February 13, 2013

サンフランシスコ・ジャイアンツの元オーナー、ピーター・マゴワンは、第二次大戦中の1942年に東海岸ニューヨーク生まれで、育ったのもニューヨーク。ジャイアンツがドジャースとともにニューヨークを去って西海岸に移転するのは1958年だから、マゴワンの幼少期には、まだジャイアンツは「ニューヨーク・ジャイアンツ」だったことになる。
Peter Magowan - Wikipedia, the free encyclopedia


マゴワンは、MLBファンには、パシフィックベルパーク(現在のAT&Tパーク)を建てた人物として知られている。全米屈指のスーパーマーケットチェーン、Safeweyの元社長だった彼は、パシフィックベルパークを、なんと「自腹」で作った。
自費で建てた理由は、なにも「マゴワンが最初から自腹を切ると、潔い覚悟をもっていたから」ではない。単に、建設費の一部を税金でまかなう法案がサンフランシスコで否決された、ただそれだけの話だ。
建設中のパシフィックベルパーク
建設中のパシフィックベルパーク。
ライト場外が海なのが、よくわかる秀逸な写真。
Ballpark & Stadium Construction Photos, Ballparks of Baseball


1990年代以降には新古典主義と呼ばれるたくさんのボールパークが建設されたが、それらのボールパークの建設費事情と比較してみれば、マゴワンが「自費」でボールパークを建設したネゴシエーションの稚拙さはさらにハッキリする。

1991年に開場したシカゴのUSセルラー・フィールドは、タンパ移転をちらつかせたホワイトソックス側の巧妙な交渉によって、100%がPublic financing、つまり公費によって建設された。1992年に開場したボルチモアのオリオールパーク・アット・カムデンヤーズも、建設費の90数%が公費でまかなわれた。近年建設されたボールパークにしても、自費だけで建設したようなボールパークはほとんど見当たらない。
(例えば、1991年以降、2004年までに、約20のMLBのボールパークを含め、全米で78のスタジアムが建設されたが、「その建設費の61%が、公費によってまかなわれた」とする資料がある 資料:Animated Infographic: Watch As America's Stadiums Pile Up On The Backs Of Taxpayers Through The Years

MLBファンにはアメリカ史に造詣のある人もたまに見るが、ピーター・マゴワンがSafeweyの元社長であることに触れる人はいても、彼が、かつてアメリカの三大投資銀行のひとつとして名を馳せた、かのメリル・リンチの創業者、そして全米屈指のスーパーマーケットSafewayの創業者でもあるチャールズ・メリル (1885-1956)の孫であることに言及する人を見たことがない。

かのメリルリンチの創業者、チャールズ・メリルは、ピーター・マゴワンの母方の祖父にあたる。
ピーターがCEOをつとめたSafewayという会社は、そもそも祖父のチャールズが創業し、育てあげたものだ。才にたけているとも思えないピーター・マゴワンが、パシフィックベルパークを自費で建てるほどの私財を持てた理由は、まぁ簡単にいえば、彼が偉大なるチャールズ・メリルの子孫だったからだ。


Charles E. Merrillチャールズ・メリルは、まだジャイアンツがニューヨークにあった20世紀初頭の1914年に、ニューヨーク・ウォール街でCharles E. Merrill & Co.を創業した。翌年に友人エドモンド・リンチが加わり、社名をMerrill Lynch & Co., Inc.とあらためた。かの「メリルリンチ」の誕生である。メリルリンチは2007年にサブプライムショックで社業が大きく傾いてバンク・オブ・アメリカに吸収されるまで、世界的な投資銀行として名を馳せた。
映画『ドラゴンタトゥーの女』や『レ・ミゼラブル』に出演した女優ルーニー・マーラの曾祖父ティム・マーラは、ロウワー・イーストサイドの新聞売りから身を起こしてNFLニューヨーク・ジャイアンツのオーナーにまでなったが、チャールズ・メリルもティム・マーラと同じく、20世紀初頭に彗星のように現れたアメリカ立志伝中の人物たちのひとりで、非常に傑出した実業家で、大国アメリカの基礎を築いた偉人のひとりである。
Charles E. Merrill - Wikipedia, the free encyclopedia

Safeway logo

Safewayは、チャールズが1926年に2つのスーパーマーケットを統合して作った。前身となったは、1915年にアイダホで創業しアメリカ北西部に展開した"Skaggs Stores"と、1912年にロサンゼルスで創業し南カリフォルニア中心に展開していた"Sam Seelig"である。
Safeway創業当時、チャールズがつくったメリルリンチ社自身が、1914年創業からわずか10年ほどしか経っていない。そんな短い期間にメリルリンチは、2つの中堅スーパーマーケットチェーン買収統合をとりまとめられるほどの資金力を持てたわけだから、チャールズの経営手腕がいかに優れたものだったかがわかる。
統合元になった2つのスーパーマーケットチェーンにしても、それぞれの創業からわずか10数年しか経っていない。20世紀初頭のアメリカ社会が、いかに若く旺盛で、はちきれんばかりの経済成長力、巨大なビジネスチャンスに満ち溢れていたか、本当によくわかる。
そうした若い時代のアメリカにあって、企業の成長を助ける投資銀行メリルリンチを創業して成功したチャールズが慧眼でないわけがない。


チャールズは、Safewayにメリルリンチ社の豊富な資金を注ぎ込んで急速な規模拡大をはかり、最盛期の1931年には3,527店舗を展開する全米有数のスーパーマーケットチェーンに育てた(現在は全米1501店、カナダ224店)。
資料:1932年のセーフウェイ州別店舗数
File:Safeway store numbers by state in 1932.gif - Wikipedia, the free encyclopedia
彼は、ただSafewayに投資して外から眺めていただけではなくて、順調なメリルリンチ社を1930年代に人にまかせてまでして、自分自身がSafewayの経営を行っていたらしいから、よほどSafewayの成長が楽しみだったのだろう。
後にチャールズは、このみずから手塩にかけて育てた愛すべき企業SafewayのCEO職を、娘婿であるRobert A. Magowan(=ピーター・マゴワンの父)にまかせた。1978年にそのRobert Magowanが亡くなって、Safeway社長職を継いだのが、サンフランシスコ・ジャイアンツの元オーナー、ピーター・マゴワンというわけだ。



さて、どこかで「マゴワンはジャイアンツを救った救世主としてサンフランシスコのファンに愛されている」なんてのんびりしたことを書いている記事を見たが、とんでもない。そんな単純な話なわけがない(笑)

また、財政危機が続いたかつてのジャイアンツが他都市に流出するのを防いだのは、マゴワンが評判の悪かったキャンドルスティック・パークをパシフィックベルパークに建て替えたからだ、だからマゴワンはジャイアンツの恩人だとか、もっともらしいことを書いているウェブ資料もよくみかけるが、それも嘘というものだ。


寒くて、やたらと強風が吹き付けるキャンドルスティックパークの最悪の環境は、観客数減少とチーム財政悪化をもたらし、1958年にニューヨークからサンフランシスコに移転してきたジャイアンツは、他都市へ流出する危機に常にさらされ続けてきた。
ニューヨーク時代から親子3代にわたって長くジャイアンツを所有してきたのはStoneham家だが、好転しないチーム財政からとうとう1970年代にチームを売却せざるをえなくなった。
このときカナダの実業家がかなり具体的な売却先としてあがっており、ジャイアンツはあやうく「トロント・ジャイアンツ」になりかけていた。(ちなみにニューヨーク・ジャイアンツの西海岸移転が実現する前に、Stoneham家が当初考えていた移転先は、実はサンフランシスコではなく、ミネソタだった)

Bob LurieBob Lurie
カナダへの流出を阻止する形でStoneham家から1976年にジャイアンツを買い取り、その後も勝てない儲からないジャイアンツをなにかと財政が苦しい中でサンフランシスコにとどめ続け、1993年まで20数年間にわたって維持し続けたのは、マゴワンの先代オーナーにあたる地元の実業家、Bob Lurieだ。わずか10年足らずでジャイアンツを手放したニューヨーク生まれのマゴワンではない。
Bob Lurieはステロイダーを使った客寄せなどしていない。


2008年にピーター・マゴワンがジャイアンツのオーナーを辞めたとき、とあるサンフランシスコ地元紙は「かのミッチェル・リポートは、マゴワンを 『ステロイド・イネーブラ』 と呼んだ」という記述を含む記事を書き、マゴワン時代をあらためて冷たくあしらった。「マゴワンは恥ずべきステロイド時代の幕を開けた黒幕のひとり」というわけだ。
San Francisco Sentinel ≫ Blog Archives ≫ PETER MAGOWAN TO STEP DOWN AS SAN FRANCISCO GIANTS MANAGING PARTNER
Magowan had grown weary of criticism over his handling of Bonds and was stung by his unflattering portrayal as a steroid enabler in the Mitchell Report. But he also might have felt pressured by limited partners to abdicate his position.


他の資料:
Magowan: Bonds casts cloud

Baseball Savvy Off Base Archive: A Giant Pain in the Ass

Answer : It's official, Magowan is retiring

Magowan rips Mitchell report - Oakland Tribune | HighBeam Research


もちろんマゴワンが「ステロイド・イネーブラ」と呼ばれたのには、理由がある。

バリー・ボンズのステロイド使用発覚に繋がる証言をしたのは、今はドジャースのチーフトレーナーになっているStan Conteだ。(ブログ注:ミッチェルレポートが告発したドーピング薬剤の供給元であるBALCO社をつくったVictor Conteとは、まったくの別人で、血縁者でもない)

Conteは、当時ジャイアンツでは新参にあたるトレーナーだったが、チーム内で見かけたいくつかの出来事から確信をもつに至り、当時のジャイアンツGMブライアン・サビーンのもとを訪れて、「バリー・ボンズのトレーナー、グレッグ・アンダーソンが、チーム内にステロイドを流通させている」と告発した。
だが、なんとGMサビーンも、オーナーのマゴワンも、そのことを調査もせず、さらに、MLBに通報もしなかったのである。
かのミッチェル・レポートが、サンフランシスコ・ジャイアンツの首脳陣2人、マゴワンとサビーンのドーピング容認ぶりを酷評したのは、こうした経緯をふまえてのことだ。
Don't blame Sabean for not blowing the whistle - SFGate

2000年以降にStan Conteが、同僚トレーナーやGMサビーンとどういうやりとりをし、ステロイド疑惑を確信に変えていったかという詳しい経緯は、たとえば以下の記事に詳しく書かれている。(どういうものか、英語版WikiにはStan Conteの項目がない)
11-28-07 ? Why Stan Conte Left the Giants | LADodgerTalk.com - Matt Kemp, Clayton Kershaw, Vin Scully, Andre Ethier and the Dodgers

後にStan Conteはサンフランシスコ・ジャイアンツを去り、やがてその優れた手腕をロサンゼルス・ドジャースにかわれて、ドジャースの医療部門シニアディレクター兼チーフトレーナーになっている。
Dodgers hire Stan Conte



ピーター・マゴワンは、バリー・ボンズへの甘い対応ぶりで「ステロイド・イネーブラ」などという汚名を残したわけだが、それだけでなく、2006年にスコット・ボラスの仲介で、7年126Mという、ありえない高額でバリー・ジトを獲得して大失敗に終わったことにみられるように、球団経営手腕の無さにおいてもジャイアンツ球団史に悪名を残している。
ジトはサンフランシスコ移籍以降、防御率が3点台だったことは一度も無く、58勝69敗。ERA4.47、WHIP1.404という惨憺たる成績に終わっている。

マゴワンがジトに手を出したのは、ミッチェルレポートが発表される2007年の前年、2006年オフだが、このときマゴワンはジト獲得について「1992年のバリー・ボンズ獲得に匹敵する大きな出来事」と自画自賛している。
つまりマゴワンは、まだミッチェルレポートが発表されていない2006年段階に、裏では内部告発によってバリー・ボンズがステロイダーであることを既に知っていたにもかかわらず、ボンズ獲得を自分の勲章と公言し、ジト獲得を得意満面で自画自賛していたのだから、「ステロイド・イネーブラ」と呼ばれてもしかたがない。


ちなみにSafewayはいまも全米屈指のスーパーチェーンだが、「80年代に入ると世間のライフスタイルの変化に対応できず、客離れによる売上減が深刻化して、敵対的M&Aを仕掛けられるなど、危機的状態にあった」といわれている。この危機の脱出のためにSafewayは、北米以外に展開していた店舗を売り払わなければならなかった。
この一時期な危機的経営状態にあった80年代のSafewayのCEOは、ほかならぬ、ピーター・マゴワンだ。
Safewayは、現時点でも、ライバル企業、ウォルマートとの2000年以降続いている競合で収益が悪化して、不採算店の整理に追われる状況が続いているともいわれており、最近もチャールズ・メリル時代からずっと維持してきたカナダの200数十の店舗をカナダ企業に売却するという噂もある。
「メトロ」セーフウェイ・カナダを買収?、「マクドナルド」第4四半期の既存店売上+0.1% - 若林哲史のアメリカ流通最新情報

カナダのSafeway店舗は、チャールズ・メリルが手塩にかけてSafewayを育てていた20世紀初頭から既にあっただけに、もし売り払うようなことになれば、たとえ現在の経営状態を良化させ株主を喜ばせるプラス要因ではあるにしても、草葉の陰のチャールズは、けして喜ばないだろう。
稀代の投資家チャールズなら、ピーター・マゴワンがサンフランシスコ・ジャイアンツのスタジアムを自腹で建てたにもかかわらず、オーナーから退くようなことになった顛末についても、「なんで自腹を切るようなマネをした? 投資するなら、少しは知恵を使え。それに、せっかく身銭を切ってまでして作ったスタジアムなら、たった10年でオーナーシップから手を引くような馬鹿なこと、するんじゃない!」と、まなじり釣り上げて怒ったに違いない、と思う。


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