July 30, 2016
2013年10月27日 ブッシュ・スタジアム
ワールドシリーズ Game 4
スコア:BOS 4-2 STL 9回裏2死1塁
走者:代走コルテン・ウォン 打者:カルロス・ベルトラン
投手:上原浩司
October 27, 2013 World Series Game 4, Red Sox at Cardinals | Baseball-Reference.com
2点差を追うセントルイスは9回裏1死から代打アラン・クレイグのライト前ヒットで、代走にコルテン・ウォンが起用される。打席はシリーズ打率.300のカルロス・ベルトラン。カウント1-1で、ボストンのクローザー上原がファーストに素早い牽制球、1塁手マイク・ナポリが走者ウォンにタッチして、ゲームセット。
牽制死でのゲームセットはワールドシリーズ史上初。この日の敗戦から3連敗したセントルイスはワールドシリーズ制覇を逃すことになった。
2014年5月26日 ブッシュ・スタジアム
スコア:NYY 1-1 STL 2回裏1死2塁
走者:コルテン・ウォン 打者:マット・アダムス
キャッチャー:ブライアン・マッキャン
May 26, 2014 New York Yankees at St. Louis Cardinals Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
1点差を追うセントルイス。コルテン・ウォンのタイムリー・ツーベースで同点に追いついた。打者がマット・アダムスにかわって、1死2塁。ここでコルテン・ウォンがサードへの盗塁を試みる。サードにはこの年引退したデレク・ジーターがカバーに入った。
タイミングはぎりぎりセーフ。ところが、走者ウォンが1メートル以上もオーバーランしてしまい、アウトに。
2死走者なしとなって、ここでマット・アダムスにレフト前ヒットが飛び出す。もし盗塁死がなければ、1死1、3塁になった場面。同点に追いついたばかりの1死2塁で、サードへ無理に盗塁する必然性はない。
2014年9月16日 ブッシュ・スタジアム
スコア:MIL 0-2 STL 2回裏
走者:コルテン・ウォン 打者:マット・カーペンター
キャッチャー:ジョナサン・ルクロイ
September 16, 2014 Milwaukee Brewers at St. Louis Cardinals Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
先頭のコルテン・ウォンがヒットで出たが、2つアウトが重なって、2死1塁。ウォンはカーペンターの打席で盗塁を試みるが、セカンドベースの1メートル手前でアウト。
2016年7月29日 マーリンズ・パーク
スコア:STL 3-1 MIA 4回表
走者:コルテン・ウォン 打者:グレッグ・ガルシア
レフト:イチロー
July 29, 2016 St. Louis Cardinals at Miami Marlins Play by Play and Box Score | Baseball-Reference.com
2016年ナ・リーグのワイルドカードを争っている2チームの直接対決。4回表、セントルイスはコルテン・ウォンのスリーベースで無死3塁と、絶好のチャンス。
1死となって、1番ガルシアのレフトフライは、この日マッティングリーの粋なはからい(笑)で3番スタメン出場、3000安打まであと2本と迫っているイチローのもとへ。
けして浅くないフライだったが、イチローは91.6マイル(時速約147.4キロ)、距離238フィート(=72.542メートル)のロケットスローをキャッチャーにストライクで返す。キャッチャーのJ.T>リアルミュートが走者ウォンに素早くタッチし、アウト。
http://m.mlb.com/video/topic/73955164/v985113283/stlmia-ichiro-nabs-wong-at-home-on-916mph-throw/?c_id=mlb
こうして眺めてみたとき、今日のコルテン・ウォンを「俊足の」と形容していいものかどうなのか、考えてしまう(笑)
彼はおそらく、足は速いのだ。
だが、野球というゲームにおける「走塁のうまさ」とは、やはり「足の速さそのもの」ではない。結局のところ、コルテン・ウォンは足は速いが、走塁は下手なのだ。
July 29, 2016
ある意味で、これが「イチロー」なのだ。
相手にシフトをしかれれば、こんどは「そのシフトの裏をかく打球を打つ」のである。
「シフトの裏をかく」などと、言葉で言うのは簡単だ。だが、プロの、それも「MLBの投手の球を打って、データ分析に基づくシフト守備の裏をかく打球を打てるだけのバットコントロールをもった選手」など、歴史的にみても、そうはいない。
2016年7月28日
STL vs MIA 7回裏 1死1塁
フィリー同様、イチローシフトをしいてきたセントルイスだが、カウント1-0からジョナサン・ブロクストンの2球目をしっかりヒットした代打イチローの打球は、一塁手マット・アダムスの右を抜け、ライト線への強烈なゴロ。「イチローシフト」であらかじめセンターに寄っていたライトのスティーブン・ピスコッティがふとフェンス到達前に追いついた。
この「フェンス到達前に追いついた」というプレーが結局ゲームの趨勢を分けた。
このプレーは、イチローの2998安打の陰にかくれた形になって目立たないが、セントルイスのライト、スティーブン・ピスコッティの隠れたファインプレイだ。
もしイチローの鋭い打球がフェンスに到達していれば
どうだったか。
まず前提としてアタマに入れておくべきなのは、セントルイスはいま、ポストシーズンに向けて地区首位カブスを6.5ゲーム差の2位で追っているわけだが、カブスの強さからいって、地区優勝を狙うというよりはワイルドカード争いをしているわけで、その対象チームは、ほかならぬ今日の対戦相手マーリンズなのだ、ということだ。(他にドジャース、メッツ、パイレーツ)
だから、このセントルイス対マイアミ戦は、両チームにとって今シーズンのポストシーズン進出のために絶対に勝ち越さなければならない「ガチの決戦シリーズ」なのだ。
代打イチローの打席のシチュエーションを確かめでおこう。
「スコアは3-5」「1死1塁」だ。
ということは、もしライトのスティーブン・ピスコッティが緩慢な守備で打球のフェンス到達を許してイチローを三塁打にしていれば、マイアミ側には「スコア4-5、1死3塁にイチロー」というまたとない同点のチャンスがころがりこむ。
もし「1点リードされた1アウトで、走者はサードにイチロー」というシチュエーションが実現できていたら、走者が足の速いイチローだけに、内野ゴロ、外野フライ、パスボール、ボーク、エラー、どんなプレーでもマイアミが同点にできた可能性はとても高い。
セントルイスはその「潜在的な大ピンチ」を、「外野がシフトの逆をつかれたが、打球のフェンス到達は許さないという、ライトの俊敏な守備」で「スコア3-5のまま、1死2、3塁」と、「リスクを最小限に抑える」ことに成功したわけだ。
マイアミは、その後ヘチャバリアのショートゴロの間にランナーがひとりだけ還り、「スコア4-5で、2死2塁」とした。だが、セントルイスは「イチローの三塁進塁」を許さず、それが「マイアミの同点を許さないこと」につながった。
というのは、ブロクストンがマイアミの8番打者、右のヘチャバリアのインコースだけを2シームで徹底して攻めて、絶対にライト方向の打球を打たせず、レフト方向に引っ張らせてゴロを打たせる配球をしたからだ。
右投手のブロクストンの2シームは右打者ヘチャバリアのインコースに食い込むように動く。ヘチャバリアにはこの厳しい攻めをライト方向に返すだけの技術がない。
かつて、イチローは1点差のランナー2塁でインコース攻めにきたマリアーノ・リベラの初球のカットボールをサヨナラホームランしてみせたわけだが、あのひと振りがどのくらい凄いか、このヘチャバリアのショートゴロと比べてもわかる。
data:http://www.brooksbaseball.net/pfxVB/pfx.php?s_type=3&sp_type=1&year=2016&month=7&day=28&pitchSel=455009&game=gid_2016_07_28_slnmlb_miamlb_1/&prevGame=gid_2016_07_28_slnmlb_miamlb_1/&pnf=&prevDate=728&batterX=57
説明するまでもないことだが、もしヘチャバリアの同点内野ゴロが「ショートゴロ」でなくセカンドゴロとかファーストゴロだったら、「二塁走者イチローがサードに行けていた可能性」があった。
そうなればシチュエーションは「1点差、2死3塁」だから、マイアミ側はパスボール、ボーク、エラーのような「相手側のミス」でも同点にできる可能性が出てくる。
だが実際には、「ショートゴロの結果、イチローは進塁できなかった」わけだから、「2死二塁」の場面で後続のマイアミの9番打者クリス・ジョンソンはヒットを打つか四球出塁しないといけなくなる。打撃のよくないジョンソンにヒットは期待できない。(実際の結果:ジョンソン三振)
シフトをしく
シフトをかいくぐる
三塁打になるのを防ぐ守備
サードに進塁させない配球
内野ゴロを打たせる
同点にさせない
こうしてプレーをトランプのように並べてみると、何度もワールドシリーズ制覇してきたセントルイスというチームの「強さ」の意味がひしひしとわかる。
野球における「強さ」とはなにも、「ホームランをたくさん打つこと」などでは、まったくない。そしてまた、野球というゲームにおける「面白さ」とは、プレーを断片として味わうことのみではなく、「プレーとプレーのつながり」や「プレー相互の関係」を連結して考えてみることでもある。
ここまで丁寧に説明すれば(笑)、7回裏のセントルイスが「イチローがサードに行くのを全力で避けた」ことがゲーム結果に直結していることが誰にでもわかる形になった、と思う。
ちなみに、7月26日フィリーズ戦でピーター・ボージャスのファインプレーに阻まれた右中間のライナーと同様に、もし今日の打球がフェンスに到達していれば、おそらく「三塁打」だった。そして、三塁打ならイチローはあの福本豊さんの記録を抜き、「日本人通算三塁打数のトップ」になれたところだった。
ボージャスのファインプレーに続いて、こんどはセントルイスのライト、スティーブン・ピスコッティに三塁打記録を阻まれたわけだ(苦笑)長い長い道のりである。
こうしてゲームメイクの観点からみたとき、「ライトの守備」が現代野球にとっていかに大事なものかがわかる。
野球というゲームにおいては、「無駄な進塁、特にサードへの進塁を防ぐ」という意味で、ライトの選手の守備位置や肩、落下点を読む洞察力などは、特に僅差で試合が決まるようになった現代野球においては、ますます大事なファクターとなっている。
かつてMLBデビューしたばかりの時期に、イチローがライトからのレーザービームで走者の三塁進塁を阻んだプレーの意味は、他に例をみないほどの強肩を自慢するためのプレーではない。あのプレー以降、どれほどの数の打者が「ライトをイチローが守っているときの、ライト線三塁打を諦めた」ことか。
フライキャッチに執念を燃やすセンターの守備とはまったく違う意味で、これまでの「イチローのライト守備」の歴史的価値はもっとずっと高く評価されるべきだ。(だからこそ、せっかくのイチローの守備力をゲームに生かそうとしないで代打起用ばかりしているマッティングリーは監督として無能だと思う)
July 27, 2016
Ichiro 2991th hit @ St. Louis , No.1 Baseball Town in the World. pic.twitter.com/vGBvoO29lN
— damejima (@damejima) 2016年7月16日
7月のセントルイスでは、ヤディア・モリーナとアダム・ウェインライトの素晴らしいアクションをはじめ、セントルイスの選手とファンが示してくれたイチローへのリスペクトは、イチローファン史に永久に残るほどの素晴らしい記念碑になったわけだが、別の視点からいうと、フィリーが示してくれた「イニング先頭の代打のイチローにさえ容赦なくシフト守備をしくというフェアプレイの精神」も、「3000安打達成のプロセスでの、忘れえぬモーメント」として、最大の敬意を払いたくなる。
やはりスポーツというものはこうでなくてはいけない。全力全霊で立ち向かってくれてこそ大記録の価値も上がるというものだ。
7月20日 MIA vs PHI 8回表
このゲームでのイチローは「代打」。しかも「イニング先頭」「走者なし」だったのだから、それでも容赦なくシフトをひいたフィリーは、「本気」だった。
フルカウントに粘って、8球目、根負けしたジェレミー・ヘリクソンの真ん中の失投を振りぬいたイチローだったが、右中間への長打性の強烈なライナーは、ライトのピーター・ボージャスに難なく捕られてしまう。
というのも、以下のツイートの画像からわかるように、フィリーは「対イチロー外野シフト」をしいていたのだ。
リツイートみてもううとわかることだけど、今日のイチローは「ライトセンター間のライナー」で、「シフト」で二塁打を1本損したわけだ。フィリー、なかなか研究してきた。
— damejima (@damejima) 2016年7月21日
Look at this odd OF alignment vs Ichiro, batting lefty. And Phillies were right! A liner to right center, caught. pic.twitter.com/fxZpBwuFbX
— Mike Petriello (@mike_petriello) 2016年7月21日
7月26日 PHI vs MIA 1回裏
場面変わって、5日後。こんどはホームゲーム。ようやく1番センターでスタメン出場したイチローは、1回表のジェラド・アイクホフの初球をたたき、打球を右中間フェンス際まで飛ばした。
飛距離およそ119メートル。右中間が平らで369フィート(≒112.471m)しかないシチズンズ・パークと違って、マーリンズパークの右中間は23フィート(約7メートル)も長く、392フィート(≒119.482m)。右中間の狭いボールパークなら100%確実に「先頭打者、初球ホームラン」の飛距離だった。
だが、またしても、「ピーター・ボージャス」だ。フェンス激突しながらの大ファインプレイ。
もちろん、偶然の産物などではない。チームのスカウティング担当者との共同作業による「意図的なファインプレイ」だ。
もしボージャスがこの打球を捕り損なって打球がフィールドに転がっていれば、先頭打者だし、イチローの足からしても明らかに三塁打。
7月はじめイチローは福本豊さんに115三塁打(日米通算)で並んでいたわけだから、抜けていれば「日本選手の通算三塁打数 歴代1位」に踊り出ていた。ボージャスに拍手するしかない。
ボージャスはフェンス激突で肩を痛め、途中交代。ある意味、「2本のイチローの長打」と「ボージャス自身」がひきかえになる形になった。
Ichiro makes hard contact on the first pitch, but he is robbed. Watch the @Marlins live now on FOX Sports Floridahttps://t.co/hlDnFw791t
— FOX Sports Florida (@FOXSportsFL) 2016年7月26日
ボージャスはエンゼルス時代、当時ゴールドグラブの常連で、アナハイム不動のセンターだったトリー・ハンターをライトにコンバートさせているくらいだから、センター守備には定評があった。
Article | Arkansas Travelers News
いまエンゼルスのセンターといえば、2012年Fielding Bible賞を受賞しているマイク・トラウトがいるわけで、エンゼルスのセンターは、ハンターからボージャス、そしてトラウトと、名手に受け継がれてきたことになる。
いまフィリーのセンターといえば、2015年新人王のオデュベル・ヘレーラだ。ボージャスがかつてエンゼルスでハンターをライトに押しやったように、ヘレーラは、デビュー以来センターしかやったことがなかったボージャスをライトに押しやったわけだ。
さかのぼると、近年のフィリーのセンターには、ゴールドグラブ1回受賞のアーロン・ローワンド、4回受賞のシェーン・ビクトリーノがいた。
2000年代のビクトリーノ全盛期は、チェイス・アトリーがいた2008年ワールドシリーズ制覇を含む、5シーズン連続地区優勝と重なるのが思い出される。やはり、アトリー、コール・ハメルズ、ビクトリーノなど、役者がズラリと揃ったフィリーこそがフィリーだった。
そういえば、こうして並べてみるとボージャス含め、どういうわけかフィリーのセンターは怪我に悩まされる人が多いのはどうしてか。
フィリー時代が全盛期だったシェーン・ビクトリーノは、その後ボストンに移籍し、2013年に自身2度目のワールドシリーズ制覇を経験したわけだが、当時ボストンのセンターにはジャコビー・エルズベリーがいたから、ボストン時代のビクトリーノはライトだった。そのライトでのビクトリーノは鳴かず飛ばず。
そのエルズベリー、ボストンがなぜか慰留しなかったため、ワールドシリーズ制覇の翌2014年にライバルのヤンキースに移籍。ボストンのセンターは2011年ドラフト1位ルーキーのジャッキー・ブラッドリーに変わった。この数年、MLBのセンターの若返りが進んでいるが、フィリー同様、ボストンも「センターが若返った」というわけだ。
エルズベリーが来る直前、ヤンキースのセンターはブレット・ガードナーの定位置だったわけだが、ガードナーには肩が弱いという致命的欠陥があって本来ならセンターの器ではなく、外野を守るならレフトくらいしかない。
ヤンキースのセンターは、2000年前後のチーム全盛期のバーニー・ウィリアムズが目立つわけだが、バーニー引退以降はステロイダーのメルキー・カブレラ、ガードナー、エルズベリーと、チームの地区順位同様、もうひとつパッとしない。
こうして「有名センターの移籍」を並べてみると、「センターの選手が大型契約を得て移籍した場合、移籍先でパッとしない成績に終わる」ことは、まったく珍しくないことがわかる。
例えばヤンキースにはそういう「センター出身のろくでなし外野手」が掃いて捨てるほど、ゴロゴロいる(笑) デトロイトが全盛だったカーティス・グランダーソンなど、まだマシなほうだ。(それでもメッツ移籍直前のグランダーソンはベンチに座ったまま高額サラリーをもらっていた無駄メシ食いだった)
例えば、バーノン・ウェルズだが、センターで活躍できたのは給料が非常に安かった2000年代トロントのみ。移籍して20Mを越える身分不相応な高額サラリーをもらうようになったLAAとNYYでは、一度たりともマトモな成績を残さず引退している。
アンドリュー・ジョーンズにしても、センターを守って10年連続ゴールドグラブに輝いたアトランタを離れて以降、ロクな成績を残さないまま引退した。
カルロス・ベルトランも、全盛期はセンターを守った2000年代メッツであり、移籍してライトを守るようになった2010年代は給料に見合った成績とはけしていえない。
こうした数々の失敗例を経験したにもかかわらず、それでも懲りずにヤンキースはエルズベリーに大金を払ったのだから、馬鹿としか言いようがない。
ニューヨークではこういう「無能GMが毎年集めてくる、名前ばかりでロクに働かないクセに、ポジションだけは確約されている外野手たち」とポジションを競わされ、打席数を減らされ続けたイチローが、いかに迷惑したか。本当に無駄なキャリアだった。
他にもドジャースがうっかり大型契約を結んでおいて、後から大失敗に気付いて、あわててサンディエゴに押し付けた(笑)マット・ケンプも、移籍先ではライトを守っているが、成績はパッとしない。ケンプのサンディエゴでの給料は、いまだに一部をドジャースが払っていて、2019年までドジャースは毎年3.5Mを負担し続けなければならない。
センターが本職ではないが、いまのドジャースでたまにセンターも守るアンドレ・イーシアーにしても、たとえドジャースを出たとしても活躍できるとはとても思えない。ライトのヤシエル・プイグにしても似たり寄ったりだろう。
ちなみに、過去にセンターでゴールドグラブを何度も受賞しているトリー・ハンターやアダム・ジョーンズの「守備評価」だが、近年のデータ分析で検証すると、かなり「低い評価」にしかならない。
こうした「センターの選手の守備の過大評価」は、「ゴールドグラブの権威が揺らぐ原因」や、「センターの選手のサラリーが、実情に見合わない高額になる理由」のひとつにもなっている。
(もちろん、新興のFielding Bible賞にしても、ビル・ジェームス自身がそうであるように、特定の審査員がデータではなく「自分個人の好き嫌い」を審査結果にそのまま反映させていたり、守備範囲の狭いアレックス・ゴードンが何度も受賞するするとか、Fielding Bible賞がそれほど公平な賞ともいえないことは近年判明しつつある)
アレックス・ゴードンの守備範囲2012-2014
まぁ、数々の実例から察するところ、「センターの名手」といわれた選手は、実は「特定のチーム」、特に「ドラフトされ育成されたチームの専用選手」なのであって、他チームは、いくら触手が動いたとしてもけして大型契約などすべきではない、という「負の法則」があるようだ。
この「センター移籍の負の法則」、マイク・トラウトが打ち破れるかどうか。彼がFAになったときがちょっと楽しみではある。
June 28, 2016
そういう例のひとつとして、ボールパーク名物のひとつ、「ホットドッグのネーミングの起源に関する話を出発点に、いろいろと書いてみる。
「1908年ポロ・グラウンズで行われる野球の試合の告知ポスターが、"Take Me Out to the Ball Game"の作詞をてがけたJack Norworth (1879-1959)のインスピレーションの源だった」ことを2012年に記事に書いた。
2012年4月27日、1908年の試合告知ポスターにインスピレーションを得て作られたといわれる "Take Me Out To The Ball Game" の「元になったゲーム」を探り当てる。 | Damejima's HARDBALL
1908年にできた"Take Me Out to the Ball Game"の歌詞に、"Buy me some peanuts and Cracker Jack" とあることからして、20世紀初頭のMLBのでは既に「観戦中に観客が楽しむ食べ物」がボールパーク内で販売されていたことがわかる。もちろん「ホットドッグ」もそのひとつで、1900年代初頭には既に販売されていた。
STEP 1) 初歩的間違い
「ホットドッグ」というネーミングの起源に関して、よくある「間違った説明」は例えば以下のようなものだ。
1901年4月ニューヨークのポロ競技場にて。
熱々のソーセージをパンに挟んだ「ダックスフント・ソーセージ」が売れに売れており、それを見たニューヨークジャーナル誌のスポーツ漫画家が,「Hot dachshund!」と声高に売られていた「パンに挟まれて湯気を立てているソーセージ」の漫画を描いて紹介した。だが、その漫画家は「dachshund」の綴りがわからず、その漫画の中で「Hot dog」としてこれを紹介した
もっともらしく書かれているが、「ポロ競技場」などという書き方で、そのいい加減さがわかる。「ポロ・グラウンズ」という言葉の意味もわからない人間がアメリカのスポーツ文化についてマトモな話ができるわけもない。おそらく「自分で何が書いてあるのかわからないまま、どこかのサイトから引用」して、下手するとそれを「機械翻訳した」だけだろう。
この説明文のいう「漫画家」とは、1900年代にニューヨーク・ジャーナル紙の漫画家だったTad Dorgan (Thomas Aloysius Dorgan 1877-1929)のことで、実在の人物ではある。
だが、Tad Dorganの経歴からわかることだが、「Tad Dorganが1901年にニューヨーク・ジャーナル紙にホットドッグの漫画を描く」ことなど、ありえない。
Dorganは1902年まで西海岸のサンフランシスコ・クロニクル所属であり、彼がニューヨークに転居するのが1903年(資料: "Word Myths: Debunking Linguistic Urban Legends" by David Wilton, 2008)、New York Journalで働きだすのはもっと遅れて1905年だ。
ハッキリした経歴との矛盾から「Tad Dorganがホットドックの命名者ではない」ことは、かなり前からアメリカの数多くのサイトと書籍に明記され、否定されてきた。加えて、現在にいたるまで「Tad Dorganが野球場のホットドッグを題材に書いた1901年の漫画」そのものがこれまでまったく発見されていない。
No one has found a copy of the cartoon said to have given the hot dog its name. Maybe the cartoon never existed.
Hot Dog History | NHDSC
ちなみに、日本のウェブ上には、この誤った「Tad Dorgan1901年命名説」をいまだに記載しているサイトが多数あるわけだが、その「元ネタ」をきちんと明示しているサイトはほとんど存在しない。ということは、そうしたサイトのほとんど全部が「Tad Dorgan1901年命名説」をまったく検証もせず載せているということだ。
書籍 "The Cooperstown Symposium on Baseball and American Culture, 2013-2014" (William M. Simons, 2015)によれば、「Tad Dorgan1901年命名説」のオリジナルは、1935年にCollier's誌に掲載されたジャーナリストQuenthin Reynoldsの記事だそうだ。
Collier'sはアイリッシュ移民だったPeter F. Collierが1888年に創刊した雑誌で、1892年には25万部を売り、当時アメリカで最も売れている雑誌のひとつだった。
Collier'sの売りは、記者が「埋もれている事実」を発掘してきて記事にするという独特の執筆スタイルにあった。Collier'sや、1893年創刊のMcClure'sなど、20世紀初頭の「追及型の記事スタイルの雑誌」を、アメリカのジャーナリズム史においてMuckraker(マックレイカー)と呼ぶ。
Collier'sやMcClure'sの一時的な成功は、1906年の演説で大統領セオドア・ルーズベルトが "muckraking journalism" と苦々しく呼んだように、第一次大戦前までのアメリカで多くの追従雑誌を生んだ。(Muckrakerは後年名称が変わり、Investigative journalism(=調査報道)などと呼ばれるようになった)
だが、Collier'sの創刊初期の宣伝文句は "fiction, fact, sensation, wit, humor, news" というものであり、Collier's自身が必ずしも「事実のみを報道する」とは言っていないのである。日本のジャーナリズムにありがちなことだが、Muckrakerが事実のみを追求した純粋な報道だったというのは、単なる思い込みに過ぎない。この点を忘れずに、ここから先を読み進めてもらいたい。
Collier's 1919年6月号
イラストはノーマン・ロックウェル
STEP 2) 少しこみいった話
二代目Madison Square Garden
今では否定されている「Tad Dorgan1901年ポロ・グラウンズ説」にかわる説として、「Tad Dorgan1906年マジソン・スクエア・ガーデン説」というのもある。
これはTad Dorganが1906年にマジソン・スクエア・ガーデン(=1889年移設された二代目MSG)で開催されたいわゆる「6日間レース」でホットドッグに出会い、それをネタに漫画を描いたという説で、こちらのほうは書いた漫画も実在しているらしい。
だが、この説も残念ながら間違いだ。
イェール大学の学生の出版物などの資料によって、Hot Dogという表記が1900年より前からあったことがわかっている。たとえTad Dorganが1906年にホットドッグの漫画を描いたのが事実であっても、その時点では「ホットドッグ」という名称は「既にあった」わけだから、Tad Dorganの命名ではない。
ただ、1906年MSG説がちょっと面白いのは、なぜ話が「ポロ・グラウンズの野球」から突然「MSGの自転車レース」にすりかわったのか、という点だ。
ブログ主が思うには、 Tad Dorgan の2歳年下の弟、John L. DorganがMSGのPR責任者だったからではないかと思う。
Six-day racingというのは、1878年ロンドン北部イズリントンという町で開催された「2人組で6日間走りぬく耐久的な自転車レース」のことで、1891年にニューヨークのMSGで開催されるようになった。2人組の自転車レースに今でも「マディソン (Madison)」というレース方式があるが、そのネーミングは、100年ほど前に「Six-day racing」がMSGで開催されはじめたことに由来している。
Six-day racingはしばらくしてからアメリカで人気となって、逆輸出もされてヨーロッパ各地でも開催されたが、当初はあまり人気がなかったらしい。
と、なると、当時MSGのPR担当者だったTad Dorgan の弟、John L. Dorganが、ニューヨークメディアの漫画家である自分の兄に「なぁ、兄ちゃんよぉ、ちょっと人気がイマイチで困ってるんや。MSGの自転車レースをネタに、漫画をひとつ書いてもらえへんか?」と「頼んだ」のではないかと、ブログ主は考えた。
これが事実かどうかについては、これまで誰も追及していない。
ホットドッグのネーミングの起源をいい加減に書きつらねてきた人々は、Tad Dorganの弟がMSG関係者だったことにも、「1906年の自転車レース」というのが、ただの普通名詞ではなくて、「スポーツの殿堂でもあるMSG発祥の、歴史的なイベントのひとつだった」ことにも、まるで気づかないまま書いているのだから、当然だ。
STEP 3) 少しこみいった蛇足
「1906年マジソン・スクエア・ガーデン」という話でどうしても書きくわえておきたいのは、同じ年、同じ場所で起きた実在の大スキャンダル、スタンフォード・ホワイト事件だ。
二代目MSGは、20世紀初頭のアメリカを代表するボザール出身の3人の建築家の設計事務所、McKim, Mead & Whiteの、スタンフォード・ホワイト(Stanford White, 1853-1906)が設計したものだ。
100年ほど経った今も数多く現存している彼らの作品群は、彼らがアメリカ建築史に永遠に名前を刻まれたレジェンド、いわば殿堂入り選手であることを物語っている。
1993年シカゴ万博の有名な白い建築群。イタリア産大理石に包まれたBoston Public Library(旧館)。荘厳なコロンビア大学のLow Memorial Library。Washington Square Arch。とても書ききれない。壮麗なアーチの美しさに時を忘れてみとれてしまう作品が多数ある。
その有名人が、自分が設計したMSGでミュージカルを観劇していて、不倫相手イヴリン・ネズビット(Evelyn Nesbit, 1884-1967)の夫、富豪ハリー・ソーに射殺されるという悲惨な事件が、スタンフォード・ホワイト事件だ。
1906年6月25日、色男でオンナ遊びに忙しいスタンフォード・ホワイトと、ハリー・ソー夫妻は、昼間レストランで、そして夜遅くにMSGのミュージカルで、二度顔を合わせた。曲が演奏される中、いきなり立ちあがったハリー・ソーはホワイトの顔面に鉛の弾を3発も撃ち込んだ。おそらく二度も顔を合わせたことでブチ切れたのだろう、
Evelyn Nesbit
この事件の裁判では、ネズビットがハリー・ソーの母親にカネをちらつかされ、夫ハリー・ソーに有利な証言をしたこともあり、なんとハリー・ソーは「一時的な狂気」として罪を逃れた。ちなみに、ハリー・ソーの母親は結局ネズビットにカネを払わなかったというから、したたかすぎる。
この事件は何度も映画化されていているが、リチャード・フライシャー監督『夢去りぬ』(The Girl in the Red Velvet Swing)では、イヴリン・ネズビット本人が監修しているため史実に近いらしい。
なお、原題のRed Velvet Swing(赤いベルベットのブランコ)とは、スタンフォード・ホワイトが24丁目に持っていたアパートの「隠し部屋」の天井からぶら下がっていたブランコのことで、ネズビットが裸に近い恰好でブランコをブラブラさせて遊んだという実話が由来になっている。
こうした突拍子もない事件に「1900年代のスキャンダルが死ぬほど好きなメディア」が飛びつかないわけはない。ウィリアム・ランドルフ・ハースト系列の新聞メディアなどは、この裁判を「世紀の裁判」(Trial of the century)などと謳って、連日記事にして儲けたらしい。
STEP 4) 単純で、あまり面白くもない「真実」
さて、話をhot dogに戻して英語辞書をウェブ上でひくと、こんな結果が出てくる。
hot dog (n.)
also hotdog, "sausage on a split roll," c. 1890, American English, from hot (adj.) + dog (n.). Many early references are in college student publications; later popularized, but probably not coined, by cartoonist T.A. "Tad" Dorgan (1877-1929).
Meaning "someone particularly skilled or excellent" (with overtones of showing off) is from 1896. Connection between the two senses, if any, is unclear. Hot dog! as an exclamation of approval was in use by 1906.
hot-dog, n.
1. One very proficient in certain things. 2. A hot sausage. 3. A hard student. 4. A conceited person. ["College Words and Phrases," in "Dialect Notes," 1900]
The Online Etymology Dictionary
どうやらアメリカの19世紀末の英語では「ソーセージ」のことを dog と表記する表現があったり、あるいは、傑出した人物、勤勉な学生のことを hot dog などと呼ぶ表現もあったらしい。
実際、前述のWord Myths: Debunking Linguistic Urban Legendsによれば、1884年のイェール大学の学内新聞Yale Recordに、 "dog" という単語を「ソーセージ」という意味で使っていたという記述例らしきものが複数みつかっているらしい。このことから、同書は「ホットドッグのネーミングの起源」として、「19世紀末の大学では、dogはソーセージと同義語として使われていた」という、味もそっけもない拍子抜けな結論(笑)を導きだした。(なお「大学内のスラングがなぜ世間に広まったか」は説明されていない)
Yale Recordにおける1985年の使用例
But I delight to bite the dog
When placed inside the bun
Word Myths: Debunking Linguistic Urban Legends - David Wilton - Google Books
STEP 5) Tad Dorganのための、蛇足の蛇足
これはジャズ・スタンダードのひとつ、But Not for Meという曲の歌詞だ。(曲はジョージ・ガーシュイン、作詞はその弟で作詞家のアイラ・ガーシュイン)
Old man sunshine listen you
Don't tell me dreams come true
Just try it and I'll start a riot
Beatrice Fairfax don't you dare
Ever tell me he will care
I'm certain it's the final curtain
I never want to hear from any cheerful Polly-Anna's
Who tell you fate supplies a mate - it's all bananas
この歌詞に it's all bananasという不思議な表現がある。これはTad Dorganが作った「気が変になる」という意味の造語 go bananas からきているらしい。
他にも、"cheaters"、"drugstore cowboy"、"hard-boiled" などがスラングづくりの天才といわれたDorganの作といわれていて、たとえHot DogがDorganの創作でないとしても、Dorganが多彩な才人だったことには疑いない。(ただ「ハードボイルド」に関して「ブロードウェイでビリヤードの教習所を開いていたJack Doyleという人物が発明者だ」なんて説もあるくらいで、Dorganのオリジナリティは常に霧の中に包まれている)
ここまで長々と書いたが、以上の事象のすべてに共通していることは、Tad Dorganの活躍した19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカが、新しい言葉、新しいメディア、新しいビジネスが次から次へと生まれた「若さあふれる時代」、「アメリカが本当に若かった時代」だったということだ。
この時期に生まれた初期のマス・メディアを「アメリカでジャーナリズムがまだ飼いならされていない、アメリカが正義感に溢れた時代」と、やたらと称揚したがる人が多い。
だが、Collier'sに掲載された「hot dogのネーミングの語源に関する記事」が実は根拠のない間違ったものだったにもかかわらず、Tad Dorgan起源説が長く信じられてきた。
記事が間違いであることは当時のTad Dorganの経歴を調べれば誰でも簡単に指摘することができるわけだが、それが長年行われてこなかったのは、「Collier'sのジャーナリズムは高級だから、間違ったりはしないだろう」という先入観によるものだったのではないだろうか。
ブログ主にいわせれば、19世紀末から20世紀初頭の非常に若さに溢れていた時代のアメリカの人々が、日々起こるニュース、新製品、新しいスポーツ、新しい言葉、新しい食べ物、企業や有名人のスキャンダルなど、さまざまな「新しさ」に飛びつくことが、3度のメシより好きだった理由は、けして「真実を貴ぶ気持ちから」ではなく、むしろ単純に、それらが情報として強い刺激に満ち満ちた「スキャンダラスなまでの赤裸々さ、なまなましさ」に溢れていたことが理由だろうと考える。
つまり、当時の彼らにとっては、Tad Dorganが作ったスラングも、スタンフォード・ホワイト事件も、ウィリアム・ランドルフ・ハーストのイエロー・ジャーナリズムも、Collier'sのInvestigative journalismも、「赤裸々さ」、「リアルタイムさ」、「なまなましさ」という点で、たいした差はないのである。
いいかえるなら、「情報」という「強い酒」に酔うことを初めて覚えた、それが、「20世紀初頭の若きアメリカ」だったのだろうと思うのだ。
June 26, 2016
日本国籍の無い外国人に税金で生活保護費を払ってやるような根本的に間違ったことがいまだに現実にまかり通っているおかしな国では、こういう話はマトモには取り扱ってもらえない(笑) ガイジンに払う生活保護費こそ、他の用途、例えば介護する人の給料にでも回すべきだなんてことも誰も発言しない(笑)
2013年にこんなことを書いた。(太字は今回の記事で新たに添付)
「若者」という存在は、古代から現代にいたるまで、いついかなる時代においても「主役」であると思いこまれがち(そして、そう教えこまれがち)だが、実は、「若者をそれほど必要としない時代」もある
2013年5月4日、「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。アメリカにおける「放浪」の消滅(3) サイモン&ガーファンクルの "America"の解読〜ニュージャージー・ターンパイクの渋滞の中で気づく「若者を必要としないアメリカ」 | Damejima's HARDBALL
昔のMLBについて調べているうち、移民の国アメリカが「本当の意味で若かった」、「チャンスにあふれていた」のは、よくいわれる50年代とか60年代とかではなく、むしろ「1900年前後」だという確信が湧いてきた。
40年代に「放浪」が法的に禁止されたことでもわかるように、アメリカは50年代には既に成熟期だったのであり、実は「若さに対する需要」なんてものはそれほど大きなものではない。もっと後のアメリカン・グラフィティ世代、フラワーチルドレン世代に至っては、いわずもがなだ。それらは見た目に派手だが、アメリカの若さの「本質部分」ではない。
上の記事でも書いたが、ブログ主の中では常に「今の時代に若者がマイノリティなのは当然」という意識がある。
ただ、意味を間違ってもらいたくない。「若者はもともと無力だから、黙って耐えていろ」という意味ではない。
「若いという立場に安住していてはダメで、自分たちがただでさえ数が少なく、常に押され気味だという意識をもて。アタマを使え。安易なヒューマニズムに、けして流されるな」とでもいう意味だ。
国民投票でEU離脱を選んだイギリスの「投票結果」について、メディアはしきりに「失業に苦しむ若者はEU残留を望んだのだが、EU離脱を望む老人のわがままに押し切られた」という図式を連呼して世論誘導をはかろうとしている。また、徒党を組んで署名を集め、国民投票のルール自体を変えて、国民投票までやってようやく決まった結論を覆そうとする人たちもいる。
だが、そうしたムービング・ゴールポスト的な行為こそ、恥ずべき「衆愚」というものだ。
考えれば誰でもわかることだが、少数者が「多数決」なんてものに頼ったら負けるに決まっているし、負けたら結論に従うべきだ。当たり前だ。
選択を間違えた勝負に出て、負けてしまい、後から「ルールそのものがおかしい。変えるべきだ」とか愚痴をたれることこそ、愚劣な衆愚そのものだ。
そんなころ日本のメディアでも離脱派の勝利をよく思わない慶応大学の教授だかが「ポピュリズムの蔓延」という言い方でEU離脱を批判していた。
ほんと馬鹿馬鹿しい。「ポピュリズムとレッテルづけすれば批判できたことになる」、「グローバリズムという言葉を使えば正当性を説明できたことになる」なら、誰でも学者になれる。批判したいターゲットを決めて、なりふりかまわず「相手をヒトラー呼ばわり」する幼稚で馬鹿げた手法を使う馬鹿と、どこも、なにも変わらない。
こういうタイプの人間はたぶん「グローバリズム」という言葉を、他人を批判するときに使うだけでなく、理想を語るときにも使う。例えば、世界企業がケイマン島で税金を逃れる的な意味でのグローバリズムは罵倒するくせに、ヨーロッパをひとつにまとめる的な意味のグローバリズムは歓迎したりする。
そういうご都合主義で他人を批判できるようにはならない。
そもそもグローバリズム「信仰者」がなんとも不思議にみえる理由のひとつは、彼らが「グローバリズムと国内雇用が正比例でもする」と思っているらしいことだ。
彼らはEUのような「アメリカとはまた違う、変種のグローバリズム」が「新たな不平等」を生んでない、とでもいいたいのだろうか。
考えてみてもらいたい。
「国家という集団」にとって「自国内の国民」がそうであるように、「企業という集団」にとっては、「正社員」とそのスキルが持つ「ローカリズム」は、いわば国内文化、自国文化のようなものだ。
ならば、いまグローバル化を最大限に進めようとしている企業があったとして、その企業は「雇用」について、「正社員数を最大化して、企業内部のローカリズムをより深化させていく方向」をとるだろうか。
ありえない。
むしろ、グローバル企業というものは「雇用を外部化」する傾向にあるのが普通なのであって、彼らは世間の批判をかわすために正社員を増やす例外的なとき以外には常に「正社員という、ある種のローカリズムにできるだけ依存しないですむ内部構造をとろう」とする。当たり前の話だ。
いいかえると、グローバリズムにとりつかれた企業が「地域性」や「ローカリズム」に重きを置く理由など、どこにもないのである。
イギリスのEU残留を支持したのが、当地の若者だとしたら、いい機会だから「EUという名の、ある種のグローバリズムが、イギリスの国内雇用をも増大させてくれる」という発想がどれだけ安易だったか考えるべきだ。
ここでちょっと角度を変えてみる。
「老人対若者」という対立図式は、いわば世の中の構造における「上下」の方向の問題で、昔からあった「左右方向の問題」、つまり、イデオロギーの違いとか、政治信条の違いとかの問題ではない。
この「上下の問題」をきちんと扱えた党派やメディアなんてものは、いまのところ存在しない。(メディアは左右方向でしかモノを考えられない人間だけが集まった硬直した場所だから、当然といえば当然だが)
それが証拠に、今の時代、「政策課題」なんてものは(他国の便宜をはかろうという異常な目的ででもなければ)どんな国、どんな党派、どんなイデオロギーだろうと、それほど違わない。
例えば、どんなイデオロギーの国だろうと、与党だろうと、野党だろうと、財政は健全化しなくてはならないように、「やるべきこと」や「目標」は実はたいして変わらないのであり、手法や期待値もそれほど大きくは違わない。
つまり、もはや「左右という価値観」には価値などほとんどないということだ。
かつて日本で、「非正規」といわれる人たちが、特に若い世代で急速に増加し、「新しいクラスター化」しつつあった時代があった。その同時期、老人に対する年金支払いなどの「手厚すぎる庇護」はかつてないほど肥大していった。
これはある意味、「上下」方向、つまり世代間の利害は、不一致どころではなく、むしろ「完全に衝突している」ことが判明した時代でもあった。
だがこのとき、その「新たに出現したクラスター」と、その層の人たちに向けて何を発信すべきかを明確にとらえていた既存組織があったか、というと、少なくとも日本にはなく、鋭敏に反応したのは違法な人材派遣業だけという悲惨な有り様だったため、働き方の自由などという甘い言葉につられて、多くの若者がフリーターに転落していった。
労働組合があるじゃないかと思う人がいるだろうが、第二次大戦後ずっと労働者がどうのこうのと連呼し続けてきたこの既存団体は、新しいクラスターの発生にも、世代間の利害の衝突にも、当初からまるで無頓着で、そういう既存組織の「反応の遅さ、世間の変化を見る目の無さ」は違法な人材派遣業が跋扈する原因を作った。
それは、それらの既存団体が実は「公務員」や「特定の業界」、「正社員」といった「限定された特定のクラスだけを庇護するだけの団体」で、社会の流動性を確保していくチカラなど全く無いどころか、むしろ社会の「固定化」に資する団体でしかないことがバレた瞬間でもあった。
こうした「既存団体に庇護された特定のクラス」は、公務員に代表されるように、社会のグローバル化に左右されない、いわば「無風地帯」であり、グローバル化によって雇用(あるいは違法な生活保護)が脅かされる心配がない。「無風地帯」に長らく生存している人たちと、「無風地帯」の庇護が目的の団体にとって、社会のグローバル化で起きる事象の大半はしょせん「他人事」でしかない。
そのクセ、イギリスでトニー・ブレアの労働党もそうだったように、グローバリゼーションを肯定した人々は、その一方で厳格な負担を個人に求めた。日本でも社会保険庁のルーズさが厳しく摘発された一方で、同じ時代にその裏では公的機関による個人からの「取り立て」が厳格化されていった。「無風地帯の人々」が「風当りの強い場所」から「年貢」を取り立てるのだから、無風地帯への支持など広がるはずもない。
こうした「グローバル化と雇用が反比例していく流れ」は、ルーズすぎた諸制度の立て直し、あるいは、財政健全化というタテマエがあったにせよ、実質的に「個人生活を国家の財政再建へ隷属させる」ことにつながった。非・無風地帯の個人消費は文字どおり「死んだ」のである。にもかかわらず、「100円のハンバーガーを食うことはデフレだ」などという狂った考え方を、モノを考えるチカラのまったく無い既存のマスメディアが広めたのも、この頃だ。
もしこの「流れ」が、日本の高度経済成長期のような「正社員がたくさんいるローカリズム重視の時代」に起きたなら、直接税の増収などで国家財政は多少健全化した程度の効果はあったかもしれない。
だが、実際には「非正規」が大量生産されだすグローバリズム加速時代に行われたわけだから、「過度の福祉負担」なんてものが「若年層の貧困を加速させる直接の原因」のひとつにしかならないのは当然であり、「遊休資産を持たない貧困世代に対して、とりわけ重い負担を強いる一方で、遊休資産を持った世代を厚く処遇する」という、まったく本末転倒な時代の幕開けにしかならない。
ローカリズム全盛時代に長い正社員生活を経験し、いまや年金負担もとっくに終えた老人が「多数」いて、「無風地帯に住む特定のクラス」だけを庇護する、やたらと横につながりたがる既存の団体がある一方で、グローバリズム全盛時代に育ってほとんど正社員雇用を経験せず、重い福祉負担を義務化された若い世代が「横のつながりをほとんど持たないマイノリティ」として存在している、としたら、どうだろう。
「若い世代が安易にグローバリズムを支持すること」は、かえって自分の立場を苦しいものにしかねない。よく考えもせずグローバリズムを安易に支持したりする前に、「グローバリズムと国内雇用が果たして両立するものなのかどうか」、じっくり考えておくべきだ。
なお蛇足でひとことつけ加えると、「多数決」などという古臭い方法論が理想的に機能する、つまり、結論が出た後では対立が収まって全てが丸く収まる、なんていう、絵に描いた餅みたいなことが起きうるのは、多数決の参加者の大半が「ローカリズムの内部に共存できている場合」だけだ。
散逸的なグローバリズムが蔓延した今の世界においては、「ひとつの結論は、次の新たな対立を呼ぶ」ただそれだけのことであり、共同体内部の対立の解消につながったりはしない。
June 17, 2016
ダメだね。ダメ。計算がまるでなっちゃいない。
Pete and Ichiro and what it means to be the Hit King (trademarked). https://t.co/4kkooqjGuT
— Joe Posnanski (@JPosnanski) 2016年6月16日
ポズナンスキーは、「ピート・ローズとイチローの27歳から42歳までの打撃数値(具体的には打率やヒット数)が似てることを挙げた上で、「仮にイチローがMLBでデビューしていて、なおかつ27歳になるまでの間に899本のヒットを打てるかどうか」について書いてる。
彼は「なんの疑いもない。イチローは899本打てただろう」といちおう書いた上で、こうも書いてる。
If you got to the Major Leagues at age 20 and got 200 hits a year for 21 consecutive years ― every year until you were 41 ― you STILL would not get to Pete Rose’s hit total.
もし20歳でMLBデビューして、41歳になるまで21年連続200安打打ったとしても、ピート・ローズの安打記録には届かない。
つまり、彼が「暗に」いわんとするところは、
もしイチローが「20歳」でMLBでデビューしていたとしても、「41歳まで21年連続200安打」なんてできてたかどうかわからないし、もし仮にできてたとしても、ピート・ローズには届いてない可能性だってある。それくらい、やっぱりピート・ローズの記録は凄い。ってことでもあるわけだ。いやらしい書き方するもんだ。
おいおいおいおい。
ちょっと待てよ、ポズナンスキー。
と、ブログ主は即座に思った。
「21年連続200安打できるかどうか」なんて、
単なるレトリックに過ぎない。
なぜって、ポズナンスキーだけでなく「もしイチローがMLBでデビューしてたら」という議論のほとんどが、「日本での打数の少なさを、MLBでの打数の多さにアジャストするとどうなるか」って視点が完全に抜け落ちているからだ。ポズナンスキーも例外じゃない。
わからない人のために説明しようか。
イチローが日本でプレーしてた時代、「1シーズンの打数」は540をようやく越えたのが2度あるだけで、600越えたことなど、一度もない。
だけど、MLBでは余裕で690前後ある。
日米で打数が大きく異なるのはいうまでもなく「1シーズンの試合数の違い」が原因だ。日本とアメリカでは、1シーズンで最低でも「150打数」程度、うっかりすると「200打数」近いくらい違うこともある。
ここで、「もしイチローがメジャーでデビューしてて、1994年から2000年までの7シーズン、毎年690打数だった」と仮定してみる。
すると、7シーズンの打数は4830で、「1994年〜2000年の仮想ヒット数」は、「打率」によって以下のように変化することになる。
仮想打率 仮想ヒット数(小数点以下切り捨て)
.330 1593本
.320 1545本
.310 1497本
.300 1449本
.290 1409本
.280 1352本
上の表で、「.330」という打率を最初に挙げたのは、実際のイチローの2010年頃までのMLB通算打率がそのくらいだったからだ。だから、非現実的な数字ではないどころか、非常に現実的な数字であり、若い体力みなぎるイチローがむしろ.330より高い平均打率を残した可能性だって十分ある。
だが、ここではいちおう控えめに「.330」としたまでだ。
打率.270以下は計算しても意味がないので計算しない。
なぜなら、打率がたった.270しかない若い1番打者が、7シーズンもの間、年間690打数も与えられるわけがないからだ。
この計算から
「27歳になるまでに、たった899本しかヒットを打てなかった若い凡才ピート・ローズ」と、「27歳までに7年連続首位打者になった20代の天才イチロー」が、同等に比べられなきゃならない理由なんて、どこにもないことがわからない人間は馬鹿だと思う。
だがまぁ、まだわからない人もいるだろう。
あえてもうひとつ計算して、わかりやすくしておこう。
もし仮に「イチローがMLBでデビューしてて、仮に1994年から2000年までの間に4830打数あったとして、ヒットを899本しか打たなかった」としたら、打率はどうなるか。
.186だ。
「イチローが最初からMLBでデビューして、27歳になるまでにヒットを899本打てたかどうか」なんてことを真面目ぶって議論に組み込んだようにみせかけてるようなヤツが、その実、いかに慇懃無礼な人間か、これでおわかりだろう。
こういう「非現実的な話」を自分の文章に散りばめる人間が、リアルな議論をしているなどと、ブログ主はまったく思わない。たとえそれがジョー・ポズナンスキーであろうと、Cut4であろうと、だ。
もっと厳しくいわせてもらうと、ヒットを大量生産すべき貴重な若い時期にやっとこさ「899本」しか打てなかったような、そんなヘボい打者が、「若い時期のピート・ローズ」だ、ということだが、ピート・ローズの「最晩年」についても、その間の「ヒット数」と「打率」をひきくらべてみるといい。
晩年、ローズはプレーイング・マネージャー(選手兼監督)という立場を利用し、400打席以上を自分自身に与えながら、100本程度しかヒットを打っていない。そういう「ひどい低打率」だったにもかかわらず、彼は自分をスタメン出場させ続けた。それが最晩年の彼の通算安打記録の実態だ。(そしてその最晩年にローズは現役選手であるとともに現役監督でありながら、野球と自分のチームをギャンブルの対象にしていた)
参考記事:
2015年8月24日、「ヒット1本あたりの打席数」ランキングでみれば、イチローの通算ヒット数の多さは「打順が1番だから」ではなく、むしろピート・ローズの安打数こそ単なる「打数の多さによるもの」に過ぎない。 | Damejima's HARDBALL
ロジックというものはきちんと点検しないと騙される。
ちょっと聞きかじって、「ああ、たしかに、いくらイチローでも21年連続200安打はちょっと無理だろうな」などと思ってはいけないのだ。
「21年間シーズン200安打を続けられるかどうか」などという仮定を設けること自体が、単なる「上から目線からの恫喝」に過ぎない。そんな仮説は単なる机上の空論に過ぎないのである。
話はむしろ逆だ。
もし
日本の野球がもっと試合数が多くて、「日本でのイチローの打数」が「MLB並みの多さ」だったなら、当然「27歳になるまでのイチロー」がもっと多くのヒットを打っていたはずであることは、疑いようがない。だ。
したがって、それが日本であろうと、アメリカであろうと、「27歳になるまでのイチロー」が「MLB並みの打数」を与えられていたなら、とっくの昔にピート・ローズの記録など追い抜いて、42歳時点では既に日米通算5000本に接近していた、と考えるのが、「マトモな議論」というもの
いいかえれば、
「イチローは打数の限られた日本で何年も過ごしたが、21年連続200安打なんかしなくても、イチローはピート・ローズに届いた。つまり、そのくらいイチローはMLBで、誰よりも早い、ものすごいスピードでヒットを量産し続けてきた」というのが、正しい表現だ。
加えて、ポズナンスキーはじめ「もしもイチローがMLBでデビューしていたら議論」なんてものに手を染めたがる人間はたいてい、ピート・ローズがさまざまな手を使って4256本のヒットを達成したのが「ようやく45歳で達成して、引退」であり、イチローは「まだ42歳で、なおかつ現役で、これからもヒット数は増える」ことも忘れている。
「42歳までのピート・ローズのMLBヒット数」は、「42歳のイチローの日米通算」より260本以上も少ないのである。
日米通算というアスタリスクはともかく、同じ数字を3年も早く達成できた人間と、3年余計にかかった人間を同等に扱いたがる人は、もっと礼儀というものをわきまえつつ現実を直視したらいいと思うが、どうだろう。
3000安打達成者の1安打あたりの打席数
タイ・カッブ 3.123
(ジョージ・シスラー 3.205 3000安打未達成)
ナップ・ラジョイ 3.226
トニー・グウィン 3.256
キャップ・アンソン 3.298
トリス・スピーカー 3.413
ポール・ワナー 3.416
ホーナス・ワグナー 3.435
イチロー 3.437
(2016年6月19日現在)
ロッド・カルー 3.456
スタン・ミュージアル 3.503
デレク・ジーター 3.637
ポール・モリター 3.666
ジョージ・ブレット 3.686
ハンク・アーロン 3.697
ピート・ローズ 3.727
ウィリー・メイズ 3.806
ロビン・ヨーント 3.848
エディー・マレー 3.936
デイブ・ウィンフィールド 3.974
カル・リプケン 4.046
クレイグ・ビジオ 4.086
カール・ヤストレムスキー 4.092
リッキー・ヘンダーソン 4.369
June 16, 2016
フェルナン・ロドニー
2016年6月15日 日米通算4257安打
マリアーノ・リベラ
2009年9月18日 サヨナラ2ランホームラン
記事)2011年10月22日、野球ファンの「視線共有」の楽しみ 例:2009年9月18日のイチローのサヨナラ・2ランホームランを、スタジアムの角度別に楽しむ。 | Damejima's HARDBALL
記事)2011年5月28日、アダム・ケネディのサヨナラタイムリーを生んだマリアーノ・リベラ特有の「リベラ・左打者パターン」配球を読み解きつつ、イチローが初球サヨナラホームランできた理由に至る。 | Damejima's HARDBALL
イム・チャンヨン
2009年3月24日 第2回WBC決勝 2点タイムリー
ホセ・バルベルデ
2012年10月13日 2012ALCS Game 1 9回裏2ランホームラン
記事)2012年11月9日、2012オクトーバー・ブック WS Game 4でフィル・コークが打たれた決勝タイムリーを準備した、イチローの『球速測定後ホームラン』 による『バルベルデ潰し』。 | Damejima's HARDBALL
ここまで挙げた場面ほど華々しくはないが、フェルナン・ロドニーから打ったこんなタイムリーもある。
フェルナン・ロドニー
2013年4月23日 NYY vs TB 満塁で2点タイムリー
2013年4月23日、9回表2死満塁から、イチロー得意の「クローザーの初球打ち」。フェルナンド・ロドニーから決勝2点タイムリーで、ヤンキース連敗ストップ。 | Damejima's HARDBALL
クローザーの「持ち球」は、ラファエル・ソリアーノのような軟投タイプとか、ジョン・フランコのように多彩な変化球を投げる投手は少なくて、たいていの場合は「速球+その投手に特徴的な変化球が1種類」という感じでシンプルな組み立てをする "Two-pitch Closer" が多い。
「そのクローザーに特徴的な変化球」、というと、ビリー・ワグナーや若い頃のフランシスコ・ロドリゲスならスライダー。トレバー・ホフマンはチェンジアップ。マリアーノ・リベラは、当然カットボール。ジェイソン・イズリングハウゼン、クレイグ・キンブレルは、カーブ。
こうやって並べてみると、特徴的で絶対的な変化球をひとつもったタイプのほうがクローザーとして大成している。
とはいえ、たいていのクローザーの持ち球は、昔のジョナサン・パペルボン、上原や藤川、かつてのデイヴィッド・アーズマなどのように、「速球とスプリット」という組み合わせが多い。
ホセ・バルベルデも速球とスプリットを組み合わせるTwo-pitch Closerだったが、いかんせん、スプリットにそれほど威力がないタイプなので、速球だのみになりがちだった。
「クローザーの初球とか2球目のインコースのストレートをフルスイングする」というイチローの戦略のドツボにはまってくれるクローザーは少なくない。この場合、球速が159マイルあろうと関係ないことは、2012年にホセ・バルベルデが証明してくれたのだった。
June 15, 2016
Don’t let Pete Rose’s hater dig ruin Ichiro’s milestone moment | New York Post
Love this column about Ichiro by the great @Joelsherman1. https://t.co/51cGoLTYaj
— Ken Rosenthal (@Ken_Rosenthal) 2016年6月14日
もちろんこの記事は速攻で日本語記事にもなっているのだが、細かい点で気にいらない。しょうがないから自分で訳した。
ジョエル・シャーマンはテレビ、映画、音楽、バレエなど、アートっぽいことが大好きとみえて、文章のあちらこちらに作品やアーティストに関連した言葉が散りばめられている。
例えば、日本語記事には訳出されていないのだが、文中に "I Dream of Jeanie" という言葉がある。これは1965年〜1970年に放送された古いコメディのタイトルで(邦題:『かわいい魔女ジニー』)、イチローのニックネームがWizard(=魔法使い)であることにちなんで筆者ジョエル・シャーマンはわざと使っている。
2つ目は、これはあくまでブログ主の想像でしかないのだが、a native sonという表現はたぶん、アフリカ系アメリカ人作家リチャード・ライト(Richard Wright, 1908-1960)の1940年作品 "Native Son" を連想させるようにわざと書いているではないかと思う。
この作品はアフリカ系アメリカ人がこうむった不幸を題材にしているのだが、ジョエル・シャーマンは遠まわしにピート・ローズの発言の根底に流れる「無用な優越感と日本野球への差別意識」があからさまになることをたしなめたのではないか。(この話を理解するには、ジェームズ・ボールドウィンとか、そういうたぐいの本を読む必要があるかもしれない)
シャーマンはイチローを、ニューヨーク・シティ・バレエ団に所属したこともあるロシア出身のバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフにたとえている。
これはもちろん、イチローの動作の「優雅さ」をバリシニコフにたとえて表現しているわけだが、それだけでなく、おそらくロシア出身のバリシニコフが1974年に亡命し、さらに1986年にはアメリカに帰化していることをふまえていて、アメリカのネイティブではないイチローが、アメリカの地元ファンの喝采を浴びてプレーし、今では将来の殿堂入りを約束されるほどアメリカに馴染んでいることを、バリシニコフと重ねあわせた表現だろうと思う。
ミハイル・バリシニコフ
バリシニコフ風イチローの
カーテンコール
4257安打を祝福するペトコ・パークの観客にヘルメットを脱いで礼をするイチロー。立ち方がバレエダンサー風に見えるのは、「姿勢の良さ」のためだ。「姿勢」はアスリートの選手生命を左右する。
他に、モーツァルトをひきあいに出した箇所がある。これはシャーマンに限らず、アメリカのメディアでは最上級の褒め言葉のひとつといえるだろう。
というのは、その昔シリコンバレーのIT関係者の間でモーツァルトを聴くことが大ブームだった時代があったように(その後、モーツァルトを聞き飽きてしまい、ブームはベートーベンに移ったらしい)、モーツァルトはアメリカのインテリ層にとても人気が高く、モーツァルトにたとえられるということ自体が「褒め言葉」を意味するという側面が彼らにはあると思うからだ。まぁ、そのへんは日本の小林秀雄と、たいした差はない(笑)
また文末あたりで、ピート・ローズに関して "Frenzy" という単語が使われているわけだが、これはもしかするとロンドンのシリアル・キラーを扱った1972年のアルフレッド・ヒッチコック映画 "Frenzy" からのもじりで、ピート・ローズの下品さを皮肉った表現かとも思ったが、さすがにそこはハッキリしない(笑)
When a spring training game is played on the road, those who stay behind - mainly veterans - go through a workout. But there is a substitute teacher feel to it.
スプリング・トレーニングで、ロードゲームが行われる場合、遠征先に帯同しない選手(主にヴェテラン選手)はトレーニングにいそしむ。だが、それは臨時教員のような、腰の座らない感覚のものだ。
The manager and the main coaches are usually on the trip. The stands are empty. Reporters generally follow the team. The on-field work, therefore, is completed in quicker fashion with one eye on the first tee or jumping into the pool with the kids or some other free-time activity. It is a perk of being a veteran.
監督と主要なコーチは普通ロードに帯同し、スタンドは空っぽ。記者たちもたいていはチームに帯同する。フィールドワーク組は(=遠征に帯同しなかったヴェテラン選手たち)ゴルフの1番ティーとか、子供たちと飛び込むプールとか、自由に過ごせるオフシーズンならではのアクティビティに気をとられながら、グラウンドでの練習をそそくさと切り上げる。これはヴェテランならではの特権だ。
On one of these days I was the lone reporter who stayed behind at Steinbrenner Field. I was writing about a player who did not go on the trek, but up in the press box after the workout, I was not writing. I was entranced watching the lone figure who did not rush out to one of those free-time activities.
その日、記者では私だけが遠征に帯同せず、スタインブレナー・フィールド(=タンパベイにあるヤンキースの春キャンプ地。ニューヨークではない) にいた。遠征に行かなかったあるプレーヤーについて記事を書いていたのだが、練習後に(フィールドを眺めわたせる高い場所にある)記者席に上がっていったときには、記事を書いていなかった。オフシーズンの自由な娯楽に飛びつかなかった唯一の人物を眺めることに夢中だったからだ。
For 45 minutes, Ichiro Suzuki stood at home plate, pantomimed his swing and then raced at pretty much full clip to each base. A single, back to home. A double, back to home. He finished the whole tour, and then did it again. And again.
45分間、イチローはホームプレートのところに立ち、スイングの真似をして、それからフルスピードでそれぞれの塁打を想定した走塁を練習していた。シングルヒット。ホームプレートに戻る。こんどは二塁打。ホームに戻る。というように。全パターンを練習し終えると、すべてをもう一度やる。それが終わると、また繰り返す。
This was 2014. Suzuki was 40, already a legend in Japan, already accomplished enough to be a Hall of Famer here. And he was sweating alone inside a rather empty stadium practicing, well, practicing what exactly? Hitting an inside-the-park homer?
これは2014年の出来事で、イチロー40歳。既に日本のレジェンドであり、MLBでも既に野球殿堂入りに十分な実績をうちたてている。それでも彼は、すっからかんのスタジアムで練習に汗を流していた。練習であるにしても、それは何のための練習? ランニングホームランを打つためか。
When I asked the next day, Suzuki mentioned the need to stay vigilant to game possibilities. He had quick-twitch athleticism and hand-eye coordination at the peak of humankind. But to those blessings he added precision and economy of movement through hundreds and thousands of hours of what I viewed that day from the Steinbrenner Field press box. He was a genius not squandering his skills - Mozart playing his piano alone.
翌日イチローに尋ねてみたら、「ゲームで起きるあらゆる可能性に備えておくため」だという。人類最高レベルの鋭敏な運動神経とハンド・アイ・コーディネーションを持つ彼だが、それでもなお、私がスタインブレナー・フィールドの記者席から見たように、何百、何千もの時間を費やして、天性の才能にさらに「正確な動作」や「無駄のない動作」を付け加えていくのである。彼は、技能を無駄に浪費しないという面においても、たぐいまれな才能を持っている。それは、モーツァルトがひとりでピアノ練習をするようなものだ。
Suzuki running the bases in his prime was breathtaking, more of an “I Dream of Jeanie” stunt - a magical blink transporting him from one base to wherever he would stop next - rather than something an actual person could do.
全盛期のイチローの走塁といえば、それはもう、驚異的なものだった。まるで、魔法使いが登場するテレビ番組『かわいい魔女ジニー』でも見ているかのように、まるで何か瞬時の魔法みたいなものが彼を次に止まりたいと思うベースまで運んでるんじゃないか、などと思わせるようなレベルで、現実の人間にできるレベルをはるかに凌駕していた。
Seeing him still honing finer points when he could have rested on greatness just elevated my appreciation for him. It was such an obvious love letter to the game and why I feel good for him now as he approaches milestones not as just as accumulator, but somehow as a top-flight hitter again.
既に偉大な足跡に安住することが可能な地位にある彼が、なおもプレーの細部に磨きをかけ続けているのを見ると、私のリスペクトはより高まる。それは彼の野球に対する変わらぬ愛情であり、また、私が彼の野球に好感をもつ理由でもある。彼は、単にエスタブリッシュメントとしてではなく、最高の打者たらんとする努力を続けながら、マイルストーン到達に向かって歩み続けているのである。
(2ブロック省略)
Which led Rose to tell USA Today Sports: “It sounds like in Japan, they’re trying to make me the Hit Queen. I’m not trying to take anything away from Ichiro, he’s had a Hall of Fame career, but the next thing you know, they’ll be counting his high-school hits.”
ピート・ローズがUSA Todayにこんなふうに語った。「日本では私を『ヒットの女王』(=2番手)にしようとしているらしいな。僕はなにもイチローの価値をおとしめようなんて思ってない。彼は殿堂入りするに足るキャリアの持ち主さ。でも、気づいたら彼らは、イチローの高校時代のヒットまで数えだす始末になりそうじゃないか。」
So, I want to state this: Rose was my favorite player growing up, making me the rare Reds fan in Brooklyn. Pretty much everything since has offered disappointment, including these words. Serious baseball people recognize the inferiority of the Japanese league, Rose didn’t need to put words to it. No one equates Suzuki’s hit totals with those of Rose, though as an aside I believe if Suzuki began his career here, he would have been a 4,000-hit man - the evidence being he hit as well in the US as in Japan, despite the rise of talent around him.
私はこのことを言っておきたいと思う。
ローズは、子供時代に私がブルックリンで数少ないレッズファンになったくらい、大好きな選手だった。だが、この発言も含め、とてもガッカリさせられてばかりだ。シリアスな野球関係者が日本のリーグが(MLBに比べて)劣っていることを認識しているにしても、ローズがそのことについて言及する必要などない。誰もイチローの日米通算ヒット数がローズと同等とまで考えないが、その一方で、もしイチローがアメリカでキャリアを始めていたなら、おそらくヒットを4000本以上打っただろうと確信してもいる。それが証拠に、イチローは(MLBに来て)彼をとりまく選手のレベルが上がったにもかかわらず、アメリカで日本と同じようにたくさんのヒットを打ったではないか。
Is Rose really upset that Japan is celebrating a native son? Through his suspension, Rose has cloaked himself in love of the game as a defense mechanism. So why soil a moment when a baseball-loving nation is fascinated by our national pastime?
ローズは本当に日本が日本出身の選手を祝福しようとしているのを、かき乱してやろうとしているのだろうか。永久追放になっている間、彼は保身のために野球を愛してやまない人間を装ってきたわけだが、ならばなぜ、野球を愛する国のひとつが我々の国民的娯楽に魅了されている瞬間にケチをつけようとするのだ。
Suzuki’s achievements do not diminish Rose; they remind us how great he was. I mean, 4,256 hits, freaking wow. They played the game differently - Rose with lunch-pail frenzy, Suzuki with Baryshnikov grace. But at their core their souls were filled with the game, with the willingness to invest thousands of lonely hours to seek perfection.
イチローの偉業でローズが矮小化されるようなことはなどない。むしろ、それはいかにローズが偉大だったのかを思い起こさせるものだろうに。4265本のヒット、「すげぇ」としか言いようがない。2人はプレースタイルが異なる。ローズを「熱血な肉体労働者」とするなら、イチローは「優雅なバリシニコフ」だ。だが両者の魂のコアは野球でいっぱいであり、完璧な自分を追い求める孤独な時間をすすんで積み重ねる情熱で満たされている。
Rose should be at the front of the line celebrating a kindred spirit who would practice hitting inside-the-park homers alone after a spring training workout.
ローズは、スプリングトレーニングの練習の後で、たったひとりランニング・ホームランを打つ練習をするような、自分と同じ場所に属す人物を祝う列の「先頭」にいるべきだ。
June 14, 2016
ピート・ローズの「日米のプロでの通算安打というなら、俺がマイナーリーグで打った427本も記録(4256安打)に加えるべきではないか」」とかいう発言は意味ないし、論理がおかしい。まさか、わからない人、いないだろうね?(笑)
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
野球選手の「通算成績」というものは「2軍」とか「マイナーリーグ」でのものを「1軍」とか「メジャー」と合算したりはしない。したがって、ピート・ローズがマイナーで、あるいは、イチローがオリックス2軍で、何本ヒットを打とうが関係ない、のである。以上。証明終わり(笑)
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
もちろんピート・ローズのいわんとするところの真意は「日本の野球なんてメジャーのマイナー程度じゃん」ということだ。ならば、だ。そのマイナー出身クラスの選手がなぜMLB1年目でMVPと新人王とれるというのだ、ということになる。ローズの論理は元から破綻してるし、弱い。
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
落合博満が1999年に喝破しているように、イチローはMLB1年目どころか渡米前から既に「メジャーレベルを超えた選手」だったことはもはやハッキリしているわけであり、その話と、「日本野球がMLBの3Aクラスであるかどうかという議論」を混同していているようでは話にならないのである。
— damejima (@damejima) 2016年6月11日
参考までに、上の最後のツイートでいう「落合が1999年に喝破」というのをご存じない人のために、Youtubeのリンクを挙げておこう。
落合博満は、「渡米前の」イチローとの対談において、「イチローに匹敵するような打者は、今のアメリカにはいない」という意味の断言をしている。
この「落合の断言」は後日、「渡米直後の」イチローが、MLBで通用するとか、しないどころの騒ぎではなく、渡米1年目にして新人王、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞、リーグMVPに輝いた事実によって、文字通り「証明」されることになった。
イチローはさらにその後、10年連続して200安打、ゴールドグラブ、オールスター出場などを継続したわけだが、その「継続」は2001年の成績が「フロック」ではないどころか、むしろ「実力どおりの結果」だったことを証明した。
つまり、ブログ主が言いたいのは、
イチローの「野球の実力」が、「渡米前」の時点で既に、MLBの平均レベルをはるかに凌駕した高いレベルにあったことは、火をみるより明らかだということであり、なおかつ、
このことは当時、わかる人にはとっくにわかっていたということだ。
賭博で永久追放になった元・選手が、「日本の野球なんて、しょせんメジャーのマイナー程度のレベルじゃん」と自分勝手に思うのは、個人の自由で、別にそれを止めさせようとはまったく思わない。
だが、もしピート・ローズと、その同調者が、「渡米前のイチローの実力は、しょせんMLBのマイナーレベルだったから、カウントに値しない」などと事実に反する発言をする、これからもしたい、のだとしたら、その議論は根本的に間違いであり、今後ともそうした暴論を許すわけにはいかない。
「渡米前のイチローがどういうレベルにあったかという議論」と、「日本の野球がMLBと比較してどのくらいのレベルにあるかという議論」は、まったく次元の違う議論なのだ。
にもかかわらず、これら2つの、次元の異なる議論を故意に混ぜて議論することによって、イチローの記録の意味や重さをこきおろすツールにするような行為は、アンフェアであり、また、スポーツマンシップに反する。
ちなみに、かつてCut4が「イチローがもし最初からMLBでデビューしていたら何本ヒットを打てるか」を試算して、「2014年終了時点で3504本」だのなんだのと予想したわけだが、ブログ主は「まるで予測になってない。馬鹿なこと、言うな。」としか思わない。
日本で1200本もヒットを打った人間が、MLBデビューで数百本のヒットで終わているはずもない。
計算を間違える原因は簡単だ。
Cut4の計算した「3504本」などという数字が「まったく科学的に根拠のない設定で計算した、なんの根拠もないデタラメ」からだ。
Cut4がやった「計算」というのは、シアトルマリナーズの1995年ドラフト1位指名選手だったプエルト・リコ出身の外野手ホセ・クルーズ・ジュニア(Jose Cruz)を「仮想イチロー」に見立てて「1990年代にMLBデビューしたイチローの、2000年までのヒット本数を計算する」という、まるで根拠のない手法だ。
よくこんな無礼な試みをするものだ。
なぜなら、以下のデータで明らかなように、ホセ・クルーズとイチローは、タイプがまったく違う選手だからだ。そして、選手としての「格」も「レベル」もまったく違うし、活躍の長さもまったく違う。
どこをどうすると、低打率のフリースインガーを、レジェンドクラスのコンタクトヒッターになぞらえられるというのだ。馬鹿げている。
Jose Cruz Statistics and History | Baseball-Reference.com
ホセ・クルーズ・ジュニアとイチローの違い
●ホセ・クルーズは大卒。イチローは高卒。
●ホセ・クルーズは1997年にようやくメジャーデビュー。イチローは1992年NPBデビューで、高卒3年後の「1994年」には既に打率.385を記録して首位打者
●ホセ・クルーズはメジャーデビュー後、数年の打撃成績だけがよかっただけのジャーニーマンで一発屋。イチローは将来の殿堂入りが約束されたレジェンドで打てて、守れて、走れる万能選手
●ホセ・クルーズは、シーズン100三振を5年連続で記録しているフリースインガーで、ホームラン20本前後(好調時)の中距離ヒッター。イチローは、1番打者で典型的なコンタクトヒッター
イチローは、なんと高卒3年後の「1994年」に打率.385を記録して首位打者になっている大打者だ。
にもかかわらずCut4は、仮想イチローのMLBデビュー年について、「もしイチローが最初からMLBデビューしていたら、ホセ・クルーズがデビューした1997年にメジャーデビューし、2000年まで、3シーズンちょっとのメジャーキャリアを積んでいたはず」だのとくだらない予測をしているのだから、笑ってしまう。
こんなの、何の根拠もない。
実際、仮想ではない現実の野球では、大卒ジャーニーマン、ホセ・クルーズのMLBデビューが1997年であるのに対して、高卒レジェンドのイチローの1軍デビューは1992年であり、イチローのほうが「5年も」デビューが早く、活躍の開始年齢もイチローのほうがずっと早い。
こうした「大差」をまったく考慮せずに、Cut4は、1994年には打率.385を打っている実力の持ち主が、「1997年までマイナーでくすぶって、メジャーデビューを待つ」だのと間違った設定をして、2000年までのヒットの本数を予測した「つもり」になっているのだ。
そんな「馬鹿な予測」に
信憑性など、あるわけがない。
過去に3000安打関連記事でも書いたことだが、タイ・カッブが18歳デビューであるように、3000安打達成者の多くは、20代前半どころか、18とか19、20歳あたりでメジャーデビューしているのである。それくらい、3000安打とは、「デビュー当初から選ばれた選手のみがトライできる、偉大な記録」であり、言いかえれば、「若い頃から数字を積み上げ始めなければ、間に合わない」、「途方もなく達成に時間のかかる記録」なのだ。
2011年9月26日、3000本安打を達成する方法(1) 4打数1安打ではなぜ達成不可能なのか。達成可能な選手は、実はキャリア序盤に既に振り分けが終わってしまうのが、3000本安打という偉業。 | Damejima's HARDBALL
MLB歴代ヒット数ランキング上位打者のMLBデビュー年齢
ピート・ローズ 22歳
タイ・カッブ 18歳
ハンク・アーロン 20歳
スタン・ミュージアル 20歳
トリス・スピーカー 19歳
キャップ・アンソン 19歳
ホーナス・ワグナー 23歳
カール・ヤストレムスキー 21歳
ポール・モリター 21歳
エディ・コリンズ 19歳
Cut4が、イチローだけを「高卒以降、5年間マイナーでくすぶって、23歳MLBデビュー」などと、わけのわからない「設定」を押し付けて、それが正しい、などといえる根拠など、どこにもないのである。
追加:
イチローの日米通算2000安打達成は、榎本喜八よりさらに1年早い「30歳7か月」。日米野球における打率が、榎本喜八さんが2割を切っているのに対し、イチローは4割を超えている。こうしたことからも、他の選手はともかく、イチローだけはたとえ日米通算であっても記録を祝福される権利がある。
— damejima (@damejima) 2015年8月21日
April 30, 2016
2015年10月26日、コンセプチュアルなハーメルンの笛 「近代ドイツ神話主義」の終焉。 | Damejima's HARDBALL
そしてその後、しばらくブログを書く手が止まってしまう事態になった。
というのは、あの記事を書いたことを後悔したからではない。むしろ逆で、あまりにも正しい何かを書いてしまった気がして、もうこれ以上なにか書く必要があるのかという気さえしたのである。
もちろんあの記事にも書きもらしている点は多い。そのひとつは、「あの記事で近代のもつ価値を全否定しようなどとはまったく思わない」ということだが、そういう書きもらしをなんとか処理したいとか思って考えあぐねているうち、半年もの時間が経ってしまった。
月日の流れるのは本当に早い。自分の考えを正確にまとめようとしすぎると、かえって手が止まってしまい、思考自体も停止してしまうことがよくわかった。
考えてみればこのブログはあらゆることに対して、多少記述が不正確であろうと、書くことで脳を働かせ、書くことで滞りがちな自分を前に進めてきたのではなかったか。初心を忘れていた。正しさなど気にせず、思いついたままを書きつらねるべきだった。
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あるネット記事に(非常に残念だがURLは失念)「クリーンディーゼルという標語」を信じてフォルクスワーゲンのクルマを買ったというアメリカの自動車ユーザーのコメントが載っていた。たしか女性だったと思う。
彼女がいうには、
「正しいことをしていると思ってフォルクスワーゲンのクルマに乗ってきた。なので今回の事件はたいへん残念だ」というのだ。
このコメントを読んだ瞬間、どういうわけか「長年なんとなく感じていた『エコロジー』というものについてのモヤモヤ」が一気に晴れ、言葉に具体化できそうな気がした。
「エコロジー」なるコンセプトを「誰が」「いつ」思いついたのかは知らない。結論を先に書くと、ロジックの仕組みからみると、「エコロジー」というコンセプトは、そして、その延長戦上にあるフォルクスワーゲンの提唱したクリーンディーゼルは、
まさに中世ヨーロッパにあった「免罪符システム」の現代版なのだ。
いうなれば、「美しい地球」が「エデン」であり、「エコロジー」は「十字軍」、「クリーンディーゼル」が「免罪符」、というわけだ。
(注:最初に断っておきたいが、ブログ主はただのスポーツ馬鹿でしかないのであってキリスト教史研究者でもなんでもない。ゆえに以下の個人的感想には誤りや事実誤認が含まれている可能性は大いにあるものとみなしてもらって結構だ。また以下の文章は特定の人々や集団、企業等に対する悪意を意図するものではもちろんなく、あくまでひとつの脳内トレーニング、暇つぶしに過ぎない。あらかじめご了承いただきたい)
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では「免罪符」って、何だ。
「学校の授業で聞いたことがある」程度では、このシステムの正確な位置づけは理解できないだろう。なぜなら、たいていの場合、学校では歴史というものをきちんと教えないからだ。このシステムが生まれた経緯を正確に知るには、中世キリスト教におけるIndulgence、日本ではあまり知られていない「贖宥(しょくゆう)」なる制度を知ることが重要だと思う。
人間には非常に大きな原罪があると考えるキリスト教においては、「人間は原罪の償いをすべきだ」という考え方がある。
この「原罪の償い」の段取りは宗派ごとに違い、反省から告白、償いに至るまで「宗派それぞれの決まった段取り」というものがあるらしいが、最終段階における「償い」は共通して「非常に重い」ものとなるのが通例だったようだ。(宗派ごとの細かい相違点については専門サイトを各自あたられたい)
要約すると、「人間の原罪というものはとても重いものであり、また、その償いは重いものとなるのが当然」と規定されていたのが、もともとのキリスト教世界ということらしい。
さて、その「重い償い」について、かつて教会側が「代替措置」を認める独特のシステムがあった。それが「贖宥しょくゆう」だ。
(上)1521年発行の贖宥状
この「贖宥」というシステム、困ったことに、よく「贖宥状と免罪符とは同じ意味のもの」などと説明をされている。
いろいろな意見があるのかもしれないが、ブログ主は賛成しない。賛成しないどころか、そういう間違った説明には真っ向から反対しておかなければならないと考える。
こういう間違った説明が流布されると、誰もが「罪そのものを帳消しにしてもらえる超便利な制度が昔からあった」などと都合よく思い込んでしまい、歴史とか人生とかいうものについて間違った、生ぬるい捉え方をするようになってしまう。
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ここが肝心な点なので繰り返すが、ブログ主の観点では、そして歴史的にみても、贖宥と免罪とは「同じもの」ではない。
たとえ話でいうと(これが適切な例かどうかはわからないが)、例えば殺人を犯した人間が殺人罪そのものを許されることなど永遠にないのだが、罪の「償い」について、投獄期間を短縮するとか、禁固刑を労役で代替するとかは制度上にありうる、というのが、「贖宥」というシステムの主旨だ。カネさえ払えば殺人という事実そのものを「なかったこと」にして、白紙に戻してもらえる、などという話ではない。
例えば中世の十字軍遠征では、「十字軍遠征に従軍するという苦役を行うことは、贖宥である」とみなされていた。
つまり、本来なら人間は教会の定める厳格な段取りのもとで厳しい償いを遂行する必要があるのだが、十字軍遠征に参加するなら、それを「償いの代替行為」として認定しますよ、ということだ。
もちろんいうまでもなく、十字軍に従軍したとしても原罪そのものが許されるという意味ではない。
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だが残念ながら、
人間の作るシステムは、常に脆い。
当初は英雄的行為であったはずの「贖宥システム」は、時代を経ると変質していき、「償いの代替や軽減」に過ぎなかったはずの「贖宥」は、やがて「罪そのものの許し」、免罪へと堕していった。
(ブログ注:だからといって、中世における欧米やキリスト教世界のモラルの全てが堕落していたなどと、間違ったとらえかたをしてはいけない。歴史というものは白か黒か、善か悪かという単純な二分法で判断しようとしてはいけないのだ。そういう紋切型の思考手法は、近年の欧米の都市部での卑劣なテロ行為に賛同してしまう欧米人たちの思考の底流にもあるようだが、そういう考え方は手法そのものが間違っている)
十字軍の例でいうと、元来「贖宥」であったはずの「十字軍への従軍」は、十字軍そのものの変質にともなって「カネで十字軍従軍それ自体を免除してもらえる」ようになり、それがさらに「カネとひきかえに、罪そのものが許される」という、いわゆる「免罪」というシステムを生みだした。さらには教会が積極的に免罪符を売り歩くという事態にまで至って、「免罪符という名の、教会の集金システム」が出来上がった。(この「教会の集金システム」は、現代私企業のもっとも初期の形態なのかもしれないし、ある意味の資本の萌芽と考えることもできるはずだが、それを明確にした書物を読んだことがないので、正確にはわからない)
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これはあくまでブログ主の想像でしかないが、おそらく初期の十字軍従軍者には、ある種の壮絶な正義感や使命感、命がけの献身の覚悟があったに違いない。(ただし十字軍は遠征先で虐殺や略奪なども行っており、そうした行為の是非は論議されるべきだろう。ただ、それをモラルや安易なヒューマニズムから議論したのでは何の意味もない。歴史は「モラルが全て」ではないのであり、安易なヒューマニズムで判断してはいけない)
そうした初期の従軍者の悲壮なまでの「正義感」や「決意」と、後世にカネで従軍や原罪を都合よくまぬがれようとした人間たちの「ズルさ」を、「贖宥」というひとつの単語でくくる、つまり、「贖宥と免罪を同一視する」のは、どうみても正しくない。
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いずれにしても中世ヨーロッパのキリスト教世界で「人間の罪は、存命中の善行(もっとハッキリいえば、カネの寄進)によって帳消しにできる」というような、「原罪と、存命中の善行とを直接に関連づける発想」が蔓延することになったのは事実だ。
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そこに、こうした「罪をカネで許す」流れに真っ向から反対する人々が、ヨーロッパのドイツ系の人たちを中心に現れた。それが宗教改革だ。
例えばマルティン・ルターが「予定説」をとなえたのは、「罪と現世の善行の切り離し」をはかるのが目的だった。
さらに視野を大きくとると、
カソリック中心だった中世ヨーロッパに、プロテスタントが生まれ、さらにイギリス、さらにはイギリスから独立したアメリカの歴史が胎動していく「エネルギー源」のひとつになったのが、この
「罪とカネの関連付けに対する嫌悪感」なのだ。
だからアメリカ史、ひいてはMLB史を眺める上でも、この記事で扱う話題は避けて通れないし、それどころか、現代史を語る上でも必須だ。
例えば、近年のギリシアの財政危機において、EU内部で「ギリシア人の放漫な体質」と、「ドイツの生真面目で倹約好きな体質」の落差が鮮明になった。
こうした例にみられるように、EUの大部分がキリスト教世界であるとはいえ、カソリック系諸国のゆるい体質と、プロテスタント的な厳格さを装いたがるドイツとの落差は21世紀の今も埋まってはいない。
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だが、かつて宗教改革を主導し、改革と勤勉の旗手、プロテスタントの代表選手を自認しているはずのドイツが、実は「クリーンディーゼルという旗印のもとで、エコロジーという名目の罪悪感を煽りつつ、免罪符を売り歩いていた」、としたら、どうだろう。
話はまったく違ってくる。
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20世紀初頭に書かれたマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はまぎれもない名著だ。
というのは、かつて宗教改革のモチベーションにもなった「カネに対する嫌悪感」が、その一方では、「イノシシのごとくにカネ儲けに向かって猪突猛進する猛烈なエネルギー」に変わるという、「あまりにもややこしすぎる、理解しづらいプロセス」を、この書物が非常に明快に説明してみせたからだ。
この「ややこしい話」を理解することは現代史を語る上で必須の話だ。例えばジョージ・ソロスなどもそうだが、「カネ儲けを嫌悪しているクセに、カネ儲けが大好きな人たち」は大勢いる。他にも、近代以降のユダヤ人史を見るときにも、こうしたカネに対する嫌悪と執着が混在した奇妙な感覚がわからないと理解できない部分は多々ある。(ちなみに、未完に終わったが晩年のウェーバーは世界中の宗教と経済の関係について研究していて、ユダヤ教についての著作もある)
だが、残念ながら、この「ややこしい話」は日本人には非常に理解しづらい。加えて、日本人に理解できにくい原因についても、これまで明確にされることがなかった。
なぜ、「カネ儲けが大嫌いなクセに、カネ儲けマニアになる人間」がいて、彼らが世界を動かしたりするのか。そんなことを歴史の「流れ」を理解しないまま理屈だけ悩みだすと、わけがわからなくなり、現代というものが把握できないまま堂々巡りに陥る。
一連の記事を書いたことでひとつわかったことだが、日本人が「マックス・ウェーバーのややこしい話」の真髄をなかなか理解できない原因は、日本がもともとキリスト教世界ではないことに尽きる。つまり
かつてマックス・ウェーバーの描きだした「カネに対する嫌悪感」のルーツが、ここまで書いてきたようなキリスト教圏における「罪とカネの関連付けに対する嫌悪感」にあるという「欧米史の基本」をきちんと把握できていないということだ。
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物事には因果がある。
ブログ主が贖宥と免罪を分けるべきだ、などとめんどくさいことを言うのは、かつてキリスト教世界を動かした宗教改革の「モチベーション」が、崇高な教義解釈の違いによる内部分裂ではなく(もちろんそれも多少はあるのだろうが)、根底に『カネの問題』があったという欧米史の基本とそのルーツをこの際ハッキリ認識しておくべきだと思うからだ。贖宥と免罪が同じものだなどという間違った説明は理解の妨げにしかならない。
ヨーロッパ中世の「罪とカネの関連づけ」に対する嫌悪は、後の欧米社会と資本主義、そしてそれらがかかわる地球上のあらゆる国家の進む方向にとてつもなく大きな影響を与えることになった。
中世以降、現代にいたるまで、世界を動かしてきたエネルギー源のひとつは、この
免罪符に象徴されるような「罪とカネの関連づけに対する嫌悪感」、そこから生まれた「カネもうけに対する嫌悪感」、そして、その嫌悪感が化学変化して生まれた「熱烈な金儲けの情熱」だったりするのである。
それを理解する上で大事なのは、「なぜヨーロッパで、罪とカネの関係が問題になったか」という根本の原因を把握しておくことだ。
宗教改革のリーダーだったルターやツウィングリが、何の動機も理由もないまま、いきなりキリスト教を改革しようとか言い出したわけではなく、また、何の前提もないまま、いきなり「『カネへの嫌悪感』と『猛烈なカネ儲けの情熱』の理解しがたいセット」が生まれたわけでもない。
人間は、嫌いなものには情熱を傾けないか、というと、そうではなかったりする。まったくもって人間という生き物は、不思議な、そしてかなり奇怪な生物だ。
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話はようやくここで、
フォルクスワーゲン不正事件に戻る。
これまで「エコロジー」という概念のもとでは、非常に多くの「標語」が発明されてきた。地球温暖化、二酸化炭素排出権、捕鯨禁止、クリーンディーゼル、シーシェパードなどなど。エコロジー団体の掲げる目標や標語は、ダイエットの手法と同じで(笑)、果てしない。
これらの数限りない「お題目」と「団体」は、毎日世界のどこかで新たに開発され、数限りないキャンペーンがはられ、その達成のためと称して補助金だの支援だのという名目の「カネ」が動いている。
最初に書いたブログ主の「エコロジーに関するモヤモヤが晴れた感じ」とは、エコロジーという場合についていいかえると
エコロジー発想と、それに沿って「カネが動くシステム」は、明らかに古くからある「免罪符システム」をなぞっているという意味だ。それはフォルクスワーゲンだけに限らない。
エコロジストは「本来は限りなく美しく、均整がとれているはずの地球」という「現代のエデンの実現」が人類共通の「強い義務」だと主張してきた。他方、人間は、技術的・資源的な制約とモラル上の未熟さなどから、
「今のところ地球を汚さないと生きていけない」という「エコロジー上の原罪」を背負って生きていることになっている。
こうしたエコロジーの完全達成を「猶予」「免除」する行為は、常に「カネ」に換算され、エコロジー活動に「寄進」することで罪悪感や義務感、罰則が軽減されている。
これこそが
「エコロジー上の贖宥」「エコロジー免罪符の発行」の仕組みである。
例えば「二酸化炭素排出権」においては、美しい「はず」、自然のシステムが作動している「はず」の地球が、「汚染され」「機能不全に陥りかけていること」が、「国家単位での、まぬがれられない原罪」などと規定され、その「地球という美しい聖地」を奪還するために「エコロジーという名の十字軍」が規定され、「エコロジー十字軍への従軍」がそれぞれの国に課せられている、というロジックになっているわけだ。
だが実際にはどうかといえば、その不完全な達成を「猶予」したり「免責」したりするために、「カネ」で二酸化炭素排出権が売買されている。
こうした「二酸化炭素排出権の売買システム」は、明らかに「中世ヨーロッパの免罪符売買システム」そのものだ。
世界各国に「二酸化炭素排出権というエコロジー免罪符」を発行しているのは、元をただせば「エコロジーという宗教」なのである。
では「クリーン・ディーゼル」というお題目の「集金システム」はどうだっただろう。
美しい地球の奪還というお題目を掲げる「エコロジーという名の宗教」においては、「きたない排ガスを出す自動車という乗り物」は「人間のかかえる原罪」と規定されるだろう。なぜなら、エコロジーの立場からいえば、いまのところ人間は、社会の維持や生活のために環境に害を撒き散らす自動車という便利な道具に頼ること、つまり「自動車という原罪」から逃れられる状況にはまだ至っていないからだ。
ここで、本来なら人類全体が達成すべき「償い」とは、国家レベルでいえば「エコロジーという十字軍」による「異教徒(=排ガス)」の完全討伐による「美しい地球という聖地の奪還」だろうし、また個人レベルでは「自動車にまったく乗らないという選択(=十字軍従軍)」という選択も可能だろう。
だが、いまのところ社会全体での自動車の完全な無公害化は達成されていないし、またクリーンな自動車は非常に高価だったりもする。
そこで登場したのが
「比較的低公害な自動車の購入という『免罪符』の発行」だ。
「クリーン・ディーゼルという免罪符システム」は数ある「自動車免罪符」のひとつだったのであり、EUはそれを認め、それに「カネ」をからませた。
つまり、クリーンディーゼル車を買うという「寄進」は、それを行う人にとって、クリーンディーゼル車を購入することがひとつの「環境破壊を完全にはやめられないことに対する倫理的償いになる」という巧妙なロジックなわけなのだ。
さて、この「フォルクスワーゲンのクリーン・ディーゼル車を、それがたとえ高価なものだろうと、自分の身銭を切って購入するという寄進行為」は、最初に区別しておいた、「贖宥」なのだろうか、それとも「カネで免罪符を買う行為」なのか。
ブログ主は明らかに
後者だと考える。
「クリーンディーゼル車を買う」という「寄進」行為には、明らかにかつての「カネを払うことで、罪悪感を軽減しようとする」というニュアンスが含まれている。
ヒトは、「エコロジーという宗教」で生産され続けている数多くの「十字軍行為」(それは、2015年10月26日、コンセプチュアルなハーメルンの笛 「近代ドイツ神話主義」の終焉。 | Damejima's HARDBALL でいうところの「ドイツ製の神話」でもある)のひとつである「クリーン・ディーゼル十字軍」に、エコカー購入という寄進行為によって遠まわしに参加して、「環境破壊についての罪悪感の軽減を実感」していた、というわけだ。
あさはかなものだ。
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長々と書いてきたが、この記事を再圧縮してみる。
欧州中世の贖宥という制度にもみられた「原罪の償いの代替」の問題は、中世において免罪という「罪とカネの関係」に変質し、それはやがて宗教改革の原動力となった「カネに対する嫌悪感」を生んだ。
ところが奇怪なことに、この「カネに対する嫌悪感」は近代において「カネ儲けの情熱」に化学変化を起こした。
こうした「カネに対する嫌悪感から生じた、カネ儲けの情熱」は現代社会に蔓延する「罪悪感と寄進の集金システム」として、人々の罪悪感やうしろめたさを煽ってカネに変える集金システムとして機能している。
この「罪とカネの世界史」において、「ドイツ人の登場割合」は非常に多い。
例えば、贖宥状を販売して回っていたヨハン・テッツェル、宗教改革をはじめたマルティン・ルター、そしてスイスの宗教改革者フルドリッヒ・ツヴィングリもドイツ系だ。さらにいえば、カネへの嫌悪感が金儲けの情熱に変質する過程を分析してみせたマックス・ウェーバーもプロイセン生まれのドイツ系だ。
つまり、ドイツ人はかつて免罪符を売りまくる一方で、同時に、免罪符を徹底して糾弾したという、奇妙な歴史をもつということだ。
フォルクスワーゲン不正事件にしても、ドイツ人がこんどは「クリーンディーゼルという名の免罪符」を販売する側にまわっていたという意味でとらえるなら、まぎれもなくこの「罪とカネの世界史」の流れの真っただ中にある。
(ちなみに、今後の記事で書く予定でいるのだが、歴史的にドイツという不思議な国はかつて「古代ローマ帝国のストーカーともいえるほどの模倣者」でもあった。この国のもつ「過剰すぎる情熱と奇妙な矛盾」は世界史のあちこちに種がまかれ、発芽している)
人の無意識な罪悪感や良心の呵責を煽りたてることで、寄進をつのったり、補助金を得たり、売上を稼いだりという「罪悪感ビジネス」は、今の時代、びっくりするほど数多くある。(環境ビジネスの他にも、被害者ビジネスなどでもロジックは似ている)
エコロジーというコンセプトは世間の人が思っているほどクリーンなものではないこと。そして、他人のモラルをやけに突っつきたがる人間や、金儲けを批判したがる人間が、カネ儲けに情熱を傾けていないわけではなく、また、カネ儲けが大嫌いなわけでもないということを、この際ハッキリ言っておきたいと思う。
April 28, 2016
こんなに肩がこる作業だとは思わなかった(笑)
よくこんなめんどくさいこと、1000本以上やったものだ(笑)
2016年4月26日 at Dodger Stadium
最初の写真はドジャー・スタジアムでフランク・ロビンソンに並ぶMLB2943安打を打ったときのイチローだ。この写真の「意味」というか「凄さ」は、わかる人には誰もがわかっていることなのだが、中にはわからない頭の悪い人もいる。今回はそういう、わけがわからない人のために書く(笑)
まず、先日マーリンズ・パークで8号ホームランを打ったときのブライス・ハーパーの写真とイチローを並べてみる。下半身のカタチに注目してもらいたい。
2016年4月21日 Marlins Park
まだ意味がわからない?
そういう人のためだけに、もう少しだけ書く(笑) ほんと、めんどくさいな(笑)
上のイチローとハーパーの比較写真は、「下半身のカタチがまったく同じ」だ。これは誰にでもわかる。
だがひとつ、「決定的な違い」がある。
なぜなら、ハーパーの画像が「スイング前」であるのに対して、イチローのほうは「スイング後」だからだ。
そう。2943安打のイチローは、
「スイング後」のはずなのに、
下半身は「スイング前の基本位置のまま」
なのだ。
さて、その意味を知るために同じ打席のブライス・ハーパーで、通常パターンのバッティング・フォームの推移を見てみる。
この連続写真で、最も重要な、野球好きなら誰もが気づかなくてはいけないと思う点のひとつは、踏み出した「右足のピント」がブレていない、という点だ。
逆にいえば、右足以外、つまり「上半身」と「左足」のピントは常に「ブレて」いる。つまり、それらは「高速移動している」状態にある。
にもかかわらず、「右足」、特に「右膝から下のピントだけ」が、常にあっている。つまり「動いていない」。
これはもちろん、熱心な野球ファンなら誰でもわかっていることだが、左打者の場合、「踏み出した右足」をできるだけ開かないようにしながら「左足と上半身だけを旋回」してバットをスイングしているからだ。(ただし右打者の場合は、左足と右足の股関節の可動域の違いから、必ずしも左打者と同じ動作になるとはいえない)
文字で読むと簡単にできそうに思うかもしれないが、実際にはそうではない。「身体の右半分は回さず、左半分だけ回す」というような、不自然な、無理のある動作は簡単に実現できるものではない。
次にブライス・ハーパーの3枚の写真の「ベルトの位置」(というか臍の位置)を見てもらいたい。
野球における臍下丹田の重要性を熱心に語ったのは、2012年に亡くなった、かの榎本喜八翁なわけだが、スラッガー系の打者はよく「伸び上がるチカラ」とか「スウェイするチカラ」をバットパワーに利用している。
ハーパーの「ベルト位置」を3枚続けて見ると、彼が「少し伸び上がってスイングしている」ことがわかる(他に彼はファースト方向に下がりつつ長打を打つことも多々ある)。
面白いことに、定規をあててハーパーの「眼の高さ」を調べてみると、彼の「眼の高さ」はほとんど変わっていないことがわかる。
伸び上がっている、なのに、眼の高さは変わっていない、のだ。
もちろん、ボールを最後までしっかり見るために視線はあまりブレないほうがいいに決まっているから、スラッガーとしては「伸び上がりながらも、同時に、眼の高さは変えないようにしたい」わけだ。
だがこれも、実際やってみると簡単ではない。人間、伸び上がって動作すれば、眼の高さも当然変わるものだ。
それを防ぐというか、矛盾を解消するには、例えば次のような2つの動作を同時にこなすような「工夫」が必要になってくる。
1)体幹を急激に伸ばして、伸び上がりながらも加えて、左打者なら
2)身体を弓なりに曲げて傾け、目線は上がらないようキープ
3)右足はミートまで固定しながらもさせなければならない。
4)左足と上半身は激しく回転
ややこしいこと、このうえない。
だが、こんなことはあくまで野球のイロハであり、打者はこうした複雑な動作を若い頃から練習で身につけている。
複雑な動作というのをもう少し詳しく書くなら、打者は「無理な姿勢と無理な動作をわざと身体に強いる」ことで、カラダ全体、特に骨が一時的に蓄える「窮屈なチカラ」を、スイング、特にバットヘッドの回転に向けて急激に開放することでボールを弾き飛ばそうとする。
だが、この「窮屈なチカラの開放」というやつは、概して「途中で止めることが難しく、途中で止めると溜めたチカラが発散して消え、無力化してしまう」という難点がある。
だからこそ、投手にとって打者とのかけひきで重要なのは、打者が長年の習慣として身にしみつかせた「連続的なチカラの開放動作」を、途中で止めさせたり、変更させたりすることで、チカラを分散・発散させ、バットヘッドに集中させないという点に真髄があるわけだ。
ここまでくれば最初に挙げたイチローの写真の「意味」は、もう説明しなくてもいいはずだ。彼は
1)「スイング初期の下半身」を基本に忠実な位置のまま中断して、スイング終了後にまでキープし続けたままのである。
2)上半身だけを鋭く回転させて、まるで「鎌で稲穂を刈り取るように」バットを振り切ってライナー性のヒットを打ち
3)そのくせ、顔(目線)だけは、スイングが終わりかけてもずっとミートポイントを見続ける位置に残っている
こんなこと、腰痛持ちの老人にはとても無理だ(笑)
投手の投球術によって打者がバランスやタイミングをズラされて「下半身のカタチを崩されて」しまい、やむなく「手だけ」でバット操作してボールを無理矢理当てにいくのが、「手打ち」だ。
だが2943安打のイチローは、見てのとおり下半身はまったく崩されていない。これは手打ちではない。まったく違う。
普通ならば、バットを止めるか、通常のヒッティング状態に移行していきそうなものだが、イチローは「顔」と「下半身」を「バットを振り始める前の位置」に止めたまま、上半身の回転だけでバットを振り切ってしまうという独特の荒業(笑)を行っている。
身体とバットのすべてを止めるというのならともかく、下半身に加えて顔まで残したままバットだけ振り切る、なんてことは、普通なら筋肉も関節も脳もついていけない。
自分はやれると思う人は、どうぞバッティングセンターででも試すといい。
こういうのを見れば、今シーズンのイチローがコンタクト率が異常に高いのも当然の話で、説明するまでもない。イチローだからこそ、あんなボール球をレフトにライナー性の打球が打てるし、ボールもストライクも関係ない。
いつぞや2012年にヤンキースで地区優勝した年にマット・ウィータースのタッチをかいくぐってホームインした「マトリクス・スライド」もそうだったが、自分の身体を自分の思ったように動作させる能力と、それを支えてきた技術と身体能力とトレーニング、これこそが「イチロー」だ。
2012年10月9日、2012オクトーバー・ブック 『マトリクス・スライド』。ついに揃った 『イチロー 三種の神器』。 | Damejima's HARDBALL
October 29, 2015
思うにこの事件は、よくある経済界の不正事件のひとつではなく、むしろ「この300年ほどの間、ヨーロッパを中心に維持されてきた「コンセプチュアルなハーメルンの笛」である「近代ドイツの神話主義そのものの終焉」なのだと思う。
少し長い話になる。
最も狭い目でフォルクスワーゲン事件をみると、今回の検査不正はヨーロッパで十分すぎるほど普及していた「ヨーロッパのクリーンディーゼル」という 「神話」 の崩壊 を意味するわけだが、もっと広い歴史から眺めると、「ドイツが18世紀から19世紀にかけて大量製造してきた数々の神話の終焉」 につきあたる。
(「神話」と表現したのは、ヨーロッパのディーゼル車が「クリーンさ」を標榜しておきながら、実際にはロンドンやパリの大気をびっくりするほど汚していたからだ。クリーンディーゼルは実際には「クリーン」ではなく、ただのキャッチフレーズに過ぎない)
もう少し詳しく書く。この記事でいう「近代ドイツの神話主義」とは、大雑把に以下のような流れをさす。
18世紀から19世紀にかけ、ドイツは数々の「神話」を人為的につくりだし、流布させてきた。
こうした「ドイツ製神話」のいくつかは、「価値のものさし」として、世界史、特にヨーロッパ史を根本から捻じ曲げるほどの巨大な影響力を持った。
ドイツの「神話製造手法」は、アンリ・ファーブルの自然観察がそうであったように、「世界の文化や歴史、自然などをありのまま、フラットに観察し、対象そのものに内在している法則性を穏やかに発見していく行為」では、まったくない。ぜんぜん違う。
むしろ彼らの手法は「はじめに『理論』ありき」だ。
つまり、彼らはまず最初に、自分たちドイツ人が最も快適さを感じ、最も都合がいい『法則性』を設定し、その「法則性」の説明にとって都合のいい「事例」を古い歴史や自然から収集してくる。
そうして固めた「法則性」と、その事例にあたる「自分たちに都合のいい文化や自然、風土」を、彼らは、自分たちの「ルーツ」、自分たちの「美学」と呼ぶことにしたのである。
まだわかりにくいかもしれない。なので、「近代ドイツ製の神話」の具体例をいくつか挙げてみる。
このラインアップをみれば、世界、特にヨーロッパの美意識や価値観がいかに「近代ドイツ製の神話主義」に影響され、振り回されてもきたかがよくわかるはずだ。
(注:もちろんいうまでもないことだが、東大でドイツ美学について講演を行ったことがあるほどドイツ美学の強い影響下にあった森鴎外や、日本大学芸術学部内にデザイン専攻科を作った山脇巌など、明治期日本の例を見るとわかるように、明治維新後の文化のすべてをドイツに右へ倣えしたわけではないにしても、日本における建築、デザイン、教育、法律、文学など、各方面に「ドイツ製神話主義」の影響がある。例えば、ドイツの有名カリグラファー、ヤン・チヒョルトの意匠をパクッた「佐野研二郎パクリ事件」、新・国立競技場のデザインに失敗したザハ・ファディドを起用しようとした安藤忠雄のミニマリズムにいたるまで、近代日本は「近代ドイツ神話主義」と無縁ではなかった)
「白いギリシア」という「欧州白人の民族的起源に関する神話」の製造
18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマン(1717-1768)が、『ギリシア芸術模倣論』(1755年)や『古代美術史』(1764年)で古代ギリシア芸術を絶賛、目指すべきは古代ギリシアの模倣と説き、ヨーロッパ全土に「ギリシアブーム」を起こした。(ドイツ美学のルーツはイマヌエル・カント『判断力批判』だと思われがちだが、『判断力批判』の刊行は1790年であり、ヴィンケルマンの一連の著作のほうがはるかに年代的に先行していることに注意すべきだ)
後に起きた「実際には白くなかったギリシア彫刻の表面の彩色を、大英博物館内で秘密裡に削りとって、白色に変える」という「大英博物館エルギン・マーブル事件」の背景にも、この「白いギリシア」信仰があった。
参考記事:2012年7月16日、『父親とベースボール』 (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。 | Damejima's HARDBALL
「黄金比」という「美の法則性に関する神話」の製造
19世紀ドイツの物理学者、哲学者グスタフ・フェヒナー(1801-1887)が、1876年に刊行した『美学序論』において、「人々は黄金比を好む」と統計的に示したことが契機となって、「人間の作ったパルテノン神殿も、自然界のオウムガイの螺旋も、黄金比でできている。黄金比こそ、美の法則だ」というような「黄金比信仰」が、デザイン界や建築界を中心に広がった。
だが、実際のオウムガイの螺旋が黄金比ではないことをはじめ、かつて黄金比の例として説明されてきたエピソードの大半が単なる「俗説」に過ぎないことが指摘されはじめて、いまや黄金比信仰は廃れつつある。
「コーカソイド」という「神話的人種分類」の製造
「コーカサス系の人種」という意味の「コーカソイド」(Caucasian race または Caucasoid)は、ドイツの哲学者クリストフ・マイナース(Christoph Meiners, 1747-1810)が1785年の著作 "The Outline of History of Mankind" で使った用語で、旧約聖書でノアの息子たちがたどり着いたアララト山のある「コーカサス地方」にちなんでいる。このことからわかるように、「コーカソイド」はキリスト教文化を背景にした人種分類だ。
ドイツ人医師ヨハン・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach, 1752-1840)は、1779年に人類を5つに分類、さらに1790年代に白、黄、茶、黒、赤の「5つの色」による分類手法を提起した際、「白=コーカソイド」と定義した。
だが今日では、こうした人種分類自体にそもそも科学的根拠がないとする考えも登場してきている(Wiki)
「社会主義」という「神話的社会理論」の製造
19世紀プロイセン(現ドイツ)の哲学者、思想家 カール・マルクス(1818-1883)が『資本論』(1867年)において後の社会主義国家の原点となる資本主義批判を展開。その結果、20世紀以降の世界のあちこちに社会主義を標榜する国家が誕生する結果となった。
だが、それら社会主義の国々の多くでは、社会全体への富の適正な再配分が行われるどころか、むしろ逆に、特権階級の出現、富の独占、不正や収賄の横行など、マルクスが資本主義の歪みとして批判したのと同じ事態が起こり、正常な経済発展が途絶する、ないしは、歪んだ拝金主義の横行がみられて、事実上、大半の社会実験は頓挫した。
かつて記事にしたが、「大英博物館エルギン・マーブル事件」の背景にあるヴィンケルマンの「白いギリシア」の根本に「歴史の捏造」があったように、ここに並べた近代ドイツ製神話の数々は、いずれも根本に「問題」をはらんでいる。 (というか、遠まわしに言ってもしかたがない。「問題」というのをもっと具体的にいえば、捏造、誇張、事実の糊塗、誤謬、人間の本性についての認識の誤りなどである)
これらの神話主義が「問題をはらむ」理由は、これらの事例すべてが「ある種の理想主義だから」、ではない。
人間の暮らしに理想をかかげる、という発想は、ソローの森の生活、サリンジャーの隠遁生活、タラウマラ族のマラソン、テレビアニメのサザエさん、ロハス、無農薬、ヴィーガン、理想がなければ人間らしくないといえるほど、どこの国、どんな時代、どんな地域にも存在する普遍的行為だ。
問題はそこではない。
問題は、人間がつくったものでしかない理論を「美化し、陶酔し、さらには神格化しようとしたがる高揚した感覚」にある。
ここに並べた「近代ドイツの神話群」は、見た目には相互の関係は存在せず、別々のジャンルの話だと思われがちだ。
しかし、これらすべては「裏で通底するもの」を持っている。
例えば「マルクス主義」だが、一見すると、クリーンディーゼルとは無縁に思え、また、古代ギリシアの建築や彫刻、美学史、人類学などとも「まったく無縁の存在」にみえる。
だが、よく観察してみると、その根底に流れる「ユートピア主義」には、「白いギリシア」や「黄金比」などとまったく共通の「18世紀から19世紀に近代のドイツが大量生産した理論に含まれる、理想主義、耽溺、陶酔、神話主義」が十分すぎるほど溢れ返っている。
(だからドイツでナチズムが登場した当初に社会主義を名乗ったのは偶然ではない。ナチズムは政治思想というよりは、一種の「美学」だからだ。こうした神話主義への陶酔は、右だの左だのという単調な政治分類とまったく関係なく、あらゆる局面に存在する)
わかりにくいので、もう少し言い換える。
「近代ドイツの神話主義」の特徴は、「ヒトがアタマの中で考えた、ある種の『美学』とか『美意識』である」、という点にある。それは近年フォルクスワーゲンなどが唱えてきた「ヨーロッパのクリーンディーゼル」においても同様だ。
神話主義の出発点にあるのは、ある種の耽溺や陶酔、ロマン主義であって、自然や人間史そのものでもなければ、検証や実証でもなく、また技術、財政でもない。
それが実在するのか、それは本当に実現可能なのか、実現のための技術的裏づけや財政的裏づけがあるのか、それはそもそも人間の本性に根ざしたアイデアなのか。そうした実務的な問題点を問い詰め、その解決方法を具体化するとか発見するとかする前に、ワーゲンのクリーンディーゼルがそうだったように、「さっさと見切り発車してしまう」点に、神話主義の非常にはっきりした特徴のひとつがある。
こうした近代ドイツの神話主義の特徴をさらに短くまとめるなら、
「人間を神の領域に可能なかぎり近づけようとする理念的試み」といっていい。
間違えてはいけないのは、ここでいう「神の領域」の場所や方向性というのは、世界中の誰にでもあてはまる「普遍」などではない、ということだ。それは単に「特定のヒトたちがアタマの中で考えだした、単なる造形」に過ぎないのであり、そもそも多くの誤りを含んでいる。
こうした「人間を神の領域に可能なかぎり近づけようとする試み」に、当初は悪意はないのだろうとは思う。
だが、近代に生産された神話主義はたいていの場合、ただの「理屈マニア」とか、「ヘリクツ大好き」というレベルでは終わらないし、終われないのである。
なぜなら、「観念の中で人間を神の領域に近づけようとするプロセス」にたずさわることそのものが、「セレブリティという発想の導入」という「選抜行為」、「選抜意識」を、非常に誘発しやすいからだ。
神話主義がやがて、「特定の人間だけが、神の領域に近づくことができる」という発想に腐敗し、さらに「特定の人間は、神の領域を独占してもかまわない」とか、果ては「自分こそが神だ」とかいう危険な発想に堕していくのにそう時間はかからないのが、これまでの人間の歴史の哀しさというものだ。
ほっておけばヒトは、自分勝手に我田引水的な方向に解釈を修正し、理想をなしくずしに堕落させ、努力を忘れ、努力を必要としない「特権」を発明し、さらに不正をはたらいて、特権を維持しようとする。そういう「脆弱さ」は、「近代人が普遍的にもっている欠点」である。
ヨーロッパ近代において民衆は、王権を排除し、「王様だけが世の中を支配する構造」を否定してきたわけだが、その次に訪れたのは、必ずしも「誰もが公平に扱われる世の中」などではなく、むしろ「誰もが王様になりたがる世の中」でしかなかった部分が多々あることを忘れてはならない。
これは「モダニズム以降の世界」がずっと抱えてきた「なかなか直らない欠陥」のひとつだ。トロイの木馬がOSの脆弱性を突くように、モダニズムはこれまでその脆弱性を何度となく突破されている。
そもそも「近代に誕生したユートピア発想」というものは、バラ色の未来だの、「人畜無害」「温厚」「安全」だのと、ポジティブなイメージ満載でイメージされるが、それは非常に大きな「誤解」だ。
例えばカルトやテロの典型的発想は、「ユートピアは現状の醜悪きわまりない『現実』を破壊することで、はじめて実現される」というものなのだ。
つまり、近代のユートピア発想の実態は、穏やかそうにみえる表層とはうらはらに、その裏に「破壊衝動」 や 「不正」 が隠されており、異質な裏表が一体となった、いわば 「ジキルとハイド的思考」 なのだ。
また、近代人の思考方法や生活形態は、今のところとても未熟で、理想追求型社会に長期間耐えられるようにはできていない。
これからのよりよい未来を築く上で最も必要なアイデアは、社会を驚かすような建築物でも、トリッキーなデザインでも、革新的な社会変革理論でもなく、単に「人間の内面性そのものをもっと改善すること」ではないかと言われることが多々あるのは、そのせいだろう。
近代ドイツの神話主義は、ある種の「ハーメルンの笛吹きそのもの」であり、ドイツはこの「笛を作って、吹いてまわる行為(=他人を従わせる『理屈』をつくって、それを輸出する行為)」が大好きだ。と、同時に、近代ヨーロッパは「ドイツ製のハーメルンの笛を聴くこと(=輸入)が大好き」だった。
(注:かつて書いたように、今のイギリス王朝は「ドイツ系」であり、アメリカ独立戦争において、独立を阻止したいイギリスはドイツ人傭兵を数多くアメリカに持ち込んだ。さらに今のアメリカで最も多いのがドイツ系アメリカ人であることも、頭の隅に入れておくべきだろう。
参考記事:2014年12月5日、シェークスピアも予期できなかった、527年後の復讐劇。21世紀版 『リチャード3世』。 | Damejima's HARDBALL
参考記事:2012年7月16日、『父親とベースボール』 (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。 | Damejima's HARDBALL)
蛇足だが、映画『地獄の黙示録』をドキュメンタリー映画だと思っている人も多いかもしれないが、あれはイギリス人作家ジョセフ・コンラッドのアフリカを舞台にした文学作品 『闇の奥』 をフランシス・コッポラがヴェトナム戦争に翻案した作品であって、戦争ドキュメンタリーではない。
コッポラ版では、戦場で19世紀ドイツの音楽家リヒャルト・ワーグナーの『ワルキューレの騎行』を聞きながら戦争行為をするという「設定」がウケたわけだが、少なくとも白人側の「自らを神話化しようとする行為」を描くにあたって、コッポラが近代ドイツ神話主義を育んだ19世紀のドイツ音楽を選んだことは、非常に意図的で明晰なチョイスであったといえそうだ。
フォルクスワーゲンの直近10年間の株価推移
October 26, 2015
まず、大づかみに言うと、いまソフトバンクがホームで連勝し、早くもヤクルトを圧倒しかかっているわけだが、データだけ眺める限り、ソフトバンク側のヤクルト打線に対するスカウティング「だけ」が正確で、ヤクルト側のそれは「雲をつかむように曖昧かつワンパターン」で、両者にはすでに雲泥の差がついているようにしか見えないのだが、どうだろう。
例えば、ヤクルトの投手側の対応で「なるほど」と思わせられた点は、ただひとつ、「ソフトバンクの中軸のひとりである柳田に、インハイのボール球でポップフライを打たせるという攻めを発見していること」という点くらいで、あとは「何もない」のである。
対してソフトバンク側は、どうも「ヤクルト打線の欠点をすべて把握して戦っている」ように見えるのである。
なぜこんなに「戦いの中身に差がついている」のだろう。
ブログ主は「配球」についつい目がいくわけだが(笑)、なんせ日本シリーズのデータを見るまで、ヤクルトの正捕手が相川でなく中村悠平という選手であることを知らなかったくらい、いまの日本野球にうとい(笑)
まして、彼が『世界野球プレミア12』代表に選出されるほど将来が期待されている日本でも指折りの若手キャッチャーであることなど、まったく知らなかった(笑)無知のくせに記事を書いて、ほんとうに申し訳ない(笑)
それにしても、中村悠平の出すサインの「リズム」に、「昔どこかで嗅いだことのあるデジャビュ感が非常に強くする」。このことに、ちょっと驚かされた(笑)
おそらく同チームの先輩・相川や、例のダメ捕手さんにも通じる「同じ系統のなにか」(笑)を持っているからだと思うのだが、それでも、以下の記事にみられるように、日本の野球メディアや評論家には「中村悠平のリードのセンスの良さ」が「絶賛」されているようだから、わからないものだ。
これはいよいよブログ主の時代は終わったのかもしれない(笑)
さて、冗談はさておき、以下の4月22日神宮球場のヤクルト対巨人戦のスポニチ記事を見てもらおう。
3対2とヤクルトのリードで迎えた6回表、一死満塁でバッターは長野だ。カウント2-0から、ストライクが欲しい3球目にシンカー。これを長野が空振りすると、続く4球目5球目もシンカーで、結局長野は「3球連続の空振り」で三振に打ち取られた、らしい。
この「3球連続シンカー」というリードが、「意外性のある、センスのいいリード」と絶賛されている。
ブログ注:
これまで何度も書いてきたことだが、もしこれがMLBなら「カウント2-0」のような「ボール先行カウント」は「典型的なファストボール・カウント」なのだから、「投手がストレート系を投げる確率」は非常に高いと断定できる。
参考記事:2013年3月8日、Fastball Count、あるいは日米の野球文化の違いからみた、WBCにおける阿部捕手、相川捕手と、田中将投手との相性問題。 | Damejima's HARDBALL
だが、なにせ上の記事が扱っているヤクルト対巨人戦は「日本のプロ野球」の話なのだから、たとえ「ボール先行カウント」であっても、「投手が変化球を投げてくる確率はけして低くない」と思うが、どうだろう。
また、問題は他にもある。「バッターが、アウトコースの変化球に超弱い長野だ」という点だ。この長野というバッターが外の低めの変化球に泳いで簡単に凡退するクセのある非常に安っぽい打者であることは、いまや子供だって知っている。追い込んで「外の変化球」さえ投げておけば、このバッターは泳いだスイングで簡単に空振り三振か、内野ゴロに凡退してくれる。そういう打者を変化球で三振させたとしても、それを絶賛する必要がどこにあるだろう。
上の記事に中村悠平のこんなコメントがのっている。これだけを読むと「なるほど」とか思いかねないが、日本シリーズ第1戦の結果に照らして読むと、非常に辻褄があわないことがわかる。
「高校のリードはシンプルで、打者が合っていない球を続けるのが基本でした。でもプロは1球目に遅れても同じ球を続けたらドンピシャのタイミングで打ち返されることも珍しくない。前の反応を鵜呑みにはできないし、同じ球を続ける時はより慎重にならないとダメ」
「リードに正解はないけど、抑えるポイントとしてはっきりしているのはインコースの使い方。どれだけバッターに内を意識させられるかで攻め方の幅も大きく変わってくる」
【プロ野球】解説者たちが絶賛した好リード! 好調ヤクルトに中村悠平あり|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Baseball (ライター:谷上史朗)
4月にこういうコメントをしていた中村悠平捕手だが、この日本シリーズ第1戦で彼は、以下にみるような目に遭って、敗戦を喫している。ぜひ、上の記事と下の記事を連続で読んでもらいたい。
1回裏・李大浩の二塁打
カウント1-0から、2球目・3球目と「同じ変化球」を連投。2球目こそ空振りだったが、3球目はライト線に軽打され、ツーベース
4回裏・松田のソロホームラン
カウント1-1からの3球目は、内角に食い込むスライダーで、しっかり腰を引かせた。だが直後の4球目、松田は、けして甘いコースではない「外角低めのシンカー」に踏み込んでホームラン
ヤクルト中村が得た2つの収穫 デホの駆け引きと松田の決め打ち ― スポニチ Sponichi Annex 野球 (ライター:山田忠範)
ブログ主の考えでは、上の2つの「事件」のうち、「第1戦で、松田にアウトコース低めの変化球をホームランされた」ことは、中村悠平が「自分の手の内の引き出し」がまったくプロに通用していないことがはじめて彼自身にもわかって、萎縮した、という意味で、ヤクルトの日本シリーズにとっての「致命傷」になったと思う。
その理由を以下のデータから感じとってもらいたい。「日本シリーズ第2戦」における松田選手への配球だ。
ヤクルトバッテリーは第1戦で松田に「インコースに捨て球を投げてえぐってみせた直後に、勝負にいった弱点であるはずの『アウトコース低めシンカー』をホームランされている」わけだが、その後、中村悠平が「松田のインコースにまったく配球しようとしていない」ことは、このデータからして明白だ。
(7回裏オンドルセクが2球目にたった1球、松田のインコースを突いているのだが、これは明らかに単なるカウント稼ぎの意味しかなく、勝負球ではない。勝負は次の3球目、ありきたりなアウトローのフォークだった)
4回裏
2ランホームラン直後
無死走者なし
センター前ヒット
5回裏
2死満塁
三振
7回裏
1死2、3塁
レフトフライ
中村悠平が「松田のインコース」に絶対に配球しようとしない理由は、子供でもわかる。「データ上、松田が『右投手のインコース』に非常に強いバッター」だからだ。
と、同時に、「データ上、松田は『右投手のアウトコース』の球で合計43三振もしているバッター」でもある。だからアウトコースばかり投げて「逃げ」たがる。(データ例:松田 宣浩【ソフトバンク】 コース別(ゾーン別)打率・成績)
だが、である。
現実の野球では、どうだ。
ヤクルトバッテリーは、「データ上、アウトコース低めでうちとれるはずの松田」に、その「アウトコース低め」を「ホームランされている」のである。
その理由は、これまた子供でもわかる。
「インコースをえぐってみせた直後に、『アウトコース低めの変化球』を勝負球として投げてくることが、打者・松田にバレていた」からだ。
そして中村悠平は、第1戦でホームランされて失敗しているわりに、第2戦でもまったく同じ配球をしている。第2戦の5回裏、満塁の場面で「ど真ん中に入ってしまった投球ミスのまっすぐ」をタイムリーされなかったのは、単にバッター松田が「びっくりして打ち損じた」、ただそれだけのことだ。
ちなみにソフトバンクの柳田も、松田と同じ「データ上、インコースの得意なバッター、インコースを苦手にしないバッター」だが、にもかかわらず、ヤクルトの投手のインコースで凡退してくれている。
これは、インコース好きの柳田にインハイの「ボール球」を振らせることに「たまたま」成功しているからだけのことであって、もし中村悠平が意図的にインコースに「ストライク」を集中したら、柳田もインコースを打つようになる。
リードに「絶対」なんてものは、「ない」。
なぜなら、好調時のプロは、たとえ苦手球種、苦手なコースであろうと、「来るのがわかっている」なら、その球をヒットやホームランにできてしまうからだ。
「インコースをえぐってみた」程度のことで鼻高々になって、どうする。「ああ、次は『アウトコースの変化球』だろうな。このキャッチャー、ものすごく単純なタイプだからな」くらい、誰でも考えるのが、『プロ』(とプロの観察者)というものだ。高校野球だの、直らない欠点をもっている二流打者・長野などと一緒くたに語ってもらっては困る。
先日のALCSで「あらかじめ左足を引いておいて、だが体はまったく開かず、わざとヘッドを遅らせてインコースを打ちぬいた」トロントのホセ・ボティースタのホームランの素晴らしいフォームじゃないが、中村悠平には当分「世界レベルのプロの凄さ」は「理解不能」だと思う。
ボティースタの3ランの写真。「かなりアウトステップしている」にもかかわらず、「左足のつま先がファースト側を向いていること」に注目したい。インコースの2シームをレフトにでなく「センター」にホームランできる秘密がここにある。 pic.twitter.com/Hzqoyj6nUk
— damejima (@damejima) 2015, 10月 15
まぁそんなわけで、「こういうパターン配球をすれば打者はひっかかってくれるだろう」なんて鉄則なんてものは「ない」にもかかわらず、強情に同じ「自分の好きな配球パターン」を繰り返したがる中村悠平が「名捕手」だとは、ブログ主には到底、まるっきり、思えない。
よくいわれるように、「仕事」というものは「自分のやりたいことをする」ことではなく、「相手が『してもらいたい』と望むことを探りあて、それを実際にやってあげる」ことだ。
それと同じく、「配球」というものの極意は、「自分の好きな、あるいは自分の得意な配球パターンやセオリーをくりかえし実行すること」ではなく、また「相手のデータ上の弱点を突くこと」だけでもなく、「相手の予想や期待に絶対につかまることなく、飄々と裏切り続けること」にある。
August 27, 2015
すると、どういうことが起きるか。
「全試合の4分の3を占める右投手登板ゲームで大量の貯金を作れたチームが、地区優勝、あるいは、ポストシーズン進出を決める」ことになる。2015年でみても例外はない。
2015年「対右投手貯金」ランキング
太字は8月27日現在の地区首位チーム
STL 33
KCR 27
PIT 23
CHC 17
LAD 13
NYM 11
HOU 10
TOR 9
2015 Major League Baseball Standings & Expanded Standings | Baseball-Reference.com
この現象を、めんどくさいので短く「右投手貯金」とでも呼んでおこう。
この「右投手貯金」現象、
逆に「自軍ローテ投手視点」から見てみると、どうなるだろう。
MLB全体の登板割合が「右:左=3:1」ということは、ひとつのチームのローテ投手5人でみると、「右3人、左1人」が基本パターンで、あと1人がそのチームの投手事情やスタジアムの構造によって、右が左かが決まるというような投手構成が想定される。だから「右4人、左1人」か、「右3人、左2人」かはチーム事情とかによるわけだ。
上で見たように、地区優勝するようなチームは「大量の『右投手貯金』を作って、逃げ切ろうとする」わけだから、逆の視点から言うと、「自軍の右投手(3人か4人程度)には、絶対に負け越してもらっては困ることになる。とりわけ、同地区ライバルとの対戦カードでは、右投手先発ゲームでは絶対に負け越したくない。
一方「左投手(1人か2人)は、勝率5割程度でも、まぁ、しょうがないかな」という話になる。
短くまとめると、こんなふうになる。
自軍の右腕投手:負け越したら地区首位にはなれない
自軍の左腕投手:勝率5割程度で十分
さて、典型例として、多くの「右投手貯金」を作ることに成功しているセントルイスの投手陣を見てみる。
まさに「方程式どおり」の布陣と成績だ。右腕の4人、特にワッカ、マルティネスの2人で「自軍の右投手貯金」を大量に貯めこんだ。唯一の左腕ガルシアは勝率5割程度だが、これで十分。セントルイスは「右投手貯金」の稼ぎ頭マイケル・ワッカを手放すことは永遠にないと思う。いい人材を育て上げたもんだ。
右 マイケル・ワッカ 15勝4敗
右 カルロス・マルティネス 13勝6敗
右 ジョン・ラッキー 11勝8敗
右 ランス・リン 10勝8敗
左 ジェイミー・ガルシア 6勝4敗
カンザスシティはどうだろう。
複数年契約の左腕バルガスのDL入りで、右のジョニー・クエトを獲ったため、今は典型的な「右投手の多い構成」になってはいるが、もともと絶対的な右ピッチャーがいない。そのため「右投手貯金」はできていない。だが、貯金の大半を同地区ライバルのホワイトソックス(10勝3敗)から挙げていること、これが非常に大きい。また、同地区の全チームに勝ち越していることも地区首位に大きく貢献している。いわゆる全員野球的な勝ち方。
右 エディンソン・ボルケス 11勝7敗
左 ジェーソン・バルガス 5勝2敗 DL
右 ジェレミー・ガスリー 8勝7敗
右 ヨーダノ・ベンチュラ 9勝7敗
左 ダニー・ダフィー 7勝6敗
右 ジョニー・クエト 2勝3敗(トレードで獲得)
次にヒューストン。
サイ・ヤング賞候補の左腕ダラス・カイケルがいるため、右3人、左2人。同地区TEXに4勝8敗と負け越しているのが困りものだが、SEAに9勝4敗、LAAに8勝5敗と、カンザスシティと同じく同地区相手に貯金を作ることで地区首位を守っている。
「大量の右投手貯金」を作ってくれる右腕が2人もいるセントルイスと違って、ヒューストンの「右投手貯金」はマクヒューひとりだけだが、そのかわり左腕ダラス・カイケルがいる。この「左腕でも稼げること」が、チームに絶大な効果がある。他チームなら勝率5割程度でしかたないはずの「左投手」が「大量の貯金をもたらして」くれる上に、左腕投手には負けたくない他チームに多大な打撃を与えてくれるわけだから、ダラス・カイケルの存在は実に大きいのだ。ア・リーグのサイ・ヤング賞はこの人だろう。
右 コリン・マクヒュー 14勝7敗
左 ダラス・カイケル 15勝6敗
右 スコット・フェルドマン 5勝5敗
左 スコット・カズミアー 7勝8敗
右 ランス・マキュラーズ 5勝4敗
トロントは、珍しく左投手寄りのチーム。
右のハッチソンは12勝2敗と勝ち星こそ多いが、内容は良くなく幸運に恵まれただけの結果で、実際に頼りになるのは、むしろエストラダとバーリー。そこでGMアンソポロスが不振のデトロイトからプライスを獲ったところ、プライスが8月の月間最優秀投手を受賞する勢いで連勝してくれて、チームは8月ほとんど負けなかったため、NYYから首位の座を奪えた。プライスがシーズン後にいなくなったら、おそらく来期は右のローテ投手を大金かけて獲ることになるだろう。
右 ドリュー・ハッチソン 12勝2敗
左 マーク・バーリー 13勝6敗
右 マルコ・エストラダ 11勝8敗
右 アーロン・サンチェス 6勝5敗
右 R.A.ディッキー 8勝10敗
左 デビッド・プライス 4勝0敗(トレードで獲得)
ドジャースは「本来なら」左投手に寄ったローテ。
同地区のCOL、ARI、SDPから大量の貯金を稼いでいるのはいいが、ひとつ気になるのは、最大のライバルであるSFGに3勝9敗と大きく負け越していること。2015年のカーショーはジャイアンツ戦に3回登板して、0勝2敗と勝てていない。打線も、AT&Tパークでは打率.211と酷い。右のグレインキーだけが頼りという感じで、なんともこころもとない。先発に左右の軸があるヒューストンより、ある意味、たよりない。
右 ザック・グレインキー 14勝3敗
左 クレイトン・カーショー 10勝6敗
左 ブレット・アンダーソン 8勝8敗
右 カルロス・フリアス 5勝5敗
左 アレックス・ウッド 2勝2敗(トレードで獲得)
August 25, 2015
よく、イチローのヒット数が多い理由について、「1番打者は打数が多いのだから、ヒット数も多くて当然だ」などと、知ったかぶりに「間違ったこと」を公言するアホウをネット上でたまに見かけるわけだが、以下に挙げるランキングを見れば、そうした発言の馬鹿さがひとめでわかる。
イチローの通算ヒット数が多い理由は、1番打者だからではなく、「他の誰よりも効率的にヒットを積み重ねてきた打者だから、通算ヒット数も多くて当然」というのが正しい答えなのだ。
ちなみに球聖タイ・カッブは、3.123(24シーズン)という超絶的な数字である。ヒット数が多いだけでなく、ヒット生産のペースがMLB歴代No.1のありえないハイペースなのだ。
一方、ピート・ローズの「通算15890打席」はMLB記録であり、ピート・ローズとタイ・カッブは、プレー期間こそ「24シーズン」で同じだが、こと「打数だけ」で比べると、なんと「2806打席」も、ローズのほうが多い。
ピート・ローズ 15890打席(MLB記録)
タイ・カッブ 13084打席
差異 2806打席
こうした事実から、なぜ永久追放者ピート・ローズが、長らくタイ・カッブが持っていたMLB通算安打記録を上回れたのか、理由がわかる。
単にピート・ローズは「打数」が果てしなく多かった、だから球聖タイ・カッブの通算ヒット数を上回れた、ただそれだけに過ぎないのである。
イチローが毎日1番を打っていた時代の年間打数が約700だったわけだが、それでいうと「2806もの打数の差」というと、「イチローのようなレギュラーの1番打者が、4シーズン打つくらいの打数にあたる数字」なのだ。
そりゃ打席に立つことそのものに必死だったピート・ローズのほうが、ヒット生産効率歴代1位のタイ・カッブより、ヒットの実数だけは多くなるのも当然の話といえる。
ついでだから、以下に「3000安打達成者」の「ヒット1本あたり打席数」を、ヒット数上位に限ってまとめてみた。(小数点以下第4位を四捨五入 ジョージ・シスラーは3000安打未達成だが入れておいた)
このランキングからも、なぜタイ・カッブが「球聖」と呼ばれるのかがよくわかる。また、かつてイチローの前のシーズン安打記録保持者ジョージ・シスラーが、3000安打未達成ながらも、球聖タイ・カッブに迫る神がかり的な安打製造機だったこともよくわかる。タイ・カッブもシスラーも、伊達に長くMLB記録保持者だったわけではないのだ。
タイ・カッブ 3.123
(ジョージ・シスラー 3.205 3000安打未達成)
ナップ・ラジョイ 3.226
トニー・グウィン 3.256
キャップ・アンソン 3.298
トリス・スピーカー 3.413
ポール・ワナー 3.416
ホーナス・ワグナー 3.435
イチロー 3.437
(2016年6月19日現在)
ロッド・カルー 3.456
スタン・ミュージアル 3.503
デレク・ジーター 3.637
ポール・モリター 3.666
ジョージ・ブレット 3.686
ハンク・アーロン 3.697
ピート・ローズ 3.727
ウィリー・メイズ 3.806
ロビン・ヨーント 3.848
エディー・マレー 3.936
デイブ・ウィンフィールド 3.974
カル・リプケン 4.046
クレイグ・ビジオ 4.086
カール・ヤストレムスキー 4.092
リッキー・ヘンダーソン 4.369
上のMLB歴代ランキングから「約100年前、20世紀初頭の選手たち」を除いてみる。すると、近代のMLBにおいて「3.5以下の数字を残した選手」は、トニー・グウィン、イチロー、ロッド・カルー、わずか3人しかいないことがわかる。
トニー・グウィン 3.256
イチロー (2001-2010のみ) 3.270
イチロー (通算) 3.421
ロッド・カルー 3.456
以下 スタン・ミュージアル 3.503
近代野球における投手の質的発達、新たな変化球の開発、投球術の進化、圧縮バットの禁止、飛ばないボール、加えて、2000年代以降の打撃スカウティング技術の発達、飛球分析に基づく守備のポジショニングなど、さまざまなバッティングをめぐる環境変化を考えると、イチローが残してきた数字はまさに「近代野球の頂点に君臨する数字」といえるだろう。