June 07, 2011

今年のドラフトでシアトルはAtlantic Coast Conference (以下ACCと省略)に所属するヴァージニア大学の投手Danny Hultzenを指名した。

Virginia Cavaliers baseballVirginia Cavaliers baseball

ヴァージニア大学はACCから2009年カレッジ・ワールドシリーズ(College World Series 以下CWS)に初出場を果たしたが、Danny Hultzenはその一員として出場している。
この2009CWSには、シアトルが2009年ドラフト1位(全体2位)で指名したノースカロライナ大学出身のダスティン・アックリーも出場している。
ヴァージニアとノースカロライナは同じカンファレンス。ハルツェンのヴァージニアはファーストラウンドで敗退、アックリーのノースカロライナはセカンドラウンドで敗退したが、アックリーのほうはベストナインに選出されていて、アックリーとハルツェンの大学時代の実績には微妙な差がある。(優勝はLSU、ルイジアナ州立大学)
2009 College World Series - Wikipedia, the free encyclopedia
まぁ、ハルツェンがどういう選手で、どういう実績がある選手なのかは、どこかの真面目すぎるサイトがきちんと説明してくれると思う(笑)ので、めんどくさい割にはちっとも面白くない説明はそちらに譲る(笑)
Danny Hultzen - Wikipedia, the free encyclopedia


ここでは、なんともややこしいACC(Atlantic Coast Conference)の成り立ちに関する怪しい昔話を読んでもらおう。
Atlantic Coast ConferenceのロゴAtlantic Coast Conference

ボストンからマイアミまで、やけに加盟大学が飛び飛びに離れて点在するACCだが(笑)、このカンファレンスが、アマチュアとはいえ野球に関していかに競争が激しいか、そしてハルツェンのヴァージニア大学が強豪ひしめく激戦地区の代表として史上初のカレッジ・ワールドシリーズに出場したことが、いかに大変なことだったか、わかってもらえると嬉しい限りだ。

ACC所属大学Atlantic Coast
Conferenceの
加盟大学


まず、頭にいれておかなくてはならないことが2つ。

ひとつは、アメリカのカレッジスポーツのエリア区分である「カンファレンス」は不動のものではない、ということ。加盟大学が脱退してカンファレンスを移ったり、新たに加盟する大学が出てきたりなど、加盟大学数には増減がある。また、MLBがチーム数を増やすエクスパンジョン(=規模の拡大)を実行し、新たにシアトルに野球チームを作ったのと同じように、大学のカンファレンスもエクスパンジョンがあり、加盟大学の所属の異動が起こる。

2つ目に、カンファレンスは必ずしも「州を区分単位として構成されているわけではない」こと。
たとえば、ジャスティン・スモークの出身地サウスカロライナ州だが、ここには様々なカンファレンスの加盟大学が混在している。
クレムゾン大学 (Clemson University)はAtlantic Coast Conference。スモークの出身校サウスカロライナ大学はSoutheastern Conference。そしてSouthern Conferenceにも、サウスカロライナ州の4大学が加盟している。
List of NCAA conferences - Wikipedia, the free encyclopedia



さて、ACC。

1953年に、Southern Conferenceに加盟していた8大学が独立する形で新設されたこのカンファレンスには、カレッジ・ベースボールの強豪校が揃っている。
カレッジ・ワールドシリーズ優勝4回の名門マイアミ大学。2006年2007年と、2年連続で決勝に行ったノースカロライナ大学。ここ数年のCWS常連校クレムゾン大学フロリダ州立大学。西の強豪校がひしめくカリフォルニアやテキサスあたりにもまったくひけをとらない、東部の強豪地区だ。
Atlantic Coast Conference - Wikipedia, the free encyclopedia

スモークの出身校サウスカロライナ大学も、元はこのACCのcharter member(「チャーター・メンバー」=創設メンバー)で、1920年代からずっと加盟していたが、わけあって1971年に脱退した。
原因はよくはわからないが、どうも当時のACCに蔓延していたと思われるリクルーティング・トラブルなどが原因のようだ。
その後サウスカロライナ大学は、しばらくどこのカンファレンスにも属さない形になったが、1991年にSoutheastern Conferenceが所属校を増やし東西2つのディヴィジョンを創設するエクスパンジョンにあわせて加盟し、現在に至っている。



さて書こうと思ったのは、ACCの昔のあやしげなトラブル(笑)
例えば、こういう話がある。

Frank McGuireは、ニューヨーク州のSt. John's Universityを卒業し、華麗な経歴を築いていったスポーツコーチだ。(「ニューヨーク育ち」という点を覚えておいてもらいたい)
Frank McGuire - Wikipedia, the free encyclopedia
彼の偉大な業績は、まず、ニューヨークの母校を「2つの異なるスポーツ」でNCAAのトップクラスに導いたことだ。1949年に野球のヘッドコーチに就任して母校をカレッジ・ワールドシリーズに出場させたかと思うと、3年後の1952年にこんどはバスケットボールのヘッドコーチとして、母校をNCAAベスト4に導いた。誰にも真似できない離れ業である。

また彼は後に、カレッジ・バスケットボールのコーチとして、ノースカロライナ大学とサウスカロライナ大学、両方で実績を残している。この「異なる2大学で、全米レベルで歴史に残る輝かしい成績を残したコーチ」は、彼が初めてらしい。
バスケットのコーチとしてのFrank McGuireは、ノースカロライナ大学で1957年にNCAAチャンピオンシップで優勝。また、サウスカロライナ大学では(当時まだサウスカロライナはACC所属だった)シーズン無敗でのカンファレンス優勝という金字塔を打ちたてた。
That's what Wilt Chamberlain calls the unbeaten '56-57 - 03.29.82 - SI Vault

だが、この優勝の翌年、どういうわけかサウスカロライナ大学はカンファレンスを脱退しているのである。そのいきさつに関しては、後で紹介する記事を参照してほしい。


Frank McGuireは、コーチとして数々の名声を築いたが、残念なことに、一方では選手のリクルーティングにまつわるトラブルの多さや、チームの八百長の噂(ノースカロライナ大学時代)など、トラブルメーカーとしても有名だったらしく、彼は1961年のシーズン終了をもって、ノースカロライナ大学を辞めさせられている。(資料例:Scandal that rocked ACC | CharlotteObserver.com & The Charlotte Observer Newspaper
彼はその後、当時フィラデルフィアにあったNBAウォリアーズのコーチになり、しばらくカレッジスポーツから遠ざかっていたが、1964年にサウスカロライナ大学のバスケット・コーチに就任。再びカレッジ・バスケットボールの道に戻った。


サウスカロライナ大学コーチ時代の彼を、全米有力スポーツメディア、スポーツ・イラストレイテッドの1966年11月の記事に見ることができる。
Refusing to divulge reasons, the Atlantic Coast Conference - 11.07.66 - SI Vault

この記事は、次のような事件が元になっている。

ノースカロライナ大学を辞めさせられたFrank McGuireをコーチに迎えたサウスカロライナ大学バスケットボールチームには、当時、スタープレーヤーとしてMike Grossoという優れたセンタープレーヤーがいた。
Grossoは、Frank McGuireの出身地ニューヨーク州の隣のニュージャージー州の高校の出身なのだが、これは偶然なのではなく、ちゃんとした「ワケ」がある。

ある種の「スポーツ裏口入学」なのだ。

Frank McGuireは、自分の育ったニューヨーク近辺でいつも有望選手をみつけては、自分のチームに入れていた。1957年にノースカロライナ大学がNCAAチャンピオンシップでウィルト・チェンバレンのいたカンザス大学を破って優勝したときも、実は「ノースカロライナ大学のスターター全員がニューヨーカー」だった。(彼は1957年にノースカロライナ大学でNCAAで優勝したとき、チームが地元に凱旋する飛行機に乗らず、エド・サリバンショー出演のためにニューヨークに行ったくらいだ)
遠く離れたニューヨークで選手をみつけては、自分のコーチする大学チームに連れてくる彼の仕事ぶりは、"underground railroad" と、特別な言葉で揶揄されている。

underground railroadという言葉には「地下鉄」という意味もないこともないが、Frank McGuireのリクルーティングを揶揄する場合、南北戦争以前の19世紀アメリカにあった「黒人奴隷を亡命させ自由にするネットワーク」をもじって、「秘密ルート」、もっとハッキリ言えば「秘密の裏口入学」を意味して使われている。
underground railroadは、南部の黒人奴隷をオハイオ川などを経由してアメリカ北部やカナダに逃がすための秘密ネットワークのことで、後に南北戦争の引き金になった。文字通りの地下とか鉄道という意味は無い。
Frank McGuireを揶揄するときには、北部ニューヨーク近辺のバスケットプレーヤーを、ノースカロライナなど南部の州へ、つまり、19世紀の奴隷解放のためのunderground railroadと「まったく逆向きのルート」でこっそり運んだ、と皮肉っているのである。

Underground Railroad
Underground Railroad - Wikipedia, the free encyclopedia

地下鉄道 (秘密結社) - Wikipedia

Mike Grossoは、ニューヨークの隣のニュージャージーで彼が見つけてきたセンタープレーヤーだ。
だが、このGrosso、サウスカロライナ大学に連れてきたのはいいが、実は入学に必要な「750点」がとれていなかった。

記事によれば、Grossoの学力不足問題が、サウスカロライナ大学が当時加盟していたACCに伝わり、当然ながら、ACCの統括者は「カンファレンスに加盟する各大学の学生資格をきちんと満たした上で、バスケットのゲームに出場するのでなければ困る」と、Grossoの出場資格にクレームをつけた。
そこで善後策として、Grossoに再試験まで受けさせたのだが、そこでも700点ちょっとしかとれなかったらしく、結局、GrossoのACCカンファレンスのゲームに出場する資格は剥奪され、Frank McGuireのチームはエースの欠けた状態になった。
最近の例では、現マイアミ・ヒートのドウェイン・ウェイドや、デトロイト・ピストンズのロドニー・スタッキーが、大学時代に学業成績がNCAAの基準に足りなくてそのシーズンの公式戦に出られなかった、なんていう例もあるが、Grossoの場合は「入学資格そのもの」があやしかったわけで、話のレベルが違う。

この件について質問されたFrank McGuireはこんなふうに開き直った。
"I fed the boys too well and all, but that's the way I live myself, and I've always been that way."

「まぁね、ニューヨークあたりのガキどもを、将来バスケットやらせるために養ってきたのは、ちょっとやり過ぎだったかもしれない。でもな、アンタ。俺は、ずうっと長いこと、こういう風にやってきたんだよ。わかるかい?(俺にどうしろっていうのさ?)」


ニューヨーク育ちの彼の言う「俺なりのやりかた」とは、サウスカロライナで選手を育てるのはなく、自分の「顔」のきくニューヨーク近辺で「スポーツの才能のありそうな子供」を見つけてきては、自分のコーチする大学に押し込んで、その大学を優勝させる、というような「やり方」を意味している。
このインタビューが書かれた1966年はFrank McGuireのサウスカロライナ大学のコーチ時代だが、彼自身が「ずっとそれでやってきた」と自分から豪語するからには、その前のノースカロライナ大学のコーチ時代にも「同じようなやり方」をやっていた、と推測するべきだろう。

ノースカロライナ大学にいられなくなったFrank McGuireをコーチとして引き入れたサウスカロライナ大学が、バスケットで優勝したすぐ翌年の1971年に所属カンファレンスをなぜか脱退し、しかも、その後しばらくどこのカンファレンスにも属さなかった「謎の行動」の理由が、このエピソードからちょっと透けて見える。


Frank McGuireが亡くなったのは、1994年。
1913年にニューヨークの警官の13人の子供のひとりとして生まれ、80歳で亡くなったこの男の灰汁の強い一生について、ロサンゼルス・タイムズは長い記事を書いた。
Basketball Coaching Great Frank McGuire Dies at 80 - Los Angeles Times


以前、ボルチモアのブライアン・ロバーツのバイオグラフィをちょっと書いたとき、彼の父がノースカロライナ大学の野球部コーチを辞めさせられたために、息子のロバーツもノースカロライナ大学を辞め、サウスカロライナ大学に移った、という話を書いたことがある。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年4月25日、「2月のサウスカロライナ、父と息子のキャッチボール」。February in South Carolina, a father and his son played catch.
よくよく考えてみると、この「ノースカロライナ大学から、サウスカロライナ大学への移籍」というものも、もし時代が20年ほどさかのぼった1970年代以前の話なら、ちょっとワケありな移籍と、人に思われたのかもしれない。


ボストンからマイアミまで、飛び飛びに離れた所属大学が、やけに縦に広い地域に点在するACCだが、その歴史には、まぁ、いろいろあって、こうなった、ということなのである。







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