January 10, 2011

2004年に引退したロベルト・アロマーはゴールドグラブを10回も受賞していて、これがMLBの二塁手として歴代最高回数なわけだが、Baseball Referenceから、ポジション別に3位までの選手をピックアップしてみた。
選手の名前の前の数字は受賞回数であり、背番号ではない。


ポジション別のゴールドグラブ受賞回数ランキング
ア・リーグ
MLB American League Gold Glove Award Winners - Baseball-Reference.com
ナ・リーグ
MLB National League Gold Glove Award Winners - Baseball-Reference.com

Pitcher
18 Greg Maddux
16 Jim Kaat
9 Bob Gibson

Catcher
13 Ivan Rodriguez, Puerto Rico
10 Johnny Bench
7 Bob Boone

1B
11 Keith Hernandez
9 Don Mattingly
8 George Scott

2B
10 Roberto Alomar, Puerto Rico
9 Ryne Sandberg
8 Bill Mazeroski

3B
16 Brooks Robinson
10 Mike Schmidt
8 Scott Rolen

SS
13 Ozzie Smith
11 Omar Vizquel, Venezuela
9 Luis Aparicio, Venezuela

OF
12 Roberto Clemente, Puerto Rico
12 Willie Mays
10 Ken Griffey
10 Andruw Jones, Curacao
10 Al Kaline
10 イチロー, Japan


ゴールドグラブ賞ができたのは1957年。だから、MLBができたばかりの時代のプレーヤーはこのランキングに入っていないし、近年ではこの賞の選出方法の欠陥についてさまざま議論もあるだけに、ゴールドグラブ受賞回数だけをもってMLB歴代最高の守備の名手が誰かを語れるとはもちろん言い切れない。
だが、それにしたって、10回以上この賞を受賞した選手が1957年以降、わずか16人しかいないのは、まぎれもない事実だ。もちろん10年以上連続受賞した選手はさらに限られる。

細かすぎる議論など、何十年というレンジでの話では、無視してもいい。1回でも受賞できたらそれだけでも凄いこの賞を、10回以上も受賞できた選手はやはり、文句なく凄い、のである。当たり前のことだ。
例えば、このところ衰えが目立ってきたデレク・ジーターの去年のゴールドグラブ受賞には文句を言いたい人がたくさんいること自体は、よーくわかるわけだが(笑)、受賞回数10回以上という長い目で見た基準からすれば、いまだ5回しか受賞してないジーターが、これからのキャリアでオマル・ビスケールルイス・アパリシオを越えて2桁のゴールドグラブ受賞回数に到達することは、おそらくないと思うのだ(笑)
だから肩がこるほど議論に力を入れすぎてもしかたがない。


むしろジーターより、きちんとした注釈が必要なのは、外野手部門のウィリー・メイズだろう。

ウィリー・メイズが例の「ザ・キャッチ」をやってのけたのは、1954年のワールドシリーズだが、この年にはまだゴールドグラブ賞そのものが存在していない。
メイズはオールスターに1954年から1973年まで20回連続出場しているわけだから、もっと早くこの賞ができていたら、1954年から56年の3年間にもゴールドグラブを受賞していた可能性がある。そういう意味で、もしMLBのもっと初期からゴールドグラブがあったなら、メイズの外野手として12回のゴールドグラブ受賞歴は、間違いなくもっと多かったに違いない。
だからもし再来年にイチローが12回目のゴールドグラブを受賞しても、受賞回数だけでウィリー・メイズと比肩できたと、全米のクチうるさい人たちに(笑)いってもらえるかどうかはわからない。


あと、これも余談だが、彼の「ザ・キャッチ」は、センター方向の、外野手の頭を越していく140メートルの大飛球だったわけだが、メイズがこの大ファインプレーを達成できた理由については、ゲームが行われたスタジアム、ポロ・グラウンズの特殊すぎる形状にも多少要因があると思う。
ポロ・グラウンズは、これまで何度も紹介してきた通り、もともとがポロ競技のための施設であり、ポロ・グラウンズのセンターは483フィート(約147メートル)もあって、センター方向だけが異常に広い縦長の形状だった。

Polo Groundsポロ・グラウンズ

Polo Grounds, Eighth Avenue at 159th Street, 1940
資料:A Little More New York in Black and White (photos and commentary)

メイズがつかんだ打球の飛距離は460フィート(約140メートル)も飛んでいたといわれているが、ホームグラウンドであるポロ・グラウンズの広大すぎるセンターを日頃から守っていたメイズは、「どんなに大飛球であってもセンター方向なら、フェンスの存在をほとんど気にすることなく全力疾走でキャッチしに行けることがわかっていたはずだ」と思うのである。
ジャイアンツがまだニューヨークのブルックリンにあって、ポロ・グラウンズをホーム・グラウンドにしていたからこそ達成できたファインプレーであったと考えるわけだが、どうだろう。

ウィリー・メイズのザ・キャッチ

現代のスタジアムなら、140メートルの大飛球は文句なくホームランであって、外野手は追いかけもしない。140メートルの飛距離の打球を背走で掴んだ古き良き時代のファインプレーとはまた違う苦労が、現代の外野手にはある。

今の時代、もしフェンス際に大打球が上がったら、外野手はフェンスを気にしないわけにはいかない。いつぞやのイチローのフェンス直前の後ろ向きのバスケット・キャッチ(あれも歴史に残る大ファインプレーだが)にしても、ホームランをもぎとったスパイダー・キャッチにしても、現代の外野手はフェンス激突のたいへんな危険を承知の上で、フェンス際の魔術的なファインプレーを達成しなければならないのである。


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