March 19, 2011

音楽がなくても死にはしないなら、じゃあ、いったいなんのために音楽家や画家が存在しているのか。
なんとなくはわかっていても、そんなこと、ひとことで言えるくらいなら、ブログ主は寺の坊主にでもなれるかもしれないが、そんな才能はないので、いつものように長々と書くしかない(笑)


日本のプロ野球を開催すべきかどうか、について、非常にトゲトゲしい議論が交わされている。
ある者は「節電しなければならないこんなときに、ナイターなど、とんでもない!」と怒り、ある者は「経済が沈没してしまったら、日本全体が沈没してしまう。そんなことにならないためにも、野球を開催しろ!」と主張する。また、ある者は「故郷が災害にやられ、知人の消息もわからない今、とてもプレーする気分になどなれない・・・」と肩を落とす。

どれも、ちょっとみると、真っ当な意見っぽく見えないこともない。
だが、真っ当っぽいが、どれもこれもそれぞれの立場にそって感想を言っているだけで、まなじりが釣り上がり、肩に思い切りチカラが入っている割りには、中身はない。
発言している誰もが、大きな震災のストレスによる緊張に満ちて発言しているのが、よくわかる。


それではダメだ。


東京では「余震で揺れているわけでもないのに、カラダが揺れている」と感じながら毎日を送っている人が、非常にたくさんいる。
公衆道徳を説くCMが繰り返されるだけのテレビを見て、いつ止まるかわからない電車で出かけ、マトモに動いていない会社で仕事して、いつ計画停電に出くわすかもしれない家に帰り、次にいつ買えるかわからないコメを食べる。クチには出さなくても原発に恐怖を感じ、そして日本の行く末にも多少の不安を感じている。

これでストレスを感じないわけがない。

被災しているのは東北の被災地の人だけではない。
日本の誰もが、ストレスを感じている。
このストレスは十分に災害だ。



ブログ主は2つ、言いたいことがある。

ひとつは、
いつまで心が折れたままでいるんだ、気分を切り替ろ、
ということ。
2つめは、
「平凡でない人生を送る道を選ぶ」にあたって必要な心構え。


野球選手、野球関係者、官庁の人。いまストレスのたまりきった状態の人たちが「絶対にやるべきでない」「いや、絶対にやるべき」と、堅苦しい議論をしている。

ブログ主は、両方とも、どうでもいい。
どうしたらできるか? 考えて、可能にすればいい。それだけだ。
なにもナイターの公式戦を毎晩やれ、なんて思わない。デーゲームでいい。ホームグラウンドでなくてもいい(ホームでないほうが、地方の人を元気にできるし、野球の啓蒙にもなるしで、そのほうがいいくらいだ)もしデーゲームですらできないのなら、晴れた日に、晴れたグラウンドに集まって、チャリティー・ゲームをやったっていい。別になんの問題ない。


大事なのは、「こういう不安定な日本が当分の間、続く」ことに、腹をくくらないとダメだ、ということだと思う。
「地震の恐怖心と、故郷が壊れた悲しみで心が折れて、いつまでたっても気持ちが沈んだまま、気持ちが切り替わっていかない人間」同士が、まなじり釣り上げて必死に議論しても、野球も人生もリスタート、再開できない。なんでもかんでも節約するべきだ、なんて極端で、貧しくて、暗い、工夫のない意見に、ブログ主は賛成しない。



昔から、歌舞伎役者、碁打ちなど、特定の職業では「親の死に目に会えない」と言われてきた。
その言葉が比喩かどうか、それはわからない。人を楽しませるような特殊な仕事についたことで、普通の人と同じ穏やかな人生を全うすることは難しいのか、それも知らない。
だが、ブログ主は「コメを作るのでもなく、魚を獲るのでもなく、野球選手のような、特殊な形で他人様から大金を頂戴して生きていける道を選んだ人は、自分は親の死に目には会えない、それくらい腹をくくって、振り返らずに自分の仕事にあたるべきだ」と、これまで思ってきた。

芥川龍之介は、『杜子春』という作品で、痛めつけられる親の姿を見て、思わず「お母さん」と叫んで現実に引き戻される男を描いたわけだが、「親の死に目にも会えないような仕事」においては、自分の天職を中断して「お母さん」と叫びながら病院に駆け込むことが許されない、そんなふうに思うのである。

たしかに、ダルビッシュの言うように、今回のような大災害は、「ボールを投げ、バットを振り回している場合じゃない」と思えるほどの緊急事態である。
だが、ブログ主が思うのは、こういう未曾有の事態のときにさえ、ボールを投げ、バットを振り回して、人に勇気を与えなければならない、そういうキツい立場なのが、プロの野球選手だ、ということである。

もちろん、シンディ・ローパーのようなミュージシャンも、何も薬のない荒野で診療を続ける医師や、放射能に満ちた現場に向かうレスキューや自衛隊員のような特殊な仕事でも、同じだ。彼らは、程度の差こそあれ、非常時には、進むか退くか、腹をくくらねばならない。臆病なことを言っていては、日本は壊れてしまう。


平凡には生きられない、特別な道を選ぶ人がいる。
そういう人は、平凡な人にとっての支えになることもある。また、邪魔になることもある。
いずれにしても、平凡でない道を選ぶ以上、腹をくくらなければ、平凡でない人生を生きる人間に「道」はない。
平凡な道を歩む人と、そうでない人、その両方がいて、世界ははじめて、まがりくねった困難な道、ビートルズの言うロング・アンド・ワインディング・ロードを前に進むことができる。



いまテレビで、詩人金子みすゞ(かねこ みすず)さんの書いた詩の一片が、災害時の道徳教育でもするかのように、一日に何百回と流されている。
だが、この「金子みすゞさん」が、26歳という短い一生を、どれほど過酷で、どれほどどうしようもない状況の人生を送らなければならなかった人だったか、まったくメディアは知らせていない。知らせもせずに、メディアは彼女の珠玉の詩から勝手に、こういう災害時に耳ざわりのいい道徳的教訓だけを勝手に引き出して、のほほんと流し続けている。詩人など普段は無視しているくせに、都合のいいときだけ作品をもってきているのである。
やはり詩人も、平凡でない道を歩むしかない孤高な仕事である。
リンク:金子みすゞ記念館

金子みすず金子みすゞ
1903年(明治36年)4月11日生
1930年(昭和5年)3月10日没
26歳



野球を、やるべきだ、やるべきでない。両方の意見がある。
でも、それは単なる「べき論」、単なる「意見」にすぎない。覚悟をともなった「工夫」ではない。

工夫すれば、原発の暴走は止まる。
ならば、だ。
工夫すれば、野球くらい、できる。
野球くらいできる工夫ができなくて、この難局をどうする。


悲観的になるばかりでは、何も乗り越えられっこない、というのがブログ主の意見だ。
悲しい気持ちになって、心が折れるのは、わかる。
だが、ストレスに負けている意見など聞きたくない。

なぜ工夫しようと思わないのか。
ストレスで、頭が固くなっているだけではないのか。


いま、最も野球が必要なのは、心をひどく痛めつけられた野球選手そのものかもしれない。ある種の腹のくくれない野球関係者が、いま最も感じているストレスは「いったいなんのために野球なんてものがあるんだろう?」という弱々しい疑問なのかもしれない。
時代が平穏なら考えないような疑問を突きつきられ、考えさせられるのが、非常時というものだが、自分がきちんと解答を示せないでストレスばかりがたまるのは、自分が腹をくくれてないからだ。



こんなときだからこそ、野球選手は
目をつぶって深呼吸するべきだ。

そして目をあけたら考えてほしい。
自分が、誰のために野球という場所を保証され、生きているのか。
寄付さえすれば、野球選手なのか。

寄付するのは、お金さえあれば誰でもできる。
だが、野球で人間を充電できるのは、プロの野球選手だけだ。


コメをつくってくれ、魚を獲ってくれ、とは誰も言わない。、
畑も、漁船も、ほっといてくれていいから、火の出るような熱いボールを投げ、ボールをたたきつぶすようなスイングでバットをうならせて、ぼくらに、ちょっとだけ現実を忘れて、おかしな体の揺れをとるお手伝いをしてくれれば、ぼくらにはまた、荒れた大地を耕しなおすチカラが湧いてくる。


野球がなぜ存在しているのか、
そんなことをデスクの前で考えているのは、
野球選手らしくない。
グラウンドに出ず、家にひきこもっていてはダメだ。

グラウンドで汗を流して、君らの給料のもとになっているファンと触れ合ってもないのに、その答えが自分の頭の中にみつかる、なんて思うのは、
不遜な考えもいいところだ。


グラウンドに出ろ。
汗を流せ。


野球の仕事は、グラウンドにある。


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