January 23, 2011

書いていたら、だいぶ嫌になってきた。事実関係で間違っている部分があるかもしれないが、2010シーズン、どれだけ酷い事件ばかり続いたかを羅列していたら気分が悪くなってきたので、もうやめる。
GMズレンシックの先導した守備偏重のチーム編成の大破綻を筆頭に、ショーン・フィギンズと元監督ワカマツの試合中のベンチでの言い争いと乱闘。エリック・バーンズの自転車帰宅事件。ケン・グリフィー・ジュニアの居眠り報道事件と、後味の悪い引退劇。ミルトン・ブラッドリーの無断帰宅にロサンゼルスでの逮捕。そして、自宅の風呂場でコケて骨折するジャック・ウィルソン。

およそ、どうみても、
「まともに機能できている組織体」とは言えない。

こうした事態が、現場の統率者であるジェネラル・マネージャー、GMの責任でないとしたら、誰の責任だろう。教えてもらいたいものだ。


ファースト

マイク・スウィニー

2009年1月に、GMズレンシックがオークランドから獲得。例のマリアーノ・リベラからイチローがサヨナラ2ランを打ったゲームで、リベラから値千金のツーベースを打ってイチローに繋いだように、間違いなく頼れる男。ただひとつだけ残念なことに腰痛の持病があり、たびたび試合を休んだ。好きな選手なので言いたくないが、2010シーズンは、スウィニーとグリフィー、DH要員がロスターに常に2人存在するという無駄な状態が続いた影響で、中継ぎ投手のロスター枠がひとつ足りなくてブルペン投手が苦しんだ、というのはまぎれもない事実として書き留めておく。
2010シーズン途中にフィラデルフィアへ移籍。幸福なポストシーズンを初体験できたのは、なによりだ。
ケイシー・コッチマン
2010年1月に、GMズレンシックが、ビル・ホール他1名との交換で、レッドソックスから獲得。このコッチマン、2010シーズンに125試合も出場させてもらったわけだが、打率.217、OBP.280、長打率.336、OPS.616という惨憺たる打撃成績。逆にいえば、チームは、これだけ酷い打撃成績を放置して、コッチマンをずっとゲームに出場させ続けたわけであり、2008シーズンに打率2割に終わった城島がゲームに出続けた無意味さとそっくり。シーズン終了後コッチマンを放り出したわけだが、もっと早く処分すべきだった。ちなみに、放出後のビル・ホールは、ボストンで119試合に出場し、.打率247、OBP.316、.SLG456、OPS.772。
ちなみに、彼を守備の名手だという人が多い。だが、ブログ主はまるでそう思わない。コッチマンは、前に来たゴロはともかく、横のゴロはあえて手を出さない。というのは、ポジションを常にライン際にとっているから。これでは1、2塁間のゴロの大半がライトに抜けてしまう。だからエラーにならない。それだけのことだと思っている。
彼は、投手の配球がインコースだろうがアウトコースだろうが、バッターがどんなタイプだろうが、打球の条件の変化も考慮せず、いつもライン際にポジションをとる。だから1、2塁間の当たりがキレイにライト前に抜け、あたかもクリーンヒットに見えてしまう。
ヤンキースの守備のうまい1塁手テシェイラと比べればわかる。テシェイラが1、2塁間のゴロを飛びついて捕るとき、補球位置はびっくりするほどセカンド側に寄っている。最初から多少はライト線から離れて守らないと、こうはいかない。彼のポジショニングの大胆さがなせる技である。ライト線に抜けるゴロも、テシェイラは飛びついて捕ることができる。
ラッセル・ブラニヤン
2010年6月に、ケン・グリフィー・ジュニア引退と腰痛持ちのマイク・スウィニーの欠ける主軸打者の穴を補う形で、GMズレンシックがクリーブランドから、マイナー有力選手2人(エスケル・カレラ、フアン・ディアス)との交換によって獲得。
ブラニヤンは34歳の腰痛持ちであり、この出戻りトレードは、腰痛持ちのスウィニーのフォローのために腰痛持ちのブラニヤンを獲得したという、おかしなもの。
この1塁手をダブつかせたトレードでシアトルが放出したマイナー選手はいずれも有望選手だった。ひとりは、AAウェスト・テネシーのチームMVPに選ばれ、サザン・リーグのオールスターに選出されたことのあるエスケル・カレラ(23歳)。もうひとりが、昨年カリフォルニア・リーグのオールスターに選出された遊撃手フアン・ディアス(21歳)。
2010年シーズン後、シアトルはラッセル・ブラニヤンとは契約せず、FAにした。マイナーの有望な2選手を失ってまで強行したトレードの結果がこれでは、シアトルのマイナーがスカスカになるばかりだ。
ジャスティン・スモーク
ただでさえ一塁手がダブついていた2010年7月に、GMズレンシックがクリフ・リーと交換にテキサスから獲得した一塁手。その後のクリフ・リーはその後ワールド・シリーズの第1戦先発になるなど、チームの看板になったが、スモークはシアトルに来た当初、大振りばかり目立って空振り三振が多く、打撃不振からマイナー落ちしている。シーズン終盤に復帰するが、2011年以降の先行きは誰にもわからない。いちおうスイッチヒッターということになっているが、左投手との対戦ではほとんど期待できない。


セカンド

ホセ・ロペス

いうまでもなく、近年ずっとシアトルのセカンドを守ってくれた貴重な生え抜きプレーヤー。2010年のショーン・フィギンズ獲得でサードにコンバートされた。サードでもなかなかシュアな守備をみせたが、2010シーズンオフに、ついにコロラド・ロッキーズへ放出されてしまう。
打撃面では「ロペスに不運もあった」と、彼を弁護したくなる。
ケン・グリフィー・ジュニアのシーズン途中の突然の引退や、マイク・スウィニーの腰痛による欠場などから、シアトルに頼れる主軸打者がいない非常事態となったため、ホセ・ロペスは、彼にはまだ荷の重すぎる4番を打たされ続け、その重圧から打撃成績が低迷し続けた、とも思うからだ。(おまけに彼は右打者だ)
四球が少ないのは彼のもともとある欠点だが、長打力は、あのジョー・マウアーに比肩するものがあることは一度書いた。彼はホームスタジアムの狭いチームに行って、のびのび打てる打順で使ってもらえれば、打撃成績向上をみるはず。
ショーン・フィギンズ
そもそも、フィギンズはエンゼルスで主にサードを守ったプレーヤーだ。GMズレンシックは、そのタイプAの三塁手を、4年3600万ドルの大金と、18位のドラフト指名権を同地区のライバルに明け渡してまで獲得し、さらにはホセ・ロペスをサードにコンバートまでして、「フィギンズ、2番、セカンド」にこだわった起用を続けた。
だが、彼のセカンド守備はイマイチどころではなかった。大事なところでダブルプレーのミスなど、エラーは多いし、ポップフライを深追いしすぎる。
加えて、いちおう「スイッチヒッター」ということになっているフィギンズの左打席はほとんど使い物にならない。これは、スイッチヒッターといいながら左投手がまるで打てないスモークも同じ。
2010年7月23日、レッドソックスのキャメロンが左越え二塁打を打ち、レフトのソーンダースの二塁返球が本塁寄りにそれた時に、二塁手フィギンスがこれを漫然と見送ったことについて、当時の監督ワカマツが激怒し、その後フィギンスに代打を送った。両者は口論からベンチ内で大がかりなもみ合いとなり、それがテレビ放映される異常事態に発展。
この一件の後、フィギンズはチームに対して申し開きも、謝罪もしていないの。また、チームもフィギンズを処分しなかった。
ブレンダン・ライアン
2010年シーズンオフに、GMズレンシックがセントルイスから獲得した内野手。セカンド、サードも守れるらしいが、本来はショート。守備の名手としてショートではMLBでトップクラスの評価がある。
ただ、これだけ守備に定評のあるショートストップなのに、元三塁手のフィギンズをセカンドから本来のサードに戻してやるために、本来ショートのブレンダン・ライアンをセカンドで使うのだという。だとしたら、なんのための獲得か、よくわからない。
だが問題はそれだけではない。ライアンの打撃である。2010年は139試合出場で、打率.223、2本塁打、36打点と、2010年のケイシー・コッチマン並の酷い打撃実績しかない。さらには、セーフコでは鬼門とわかりきっている右打者でもある。
2010シーズンにあれだけ「守備偏重コンセプトのチーム編成」が大破綻をきたしたというのに、またしても、その破綻したコンセプトそのままの「守備専用プレーヤー」をまたもや獲得してきてしまうのだから、ズレンシックの迷走ぶりもちょっと開いたクチがふさがらない。
アダム・ケネディ
2010年冬にGMズレンシックが獲得してきた堅守の二塁手。ブレンダン・ライアンの本職はショートであり、本来はこのアダム・ケネディが本職の二塁手。ケネディはサード経験も90試合ほどあるものの、そんな試合数ではたかがしれている。
たしか2009年くらいに、いちどだけアダム・ケネディについての記事を書いて、「こういう野球を知っている選手こそ欲しい」とかなんとか書いた記憶があるが、あれからもう随分と時間がたってしまった。彼ももう35歳。引退が見えてきている。
2010年にファーストの選手をダブつかせたズレンシックだが、2010年の冬にまたもや、やたらと守備系の内野手を貯め込んでいるために、またしても内野手がダブりだしている。本職でいえば、サードはフィギンズ、ショートはブレンダン・ライアン、セカンドがアダム・ケネディなわけだが、もちろんショートには、かつてGMズレンシック自身の肝いりで獲得してきて失敗した高給取りの高齢スペランカー、ジャック・ウィルソンがいる。
と、なると、まだ今年3月に29歳になるブレンダン・ライアンに本職でないセカンドをやらせて、35歳のアダム・ケネディにセカンドの控えとユーティリティでもやらせるつもりなのだろうか。そしてトミージョン手術経験のある二塁手(または一塁手)ダスティン・アックリーをどう処遇するのか、という問題もある。
と、いっているそばから、アダム・ケネディは、2010年1月27日カリフォルニア州で飲酒運転で逮捕。やれやれ・・・。


サード

エイドリアン・ベルトレ

シアトルとの2005年からの5年契約が切れた2009年シーズン後にボストンと900万ドルで単年契約。東海岸移籍後のベルトレは、打率.321、28本塁打、102打点の驚異的な打撃成績を残した。2011年以降は、その成績をひっさげ、こんどはテキサス・レンジャーズと6年9600万ドルで契約した。
シアトルとは関係ない話だが、三塁手ベルトレのテキサス加入で、ブログ主の好きな選手のひとりであるマイケル・ヤングがサードベースマンから、DHにコンバートされるらしく、非常に残念に思う。マイケル・ヤングはたぶん2000年のメジャーデビュー以来、ずっとプレーしてきたテキサスというチームに深い愛着があるだろうし、コンバートが嫌だから移籍させてくれとは言わないだろう。だからこそ、このコンバート、かえってややこしい。
ホセ・ロペス
2009年シーズン後のショーン・フィギンズ獲得に際して、セカンドからサードへコンバートされ、それまでのセカンド守備でみせたようなポカの多発も心配されたが、予想に反してサード守備ではシュアなプレーぶりをみせた。
上でも書いたが、もしチームが頼れる主軸打者をきちんと補強してくれていたら、ロペスにはまだ荷の重すぎる4番を打たされ続けるようなこともなかったはずだ。2010年シーズンの主軸打者不在を、ロペスだけに責任を押し付けるのは、チームとしては正しくない。主軸打者をきちんと用意するのはGMの仕事である。
2010年オフに、GMズレンシックはホセ・ロペスをコロラド・ロッキーズへ放出してしまったが、マウアーとの比較で書いたように、ロペスには持ち前の長打力があり、おそらく狭い球場では意外なほどの打撃成績向上を見るはず。


ショート

ユニスキー・ベタンコート

キューバ出身のベタンコートは、ラテンの気質、とでもいうのだろうか、欠点もあるが長所もある、そんなプレーヤーだった。守備のポカや、打撃での併殺打の多さ、早打ちなど、プレーの質の粗さを指摘され続けた反面で、9番打者として1番イチローに繋ぐバッティングでチームに貢献するなど、セーフコでは活躍しにくい右打者として、十分な打撃成績を残した。
GMズレンシックは、その愛すべき悪童ベタンコートを2009年7月に、マイナーリーガー2人との交換でカンザスシティに放出。移籍後のベタンコートは2010年カンザスシティでチーム最多となる16本塁打・78打点を記録。2011年はサイ・ヤング賞投手ザック・グレインキーとともに、ミルウォーキーへ移籍することが決まっている。
ちなみに、かつてショートだったアダム・ジョーンズが外野手に転向したのは、ベタンコートを獲得したため。アダム・ジョーンズはその後センターとしてゴールドグラブ賞を受賞したのだから、人生はわからないものだ。
ロニー・セデーニョ
2009年1月28日、GMズレンシックがシガゴ・カブスからアーロン・ハイルマンとのトレードで、ギャレット・オルソンとともに獲得した遊撃手。だが、そのわずか半年後、2009年7月末、GMズレンシックはこのセデーニョを、さらにジャック・ウィルソン、イアン・スネルとの交換のためにピッツバーグに放出している。放出されたのは、セデーニョ、ジェフ・クレメント、アーロン・プリバニック、ブレット・ローリン、ネイサン・アドコック。パイレーツ移籍後の2010年のセデーニョは、139試合に出場し、打率.256、OBP.293、SLG.382、OPS.675。二塁打29本は、キャリア・ハイである。
その一方、パイレーツから獲得した2人の選手、イアン・スネルは2010年6月に戦力外通告、ジャック・ウィルソンは怪我だらけと、ほとんど使い物にならなかった。
ジャック・ウィルソン
2009年7月末に、GMズレンシックが、セデーニョ、クレメント、アーロン・プリバニック、ブレット・ローリン、ネイサン・アドコックとの交換で、イアン・スネルとともに獲得。
2010年8月に、自宅バスルームで転倒し、右手中手指を骨折。この骨折以外にもスペランカーとして知られ、シアトルに来て以降、いまだにシーズン通じてまともにプレーできた試しがない。守備の名手と言われることも多いが、実際のところ、平凡な守備ミス、ポカもけして少なくない。
ジョシュ・ウィルソン
ほとんどシーズン通しての出場こそできないが、ジャック・ウィルソンの穴を埋めてきた苦労人。また2010シーズンには、マイク・スウィニーの穴を埋めるために、1塁手すらやらされたこともある。
シアトルで長期にわたって起用された経験がほとんどない。一時的に起用されて調子が上向く頃にはベンチ要員に戻る、このパターンを繰り返されているうちに、守備でミスし、打撃も低迷という悪循環に陥ることが多いのが非常にもったいない。


レフト

エリック・バーンズ

GMズレンシックがアリゾナから獲得。2010年4月、延長11回1死満塁のサヨナラの場面で、ベンチのスクイズのサインに従わず、一度出したバットを引いて見逃して、サヨナラ勝ちの絶好機をつぶした。この大失態についてバーンズは、監督ワカマツに何の釈明もせず、それどころか、自転車で自宅に逃げ帰り、5月2日に解雇処分。その後、意味不明な行動のまま、引退し、なんとソフトボール選手になった。
ケン・グリフィー・ジュニア
2009年にGMズレンシックが古巣シアトルに復帰させて、ファンの喝采を受けたが、その栄光ある印象を残したまま引退させることをせずに、翌2010年にもプレーさせ続けたことで、最悪の結果を招いた。
2010年は年齢からくる衰えにより、打撃成績が極端に低迷。さらには「試合中に居眠りしていた」との報道から球団との間でトラブルとなり、グリフィーはそのまま2010年6月2日に現役引退。ファンが楽しみにしていたはずの引退関連行事も本人不参加などで、まともに行えず、22年間にわたる輝かしいMLBキャリアの晩節を汚す残念な結果になった。
ミルトン・ブラッドリー
GMズレンシックがカルロス・シルバとのトレードで、シカゴ・カブスから獲得。数々の問題行動で有名だった選手だが、2010年5月、試合途中に無断帰宅し、メンタルな問題からそのまま休養。2010シーズンの成績は、打率.205、ホームラン8本、出塁率.292、SLG.348、OPS.640と、お話にならない。また2010年オフには、シーズン中における女性に対する脅迫容疑で、ロサンゼルス市警に逮捕された。2011年にプレーできるのかどうかすら不明。
Report: Seattle Mariners' Milton Bradley arrested for alleged threats - ESPN
マイケル・ソーンダース
シアトル期待の生え抜きの真面目なカナダ人プレーヤー。インコース低めの変化球に弱いという弱点が判明しているものの、エリック・バーンズの解雇や、まともに出場し続けられないミルトン・ブラッドリーのメンタル問題などが、かえって効を奏して、ソーンダースに左翼手として連続して出場する機会が回ってきて、2010年は100試合に出場できた。出場を続けるうちに、苦手な低めの変化球にわずかに改善が見られはじめている。2011年の飛躍が期待されている。


キャッチャー

ロブ・ジョンソン

くだらない城島問題の処理にチーム全体が揺れ、主力先発投手3人が城島とのバッテリーを拒絶した2009年シーズンを支えた功績から、2010年開幕キャッチャーに選ばれたが、2010年チーム低迷の責任を押し付けられる形でシーズン途中にマイナー送りに。シーズンオフに、サンディエゴ・パドレスと契約。
アダム・ムーア
ひとことで言って、まるで使い物にならない。だがシアトルの3Aタコマのコーチ、ロジャー・ハンセンの強力な後ろ盾があり、いつのまにかスタメン捕手に居座った。ロジャー・ハンセンは、ワカマツなど監督コーチが不振の責任から退任させられた後、シーズン終了までの繋ぎの意味でメジャーのコーチに昇格させただけでしかない臨時のベンチコーチ。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月14日、過去に城島擁護者だったベンチコーチ、ロジャー・ハンセンが現在も続けている無意味な捕手トレーニング手法。マイナーコーチ時代から続けてきた「手抜きのスパルタ方式」でプロスペクトを壊し続けてきた責任を徹底批判する。
惨憺たる打撃成績、たび重なるパスボールやエラーにもかかわらず、アダム・ムーアは2011年もどうやら25人ロスターの捕手とみられる。
ジョシュ・バード
2010年はロブ・ジョンソンやアダム・ムーアの穴を埋める役割を務めた。2011年もマイナー契約かなにかで残留する模様だが、チームがミゲル・オリーボと2年契約したことから、2011年も第3の捕手扱いとみられる。
エリエセル・アルフォンゾ
2008年5月に薬物で50試合の出場停止処分になった捕手。2010年6月、シアトルに来てわずか3ヶ月でDFAになった。たぶん、この選手がシアトルにいたことすら思い出さないだろう。
ミゲル・オリーボ
バベシ時代の2005年7月末、ミゲル・オリーボは、守備面の問題などを理由にサンディエゴに一度放出されている。移籍後のオリーボは、規定打席未満ではあったが、本塁打16本・打点58をたたき出し、打撃面での貢献をみせた。
オリーボ放出と同時にシアトルは、オリーボの代役キャッチャーとして、ランディ・ウィンとの交換で、セントルイスからヨービット・トレアルバを獲得したが、シアトルはそのトレアルバをすぐに放り出して日本から城島を獲得。2006年以降ずっと「城島問題」はチーム全体を右往左往させる大事件になる。
シアトルを短期間で放り出されたヨービット・トレアルバは、コロラドに移籍、2007年には自己最多の113試合に出場して、ワールドシリーズを経験した。
結局、シアトルは回りまわって、一度手放したオリーボを再びシアトルに三顧の礼で迎え入れるという、なんともお粗末な結果になった。(2011年2.75M、2012年3.5M、2013年はチーム・オプション)


ピッチャー

ジャロッド・ウオッシュバーン
ブランドン・モロー

ウオッシュバーンは2006年にFAでエンゼルスから加入した、どことなくキーファー・サザーランドに似た風貌の左投手。加入当初からMLBでも有数のラン・サポートの少ない投手として有名で、これは2009年7月にトレードされるまで変わることはなかった。
主力先発投手3人が揃って城島とのバッテリーを拒否した2009のシアトルは、7月まで優勝戦線に残れるほど好調なシーズンだったわけだが、中でもウオッシュバーンは準パーフェクトゲームを含む8勝6敗、防御率2.64の好数字もさることながら、投手陣のリーダーとして、チームを鼓舞し、支え続けていた。
ごくわずかなポストシーズン進出の望みが消えかかったこの大事な夏に、根強いトレードの噂が続いたにもかかわらず、2009年7月のア・リーグ月間最優秀投手を受賞していたウオッシュバーン自身は、常に「トレードは望まない。このチームでやりたい」と公言し続け、シアトルでのプレー続行を望んでいたが、GMズレンシックは耳を貸さず、トレード期限日となる7月31日に、ルーク・フレンチ他1名との交換で、ウオッシュバーンを中地区首位のデトロイト・タイガースにトレードしてしまう。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年7月23日、ウオッシュバーンは「移籍したくない」といい、「プレーヤーが売り払われないために、頑張るしかない」と語った。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年7月27日、魚釣りの好きな男の父が息子に電話してきて「トレードされたのかい?」と尋ねた。息子は言う。it's not over.「チームはまだ終わってないよ。」そして彼は家族のために魚料理を作った。
ベテラン投手ウオッシュバーンが抜けたことにより、その後シアトル投手陣は支柱を失って総崩れになり、チームのわずかに残されたプレーオフ進出の望みは断たれた。その結果、ウオッシュバーンに続いて、クリス・ジャクバスカス、ブランドン・モローなど、2009シーズンを戦った投手たちも放出されてしまう。
トロント移籍にあたってブランドン・モローはシアトルの投手育成ぶりを公然と批判した。また、シアトル時代に不調だったモローに、当時の投手コーチ、リック・アデアが「カーブを多投させてみよう」と打ち合わせをしていたにもかかわらず、ゲームで城島がモローにカーブのサインを故意に全く出さなかったというありえない事件も、地元メディアによって暴露された。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年12月22日、「投手コーチ・アデアとの打ち合わせを無視し、モローにカーブのサインを一切出さなかった城島」に関する記録。投手たち自身の「維新」による城島追放劇の舞台裏。
モローは移籍後の2010年にスターターに定着。146.1イニングを投げ、10勝7敗と活躍し、準パーフェクトゲームも達成。シアトルが開花させられなかった実力の程を示した。
他方、GMズレンシックは、ギャレット・オルソン、イアン・スネル、ルーク・フレンチなどの投手を次々に獲得していったが、どの投手も中途半端な投手ばかりで、パッとしない成績のまま終わった。
カルロス・シルバ
バベシ時代の2007年12月に、4年4400万ドルで獲得したが、当時の正捕手城島とまるで息があわなかったこともあって、ずっとお荷物の投手だった。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年6月19日、移籍後にストレートを投げる割合が83.1%から55.7%に突然下がり、シカゴ・カブスで別人になったカルロス・シルバの不可思議な変身。
GMズレンシックは2009年12月になって、何を思ったのか、シルバに600万ドルの金銭を加えることまでして、シルバをシカゴ・カブスへ放出、かわりに問題児ミルトン・ブラッドリーを獲得するというギャンブル的トレードを実行した。
シルバは、カブス移籍1年目、開幕8連勝を記録。その一方でブラッドリーは、数々の事件を起こした後、ロサンゼルスで暴行事件で逮捕。問題児を放出し、加えて600万ドルの現金も得たカブスがギャンブルに成功し、問題児を自ら抱え込んでコントロールし損なったGMズレンシックとシアトルが暗黒の貧乏くじを引いた。
イアン・スネル
2009年7月末にGMズレンシックが、ジェフ・クレメント、アーロン・プリバニック、ブレット・ローリン、ネイサン・アドコックとの交換で、ジャック・ウィルソンとともに獲得。どこにもいいところの見られないまま、2010年に戦力外。
ジェイソン・バルガス
2008年12月に、GMズレンシックが三角トレードでメッツから獲得。
獲得当初から、「チェンジアップ主体でピッチングを構成する投手」であることはわかりきっていたが、彼が常にキロスや城島といった「彼のピッチングスタイルを理解しないキャッチャー」とばかりバッテリーを組まされて成績が伸びず、悩み抜いてきたことは何度もこのブログに書いてきた。
だが、彼の才能にフタをしていた城島が日本に去ったことで、2010年春以降、バルガスはその実力の片鱗をみせる。6月までに14登板して、91.1イニングも投げ、6勝2敗、防御率2.66。60もの三振を奪う一方で、四球は23しか与えなかったため、ちょっと不確かな記憶だが、たしかこの時期のア・リーグWHIPランキングにダグ・フィスターとともに名前を連ねていたはず。英語版wikiにも、through June has proven to be one of the most surprising success stories on the troubled Seattle team's roster. と、酷いシーズンにおける活躍の輝きぶりが驚きとともに書かれている。
シーズン終盤には多投からくる疲労だと思うが、残念ながらキレがなくなったのと、チェンジアップだけの配球では通用しなくなり、打たれるようになったものの、2011年シーズンの復調と飛躍を期待したい投手ではある。
クリフ・リー
フィラデルフィアからGMズレンシックが複雑なトレードに相乗りする形で獲得。春先に調子の上がらないフェリックス・ヘルナンデスのかわりに、2010年は夏まで実質エースとしてチームを支えた。
だが、2010年7月のトレード期限に、GMズレンシックが、こともあろうに同地区のライバルであるテキサスへ、マーク・ロウとともに放出。シアトルは、前年2009年のトレード期限ギリギリに放出したウオッシュバーンに続いて、2年続けて投手陣を支える精神的支柱を失うハメになり、一方、テキサスはワールドシリーズを戦う太い大黒柱を得た。
クリフ・リー放出で得たジャスティン・スモークは、依然として未熟なままのフリー・スインガー。クリフ・リーは、2010年ワールドシリーズ終了後に、5年総額1億2000万ドルの長期契約で元の所属チームであるフィラデルフィアへ戻っていった。
ジョシュ・ルーク
クリフ・リーとの交換で、テキサスからやってきた選手のうちのひとり。右投手。過去にレイプで告発されたことがあり、どうも軽犯罪を認めることにより、レイプでの告発をまぬがれた、という話が囁かれている。やれやれ。どいつもこいつも。
デイビッド・アーズマ
2009年にクローザーとして定着して、十分すぎるほどの活躍がみられた。だが、どういう心境の変化かわからないが、一転して2010年はストレート一本やりの、あまりにも単調すぎるピッチングに固執するようになって、自ら墓穴を掘った。シーズンオフにGMズレンシックはアーズマのトレードを画策するも、うまくいかず、ズルズルとした形で残留が決まる。
ヘスス・コロメ
この投手、獲得する前年の2009年は、ミルウォーキーでわずか5試合の登板で、防御率も5点台後半の冴えない成績だったにもかかわらず、GMズレンシックが自身の古巣から獲得してきた。案の定、2010年6月には、はやばやとDFA。この投手がシアトルにいたことを、たぶん、今後思い出すこともなくなるだろう。2012年メキシコリーグで薬物違反により50試合の出場停止処分。

カネコア・テシェイラ
2006年にホワイトソックスの22巡目で指名された投手。2010年のシアトルが初のメジャー経験らしく、コロメ同様の経験不足の投手。防御率5.30で、6月には、はやくもDFA。コロメ同様、2011年中には、この選手がシアトルにいたことすら誰も思い出さなくなると思う。


ここに書いたこと以外にも、2010シーズンについて書きたいことはもっともっといろいろある。

たとえば2010年ライアン・ローランドスミスは、「自分のストレートに慢心して、ストレートばかり投げたがって試合を壊し続けた2010年のデイヴィッド・アーズマ」と同じように、速さもキレもないストレートに固執しまくった挙句に、けっきょく最悪の成績に終わり、ノンテンダーになってヒューストンに移籍していった。
リンク:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年4月30日、「ストレートを投げたくてしかたない病」にかかったローランドスミス。
フィギンズの不遜さにしても、少なからず彼の慢心を感じる。打順を9番に下げられたくなければ打て、打ってから文句を言え、といいたい。打たない高給取りが人前で恥をかくのは当たり前のことだ。


ああいう「慢心」はどこから生まれてくるのだろう。


シアトル・マリナーズには、選手たちの「慢心」を許してしまう「何か」がある。これは批判ではない。「分析」である。
そして、その「慢心」は、チームがチームとして機能するときに大事な「規律」や「責任感」を破壊し、チームはチームとして機能できないまま、年月だけが過ぎる結果を生む。

「野球以外の場所でのゴタゴタ」がいつも存在することは、例の「城島問題」でも、嫌というほど学ばされた。たとえば、城島の3年契約がそうだ。野球の成績と無関係に破格の待遇の契約内容が決まってしまうような不合理さが、チーム内の規律に深い亀裂を生まないわけはない。
フィギンズの事件のように、チームとしての指導に従わない選手をきちんと処分しないで見過ごすような規律の緩さ、たとえばロジャー・ハンセンのような若い選手を大成させたキャリアが実はないクセに、意味のないスパルタ式の練習で若い選手の身体を壊すしか能のない人物をマイナーのコーチとして雇い続けてきた不合理さ、守備偏重の偏った野球チームを無理に作ろうとして大破綻を招いたGMにきちんと責任をとらせないで看過する無責任さ、何度チームが大敗シーズンを終えようと若手中心のスタメンに切り替えて実力を試そうとしない硬直したチーム運営、どれもこれも「慢心」と、そこからくる「規律の崩壊」につながる。


だからこそ、ここは次のシーズンが始まってしまう前に、苦痛でも書き留めるしかない。

ベースボールはGMのオモチャではない。
ファンのためのものだ。






ハワイ移民150周年
No Ichiro, No watch.

Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です




Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。



Categories
ブログ内検索 by Google
Google

livedoorブログ内検索
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month