July 04, 2012

「なぜ近年のMLBで、アフリカ系アメリカ人が減少しているのか」、という話について書いてきている。
その答えのひとつは、アフリカ系アメリカ人における「シングルマザーの多さ」にもあると、考える。アメリカにおける人種別のシングルマザー率は、アフリカ系が最も高く、なんと70%を越えるというデータがある。

Nationally, in the late 1800s, percentages of two-parent families were 75.2 percent for blacks, 82.2 percent for Irish-Americans, 84.5 percent for German-Americans and 73.1 percent for native whites. Today just over 30 percent of black children enjoy two-parent families. Both during slavery and as late as 1920, a black teenage girl's raising a child without a man present was rare.
Welfare state fosters a race to the bottom | The Columbia Daily Tribune - Columbia, Missouri

資料:アメリカのいわゆる「未婚の母」による出生率をグラフ化してみる:Garbagenews.com

70%超というシングルマザーの率は、日本人的な感覚からすれば途方もない高い率だ。だが、ここでアメリカの出生率データをいくら書きつらねても、MLBでアフリカ系アメリカ人が減っていることの社会背景を探る上では、まったく意味がない。

むしろ大事なのは、アフリカ系アメリカ人の置かれた現状は、日本人が学校の教科書に書かれた記述から脳裏に植え付けらてしまう「ステレオタイプの黒人イメージ」とは違うのだということから始めないといけないということだ。
特に、2000年以降の10年間におけるアフリカ系アメリカ人の人口動態は、南北戦争以降、2000年までのアメリカの歴史の流れとは、まるで違う流れであること。この点に、十分意識をおいて考えていく必要がある。

もし、アフリカ系アメリカ人の置かれた現状に、理解やシンパシーを持たないままだと、単純に、「シングルマザーがあまりにも増えたために、アフリカ系アメリカ人家庭は、どこも生活資金にゆとりがない。そのため、ただでさえ金のかかる野球では、奨学金がフットボールやバスケットと比べて少ないせいもあって、野球選手になりたがるアスリートが著しく減ってしまった」などと、短絡してしまう恐れがある。
参考資料:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年6月11日、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少について書かれたテキサス大学ロースクールの記事を訳出してみた

そもそも、中流家庭においてだけ見れば、アフリカ系と欧米系白人の年収差は、2000年以降かなり縮小傾向にあったし、またアフリカ系アメリカ人でシングルマザー率が高いのは、なにもこの10年に急に始まったことではない。もちろんアフリカ系アメリカ人の問題点は、中流家庭への離陸を果たした層ではなく低収入層にあるわけだが、だからといってシングルマザー家庭の家計のアラ探しをしても、本質は何も見えてこない。
アフリカ系と欧米系白人の年収比較(中流家庭)
What Caused the Decline of African-Americans in Baseball?
アフリカ系と欧米系白人の中流家庭の年収比較



2000年以降のアメリカの人種別の人口動態については、「数」という面から、以下のいくつかのポイントがある。
総じていえるのは、アフリカ系アメリカ人は人口として安定期を迎えている、ということだ。 (アフリカ系アメリカ人は子沢山」とか、そういうカビのはえた古い偏見を持つ人は、もうとっくに絶滅しているとは思いたいが、どうだろう)
・アメリカの1歳以下の乳児全体において、「マイノリティ」のパーセンテージが、初めて白人を上回ったように、マイノリティの人口増加は、欧米系白人の人口増加を越えはじめた
資料記事:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年5月18日、「アメリカでの非白人比率の増大傾向」と、「MLBプレーヤー、ファン両面の人種構成の変化」との複雑な関係。

現在のマイノリティ人口増加をもたらしている原動力は、ヒスパニック系の人口増であって、アフリカ系ではない

アフリカ系の出生率は、昔と違って、現在は欧米系白人並みに低い
資料:図録▽米国の人種・民族別合計特殊出生率


次に、アフリカ系アメリカ人が集中する「居住エリア」については、以下のような特徴がある。
南北戦争後に始まった北部や西部への移住、Great Migrationはたくさんのサイトで紹介されているが、近年の特徴はむしろGreat Migrationと逆方向の「南部回帰」であり、この点の指摘は日本ではまだ十分ではない。
・南北戦争後、北へ(後には西へ)移住するアフリカ系アメリカ人が多数みられ、Great Migrationと呼ばれた
Great Migration (African American) - Wikipedia, the free encyclopedia

・だが、近年はむしろ逆に「南部回帰」がハッキリしてきている(資料はUSセンサスなど Allcountries.org Country information - Table of Contents

・その結果、アフリカ系アメリカ人の居住エリアは、アメリカ南東部の大西洋岸に非常に集中し、Black Beltなどと呼ばれている

Black Belt
=アフリカ系アメリカ人が集中するアメリカ南東部をさす
(色の濃い部分が居住率の高いエリア)

アフリカ系アメリカ人の集中するBlack Belt
DMVFollowers
Black Belt (U.S. region) - Wikipedia, the free encyclopedia



ここでまず、南北戦争についてのよくある誤解について、いくつか確認しておかなければならない。

南北戦争」というと、どうしても教科書的イメージから抜け出せず、「自由をスローガンに掲げる正義の味方である北軍が、奴隷制に固執する悪の巣窟である南軍を、華々しく打ち破った」などというステレオタイプなイメージを抱く人が少なくないわけだが、アメリカ史に詳しい人ならわかっている通り、実際には、そんな単純な話ではない。

南北戦争時の州別の奴隷制状況
濃い青=北軍
うすい青=北軍だが、奴隷制を容認していた州
赤=南軍

例えば、北軍にも奴隷制を支持していた州がある
上の図の薄い青色で示したデラウェア、ケンタッキー、メリーランド、ミズーリ、それにバージニア州西部(のちのウェストバージニア州)の各州がそれにあたり、これらの州はborder states(境界州)と呼ばれた。

また、外国貿易において自由貿易を目指していたのは、ヨーロッパとの自由交易を目指していた南軍のほうであり、北軍はむしろ保護貿易主義だった。
「北軍=自由」という図式は、単なるステレオタイプのイメージに過ぎない。


1863年に奴隷解放宣言が成立したとき、アフリカ系アメリカ人のおよそ90パーセントは奴隷制をキープする南部に住んでいたが、南北戦争が終結して以降は、1910年代から1970年代にかけ累積で約600万人がアメリカ北部や中西部、さらに西部へ移住したといわれている。(この600万という数は、700万人といわれる大量のアイルランド移民総数に匹敵する数字)
これが、いわゆる「Great Migration」だ。
Great Migration (African American) - Wikipedia, the free encyclopedia


と、まぁ、ここまでは、
どこでもよく聞くアメリカ史の説明だが、ここからが違う。


1920年代という時代は、MLBが、というか、野球というスポーツが、ニューヨークからアメリカ東部一円に拡大していった時代だ。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」  (1)エベッツ・フィールド、ポロ・グラウンズの閉場
その1920年代は同時に、アフリカ系アメリカ人のGreat Migrationによって、シガゴ、セントルイス、ボルチモア、フィラデルフィア、ピッツバーグ、オマハ、ニューヨークなどの大都市で、アフリカ系アメリカ人の人口が爆発的に増加した時代でもある。
都市に移住したアフリカ系アメリカ人は、後に複雑な経緯を経て、都市内部に「ゲットー」あるいは「ハーレム」と呼ばれるアフリカ系アメリカ人居住エリアを形成し、新たな辛酸を味わいつつも、ジャズなど、都市のアフリカ系住民独自の文化を熟成していった。

アフリカ系アメリカ人の南部脱出は当初、南のミシシッピから北のシカゴへ、南のアラバマから北のクリーブランドやデトロイトへという移住パターンに代表されるように、北部移住がメインだったが、もっと後の時代になると、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサスから、カリフォルニアへというように、西への移住も進んだ。
1940年代から1960年代にかけて、ロサンゼルス、シアトル、ポートランドといった西の太平洋岸の都市では、アフリカ系アメリカ人コミュニティの人口が数倍にも膨れ上がった。(資料:The Black Migration - The Road to Civil Rights - Highway History - FHWA
1958年のドジャースとジャイアンツのニューヨークから西海岸への移転が行われたのは、こうしたアフリカ系アメリカ人の西海岸移住が進む時代の真っ最中だった。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。

シガゴ、セントルイス、ボルチモア、フィラデルフィア、ピッツバーグ、ニューヨーク、クリーブランド、デトロイト、ロサンゼルス、シアトル。こうしてGreat Migrationを受け入れた大都市を列挙していくと、すぐにわかることだが、Great Migrationによって南部のアフリカ系アメリカ人が大量に移住した先の大都市の大半に、現在MLB球団が存在する
さらに言うと、メジャーリーガーを数多く輩出した州の歴代ランキングでは、かつて南北戦争で北軍側に属していた州が多い
つまり、詳しい理由はわからないが結果的に、MLB球団が存在し、同時に、過去にアメリカ人MLBプレーヤーをたくさん輩出してきた出身州は、そのかなりの数が、南北戦争当時に北軍、それも、奴隷制を容認していなかった北軍側だった州が多いのである。(そして不思議なことに、奴隷制を容認していた北軍の州からは、それほど多くのMLBプレーヤーが誕生しておらず、MLB球団も少ない)

MLBプレーヤーの出身州(歴代)
色の濃い州ほど、たくさんのMLBプレーヤーが出ている
MLBプレーヤーの出身州(歴代)



ここまでの大雑把すぎる資料のみを根拠に、完全に断定するわけにもいかないのだが、それでも、以下のような推論は成り立つと思う。

中世ドイツの都市法には「都市の空気は(人を)自由にする」という有名な言葉があったわけだが、南北戦争前にはその大半が南部に住んでいたアフリカ系アメリカ人は、南北戦争後のGreat Migrationによって、北部(あるいは西部)に移住することで、「ベースボール」という「アフリカ系アメリカ人にとっての新しい文化」に親しむための、自由と機会と収入を得た。

南北戦争当時に南軍に属していた州には、今もMLB球団の存在しない州が多い。また逆に、Great Migrationによって移住した先の北部の大都市の大半にMLB球団がある。
このことからして、
南部から、北部や中西部、さらには西部への移住であるGreat Migrationが、アフリカ系アメリカ人と、ベースボールとの最初の出会いを生み、その経験がやがて成長し、多数のアフリカ系アメリカ人がMLBの観客になり、さらにアフリカ系プレーヤーの大量出現にもつながった
のは、ほぼ間違いないと考える。

イースト・ハーレムの空き地で野球をする子供たちPlaying ball in a vacant lot in East Harlem, 1954.
by Ihsan Taylor, Published: December 3, 2009

Holiday Books - 'Baseball Americana - Treasures From the Library of Congress' - Review - NYTimes.com


もちろん、アフリカ系アメリカ人とベースボールの接点を語るにあたっては、1920年に創設された「ニグロ・リーグ」の存在を抜きに語るわけにはいかないわけだが、1947年にジャッキー・ロビンソンがメジャーリーガーとなった一方で、1948年にニグロ・ナショナル・リーグが解散していることから推し量ると
20世紀中期以降のアメリカで「ベースボールの観客とプレーヤー、両面における人種混合」を実現させる起点になったのは、MLBでの人種混合に否定的だった初代コミッショナーのイリノイ州判事 Kenesaw "Mountain" Landisが1944年に執務中に急死したなどという表面的なことではなくて、ここまで説明してきたように、1920年代以降のGreat Migrationによって、アメリカ北部の大都市に南部からアフリカ系が大量に移住したことにあり、さらに1940年代末のジャッキー・ロビンソンのドジャース入団を経て以降は、人種混合がさらに急速に進んだ
のは、たぶん間違いない。(だからこそ、逆に言えば1940年代末にアフリカ系アメリカ人専用リーグが存在する意味と経営基盤がなくなることによって、ニグロ・リーグがその歴史的役割を終えたといえる)
ニグロ・リーグの球団のひとつ、Pittsburgh CrawfordsPittsburgh Crawfords(1935)



では、もし「南北戦争後のアフリカ系アメリカ人の大規模移住、Great Migrationが、人種混合ベースボールの強固な基盤を生んだ」という仮定が正しいとすると、2000年以降顕著になってきている「アフリカ系アメリカ人の南部回帰」は、(どういう理由で回帰が進んでいるのかはわからないが)、ある種の「ベースボール離れ」を意味しているのだろうか?

自由や収入アップを目指し、北へ、西へと移住したアフリカ系アメリカ人だが、南北戦争当時、北軍側の州にも奴隷制度を容認していたエリアがあった事実からもわかるとおり、おそらく彼らは、たとえ北部に移住したからといって、人種差別を経験せずに済んだわけではなかった
つまり、いくら「都市の空気は人を自由にする」とはいっても、「都市の空気だけで必ずしも、アフリカ系アメリカ人のすべてが自由になれたわけではなかった」わけだ。
New York Timesによれば、2009年にニューヨークを出たアフリカ系住民44,474人のうち、半数以上の22,508人は南部への移住だったといい、アフリカ系アメリカ人が南部回帰が始まっている。これはいわば南北戦争後のGreat Migrationをなぞって言えば、逆向きのReverse Migrationと言える。
Census estimates show more U.S. blacks moving South - USATODAY.com

ニューヨークを出たアフリカ系アメリカ人の移住先Many Black New Yorkers Are Moving to the South - NYTimes.com
移民の多いクイーンズを出たアフリカ系住民のかなりの数が、南部への移住を選択している(左図)



野球好きの父親は、日本でもアメリカでも、子供を連れてボールパークに野球観戦に行き、子どもとキャッチボールをしようとする。
これは、星一徹星飛雄馬の親子がそうであるように、
父親という存在には、「ベースボールという文化を、親から子に伝える文化伝達者としての役割」があり、だからこそ、ケン・バーンズのドキュメンタリー "Baseball" でもわかるとおり、「ベースボールは、家族で共有する文化」である
と言えるのだと思う。

この「ベースボールという文化の伝達の一端を、家庭の父親が担ってきた」という観点から、「いま南部回帰現象に直面するアフリカ系アメリカ人家庭は、なぜベースボールという文化を移住前の街に置いてきてしまうのか?」という疑問に、多少の説明がつく。
つまり
家庭における父親不在」という現象と、「南北戦争以来の南部回帰」という2つの現象が重なることによって、ベースボールという文化が、家庭内で継承されにくくなる、という現象が発生している
という仮説だ。
日米の家族文化の違いを多少考慮しなくてはならないにしても、この仮説は十二分に成り立つと思う。

南部を脱出してみたものの、移住後のアフリカ系アメリカ人家庭では、どういう理由かまではわからないが、「家族という制度」が揺らでいき、その一方で、アスリートに対する奨学金制度において、野球がフットボールやバスケットボールに比べて相対的に冷遇されているという問題も重なってくれば、必然的に、「父から子へ、ベースボールを受け継いでいく」という「ベースボールの遺伝システム」が多少なりとも壊れてくるのは当然の帰結だろう。
もちろん、長引くアメリカの不景気によって、雇用がアフリカ系アメリカ人より給料の安いヒスパニック系にシフトしていることも、間違いなく影響しているだろう。この点については、テキサス大学の論文のとおり、メジャーリーガーが契約金の安いヒスパニック系だらけになるのと、意味は変わりない。


ここまで語ってきて、ようやく、アフリカ系アメリカ人家庭の置かれている現状と野球の関係が、多少はまともにイメージできてくる。
「MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少」は、「野球は金がかかるから、やらない」とか、「シングルマザー家庭は、生活費が足りない」とか、テキサス大学のロースクールの論文が強く指摘していたごとくの、家計の問題だけで語りきれる小さな問題ではない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年6月11日、MLBにおけるアフリカ系アメリカ人プレーヤーの減少について書かれたテキサス大学ロースクールの記事を訳出してみた


それはむしろ、
約100年前、奴隷から抜け出し、夢を描きつつ南部を出て、北へ、西へ、右往左往し続けてきたアフリカ系アメリカ人の100年もの間の長い道のりの中で、彼らが、住む場所を選び、学んで、職業を選択し、家族をつくり、家族を守りながらも、最後には、家族という大切な枠組みを失いかけているこの時代の趨勢の中で、どういう理由から「南部回帰」を決めたのかという、果てない問いだ。
少なくとも、この問いに少しくらい答えようとする姿勢がなければ、アフリカ系アメリカ人が南部回帰を始める中で、「なぜ彼らは野球から少し距離を置きつつあるのか?」という疑問に解答を得られそうにない。

もちろんそれは、こんな文字数程度で説明しきれる問いではない。アフリカ系アメリカ人が、なぜまた南北戦争以降暮らしてきた北や西の街を離れて南部に回帰したがるのか。
その理由は日本人には理解しがたい百人百様の理由があるのかもしれないが、少なくとも
「この100年間にアフリカ系アメリカ人家庭それぞれに起きた大小の出来事、その全てが、この10年で『南北戦争以来続いてきたアフリカ系アメリカ人と都市、アフリカ系アメリカ人とベースボールの関係』を変容させてしまいつつあるのが、今のアメリカだ」くらいのことは、見識として持っていていいのではないかと思う。


以降は、余談として、Suburbanization(サバーバナイゼーション)あるいはWhite Flightと、都市中心部の衰退、カンザスシティでビリー・バトラーマイク・スウィニーが取り組んできた都市中心部再生のための野球場づくりが「野球と都市市民とのつながりの再構築」にどういう重要性があるのか、とか、MLBが独自に行っている野球奨学金制度など、野球と人のつながりの再生に向けたさまざまな取り組みについて、ちょっとだけ書いてみる。
参考資料:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2012年2月2日、Hutch賞を受賞したビリー・バトラーが「お手本にした」と語るマイク・スウィニーの素晴らしい足跡。スウィニーの苦境を救った「タンデムの自転車」。


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