January 07, 2010

ノーラン・ライアンのコーチを受ける若き日のランディ・ジョンソンピッチング改造に取り組む
若き日のランディ・ジョンソン

“I was 40 years old, and to throw a 98-mile-an-hour in the ninth inning for the last out of the game, I still remember that,” Johnson said.
引退記者会見:自らのキャリアで最も輝ける瞬間は? と問われたランディ・ジョンソンは、「40歳の年齢で完全試合を達成し、そして9回でも98マイルを投げられたこと」と答えた)
Randy Johnson Retires; Matt Holliday Remains With Cardinals - NYTimes.com



2004年5月18日
ランディ・ジョンソン完全試合のBOX SCORE

May 18, 2004 Arizona Diamondbacks at Atlanta Braves Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.com


ノーコン時代のランディ・ジョンソン

引退を発表したランディ・ジョンソンのキャリアをまとめたMLB Tonightの動画をみると、若き日のランディがひどいノーコン投手で、四球を出しまくっていたことを示す貴重なゲーム映像や、ノーラン・ライアンの指導を受けたことでピッチングが大きく改善され、大投手への道を歩きだしたことなど、ランディの22年の長いキャリアが一望できる。たいへんよくできた動画なので、ぜひ見てもらいたい。
MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson
Baseball Video Highlights & Clips | MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson - Video | MLB.com: Multimedia

ノーコン時代のランディ・ジョンソンの
与四球数・WHIP・K/BB

1989年 96   1.51  1.49
1990年 120  1.34  1.62
1991年 152  1.50  1.50
(=ノーラン・ライアンがPitcher's Bibleを発行した年)
1992年 144  1.42  1.67
1993年 99   1.11  3.11
1994年 72   1.19  2.83
Randy Johnson Statistics and History - Baseball-Reference.com

動画によればランディが1989年にシアトルにやってきたのは、あまりにもノーコンすぎてモントリオール・エクスポズにいられなくなったからだ。シアトルでの最初の4年間も、当時のWHIPの悪さをみればわかるように、四球数が毎シーズン100を越えていた。
シアトルに来たばかりのランディがまだたいした投手ではなかったことをみると、1990年代のマリナーズの観客動員がまだまだ低い数字に終わっていた理由もわかる。初期のランディ・ジョンソンは、まだ「ビッグ・ユニット」ランディ・ジョンソンではなく、ブランドン・モローのような、豪速球のノーコン投手のひとりにすぎなかったわけだ。(これはモローがダメ投手という意味ではない。ノーコンを修正するのは、ランディ・ジョンソン、ノーラン・ライアンでさえ、周囲の多大な協力があってはじめて実現した、ということである)

創立時以来のマリナーズ観客動員数推移グラフ


ランディ・ジョンソンのノーコン矯正のきっかけを作った
「ジ・エクスプレス」ノーラン・ライアンと
投手コーチのトム・ハウス


MLB Tonightの動画でランディ・ジョンソンのピッチング・フォームの改善のきっかけはノーラン・ライアンによるピッチング指導などと説明されているが、ライアンはランディがシアトルに移籍した90年代前半にはまだ現役投手であり、生まれ故郷のテキサスに所属していたわけで、なぜ同地区ライバルチームの投手であるランディをコーチングするに至ったのか? ちょっと経緯はよくわからない。
それはともかく、ノーラン・ライアンの投球術指導の能力の高さは、現在では折り紙つきだ。(例:スポーツ大陸)ノーラン・ライアンの著書Nolan Ryan's Pitcher's Bible (with Tom House, 1991)は、メジャー投手たちのピッチングの定番教科書となっていることで有名であり、ボストン松阪大輔の愛読書としても知られている。

このNolan Ryan's Pitcher's Bibleは、ライアンと、1985年にテキサスで投手コーチに就任し、80年代のノーラン・ライアンを甦らせたといわれている心理学の得意なトム・ハウスとの共著。
トム・ハウスはシアトル生まれの元投手で、いくつかの球団を経て、球団として発足したばかりの頃のマリナーズに入団、77年と78年に2シーズン投げて故郷のシアトルで引退している。
Tom House - Wikipedia, the free encyclopedia

コーチとしてのトム・ハウスはシアトルに在籍したことはないのだが、ランディ・ジョンソンとどこで接点があったのだろう?
ランディが若い頃に所属したモントリオールやシアトルでは、トム・ハウスのコーチ歴はないが、両者ともアストロズなら在籍したことがある。そのため、最初はトム・ハウスがランディを指導するとしたら、98年のランディのアストロズ在籍時か?とか思ったのだが、ランディはヒューストンに移籍する前の96年にトム・ハウスの共著でFit to Pitch(Human Kinetics Publishers, 1996. ISBN 0-87322-882-0. With Randy Johnson.)という本を出版している。
つまり、ランディとトム・ハウスの関係が始まったのは、90年代後半ではないく、90年代前半のシアトル時代なのは間違いない。

ちなみに下記の現地記事でも、ランディがトム・ハウスのコーチングを受けたのは、やはり90年代初頭のランディのシアトル時代、としている。やはりランディがシアトルにいて、他方ノーラン・ライアンとトム・ハウスがテキサスにいた90年代前半に、彼らの親密な関係は始まっている。
In the struggle to overcome his problems with ball control, Johnson got some valuable tips from world-famous pitching authority Tom House during the early 1990s. At the time House was pitching coach for the Texas Rangers.
Randy Johnson - Related Biography: Pitching Coach Tom House

これはただの想像だが、1991年時点ではノーラン・ライアンが、トム・ハウスとの共著Nolan Ryan's Pitcher's Bible本を出版したばかりの時代で、出したばかりの本のプロモーションがわりに、別球団のシアトルのノーコン投手ランディ・ジョンソンを指導してみせて、著書の内容の正しさを世間にデモンストレーションした、ということかもしれない。
指導対象にシアトルの投手を選んだのは、トム・ハウスがシアトル生まれで、しかも70年代にシアトルで投手をしていたというコネクションを利用したのかもしれない。
Nolan Ryan - Wikipedia, the free encyclopedia
ちなみに、テキサスで1988年にメジャーデビューした19歳のイヴァン・ロドリゲスがメジャー昇格2日目の6月21日にバッテリーを組んだのは、44歳のノーラン・ライアンだった。まだ新人のパッジも、おそらくノーラン・ライアンからは色々と感化されたに違いない。(そのわりには近年のリードは単調さが目立つが 苦笑)
Historical Player Stats | MLB.com: Stats


ランディ・ジョンソン以上のノーコン投手だった
ノーラン・ライアン


ノーコン投手時代のランディ・ジョンソンをコーチングして、彼が大投手になるきっかけをつくった「ジ・エクスプレス」ノーラン・ライアンだが、若い頃のライアン自身がランディ以上のたいへんなノーコン投手であり、ライアンのキャリア自体がまるでランディそっくりである(笑)だから、この師弟関係、なんとも微笑ましい。
ライアンはサンディ・コーファクスがドジャースで奪三振のメジャー記録をつくった1965年に、トム・シーバードン・サットンの先発投手全盛時代のメッツに入団した。以降ずっとノーコンに苦しんで、偉大な先発投手だらけのメッツでは居場所がなく、1971年12月に、アナハイムに移転する前の弱小球団だった時代のカリフォルニア・エンゼルスに放出された。
つまり、ノーラン・ライアンの若い頃は、ノーコンすぎてモントリオールにいられなくなってシアトルに放り出されたランディ・ジョンソンの若い頃そっくりなわけだ(笑)
若い頃のノーラン・ライアンは、1973年にサンディ・コーファクスのシーズン奪三振記録を塗り替えているわけだが、同時に、ランディ・ジョンソン以上の最悪の四球王でもあり、メジャー歴代ベスト3に入るシーズン200個以上もの四球を、それも2度出したことすらある。WHIPこそ、若い頃のランディ・ジョンソンの酷い数値に比べればマシだが、いかせんグロスの四球数がハンパなく多い(苦笑)

ノーコン時代のノーラン・ライアンの
与四球数・WHIP・K/BB

ちなみに、シーズン与四球204は、MLB歴代2位。202は、MLB歴代3位。183は、歴代7位(笑)さすが、何をやらせてもスケールが大きいノーラン・ライアン(笑)
1971年 NYM 116  1.59  1.18
1972年 CAL 157  1.14  2.10
1973年 CAL 162  1.23  2.36
(=ジェフ・トーボーグの引退シーズン)
1974年 CAL 202  1.27  1.82
1975年 CAL 132  1.43  1.41
1976年 CAL 183  1.32  1.79
1977年 CAL 204  1.34  1.67
1978年 CAL 148  1.41  1.76
1979年 CAL 114  1.27  1.96
Nolan Ryan Statistics and History - Baseball-Reference.com


ノーラン・ライアンのノーコン矯正のきっかけを作った
捕手ジェフ・トーボーグ


自分自身がもともとノーコン投手だった若き日のノーラン・ライアンに大投手になるきっかっけを作ったのが、当時カリフォルニア・エンゼルスでキャッチャーをやっていたジェフ・トーボーグ、というのも有名な話だ。
トーボーグは、「ライアンはモーションを急ぐために、足の踏み出しに腕の振りが追いついてない」と、フォームの欠陥を指摘したという。
その後ライアンは、監督や投手コーチも交えフォーム改造に取り組んだが、後年「機械的でうんざりすることもあったが、結局はこの作業が私のピッチングを変えることになった」と振り返っている。
(原資料:武田薫 「ノーラン・ライアン 「永遠の奪三振王」──その揺るぎなき本質」 『スポーツ・スピリット21 No.20 メジャーリーグ 栄光の「大記録」』、ベースボール・マガジン社、2004年、ISBN 4-583-61303-2、32-35頁。)

トーボーグは、後に監督業に転じて、クリーブランド、シカゴ、モントリオール、メッツ、フロリダの監督をやり、1990年にはシカゴでア・リーグ年間最優秀監督賞を受賞している。伊良部のフロリダ時代の監督でもある。
Jeff Torborg - Wikipedia, the free encyclopedia



捕手ジェフ・トーボーグにマウンドから投球術を伝授した
サンディ・コーファクス


Sandy Koufaxのピッチングフォーム

サンディ・コーファクスの背番号ウオッシュバーンロブ・ジョンソンの共同作業(参照資料:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:『ドルフィン』 by ウオッシュバーン&ロブ・ジョンソン)を思いおこさせるようなピッチャーとキャッチャーの共同作業によって、ノーラン・ライアンが大投手になるきっかけをつくったジェフ・トーボーグだが、彼がキャッチャーとして、とてもつもないノーコン投手だったノーラン・ライアンの球を受けていて、ライアンのフォームの欠陥を見抜くことができた理由は、トーボーグがドジャース時代に、あのサンディ・コーファクスの球を受けていたことにあるという。



トーボーグは、キャッチャーとしてカリフォルニア・エンゼルスに1971年に来たが、その前は、1964年から1970年まで7年間同じ西海岸のロサンゼルス・ドジャースに在籍していて、ノーラン・ライアンが1973年に記録を塗り替えるまでシーズン奪三振のMLB記録をもっていた大投手サンディ・コーファクスの球を実際に受けていた。
コーファクスの現役は1955年から1966年(58年にドジャースはブルックリンからロサンゼルスにホームタウンを変えた)だから、トーボーグとコーファクスは1964年からの3シーズンしかキャリアの重なりがないが、よく知られているように、コーファクスの全盛期はキャリア最後の4年間だから、大投手サンディ・コーファクスが最も輝きを放ったシーズンを体で最もよく知るキャッチャーが、このジェフ・トーボーグということになる。
コーファクスがメジャー奪三振記録382を作ったのも、最後のノーヒット・ノーランを達成したのも、引退前年の1965年。キャリア最後の4シーズンでコーファクスのWHIPは、4シーズン連続で1.00を切っている。ちなみに、コーファクスのキャリアWHIPは、1.11という、とてつもない数字だ。

サンディ・コーファクス 栄光の4年間の
与四球数・WHIP・K/BB

1963年 58  0.875  5.28
1964年 53  0.928  4.21
1965年 71  0.855  5.38
1966年 77  0.985  4.12
Historical Player Stats | MLB.com: Stats

Sandy Koufax Statistics and History - Baseball-Reference.com

そして、このコーファクスもまた、ランディ・ジョンソン、ノーラン・ライアンと同じく、若い頃は速球は速いもののコントロールの悪さから、ノーラン・ライアンほどではないが、四球が多かった(笑)
1955年 28  1.464  1.07
1956年 29  1.619  1.03
1957年 51  1.284  2.39
1958年 105 1.494  1.25
1959年 92  1.487  1.88
1960年 100 1.331  1.97


サンディ・コーファクスが達成した最後のノーヒッター(=1965年9月9日の完全試合)、そして、サンディ・コーファクスの奪三振記録を塗り替えたノーラン・ライアンが記録した最初のノーヒッター(1973年5月15日)、この両方の試合でキャッチャーをつとめたのが、ジェフ・トーボーグであるのも有名な話だ。
ちなみにトーボーグは、ライアンが最初のノーヒッターを達成した1973年シーズンを最後に引退している。まるでコーファクスの投球術をライアンに授けるためにメジャーリーガーになったような捕手である。

1965年9月9日
サンディ・コーファクスの完全試合のBOX SCORE

September 9, 1965 Chicago Cubs at Los Angeles Dodgers Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com
コーファクスの最後のノーヒッターゲームだが、実はドジャース側もわずか1安打。つまり、両チームあわせて、たった1安打の、超投手戦。試合時間はわずかに1時間43分。コーファクスはカブスを8回、9回と、6者連続三振に打ちとるなど、14三振を奪った。
1973年5月15日 ノーラン・ライアンの
最初のノーヒットノーランのBOX SCORE

May 15, 1973 California Angels at Kansas City Royals Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com



トーボーグ自身は、キャリア10年で打率,214、ヒット数わずか297本と、バッターとしてはさえない成績に終わったが、キャッチャーとして(または指導者として)、サンディ・コーファクスの投球術(あるいは投球フォームなのかもしれないが)をノーラン・ライアンに伝えた、という意味では、メジャーの歴史に残る大仕事をしたといえる。
「メジャーのキャッチャーは壁だ」なんていうのは、ただの迷信だ(笑)
またノーラン・ライアンは、キャッチャーのジェフ・トーボーグを経由することで、時代の離れたサンディ・コーファクスの投球術を受け継ぐことができた。さらにライアンは投手コーチのトム・ハウスとともにPitching Bibleとして集大成する仕事を成し遂げることでメジャーの投手たちを啓発し、ことランディ・ジョンソンに関しては、手取り足取りノーラン・ライアン流投球術のエッセンスを授けた、といえる。

1試合15奪三振以上試合数

1位 29試合 ランディ・ジョンソン
2位 26試合 ノーラン・ライアン
3位 10試合 ペドロ・マルチネス
4位  9試合 ルーブ・ワッデル
4位  9試合 サンディー・コーファックス
4位  9試合 ロジャー・クレメンス







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