April 19, 2013

アメリカはあらゆる場所、あらゆる街に、プロスポーツとファーストフード店がてんこ盛りになっていて、どこもかしこも騒々しい。と、思う人もいるが、アメリカにも「何もない」と感じる場所はある。


夜の地球

衛星写真で夜のアメリカをみると、「西半分」は、煌々と明るい「東半分」よりも、はるかに暗い。地勢が山がちな西には、平地の多い東よりも人家が少ない、というわけだ。それは、MLBがまず東海岸で生まれ、それから西に向かって拡張されていった理由のひとつでもあるだろう。1958年のドジャースとジャイアンツの西海岸移転は、ひとつの「西部劇」、ひとつの「ゴールドラッシュ」だったのだ。

たとえば、北西の山がちなモンタナ州には、MLBを含め、プロスポーツの本拠地がない。MLBでいうと、本拠地どころか、モンタナ出身プレーヤー自体が片手で数えられるほどしかいない。(例えばロブ・ジョンソン)

州別のMLB球団所在地、モンタナ州


宇宙では、物質と物質は密集して存在しているわけではなくて、むしろモノ同士が、たがいにはるか遠く離れあい、微妙な均衡を維持しあいながら、「疎なる空間に浮かぶ点と点」として、互いを遠く凝視しあっている。アメリカという賑やかに思える大地も、実は宇宙と同じくらい孤独にできている。

ワシントン州タコマ出身のリチャード・ブローティガンは、若くして華やかな都市サンフランシスコに移り住んだが、最後はモンタナで寂しくピストル自殺している。
Damejima's HARDBALL:2012年3月6日、リチャード・ブローティガン 『A Baseball Game』の野球史的解釈。 「1958年の西海岸」という特別な年、特別な場所。


だが、そんな何もないモンタナにも、
スポーツと、家族と、道路がある。


このことに気づくと、やがて人は、この3つ、「スポーツと家族とクルマ」こそが、実は「アメリカそのもの」なのかもしれない、と、思い始める。

その意味で、何もないように思えるモンタナこそ、「アメリカがそもそも、どういう場所なのか」を教えてくれる教科書のような場所なのだ。

Class C

"Class C"は、エミー賞を獲ったドキュメンタリー作品だ。舞台は、楽しみといえばバスケットくらいしかない、そういう街。バスケットを除けば、あとは山と道路くらいしかない。
Class C Documentary Home Page
(この作品、日本のgoogleで検索してもリンクがスピーディーに出てこない。というのも、『乙女のシュート!』なんていう邦題が邪魔しているからだ。いったい誰がこういうくだらない邦題をつけるのだろう。オリジナルを作ったクリエイターに謝れと言いたくなる。何が「乙女」だ)

"Class C"は、「なにもないモンタナ」でバスケットボールをやっている、ごく普通の女の子たちを追いかけた、とても優れた作品だ。the only game in townというサブタイトルが、モンタナという土地のやるせない風土をよく表している。


女の子たちは、辺鄙なモンタナで、バスケットに夢中になっている。
というか、もっと正確に言えば、彼女たちは「若くて、いくらでも可能性に溢れている」というのに、現実には「バスケットをやるくらいしか、行き場がない」。そして将来にわたって、狭い道を歩み続けなければならない。
そんな若い女の子たちが抱え込んだ「家族間の軋轢」や「やり場のない情熱」。そして、バスケットへの情熱の裏にある「隠し通すことのできない、やりきれない寂しさ」。
そんな、人があまり言葉にしたがらないものを、"Class C"は、容赦なく、しかし暖かい視線で描きだそうとする。

その青白いトーンは、音楽にたとえるなら、心を病んでピアノが弾けなくなったジャズピアニスト、キース・ジャレットが、ようやく立ち直った後の1999年に作った、"The Melody At Night, With You" というアルバムの底に響く、暗い蒼月のような音色に近い。
"Class C" が描く色彩は、日本のスポーツマンガの「楽天的で、予定調和な不幸」とはわけが違う。「モンタナ」という場所がもつ独特の寂寥感が描かれるのはもちろんだが、その不幸さの感覚には、うっかりするとビョーク主演のあのヘビー過ぎる映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が描いた「アメリカの田舎がもつ、独特のあやうさ」につながっていきかねない「寒さ」がある。(ちなみにこの「あやうさ」は、やっかいなことに、アメリカのあらゆる場所の空気に含まれてもいる)

The Melody at Night, With YouThe Melody At Night, With You

Keith Jarrett(1998)


スイス生まれでニューヨークに移り住んだ写真家ロバート・フランクは、まだドジャースジャイアンツがニューヨークにあった1955年から56年にかけてアメリカを東から西へ旅して、これら2球団が西海岸に移転するちょうど同じ1958年に、かの有名な 『アメリカ人』 という作品集の初版を、まずパリで出版している。
この旅でロバート・フランクは、モンタナでたくさんの「自動車に乗った人々」をフィルムに収めたことで、「アメリカという国とクルマが、いかに深い部分で繋がっているか」を映像で表現することに成功した。

Hitchhikers leaving Blackfoot, Idaho towards Butte, Montana 1956
Hitchhikers leaving Blackfoot, Idaho towards Butte, Montana, 1956

woman in car
Butte, Montana, 1955/56

パリで出版された『アメリカ人』の初版タイトルは、 "The Americans" という英語ではなく、"Les Americains" というフランス語で、また内容も純然たる写真集ではなくて、文章に写真が添えられるというようなスタイルをとっていた。それが写真集という体裁に変わったのは、翌1959年にジャック・ケルアックが序文を書いて出版されたアメリカ版からだ。
(まだ東海岸中心の娯楽だったMLBが西海岸に進出していったこと、そして東海岸出身者が西海岸に、さらに南下してメキシコにまで旅して、アメリカを再発見したこと、この2つのイベントが同時代に起きていることは、けして偶然の一致ではないわけだが、日本のスポーツサイトでも、写真のサイトでも、2つのイベントを関連づけて語られたことは、ほとんどない。このことは、また項をあらためて記事にする。また、リチャード・ブローティガンが詩作品の中にフランスの大詩人ボードレールを繰り返し登場させているように、第二次大戦中から1950年代にかけてのアメリカ文化にとって「フランス」はエキゾチックな場所として特別な位置を占めていたわけで、『アメリカ人』という作品が最初アメリカでなくフランスで出版されたことの意味は、あらためて整理しなおす必要がある。さらに、ロバート・フランクが『アメリカ人』出版する素材を得るにあたって行った撮影旅行は、アメリカを東から西に向かって大きく弧を描くように行われているが、この旅路の航跡は、ケルアックが1957年に出した『路上』で辿った旅の航跡と非常に似ている。このことにも、機会があればいつか触れてみたい)


ロバート・フランクの『アメリカ人』は、出版直後はあまり評価されなかったが、一定の時を隔てて後に「写真集として」名声が確立されている。そのことから、1958年に出された「純然たる写真集ではないフランス版」は「あまり意味の無いもの」として扱われることが多い。ロバート・フランク写真展を開催するような写真専門ギャラリーのサイトですら、フランス版に重い意味を与えてないように見える。

だが、フランス版 "Les Americains" の文章部分は、アースキン・コールドウェル、ウィリアム・フォークナー、ヘンリー・ミラー、ジョン・スタインベックといった近代アメリカ文学の錚々たる作家たちと、フランス人作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールの手による寄稿で、単に写真がどこでどういう風に撮られたとかいう安っぽい解説文ではない。

フォークナーやスタインベックなどが作品の素材として取り上げた「アメリカ」は "poor white" のアメリカだ。華麗なるギャツビー的なゴージャスなアメリカでもなければ、風とともに去りぬ的なアメリカ建国期の勇壮な人間ドラマでもない。
彼らがタイプライターで証明してみせたのは、なにも近世ロシアの大作家がやったように壮大な歴史ドラマを大河のように長々と描かなくても、「どこにでもあるアメリカ」を描くことでもノーベル賞作家になれる、ということだ。フォークナーやスタインベックは、アメリカには、中世ヨーロッパの王朝の栄枯盛衰の重厚な歴史や欧州伝統文化のゴージャスさとはまるで無縁の、「別の何か」が「文化」として存在していること、つまり、「アメリカらしさ」を発見した。
こうした「アメリカ文学による、アメリカらしさの発見」は、明らかに世界におけるアメリカ文化の地位を押し上げることに貢献した。

こうしたことからわかるのは、「アメリカの素顔を、ありのまま、クールに観るという視点」というものは、なにも、写真誌ライフだけの専売特許でもなければ、ロバート・フランクのような写真家の「ゲージュツ的モノクロ写真」が登場して初めて発見された文化的視点でもない、ということだ。

LIFE Magazine - April 7, 1952
LIFE Magazine - April 7, 1952


にもかかわらず、今日ではいつのまにか、「アメリカらしさ」を発見したのは他の何をさしおいてもロバート・フランクの "The Americans" という写真集の功績である、と考えるのが通説であるかのように思われている。そして、当初文章が添えられてフランスで出版された『アメリカ人』の評価は、いつのまにか「おしゃれな写真集」としての評価に固まってしまい、カメラ片手にアメリカを旅して写真を撮りまくる「ロバート・フランク・フォロアー」を大量に生み出した。


そういう意味ではロバート・フランクの "The Americans" は、ある意味、とても「罪つくりな写真集」だと思う。

たしかに、ロバート・フランクのおかげで多くの人が、ライカ片手に、モンタナのような何も無いアメリカの片田舎に行ってブルージーなモノクロ写真を撮れば、「アメリカっぽさ」を簡単に映像に残せることに気がついた。
だが、そうして撮られた「アメリカ」のほとんどすべては、「ロバート・フランクの旅体験の二次的な追体験」に過ぎない、といっていい。そうした追体験行為は、けして「裸眼でアメリカを見た」ことにはならない。(もしかするとロバート・フランク自身が、必ずしも写真家とは限らない誰かの視点に学んだ結果、アメリカをああいう風に写真に撮っただけだ、という可能性もある。だが、それについては研究不足で、なんともいえない)

例えば日本の「第一次ロバート・フランク世代」ともいえる団塊世代の文化人には、アメリカを旅して、アメリカについて記述したり、写真に撮ったりした人がたくさんいたわけだが、彼らの残してきた「アメリカ」には、どこか、彼ら自身が裸眼で見たアメリカというよりも、「ロバート・フランクというサングラスをかけて見たアメリカ」を語っているような、独特の「ロバート・フランク臭」がある。
つまり、ロバート・フランクの『アメリカ人』は、残念なことに、「アメリカはこう読み、こう見ろ、というハウツー本の決定版」になってしまいやすいのである。それは例えば、世界的にヒットしたサーフィン映画を見た日本の団塊世代がサーフボードを我さきに買いに走り、海に行きたがったのに似ている。
この世代の人々は競って西海岸文化を日本に持ち込みたがったが、多くの人が「ビート」と「ビートニクス」の意味の違いすら知らなかった。
Damejima's HARDBALL:2012年3月20日、「1958年の西海岸」という特別な年、特別な場所。サンフランシスコの名コラムニスト、ハーブ・ケインによって発明された「ビートニクス」という言葉と、「ビート」との根本的な違いを正す。
「走り始めると、走る事そのものの快楽がむくむくと、頭をもたげ、車と自分が一体になる。つまり、自分はどこに行くのか、何をしようとするのかということなど、どうでもよくなり、走る事そのものが、目的になってくるのである。」

〜中上健次 『アメリカアメリカ』


だが、もう「『アメリカの見方』を教えてくれる教科書」を追体験してうっとりするのはやめて、自分の眼で見たらどうだろう。

ロバート・フランクの『アメリカ人』そのものは、確かに素晴らしい作品だ。カメラを手にすることの面白さはもとより、日常生活にひそむ多大なシャッターチャンス、日常の中にあるさりげない美を発見する楽しみ、さまざまなことを教えてくれる。
ライカを頂点にしたアナログカメラ時代から、現在のデジタル一眼レフに至るまで、あらゆる時代に高級カメラが売れ続けてきたことの遠因には、この作品の多大な影響もあるだろう。

だが、本当に自分の「裸眼」でなにか見ようと願うなら、ロバート・フランク風の写真を自分で撮ってみることで味わえる「ロバート・フランク風アメリカ体験」に酔ってばかりでは困る。
この際、これまで「ロバート・フランク追体験」が日本で生産してきたのは、せいぜいアメリカ風のコマーシャル表現くらいでしかない、と、多少乱暴でも言い切ってしまうことにする。


いい作品というのは、往々にして見た人に強い影響力をもつものだ。ピカソの絵を見た人の中には、ピカソみたいな絵を自分でも描きたいと思う人が数多く出現するのはもちろん、果ては「もしかすると自分はピカソなのではないか」とまで思い始める人まで、さまざまな強い影響が現れる。(ただし、残念ながら誰もピカソにはなれない)
モンタナで撮られたロバート・フランクのゲージュツ写真を見て、「ああ、自分もロバート・フランクみたいな写真を撮りたいっっっ!!!!」と血圧が上がって、カメラを買いにヨドバシカメラに走りたくなるのも無理はない。
だが、そんなことをするよりも、"Class C" で描かれたモンタナの荒涼とした人間関係を観て、他人の余計なフィルター抜きに「なにもないモンタナ」、「裸のアメリカ」を見ることのほうが、よほど「裸眼で、じかにアメリカの素顔を見る経験」ができる。


モンタナにバスケットと家族と道路しかないからといって、
では、どこに行けば「なにか」があるというのだ。
人は誰でも心に空白の大地を抱えこんでいる。
----damejima


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