June 18, 2011

ついに3000本安打まであと6本と迫ったデレク・ジーターだったが、ふくらはぎを痛めたとかで15日間の故障者リスト入りしてしまった。

このジーター、ちょうどイチローと同じ「37歳」だ。

PECOTAシステムの開発者でもあるNate Silverはニューヨーク・タイムズの寄稿者のひとりでもあり、ここ最近のジーターの打撃成績低下について、Derek Jeter and the Curse of Age(「ジーターと、老化の害」)とかいう、まるでハリー・ポッターのタイトルみたいな記事(笑)をニューヨーク・タイムズに書いている。

この記事、要は「いくら名選手でも、37歳という年齢の壁はなかなか超えられないものだ」という趣旨のもとに書いているわけだが、そもそも『37歳で老化した名選手』のデータの集め方が、ちょっと目に余るほど手抜きが酷くて、笑ってしまう(笑)
もしブログ主がジーターなら、確実にハンマーか何か金属製のものを持って、こいつのところに怒鳴りこんでいると思う(笑)
Derek Jeter and the Curse of Age - NYTimes.com

Nate Silverのやり方は、過去の名ショートストップの「37歳時点での打撃成績」をいくつか挙げながら、「ジーターの成績低下は彼の37歳という特有の年齢のせい」と決めつけているのである。
いかに、彼の挙げた選手と、そのデータを何人分か挙げてみる。(ほとんどが殿堂入りのショートストップである)

「37歳でも、エリートか、まぁまぁ」
オジー・スミス
打率.295 43盗塁 13回目のゴールドグラブ
ホーナス・ワグナー 出塁率.423
カル・リプケン 14HR

「37歳のとき、イマイチ」
ルイス・アパリシオ  打率.232(1971年)
George Davis    打率.217(1900年代のHOF)

「37歳には、フィールドから消えていた」
Lou Boudreau 1952年 34歳で引退
Arky Vaughan 1948年 36歳で引退
Phil Rizzuto 37歳時点ではベンチプレーヤー 1956年 38歳で引退
Joe Cronin  37歳時点ではベンチプレーヤー 1945年 38歳で引退 

よくまぁ、この程度のデータの提示で「37歳」を老化の壁と決め付けたものだ(笑)
まず酷いのは、MLBの「丈夫さの代名詞」みたいなカル・リプケンを比較サンプルとして挙げていることだろう。連続出場記録をもつリプケンと比べたら、どんなに健康な37歳だって不健康にみえるのが当然だ(笑)(それにリプケン自身、30代終盤に急速に衰えたために引退したのであって、37歳を過ぎても成績が落ちなかった選手の代表、というわけでもない)
オジー・スミスの盗塁も、37歳時点ではたしかに43盗塁してみせたが、翌年からは衰える一方でパタリと走れなくなり、ついには580盗塁と、通算盗塁記録として大台の「600盗塁」にあと一歩のところで停滞したまま力尽きて、引退した。彼の盗塁数は「37歳でも元気だった選手」のサンプルにふさわしいとは思えない。
List of Major League Baseball stolen base records - Wikipedia, the free encyclopedia
また、ルイス・アパリシオは、37歳(1971年)に打率.232と打力が低下していたというけれど、彼の打力低下は37歳どころか、31歳(1965年)打率.225、33歳(1967年).233と、既に30代はじめに始まっている。盗塁数がガクンと減ったのも、31歳だ。したがってアパリシオは「37歳の壁」を証明するサンプルにはならない。
Lou Boudreauは1952年34歳で引退。Arky Vaughanも、第二次大戦を挟んで1948年に36歳で引退。こうした、第二次大戦の影響を受けつつ引退していった不運な選手たちのキャリアを、こうした「年齢の壁」について書く記事のサンプルとして取り上げるのは正当ではない。
(ちなみにLou Boudreauは、1941年7月17日のヤンキース戦8回表に、その日まで56試合連続安打を続けていたジョー・ディマジオがノーヒットで迎えた最終打席に打った痛烈な二遊間のゴロを横っ跳びにキャッチしてダブルプレーを完成し、ディマジオの連続試合安打記録をストップさせたショート。またArky Vaughanは、1941年のオールスターゲームで史上初めてとなる1試合2本のホームラン打った)
Phil Rizzutoについても、1956年に38歳で引退したが、36歳(1954年)のときに既に打率は.195だった。1945年に38歳で引退したJoe Croninも、たしかに37歳(1944年)時点で打率が.241しかないベンチウオーマーだが、35歳(1942年)で既に45ゲームしか出場しておらず、2人とも別に「37歳になったから」ベンチスタートになったわけではない。「37歳が壁だから、能力が低下した」と断定するための証拠になど、到底ならない。

以上(笑)証明終わり(笑)
なにごとも結論ありきでモノを言ってはいけないのだ。



このNate Silverのニューヨーク・タイムズ記事はまるで使い物にならないゴミ箱行きだが、それはともかくとして、「37歳が、野球選手にとって、どういう年齢か?」というテーマそのものは、実は、ちゃんと取り組むなら、非常に興味深いテーマなのだ。

たとえば、こんな記事がある。
イチローと、ロッド・カルートニー・グウィンウェイド・ボッグスピート・ローズタイ・カッブの5人のホール・オブ・フェイマーの成績を、特に「37歳以降のヒット数」に焦点を当てて比較検討した優れた記事だ。
Ichiro in Historical Context « The Greatest Hitter Who Ever Lived

この記事が非常に興味深いのは、いわゆる3000本安打を打った名選手といえども、37歳時点では、まだ2000数百本しか打っていなかった選手が多数いるということを示した点だ。
37歳以降に打ったヒット数(カッコ内は通算ヒット数)
ロッド・カルー   381(3053)
トニー・グウィン  581(3141)
ウェイド・ボッグス 681(3010)
ピート・ローズ   1290(4256)
タイ・カッブ     736(4189)


上のデータをグラフ化してみた。(縦軸は通常の均等なグラフだが、横軸はわかりやすいようにわざと変則的にしてあることに注意してほしい)
5人のホール・オブ・フェイマーが37歳以降に打ったヒット数


34歳の若さで既に3000本安打を達成していた球聖タイ・カッブは別として、ロッド・カルー、トニー・グウィン、ウェイド・ボッグスの3人は、37歳の時点には3000本安打どころか、2800本にすら到達していない。ここを、よく記憶しておいてもらいたい。

こちらのサイトに、3000本安打を達成した27人の選手全員の「達成時の年齢」を示したデータがある。
3,000 Hits Club on Baseball Almanac
みてのとおりだ。
37歳になる前、つまり、「36歳以下で3000本安打を達成した打者」は、タイ・カッブ(34歳)、ハンク・アーロン(36歳)、Robin Yount(36歳)と、たった3人しかいない。

その一方で、「40歳を超えて3000本安打達成にこぎつけた選手」が、びっくりするほど大勢いる。カール・ヤストレムスキー、ホーナス・ワグナー、ポール・モリター、ルー・ブロック、ラファエル・パルメイロ(以上、40歳で達成)デイブ・ウィンフィールド、クレイグ・ビジオ、ウェイド・ボッグス(ここまでが41歳で達成)、リッキー・ヘンダーソン(42歳)、Cap Anson(45歳)。

27人中、10人。約40%もの3000本安打達成者が、「40代での達成」なのだ。
37歳が壁でみんな潰れていく、のではなくて、37歳から頑張れた選手が3000本打てている、というのがリアルな話だ。


このことでわかることは、
ひとつしかない。


MLBのプレーヤーにとって
「37歳」という年齢は、
自動的にやってくる「壁」ではありえない。
むしろ本当の名誉への「扉」だ。
そう。これが真の解答だ。


つまり、こうだ。

37歳という「扉」は、誰に対しても開く。だが、「扉」の向こう側に立たたされたとき、その瞬間から、どれだけ必死に、どれだけ命がけで、もがき続け、努力し続けることができるか。

それが「37歳から始まる、本当の戦い。名誉ある最後の戦い」なのである。

だから37歳は、壁や出口ではありえない。
むしろ、「入り口」なのだ。

37歳という「入り口」に立つよりも前に3000本ものヒットを打ってしまうような特別なプレーヤーは、球聖タイ・カッブのような、名選手中の名選手と呼ばれる選手だけであり、だからこそ、彼は「球聖」という呼称を手にしたわけだが、下記のデータを見てもらいたい。

タイ・カッブと並び立つようなプレーヤーであることを見せつけるための、イチローの「37歳の扉」をくぐってからの、もがきと戦いは、今シーズンから、ついに始まったのである。600盗塁への長い道のり、オジー・スミスの13回のゴールドグラブ受賞へのチャレンジについても同じだ。

1ゲームあたりのヒット数
タイ・カッブ  1.3806
イチロー   1.4131
(MLBのみ。2010年までの数値)







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