October 19, 2011

これは落合・中日の優勝がビジターの横浜で決まった瞬間の名古屋・大須での興奮を記録したYoutube動画。
いやあ、日本人はシャイだのなんだの言うけれど、興奮すりゃ、ここまでデカい声が出せるんだねぇ。と、変な感心の仕方をした(笑) (でも、イザとなったらデカい声出せることは、今の時代、重要だけどね)
動画を見るとき、もしも普段からパソコンのヴォリュームを一杯に上げている人がいたら、音量を絞ってから見たほうがいいかもしれない。それくらい、叫び声が凄い(笑)






落合博満監督と、一部の球団幹部、一部の地元メディアの間に確執があることはもちろん知っているが、近年目立つ野球とマス・メディアの関係の歪みについては色々言いたいことがある。


ひとつ思うのは、「今と昔で、マス・メディアの位置はとっくに大きく変わっていて、同じではないのだ、ということに、マス・メディアはいつになったら気づくのか?」、ということ。

野球ブログのくせに、門外漢としてスティーブ・ジョブスの死去について記事を書いたのにも、似たモチベーションがある。今という時代のリアリティを理解していない、読めない、わけのわからない人が、今どれだけたくさんいるか、多少はっきりさせておかないと話が進まないのだ。「パソコンがどれほど世界を変えたか」という時代意識と、野球とマス・メディアの関係がどれほど変わらなければならないときに来ているか、という話には、多少なりとも共通点がある。

パソコンやインターネットの登場によって、人と人のコミュニケーションのスタイルや方法は大きく変わったわけだが、マス・メディア自身はいまだにそのことを認めようとしてない部分がある。(この点については、シアトル・マリナーズの地元メディアなども同様だ)
彼らはいつまでたっても「マス・メディアは、ファンの意見を主導している」だの、「マス・メディアはファンの意見を代表している」だの、「自分たちこそ、ご意見番だ」だの、いろいろと勘違いし続けている。
言い換えれば、一度マス・メディアに就職したら一生安泰だと勘違いしている「公務員根性丸出しマス・メディア」の人間がマス・メディアにはたくさんいて、彼らの多くは「パソコンとインターネットが、どれだけ世界を変えたか?」ということの意味を、まるでわかっていない、ということでもある。
彼らは、通販番組と韓国ドラマを大量に増やす程度のことで、この複雑な時代に適応できると思っているのかもしれないが、認識が甘いにも程がある(笑)


たとえ、広告主に野球の魅力について効果的なアプローチもロクにできないような地上波テレビ局の無能社員が、スポットCMがとれず、シーズンの行方が決まる大事なゲームですら地上波中継が無くなってしまう事態を招いているとしても、上の動画を見てもわかるが、今の野球ファンの熱気はまったく衰えてなどいない。
勘違いした今のマス・メディアが野球ファンの興奮を上手に集約することができないのは、野球ファン側の責任ではない
Public ViewingYoutubeTwitterストリーミングアップローダー動画音声ファイル。今どきの野球ファンは、「パソコンとインターネット」を駆使しつつ、「見知らぬ他人と野球の興奮を分かち合うことができる、マス・メディア以外の手段を持っている」ものだ。

この「見知らぬファン同士で、野球の高揚感を一緒に分かち合うスタイル」は、とっくに某巨大掲示板だけの専売特許ではなくなっていて、「新しい野球の楽しみ方」として定着してきていると思う。

この「見知らぬファン同士で、野球の楽しさを分かち合う観戦スタイル」は、「スタジアムに足を運んで、たまたまシートが近い人たちと一緒に応援する」というのとは、ちょっとニュアンスが違う。また、ひとりでビールを飲みながら見ているテレビの前で、無言でするガッツポーズとも、また違う(笑)。
この新しい楽しみ方には、常に主導権をとっていないと気が済まないらしい古臭い目立ちたがりの地元マス・メディアによる無意味な意見誘導も、球団による半強制的なファン誘導も、必ずしも必要ない。
そして、もっと言ってしまえば、もはや「試合映像の独占放送」も、もはや必要ない。試合の中継は、なんなら別にストリーミングでもなんでもいいのだ。


ブログ主は、日本のプロ野球の地上波中継が減少したことについて、野球人気そのものが低迷したからだ、なんていう根拠の薄い説明を信じたことがない。また、ファンの熱気が、地上波で放送するのに量的に足りていないなんてことも、全く思わない。そんなこと、あるわけない。
むしろ、いつまでたっても社員に桁外れのサラリーを払っている地上波局の「設定が高すぎる採算ライン」に野球中継があわない、とかいってくれたほうが、むしろドラスティックな金の話だけに、よくわかる。

たいした営業努力もしてない人間に、いまどき、安定して大金を払ってくれる超優良CMスポンサーを簡単に見つけてこれるわけがない。「スポンサーがみつからなかった」などというのは、低次元な言い訳にすぎない。しょうもない理由で「野球中継ができなません」などと言い訳するのなら、そんな野球に対する熱意も、営業能力も無い地上波局の営業社員などクビにするか、そういう営業できない放送局には野球放映権を渡さなければいいだけのことである。
自分本来の仕事もできないクセに、野球の現場の監督にはアレコレ文句ばかり垂れているようなテレビ局側の都合なんてものは、どうでもいいのだ。


実際、これまでスポーツの放送は、メディア側の思惑にかなり左右されてきた。
どんな都合があってそういうことをするのかは知らないが、地上波での放映権をもっているコンテンツなのに地上波で放送しないケースがあるし、また、せっかく現地で試合映像をカメラに収めたクセに、実際には放送しない、などというケースだってある。
オリンピックや世界選手権などをきっかけに水面下で一時的な人気が沸騰するスポーツはよくあるのだが、そういう隠れ優良コンテンツは、もし地上波で放送していれば結構な視聴率がとれたかもしれないのに、民放では放映されない、というケースだって少なくない。
そうした可能性を秘めたコンテンツというか、ポテンシャル・コンテンツを、よく放送するのが国営放送であるNHKのBS放送であることは、日本のスポーツ好きならよくわかっていることだが、NHKのBSは、困ったことに、税金の一種みたいなものである受信料を大量投入して無料放送してしまっているわけだから、地上波やCSのスポーツビジネスを非常に圧迫しているわけだが、この記事の趣旨とは違う話だし、その話は別の機会にゆずる。



話が横道にそれた。

野球を、テレビとスポーツ新聞だけで楽しむ時代なんて、とっくに終わっている。テレビのスポーツニュースなんて、ハイライト程度しかやらないし、新聞だって情報のカケラしか教えてはくれない。野球本来の緊張感や爆発的な感動、かけひき、喜怒哀楽、ミスやファインプレー、失意や復活、あらゆるストーリーがわからない。

しかし、ファンの脳裏には、こうして優勝が決まったとき、「あのゲームの、あの打席、あの1球が結局分かれ目だったな・・・」とか、「あのゲームで引き分けになったことで、シーズンの展開が大きく変わったんだよな・・・・」とか、さまざまな感慨、個々の場面が、まるで走馬灯のように思い出されるものだ。
そういう「走馬灯のようなファン感情」に、テレビとスポーツ新聞だけで応えられるなら、こんな野球ブログ風情など必要ない。


野球の楽しみは、結果だけ見て楽しむのもけして間違いだとは言わないが、ゲームのプロセスにたくさんの楽しみがあるし、このブログが配球にこだわるのも、別に配球マニアだからではなく、「どういうプロセスを経て、その決定的な場面が生まれたのか」を、球団の意向の追認に走りがちな既存メディアでは「ファンの経験や感慨に沿った形」できちんと残してくれないから、しかたなく自分でやりはじめただけのことだ。

日本のプロ野球にも、ファンの「走馬灯のようによみがえる感情」をきちんと「整理して記録くれる方法」があったら、どんなに新たなファン獲得につながることだろう、と思う。
今回の中日の優勝でいえば、9回の浅尾投手の、あのセカンド送球ホースアウト、ブランコのあのひと振りだけでなく、投手交代の謎、配球、凡退、この試合に至る勝敗の流れ、記録にとどめておきたいことは誰もが大量に抱えているはずだ。

だが、残念なことに、その全てを記録に留めておく方法や、他人と一緒に味わう機会は、テレビと新聞だけでは足りない。
例えばブログ主だって、イチローの全ヒットについて、どういうヒットだったか、どういう配球だったか、そりゃできることなら自分の無限ではない一生が終わってしまう前に書き留めておきたいと思わないでもないが、ひとりでできることには限界がある。ブログに思ったことのほんの一部を書き留めておくのだって、時間をみつけるのが難しいときがある。


残念なことに、野球ファンは、いくら最高の感動の場面でも、その出来事をあらゆる角度から眺めることはできない。このことは、誰もが経験からよくわかっている。
しかし、パソコンやインターネットのある時代だからこそ、誰かの知恵と他人の目線を借りつつ、お互いの情報を補完しあうことで、自分ひとりだけの経験では特定の角度からしか見えないゲームの全体像を、俯瞰的に再構築して、もっともっと全体像を楽しめたら、と望んでいると思う。
その気持ちは、非常によくわかる。

それは、「戦争」「原爆」「大震災」など、多くの人がかかわった出来事を、様々な人の記憶とまなざしを集めることで、全体像が結ばれてはじめて、ようやく「自分の立ち位置が理解でき、アイデンティティが確認・回復される」作業にちょっと似ている。


野球の記憶は、ひとりの視線からではキレギレの記憶でしかないが、個々の視線を分かち合うことで全体像を共有することもできるし、共有することで大きくはじける。そういう共有する瞬間を持てたとき、人は、自分でも思いがけないくらいの大声で叫ぶことも可能になる。



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