November 18, 2012

11月はMLB各賞の発表シーズンなわけだが、どういうものか、今年のア・リーグMVPを巡っては、「受賞すべきなのは、三冠王ミゲル・カブレラではなく、マイク・トラウト」と、執拗に主張したがる人たちがいて、細々と論争が行われた。(結果は、いうまでもなくカブレラが受賞)

ブログ主に言わせれば、こんな論争に意味などない。今年のア・リーグMVPは他の誰でもなく「ミゲル・カブレラ」で決まりであり、議論の余地など最初からなかったからだ。
2012年のヤンキースは、もしシーズン終盤のイチローラウル・イバニェスの貢献がなかったら地区優勝すら無かったわけだが、もしデトロイトにカブレラがいなかったら、たとえバーランダーがいても、地区優勝もワールドシリーズ進出も無かった。
こうした「印象度の強さ」に加えて、カブレラの打撃の穴の無さは、「主観を数字に置き換えただけの指標ごっこ」よりもずっと雄弁に、カブレラの仕事のスケールの大きさを物語ってくれた。

フィルダーとカブレラを比べるだけも、わかりそうなものだ。『オクトーバー・ブック』というブログ記事で書いたように、カブレラが今シーズン果たした仕事の大きさは、打撃の欠点が露呈したフィルダーとは比べものにならない。
もし仮に、守備負担の少ない一塁手であるフィルダーがカブレラを上回るホームラン数を残して、カブレラが三冠王達成を逃していたと仮定しても、ブログ主は、トラウトではなく、カブレラがMVPに選ばれるべきだと思う。


トラウトがア・リーグMVPを受賞すべきだという主張を頑として曲げたがらない人々が本当に主張したがっていたことは、実は「ア・リーグMVPを誰が受賞すべきか」という話ではなくて、しかも非常に手のこんだロジックが使われている。
彼らが主張したかったことは、本当は「トラウトがMVPを獲得すべきだ」という単純なことではなくて、「『WARの数値が最も高いトラウト』にMVPを受賞させるべきだ」ということであり、これはつまるところ「自分の信じている『WAR』という指標の価値を、もっと高く評価せよ」という意味になる。
つまり彼らは「指標で野球を語っている自分の『正当性』を、他人に押し付けようとしている」わけで、これではまるで宗教の押し売りのようなものだ。


最初にハッキリ言っておくと、「WARというシステムが、現状であまりにも不完全すぎるのが原因で、今シーズンのミゲル・カブレラの活躍度を正確に測定できない」としても、それを理由にカブレラのMVP受賞を執拗に批判するのは、完全に筋違いである。
カブレラの受賞はなにも、セイバー系でない野球記者の野球についての思考方法があまりに古いためではない(そういう印象を植え付けようとするネット上の言動も感心しない)。また、セイバーメトリクス関係者だけが数字の本質をわきまえていて、野球という謎の解読に有史以来はじめて初めて成功したわけでもない。


いつのまに、「数字を知っていることが、最も偉いことだ」などという勝手な思い込みがひとり歩きするようになったのか。

言わせてもらえば、今のWARの完成度の低さなら、その測定精度は、セイバーメトリクス派ライターたちが主張したがる「WARの正当性」より、ずっと、はるかに、低い。そしてWARには出来損ないの部分がいまだに多い。
なのに、どうしてまた「この完成度の低い指標を使う人間だけが、野球を正しく語っていることになる」と思いこめるのか、そこが理解しかねる。


数字になっていさえすれば、それがイコール客観的という意味になる、わけではないのである。
たとえ「ある事象を数字に還元して表現できた」としても、もしそれが未熟な測定システムなら、それは単に「『個人の主観』を『数字』に置き換えて、客観的にみせかけているだけの未完成品」に過ぎない。
「数字」が発達している(と思われがちな)MLBですら、実はこうした「主観を数字におきかえただけ」という指標が、いまだに掃いて捨てるほどある。それらの「未完成な数字」は、いつのまにか自分勝手に権威をふりかざすようになってきているわけだ。

つまりはこれ、「老化」が始まっているということなのだ。



WARという指標が、チーム貢献度をあますところなく数字におきかえて表現できている、とは、まったく思わない。(以下にいくつか理由を書く)

WARは、レギュラーシーズン中の活躍をシチュエーションを捨象して走攻守にわたってとらえ、量的に示そうとする数値なわけだが、ことMVPという賞に関しては、シチュエーション、つまり「その選手の活躍がどのくらい重要な場面で行われたか」という観点や、「その選手の活躍時期がどのくらい重要な時期にあたっていたか」という観点は重要だ。

いいかえると、「WARキング=シーズンMVP」とする観点には、もともと無理がある。というのも、WARはプレーそれぞれの重要度抜きに数値が決定されているからであり、そのWARをもとに決めるMVPこそが「本当の客観的なMVPだ」なんて、わけのわからないことを言われても、「まったくそうは思わない。アホか」としか言いようがない。
「WARキング=MVP」だと、どうしてもいいたい人は、自分で勝手に「WARキング」という賞でも作っておけば済む。ただそれだけの話だ。

そもそも、例えば併殺打をいくつか打つと、それで決勝タイムリーの数値すら消されてマイナスになるようなわけのわからない指標は、そもそもMVP選考に使うのには明らかに向いてない。

もし将来、WARがもっと発達して「レギュラーシーズンを通じた、走攻守のチーム貢献度を100パーセント示せる指標」なんてものが完成したとしても、だからといって、「数字を元に選ぶのが客観性というものであり、客観性に基づくのが本当のMVPというものだ」なんていう歪んだ発想を、全員が共有しなくてはならないなどとは、まったく思わない。

いや、むしろそういう「硬直しきった発想」に断固反対していきたい。
野球とは、必然と偶然のゲーム、カオス的な事象を含むゲームだ。ならば、野球のすべてがリニアかつ量的に表現される時代など、来るわけがない。



例えば、セイバーメトリクス系ライターのひとり、Joe Poznanskyは、このところこんな主旨の記事を書いている。
American League MVP vote was going to be close between Triple Crown winner Miguel Cabrera and WAR winner Mike Trout.
Joe Blogs: MVP (The Aftermath) 太字はブログ側で添付


Joe Poznanskyは好きなライターのひとりで、クレバーな人だと思っているが、こと「マイク・トラウトこそ、ア・リーグMVPにふさわしい」という執拗な主張の中身には、ちょっとこじつけが多すぎる。

たとえばPoznanskyはテッド・ウィリアムズの例を挙げて、こんなことを言っている。
1942年にボストンのテッド・ウィリアムズは三冠王になった。だが、この年のア・リーグMVPを獲得したのは、ヤンキースのジョー・ゴードンだった。MVPはテッド・ウィリアムズが受賞すべきだったし、もっと言わせてもらえば、1941年と1947年のMVPも彼が獲得するべきだった。
What's known about measuring value -- and what isn't. | SportsonEarth.com : Joe Posnanski Article
もうちょっと詳しく書くと、Poznanskyは、ボストンの打撃専門外野手で守備の上手くないテッド・ウィリアムズを、「三冠王を獲得したのにリーグMVPを受賞できなかったサンプル」として挙げておいて、さらに「テッド・ウィリアムズは三冠王達成シーズンの1942年にMVPを獲れなかったが、1942年のMVPは彼が獲るべきだったし、他の年度でも彼がMVPであるべきだったシーズンがある」と主張している。

ならば、Poznanskyは三冠王ミゲル・カブレラについても、「三冠王を獲ったカブレラは、テッド・ウィリアムズのケースと同じように、彼こそがリーグMVPにふさわしい」とでも主張するのか、と思えばそうではないのだから、困ったものだ。
Poznanskyが主張しているのは、こうだ。
2012年カブレラは、1942年三冠王のテッド・ウィリアムズとは違う。なぜならカブレラのWARはリーグ最高ではないからだ。1942年のテッド・ウィリアムズはMVP受賞にふさわしいが、2012年のカブレラはふさわしくない」という、ややこしい話になる。

Poznanskyがこのロジックにおいていかに巧妙に「WAR最高!」と主張しているか、理解できただろうか。非常に『ズルさ』を感じさせるやり方を彼はしている(以下に書く)。



WARは本来、走攻守を総合評価できる評価手法だったはずだが、そもそもたかが「フェンウェイのレフト」に過ぎなかった平凡な外野手テッド・ウィリアムズが、WARの数値が本当に高かった選手、つまり「走攻守揃った選手」だとは、とても思えない
「1942年のテッド・ウィリアムズのWARが高すぎる原因」はたぶん、WAR算出において、テッド・ウィリアムズの守備面のマイナス評価をあまりにも低く抑制し過ぎている、つまりテッド・ウィリアムズの守備が過大評価されていることにあるだろう。

要するにPoznanskyは、2002年以降にUZRがWAR算出に使われだす何十年も前の「算出手法が怪し過ぎるテッド・ウィリアムズの過大評価のWAR」を引き合いにして、ちゃっかり、カブレラのMVP受賞に反対し、裏ではWARの正当性を補強する材料として利用しているのだ。こういうのを「マッチポンプ」という。


かなり手のこんだギミックだが、まったく感心しない。
論理として、都合が良すぎる。



たしかに、1942年のテッド・ウィリアムズは三冠王であると同時に、WAR数値も高い。
Fangraph版では、テッド・ウィリアムズ12.1に対し、ジョー・ゴードン9.3。Baseball Reference版では、テッド・ウィリアムズ10.2で、ジョー・ゴードン7.8。
つまり、三冠王テッド・ウィリアムズは、打撃スタッツだけでなく、WARでもゴードンを上回っていた。だからこそ、Poznanskyはこの何十年も前の古いサンプルを持ち出してきて、「テッド・ウィリアムズはオッケーだが、ミゲル・カブレラはダメだ」と言っているのだ。


だが、三冠王テッド・ウィリアムズが1942年のリーグMVPを受賞できなかったのには、ジョー・ゴードンこそリーグMVPにふさわしく、テッド・ウィリアムズはふさわしくない、と多くの野球人が考えるに至る理由が、「数字以外にも存在した」からであり、それは打撃タイトルの数や、WARの数値とは関係ない。
ちなみに、テッド・ウィリアムズが高い打撃スタッツを残しながらもリーグMVPを受賞できなかった1940年代の数シーズンの原因は、打撃成績ではなく、野球記者との不仲が原因だったといわれている。他にも、もちろん、1942年にゴードンのヤンキースがボストンに9ゲームもの大差をつけてリーグ優勝したことや、ゴードンの守備ポジションが、「フェンウェイのレフト」程度の「楽なポジション」ではなく、苦労の多いセカンドであったことなども関係しているだろう。
いくら同じ「フェンウェイのレフト」だったカール・ヤストレムスキーが7回もゴールドグラブを受賞しているとはいえ(ヤストレムスキーの7回のゴールドグラブにしたって、補正を厳密に適用して測定しなおせば、必ずしもゴールドグラブに値する守備だったと言えるかどうかわからない)、大飛球を必死に追いかけてキャッチする必要もなく、外野手が試合を左右するミスを犯す可能性も非常に低い「フェンウェイの安易なレフト」で、それも平凡以下レベルの外野手といわれたテッド・ウィリアムズの「フェンウェイのレフト守備」を高く評価する人間などいない。


問題を絞ってみよう。
テッド・ウィリアムズとカブレラの違いがWARにあるとPoznanskyは暗に示唆しているわけだが、WARは本当にテッド・ウィリアムズの走攻守を正確に測定できているだろうか。
そして彼のWARは本当に高かったのか?



そもそも、WAR算出に使われる守備指標のひとつUZRは、レンジ・ファクターを改良する意味で2001年に提唱されたわけだから、それ以前の時代にはない。
例えば、FangraphのWARでは、2002年より前のWAR算出についてはUZRを適用していない。だから厳密にいうなら、UZRから算出することのできる近年のWARと、古い時代のプレーヤーについて計算したWARに、「完全なデータ連続性」が保証されているわけはないのだ。
Baseball Referenceにも、第二次大戦前のプレーヤーについてWARを掲載しているわけだが、テッド・ウィリアムズの1942年当時の守備データのかなりの部分は「空欄」になっている。つまり、この当時のWARは「詳細なデータが欠落しているのを承知したまま、仮のものとして算出している」のである。

ブログ主は、この10年間にUZRから算出されたWARでさえ、それが確かなものだとは思わないし、まして、1942年のWARが今のWARと同じ精度をもつ、なんて思わない。
それはそうだろう。昔のMLBプレーヤーの守備データなんてものについて、詳細かつ正確なデータが存在するわけはないのだ。当然のことだ。
言わせてもらえば、「1942年のテッド・ウィリアムズのWAR」なんてものが正確に計算できたわけがない。古い時代の選手のWARなんてものは、「後世の人間が、仮に計算した参考数値の域を出ない」のである。
にもかかわらず、WARを産出するにあたっては、正確な守備指標も必要なはずだが、各データサイトは、守備数値が必ずしも明確に算出できそうにない時代のプレーヤーについてもWARというやつを計算しているわけだ。
大昔のプレーヤーのWARとかいう「アテにならない数値」をもとに、テッド・ウィリアムズとミゲル・カブレラを比べてアレコレ言ってみても、何もはじまらない。


むしろ、UZRができて以降の例でいうなら、なぜPoznanskyはテッド・ウィリアムズなどではなく、イチローを挙げないのか、と思う。

イチローがシーズン最多安打記録を更新した2004年のWARは、Fangraph版で7.1だが、この年ア・リーグMVPになったウラジミール・ゲレーロのWARは、6.3しかない。「イチロー以下」だ。
もしPoznanskyのような人たちが「WARはリーグMVPを数字的に説明できる唯一の根拠だ」としつこく主張したいのなら、ステロイダーのミゲル・テハダはそもそも論外だという意味で2002年のミゲル・テハダ、WARが低い2004年のウラジミル・ゲレーロ、同じくWARが低い2006年ジャスティン・モーノーは「リーグMVPにふさわしくない」こと、そしてイチローはこれまで、まだUZRがWARの算出に適用されてなかった2001年のア・リーグMVPだけでなく、2002年、2004年、2006年と、合計で4回リーグMVPに選ばれていてもおかしくなかった、とでも、強く主張してもらわなければ困る。
Fangraph版 WAR
年度 イチロー リーグMVP受賞者
2001  6.1  6.1(イチロー 同じ年のAロッドは7.8)
2002  4.5  4.7(テハダ)
2003  5.6  9.3(Aロッド)
2004  7.1  6.3(ゲレーロ)
2005  3.4  9.1(Aロッド)
2006  5.4  4.0(モーノー)
2007  6.0  9.7(Aロッド)
2008  4.6  6.7(ペドロイア)
2009  5.4  7.9(マウアー)
2010  4.7  8.4(ハミルトン)
Ichiro Suzuki » Statistics » Batting | FanGraphs Baseball


この際だからハッキリしておきたいが、
そもそもWARという「未完成な指標」の算出方式には不備が多すぎる。

例えば、「ポジション補正」。

WARの算出においては、その選手の守備ポジションによって、数値をプラスしたりマイナスしたり、「補正」を行うわけだが、この「補正」は基本的に、どんな形状のボールパークであっても「同じ数値を補正する」のがスタートラインになっている。センターが「プラス2.5」、レフトとライトは「マイナス7.5」だ。

この補正手法にブログ主は納得してない。あらゆる外野手について同じ補正をして計算を開始する行為は、今となっては「あまりにも時代遅れ」だ。
あらゆる地域に、どれもこれも似たような形のボールパークが次々と建設されていった1970年代頃の「クッキーカッタースタジアム時代」ならいざ知らず、新古典主義以降のボールパークは、球場ごとに、「形状」も「広さ」も異なる
とりわけ、外野手に関して言えば、ボールパークの形状によって、守備の難易度は大きく変わる。ボールパークごとに、「守りの難易度」はまるで違ってくるのである。
レフトが広くて守りにくい球場もあれば、逆にライトが広大な球場もある。フェンスが固い電光掲示板になっていて非常に危険な球場もあれば、フェンス形状が複雑な球場、いろいろある。

にもかかわらず、WARは、算出のスタートラインとして、センター「プラス2.5」、レフトとライトは「マイナス7.5」と、一律に同じ補正数値を適用して算出を開始するのだが、これでは出発的からして、そもそもおかしい。いかにも野球をやったことがない人が考えそうなことだ。
補正設定が大きく間違っていれば、補正をさらに補正しても、修正しきれないケースが当然出てくる


実際、この「ポジション補正の基本的欠陥」を、どう後処理しているかというと、ポジション補正を、さらにシーズンごとに手を加えて再補正している。つまり「補正の補正」を加えている。
例えば外野手テッド・ウィリアムズの1942年の「ポジション補正」は、基本は「マイナス7.5」だが、「補正の補正」後は「マイナス6.5」になっている。つまり「補正の補正」で、プラス1ポイントを「こっそり加算」しているわけだ。

同じく、二塁手ジョー・ゴードンは、基本が「プラス2.5」で、「補正の補正」をプラス3.9ポイント受けて、「プラス6.4」になっている。いかにゴードンの守備が上手かったかが、わかる。
ゴードンの「補正の補正」の数値の大きさから、「ただ打てるだけの打撃専門レフト、テッド・ウィリアムズ」と違って、ゴードンが「打てて、守備もいいバランスのとれた選手だった」ことがわかるわけだ。


もしWARが走攻守を正確に判定できるのなら、本来はジョー・ゴードンのWARはもっと高いはずで、テッド・ウィリアムズより高くても妥当だと思う人がいても、まったく不思議ではない。
もし、仮にだが、詳細な守備データの存在しない古い時代のWARを算出した人間が、テッド・ウィリアムズの1942年の守備について「もっと大きなマイナス評価」を下していれば、「1942年のテッド・ウィリアムズとジョー・ゴードンのWARの差」なんてものは、やすやすと逆転するのである。
ここらへんがWARの「主観的な」ところだ。この程度のものを絶対視だなんて、とんでもない。


イチローに関しても、「あれだけ広大に広いセーフコでプレーし、しかも神業的守備を披露し続けてきたのだから、さぞかし守備の補正が効いてプラス補正されているだろう」と思うかもしれない。
だが、そんなことはない。Fangraph版WARをみればわかる。
WAR算出において、イチローの大半のシーズンの守備評価は、あれだけ守備で貢献したというのに、ライトの基本数値である「マイナス7.5」からほとんど「補正の補正」によるプラスはされていないのだから、腹が立つ。
2007年の補正値がプラス1.6になっているのは、このシーズンはセンターを守っていたからで(1339.1イニング)、センターの基本数値は「プラス2.5」なわけだから、2007年のイチローの守備補正値「プラス1.6」は、なんと基本数値「プラス2.5」から、0.9もの「マイナス評価」を受けていることになるのだ。(センターとライトを半々くらい守った2008年に関しても似たようなものだ)
ライトを守ったシーズンでも、イチローの守備に関する最終評価値は、ライトの基本数値「マイナス7.5」からほとんどプラス補正されていない。2004年、2005年などにいたっては、「マイナス7.5」と「マイナス7.6」であり、ライトの基本数値である「マイナス7.5」から、まったくプラス補正されていないのである。
これは数値上、名手イチローのこれまでの守備が、たかが「フェンウェイのレフト」でしかないテッド・ウィリアムズ以下だった、という評価になっているのだから、WARの守備評価なんてものがいかに馬鹿馬鹿しいかがわかる。まったくもって腹立たしいかぎりだ。

上のほうで、もし「WARでMVPを決めるべき」だというのなら、そもそも2002年、2004年、2006年にMVPを獲るべきだったのはイチローだ、という話をしたが、WARという指標がプレーヤーの「守備」について、いかにきちんと評価していないか、いかに誤った主観的な補正が行われているか、イチローの例でわかろうというものだ
たとえで言えば、イチローの強肩を頭にいれた対戦チームのランナーがホーム突入を最初からあきらめた(いわゆる「抑止力」というやつ)などという事象を、WARなんて曖昧で主観的なものが、きちんと算入できている、わけがない。

WARは、走攻守を総合的に評価している「フリをしている指標」だが、むしろ、WARで「走塁」や「守備」についての基本評価、あるいは「走塁」や「守備」の補正値があからさまに低く抑えこまれているのなら、WARという指標はかえって「単に打てるだけの選手」を高く評価する指標にしかならない。これでは、まったく意味がない。

そのくらいのこと、気づかいないで、どうする。

Fangraph版 WARにおける
イチローのポジション補正値

年度 イチロー
2001 -7.2
2002 -7.0 (WAR イチロー4.5 MVPテハダ4.7)
2003 -7.0
2004 -7.6 (WAR イチロー7.1 MVPゲレーロ6.3)
2005 -7.5
2006 -5.1 (WAR イチロー5.4 MVPモーノー4.0)
2007 1.6
2008 -3.2
2009 -6.7
2010 -7.5



さらに「パークファクター」という補正手法について書く。
「パークファクター」は非常にフェアな補正手段であり、指標算出には不可欠な存在、と思いこんでいる人が多いかもしれない。
だが、以前に書いたように、「パークファクター」というもの自体がいまだに対戦チームの影響なのか自軍の影響なのかが区別がつかないあやふやなものなのだから、これさえ補正に使っておけば、あらゆる数値がフェアにできる、などと言えるわけではない。そこを多くの指標が忘れている。
Damejima's HARDBALL:2011年11月10日、「パークファクター」という数字の、ある種の「デタラメさ」。


テッド・ウィリアムズの例、イチローの例からわかるのは、むしろ、「しょせん今の時点のWARの完成度は相当に低い」ということだ。


数値の構造全体にしても、WARが「走攻守をトータルに評価する」と標榜していながら、実際のところは、打撃に置かれている重心はいまだに重いものがあって、守備は補正が大きすぎて軽視されがちだ。

「補正」すること自体はいいとしても、バランスを大きく欠いた大きな数値を適用している「ポジション補正」の例からわかるように、数値レンジの大きすぎる補正行為は、WARの算出結果そのものを大きく左右する。

たとえば、WARの最大数値は大きくプラスに振れるMVPクラスの選手でも、「プラス10」程度くらいにしかならないが、その一方で「ポジション補正」は「プラス12.5」から「マイナス17.5」まで、「プラスマイナス30もの広い数値レンジ」を持っている。
本数値と補正値をくらべると、補正値のほうが振幅がずっと大きいわけだから、これは「選手の活躍そのものよりも、指標の補正行為のほうが、WARに対する影響が大きい」ということを意味しかねない。
これでは「いくら選手が1年間必死に活躍しても、その活躍の評価は、WARの構造そのものにある歪みと、補正計算にひそんでいる主観性によって、簡単に消されてきたのではないか?」ということになる。

長々と書いたが、いいたいことをまとめよう。
ミゲル・カブレラのMVPにグダグダ文句つける前に、
まず自分たちがWARの欠陥を直せ。

考える、という行為には、かなりのエネルギーを要する。
今セイバー・オヤジたちのやっていることは、まがりなりにエスタブリッシュに成功したが、いまだに指標は未完成なままなのに老化が始まってしまったという、奇妙な「未完成な子供の老化現象」だ。世間はいまだにOPSだのWARだのパークファクターだの言っているわけだが、数字で語りたいならグダグダ言ってないで、アタマ使って、もっとマトモなものを持って来い、と、言いたい。


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