September 29, 2011
3000本安打を達成する「3つのルート」のうち、まず、3000本安打達成者としては「低打率なグループ」である第1のグループ、「カール・ヤストレムスキー型」の中身を見てみる。(まるでUFOのタイプ分けのようなネーミングだ 笑)
(「3つのタイプ」の分類については、ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(2) 3000本安打達成者の「3つのタイプ」を参照)
(1)「カール・ヤストレムスキー型」
この第1グループに属するプレーヤーの最大の特徴は、カル・リプケン的な身体の丈夫さと、(全員がそうだとはいえないが)「地元の声援を受けて長くプレーすることができたフランチャイズ・プレーヤーである」という点だろう。
第1グループの打者たちは、3000本安打達成者としてみた場合、通算打率が.285前後と、低い。(もちろん、3000本安打達成者としては低いというだけで、そんじょそこらの凡庸な打者よりは、ずっと高い) だから必然的に、通算打率.285あたりの打者が3000本安打を達成するには、大きな怪我が少なく、長いキャリアを実現できた選手であることは必須条件になる。
第1グループの引退年齢をみると、44歳までプレーできた伝説の盗塁王リッキー・ヘンダーソン、歴代連続試合出場記録、連続試合フルイニング出場記録をもつカル・リプケンをはじめ、ロビン・ヨーントを除く全員が、40代までプレーしている。
連続試合出場記録をもつカル・リプケンがこのグループに属していることからもわかるのは、やはり、何事か大きなことを成し遂げることのできる長いキャリアを実現するには、丈夫な身体が必要だというシンプルな話だ。
単純なようだが、やはり身体の頑健さは人並み外れた成果を残すには必要不可欠。大事なことだ。
さらに趣深い特徴は、彼らの多くが最初に入団した球団のみでキャリアを終えた、スペシャルなフランチャイズ・プレーヤーであることだ。
ヤストレムスキー(ボストン)、リプケン(ボルチモア)、ヨーント(ミルウォーキー)、ビジオ(ヒューストン)と、第1グループはまるでMLBの代表的なフランチャイズ・プレーヤーの優良見本市のような趣がある。彼らは「近年の代表的な有力フランチャイズ・プレーヤー」という話題になったら、間違いなく名前が挙がる選手たちばかりだ。(第2グループにも、カンザスシティ一筋でキャリアを終えたジョージ・ブレットなどの例があるが)
3000本安打達成者の中では比較的低打率なバッターである彼らが、「地元の声援があったから、長いキャリアを維持できた」のか、それとも逆に、「長いキャリアが可能なほど、高い才能に恵まれた選手だったからこそ、フランチャイズ・プレーヤーとしてひとつの球団にとどまり続けることが可能だった」のか。
この「長いキャリア」と「地元の声援」の、どちらかニワトリで、どちらがだったのか、さすがに明言できないのだが、少なくとも言えることは、彼らのケースでの3000本安打達成については、「地元の声援」も大きく貢献しただろう、ということだ。
これは野球というスポーツのスピリッツをこれから見たり考えたりする上で、とても深く考えさせられる。
(逆にいうと、これから3000本安打という、途方もない大記録に挑もうとしているフランチャイズ・プレーヤーの「放出」を煽りたてているシアトル地元メディアなどは、あまりにも馬鹿で、まったくお話にならない。3000本安打の意味も重みもわかってない。ケン・バーンズのほうがよほど野球というものの本質をわかっている。
時間があれば以下の記事を参照するといい。ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。)
3000本安打達成者の3つのグループの中では、低打率である第1グループの「ヤストレムスキー型」の達成プロセスが、彼らの「キャリアの長さ」に基づいているという話は、もちろん理にかなった話だ。打率が低いのだから、長いキャリアやらなければ、3000本安打達成には至らなかっただろう。
だが、そういうリクツ上の話はともかくとして、彼らの長いキャリアを支え、3000本安打達成に至らしめた原動力が、単に、彼らの恵まれた非凡な才能や身体の丈夫さだけではなかった、というのが、ヒューマン・ストーリーとして非常に面白い。「記録というものの、別の意味や重み」を考えさせられる。
野球選手に必要なものは、プレー技術だけではないのである。
イチローはこの第1グループに属すプレーヤーではなく、第3グループのプレーヤーだが、2011年9月まで、シーズン全体を棒に振るような長い休養もなく、11シーズンシアトルでプレーしてきて、イチローは、この第1グループの3000本安打達成者たちが発揮した「身体の頑丈さ」、「フランチャイズ・プレーヤー」という点からみても、申し分ない3000本安打達成者候補だ。
(「3つのタイプ」の分類については、ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年9月28日、3000本安打を達成する方法(2) 3000本安打達成者の「3つのタイプ」を参照)
(1)「カール・ヤストレムスキー型」
カール・ヤストレムスキー (3419本)43歳
エディー・マレー (3255本)41歳
カル・リプケン (3184本)40歳
ロビン・ヨーント (3142本)37歳
デイブ・ウィンフィールド (3110本)43歳
クレイグ・ビジオ (3060本)41歳
リッキー・ヘンダーソン (3055本)44歳
(数字は、通算安打数と引退年齢)
この第1グループに属するプレーヤーの最大の特徴は、カル・リプケン的な身体の丈夫さと、(全員がそうだとはいえないが)「地元の声援を受けて長くプレーすることができたフランチャイズ・プレーヤーである」という点だろう。
第1グループの打者たちは、3000本安打達成者としてみた場合、通算打率が.285前後と、低い。(もちろん、3000本安打達成者としては低いというだけで、そんじょそこらの凡庸な打者よりは、ずっと高い) だから必然的に、通算打率.285あたりの打者が3000本安打を達成するには、大きな怪我が少なく、長いキャリアを実現できた選手であることは必須条件になる。
第1グループの引退年齢をみると、44歳までプレーできた伝説の盗塁王リッキー・ヘンダーソン、歴代連続試合出場記録、連続試合フルイニング出場記録をもつカル・リプケンをはじめ、ロビン・ヨーントを除く全員が、40代までプレーしている。
連続試合出場記録をもつカル・リプケンがこのグループに属していることからもわかるのは、やはり、何事か大きなことを成し遂げることのできる長いキャリアを実現するには、丈夫な身体が必要だというシンプルな話だ。
単純なようだが、やはり身体の頑健さは人並み外れた成果を残すには必要不可欠。大事なことだ。
さらに趣深い特徴は、彼らの多くが最初に入団した球団のみでキャリアを終えた、スペシャルなフランチャイズ・プレーヤーであることだ。
ヤストレムスキー(ボストン)、リプケン(ボルチモア)、ヨーント(ミルウォーキー)、ビジオ(ヒューストン)と、第1グループはまるでMLBの代表的なフランチャイズ・プレーヤーの優良見本市のような趣がある。彼らは「近年の代表的な有力フランチャイズ・プレーヤー」という話題になったら、間違いなく名前が挙がる選手たちばかりだ。(第2グループにも、カンザスシティ一筋でキャリアを終えたジョージ・ブレットなどの例があるが)
3000本安打達成者の中では比較的低打率なバッターである彼らが、「地元の声援があったから、長いキャリアを維持できた」のか、それとも逆に、「長いキャリアが可能なほど、高い才能に恵まれた選手だったからこそ、フランチャイズ・プレーヤーとしてひとつの球団にとどまり続けることが可能だった」のか。
この「長いキャリア」と「地元の声援」の、どちらかニワトリで、どちらがだったのか、さすがに明言できないのだが、少なくとも言えることは、彼らのケースでの3000本安打達成については、「地元の声援」も大きく貢献しただろう、ということだ。
これは野球というスポーツのスピリッツをこれから見たり考えたりする上で、とても深く考えさせられる。
(逆にいうと、これから3000本安打という、途方もない大記録に挑もうとしているフランチャイズ・プレーヤーの「放出」を煽りたてているシアトル地元メディアなどは、あまりにも馬鹿で、まったくお話にならない。3000本安打の意味も重みもわかってない。ケン・バーンズのほうがよほど野球というものの本質をわかっている。
時間があれば以下の記事を参照するといい。ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月20日、シアトル・タイムズのスティーブ・ケリーが、"The Tenth Innning"のケン・バーンズと共同監督のリン・ノビックが行った「イチローインタビュー」について当人に取材して書いた記事の、なんとも哀れすぎる中身とタイトル。)
3000本安打達成者の3つのグループの中では、低打率である第1グループの「ヤストレムスキー型」の達成プロセスが、彼らの「キャリアの長さ」に基づいているという話は、もちろん理にかなった話だ。打率が低いのだから、長いキャリアやらなければ、3000本安打達成には至らなかっただろう。
だが、そういうリクツ上の話はともかくとして、彼らの長いキャリアを支え、3000本安打達成に至らしめた原動力が、単に、彼らの恵まれた非凡な才能や身体の丈夫さだけではなかった、というのが、ヒューマン・ストーリーとして非常に面白い。「記録というものの、別の意味や重み」を考えさせられる。
野球選手に必要なものは、プレー技術だけではないのである。
イチローはこの第1グループに属すプレーヤーではなく、第3グループのプレーヤーだが、2011年9月まで、シーズン全体を棒に振るような長い休養もなく、11シーズンシアトルでプレーしてきて、イチローは、この第1グループの3000本安打達成者たちが発揮した「身体の頑丈さ」、「フランチャイズ・プレーヤー」という点からみても、申し分ない3000本安打達成者候補だ。