July 21, 2011

最近こんな記事を書いた。
某巨大掲示板にしても、スポーツ新聞の記者にしてもそうだが、MLBのオールスターの視聴率が「6.9%」とかいうだけで、野球に対するわけのわからないバッシングをやり続けている多くの馬鹿がいることを笑った記事だ
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月18日、去年より低かった2011MLBオールスターの視聴率 (1)6.9%だからMLBは衰退しているとかいう、くだらない議論。呆れた今の日本の「議論能力」の無さ。

彼らは、テレビ全盛時代が終わりを告げ、音楽がミリオンセラーにならなくなった今の時代に、全米視聴率「6.9%」がどういう重さをもつのか、まるでわかっていない。
彼らは、日本で人気ドラマの視聴率が20%を越えるのが当たり前だったバブル時代や、紅白歌合戦を日本の60%以上の人がテレビの前に座って、みかんの皮をむきながらコタツで見るのが当たり前だった昭和の時代の、「視聴率20%を越えて、はじめて人気番組」とかいう、古臭くて、カビの生えた「テレビ全盛時代」の感覚をもとに、「6.9%」という数字をわけもわからずに「MLBの衰退」とか野球バッシングをやり続けて、失笑を買い続けている。


そんな彼らの想定する「野球イメージ」は、「お年寄りだけが好むスポーツ」というものらしいが、この「年寄りの好む野球」という決めつけは、他のどんな決め付けや、どんな思い込みより、笑わせてくれる(笑)もう、たまらなくおかしい(笑)
なぜああいう「野球叩きのための古臭いロジック」が無意味なのか? について、以下に、少し説明しておく。これからはそういう人を見かけたら、腹を抱えて笑ってもらっていい(笑)
(なお、以下に書くことが、日本だけでなくアメリカでもまったく同じことが言える、というわけではないことは、ことわっておく)


結論をあらかじめまとめて書いておく。

1)スポーツが商売として成り立つのは、政治経済がともに安定している先進国だが、そういう社会が安定している先進国では高齢化が進むのが常識。

2)だから、もしナショナル・スポーツ、国民的スポーツと呼ばれたいのなら、そのスポーツはむしろ「年齢層の高い人たちをも、ファン層としてコア層に抱え込めるスポーツ」でなければならない。
いやおうなく高齢化の進む先進国で、一定以上の資産や財産を常時キープしつつ、スポーツのシーズンシートを買う、というような消費行動で、そのスポーツの主要収入源になってくれるような世代は、明らかに「収入が乏しく、不安定な若年層」ではなく、一定以上の所得を既に得た層だ。
バブル崩壊後、若い人間に仕事もチャンスもほとんど与えてこなかった日本では特に、一定以上の所得を持つ層とは、一定以上の年齢層をほぼ意味する。

3)ゆえに「野球はオヤジ臭いスポーツ」という言い方は、実は、ほとんど何のマーケティング的な中身も意義も持たない。むしろ、あらゆるスポーツは「オヤジ臭くならなければならない」 というのが正しい。

4)広く安定した人気を確保し、財政的にも安定したスポーツになるために求められる条件は、正しくは、「オヤジ臭いスポーツになること」、つまり、「オヤジ世代、オバサン世代に愛好される文化」になることで、それが達成できなければ、そのスポーツは安定したマーケットには絶対にならない。日本の音楽でミリオンセラーが出なくなったのも、意味はまったく同じ。

5)たとえばサッカーだが、よく言われるように「サッカーは、野球とは対称的に、若い人の好むスポーツになった」のでは、まったくない。
サッカーという「商品」は、90年代に日本のサッカーがプロ化された当初から、マーケティング的な意味で、「団塊世代において野球が市場を形成した。であるなら、団塊の次の大きな人口ボリュームである団塊ジュニア世代に対して、新たに何を売れば、新たな市場として開拓できるのか?」というシーズ発想から考案された「団塊ジュニア世代向け商品」なのである。
短く言うと、「サッカーは最初から、特定世代をターゲットに考案された商品」なのである。

6)サッカーという商品は、「団塊ジュニア世代」という「団塊世代の次に大きな人口ボリューム」をターゲットに考案されたために、最初に売り込まれた「団塊ジュニアとともに、年老いていく」。スタジアムに足を運んでくれるコアなサッカーサポーターが「年々高齢化していく」というデータ的現実が、それを如実に示している。



上に書いたことを実感してもらうために、以下に2つの時代の人口ピラミッドを用意した。緑色が「団塊世代」赤色が「団塊ジュニア世代」
人口ピラミッドというものは、ある年のものだけを見ていては何の意味もない。時間とともに、これまでどう推移してきたか、これからどう推移するかが、最も重要だ。
たった2つの図を見るだけで、上に書いた「ナショナルスポーツは、オヤジ臭いスポーツでなければならない」「90年代に始まった日本のプロサッカーは、団塊ジュニア向け商品である」という文章の意味が、説明しなくても、実感できるはず。
団塊ジュニアは、1995年には20代前半だったが、2010年には30代後半になった。そしてこれから、ますます年齢を重ねていくわけだが、勘違いしてはいけないのは、「団塊ジュニア世代」に、「団塊世代とまったく同じ老後」が待っているわけではないということだ。
団塊世代は終身雇用の最後の輝きの中でキャリアを積み、資産を形成し、高い消費税もまぬがれ、やがて高額な年金をもらう世代だが、そのどれも期待できないのが、団塊ジュニア世代だからである。


よく、「団塊ジュニア世代は、『団塊世代の子供』を意味する」という前提で話す人がいるが、それは単なる勘違いであり、思い込みにすぎない。この2つの世代間に、必ずしも密接な親子関係が存在するとは限らない。
ただ、とはいうものの、「最初からサッカーを世代文化として売り込まれて20代、30代を通過した団塊ジュニア世代」が、「野球を文化的ベースとして戦後をのりきってきて、いまや年金をもらう時期にきた団塊世代」のことを、「オヤジ呼ばわり」することには、文化的にもマーケティング的にも、何の意味もないことは、この図から、明らかすぎるくらい、明らかだ。
なぜって、実際「団塊ジュニア」の親にあたる世代が「団塊」なのであって、金を握っている自分の親のことを、子供の側がいくら「オヤジ!」と罵倒してみせたところで、金が子供の財布に降ってくるわけでもなんでもないからだ。

1995年の人口ピラミッド

1995年の人口ピラミッド


2010年の人口ピラミッド

2010年の人口ピラミッド



不思議なもので、ある一定の年齢を過ぎると、人はたいてい新しい音楽を受け入れることができにくくなる。

まして「新しい音楽」を、「買う」「漁る」「踊る」「口コミする」というような、「音楽を全身全力で消費する行動」、もっと平たく言えば「音楽に命を賭けるような日々」は、普通はある一定の年齢でピタリと停止する。大人という生き物は、常に新しい音楽から距離を置いて生きるものだ。(もちろん世界的に、新しい音楽に良い音楽が少なくなってきていることも事実でもあるが)


世界のどこでもそうなのではないが、日本では一般的にいうなら、「音楽は、若い人間だけのための文化」と、思われていることが多い。
だからこそ、毎年のように同じような子供向けポップソングが、手を変え品を変え売り込まれ、だからこそ、その人の歌える歌、好きな歌で、その人の年齢をだいたい言い当てることができたりもするわけだが、そういう「若いうちだけしか聞かない音楽マーケット」は、放置しておけば、社会の高齢化とともにどんどん尻すぼみになっていくことは、誰にでもわかるはずだ。
日本で先進国特有の高齢化が進んだときに、日本の音楽からミリオンセラーがパタリと消え、ヒット曲は100万枚売れて当たり前という時代は、社会の高齢化とともに終わっていった。

テレビで人気番組というのは視聴率20%を越えるような番組だ、なんて常識が通用したのは、そういう古いメディア全盛期の昔話だが、MLBオールスターの視聴率6.9%という数字を「低い」と笑うようなタイプの人は、自分の基礎データのカビ臭さ、古さにまるで気づかないまま意見を言うクセがある。


「団塊ジュニア世代」だけが永遠に若者でいられるわけでもなんでもない。現に、日本にプロサッカーができた当初、「団塊ジュニア世代」は20代だったが、あれから15年ほどたったいま、彼らも「30代後半」の立派な「オヤジ」だ。
スタジアムにはいま、大人になりきれないまま、いまだに「自分の親世代のことをいまだに『オヤジ呼ばわり』して激しく嫌うくせに、自分自身も既にオッサンくささ満載の団塊ジュニア世代」が、わんさかいることだろう。スタジアムでの調査でも、実際そういう結果は出ている。



やれやれ。
たまにはスポーツを見るのを止めて、音楽でも聴いて一日を過ごすべきだ。

あなたが自分の好きなスポーツとともに年老いていくのは、あなたの勝手だ。だが、感覚はものすごく古くさいクセに、年齢、もしくは見た目だけは、どういうわけか、とても若い、そんな気味の悪い矛盾満載の人間たちの馬鹿げた主張に煩わされつつ、自分は年をとりたくなどない。







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