March 30, 2011

このブログはじまって以来のまとまりのない記事だ。指摘したいポイントが多すぎるため、しかたない。地震関連の記事はここまでにして、これからは野球の話に戻ろうと思う。(1行抹消:好きなようにやるさ 笑)


素朴な話だが、あなたは
被災地」という言葉が、いったい「どこの場所」のことを指すと思っているだろうか。

「被災地」を「東北3県のみ」に限定する感覚というか、プロパガンダがある。ブログ主は、これにまったく同意しない。
「がんばれ東北」というスローガンを押し付けてくる公共CMやイベント、誰がいつどこで作ったのかわからない「がんばれ東北」のフラッグ、芸能人やスポーツ選手の「がんばれ東北」発言、すべてに賛成しないし、同意もしない。

「がんばれ」という言い方そのものの精神的副作用を問題視しているせいもあるが、もし百歩譲って「がんばろう」という言い方を使うにしても、納得して受け入れることができるのは「がんばろう日本」であって、「がんばれ東北」ではない。

これが、この長くてまとまりのない記事の前提だ。


ようやく決着したセ・リーグの開幕問題だが、批判がはじまった発端そのものは、ひどく簡単だ。精神的な焦りからか、ドーム球場の使用やナイターにこだわった一部の野球人が、世論の反応を読まずに行ったミスリードである。
あらかじめ、首都圏以外の球場、あるいはデーゲームへの変更を手配しつつ、リーグあるいは野球界全体として取り組む寄付と節電に関して決め事を世間に大々的に発表しておいて、あとはプレーヤーから被災者に届けるメッセージCMでも流しておけば、何も問題はなかった。だから、ミスリードに批判があったこと自体は、いたしかたない。

だが、その初動のミスにつけこんで、執拗に批判をくりかえし、批判の輪を執拗に拡大させ、野球そのもののバッシングにまで広げていこうとした行為は、ドームのナイター開催批判とはまったく別次元の話である。度を過ぎた野球のバッシングは、そもそも、ある種の悪質なプロパガンダを含んで、野球を節電スケープゴートに仕立て上げようとする世論誘導行為である。(もちろん都市のバッシングも同じ)

ああいうアンフェアな批判の根底にある独特の感覚には、いくつか特徴がある。
1)「都市」と「田舎」の対立図式
2)「首都圏」と「東北」の立場の違いを強調した煽り
3)「東北」こそ真の被災地であり、「首都圏」は被災地ではない、とする意識誘導
4)「首都圏」は寄付や節電に励み、被災地=東北を助けろという、負担の一方的な押し付け

福島にある某スポーツのトレーニング施設は、福島に原発をつくる見返りに東京電力が出した金でつくられ、その建設費は最終的に首都圏の消費者の電気料金に上乗せされたという話を、最近ネットでみかけた。某スポーツにまったく関係ない世帯も含めて、首都圏の消費者に、その特殊なトレーニング施設の建設費を負担させたわけで、理不尽きわまりない。
関係ない人にまでコスト負担させておきながら、一方で、「身銭」はまったく切らない人たちの、こういうゴリ押し感覚の底辺にあるのは、たぶん「福島原発の生産する電力は首都圏で使い果たすのだから、原発建設の見返りとして福島に作るスポーツ施設の建設費くらい、首都圏で負担するのが当然」という歪みまくった発想だろう。馬鹿馬鹿しすぎて言葉にならない。
「被災地」をイメージ的に「東北の津波被害」に限定するロジックを繰り返し繰り返しテレビでプロパガンダしながら、首都圏に負担を押し付けるスキームは、かつて首都圏の電気料金に原発の見返りのスポーツ施設の建設費を上乗せした感覚にそっくりだ。


首都圏だって十分被災地だという単純な理由で、ブログ主は、「被災地」という言葉で「東北3県」だけをさす、そういう感覚を否定している。
また今回の地震のネーミングは「東日本大震災」で問題ないにもかかわらず、いつまでたってもメディアによって表記が確定されないのも、根底には「東日本全体を被災地としてしまうと、なにかと不都合なこともある」というおかしな発想が邪魔をしている、と考える。

また、「首都圏」の住人は「募金すべき人」なのであって、募金を「もらう」のが「被災地」、そういう人、つまり被災者は首都圏にはいない、などと決め付ける、馬鹿げたメンタリティも否定する。
どこをどう間違うと、募金を「する」か「もらう」かで、その場所が被災地かどうか「仕分け」できるのか。
首都圏は、「目に見えやすい被害」があまりなく募金能力が温存できているから、首都圏で募金を集める行為自体は、やればいい。だが、だからといって「首都圏が被災地でない」ことにはならない。そこが、いつのまにか、はきちがえられている。
首都圏は、「募金すらできない被災地ではない」のは確かだが、あくまで「募金可能だが、被災地でもある」、ただそれだけのことだ。


「首都圏を被災地として見ない偏った発想」。
これが、野球の開幕時期についてのバッシングの背景にある、と思う。

公共CMや大臣が、「買占めはやめよう」「節電しよう」と発言する場合、あきらかに、「首都圏」が名指しされている。また、有名人の誰かが「被災地のことを思え」とか発言する場合の「被災地」は、逆に、首都圏をさしていない。
つまり、彼らの言う「首都圏」は、「買占めをして、電力を大量消費して水を買い占めている、ワルモノの巣窟」(笑)であって、「被災地」ではないのだろう(笑)

こういう「都市」と「田舎」、「首都圏」と「被災地」を故意に分離し、被災地のひとつであるはずの都市に負担だけを求める歪んだ感覚が、彼らの野暮ったい表現や、悪質な仕分け感覚にあからさまに現れている。


そもそも今回の地震の被害と影響は、いくつかの次元に分かれている。
「被害」と「影響」は分けて考えるべきだが、いずれにしても災害は日本中、世界中に被害と影響を広げつつあることくらい、誰でもわかりそうなものだが、なのに、どういうわけで「被災地は東北3県、首都圏は節電もしないで買占めばかりしている」などという印象操作をするのだろう。よほど、被害を津波などの狭い定義の範囲におしとどめておきたい人がいるとしか思えない。原発から放射能が漏れていることが確定している現在、それは悪あがきにすぎない。

地震
→津波被害(人、家屋、企業、家財、他)
→避難所でのモノ不足(水、食料、医薬品、灯油、ガソリン、衣料、他)
→→原発事故
→→→放射線被害
→→→→環境被害(土壌、水、海、空気、生態系、他)
→→→→首都圏でのモノ不足(水など)
→→→計画停電
→→→→停電による被害(個人、企業、自治体、他)
→→→→個人のあらゆる面での消費減退
→国内企業の経済的被害(製造業、農業、漁業などの生産性低下や操業停止、水田の塩害、他)
→→外国人の国外退避、外国人観光客の減少
→→外国の産業への影響(自動車部品、農産物、他)
→→外国のエネルギー政策への影響(ドイツ、アメリカ、タイ、中国、オーストラリア、フランス、スイス、他)
→→→→→避難所関連コスト(物資供給、避難所維持、仮設住宅建設、他)
→→→→→国の財政的被害(復興の財源問題、財政の不健全さの拡大)
→→→→→個人、企業の経済的被害(増税)

資料:3月の新車販売37%減=震災響き、大きく落ち込む―自販連 (時事通信) - Yahoo!ニュース

<日銀>景気判断引き下げ検討へ 大震災被害、原発深刻化で (毎日新聞) - Yahoo!ニュース


今回の地震被害を大雑把に箇条書きしてみた。
被害は、直接の被害、つまり地震と津波による人命・家屋の被害に留まらず、「派生する災害が大きい」のが最大の特徴。近未来にこれから発生すると予想される被害も含め、けして小さいものではない。環境、経済、被害の及ぶ範囲も、種類も、これまでになく多い。国内の被害レベル、被害が今後継続する時間、復興にかかるコスト、どれもが第二次大戦を除けば、たぶん日本人がこれまで経験したことのない未曾有の規模の災害になるのは間違いない。
こうした被害のさまざまな種類がある中で、

首都圏は被災地でない、のか。
首都圏だけで負担しきれる被害なのか。
首都圏の停電した工場や店舗は、スイッチさえ戻せばすぐに生産力、収入が復活できるとでも思っているのか。
首都圏にある2000万世帯で、毎日使う飲み水を多少なりともミネラルウォーターでまかないだしたとしても、ミネラルウォーターの流通在庫は永遠に無くならないとでも思っているのか。
首都圏に、日本の子供の半数が住んでいるが、自分の子供に飲ませられる安全な水が蛇口から出ていると、すべての親を納得させられる説明を東京電力や自治体ができていると、本気で思っているのか。


ようやく決着をみたセ・リーグの開幕時期の問題そのものの中身についても、納得などいかない。
経済観念ないまま野球批判に便乗した大臣たちの安っぽい批判。毅然としてないだけのに正義感ぶっている選手会。世論対策を最初のステップからして間違えたオーナー。そして、4月12日開幕という曖昧な着地点。ほとんどわけがわからない。
なぜ「3月末」はダメで、「4月12日」ならOKなのだ。
ひとりで行くのが怖い低学年の小学生がトイレに行くのに友達を誘うごとくに、セ・パが同時開幕したほうがいいとかいう理由は何だ。
ホウレンソウの出荷停止に補償金を出すというのなら、なぜ野球に補償という話を出して自粛を求めないのか。


納得がいかない理由をどう説明したらいいか迷ったが、一番いいのは、
「首都圏」という単語を、「野球」という単語におきかえてみることだと思ったわけだ。(あるいは「被災地」という単語を、「田舎」という単語におきかえてみてもいい)

いいたいことが伝わるように、わざと物議をかもしそうな書き方をしてみる。「こんなこと、誰も書かないだろう」と思って書くくらいだから、読んで不快に思ったら謝ることにする。だが、野球と都市を重ねあわせて執拗に批判するロジックの歪みとズルさを指摘するためには、このくらい書かないとわからないと思う。

「首都圏は被災地でない。同じような意味で、野球はこの災害の被害者ではなく、むしろ加害者」
「田舎だけが、今回の真の被災地。都市は、節約もしながら、募金やモノを援助すべき」
「本当の意味の被災地は田舎だけ。そこでは、いま電気が通じていない。だから、首都圏はとにかく節電して、似たような生活を体験すべき。電気を無駄使いする野球を楽しむなど、もってのほか。当分やめておけ」
「福島のたくさんの原発は、もともと首都圏の生活を支えるために作られた。それが壊れて田舎の被害が甚大な以上、首都圏はこんどの災害の被災者ではありえない。都市民は節電して当たり前だし、電気料金もたくさん払え」


どうだろう。
「都市」と「野球」をイメージ的に故意にダブらせ、「田舎」を唯一の被災地に仕立てあげ、都市や野球に責任と道徳をなすりつけていく、こういうロジックのあくどさ。都市バッシング。野球バッシング。

節電は都市経済の健全さを阻害するのでやめておけ、節電など必要ない、などと、馬鹿げたことを言いたいわけではない。電力需要が急増する真夏が来てしまう前に、首都圏全域で節電生活の基本スタイルをあらかじめスタンバイしておくことは絶対達成しなくてはならないことくらい、いうまでもない。
だが、あえて言うと、野球をやろうと、やらまいと、都市の節電は達成しておかなくてはならないメトロポリスの使命であって、野球だけを「節電スケープゴート」にして「節電の義務感」を都市住民のマインドに無理矢理植えつけようとするあからさまなプロパガンダは醜悪としかいいようがない。都市民はそもそも災害の被害者であって、加害者でもなんでもない。これもいうまでもない。


プロの野球は、仕事だ。仕事としてトマトや米やホウレンソウを作るのと、まるで変わりない。野球を仕事にすることを、野球では「プロ」になるというわけだが、家庭菜園とプロの農家の違いのように、なにかを仕事にしたプロの大変さは、どんな仕事でもかわりはない。

こういうことを言うと、テレビが板のように薄くなった現代になってさえ、「農業と娯楽は、同等の業種なわけがない」などと、旧石器時代のような古い発想でモノを考える人がいる。今回の地震はどこからどこまでが被災地か?という基本的なことについて、よくわかってもいないクセに、他人様の節電意識や寄付行為に横からクチをはさんで憤る人も、大勢いる。
そういう「都市」と「田舎」を対比的に考えた上で、「偉いのは、お米を作る田舎のヒトだけ」みたいな古くさい発想が、いまだに日本人の脳内の片隅にこびりついていることには、本当に驚く。

もうそんな時代ではない。

「コメだけは特別」「野球だけは特別」なんて単細胞な発想で世の中を渡っていけた昭和の時代がとっくに終わった。だから、野球のオーナー企業だって、かつての鉄道や新聞が中心の時代から、IT・通信業などの新興産業にシフトしていったのだ。サラリーマンだって、農家だって、漁師だって、ウェブ・デザイナーだって、なんだって、お金を稼ぐのはたいへんだ。


被災地の定義を大きく拡大せざるをえないのは、もちろん原発事故の存在があるからだ。

今回の災害は、地震だけの被害だけだったら、被害はもっとびっくりするほど小さかったはずだ。だが、津波が原発事故を生んだことで、すべての様相が変わった。電力不足による計画停電、放射能汚染と、立て続けに被害の種類とエリアが拡大して、被害の規模と、被害の継続時間は、ありえないレベルに拡大している。
逆にいえば、「被災地の定義をなんとしても東北限定、津波限定におしとどめよう」というプロパガンダは、ある意味で、「原発事故によるさまざまな影響は、たいした被災ではないし、直視すべき現実ではない。そのうち消えるから心配するな」とまやかしを言っているのと変わらない部分がある。

そんなこと、ありえない。

東北の被害は「タテに深い」が、首都圏の被害は「ヨコに広い」。だからわかりにくいだけだ。
首都圏をはじめとする住民は、さまざまな脅威に怯えながら、外出を控えたり、ミネラルウォーターを買いこんだりしている。24時間フル生産しているミネラルウォーターを作る会社は儲かるかもしれないが、トータルでみれば日本全体の消費は減退しているだろう。
現に、飲食業やタクシーなど、都市の夜を支えてきた業種では収入が減少しているらしい。都市でヨーグルトが食べられないのは、計画停電でヨーグルト工場の生産が安定しないためらしい。東日本のあらゆる観光地では観光客が減少していることだろう。
漁業なども影響は必至だ。たとえ東北以北の港が修理され、出漁できるようになったとしても、消費地の首都圏で魚が敬遠されるようになっていれば、長期的な打撃を受ける。事実そうなりつつある。

これは誰もが言いづらいことだと思うが、「東北」の、それも「農家や漁師」だけが、この大震災と原発事故の被害にあったわけではない。「東北以外」、「農家や漁師以外」だって、もし誰かに金銭的補償を受けられるものなら、どれだけ生活あるいは経営が助かるか、と思っている人が大勢いる。
だが、こんな時代にお互い無理は言えないのはわかっている。だから、みんな我慢をしている。それだけだ。



首都圏だけでなく、各地に飛び火してもいるらしい買占めについても一言いいたい。

ミネラルウォーターはなくなるのが当たり前だ、と思う。

「買占めはやめよう」というお題目で戒めたり、批判だけする行為には、まったく賛成しない。それは「節電」というお題目で野球をバッシングしたのと、図式としてまったく同じだ。指摘するだけなら誰でもできる。その程度のことを指摘したくらいで安っぽいヒーロー気分に浸るのは滑稽だ。

思わず水のペットボトルを見るたびに買ってしまう家庭の奥さんたちは、もともと別に、ミネラルウォーターを買いおきしておきたいわけじゃない。むしろ無駄な出費など、したくもないだろう。だが、自分の子供や暮らしを守るためになら、買わないわけにはいかない。当然の話だ。

問題なのは「首都圏に住む人口の多さ、あるいは子供の集中度」だ。都市の現実を理解もせず、ズレたテンポで腰くだけの道徳ばかりを書きつらねている東北在住の作家がいるが、都市の現実をわかっていない人間の批判は的はずれもいいところだ。

たしか記憶では、
子供の2人に1人は、首都圏に住んでいる」。
だとしたら、子供のいる世帯が毎日必要な量だけ、つつしみ深くミネラルウォーターを買うだけでも、毎日、万という単位のペットボトルが売れていくことになる。
放射能の心配から、店頭からあっさりミネラルウォーターが消えてなくなってしまうのは、むしろ当たり前なのだ。
買占め? そりゃ一部にはあるかもしれない。だが、そんなのは全体から見たら、たいした量ではない。コンテナ単位で買っているわけじゃない。また、店側が店頭で1人1本とか、きちんとルールを決めないようなルーズな店で、箱単位で買っていくのを黙認していてはどうしようもない。そういうケースでの問題は店側のモラルと知恵にあるのであって、消費者の責任ではない。

買わざるをえない理由がある消費者が首都圏に大勢いる。
それが「現実の都市」だ。

首都圏の消費規模は大きい。人口の集中し、情報も早い首都圏で、日用品のどれかが足りなくなるとわかれば、その商品はあっという間に店頭から消えてしまうのが当たり前だ。

批判の前に、水の量が足りないのなら、首都圏の乳児、子供たちにもっと潤沢に水を供給するように、なぜあらかじめ手を打っておかないのか。「この放射線量では、ただちに健康に、どうのこうの」とモグモグ言っているだけで、水の供給問題に手を打たないのでは、人が水道水を信用しなくなる速度は加速していくだけだ。
道徳の押し付けより、必要なのは対策であり、工夫だ。対策が被災拡大の速度に追いつけないところに問題がある。

そもそも首都圏の水不足は、単なる道徳違反なのではなくて、一種の「被災」だ。なのに「こういう見えにくいタイプの被災者」に対する対策は何も手を打たず、「買占めはやめよう」だの、「戒め」だけを押し付けるのか。「戒め」だけでは、なんの解決にもならない。


よく外国メディアの人の記事で「日本人は政府を信用しすぎている」なんていう記事がある。だが、首都圏の消費者はおそらく、水、魚、野菜、そういう、いままで当たり前にあったモノを信用しなくなりつつあると思う。
非情なように聞こえるかもしれないが、いま東北で魚を獲るより、たくさんの東北の漁師さんに臨時で西日本で漁ができるように政府や自治体が話をつけて、安全な西日本から首都圏に魚を供給できるようにでもしたらどうか、とか思う。
「首都圏で魚が売れないのは、風評被害が原因だ」と主張しつつ、その一方で、魚は無理矢理獲って、廃棄処分にせざるをえない結果を招くけれども、金銭の補償はしてほしい、では、誰も浮かばれない。資源も無駄になる。
魚だって命がある。無駄にしていいわけはない。
まぁ、こういうアイデアは極端な思いつきにすぎないわけだが、いま獲っても消費されにくい海域で無理矢理に魚を獲っては、含まれる放射能を測定して一喜一憂するより、なにか東北の漁師さんの生計をたてながら、首都圏の消費者の魚の消費も復活できる方法論を、誰か頭のいい人が考えるべきだ。
でないと節電フリークのイカレた人間が、首都圏の消費者は東北の魚を食え、とか、馬鹿馬鹿しいことを言い出しかねない。


災害による支出の増加、収入の減少は、個人にもあり、企業にもあるわけだが、補償の一線はどこで引かれるのか。

プロの野球はビジネスだ。停電で仕事ができなくなって収入が減る床屋さんと同じように、プロ野球も、れっきとしたビジネスで、停電で収入面で被害を受けていることを忘れて話をする節電フリークがたくさんいる。首都圏の話と同じで、野球はこの震災の被害者であって、あたかも加害者のようにウダウダとバッシングされ続けたこと自体、そもそもおかしい。

では、なぜ首都圏の野球がなぜ被害者としてきちんと扱われなかったのか。
一部の野球人が「ドーム球場でナイターを開催したい」などと世論への初期対応を間違えたことで、ちょうど節電アピールのためのスケープゴートを探していた行政に「つけこまれた」感は否めない。

「つけこまれた」とは、ちょっと穏やかな言い方ではないように聞こえるかもしれない。

だが、いま日本は非常にセンシティブになっている。もっといえば、「静かなるパニック」の真っ最中だ。そのことを読まなければいけなかった。
被災地におけるちょっとした善意が非常に賞賛される空気は「やはり日本はいい国だ」という感慨を生むけれども、それは逆に言えば、ちょっとした失言、わずかなミスが針小棒大に扱われ、大きな失地を招くナーバスな時代だ、という意味でもある。困ったことに、善意を自分のモノサシで測定して、それが十分だと感じない相手はひどくバッシングするような悪質なロジックが、大手を振ってネット上を闊歩している。

本来なら被害者のひとりである「野球」というビジネスに携わり、牽引している方々は、こういうデリケートな時期に、どうすれば穏便にコトが進んで開幕にこぎつけることができるか、それをもっとよく考えて行動していなければならなかった。4月の開幕前にチャリティゲームを開催するくらいのことは素人でも考えつくのだから、ナーバスな世論環境のもとで何を、どういうタイミングでアピールしていくべきか、十分考慮すべきだった。
なのに、「プロ球界は、災害に配慮して、これこれ、これだけの寄付をし、節電の工夫もこういう風にしていく予定でいますよ」と好印象を与えおくことも、「野球も大きな被害を受けているのですよ。ご理解ください」とさりげなくアピールしておくこともせず、「無理やり開幕を強行しようとしている」という第一印象だけを与えれば、そりゃ批判をまねくに決まっている。
「たとえばなし」として言うなら、災害直後、今シーズンのスタートを1ヶ月か2ヶ月、まとまった期間遅らせます、シーズン全体の試合数も減るかもしれません。しかし、そのかわり、東京電力にゲーム開催で得られたはずの金銭の補償を求めていきますよ?、とでもいうようなスタンスを毅然とした態度でいちおう表明しておいて、その後、世の中の推移によって臨機応変に対応していっていたら話は違っていた。



風邪を引いて、出た症状ごとに薬を飲んでいくようなやり方を「対症療法」という。頭が痛くなったら頭痛薬、熱が出たら解熱剤、特効がないだけに、症状の数だけ、たくさんの薬が処方される。
今回の地震でも、ホウレンソウに放射能が検出されたら、ホウレンソウを出荷停止にして、そのかわり補償を約束し、ブロッコリーが出荷停止になったらブロッコリーに補償を約束し、被害が出た作物と地域の順序にそって、いちいち「補償する」などと耳ざわりのいいことを言う大臣がいるが、そんな場当たり的なことを続けていては、最終的にどうみても莫大になるはずの震災被害への対策費が、各産業、各地域に、しかも「先着順」にばらまかれてしまい、復興をみないうちに予算の破綻をまねきかねない。文句を先に言った者勝ち、先着順ではダメだ。

なにも困っているのは「ホウレンソウ」だけではないし、東北だけでもない。津波で家が流された地域だけが被災地ではなく、首都圏のサラリーマン家庭だって、企業だって、地盤の流動化で苦しむ断水継続中の浦安市だって、被災地であり、困っている。
こと「福島」「ホウレンソウ」にかぎって表立って補償とか言い出したのは、ある意味、単に「原発問題によるパニック」を避けたいだけ、それだけの「対症療法」だった。

「ホウレンソウ作り」が「営利によって暮らしを支える仕事」で、出荷自粛を求めるかわりに政府が収入を補償するのだとしたら、かたや「野球」という、基盤の弱い小さいビジネスに対しても、もし「節電」というお題目で自粛を求めるのなら、同時に、日程の変更やゲームの中止などで発生する損害の金銭的補償も頭に入れつつ発言するのが、スジであり礼儀というものだろう、というのが、ブログ主の発想である。
野球の経済被害をまるで考慮せず、節電だけしろ、は、ない。

先手を打つ才が無く、毎日起きる予想外の事態に、コトが起きた順番に対症療法だけしか策が打ち出せない、そんな余裕の無い人たちに、「つけいるスキ」を与えてはいけないのである。







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