October 15, 2010

2010ポストシーズンも既に4チームだけが残っているわけだが、選手層が薄いのに、ただ打つだけ、ただ投げるだけの放任主義の野球しかできないチームは敗退し、「やれることは、なんでもする」アグレッシブなチームだけが生き残った、という気がしている。

ケン・バーンズがなぜ"The Tenth Inning"で、「ポスト・ステロイド時代」といえる2001年以降のMLBにおいて、打って、守って、走れるイチローの存在意義を重要視して描いたかを、痛いほど痛感するシーンが非常に目立つ。



このポストシーズンでは、打てないチームが多い。
と、いうのも、今年のポストシーズンは「真の意味での好投手」が揃っていて、レギュラーシーズン以上の激しい「投高打低」になったからだ。

「有名ピッチャーがポストシーズンにズラリと顔を揃えられるようになった」のにはハッキリした理由がある。
かつてトロントにいたロイ・ハラデイや、クリーブランドにいたクリフ・リーC.C.サバシアのような「地区優勝できそうもない下位チームで頑張っていた真の意味で2000年代を代表する名投手たち」が、続々と「常に優勝争いするチーム」に移籍して、いまや常勝チームの投手陣の大黒柱となったからだ。
もし将来、今年のポストシーズンに進出していないチームに属する有力投手、例えばフェリックス・ヘルナンデスウバルド・ヒメネスザック・グレインキーなどが将来、毎年優勝争いできるチームに移籍することがあれば、こうしたポストシーズンの投高打低傾向はさらに高まるだろう。
また、有力チームの若手ピッチャーの急成長も、投高打低に拍車をかけた。タンパベイのメジャー3年目デビッド・プライス、ヤンキースのフィル・ヒューズ、他にも(ポストシーズンには進出できなかったが)ボストンのバックホルツレスターなどもリーグの顔になりつつある。
もう、いつまでもステロイダーのロジャー・クレメンスのようなプレーヤーがポストシーズンの主役を張る時代ではない。


そんなわけで2010ポストシーズンのチーム打率は非常に低い。(ヤンキースを除く)
化け物的なチーム打率(.314)のヤンキースと、まあまあなテキサス(.254)を除けば、残り6チームの打率は軒並み.220以下で、アトランタなどは.175で、ハラデイにノーヒット・ノーランを食らったシンシナティにいたっては、たった.124しか打率を残せなかった。
出塁率にしても、ヤンキース(.354)と、フィラデルフィア(.301)が3割を越しているだけで、他のチームは軒並み2割台後半。出塁率でもアトランタは.214、シンシナティにいたっては,160しかなく、これでは勝てるわけがなかった。

レギュラーシーズンは、ぶっちゃけ、強豪チームは弱小チームとの対戦で楽勝を続けられることも多い。

だが、有名投手がズラリと揃うようになったポストシーズンでは、打者はもう好きに打たせてはもらえない。言い方をかえれば、ポスト・ステロイド時代で、有名投手が揃い踏みする投高打低のポストシーズンにおいては、もはやバッティングは、ある意味「水物」であり、「運」でしかない


だからポストシーズンを勝ち抜こうと思ったら、(ヤンキースのようなチームは除いて)もうバットに頼るだけでは足りない。必要なら、エンドラン、盗塁、四球、バント、やれることはなんでもやらないと勝てないと思うし、また逆に、相手チームの「なんでもあり攻撃」を封じ込めるフィールディング(守備)の重要性も非常に高いことが、このポストシーズンで浮き彫りになりつつある、と思う。

例1)
「走塁」「盗塁」の重要性

足を使って勝ったテキサスのロン・ワシントン監督はゲーム後に
"Baserunning. It's always been important to us. That's our style of baseball."と、「走塁を重視するのがレンジャーズの野球スタイル」と語ったが、対戦相手の監督ジョン・マドン
"That's three runs right there that's typically the kind of runs we score,"
「あの3失点は、まさにウチがやってきた典型的得点スタイル」と、タンパベイもテキサス同様に、走塁で得点を増やして勝ってきたチームであることを語っている。

例2)
「失われつつある芸術」、外野手の強肩

先取点が重い意味をもつ投高打低のポストシーズンの割には、ランナーがセカンドにいるときの外野フライで、外野手が雑なバックホームをして、あっさり犠牲フライにしてしまうシーンをよく見かける。
(たしかテキサスのセンター、ハミルトンだったかと思うが)バックホームを大暴投したゲームがあったが、ああいうのこそ、アウトにしていたらファンも大喜びなのに、本当にもったいない。「これがイチローなら・・・」と、つい思わずにいられない。

イチローの強肩については、デンバー・ポスト紙のジム・アームストロングがこんなことを言っている。
「(外野手の強肩は)もはや失われた芸術だ。だがシアトルのイチローにはそれがある
強肩でコントロールもいい優秀な外野手が減ったことで、バックホームでセカンドランナーを刺せる時代は本当にもう終わってしまうのだろうか。それはともかく、「金のとれるスローイング」のできる強肩外野手の存在が、ポストシーズン進出チームにとって、ひとつの武器になることには変わりない。

例3)
投手の守備力

どのゲームか、ちょっと忘れたが、打たれた直後の投手がボーっと突っ立ったままでいて、バックホームのカバーリングが遅れて失点するシーンがあった。
極端な投高打低のポストシーズンでは、守備側は、送りバントの成功阻止、内野安打の阻止、きわどいダブルプレーの完成など、攻撃側の「足を生かした進塁や得点」をできるだけ封じこめる必要がある。
だからインフィールドでのゴロの処理やカバーリングは非常に大事であり、その意味では、投手の守備責任もけして軽くない。

例4)
監督の選手起用の無駄

選手起用で、ひとつ気になったことがある。それは「選手層が薄いチームほど『やたらと選手交代すること』」だ。
例えばボビー・コックスのアトランタなどは、DHのないナ・リーグのチームだから、代走、代打、投手交代、選手を数多く代えていくわけだが、どうも見ていて「選手を代えたことで得られる効果」が低く見えてしかたなかった。
この現象は敗退チームに共通してみられる特徴のような気がした。

うまく説明できる「たとえ」が見つからないのだが、例えば、ゲーム終盤に、3打席凡退している打率2割ちょっとの下位のバッターに、ほとんど同じ打率の打者を代打に出す、とする。だが、その代打は、だいたい凡退に終わる。
ブログ主の発想としては、ただでさえ緊張するポストシーズンのゲーム終盤で起用され、さらに勝ちゲームに登板するブルペン投手といきなり対戦させられて、ポンとヒットが打てる控え選手など元々ベンチにいるはずもない、と考える。むしろスタメンで出ていた選手のほうが、それまで3打席凡退していても、4打席目にようやくヒットを打つか、四球を選んでくれる可能性があるかもしれない。
また、ブルペンの選手層が薄いチームが、防御率のたいして変わらないブルペン投手を、それこそ片っ端から投入するシーンも見たが、むしろブルペンの層が薄いチームこそ、もっと疲労の蓄積を考慮して投手を起用していかないと、登板過多で「ブルペン投手全体の疲労蓄積」は、あっという間に起こり、ゲーム終盤に逆転負けするパターンから抜け出せなくなる。



テキサスを見て、「これは強い」と感じた。
彼らは、必要だと思えば初回から平気でバントをする。盗塁もできる。走塁も抜け目ない。必要ならホームランも打てる。守備がいい。つまり、打撃、守備、走塁、どれをとっても、そのとき、そのときのシチュエーションに応じて、必要なプレーを自分で考え選択できる判断力や、イレギュラーな事態に即座に対応できる柔軟性があって、なおかつ難易度の高いプレーを実行できる高い技術も兼ね備えた選手がたくさんいる。

負けるチームは往々にして、狙い球も特に決めず、ただ漫然とスタメン打者に自由にバットを振り回させて、四球も選ばず、無得点イニングをダラダラ、ダラダラと積み重ねる。そして、あれよあれよという間にゲームは終盤になる。そこではじめて焦った監督、代打、代走、代打、代走。選手をやたらと代える。気がつくと、ベンチは空っぽ。最終回のフィールドに立っているのは控え選手ばかり。そういう雑な戦略では、この「投高打低のポストシーズン時代」を勝ち抜けるわけがない。


もう一度言うと、このポストシーズンが象徴するのは、なんといえばいいか、「ただ打つだけ」「ただ投げるだけ」の時代は終わった、ということだ。

「やれることはなんでもやらなければ勝てないゲーム」の中では、「明らかなヒット」、「明らかなアウト」だけが発生するわけではない。バント、エンドラン、盗塁、けん制、カバーリング、挟殺プレー、バックホーム、タッチアップ、とにかくなんでもありなのだから、目の前に来たゴロやフライを捕って送球していれば済まされる、そんな単純なゲーム展開ではない。、
むしろ「ヒットかアウトか、どちらとも決まらない曖昧な打球」、「アウトかセーフか、やってみなければわからない曖昧なプレー」など、「中間的で、曖昧なインプレー状態」が多発する。
こうした「曖昧なプレー状態」においては、守備側が好プレーをすれば「アウト」に、攻撃側が良いプレーをすれば「ヒット(または進塁や得点)」になる

どちらに結果が転ぶかは、プレー次第なのだ。

こうした「曖昧なプレー状態」は当然、プレーヤーの小さなミスを誘発するわけだから、「中間的なプレー状態」は、さらにその枝葉として、さまざまな予測もつかないイレギュラーなプレーを発生させてくる。


こうした「『曖昧なプレー状態』が多発し、プレーの結果がどう出るか予測しにくい、なんでもありゲーム」でプレーする選手は、監督の指示どおり動くだけでは足りない。
その場、その場での「自主的判断」によって、「ひとつでも多くの塁を奪い、ひとつでも多くのアウトを相手から取る」必要がある。
だから、イチローのような、自分の頭で判断できて、打てて、守れて、走れるプレーヤーが必要になるわけだが、そういうことのできる選手は、実際にはそう多くは育っていないのが今のMLBだということは、今年のポストシーズンを見ていると、嫌というほどよくわかる。







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