October 14, 2014

打者の攻撃力を測る指標のひとつに、wOBA(Weighted On-Base Average) がある。
「ホームランの価値はシングルヒットの4倍」などと(笑)、あらゆる面でデタラメな計算ばかりしているドアホなOPSと違って、例えば「得点生産力でみると、ホームランは、シングルヒットのだいたい2倍程度」という具合に、リーズナブルな比重計算をもとに「その打者の打撃面の得点貢献度の総計」を計算する。
wOBAは、シーズンごとに変わる微小な差異や、計算者ごとのポリシーの違いに基づく計算手法の違いがあるものの、いずれにせよ現在ではさまざまな指標の根幹データのひとつとして活用されている。
関連記事:Damejima's HARDBALL │ カテゴリー:指標のデタラメさ(OPS、SLG、パークファクターなど)

あるシーズンのwOBAの計算例=
0.72四球+0.75死球+0.90シングルヒット+0.92エラー出塁+1.24ニ塁打+1.56三塁打+1.95ホームラン

別の計算方式:wOBA(Speed)=
{0.7×(四死球−敬遠)+0.9×(シングルヒット+エラー出塁)+1.25二塁打+1.6三塁打+2.0本塁打+0.25盗塁−0.5盗塁死}÷(打席数−敬遠−犠打)

それにしても、指標の計算において、なぜまた「パークファクター」なんていう自軍のホームランと対戦相手のホームランの区別もつけられないような「根拠のあいまいな不完全な数値」で補正するのだろうと、いつも思っている。
例えば、あの四球とホームラン偏重のデタラメな計算で成り立っているデタラメ数字のOPSですら、パークファクターで補正すると「OPS+」になって多少マシなものになる、と、思い込んでいる人がたくさんいる。
つまり、多くの人が「パークファクターで補正した数値なら、元がどんなデタラメなものであれ、より正しいものになっているはず」と思い込んでいるわけだ。困ったものだ。根拠が曖昧な数値で補正して、何がどう「より正しくなる」というのか。さっぱりわからない(笑)


話を元に戻そう。
この記事の目的は「低打率のホームランバッターの意外なほどの価値の低さ、そして、そういう選手に大金を注ぎ込むことの無駄さ」を「数字で明示してあげる遊び」にwOBAを使ってみることだ(笑)

ここでの計算のとりあえずの目的は、
以下に仮定する「低打率のホームランバッターAが、高打率のアベレージヒッターBとwOBAで同等になるためには、『打者Aはいったいどれだけの二塁打を打たなければならないか』を、数字の上で計算してみる」ことだ。(計算式は上記の2つのうち、上の例を採用)

打者A 「ホームラン20本だが、低打率.220」
打者B 「高打率.330だが、ホームランはゼロ」

計算結果の意味を理解しやすくするため、A・B両者とも、四死球、敬遠、エラー出塁、犠打はまったく無く、打席数600とする。打者Aの三塁打はほんのわずかな数だろうから、打者Aの「ホームラン以外の長打」はすべて二塁打と仮定し、コントラストをつけるために打者Bのヒットは全て「シングルヒット」と仮定する。

打者A
600打数 20ホームラン 打率.220
ヒット総数=132本
ホームラン以外のヒット総数=132−20=112本
ホームランのみの得点貢献=20×1.95=39

打者B
600打数 ホームランなし 打率.330
ヒット数=198本(全てがシングルヒット)
得点貢献合計=198×0.90=178.2


「打者BのwOBA合計=178.2」から「打者AのホームランのみのwOBA=39」を引くと、wOBAにおいて「打者Aが打者Bと同等」となるために必要な、「打者Aのホームラン以外のヒットにおいて必要な得点貢献度」がわかる。
178.2−39=139.2

「打者Aの、ホームラン以外のヒットにおいて必要な得点貢献度の合計」が、139.2であることがわかった。

この139.2を、「打者Aのホームラン以外のヒット数」で割ってみる。すると「打者Aのホームラン以外のヒット1本あたりに必要な得点貢献度」がわかる。
139.2÷112≒1.243


wOBA計算式における「二塁打の比重」がちょうど「1.24」だ。
したがって、次のような話になる。
wOBAにおいて、打者A=打者Bとなるためには、打者Aのホームラン以外のヒット112本すべて『二塁打』でなければならない。

どうだろう(笑)

いかに野球ファンというものが、「ホームラン20本というのは、なかなか凄い数字だ」という「印象操作」、「マインドコントロール」にとらわれているか、ご理解いただけるだろう。
まぁ、こういう風に数字で明示してあげても、たぶん、誰もマインドコントロールから抜け出せないのだろうとは思う(笑)、だが現実に「ホームランを20本打つ低打率のバッター」なんてものは、明らかに『ただの見掛け倒し』にすぎないのだ。


ア・リーグのシングルシーズンの二塁打数は、トップクラスの選手でもシーズン40本くらいだから、「シーズン112本の二塁打」なんてことは絶対に達成不可能だ。だから「結論」はこうなる。
結論:「20本のホームランを打つ程度の低打率バッター」と「打率.330のバッター」と比べると、実は、前者は後者よりも得点貢献度ははるかに低く、まったく比較にならないほどだ。



おいおい。「ここまでの計算には四球とか敬遠が含まれていないじゃないか」。などと、思った人がいるとは思う(笑)
だが、記事が長くなりすぎるので細かい計算は省かせてもらうが、たとえ四球を含めて計算しなおしても、結論はまったく変わらない。(ちなみに「敬遠」はwOBAの算定からは普通除外される。それを知らないホームランマニアも多いはず)

いったい打者Aが何個くらい四球を選ぶと、「打者Aの打つべき二塁打」が現実の野球で多少は可能性のある数字レンジにおさまるか、計算してみるといい(笑)
ちなみにブログ主の計算では、「打者Bは、まったく四球を選ばない」という仮定のもとでなら、「打者Aが60個くらいの四球を選ぶと、wOBAにおいて打者A=打者B」という計算になる感じだ。

ところが、だ。
この「打者Aが四球60個を選ぶと、打者A=打者Bになる」という計算は、「打者Bのヒットが全部が全部シングルヒットで、ホームランも四球もまったくなし」という、「現実の野球ではありえない前提」での計算なのだ。だが現実には、打率.330の優秀な打者Bは、四球を選ぶし、長打も、ホームランも打つ。うっかりすると敬遠もされる。

実際ざっくり計算してみると、だいたい打者Aは、「打者Bの長打数+ホームラン数+四死球数」くらいの数の二塁打を打たなければ、wOBAにおいて打者A=打者Bにはならない。
だから「打者Aに必要な二塁打の数」なんてものは、絶対に「ゼロ」にはならないどころか、現実の野球でありえる上限の「二塁打40本」をはるかに越えていってしまう
さらにいえば、打者Bの盗塁守備貢献をプレーの貢献度として計算にいれてくる指標では、両者の「価値」はもっと違ってくる。



どこをどう仮定しなおそうと、打者Aに求められるホームラン以外の長打数(=現実には二塁打の数)は膨大な数になるのである。だから「wOBAの計算上、打者Aが打者Bと同等になることはありえない」という結論に、変化など起こらないのである。
「20本のホームランを打つだけの、低打率のバッター」が、いかにたいしたことのない存在か、そして、そうした打者をズラリと並べただけのチームが、やたらと金がかかるクセになぜ弱いのか、わかっていただければ幸いだ。
(さらに言えば「20本のホームランを打つだけの、低打率のバッター」はたいていの場合、守備もできなければ、足も遅い。ならば、打者Aは想像よりはるかに使い道の狭いプレーヤーだ、ということにほかならない)

こういうことの意味をチームとしてもっと重くとらえるべき時代が「ノン・ステロイド時代の野球」なのだが、その話は次の記事以降で書く。


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