May 11, 2010

なんとか勝率5割を維持していた2010シアトルの4月末から連敗して低迷しだした原因は、誰がみてもわかるとおり、打線にある。4月末のホワイトソックス戦(ビジター)の連続サヨナラ負けスイープのショックもあっただろうが、根本的にはやはり、あまりにも打てなさすぎる打線にあった。
3点台中盤を維持しているチーム防御率のリーグ順位を見てもわかるとおり、投手陣は全体としてはよく頑張ってくれている。
投高打低のチーム状態は去年とまったく変わっていない。というか、昨年もダメだった打線の低迷はほとんど何も解決されていない。グリフィーやロペスにクリーンアップを任せたり、ロスターに2人もDHがいる愚策も相変わらずだ。


その打撃低迷の責任をとらされる形で、打撃コーチAlan Cockrell アラン・コックレルが解雇され、かわりに3Aタコマで打撃コーチをしていた元・中日ドラゴンズの3年連続首位打者、アロンゾ・パウエルにメジャーでの打撃コーチの椅子が巡ってきた。
この顛末については、既に某巨大掲示板などでは詳しく触れられ、コアなファンは事情をよく知っているわけだが、後で今シーズンあるいは2009シーズンを振り返る上で重要な話、つまり、チームのマネジメントの失敗や、打撃の指導方針の失敗についての話が少し含まれているので、今のうちに簡単なメモを残しておこうと思う。


まず、クビになった打撃コーチアラン・コックレルの経歴だが、フットボール選手として高校から大学にかけて大変に有能で非凡な学生生活を送った人なのだが、NFLではなく、MLBに進んだ。その後は、33歳でメジャーに上がるような長い下積み生活を送っただけに終わっている。ここが彼の指導力を見る上で、ひとつのポイントかもしれない。
アラン・コックレルの経歴
Alan Cockrell - Wikipedia, the free encyclopedia

高校時代のコックレルはQBとして3499ヤードのパスゲイン、44回のタッチダウンパス成功という華々しい活躍だけでなく、1541ヤード、36回のタッチダウンというラッシングを記録し、キッカーとして8回のフィールドゴール成功するなど、おそるべきスーパープレーヤーだった。
その後コックレルは奨学金を得て、ホール・オブ・フェイマーのNFLプレーヤー、レジー・ホワイトや、NFLのMVPを歴代最多の4度獲得している名QBペイトン・マニングを輩出してきたカレッジフットボールの名門テネシー大学に進んだ。
テネシーでもコックレルは大学史上初の「ルーキーであるにもかかわらず先発したクオーターバック」になり、この記録はその後も、コックレル自身とペイトン・マニングを含め、4人しか達成していない。
University of Tennessee - Wikipedia, the free encyclopedia

だがフットボーラーとしてはスーパールーキーだったコックレルだが、野球ではダメだった。

コックレルがドラフトされたのは1984年で、サンフランシスコ・ジャイアンツが外野手として1位指名した(全体9位)。84年ドラフトではオークランドがマーク・マクガイアを1位指名(全体10位)しているのだが、コックレルはいちおうマクガイアより期待度が高かったことになる。
しかしそんなコックレルがMLBでメジャーデビューできたのは、ドラフトから12年たった96年のコロラドで、出場はわずか9ゲームのみ。年齢はなんと33歳でのメジャーデビューであることからもわかる通り(怪我の長期療養かなにか、事情があったのかもしれないが)、彼に野球の才能は無かった。
Alan Cockrell Statistics and History - Baseball-Reference.com

コーチとしてのコックレルだが、2006年から3シーズン、コロラドの打撃コーチを務めた。2007年にコロラドはチームとしてナ・リーグ最高打率を記録し、リーグ優勝してワールドシリーズ進出を果たした。
だが、翌2008シーズンにはシーズン74勝88敗という不甲斐ない成績に終わり、チームは打撃コーチのコックレルはじめ、ベンチコーチ、三塁コーチの主要コーチ3人をクビにした。
Disappointing season costs three Rockies coaches their jobs - MLB - ESPN

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一方、コックレルの後任のアロンゾ・パウエルだが、彼は経歴的にシアトル、そして日本とたいへん縁が深い。
メジャー現役時代には91年に新スタジアムのセーフコが出来る前のキングドーム時代のシアトルで、ユーティリティ・プレーヤーとして57ゲームに出場した。(打率.216 OBP.288 SLG.369 OPS.657)
メジャーでのパウエルのスタッツ
(1987年、1991年)

Alonzo Powell Statistics and History - Baseball-Reference.com

91年はまだア・リーグが3地区制になる前の2地区制時代で、シアトルは83勝79敗で7チーム中の5位。当時のロスターは、野手に、サード守備についていた時代のエドガー・マルチネス、ショートに守備の名手オマール・ビスケール、マリナーズ時代のグリフィーがいて、投手には、当時シアトルに移籍して3年目の若いノーコン投手時代のランディ・ジョンソンがいた。ランディ・ジョンソンはこの年に152もの四球を出している(笑)
参照:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年1月6日、豪球ノーコン列伝 ランディ・ジョンソンのノーコンを矯正したノーラン・ライアン。 ノーラン・ライアンのノーコンを矯正した捕手ジェフ・トーボーグ。 捕手トーボーグが投球術を学んだサンディ・コーファクス。

1991年当時のシアトルのスターター
C Dave Valle
1B Pete O'Brien
2B Harold Reynolds
SS Omar Vizquel
3B Edgar Martinez
LF Greg Briley
CF Ken Griffey Jr.
RF Jay Buhner
DH Alvin Davis
1991 Seattle Mariners Batting, Pitching, & Fielding Statistics - Baseball-Reference.com

アロンゾ・パウエルは、91年にシアトルで57ゲームに出場した後、シアトルの3Aタコマから日本のプロ野球、中日に移籍。94年から96年に外国人選手として初の3年連続首位打者を獲得している。
現役引退後は、シンシナティのマイナーの打撃コーチを経て、かつての所属チームであるシアトルで、3Aタコマの打撃コーチになった。
アロンゾ・パウエル - Wikipedia

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この2人のコーチのどちらが打撃コーチとして有能かは、やってみなければわからない問題。
だが、フィラデルフィアの監督チャーリー・マニエルのように、メジャーでの現役経験と日本野球のフィルターを両方経験してアメリカでコーチや監督になって成功している人も増えている現状もあるし、アロンゾ・パウエルの可能性のほうに、より期待感がある。

とりわけコックレルとパウエルの2人を比較してみる上で大きいと思うのは、1軍プレーヤーとして実際のゲームを数多く体験してきたアロンゾ・パウエルには「経験」という大きな財産があると思う。
パウエルの実績は日本でのもので、メジャーでの実績ではないと思う人もいるかもしれないが、タコマでパウエルに指導を受けた経験のあるマイケル・ソーンダースなどはパウエルの日本での実績を指して、He was a great hitter. と言っていて、タコマ出身の若手などはパウエルの日本での成績をきちんと知っているし、評価もしている。
2人がメジャーで経験した試合数はたしかに50歩100歩なのだが、パウエルが経験した91年のシアトルは、リーグ5位とはいえ、有能なプレーヤーがひしめいた時代の経験値だし、また、なにより、パウエルの日本での3年連続首位打者は伊達ではない。
Mariners Blog | Mariners dismiss hitting coach Alan Cockrell | Seattle Times Newspaper


かたや現役での実績が無いに等しいコックレルの実績といえば、もちろん、コロラドでの2007年のワールドシリーズ出場なわけだが、その1年だけで彼のコーチとしての優秀さが証明されたわけではない。現に、彼は2008年に解雇されている。
もちろん現役時の成績がふるわない名監督もたくさん存在しているわけだが、40代の彼に、ただでさえ監督経験の浅いワカマツのパートナーを任せるのでは、あまりにも心もとない。(もちろん、本来クビにすべきなのは、アーズマに2イニング投げさせて逆転負けしたりするダメ監督のほうなのだと思うが)
単年しか活躍したシーズンがないのに、セクソンやベルトレに大金を払ってしまうのと、ちょっと似ている。

加えて、
日本のシアトルファンが既に発言しているように、シアトルのバッティングの酷さは2009年にもあった大きな問題なわけであって、打撃コーチに責任をとらせるのなら、なぜ2010シーズンが始まってしまう前に解雇しておかないのか、という意見に賛成だ。
2009シーズン後にコックレルを解雇していたら、そのほうがよっぽど理にかなっていた。2009シーズンの打撃コーチをそのまま2010年も引き続き使ってしまうチームマネジメントにも問題がある。


シアトルというチームはいつもそうだが、風邪が相当悪化し、肺炎になって、手をつけられない状態にならないと、病院に行って手当てをしない。つまり、チームの問題がそうとう顕在化、悪化して手をつけられない状態にならないと対策を始めない。「城島問題」もそうだったが、本当にこのチームの悪い癖だ。






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