規定する、外国人を対象としない自由や権利の数々」をみるだけでも、戦後の日本の憲法がいかに「蚕食」されてきたかがわかる。(そして、日本の憲法の蚕食を意図的に行ってきたのは、日本の憲法を見た目だけありがたがっているようにみせかけてきた「護憲派の人々」でもある)

例えば「外国人に対する生活保護」である。
日本では憲法の規定に基づく社会的な保護機能を受ける権利は、「日本国民だけのもの」であって、「外国人」にはその権利が最初から存在していない。法的に当然のことだ。「外国人に対する生活保護が不法であること」は、とっくに最高裁で認定されてもいる。
ところが、この「本来あってはならない、あるはずのない利益を、なんの負担もなく、タダで享受している外国人」が、「日本にびっくりするほどたくさんいる」のである。

他にも例はまだまだたくさんある。
外国人の政治活動の自由や、国会議員の二重国籍の問題だ。

これも、外国人に対する生活保護供与と同様で、「外国人の政治活動の自由」など最初からない。外国人には政治献金すら許されていない。また、謝蓮舫のような二重国籍は、国会議員に認められていない。
これらのルールは国家としての治安上の意図によるものであって、日本だけがそういうシステムをとっているわけではない。それは、日本にナショナリズムが蔓延しているからでもなければ、日本人が多様性を認めないからでもないし、日本が人権後進国だからでもない。
日本に限らず「国家」という社会維持システムにおいては、国会議員に特別な地位が与えられ、守られると同時に、国会議員たるにあたっての資質に制限も加えられいてる。それは「その国の国籍を有しており、その国だけのために粉骨砕身で奉仕することを誓約した者」だからだ。そうでない「怪しげな者」が国会議員職に就くことなど許されない。


マスメディアや人権派と自称する人たちの「都合のいい説明」を鵜呑みにしてはいけない。
戦後、彼らは、片方では、憲法を守れと声高に叫んできたクセに、他方では、憲法に規定されてもいない外国人の「なんの根拠もない権利」を怒声をもって主張することで、憲法の遵守義務を怠り、憲法の根幹を蚕食してきたのである。
憲法を蚕食しているくせに、都合がいいときにだけ都合のいいことを言っているだけの人間たちが、都合のいいときに持ち出してくるのが憲法という「便利な言葉」だということだ。最初に挙げたのは、そのいい例だ。


もちろん白鵬は、親方になりたければ、日本文化を受け入れる意味で「帰化」という道をみずから選択するだろうし、帰化したあとも、相撲という文化における「親方システム」を遵守するだろう。彼が、水着で銭湯に入らせろと番台でゴネるような人物とは思えない。

にもかかわらず、である。すすんで帰化しようとしている人物の話題すら、日本を貶めるネタにしようとする、頭のおかしな人間がいる。

彼らの主張の「狙い」は結局のところ「ひとつしかない」ということが、この記事に書いたからもわかるはずだ。
彼らがやりたいのは、「日本人だけに規定されている憲法などの法的な自由や権利を、外国人にも認めろ」という意味ですらない。つまるところ彼らが主張していること、やってきたことは、タダ乗りさせろ、好きなようにやらせろ、ということにすぎない。

たいがいにしろと、言いたい。

August 02, 2017

トレード期限寸前でダルビッシュを放出したテキサスだが、3000安打を達成したばかりのエイドリアン・ベルトレに言わせれば「なにやってんだよ、おまえらっ。俺はトレードを喜んでなんか、ないぜ?」ということらしい。

ブログ主としては、もし「ベルトレが言いたいこと」が、「優勝をあきらめているばかりか、チーム再建の方法について間違ったことをやりだしたチームにいなければならないのだとしたら、もっとマシで、マトモなチームに行きたい」ということなら、彼の意見に賛成だ。それは、無能なシアトルがやって大失敗した紋切り型の若手路線と、瓜二つだからだ。(もっとも、シアトルの場合はフェリックス・ヘルナンデスの能力低下を見抜いて、さっさと放出すべきだった)



いまやナ・リーグ東地区の常勝球団となったワシントン・ナショナルズだが、この球団が再建に成功した理由のひとつは、「MLB最低勝率を故意に記録することで、全米ドラフト1位選手を獲得するというチーム再建方式」が、スティーブン・ストラスバーグ(2009年全米1位)、ブライス・ハーパー(2010年全米1位)と、2年連続で「バカ当たり」したことで、投打の軸がしっかりしたからだ。(なお、2011年ドラフト1位のアンソニー・レンドンは全米6位で、1位ではない)

では、この旧来の再建方式は2010年代も通用するか。

ブログ主の考える答えは
No だ。


2012年にこんな記事を書いて、当時ドラフト1位が予想されたスタンフォード大学のマーク・アペルをこきおろしつつ、「アメリカ国内の大卒選手がMLBに占める相対的な比重は、ますます軽くなっていくと読んでいる」という意味のことを書いたことがある。(2017年現在、アペルはトリプルAでERA5点台のさえないピッチャーで、芽が出そうな気配はまったくない)
2012年6月4日、恒例の全米ドラフトは高校生が主役。 | Damejima's HARDBALL


ドラフトに限らず、2010年代以降のMLBは、それ以前のMLBと質的にまったく違うことがハッキリしてきた。

このことは、すでにバッターについて「三振の世紀」というテーマで既に書いた。2017年2月4日、「三振の世紀」到来か。2010年代MLBの意味するもの。 | Damejima's HARDBALL
この記事は後日「三振とホームランの2010年代」とテーマを広げて、続きを書く。

ピッチャーについていえば、2010年以降に1位指名されたピッチャーで「長く活躍できそうだったピッチャー」といえば、コカインで死んだホセ・フェルナンデス(キューバ出身の彼の最終学歴はフロリダ州タンパのBraulio Alonso High Schoolで、大卒ではない)、ソニー・グレイクリス・セールの3人が抜けていて、他にゲリット・コール、マーカス・ストローマン、マイケル・ワッカくらいがいるくらいで、勝ち数より負け数のほうが多いボルチモアのケビン・ゴーズマンでさえ、2011年以降の1位指名ピッチャーの中では「まだマシなほう」であることからわかるとおり、2010年代以降のドラフト1位指名ピッチャーの層はまるで薄い


2010年代のドラフトの選手層の「薄さ」は、「2000年代の1位指名ピッチャー」と比べてみれば、すぐにわかる。

2000年代に1位指名だったピッチャーは、アダム・ウエインライト、マット・ケイン、ジェレミー・ギャスリー、コール・ハメルズ、スコット・カズミアー、ザック・グレインキー、ジョン・ダンクス、ヒューストン・ストリート、ジオ・ゴンザレス、フィル・ヒューズ、ジャスティン・バーランダー、クレイ・バックホルツ、マット・ガーザ、イアン・ケネディ、マックス・シャーザーティム・リンスカムクレイトン・カーショーリック・ポーセロ、マディソン・バムガーナー、デビッド・プライスなどなど。(指名年代順)
太字がサイ・ヤング賞投手だが、「なぜかサイ・ヤングを受賞してないバーランダー(笑)」を含め、2000年代ドラフト1位指名組は先発投手の層が分厚い。まさにキラ星のごとくのメンバーだ。(もちろん2位指名以下の選手層も厚い)


この単純な比較からもわかるのは、全米ドラフトに依存するようなチーム再建手法は、2010年代以降、通用しなくなるということだ。ドラフトはもはや「最も優れた才能の供給源」ではない。

例えば、つい最近まで「若手育成の上手さ」で知られてきたボストンが、2014年、2015年の低迷から「長期低迷期」を経験せず、スピーディーに復活しているわけだが、その手法は「ドラフト依存」や「生え抜きの若手育成」といった、無能なシアトル・マリナーズが大失敗した「あとさき考えない若手路線」ではなかった。
いまのボストンは「生え抜きをズラリと揃えた時代」とは違う。2011年以降のドラフトからモノになったのはムーキー・ベッツくらいで、投手陣などは、デビッド・プライス、クリス・セール、リック・ポーセロ、クレイグ・キンブレルと、FAのプライスを除く全員が「若手との交換で他球団から得た投手」ばかりだ。つまり、ボストンは「チームを完全解体してドラフトに依存して若手主体の球団に変える」という再建手法をとらなかったばかりか、むしろ「若手を放出してチームを再建した」ということだ。


無能なビリー・ビーンジョシュ・ドナルドソンをトロントに無駄に放出したオークランドが、こんどは先発のソニー・グレイを放出したわけだが、信じられないことをするものだ。
予算の潤沢なチームならともかく、この予算の少ない球団が、上に書いておいたように、「ドラフトでこういうレベルの投手が獲得できる確率」はいまや非常に下がっているというのに、ソニー・グレイ同等レベルの先発投手を、どこから調達できるというのか。

テキサスは、オークランドのような貧乏球団ではないが、今の「やたらと打たれるダルビッシュ」がどのくらいの好投手かの判断はともかく、ローテーションの軸となる先発を手放したことで、3000安打の名誉を既に手にし、あとはワールドシリーズを味わいたいと考えている38歳ベルトレに「この球団じゃあ、ワールドシリーズはないな・・・」と思わせたとしたら、テキサスの住民だって同じことを考える。当然のことだ。
ダルビッシュ放出とベルトレ移籍で投打の軸を失って観客動員が下がり、収入が減ることくらいは、テキサスGMのジョン・ダニエルズも「アタマで」予想はして対策を練っているだろうが、彼はその「痛さ」が、アタマではわかっても、「カラダ」ではまるでわかっていない。
そしてベルトレはまさに、「アタマ」で考えるのではなく、「カラダ」がまっさきに反応するタイプそのものだ。


MLBのジェネラル・マネージャーには「MBA持ちの有名大学卒業生」とか「データマニア」とかが多くなっているわけだが、彼らは総じて、アタマはよくない。なぜって、「ドラフトという『仕入れ環境』の変化すら計算にいれられない」のだから、商売が上手いわけがない。ヴェテランから「若造、なにしやがる」と言われて殴られるのもしかたがない。

July 17, 2017

ある投手の投げた球種とコースと打撃結果

この2つの図は、左が「球種とコース」、右が「打撃結果」になっている。もちろん同じゲームでのデータであり、誰にでも入手できる。
資料:https://baseballsavant.mlb.com/

投手は誰かくらい、わかる人にはすぐにわかる(笑)
だから書かない。

そんなどうでもいいことより、大事なことは、「たったこれだけの単純なデータからさえ、野球の面白さが伝わること」だ。

バッター側チームが、この投手を攻略するためにどういう戦略をもってゲームに臨んだか、その戦略はどのくらい成功したか。反面で、このピッチャーがバッターをうちとるためにどういう組み立てをしているか、このピッチャーがそもそもどういう理由からこれだけの数の球種を使うのか、その狙いはどのくらい成功しているか、などなど。
言葉でグダグダ説明しなくとも、この図に十分すぎるくらい表れている。


だが、データ野球がさかんな昨今だからこそ、このことは強く言っておきたい。
「データさえ見れば現実がわかる」のではない。そういうおかしなことが言いたいのではない。「自分の眼が見たこと」「自分が直感したこと」の裏づけや確信を得るための手段として、こういう便利なものがある、ということだ。データだけ見ればスポーツがわかるなら、誰も苦労しない。


もしこの2つの図から、この投手が打たれるとしたら、「このコース」、あるいは「この球種」、あるいは「このカウント」などといえる「ゾーン」が見えてきたなら、絶対おもしろいと思うから、この投手の次回の登板を「いままでと違った視点から」じっくり見てみることをぜひおすすめしたい。(笑)この投手が「ゾーン」に落ちるときの特徴に気づくかもしれない。




July 11, 2017




江東区越中島の三商、東京都立第三商業高等学校は、1928年創立時「東京府立第三商業學校」といい、卒業者には加島祥造北村太郎田村隆一と、同人誌『荒地』に集う詩人をごっそり輩出している。

こうした「東京の歴史の古い学校、とりわけ『下町の学校の出身者』から、特定の文学者グループが輩出されている例」は、以下にみるように、かつて「いくつのグループ」が存在した。(逆にいえば、そうした例は歴史の浅い学校にはあまりみられない)

俯瞰したまとめを最初に強引にしておくと、「東京出身の文学者」は、「日本における近代的な自我の成立」に深く関わり、「東京出身者の文化的ネットワーク」はこれまで、小説、詩、映画、マンガなどに張り巡らされてきた。


府立三中・純文学ライン
「芥川龍之介ー堀辰雄ー立原道造」にみる東京気質


思潮社から出ている『立原道造詩集』のあとがきで、自身も「東京出身」の小説家・詩人である中村真一郎氏がこんなことを書いている。(以下、個人名における敬称を極力略す)
日本の近代文学の成熟期における、三人の文学者を、一本の系譜として理解するという考え方は、未だ常識にはなっていないように思われる。

中村が指摘した「つながりのある3人」とは、芥川龍之介堀辰雄立原道造である。彼らは全員が両国の府立三中(=府立三高、現在の都立両国高校)出身で、中村は3人すべての全集の編纂に関わった。

「府立三中出身の文学者」は他に、半村良石田衣良山口恵以子小池昌代などがおり、またパンチョ伊東の出身校でもある。

パンチョさんが「舶来の文化であるMLB」に惹かれたことがけして偶然ではないことは、この記事に挙げた東京出身者のかなりの数が「海外文化の紹介」に携わった経歴をもつことから明らかだが、ここでは書ききれない。稿をあらためたい。

また、日本橋の呉服屋の長男として生まれた鈴木清順の映画『けんかえれじい』『ツゴイネルワイゼン』にみる東京っぽいモダンさとか、後述の小林信彦の後輩でもある大藪春彦の原作を下に清順が映画化した『野獣の青春』などにも触れたいところだが、とても書ききれない。これも記事をあらためる。ひとつだけ書くと、清順ムービーは難解なのではなく、東京人お約束の「ハードボイルド」なのだ。そこさえわかれば簡単に楽しめる)


中村によれば、芥川は自著『僕の友だち二三人』において、自分と堀辰雄との共通点を「東京人、坊ちゃん、詩人、本好き」と明言しているらしく、中村はこんな意味の指摘もしている。
いずれも「東京の下町出身」である3人の文学者の「生涯の主題」には、「生来の環境からいかに超出し、独立した人格を形成するか」という共通性があった。

簡単にいえば、「3人の共通テーマ」は、泥臭さの充満した下町に突如出現した秀才が、下町の暮らしとは切り離された近代的な人格を形成しようとした、ということだろう。


「泥臭い下町から、近代的な人格への脱出」という点だけみると、なにも東京出身者だけにあてはまるわけではなく、「田舎を捨てて東京に上京し、大成した文学者」にだってあてはまると、考えたい人もいるだろう。
だが、中村が、地方での暮らしや地縁血縁をまるっきり捨てて上京して創作に励んだ「上京組」と、古い人間関係の中にあって独立した人格を形成するという難しさを抱えこんだ「東京出身者」とでは、文学の創作における方向性というものは180度違ってくると判定したように、ブログ主も、地方からの上京者と東京出身者が同じ境遇、同じセンスの持ち主だとは到底考えられない。
例えば、「上京組」の島崎藤村田山花袋が「自然主義作家」になったのに対し、反自然主義といわれた芥川をはじめ「東京出身者」が上京組と違った文学的進路をとるという中村の意見のほうが、はるかに的を射ている。


府立三商・詩人ライン
「加島祥造ー北村太郎ー田村隆一」にみる東京気質


冒頭にあげたツイートにある東京都立第三商業高等学校は、創立時東京府立第三商業學校といい、「三商」と略される。(注:「三中」はいわゆるナンバースクールだが、三商はそうではない)
この学校の出身者である加島祥造、北村太郎、田村隆一の3人が揃って参加していたのが、『荒地』という詩の同人誌であり、タイトルの『荒地』はT・S・エリオットの1922年の詩からとられた。


荒地同人の鮎川信夫三好豊一郎など、関係者の大多数がそろって「東京出身者」である点だけでなく、この詩人グループの人間模様には、非常に狭く、かつ錯綜しているという特徴がある。
例えば、田村隆一の最初の妻は鮎川信夫の妹であり、その鮎川の妻はかつて加島祥造の恋人であった人物であり、また北村太郎と田村隆一の妻が恋愛関係にあったこともある。

このように『荒地』における人間関係はかなりドロっとした「濃厚な」ものだったわけだが(人間関係の濃さだけみると、近代的どころか、まさに「下町そのもの」なのが面白い)、反面、そうした「濃い関係にある文学者の一群」の存在があればこそ生み出された、「文化上の成果」があった。

それは「海外文学の紹介」だ。

かつて早川書房の編集者だった宮田昇(宮田も東京出身)は、著書『戦後「翻訳」風雲録―翻訳者が神々だった時代』において、「明治時代に学者の専売特許だった翻訳という仕事に、第二次大戦後、「翻訳のプロ」が登場したことで、海外文化の紹介が飛躍的に進んだ」という意味のことを指摘した。

そうした「翻訳のプロ」が多数同時に育った理由のひとつに、東京生まれの早川書房創業者早川清が、たまたま詩人加島祥造の兄の同級生だったことがある。
早川は、上に列挙した「非常に狭く濃い人間関係の中にうごめいている荒地の詩人たち」を翻訳家として起用したから、『荒地』の詩人の多くが翻訳家として活躍できる道が開かれた。このことで、詩人に特有のシャープな感性が翻訳文学に特有のドライでモダンなタッチを生みだして、多くの海外作家が日本で愛読されるきっかけを作ったのである。(早川書房以外にも、下訳に稲葉明雄などを使って結果的に多くの翻訳者を養成した宝石の宇野利泰のような例もある)
『荒地』関係者が翻訳した海外作家は、エラリー・クイーン、コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、ウィリアム・S・バロウズ、フォークナー、エド・マクベイン、リング・ラードナー、グレアム・グリーン、ヘミングウェイ、T・S・エリオット、ルイス・キャロル、ロアルド・ダール(=ティム・バートンがジョニー・デップ主演で映画化した『チョコレート工場の秘密』の原作者)など、とても数え切れない。

『荒地』の詩人と早川書房をめぐる人間模様に登場する人物は、その大多数が「東京出身者」で占められている。芥川龍之介の三中ラインが「純文学系」だとすれば、『荒地』の三商ラインは「エンタテイメント系」とでもいうことになる。
東京出身の詩人に特有の「コハダの寿司を食うような作風」が、中原中也寺山修司のような地方出身の上京詩人に特有の「これでもかとバターを使ったフランス料理を食うがごとき壮大なロマン主義」とはまったく相容れないものであることにも触れたいわけだが、とてもこの短文では書ききれない。これについても稿を改める。


小林信彦にみる「ハードボイルド系東京気質」と
溝口正史、江戸川乱歩などの非・東京系文学


小林信彦は日本橋の老舗和菓子屋の倅であり、芥川の師匠にあたる夏目漱石の『吾輩は猫である』に散りばめられたユーモアについて、「落語がわかってないとまったく楽しめない」と断言するほどの熱心な落語ファンでもあるわけだから、芥川龍之介系の典型的な「東京の下町出身の純文学者」のひとりになっていてもおかしくなかったし、また、複雑な生い立ちを持った東京出身者のひとりである堤清二が詩人を志したように、『荒地』に参加するような「詩人」になっていてもおかしくはなかった。

だが彼は、そのどちらにもなれなかったし、ならなかった。

東京高等師範学校附属高等学校(現在の筑波大附属高校)に進んだ小林は若い頃になかなか人に才能をみせつける機会に恵まれず、いろいろと苦労をした。『ヒッチコックマガジン』の編集長の職も、宝石の多くの関係者が断った挙句、小林にようやくお鉢が回ってきたものだ。
後に小林は、当時黎明期にあったテレビに進出することで、文学偏重のきらいがある編集者の世界とは一線を引き、ようやく多彩な才能を世間に披露できる機会を得た。



小林はかねてから「下町嫌い」を公言してきたわけだが、「徒党を組むこと」を嫌う彼は、古くからあった東京モダニズムの「流れに乗る」ことを嫌ったに違いない。
江戸の落語だけでなくコテコテの関西ギャグにも造詣が深い小林は、東京の文壇の傘下にある編集者とは一線を画して、恩師江戸川乱歩同様に、関西の作家の才能をいちはやく評価し、溝口正史への入れ込みをはじめ、小松左京筒井康隆山田風太郎など、「関西出身作家」の作品を高く評価してきた。(とはいえ、小林が愛してやまない日活のアクション映画などは、明らかに東京テイストそのもので、関西テイストではないし、名作オヨヨ大統領シリーズもしかり)
小林と親交があり、小林のお気に入り作家のひとり、ダシール・ハメットのコンチネンタル・オプものの長編『血の収穫』(=黒澤明の映画『用心棒』の下案となった小説)の訳もある稲葉明雄も関西出身だ。(とはいえ、稲葉の師匠である宇野利泰は神田区生まれの東京人。その宇野にチャンスを与えたのも、小林にチャンスを与えた人物でもある名プロデューサー江戸川乱歩)

小林の内面に、東京出身者にしては特異ともいえる独特のシニカルなメンタリティが醸成された理由は、若い頃に苦労させられ、周囲の東京人たちとぶつかり続けた思い出の苦さが影響しているものと思われる。
逆にいえば、狭い世界にうごめく東京の編集者の世界で揉まれて、シニカルで孤独感に苛まれる性格が醸し出されたからこそ、笑いとハードボイルドという異ジャンルを得意技にできたのだろう。
ちなみに大藪春彦は小林の大学の後輩でヒッチコックマガジンの寄稿者のひとりだが、もしも大藪の書くようなハードボイルドのヒーローがドライでなかったら、とても読む気にはなれない。

総じて言えば、小林が志向したミステリー、ハードボイルド、ユーモアは、「早川書房系列のミステリーのどこか奥底に隠されている純文学志向」とは一線を画したエンタテイメント色があるように見える。そのことは、ここでは詳しくは触れられないが、関西人である横溝正史との直接対談によって編纂された『横溝正史読本』にみる小林信彦の激しい入れ込みにもハッキリと現れている。

横溝正史の『新青年』は、1920年代から1930年代に流行したモダニズムの代表雑誌の一つであり、都市のインテリ青年層の間で人気を博したといわれている。
執筆者は、溝口に加え、小林を宝石にスカウトした江戸川乱歩夢野久作稲垣足穂など多士済々だが、西日本を中心にした「地方出身者」が多数を占めている点で、東京人による『荒地』とはスタンスが100%異なる。
『新青年』はいわば「関西版モダニズム」であり、『新青年』における「モダニズムの濃さや匂い」は、東京出身者ばかりで占められた「芥川龍之介、堀辰雄、立原道造ライン」の「東京の純文学系モダニズムの濃度や匂い」や、同じく東京出身者によって形成された「『荒地』の詩人集団のもつモダニズムの濃度や匂い」とは、「明らかに別種の濃さや匂い」をもっている。このことは彼らの作品それぞれを読めば誰にでもわかる。(宮田昇が『荒地』同人の舞台裏を皮肉っぽく書いて出版しているわけだが、これも、彼らの「表の顔」が豪快洒脱なのに対して、「裏の顔」が案外みみっちいことを指摘したいのだろう)


本来なら、近しい作風を持って同時期にデビューした、下北沢生まれの岡崎京子と文京区の向丘高校出身の桜沢エリカの作品に共通に流れている「東京気質」など、東京出身者の文化的ネットワークの例をもっと挙げておきたいわけだだ、挙げだすとキリがない。
残念ながら、この拙いブログで「純文学、推理小説、ミステリー、ハードボイルド、映画、マンガにいたるまでの膨大な分野における『東京出身者の創造したモダニズム』の特徴」をマトモに扱うことなど、とてもとてできない。手にあまる。機会があればまた多少なりとも断片に触れてはいきたいが、壮大な詳しい解析作業はどこかの誰かにまかせたい。

ただ、記事を閉じる前に、ちょっとした誤解を正しておきたい。
漫画『サザエさん』の風景は、(特に地方の人に)古い東京っぽさの代表だと思われがちだが、あれは実際には山の手の暮らし、それもステレオタイプであって、下町のそれではない。というのも、『サザエさん』の作者長谷川町子は東京出身ではないから、古い下町の暮らしを実体験してはいないからだ。
東京らしさという点でいえば、松本大洋が『鉄コン筋クリート』で描いた「町の風景」のほうが、よほど「東京らしさ」を再現できている。
ただ、長谷川の師である田河水泡は本所生まれのチャキチャキの江戸っ子であり、その妻・高見沢潤子も、やはり神田生まれの東京人である小林秀雄の妹だったりする。漫画家になる前は落語作家でもあった田河の描く空間には、古い東京人特有のやや硬質な質感が残されている。


最後にもうひとつ。
宮崎駿は映画『風立ちぬ』において、同じ東京出身の作家・堀辰雄の存在をバックボーンにしているわけだが、その宮崎自身も「東京出身」である。
そのことを加味してあらためて宮崎の作品群をながめると、彼の「芸風」の奥底には東京のモダニズム特有の「風」が吹いていることに気づく。(その風は、かつてはっぴいえんどの曲などにも吹いた。はっぴいえんども、大瀧詠一をのぞく全員が東京出身者で、洋物の音楽を日本向けに焼きなおした「ある種の翻訳家」でもある)
それと同時に、宮崎が、東京モダニズムの基本風味に、「東京郊外の中央線に吹く風の特有の匂い」をつけ加えて料理していることが、なんとなく伝わってくる。
この「東京郊外の中央線界隈に吹く風の匂い」を言葉で説明するのは非常に難しい。たとえとして言えば、忌野清志郎(忌野は中央線の通っている中野区生まれで、中央線沿線の国分寺育ち)の歌詞に流れる、パンクっぽい荒れたルックスの奥底に流れている「口ごもりがちな、世渡りのうまくない、東京っぽい優しさ」のことである。(「世渡りがうまくない」という表現は中村真一郎の東京人評にある言葉だが、これは、小林信彦から忌野まで含めた東京人特有の特徴でもある)




June 23, 2017

小林麻央さんが乳ガンで旅立たれた。


麻央さんはお子さんを2人も残された。
おひとりは男の子であり、「次の海老蔵」「次の団十郎」を後世に残されたことになる。

もちろん、子供を産んだことだけがこの立派な女性の仕事だ、などと、馬鹿げたことを言いたいわけではない。そのことひとつだけをとっても、日本史に残る、正確にいえば、日本の歴史を後世に残していく、とても大事な仕事であった、と言いたいだけである。
伝統はやはり重い。先代の団十郎勘三郎など、歌舞伎を背負っていた大看板が次々に病に倒れ、人材が細っていく中で、歌舞伎の大看板を残す作業を終えて旅立った小林麻央さんの貢献度はけして小さくない。


そして麻央さんが残した「海老蔵」は、「もうひとり」いる。
34歳の夫、海老蔵」である。

かつて遊び人だった海老蔵が、この気丈な女性と出会ったことで心が入れ替わり、芸道に精進するべき自分の運命を自覚していなければ、単なる遊び人の半端モノにしかなれなかったかもしれない。
歌舞伎の重鎮のひとりとして、オトナとして、海老蔵が、いまある、いまいられるのは、まさにこの、気丈に短い人生を生きぬいてくれた女性との出会いのおかげなのだ。


哀しみを心に湛えて微笑むからこそ輝きが増す。それが人という生き物の奥行きだ。
ことに「役者」という特殊な仕事は、光を表現するだけではつとまらない。映画『風立ちぬ』で、妻を失ったあと零戦を世に送り出した堀越二郎のごとく、今の海老蔵が、団十郎を襲名する前に経験した、この「大切すぎる人の死」「深い悲しみ」が、彼の芸に真の意味の「陰影」をつけてくれることだろう。


合掌。

June 08, 2017




1976年6月4日マンチェスターで行われたセックス・ピストルズの世界で初めてのギグに居合わせた観客が、「たった40人ほど」だったことは有名なエピソードだ。



その「世界で最初にセックス・ピストルズをライブで見た、ほんのわずかな無名の観衆」はその後、多くが有名ミュージシャンやレコード会社経営者になった。シンプリー・レッドのミック・ハックネル。ザ・スミスのモリッシー。ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダーのバーナード・サムナー、ピーター・フック。バズコックスのハワード・ディヴォート、ピート・シェリー、などのミュージシャン。ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ザ・ドゥルッティ・コラムなどを世に送り出したファクトリー・レコードの社長の故トニー・ウィルソン、ファクトリー・レコードのプロデューサーでジョイ・ディヴィジョンを手がけた故マーティン・ハネット。

注:
この伝説のライブの「観客数」は詳細に判明しているわけでもない。いずれにしても「40人程度だった」ことは間違いないが、「伝説」に正直に従って「42人」とするサイトがある一方、その日その場所に間違いなくいたと「自称」する著作 "I Swear I Was There" で儲けたDavid Nolanなどは「35人から40人」と書いている。
ただ、日本のサイトで「イアン・カーティスが6月4日のピストルズのギグ会場にいた」とされていることについては事実誤認の可能性がある。ジョイ・ディヴィジョンは、「6月4日」のライブで衝撃を受けたバーナード・サムナー、ピーター・フックがバンド結成を呼びかけてできたバンドで、7月20日にライブを見て衝撃を受けた故イアン・カーティスはこのバンドに「後から」参加している。「後から参加した」カーティスがピストルズを最初に見たのが6月4日ではなく7月20日とするほうが、事実として整合性がある。


「6月4日以降の出来事」について面白いのは、この伝説のライブに居合わせてミュージシャンを志した人間たちがその後に到達した音楽スタイルが、教祖であるピストルズと同質の「激しさを売りにした音楽」でなく、むしろ全く異なるニュー・ウェーヴや和製英語でいうネオアコなど、「静寂化と洗練をめざした音楽」のルーツになったことだ。

例えば、ピストルズのライブに影響されて作られたファクトリー・レコードが手がけたジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ザ・ドゥルッティ・コラムなどのバンドは、そのどれもがピストルズと同じ「激しさを売り物」にしたオリジナルパンクではなく、むしろ、「静寂化と洗練に向かう流れ」を作りだしたポスト・パンクやニュー・ウェーヴのルーツになっている。ファクトリー・レコードが後年、ミカド、イザベル・アンテナ、ソフト・ヴァーディクト、タキシードムーンなど「洗練を主張する音楽」を世界に送り出したベルギーのクレプスキュールと提携したのも頷ける。
シンプリー・レッドのミック・ハックネルも、ピストルズに影響されて始めたパンクバンドでは成功せず、成功したのはソウル色の強いシンプリー・レッドだし、ザ・スミスにしてもネオアコ代表バンドのひとつであり、どちらもピストルズ流の「激しさ」とは程遠い。


つまり、「激しさ」を売り物にしたピストルズの演奏ぶりを最初に見てインスパイアされた「40数人の反応」とは、必ずしも「セックス・ピストルズを真似た激しさ」を希求したわけではなかったということだ。
むしろ、「激しさ」が売り物のピストルズのデビュー時の衝撃が、パンクそのものの流行を生んだだけでなく、結果的に「パンク以降にやってくる静寂化と洗練への流れ」をも生んだ。そこが面白い。

------------------------------------------------------

さて、「激しさが静けさのルーツになる」という事例を見たわけだが、蛇足として1976年6月4日という「日付のもつ意味」について触れてみる。


1976年の少人数のライブで世界に衝撃を与えたセックス・ピストルズが「終わる」のは、ジョニー・ロットンがツアー中に脱退した1978年、あるいはシド・ヴィシャスがオーバー・ドーズで死亡した1979年だが、このことでわかる大事なことは、ピストルズというバントが「1970年代後期のバンド」だということだ。
ピストルズと並んで成功したパンクバンドザ・クラッシュにしても、ピストルズを見て衝撃を受けたミック・ジョーンズがジョー・ストラマーなどとバンドを始めたのが同じ「1976年」であるように、「パンクは1970年代後期にできた音楽」であって、その発祥は80年代ではない。(とはいえ、パンク文化の「質」は明らかに70年代的ではない)


ところが、日本では多くの人が「パンクは80年代文化の象徴のひとつ」とか思いこんでいる。それはどうしてか。

80年代前半、欧米では「70年代中頃に誕生したセックス・ピストルズ」はとっくに消滅し、「ピストルズなどパンクロックの衝撃から生まれてきた、硬軟とりまぜた文化」が繁茂しはじめるわけだが、日本では遅れて1980年前後にようやくパンクが一気に輸入され、その影響を受けた日本のバンド(あるいは「パクった」バンド)が「限られた厚みの特定ファン層」を形成した。

この、80年代前期の日本に「輸入パンク文化経験をきっかけに形成されたマイナー文化群にどっぷりつかった、限られたファン層」が、80年代前期限定の「インディーズ」と呼ばれる文化層だ。

例えば、バンド名自体がピストルズ由来のアナーキーのデビューも、シーナ&ロケッツの東京上京も、同じ「1978年」の出来事だが、インディーズの情報網に彼らが本格的に登場するのは80年代に入ってからなのだ。
アナーキーの曲にパンクの大御所クラッシュの曲を日本語でもじっただけの曲があるように、当時のインディーズの有名楽曲には日本でまだ知られていない英語オリジナル曲に、ただ日本語歌詞をのせただけの安易な曲も散見され、必ずしも当時の日本の輸入パンクはオリジナルな存在ではなかった。逆にいえば、「その独特の激しさを真似せずにいられない」くらい、「パンクに最初に触れたときのインパクト」は、「6月4日のライブを見た42人」と同様に破壊的な衝撃だったわけだ。


この「80年代前期限定の文化クラスター」は、音楽ではパンクだけではなく、グラムもポスト・パンクもネオアコもニュー・ウェーヴも、音楽以外では、ヴィヴィアン・ウエストウッドもポスト・モダニズム哲学も、フィリップ・K・ディックもバロウズも、なにもかもを、非常に短期に、しかも「一緒くたに」吸収した。
つまり、輸入元の欧米では順序をもって発展してきた文化群を、80年代前期の日本では、一気に、それも腹いっぱいになるまで「詰め込んだ」のであり、アニメ文化やオタク文化にしても、ルーツはこの「ガツガツと貪欲に文化を吸収した、大食いの時代」にある。


「80年代前期限定インディーズ」が貪欲に吸収した輸入文化から築いた80年代前期文化の質は、「70年代までのアングラ」と質的に異なる。
ここまで書いてきたことでわかるように、「70年代アングラ」と「80年代前期のインディーズ」を瞬時に区別する方法があるとするなら、おそらく80年代前半文化の牽引役である「パンクを通過したかどうか」にかかっていると思われる。簡単にいえば、つげ義春は前者で、大友克洋松本大洋は後者だ、というような意味だ。

ただ、80年代前期育ちの人だからといって、その人が当時のインディーズ文化を経験しているとは限らない。
岩村暢子という方が『日本人には二種類いる』というなかなか興味深い本を書いておられるわけだが、どんな時代でもそうだが、「インディーズ文化にどっぷりつかる経験をしなかった人たち」はどんな時代にも存在する。そういう人たちはおそらく「同世代にインディーズ文化が存在していることにまったく気づかないまま、同じ時代を過ごした」のである。
また、「80年代前期限定文化クラスター」の存在によって、日本における「80年代前期」と「80年代後期」はまったく異質なものになっていることも覚えておくべきだろう。80年代後期文化には「パンクの影」はまったくない。


「80年代前期の文化アイテム」には、エリック・サティ趣味のように、静寂と洗練を追及し、パンクの激情とはなんの関係もないように見えるものも少なからずある。
だが、その底流に「パンク的な、なにか」が流れていることはけして少なくない。なかなか説明が難しいが、わかる人にはわかると思う。

May 31, 2017

タイガー・ウッズがフロリダのパームビーチで逮捕されたときの「人相の酷さ」が話題になっている。


たしかに自分も逮捕時の彼の顔を「見るに耐えない」とは思うし、それをツイートもした。

だが、彼の痛々しい人生そのものを 「論ずるに値しない」 とは、まったく思わない。

例えば、タイガー・ウッズについての本を何冊も書いているような自称スポーツライターが「裏切り」だのなんだのと、まるで「ケバいホステスさんが連れ歩く醜いチワワのようにキャンキャン吠えて」いるが、何の意味もない。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
【速報】タイガー・ウッズ逮捕!:もはや許されない「2度目の裏切り」--舩越園子 | 新潮社フォーサイト
こんなレベルの脳で、よくアスリートのことを書けるものだ。他人様の業績と人生を利用して儲けてきたにすぎない三流ライターが、言うべきこと、言うべきでないことの区別すらつかないのか。


心が乾いた子供のまま、オトナになった彼」がやるべきだったことの最初のひとつは、簡単なことだったはずだ。

自分を幸せにしてやること、だ。

それは同時に彼が、人生の出発において必ずしも「幸せではなかった」ことも意味する。


すべてを手に入れたはずの彼は、突然つまづいた。

「え? あれだけ有名になってカネも稼いだんだし、こんどは自分を幸せにするんじゃなく、家族や両親を幸せにするべきだし、社会貢献だって大いにすべきだろ。」

などと、思うかもしれない。


いやいや。それは、まったく間違ってる。
人生ってものが、まるでわかっちゃいない


まとまるには時間がかかるが、今の時点で思うことだけ書けば、今のタイガー・ウッズは、「自分を幸せにする方法や方向性」を模索しながら「さまよい歩き続けて」きて、その長い過程において失敗する中で、今の彼は「いったいどういう状態が自分にとっての幸せか」すら見失っていると思う。
そして、彼が道に迷った「起点」はおそらく、彼の中にもともとあった「亀裂」だろう。ここでいう「亀裂」とは、精神分裂病の意味ではない。むしろ「両親との関係性」を中心にした、文化的あるいは人種的な意味だ。


彼にこうアドバイスする人がたくさんいたことだろう。

家庭を持て、タイガー」と。


でも、そうだろうか?

家庭をもつことは実は「誰にでも」できる。
しかし、本当に人は「家庭のもつ、はかりしれない価値」に気づいて家庭をもっているだろうか。なんとなく「成り行き」で「家庭と称する集合体を築いただけ」の人があまりに多くはないだろうか。そんな未熟な行為で、その人は本当に「幸せな家庭」を実感できるだろうか。

ブログ主は、そうは思わない。

「多くの人がそうするから」という単純な理由だけで家庭をもち、「家庭のもつ、はかりしれない価値」に気づかないまま、「自分Aと自分Bの間に生じる摩擦」によって、自分自身と家庭の両方を傷つけている、そういう人が大勢いるとブログ主は考える。


たとえば、彼タイガー・ウッズは「アスリート」である。
そして、「アスリートにとっての幸せ」というものは、「もともと家庭と別のところ」にある

このことをしっかり「認め、共有すること」がアスリートにとって「重要な出発点」だし、認めないことには出発できない。それは理屈ではない。家族のありがたみを本当に実感するのは、もっとずっと先の「終点」であり、「出発点」でなくていい。


たしかに、「家族を幸せにしたい」と思うこと、それ自体は誰もが考えるべき、とても重要な人生のキーポイントだ。
だが、もしその行為が表面的な道徳感だけであり、家庭をもったことが「自分に足かせをはめただけ」の意味にすぎず、心の奥底では逆に「家庭というモラルが自分を縛りつけている」などと感じて生活しているなら、その人は少なからず「仮面をかぶっている」にすぎない。
そういう人は「家族という素晴らしいユニット、家族という素晴らしいチームを、心の底から楽しんではいない」。


本来、「家族であるということ」は、他人から強制されるモラルでもなければ、目的でもないのに、である。


おそらく、タイガー・ウッズが家庭をもった最初の理由は、彼にとってどうしても必要だったから、ではない。彼の最初の家庭は、彼の中のアスリートとしての乾きを潤してはくれなかったし、彼自身も家庭を潤してはいなかった。


誰にとっても人生はある部分において、とても痛々しいものだ。

今のタイガー・ウッズは、自分のことすら愛してはいない。自分のことを愛していない人間のやることは、眼をそむけたくなるほど、限りなく無様(ぶざま)だ。


だが、それを嘲笑う(あざわらう)ことは、自分にはできない。
自分も少なからず痛々しい人生を生きてきたからである。

タイガー・ウッズが人生を心から楽しむことの意味や方法を知るには、まだまだかなり時間がかかると思うが、しかしだからといって、それを知るのに、人生において遅いということはない。

たとえ彼がプレーヤーとして昔の姿で復帰できなくても、それはそれでいい。ブログ主は彼に「ひとりの人間として」、本当の意味での「頼れる父ちゃん」になれるよう頑張ってもらいたいと思うのである。




May 22, 2017

田中将大がタンパベイ戦でこっぴどく打たれたために、膨大な記事が書かれている。見たくなくても関連記事を見かけるので、ほんとウンザリだが、主旨のハッキリしない、薄味のくだらない記事ばかりで、「面白い記事」など、どこにも落ちてない。
これだから日本のメディア記事だの他人のブログだのをマトモに読む気になどならない。


例えば、「2017年の田中がスプリットを投げてないこと」くらい、タンパベイのコーリー・ディッカーソンなどにホームラン3本を打たれた打席の投球球種をみるだけで、誰にでもわかる。

にもかかわらず、例えば豊浦某(https://news.yahoo.co.jp/byline/toyorashotaro/20170522-00071202/)などは、たった1行、「スプリットを封印した田中には、決め球がない。」とでも書けば済む中身のない内容を、Fangraphのデータをわざわざ引用して、ダラダラ、ダラダラひきのばして書いている。くだらない。中身なんてまるでない。Fangraphを引用するとセイバーメトリクスっぽくなるとでも思っているのか。アホか。と、いいたい。

日本のスポーツ紙メディアにしても、「好調ならベタ褒め、不調ならクソミソ」程度の低レベルな文章技術しかない三流タブロイドメディアのニューヨーク・ポストが書いたこきおろし記事を受け売りして、翻訳掲載し、無駄に三流タブロイド紙を儲けさせている。くだらないにも程がある。


田中が春先にホームランを打たれまくったのは、
なにも「今年が初めて」ではない。
参考記事:2014年7月10日、田中将投手の使う球種の大きな変化。「ストレートとスプリッター中心だった4月・5月」と、「変化球中心に変わった7月」で、実際のデータを検証してみる。 | Damejima's HARDBALL
参考記事:2015年4月6日、2013年日本シリーズ第6戦で巨人に「パターンを読まれた」時点からすでに始まっていた田中将大の「試練」。 | Damejima's HARDBALL

むしろ、渡米後すぐ、2014年に右肘靭帯部分断裂して、翌2015年春にはすでにホームランをボコボコ打たれだしている
だから2015年春の野球記事を検索すれば、さまざまな角度から書かれた「なぜ田中はホームランを打たれるのかというテーマの記事」がいくらでも見つかるし、中には中身のある記事もある。

例えば「対戦相手に球種が読まれているのではないか」という、よくある疑念については、例えば2015年4月にカート・シリングが「ストレート系と変化球で、腕の角度が違う」と言っている。(このコメントは「怪我から復帰した後」の話なので現在でも読む意味はある)
Harper: Tanaka takes small step, but not yet up to speed - NY Daily News
またフォームの変化については、2015年に筑波大学硬式野球部監督でもある川村卓准教授が、怪我のあとのフォームの変化と課題を指摘していて、「上半身、たとえばトップの位置は変わったが、下半身の動きは変わってない」という主旨のことを言っている。
田中将大の投球フォーム ヒジの故障によって変わった「トップの位置」 | ベースボールチャンネル(BaseBall Channel)


田中の不調の原因を記事として明確に指摘できる「材料」は他にもある。


例えば、タンパベイ戦で田中は、誰からの指示かは知らないが(たぶん無能な投手コーチのロスチャイルドだろうし、監督ジラルディも同意見だと思われる)、わざわざ「プレートの三塁側」を踏んで投げるように指示されている。

「右投手」が、「三塁側」を踏んで、「右バッターのインコース」に、「シンカー」を投げこんで、それが「ホームランという結果」しか生まなかったというのだから、そのことの「意味」は、「シンカー」という球種の性格をちょっと考えれば、その「意味」が誰しもわかりそうなものだ。
なのに、誰も指摘してないのだから呆れかえるしかない。おまえ、ボール握ったことがないのか?と、言いたくなる。


ちなみに、シーズン20億円以上もらっている先発投手が「プレートのどこを踏むか、他人から指示される」なんてことは、「ブログ主の常識」には、まったくない。
そういうたぐいの「調整」は「誰よりも自分をわかっている自分自身が試すべきこと」であって、それができる投手だけが20億もらうべきだ。
そういう基本が自分でできないのなら、20億もらう価値のない選手であることを自分で証明していることになる。それがブログ主の考える「プロ」だ。いったい何年かかったら「田中の調整」は終わるんだ?と言いたい。


まぁ、興味がある人はPitch F/Xとかで、田中投手の「変化球、速球それぞれのリリースポイント」とか、「変化球の変化の大きさ」など調べてみると面白いことがわかると思うし、登板日の写真の「下半身の踏み出し幅の、異様なほどの大きさ」についても、ちょっと考えてみるとなかなか奥が深いとも思う。

でも自分ではやらない。

なぜなら、自分にとって田中将大は、そういう「めんどくさいこと」を時間をかけてわざわざしたいと思うほどの選手ではないからだ。
彼はクリフ・リーでも、ロイ・ハラデイでもない。時間をかけて田中について書くくらいなら、むしろ、大学時代の怪我で速球派から技巧派に転じたジェイソン・バルガスの「遠い過去から現在にいたる、紆余曲折の長い道のり」について時間をかけて書いてみたい。


いずれにしても「面白いMLB記事」なんてものに本当に出会わなくなった。
根本原因はたぶん、本当の意味で「面白いと思える選手」がいなくなってしまったことにあるのだろう。
飛びすぎるボール。ストライクゾーンの変更。ホームラン激増。突然ホームランを量産しだす若い選手の登場。ドーピングの蔓延などなど。どれもこれも、別に面白くも、なんともない。細かく分析しようとも思わない。わかりきったことばかりで、考えて長い記事を書いても時間の無駄だし、MLBへの興味が薄れる原因にすらなっている。

May 16, 2017

下の写真は1929年に「レッドソックスのホームゲーム」に向かう大勢のファンの姿だが、彼らが向かっているのは「フェンウェイ」ではない。「ブレーブス・フィールド」だ。
1932年までレッドソックスは「日曜に限って、フェンウェイで試合を開催することができなかった」。そのため「日曜のゲームだけ」は、西に1.4マイル離れたブレーブス・フィールドで行われていたのである。(ブレーブス・フィールドは、現在のアトランタ・ブレーブスがボストンにあった時代の本拠地で、現在の名称はニッカーソン・フィールドで、ボストン大学の所有)


いままで一度も真剣に考えたことがなかったが、どうも「人が休息する曜日には、2つの種類がある」ようだ。

1)宗教的なさまざまな「制約」が定められた安息日
2)疲労回復やリクリエーションなどをして過ごす、「自由」時間としての休日


上に書いた2種類の休日のうち、後者のルーツは、どうも「古代ローマ帝国」にあるのではないか、という主旨で以下を書く。(なお、余談としてオードリー・ヘップバーンが主演した『ローマの休日』という名作映画のタイトルの解釈の誤りにも触れる)


特定の曜日」の人々の行動について、「宗教的な視点から、制約を設けている国」は、案外多い。例えば、ユダヤ教なら土曜、キリスト教なら日曜、イスラム教なら金曜が、「安息のための日」とされ、歴史上さまざまな制約が設けられてきた。それぞれの宗教の信者の多さを考えると、かなりの数の人々がこれまで「特定の曜日の行動にさまざまな制約が設けられた文化のもとで暮らしてきた」ことになる。

例えばキリスト教国だと、古くから日曜日の人々の活動のいくつか(例えば飲酒)を法的に制限した例がある。
アメリカは、そうした国々の中で最も歴史の新しい国のひとつだが、それでも、かつてアメリカがヨーロッパの植民地だった時代に、厳格なモラルのある暮らしを求めるピューリタン系移民の意向でBlue Lawという法律が定められた。
Blue Lawによる制約は州によって中身が異なるのだが、いずれにしても自由の国アメリカにも「日曜日の行動」にさまざまな制約を設けていた時代があったのである。


ボストンは、トリニティ教会のような尖塔をもったヨーロッパ風の教会が点在するヨーロッパ文化の影響の濃い街だが、フェンウェイパークは球場の1000フィート内に教会があった。そのため、法的な規定によりかつては「日曜日に試合を開催すること」ができなかった。
例えば、「1929年」でいうと5月23日〜26日にレッドソックス対ヤンキース戦が5試合組まれているが、水曜から土曜までの4試合はフェンウェイだが、「日曜日の試合だけ」はフェンウェイではなく、「ブレーブス・フィールド」で行われている。(資料:http://www.baseball-reference.com/boxes/BOS/BOS192905260.shtml

なおブレーブスがレッドソックスに日曜限定で球場使用を認めた経緯については、以下の記事が詳しい。Red Sox to use Braves Field on Sundays - The Boston Globe
ブレーブス・フィールドとフェンウェイパークの距離


さて、野球の日曜開催を阻んでいたBlue Lawの存在がわかったら、話は終わりかというと、そうではない。まだ長い続きがある(笑)


英語で「日曜日」を意味する言葉が sunday、サンデイ であることは、英語の苦手な日本人でも知っている。
だが、こういう『太陽を意味する言葉』が「日曜日」を示すようになったことには、なかなか深い歴史的な意味がある。


長い話を書く前に
まず誤解を正しておかなくてはならない。

欧米のキリスト教国に、日曜日の人々のふるまいに制約を設ける法律があることについて、日本人はその理由を「キリスト教の安息日が日曜日だからだ」と思いがちだし、日本の多くのサイトも堂々とそういう「間違い」を書いている。

だが、それは以下に示すが、二重三重の意味で正しくない
 
そもそも「安息日」という言葉が指す曜日は、ユダヤ教、キリスト教、いずれの場合も、「土曜日」であって、日曜日ではない。
旧約聖書のもとにおける安息日(Sabbath)とは、天地創造7日目に神が休息をとった曜日である「土曜日」である。ユダヤ教、そしてキリスト教宗派の一部の厳格さを重んじる宗派において、安息日とは現在でも「土曜日」を指している。
さらに詳しく言えば、「安息日という意味の土曜日」は、厳密には「金曜の日没から、土曜の日没まで」を意味しているのであり、例えばユダヤ教では、「既に安息日に入っている金曜の日没後の夜」に、「安息日の禁止事項のひとつ」である「火を使って料理する行為」は許されない。
金曜を安息日とするイスラム教においてもまた、「安息日の金曜」が意味するのはあくまで「木曜の日没から、金曜の日没まで」であり、各種の禁忌は、金曜の深夜12時から始まるのではなく、「木曜の日没」から始まる。

新約聖書のもとでは、「日曜日」が特別視され、礼拝も行われるが、これも「日曜日が安息日だから」ではない。これは「日曜日」が「主キリストの復活した曜日」にあたる「主日」(しゅじつ、=Lord's day)だからである。
例えば、東方正教やカソリック系諸国の言語、ギリシャ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ベトナム語などにおいては、「日曜日」を示す単語として、英語におけるsundayのような「太陽を意味する言葉」ではなく、「主日」に由来する言葉を用いる。

歴史家的視点からいうと、キリスト教における礼拝日は古代ローマ時代に「土曜日から、日曜日に変更になっている」と考えられており、その直接の転機は皇帝コンスタンティヌスがAD321年に発布した日曜休業令にある。
考察例:David Laband "Blue Laws: The History, Economics, and Politics of Sunday Closing Laws"



さて、19世紀アメリカの「日曜日の行動を規制する法律」、 Blue law のルーツに話を戻す。

この法律のルーツは、1617年にイギリスのステュアート朝初代国王ジェームズ1世が定めたDeclaration of Sportsといわれている。
ジェームズ1世のステュアート朝の前の、テューダー朝をひらいたヘンリー7世の息子ヘンリー8世が離婚のために英国国教会までつくったあたりのことは、既に記事に書いた。2014年12月5日、シェークスピアも予期できなかった、527年後の復讐劇。21世紀版 『リチャード3世』。 | Damejima's HARDBALL

英国国教会成立後のイギリスでは、国教会派と、それ以外のキリスト教宗派、特に清教徒(ピューリタン)との対立が激しくなり、ピルグリム・ファーザーズのような清教徒の一部は新天地を求めて、ボストンをはじめとするアメリカ東部に渡った。
こうしたピューリタンの影響のひとつがBlue Lawだ。清教徒はご都合主義を嫌ってアメリカに渡ったわけだから、アメリカ東部の都市の一部が「キリスト教的な厳格さを要求する保守社会」になったのは当然の成り行きでもあった。
だから「Blue law が人々に求める休日」とは、最初に書いた「休日のあり方に関する2つのパターン」のうちの前者、つまり「宗教的にさまざまな制約のある安息日にふさわしい過ごし方」であり、けして現在のような「休養やリクリエーションをして過ごす、自由な休日」ではない。


では、「宗教的な義務としての安息の日」ではない、「疲労回復やリクリエーションなどのための、単なる休憩時間としての休日」は、いつごろ人類史に現れたのか。


現在我々が経験している「日曜日に、野球でも見て、ビールでも飲んで、のんびり過ごす」というような意味での「自由な休日」のルーツは、どうやら古代ローマ帝国にある。

古代ローマには「ヌンディナエ」という「8日目の休日の習慣」が、キリスト教が古代ローマ帝国に浸透する前からあった。
古代ローマ帝国は当初、「ヌンディヌム(nundinum)」と呼ばれる「八曜制」を採用していたために、「古代ローマ初期の1週間のサイクル」は「8日間」でできていたが、ヌンディヌムの「8日目」が、ヌンディナエ(nundinae)であり、仕事も学校も休みで、たとえ下層階級である農民であっても、7日間の労働のあとのヌンディナエでは友人との時間を楽しむ時間的なゆとりを持てたらしい。

皇帝アウグスティヌの時代になると、「8日間サイクル」でできていた1週間は「7日間」に短縮され、その7日目には「太陽の日」を意味する Diēs Sōlis という呼称が与えられ、皇帝コンスタンティヌスは「日曜休業令」を発布し、「週の7日目に仕事や学校を休む」よう定めた。

古代ローマで「休養日」が「太陽を意味する言葉」で呼ばれていたこと自体には、古代ローマ特有の宗教上の理由がある。古代ローマ人は、キリスト教が伝来する前から多神教的な「太陽崇拝の土着宗教」を持っていたからだ。

だが、古代ローマの「日曜休業令」は太陽崇拝を強制するために作られたわけではない。
もし皇帝コンスタンティヌスが領土全体にローマ帝国の伝統宗教を強制しようとしたのであれば、領民全員に「太陽崇拝」と「日曜の太陽礼拝」を強制したはずだが、彼はむしろミラノ勅令ですべての宗教の自由を認めたことで有名な自由を重んじる皇帝であり、太陽崇拝の強制のために日曜日を休ませたわけではないし、また、彼自身たしかにキリスト教擁護者でもあったが、反面でローマ伝統の太陽崇拝を捨てていたわけでもないから、キリスト教の礼拝を強制するために日曜休業を言い出したわけでもない。

古代ローマでは、キリスト教が帝国全土に浸透する前の1週間がまだ8日間だった時代から既に、「1週間のうち、1日を、学校や仕事を休んで休養にあてる習慣が存在した」のであり、コンスタンティヌス帝は「日曜休業令」で「古代ローマの伝統的な習慣」を「制度化した」のに過ぎない。



「日曜日」の呼び名である "sunday" は「太陽」に関係した言葉であり、その原点は、キリスト教の登場より古く、古代ローマにある。
この言葉が規定した「日曜日」とは、もともと「宗教的な制約に従って静かに過ごす日曜日」ではなく、むしろ「自由に過ごしても許される、休養やリクリエーションの日としての日曜日」が、むしろ「オリジナルの日曜日」なのだ。
ヨーロッパを脱出してアメリカにやってきた清教徒たちのナーバスな要求で作られた Blue Law がボストンでの日曜の野球開催を禁じたわけだが、日曜日に娯楽に興じることはキリスト教よりも古いルーツにのっとった行為であり、やがてアメリカにおける Blue Law による生活のさまざまな制約は20世紀に撤廃されていくことになった。
(この例からも、アメリカと英語の文化が、けしてキリスト教文化のみでできているわけではないことが、そのこともなかなか興味深い)


ゆえに。

映画『ローマの休日』の原題 Roman Holiday は、厳密に直訳するなら、『ローマ式の休日』と訳すのが正しい
さまざまな制約に縛られてばかりいる王女が、イタリアのローマで、ヨーロッパ歴訪の過密スケジュールと王室の制約に縛られることなく、自由きままに休日を過ごした、そのリラックスした過ごし方こそ、「古代ローマ的な休日」にほかならない。

Audrey Hepburn in


March 21, 2017

かつて王貞治のスイングについて、こんなことを書いたのだが、もう少し詳しく書いておきたくなった。

王貞治のバッティングは、バットがミートポイントに向かって「ものすごく直線的に向かうダウンスイング」だ、だから凄いんだと、思い込んでいる人が数多くいる。「一本足打法」というネーミングの直線的なイメージから、バットも「スイングの開始時点では、直立したまま」でスイングしていると思われているわけだ。
だが、いちど動画で確認してもらうとわかるが、この人のバットは「いちど大きく寝て」、それからカラダの後ろを回りこむような軌道でスイングが始まっている。「ドアスイング系のスイングをする落合や張本は、バットを一度寝かせてから振っているけれど、王のバットは一度も寝ないダウンスイングだ」と思い込んでいる人は非常に多いわけだが、もう一度、自分の目で確かめるといい。
2016年11月17日、「回転」に特徴をもつ人間の身体と、「直進するボールのスピードや制御」を要求するベースボールというスポーツの関係を明確化する | Damejima's HARDBALL


右翼席方向からの動画で確認すれば、王貞治のバットがいかに「寝て」いるかは一目瞭然だ。以下の画像でいえば、2番目から3番目のプロセスに至る過程でバットは一度大きく寝かされており、それから「すくい上げるような動き」で、ボールをたたいている。

かつては、こういうスイングをなんの検証もせず「ダウンスイング」と断定した人が数多くいて、そればかりか近所の子供に「自分の考える理想のダウンスイング」とやらを指導したりしていたのだろうから、人間の眼力や判断力なんてものは案外いい加減なものなのだ。

王貞治のスイング全体像


バットヘッドの動きからみると、王のスイングは以下のような「いくつかのプロセス」に「分割」できる。以下の画像に色わけして示す。

王貞治のスイング全体像(色わけ)

)上の画像の赤色部分(以下同じ)
片足を上げながら、バットヘッドが投手に向かって前傾する。「重心」はいちど投手側に片寄る。
水色
投手側に動かした重心を、こんどはバックネット側に戻す。同時にバット全体を後ろに引く。グリップは腰元まで下げられる。
黄色
バット全体を一度寝かす
白色
体全体を水平に時計回りの回転をさせつつ、バットヘッドを水平に回転させ、バットをボールにぶつける感じでミート。
ピンク
スイングの最終部分。バットから左手を離し、右手1本だけでハイフィニッシュしてボールにバックスピンをかける



プロセス1)赤色の部分

王貞治のスイング(1)

1本足で立った王貞治のバットヘッドは、最初「投手側に倒れる」。これは「わざと重心を、一度投手側に傾けておく」ことを意味する。目的は、2番目以降のプロセスで重心をバックネット側に戻すことによって、「重心移動の反動」を生じさせ、その「反動」をスイングパワーに利用するためだ。つまりこれは、いわば「体全体を使ったヒッチ」なのだ。

若き日の王貞治のグリップ位置

上の画像は、若い頃の王貞治の「グリップ位置」だ。1本足打法でのグリップ位置とは、高さも位置も違う。

彼は若い頃から「大きくヒッチするクセ」があった。そのためグリップは、ともするとヒッチするには早すぎる段階で、腰のあたりにまで下がった
ヒッチそのものは悪いことばかりではないが、若い時代の王貞治の場合、ヒッチするタイミングが早すぎる上に、ヒッチしたときのバットが立ったままなので次の動作に移りにくく、バットヘッドがスムーズに出てこない。

そういえば、師匠の故・荒川博氏と王の練習中の写真には、うっかりすると「グリップを顔より投手寄りに置いて」に構えている風景があったりする。この「グリップ位置の変更」は明らかに「指導と練習の成果」だ。

王貞治のバッティングというと、「1本足」の代名詞のとおり、足を上げることに主眼があると思われがちだが、故・荒川博氏自身は、たしかどこかの記事で「グリップ位置を直すことに主眼があった」という意味のことを言っておられたように記憶する。

王貞治のフォームを直す故・荒川博氏(写真キャプション)
王のグリップを抱え持って固定している故・荒川博氏。おそらく王は荒川氏が制約を与えないとグリップを体の後ろ側に引きたがる。そのため、こうしてしっかりグリップが移動しないように固定しているのだろう、と思われる。いわば「1本足打法養成ギプス」だ(笑)

では、若い頃からあった王貞治の「グリップが下がるクセ」は、打者として大成する過程で直ったのか、というと、以下にあげる写真群からわかるとおり、けして直ったわけではない。
例えば、上にあげた「色分け画像」で、「水色で示したバットヘッドの移動」は「右にいくほど垂れさがって」いる。これは「打とうとすると、どうしてもグリップ位置が下がる」のが原因だ。

だから、むしろ故・荒川博氏が王貞治の欠点を矯正するためにやったことは「スイングのどこかでグリップが下がるのは防げないにしても、むしろ、それをバットヘッドのスピードやパワーに変換することができないか」という「実験」だったように思える。(具体的には「体全体を使ったヒッチ」で生まれるパワーを、バットを寝かすことで、その後の水平な回転運動のエネルギーに変換しやすくしている)


プロセス2)黄色からプロセス3)水色にかけての動き

王貞治のスイング(2)

フラミンゴのような華麗なイメージのある王貞治の打撃フォームだが、上の画像の真ん中などはむしろ、かなりの「へっぴり腰」で、華麗なイメージとはかけ離れている。

かつてダウンスイングの代名詞みたいに、つまり、立たせたバットをその状態から動かさずにダウンスイングしていると思われがちだった王貞治だが、実際には上に挙げた画像のとおり、バットを一度かなり寝かしておいて、それから「体全体を水平に回転させるのにあわせてスイング」しているのである。(もちろん水平に回転するわけだから右肩はかなり開くし、右足のつま先は投手方向をまっすぐ向く)

最初と2番目のプロセスで行う「体全体を使ったヒッチ」で得られた体重移動の反動エネルギーがスイングのパワーとして使われるわけだが、もしここでバットを寝かさないと、その後の水平な回転運動にスムーズに移れない。
ただ、バットを単純にパタンと寝かして打っているわけでもない。黄色で示した軌道の「複雑さ」を見てもらうとわかるが、「スイングを開始する時間帯」にバットヘッドは「S字の軌道」を描きながら、ムチをふるうように抜け出ていく。ここに「体全体を使ったヒッチで得たエネルギーを、無駄なく水平な回転に変換する動作」の要点というかコツがある。
ルアーフィッシングをやったことがある方ならわかると思うが、カーボンロッドをムチのようにしならせてルアーを遠くへ飛ばすときに使う「ロッドをくねらせる動作」と同じで、王貞治のバットヘッドは単純に寝かされているのではなく、「S字の軌道」を描かせることで「反動をつけながら」振り出されている。


プロセス4)白色 〜 プロセス5)ピンク色

寝かしたバットを水平に(実際にはややアッパー気味に)回転させて打って、それからハイフィニッシュ。右肩はかなり開く。そのため、当然ながら右足のつま先は投手方向を向く。

もしスイングを高い位置で終わらせるのではなく水平回転のみで終わるとしたら、(日本のボールでは)ライナーは打てるが、ホームランは打てない。
だから回転の向きこそ違うものの、テニスプレーヤー、ビヨン・ボルグがトップスピンを打つために用いたハイフィニッシュと同じやり方で、王貞治はスイングの最後を「ハイフィニッシュ」し、ボールを長い時間かけてバットで逆向きにこすりあげることで、打球に「バックスピン」を与えてている。王のホームラン特有の「高い軌道」は、この「バックスピン」から生まれるのである。(ただし、MLBではこの打ち方ではホームランは打てない)

バットを寝かした瞬間、バットのエネルギーと重力はおそらく左手首に集中してかかる。だがハイフィニッシュでは左手は離している。これはいわば、「バットを左手から右手に渡して、持ち替えている」わけだ。

王貞治のスイング(3)

王貞治のスイング(4)



問題は、「体全体を使ったヒッチ」、「バットをいちど寝かすこと」、「S字軌道」、「ハイフィニッシュによるバックスピン」、「バットの持ちかえ」など、これらすべてを王貞治自身が考えついたのか、それとも、故・荒川博氏が考案したのか、だ。

ブログ主は、とくに理由もないが(笑)、「故・荒川博氏による考案」とみる。

グリップを下げたがる癖のある打者が、バットを立たせたままスイングに入ろうとしたら、バットヘッドが抜けず、ただただタイミングが遅れがちなスイングにしかならなかっただろう。そのバットを立たせたままヒッチして振りはじめる癖の「改善」を、頑固で一徹な性格の王貞治が自分自身で達成できたとはとても思えないのである。

February 05, 2017

前の記事で、「ホームランバッターは三振するのが当たり前」という俗説が真っ赤な嘘にすぎないこと、また、「MLBで三振数が急増した」のは2000年代以降、とりわけ「2010年代」の現象である、という主旨の記事を書いた。

以下のグラフは、X軸に選手のシーズン三振数(10三振ごとに区切り)、Y軸に年代別パーセンテージをとり、「1999年まで」、「2000年代」、「2010年代」という3つの年代が、三振数の多い打者に占める割合を調べた。
例えば、X軸の「180」という項目は「シーズン三振数180以上の選手数」を意味しており、そこを縦にみることで「3つの年代」それぞれが占めるパーセンテージ」がわかる。

三振数が多ければ多いほど、2000年代、2010年代の打者の割合が増加していることを、あらためて説明するまでもないだろう。2010年代はまだ終わってもいないにもかかわらず、この有様なのだ。2010年代がまさに「三振の時代」であることがわかると思う。

シーズン三振数年代別比較

個人についてはわかったが、では、
チーム三振数」はどうか。

結論から先にいうと、
チーム三振数も、個人の三振数とまったく同じ現象のもとにある。

例えば、「シーズン総三振数1400を越えたチームは、MLB史上、2010年代にしか存在しない」。この事実からもわかるように、個人のみならず、「2010年代は、チームという視点でみても、三振全盛時代」なのである。

シーズン1500三振以上のチーム(計5チーム)
2016年 MIL 1543(地区順位:4位) SDP 1500(同:最下位)
2015年 CHC 1518(3位)
2013年 HOU 1535(最下位)
2010年 ARI 1529(最下位)

シーズン1400三振以上のチーム(計13チーム)
2016年 MIL(4位) SDP(最下位) TBR(最下位) HOU(3位) ARI(4位) MIN(最下位)
2015年 CHC(3位)
2014年 CHC(最下位) HOU(4位) MIA(4位)
2013年 HOU(最下位) MIN(4位)
2010年 ARI(最下位)

シーズン1300三振以上のチーム(計56チーム)
注:以下の太字地区優勝チーム
2016年 MIL SDP TBR HOU ARI MIN PHI COL BAL LAD ATL
2015年 CHC HOU WSN SEA BAL SDP PIT ARI TBR
2014年 CHC HOU MIA ATL CHW BOS MIN PHI WSH
2013年 HOU MIN ATL NYM SEA PIT SDP BOS
2012年 OAK HOU PIT WSH TBR BAL
2011年 WSN SDP PIT
2010年 ARI FLA
2008年 FLA
2007年 FLA TBR
2005年 CIN
2004年 CIN MIL
2003年 CIN
2001年 MIL

シーズン1200三振以上のチーム(計163チーム)
2010年〜2016年 119チーム(約73.0%)
2000年代 39チーム
〜1999年まで 5チーム


MLBにおいて、「シーズン1200三振以上したチーム」の96%以上、「シーズン1300三振したチーム」のすべては、「2000年代以降」だ。

「シーズン1300三振以上したチーム」は、「2000年より前」にはひとつも存在しないのだが、「2010年代」ともなると、1300三振したチームが年に8チームも登場し、けして珍しいものではなくなってしまっている。

また過去にシーズン1400三振以上のチームで、地区2位以上になったチームは、ひとつもない。その一方で、なんとも奇妙なことに、2010年代にはシーズン1300三振以上していながら地区優勝したチームが、6つもある。


こうした奇妙な事実から、まだ何の根拠もないが、以下の仮説を立ててみた。

チーム三振数1300という数字は、過去においては、そういうチームがまったく存在しないほど「多すぎる三振数」であり、地区優勝などありえない数字だった。
だが、2010年代になると「三振数の基本水準」が上がり過ぎて、誰も彼もが三振ばかりする時代になってしまい、その結果、たとえ「チーム三振数が1300を越えて」も、戦力次第では地区優勝を狙うことができるようになった。

ただし、三振の世紀である可能性がある2010年代以降でも、チーム三振数が1400を越えると、さすがに地区優勝の可能性は一気に低下する。

2010年代以降、チーム三振数の「分水嶺」は、1300後半である。



総三振数が1400を越えるチームが6つも出現した2016年というシーズンは、はたしてMLBにとって「いいシーズン」であったのか。2016年という「奇妙なシーズン」の後、MLBがいったいどんな「転機」を迎えたのか

そうした問いへの「答え」は2017年以降のMLBをみてみるしかないことだが、少なくともブログ主には「2016年がいいシーズンだった」という気は、まったくしないのである。

February 02, 2017

このブログではOPSという指標がデタラメであることを繰り返し指摘してきた。期待値と率を合算する無意味な計算方法といい、四球と長打を過大評価する計算結果といい、こんなデタラメな数字でスポーツを語っていた人間は、救いようのない馬鹿である。
また、こういうデタラメな計算方式の指標の恩恵を最も受けてきたのが、アダム・ダンマーク・レイノルズのような「低打率のホームランバッター」であるという指摘もずっと続けてきた。
カテゴリー:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど) 1/17ページ目 │ Damejima's HARDBALL

さらには、「四球や長打の過大評価」が、かえって近年のMLBの得点力低下をもたらしたことについても指摘してきた。
1990年代中期以降ずっと続いてきた「ホームラン偏重によって得点を得るという手法」が衰退しはじめていることの意味や、得点とホームランの相関関係における最大の問題が「ホームランの量的減少」ではなく「ホームランの著しい質的低下」であることを、人は忘れすぎている。(中略)

「ホームランバッターに高いカネさえ払っておけば、多くの得点が得られることが約束された時代」は、10数年前に終わっているわけだが、どういうわけか知らないが、「量的にも質的にも価値が低下している長打能力を過大評価し、それに高いカネを払う、わけのわからない時代」は、今なお続いている。
出典:2014年12月21日、「MLBの得点力低下をもたらした四球・長打の過大評価」原論に向けて (1)MLB25年史からわかる「2000年代以降、特に2010年代のホームランの得点効率の質的劣化」 | Damejima's HARDBALL


こうしたブログ主の立場からすれば、去年41本打ったクリス・カーターが所属球団から再契約のオファーがなかったことなど、別に不思議でもなんでもないが、こんな簡単なことすら理解できない(理解したがらない)人も、きっといまだにいるに違いない(笑)

そういう頑固で時代遅れな人のために、
ちょっとだけ資料を作っておく(笑)


クリス・カーターの2016年の成績は、160試合に出場(うち1塁手として155試合)、ホームラン41本94打点。長期休養もないし、数字だけ見るとあたかも堂々たるスラッガーのようにみえる。

ところが、だ。

クリス・カーターは他の数字が実に酷い。原因は、三振数206とか、打率.222といった、基本的な打席パフォーマンス全体の「質の悪さ」だ。そのためFangraphではwOBA.346、WAR0.9、しかなく、Baseball ReferenceでもWAR0.9しかない。
Chris Carter » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball
Chris Carter Stats | Baseball-Reference.com


とはいえ、WAR0.9とか数字だけいわれても実感がわかない人もいるだろう。もっと具体的で、わかりやすい話をしてみる。

例えばBaseball Referenceで、ホームラン40本、OPS.850以下という検索条件で調べてみると、以下の「13人の選手」が出てくる。
(この「13人」に近年の選手がやたらと多いことを覚えておいてもらいたい。また、あえてここで「OPSというデタラメ指標」を検索条件として使用したのは、「四球と長打を過大評価するデタラメ指標で測定してさえも、救いようがないほど低い評価数値しか出ない」のが「低打率のホームランバッター」だという「事実」を理解してもらうためだ)

マーク・トランボ2016年 47本 .850 SS)
ホセ・カンセコ(1998年 46本 .836 SS)
トニー・アーマス・シニア(1984年 43本 .831 SS)
フアン・ゴンザレス(1992年 43本 .833 SS)
カーティス・グランダーソン(2012年 43本 .811)
ロッキー・コラビート(1959年 42本 .849)
ディック・スチュアート(1963年 42本 .833)
クリス・デイビス2016年 42本 .831)
アダム・ダン(2012年 41本 .800)
トニー・バティスタ(2000年 41本 .827)
クリス・カーター2016年 41本 .821)
アルバート・プーホールズ(2015年 40本 .787)
トッド・フレイザー2016年 40本 .767)
(注:SS=シルバースラッガー賞)


この「MLBはじまって以来の中身のないシーズンを記録したことのあるホームランバッター13人」に、さらに「打率.250以下」というフィルターをかけてみる。すると、以下の近年の選手ばかり、7人に絞られる。

ホセ・カンセコ(1998年 打率.237)
カーティス・グランダーソン(2012年 打率.232)
クリス・デイビス2016年 打率.247)
アダム・ダン(2012年 打率.204)
クリス・カーター2016年 打率.222)
アルバート・プーホールズ(2015年 .244)
トッド・フレイザー2016年 .225)

2016年の選手が3人もいる。どう表現すると、この「2016年のホームランバッターたちの酷さ」が表現できるだろう。

100年をこえるMLB史で、「シーズン40本以上のホームランを打ったバッター」なんてものは、「のべ300人」ほどしかいない。
その、100年間に出現した「たった300人」のうちの、「ワースト10」のほとんど全員(もちろんマーク・トランボも例外ではない)が、「2012年以降の数シーズン」、「特に2016年に集中」して出現しているわけである。
2016年に40本以上打ったバッターで、「中身がともなったスラッガー」なんてものは、守備もうまく、ルーキー三塁手としてゴールドグラブを受賞し、今年はフィールディング・バイブルまで受賞したコロラドのノーラン・アレナドしかいないのである。これは、いったいどうしたことか。

そもそも「ホームラン40本以上、シーズン200三振」なんておかしな記録は、100年以上のMLB史において、クリス・カーター以外に、クリス・デービス、マーク・レイノルズ、アダム・ダンと、「たったの4人」しかやっていない。どいつもこいつも近年の選手ばかりだ。
例えば、馬鹿ばかりがマネージメントしていた2000年代後期のシアトル・マリナーズが4番をまかせた、あの三振王リッチー・セクソン、毎日毎日三振ばかりしてファンを激怒させ続けた、あの「リッチー・セクソン」ですら、シーズン最多三振は「167」なのだ。
クリス・カーターの200を越える三振数が、いかに天井を突き抜けた数字か、わかりそうなものだ。

いわば2016年クリス・カーターは、「MLB史に残るほど酷い内容のホームランバッター」だったのであって、こんなのに再契約の高額オファーを出す球団があるとしたら、出すほうがどうかしてる。


ちなみに、こういう話をすると必ず「ホームランをたくさん打つバッターは三振が多いのなんて当たり前だ」などと、知ったかぶりにお説教したがるアホな年寄りが出現するものだ。
昔の野球マンガか、スポーツ新聞の記事か、どこでそういう間違った思い込みを吹き込まれるのか知らないが、それはハッキリいって、他人に野球についてしゃべるのを止めたほうがいいレベルの「低俗で子供じみた間違い」だ。

いい機会だから、きちんと認識をあらためたらどうか。
「ホームランバッターがやたらと三振ばかりする」のは、
昔からあったことではない。
むしろ、「つい最近に限った傾向」だ。


例えば、「シーズン200三振」という恥ずべきシーズン記録だが、過去に記録したのは、わずか「延べ9人」で、2000年代のマーク・レイノルズの2回を除き、200三振のすべては「2010年以降」に記録されているのである。(以下、「9例」とは「延べ9人」を意味する)

これを「シーズン180三振以上」とすると、どうか。過去51例が記録されているが、「2000年代以前の100年間」には、わずか6例しか記録がない一方で、残り45例すべてが「2000年代以降」であり、ことに「2010年代」が29例(約56.9%)と、半数以上が2010年代の記録で占められている。
シーズン160三振以上」と範囲を広げても事態はさほど変わらない。過去157例のうち、「2000年代以前の100年間」はわずか35例にとどまる一方、「2000年代以降」が48例、「2010年代」にいたっては74例(約47.1%)と、またもや2010年代が約半数を占めるのである。

さらに捜索の範囲を広げ、「ホームラン数30本以上で、三振180以上」としてみると、100年以上のMLB史で該当記録はたった「33例」しかいない。
そして、その「ホームラン数30本以上で、三振180以上を喫した33例」は、そのほとんどが「2000年代以降の選手」によるものだ。ジム・トーミ、ライアン・ハワード、ジャック・カスト、マーク・レイノルズ、アダム・ダン、ペドロ・アルバレス、マーク・トランボ、マイク・ナポリ、マイク・トラウト、クリス・カーター、クリス・デービス。これは、どうかしてる。

逆に、「ホームランを30本以上うちながら、三振数を150以下に抑えた」という記録は、過去に「300例」ほどある。これは、たった30例ほどしかない「30本、180三振以上」の約10倍にあたる。「ホームランバッターが三振ばかりすることが、けして当たり前だったわけではないこと」は、ほぼ動かしようのない事実だ。


最後にしつこく、もう一度まとめる

「ホームランバッターが三振が多いのは当たり前」というのは、真っ赤な嘘である。

●MLBで「三振ばかりするホームランバッター」が大量生産されだしたのは、「2000年代以降」のことであって、とりわけ「2010年代」に大量に生産されだした。彼らは、本物のスラッガーではなく、いわゆる「大型扇風機」にすぎない。


ちなみに大型扇風機が三振しやすい理由は、とっくの昔に書いた。
かつてカーティス・グランダーソンはヤンキース所属時代の終盤に「インコースのストレートを強振してホームランを打つこと」ばかり狙って打席に入っていた。
そんな「ホームランだけを狙って、特定のコースだけ、特定の球種だけを狙う、単調なバッティング」なんてものが、このスカウティング全盛の時代、長く通用するわけはない。
2012年11月2日、2012オクトーバー・ブック 「スカウティング格差」が決め手だった2012ポストシーズン。グランダーソンをホームランバッターに押し上げた「極端なストレート狙い」が通用しなくなった理由。 | Damejima's HARDBALL

January 23, 2017

いまのMLBでデータを最もカッコよくみせる技にたけているアナリストは、MLBアドバンスメディアのリサーチ&ディヴェロップメント部門ディレクターDaren Willmanだが、以下の図はその彼による「マリアーノ・リベラの投球コース」だ。(図はキャッチャー視点で描かれているから、右がファースト側、左がサード側)
ちなみにDaren Willmanはもともとbaseballsavant.comの創始者だが、今はサイトごとMLBに引き抜かれた形になっている。気鋭の「元・民間人」というわけだ。

以下の図から、いかにリベラが「ハーフハイトの使い手」で、また、コントロールのいい投手だったかがわかる。


ストライクゾーンの中間の高さ、ハーフハイト(half hight)の球を、MLBの投手がいかに上手に使っているかを、ロイ・ハラデイを例にして2009年の以下の記事にも書いた。
メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』 序論:2009年9月30日、大投手ハラデイの「配球芸術」を鑑賞しながら考える日米の配球の違い | Damejima's HARDBALL

上の記事は、「キャッチャーがピッチャーに対して、コーナーを突くきわどいボールを要求し続けることの、MLBにおける無意味さ」を理解させるために書いた。

過去のアンパイアの判定結果を集積したデータでみると、MLBアンパイアのストライクゾーンは「ルールブックどおりの四角形」ではなく、むしろ「円形」に近いことがわかっている。(下図)
それは、言い換えるなら、「MLBアンパイアは概してストライクゾーンのコーナーぎりぎりの球をそれほどストライク判定しない」という意味であり、また別の意味では「ハーフハイトの球については、左右を広くストライク判定する傾向」にあるという意味だ。

カウント0-3と、カウント0-2の、ストライクゾーンの違い

参考記事:2011年7月11日、MLBのストライクゾーンの揺らぎ (5)カウント3-0ではゾーンを広げて四球を避け、カウント0-2ではゾーンを狭めて三振を避ける。あらためて明らかになったアンパイアの「故意にゲームをつくる行為」。 | Damejima's HARDBALL

以上のような事実をアタマに入れておけば、「ストライクゾーンを横に広く使って、ハーフハイトのカットボールと4シームを投げわける」という「マリアーノ・リベラ特有の配球」は、「ストライクゾーンのコーナーぎりぎりを無理に突いて、アンパイアにボール判定されてイライラする」ことより、「MLBのアンパイアの判定の習性に沿っている」という意味で、はるかに理にかなっている。

左バッターに対して「カットボールと4シームを巧妙に混ぜつつ、インコースのハーフハイトを突くこと」が、マリアーノ・リベラ特有の投球術だったことは、2011年の以下の記事にも書いた。
参考記事:2011年5月28日、アダム・ケネディのサヨナラタイムリーを生んだマリアーノ・リベラ特有の「リベラ・左打者パターン」配球を読み解きつつ、イチローが初球サヨナラホームランできた理由に至る。 | Damejima's HARDBALL


2009年9月18日、1点ビハインドの9回裏にイチローがリベラの初球のカットボールを逆転サヨナラ2ランしたときの球は、もちろんリベラが最も得意としていた「ハーフハイトのカットボール」だ。

2009年9月18日イチロー、サヨナラ2ランfromマリアーノ・リベラ

ここまで挙げたデータのすべては、この「初球」が「マリアーノ・リベラの失投などではなく、むしろリベラが最も得意とする配球を、予定通りに投げた球」であることを示している。
ブログ主にとっては、そのこと自体は昔からわかっていたことのひとつにすぎないが、最初に挙げたDaren Willmanのデータであらためてその正しさが明らかになった。


ちなみに、イチローがホームランしたリベラのカットボールは「ボール球」だ。

右投手リベラは、キャリア通算の被打率では左打者.209、右打者.214と、打者の左右などほとんど苦にしないピッチャーだった。キャリア通算で71本打たれているホームラン(クローザーになって以降は59本)のうち、左打者には27本しか打たれていない。

左バッターのインコースのハーフハイトを突くことに絶対の自信を持っていたリベラが、1点差の9回2死2塁で、おそらく「様子見のため」に投げた初球のボール球を、イチローにいきなり逆転サヨナラ2ランされたのだ。
リベラが唖然としながらマウンドで、何度も何度も "No! No!" とわめいていたのを、いまでもよく覚えている。それほど、リベラにとってあれは「想定外の出来事」だった。

たぶんリベラは2球目に、同じインコースのハーフハイトに、こんどは「ストライクになる4シーム」を投げてカウントを稼ぐつもりだったはずだ。そして3球目にはインコースぎりぎりのストライクになるカットボールで、バットをへし折るセカンド方向の内野ゴロか、ファウルを打たせるという寸法だ。
初球、2球目、3球目と続く「ストーリー」に絶対の自信があるからこそ、初球に「わざとボールを投げる余裕」が生まれる。リベラはイチローは初球を振ってこないと踏んで、ボールになるカットボールで「2球目への布石」を打ったのである。


以下の図は、最初にあげたMLBアドバンスメディアのディレクターDaren Willmanがイチローについてツイートした別のデータだ。
彼が2008年から2011年の間にウラジミール・ゲレーロがボール球をヒットにした数が「279本」であり、そのヒット数は当時のMLBで「2番目」に多いことをツイートしたとき、あるファンが「じゃ、1位は誰? イチローかな?」と質問したのだが、Daren Willman自身が以下のように答えた。







上のデータから、ゲレーロとイチローが「インコースのボール球」を何回かホームランしていることがわかる。
ゲレーロも、ボール球でもヒットにしてしまうことでよく知られた「悪球打ち」だったわけだが、ゲレーロさえ上回る「2000年代最強のMLBナンバーワン悪球打ち打者」、それが2000年代のイチローだ。

こういう天才肌のバッターに「よく球を見ていけ」なんて愚劣な指示を出すのは、明らかに間違いだ。他人よりもよく球が見え、なおかつ苦手コースが存在しない天才バッターだからこそ「悪球打ち」が可能になるのであって、平凡なプレーヤーでしかなかった自分の狭い常識を天才に押し付けるような無能な打撃コーチは、イチローやゲレーロにはまったく必要ない。

December 08, 2016

地方都市の駅前などによく、衰退した商店街がある。「シャッター通り」とか「シャッター商店街」などと呼ばれるものだ。

こうした「駅前商店街の衰退」が、無謀運転をする高齢ドライバーの出現日本の高齢者の「質的変化」と、どう関係するか。日本中の駅前商店街の全てを調べて歩くわけにもいかないので、ロジックのみで推察してみた。


「シャッター商店街」というのは、なかなかに不思議な現象だ。なぜなら、「衰退」というからには、「駅前商店街が繁栄できた時代があった」という意味だからだ。

これは今の広大な駐車場をもつ郊外型ショッピングモール全盛時代からみると、なんとも理解しにくい。「商店街」とは「商店と商店が隙間なく軒を並べている場所」なのだから、ほとんどの場合、「広い駐車場」など存在しないからだ。

東京のような過密都市なら、駅前商店街の繁栄が今でも成り立つケースがあることは理解できる。なぜなら駅の近隣に「徒歩や自転車で買い物に来る客」や「駅の日常的な利用者」が「大量にいる」からだ。

わからないのは、地方都市の駅前商店街だ。
なぜ、かつて「広い駐車場を持たないにもかかわらず、繁栄できた時代があった」のか。


単純に考えれば、それはやはり「かつては駅近くに十分な数の客がいたから」だ。
もう少し詳しく書けば、「その地域の最も主要な駅の駅前商店街に、徒歩自転車で来れる距離」、あるいは、「その駅に、バス電車などの公共交通機関を使って短時間に通ってこれる、近接した市町村」に、「それなりの数の住民」がいて、主要駅の駅前商店街は近くに住んでいる人々を相手にしているだけで、「たとえ駐車場がなくても商売できた時代」が、たぶんあったのだ。


では、なぜ地方都市の駅前で
「駐車場がなくても商売できた時代」は終わったのか。

モータリゼーション、クルマの低価格化、郊外農地の宅地転用、広大な駐車場をもつ郊外型ショッピングモールやロードサイド店の進出など、さまざまスプロール化の理由が考えられる。だが、駐車場がなくても商売できた時代が終わった理由を追求することはこの記事の主題ではないし、そんな記事はどこにでも転がっているので、そこの分析は省略させてもらうことにする。


理由はともかく、「公共交通機関が集約された駅前に立地し、駐車場をもたない商店街でも繁栄できた時代」は終わり、「郊外に立地し、広大な駐車場をもつモールの時代」になった。そのことで、どんな影響が人々の暮らしにあったのか。

ひとつには、地方住民は、若者だろうと高齢者だろうと、買い物客は全員がいやおうなくクルマに乗らなくてはならなくなったということがある。ここに、高齢ドライバーがあらゆる場所に出現しだした理由のひとつがある。

遠まわしな話になったが、結局何が言いたいかというと、
高齢者が昔からクルマをひとりで運転して出かけていたわけではなく、むしろ、後期高齢者ですら、誰も彼も毎日運転する「クルマ依存生活」が普通になったのは、実は、「ごく最近のこと」なのではないか
ということだ。


いうまでもなく、高齢化社会が到来する前から高齢者はいた。
だが当時、彼らが必要な買い物は、駅前商店街のような「家の近くの商店」で済ませることができたり、家族や親戚や友人の誰かがかわりに買ってきてくれたり、家の近くの畑で作ったりできたため、高齢者自身が、毎日、それも単独でハンドルを握って買出しに行くようなことをせずに済んでいたのではないか。

だが、前の記事でも書いたように、地方の家族制度は西日本を起点に崩壊が始まり、息子・娘は都市に出たまま故郷に戻らなくなる。高齢の両親は田舎のムダに広い家(あるいは都市の、息子・娘と離れた場所)に住んだまま、単身高齢者、あるいは、高齢夫婦という形で「ポツンと」暮らすようになる。(だからといって、高齢世帯全体が経済的に困窮しているという意味ではない。むしろ、事実は「まったく逆」だろう)
前の記事:2016年12月6日、高齢者の無謀運転が毎日のようにニュースになる理由。〜身にしみて理解されていない日本の高齢者の「質的変化」 | Damejima's HARDBALL

そうこうするうちに、駅前商店街が衰退して郊外型ショッピングモールの時代になると、自宅と「目的の場所」(例えばショッピングモール、病院など)の間をつないでいる交通機関が、クルマ以外存在しない地方都市住民が、急激かつ大量に生み出される。
そして、やがてその「クルマだけが頼りという地方住民」の中に、大量の「後期高齢者ドライバー」が出現する。すると、ブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢ドライバーによる死亡事故の多発が、当たり前のように社会問題化しはじめるわけだ。


もっと言えば、高齢者のみならず地方都市の住民全員が「クルマ依存」になったのであり、それはある意味で、遅れてやってきた「周回遅れのモータリゼーション」(© damejima)といえる。

だが、地方都市は、自分の町がこの「周回遅れのモータリゼーション」の渦中にあることに気づいていない

都市の道路というものは、直線になるように整備され、住宅の隅切りなども徹底され、見通しがよく、また、運転者のモラルも高い。

だが、田舎道は直線にできていないし、隅切りもされない。見通しが悪く、ドライバーのモラルも低い。
道路構造の近代化と交通モラルの近代化が「放置」され、渋滞や飛び出しへの対処、歩行者や自転車との共存、交差点に面した住宅の隅切り、狭い駐車場での駐車テクニックなどといった、「都市の道路やドライバーなら、当たり前の話として、とっくの昔に対処し終わっている事態」について、地方都市はロクな準備をしていない。
そんな田舎の整備されていない道路に過度なスピードで突っ込めばすぐに事故につながるわけだが、そんなことおかまいなしに、曲がりくねった道を、運転のおぼつかないドライバーが運転するスピードオーバーの軽自動車が行き交い、渋滞、違反、事故を繰り返して、空気を排気ガスまみれにしている。それが、今の田舎の現実だ。

健康面でも、地方の人間ほど「クルマ依存によって、足腰が弱っている」可能性もある。もしかすると地方都市の「歩かない」高齢者はいまや、都会の「歩くのが当たり前」の高齢者より、足腰が弱いかもしれない。そして、人の足腰の弱さは、その「街の弱さ」そのものだ。

こうした事態はまぎれもなく、日本の高齢者の「質的変化」のひとつである。


さて、以下は蛇足で、「バス路線の駅前中心主義の馬鹿馬鹿しさ」について書く。

1958年封切 『駅前旅館』(キャプション)1958年封切の映画『駅前旅館』。原作は井伏鱒二の小説「駅前旅館」。「駅前」という単語に意味があった昭和の遺物。


本来なら、シャッター商店街をかかえる地方都市が時代の変化に応えてやるべきことといえば、「古い駅前中心主義」を一度完全に捨てることだったはずだ。

具体例を挙げれば、ショッピングモールの真横にその地方都市最大の総合病院を作り、役所もバス会社もモールの真横に移転し、モールを起点・終点とする小型循環バスを数多く配備して、都市内を可能な限り網羅するように走らせるのが、合理的発想というものだ。「後期高齢者にできるだけ運転させない街づくり」のためには、それくらいやってしかるべきだ。

だが、現実の地方都市でそうしたシンプルな合理性が実現しているとは、到底思えない。青森駅前の再開発ビル「アウガ」の失敗でわかるように、実際に地方都市がやっているのは、あいもかわらずの陳腐な駅前再開発にすぎない。
だが、ここまで書いたことからわかる通り、駅前再開発なんてものを劇的に成功させる可能性があるのは、いまや「鉄道駅それぞれに、駅の周囲にに密集した住民を維持できている東京だけ」なのであって、数十年遅れのクルマの時代に突入した地方都市で、駅前再開発が成功することなど、そもそもありえない。

にもかかわらず、おそらく融通のきかない地方のバスはいまだに「駅前を起点にした、それも大型バスを使った非効率な路線」を数多く組んだまま、赤字と排気ガスを垂れ流し続けているに違いない。地方バス会社のそうした「怠慢さ」は、危険な高齢ドライバーの氾濫を許す遠因になっている。

もし「駅前」という場所がそんなに大事ならば、駅前復権のために必要なのは、駅前ロータリーでも、無駄な植栽でも、コーヒーの不味い喫茶店でも、暇つぶしばかりしている駅前タクシーでもなく、「広大な駅前駐車場」だ。実際、駅前に駐車場が広がっている駅は大都市郊外にはよくある。
だが、地方ではそういう思い切った駅前改善策も実現しない。かといって、寂れた駅前に集約した無駄なバス路線も減らさない。それが、身動きのとれない地方都市の「挙動の遅さ」「勘違い」というものだ。

いいかえると、「あらゆる挙動が遅く、かつ、核心を突かない」のが、地方都市という場所の欠陥なのだ。そういう無駄だらけで、やるべきことをやらない「地方」という場所に、国が補助金を注ぎ込むのは本当に馬鹿げている。

ハワイ移民150周年
No Ichiro, No watch.

Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です




Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
Categories
ブログ内検索 by Google
Google

livedoorブログ内検索
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month