February 17, 2013

欧州で販売されているラザニアやハンバーガーなど、「牛肉」と表示されている肉製品の中に、馬肉など別の肉が混入されていた食品偽装事件が、欧州各国で問題になっているようだ。
この事件では、人体に有害といわれる薬品を含む馬肉がイギリスからフランスへの食品流通ルートに乗った可能性があるらしい。詳しいことはよくわからないが、ヨーロッパ全体を巻き込んでいる。


この馬肉混入問題で、ちょっと気になったのが、イギリスで問題の馬肉を処理した処理場で検出されたフェニルブタゾン(phenylbutazone)という薬物の名前だ。
欧州の馬肉混入問題、フランス卸売会社が偽装の疑い | Reuters


フェニルブタゾン(phenylbutazone)は、非ステロイド系の鎮痛性抗炎症薬で、獣医が競走馬などの消炎剤として用いる。
だから、今回のヨーロッパの食品偽装事件で問題になっている馬肉とは、単なる馬ではなく、「競走馬の肉」であり、しかも「ヨーロッパ競馬では禁止されているはずの消炎剤フェニルブタゾンをたっぷり使っていた」という二重の意味がある。さらにいうなら、イギリスでは馬肉を食べる習慣がないらしいが、イギリス国内の業者は禁止薬物を使っていた競走馬を処理して、フランスに食肉として輸出し、加工食品がイギリス国内に還流していた、ことになる。
(ここではあえて詳しく触れないでおくが、動物用の消炎剤、つまり炎症を抑える薬物を故意に人間が使っているケースがあるらしく、ブログ記事などでそのビックリするほどの効き目の強さに驚いている様子が書かれたりしている。だがアナボリック・ステロイドも同じだが、ちょっとは副作用の強烈さを考えろ、といいたくなる)

CNNの記事によると、「フェニルブタゾンには人間への重い副作用や発がん性が指摘されており、食肉への残留は認められていない」とのことで、「アメリカ国内では、人間への使用は禁止されている」らしいが、同時に「イギリスの専門家は、もしこの薬品が残留した馬肉を食べたとしても、副作用が出ることはまずあり得ない」と、のんびりしたことを指摘しているらしい。
CNN.co.jp : 馬肉混入問題、英で3人逮捕 有害薬品残留の恐れも - (2/2)


フェニルブタゾンという薬物と競走馬をめぐって、こういうなんだかよくわからない出来事が、起きるのは、実は初めてではない。というのは、過去のアメリカ競馬において何度か、このフェニルブタゾンという薬物をめぐる問題が起きているからだ。


日本の競馬統括機関であるJRAにおいては、競馬法第56条、第59条の別表(2)に明記され、「フェニルブタゾンは禁止薬物」とハッキリ規定されている。日本では、馬術競技においても、フェニルブタゾン検出による失格・罰金を課した事例もある。
JRAホームページ│JRA関係法令等

公益社団法人 日本馬術連盟 《Japan Equestrian Federation》・日本馬術連盟・日馬連・馬術連盟・公益社団法人 日本馬術連盟


ところが、CNNが「人間におけるフェニルブタゾン使用を禁じている」というアメリカでは、州ごとに一定の制限を設けつつも、全体としては競走馬に対するフェニルブタゾン使用は許容している。
ホースマン、フェニルブタゾンの閾値引き下げに反対(アメリカ)[獣医・診療] - 海外競馬ニュース(2010/09/22)【獣医・診療】 | 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル

ところが話はこれで終わらない。


1968年ケンタッキー・ダービーにおける
ダンサーズ・イメージ失格事件




ダンサーズイメージとピーター・フラー 1968年ケンタッキーダービー
写真左にいて、ダンサーズイメージに左手を置いているのが
オーナーのピーター・フラー氏。


1968年にケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキー・ダービー(=日本でいう「日本ダービー」)で真っ先にゴール板を駆け抜けたのは、マサチューセッツのビジネスマン、Peter Fuller (ピーター・フラー。ファラーと記述しているサイトもある)氏所有のDancer's Image(ダンサーズイメージ)。2着は、2週間後にプリークネス・ステークスを勝つことになるForward Passだった。

愛馬のダービー優勝に満足げなピーター・フラーだが、喜びは長くは続かなかった。尿検査で禁止薬物 phenylbutazone が発見され、ダンサーズイメージは失格となってしまうのだ。
というのも、1968年当時、消炎剤フェニルブタゾンは、全米の競馬場で使用が許容されていたのだが、ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場で「だけ」は使用禁止だったからだ。

オーナーのピーター・フラーは、それから長い間、ダンサーズイメージのダービー優勝確認を求めて法廷で争い続けたが、1973年に最高裁にもっていく期限が切れてしまう。
1968年のケンタッキー・ダービーから約5年が経過した1973年7月19日、かつて2着だったForward Passが「繰り上がりのダービー優勝馬」として認められ、関係者に優勝トロフィーが贈られるイベントが行われた。


日本では、この話はたいていここで終わってしまう。
だが、アメリカではまだまだ多くの余談がある。


ダンサーズイメージのオーナー、ピーター・フラーは、1923年にボストンで生まれている。父親の名は、Alvan Tufts Fuller(1878-1958)。彼は第50代マサチューセッツ州知事(1924-1929)をつとめた共和党員で、本来アメリカ史で有名なのは、息子ピーターではなくて、父アルヴァンのほうだ。

Alvan T. FullerAlvan T. Fuller

Governor of Massachusetts - Wikipedia, the free encyclopedia

Alvan T. Fuller - Wikipedia, the free encyclopedia

父アルヴァン・フラーも、息子ピーターと同じく、マサチューセッツ州ボストンで生まれている。この「ボストン」という土地柄が、のちのち彼ら親子の運命に大きく影響することになる。

父アルヴァンが知事在任中に起きたのが、アメリカ史で有名な「サッコ・バンゼッティ事件」だ。
2人の英語の苦手なイタリア移民が強盗殺人事件の犯人として逮捕され、裁判で死刑が確定したが、刑確定後、相対性理論で有名なアルバート・アインシュタインなど各界の著名人から助命嘆願書が州知事アルヴァン・フラーに届けられる事態になったのだが、州知事アルヴァンが最終的に特赦を拒んだことで、1927年に2人は電気椅子に送られている。

Sacco and Vanzetti - Wikipedia, the free encyclopedia

サッコ・ヴァンゼッティ事件で、国際的な助命嘆願を棄却した形になった州知事アルヴァンは、立場上、どうしても悪代官役と見られがちではある。だが、この強盗事件の真相が今もハッキリとしてはいない以上、アルヴァン・フラーの善悪を軽々しく判断するべきではないだろう。(例えば、当時サッコ所有の拳銃の弾道検査が後年になって行われ、犯行に使用された銃であることがほぼ確定した、なんてこともあるらしい)

後に共和党から大統領になったフーバーを早くから支持していたアルヴァンは、フーバーの下でフランス大使になる望みを持っていたなどともいわれるが、結局マサチューセッツ州知事を最後に政界から足を洗い、ボストンで自動車ディーラーを営む一方で、絵画収集に励んだ。
アルヴァンの絵画コレクションは、後にワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートや、ボストン美術館に寄贈されているが、それら両方の美術館で過去にアルヴァン・フラー・コレクション展が行われているほどだから、アルヴァンの絵画に関する眼力は相当に素晴らしいものだったらしい。

ナショナル・ギャラリーにおける
アルヴァン・フラー寄贈作品リスト(3点)
Alvan T. Fuller - Former Owner

ボストン美術館における
アルヴァン・フラー寄贈作品リスト(9点)
Collections Search | Museum of Fine Arts, Boston
アルヴァン・フラー寄贈のルノアール作品(ボストン美術館)
ボストン美術館のアルヴァン・フラー・コレクションのひとつ、ルノアールのBoating Couple (said to be Aline Charigot and Renoir)


さて話をアルヴァン・フラーの息子、ピーター・フラーと1968年に戻そう。


ピーター・フラーが1968年5月4日のケンタッキー・ダービーでのダンサーズイメージ降着を認めようとせず、長期にわたる裁判に訴えたことは既に書いたが、フラーは「俺は公民権運動に理解を示したことで、ボストンのやつらの感情を害した。だから俺とダンサーズイメージはset upされたんだ」と常々語っていたといわれている。

ニューヨーク・タイムズやボストン・グローブの記事などによれば、ピーター・フラーは、ダンサーズイメージのレースの優勝賞金(ブログ注:NY Timesの記事ではケンタッキー・ダービーの優勝賞金77,415ドル、ボストン・グローブではダービー前のレースの1着賞金62000ドルと書かれており、両者の記述は異なる)を、なんと、ケンタッキーダービーのちょうど1ヶ月前、1968年4月4日にテネシー州メンフィスで暗殺されたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の妻、Coretta Scott Kingに全額寄贈することにしていた、というのだ。
Peter D. Fuller Dies at 89 - Had to Return Derby Purse - NYTimes.com

この場合、set upは、まぁ、「ハメられた」とか「濡れ衣を着せられた」という意味になるわけだが、父親アルヴァン・フラーは冤罪かどうかが争われた1920年代の「サッコ・ヴァンゼッティ事件」に遭遇し、その息子ピーター・フラーは1960年代の「ダンサーズイメージ降着事件」で濡れ衣を主張したわけだから、なんともいえない運命の巡り合わせではある。
しかも、父親アルヴァンは、マサチューセッツ州知事として移民に対する人種差別をあえて容認したと世界から批判され、その40年後、こんどは息子のピーターは、父親とは逆に、人種差別撤廃を目標に掲げた公民権運動に理解を示したために人から恨みを買ってハメられたと、マサチューセッツ最大の都市ボストンの保守ぶりを批判してみせることになったのだから、この親子を翻弄した運命はちょっとマジカルなものがある。まさに、事実は小説より奇なりである。


寺山修司ちなみに、1968年のダンサーズイメージ降着劇の起こったケンタッキー・ダービーの現場には、欧米競馬に詳しかった日本の詩人・寺山修司もいた。寺山は気にいっていたダンサーズイメージに「500ドル」儲けたらしい。当時は今と違って「1ドル=360円」の時代なのだから、寺山の賭け金は日本円にして「18万円」もの大金だったことになる。

寺山は勝ったと思ったダンサーズイメージの降着にもめげず、ダービーの2週間後、5月18日にボルティモアのピムリコ競馬場で行われたアメリカ牡馬クラシック三冠の第2戦、第93回プリークネス・ステークスも現地で観戦している。
プリークネス・ステークスでは、後年ケンタッキー・ダービー繰り上げ優勝を果たしたForward Passが勝ち、ダンサーズイメージは3着に負けたのだが、なんとダンサーズイメージ、こんどは進路妨害で再び降着処分を受けてしまうのだ。
つくづくついてない馬だが、そういう非運の馬にこそ思い入れの深い寺山としては、後に「忘れがたかった馬ベストテン」としてミオソチスなど10頭の馬名を並べた後に、「番外」として不運なダンサーズイメージの名を挙げるのを忘れていない。
のちに高齢になったダンサーズイメージは、種牡馬として日本に輸入されることになった。現在はトルコに血脈が多く残されているらしい。



さて、最後の余談だが、1968年ケンタッキーダービーでダンサーズイメージ降着事件があってからさらに20年たった1988年、フェニルブタゾン(phenylbutazone)という薬物は、またしても競馬で事件を引き起こしている。

ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場で、1988年10月5日に、名物の国際レース、ブリーダーズカップが行われた。これは7つの異なる条件のG1レースを一日に行う格式高い国際レースなのだが、この日の優勝馬7頭のうち、6頭が、消炎剤フェニルブタゾンを用いていたことが判明。これにヨーロッパの調教師たちが抗議したことから、競馬における消炎剤使用の可否をめぐる激しい議論が巻き起こった。(優勝馬7頭の中には、世界競馬史の名牝と誉れ高い名牝ミエスクも含まれているが、果たしてミエスクが消炎剤を使った側か、そうでないかは確認していない)


ダンサーズイメージは1968年の降着事件で「チャーチルダウンズ競馬場では、消炎剤フェニルブタゾン禁止」というルールに泣いたわけだが、それから20年を経たら、こんどは「チャーチルダウンズ競馬場でも、消炎剤フェニルブタゾンを使用できる」というルールに変わっていた、ということだ。
現在、ヨーロッパ各国とニューヨーク州ではフェニルブタゾンのレース前使用を禁止しているが、ニューヨーク以外の州では、許容量に差があるものの、消炎剤フェニルブタゾンの使用は許されているらしい。
畜産統合検索システム


ダンサーズイメージのオーナー、ピーター・フラーは昨年2012年の春に89歳で逝去されている。おそらくは、1988年のブリーダーズカップでの薬物騒動を含め、アメリカ競馬の変遷を、苦笑いしながら眺めていたに違いない。


 「賭けない男たち、というのは、
  魅力のない男たちである」

  -------寺山修司 『誰か故郷を想わざる』------ 
 



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