September 04, 2011

経済学にはミクロ経済学とマクロ経済学があって、それぞれに固有のロジックがあることはよく知られているわけだが、野球のスタッツの評価方法やチームマネジメントのロジックについても、「プレーヤー個人」から見る場合と、「チーム」や「リーグ」など鳥瞰的、俯瞰的な視点から見る場合とでは、大きく違うわけだが、実際にはどうかというと、常に非常に混同されたまま、さまざまな話題が混乱のうちに語られて続けている。

たとえば出塁率がそうだ。

プレーヤー個人だけで見ると、あたかも、大から小から、さまざまなタイプがいるように思われている。
例えば、2007年のリッチー・セクソン(打率.201 出塁率.295)や、2011年のジャック・カスト(打率.213 出塁率.344)のように、打率がわずか2割ちょっとしかないにもかかわらず、四球数が多いために、出塁率が.300を越えているバッター、つまり、出塁率と打率に大きなギャップのあるバッターがいる。
一方で、2011年のウラジミール・ゲレーロ(打率.280 出塁率.311)のように、打率がいちおう.280あるのに、出塁率が.311と、出塁率と打率の差が小さいバッターもいる。
(前者のケースの打者は、打率が低すぎることも多いわけであって、本来はスタメンにいられるレベルじゃないのに加えて、「出塁率と打率に大きなギャップのある打者」が必ずしも長打力があるという意味にはならないし、そういう打者の長打力がサラリーや打順にみあうなんて意味にはならないのに、そこを無視して、出塁率、つまり四球数を評価すべきだのなんだの、自分の思い込みのみで主観的に語る人があまりにも多い。
個人で同じ出塁率なら、打率の高い人のほうを評価すべきだが、その理由の一端は以下にも書くので読み取ってもらいたい)


こういうプレーヤーごとのバラつきのようなミクロ的な差異を、チーム全体、リーグ全体からマクロ的に見ると、ようやく「プレーヤー個人の良し悪し」をファンやアナリストが自分の好き嫌いを自分勝手に織り交ぜながら混乱した評価を下すのではなくて、チームとしての法則性からきちんと評価できる視点も見えてくる。
以下に簡単な例で示してみる。


以下に、とりあえず2011年ア・リーグのチーム別出塁率とチーム打率の関係を、ホームゲームとビジターに分けて示してみた。(他の年度や、ナ・リーグのデータ、日本のデータなども調べてみないと、以下の話はまだ「常に、そうだ」と断言できる段階ではないことには注意してもらいたい)
元資料:American League 2011 Batting Splits - Baseball-Reference.com

ホームとビジターで比例関係の強さにわずかな差はあるものの、ひと目で、「出塁率と打率とが、非常に綺麗な比例関係にある」ことがわかる。つまり上のグラフは「チーム出塁率は、チーム打率のみによって決定されている」ということを示している。2つの数字の関係は、相関を計算する必要がまったく無いほど、強い。
「チーム出塁率」は、「チーム打率」に、「定数」として、6分から7分、数字でいうと0.06から0.07を加えた数字になっている。「チーム出塁率」と「チーム打率」の比例関係を数式にすると、こうなる。
「チーム出塁率」=「チーム打率」+「定数」
(定数=0.06〜0.07 四球や犠飛を意味する)

定数部分をもう少し詳しく言うと、チームバッティングにおいて、四球や犠飛の占める割合(チームのIsoDといいかえてもいいが)は、どんなチームでも常に一定の割合、すなわち、全体の6から7%であって、ほとんど変動しない、という意味。
このチームバッティングにおける四球率が一定になる現象は、打席全体に占めるホームラン率における現象に似ている。ホームラン率も、個人でみるとバラバラだが、チームでみるとほぼ一定になる。ホームランや四球は「十分たくさんの打席を検証すると、一定割合で出現する事象」というわけだ。
簡単なたとえ話で言うなら、「むやみやたらとフライばかり打っていると、一定の割合のフライは必ずホームランになる」ということだ(笑)

チーム出塁率の定数部分の中身は、実際のゲームでは四球や犠飛なわけだが、この定数部分は、2011ア・リーグの数字を見る限り、チームごとの打撃力の差や、そのチーム戦力のタイプの違い、あるいはパークファクターに、まったく左右されない。
だからこそ「チーム出塁率は、チーム打率に完全に比例する」なんて大胆なことが言える(笑)

2011 ア・リーグ
チーム別「出塁率と打率の比例関係」(ホーム)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ホーム)

2011 ア・リーグ
チーム別「出塁率と打率の比例関係」(ビジター)

2011ア・リーグ 打率と出塁率の比例関係(ビジター)


様々なタイプのパークファクターをもったたくさんの球場でのゲームデータを集計した「ビジター」データは、当然のことながら、単一球場のデータである「ホーム」のデータより、チーム間格差が平準化、平らに均(なら)されるわけだから、ホームよりもビジターのほうが、グラフの右下がりの傾斜はより緩くなって、より平らなグラフになる。
別の言い方をすると、データの「右下がりの傾き」が強い「ホームゲームのデータ」は、「各チームのチーム出塁率の絶対値は、それぞれのチームのホームスタジアムのパークファクターに大きく影響される」ことを示している。四球率はパークファクターには左右されないが、出塁率はパークファクターに大きく左右される。

それはそうだろう。
前提として「チーム出塁率が、チーム打率にほぼ完全に比例する」として話をしているのだから、「ヒットの出やすいホームスタジアムのチームほど、チーム出塁率が高くなる」、「ヒットの出にくいホームスタジアムのチームほど、出塁率が低くなる」のは当然だ。
この説明手法を使うと、例えば、ボストンのチーム出塁率がア・リーグトップなのは、ボストンの打者たちが待球ができて、選球眼もよく、たくさんの四球が選べるから、なんて、もっともらしい理由(笑)では全くなくて、単に「フェンウェイパークが、あまりにもヒットが生まれやすいヒッターズ・パークだから、打者の打率が高く、その結果、チーム出塁率が良いというだけ」、ということになる(笑)


ただ、問題はこれだけでは済まない。
チーム運営という視点から、あるいは選手の評価という面からも、これまでの指導常識を疑う疑問が数多く派生してくるからだ。


●もし「チームの出塁率がチーム打率によってほぼ決まる」としたら、チームの監督が四球増加を目的に、自分のチームのプレーヤーに待球を強制する戦略は、実は「まるで無意味」なのではないか?

●もし「チームの出塁率がチーム打率によってほぼ決まる」としたら、出塁率向上のために最も意味のあるチーム方針とは、「打率を上げることのみだけしかない」のではないか?(実際には、もうひとつ、パークファクターを変えるためにスタジアムを改装する、という手もあるが 笑)

●よく、四球を積極的に選ばないアベレージタイプの打者をむやみに批判する人がいるが、「チームの出塁率がチーム打率によってほぼ決まってしまう」としたら、チームの打率を向上させないと話にならないのだから、そうした批判は「根本的に的外れ」なのではないか?

●もし「チーム出塁率からチーム打率を引いた数字が、ほぼ0.06から0.07の間で一定」なのだとしたら、チームの総打席数に占める四球や犠飛の割合は、どんな戦力のチームであっても一定割合になるのだから、「GMが、四球増加を目的に、四球を選べるプレーヤーを獲得してきた」としても、そのことでチームの出塁率が劇的に上昇することは、全くありえないのではないか?

●チームを支配しているマクロの論理は、どのくらいプレーヤー個人に影響を与えているものなのか。マクロ的野球とミクロ的野球との、接点、違い、お互いの影響力はどうなっているのか。


こうして書いてても、湧き起ってくる疑問点は実は非常に多くて、シアトル・マリナーズってチームはホントにチームマネジメントの失敗だらけなのがよくわかって、書いていて疲れるほどなのだ(笑)
なんかこう、難しいことを書いているように見えるかもしれないが、実はそうではない。言いたいことは、ひとつしかない。

「チームというマクロ的視点から見ると
 ヒットを打てない打者をいくら揃えても、
 出塁率は向上したりはしない」


イチロー
天才に決まってるじゃん。議論なんか必要あるわけない。

前に書いたように、「ヒット」っていう事象は、ベースボールが出来た創世記からもともとあったプレー要素で、それは「アウトにならないこと」を指す、最も重要で根源的なプレーであったわけで、なにもセイバーの数字オタクたちがまるで自分たちが見つけた新発見みたいに自慢しなくたって、もともと野球というゲームでは「アウトにならないこと」は「最重要プレー」だったわけね。
その一方で、もともと「四球」が4ボールではなく、9ボールだったように、四球ってものは歴史的に重要視なんかされてこなかった「サブ的なゲーム要素」だった。
「ヒット」はプレーの目的そのものだけど、「四球」はプレー結果のひとつなだけであって、野球をやる目的じゃない。
四球が無意味だと言いたいわけじゃなくて、正確にいうと、「出塁率、出塁率って、いちいち、うっさいよ。100年も前からある野球ってゲームで、100年後にあらためて『アウトにならないこと』を重視したいと思ったんなら、歴史的にもデータ的にも重要なのは、四球じゃなくて「ヒット」なんだから、なぜヒット絶対主義にならないのか、不思議でたまらない。ヒット絶対主義で、まったく問題ないでしょ。あんたら、アホなの? 」ということ、なんだな。
イチローが四球を選ぶとか選ばないとか、重箱の隅つついてんじゃねぇよ。くだらない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年8月18日、『アウトでないもの』〜ヒットの副次性。

まぁ、読んだ人が自分なりに自分の問題意識に照らして読んだらいいと思うが、この指摘、単純なように見えて、けっこう噛めば噛むほど味のでる指摘なのだ、よく読んでもらいたい(笑)




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