May 05, 2013

前記事で、1960年代前期の若者を描いたサイモン&ガーファンクルの "America" という曲の歌詞の前半部分に隠されたドラマを解読してみた。

こんどは後半部をひもといてみる。


思い出してみてほしい。この曲に登場する60年代カップルの
「旅の目的」は何だったか。

それは、歌詞で何度もリフレインされている。
自分の足と目でアメリカを探すこと」だ。
we walked off to look for America(中略)
ぼくらはアメリカを探して歩き出した。
I've gone to look for America
僕はアメリカを探しにいく
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カップルは一定の決意を胸に旅立った。

だが、旅の目的であるはずの「アメリカ探し」の「主語」は、曲の最後の最後になって、それまでのWe(自分たち)や I(自分) ではなく、TheyAllに変更されてしまっている。いったいこれはどうしたことか。
They've all gone to look for America
All gone to look for America
All gone to look for America
彼らはみんなアメリカを探しにいく
誰もがアメリカを探しにいく

あれほど勢いこんで始めた「アメリカ探し」。
なのに、「主語」がいつしかAllに変わってしまったことは、この旅を始めた動機そのものが失われた(あるいは変質した)ことを意味する。
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なぜ、「アメリカを探す」という行為の主語が、自発性を意味するWeI から、まるで他人事のようなThey、あるいは、主体性も個性も感じられないALLに変わってしまうのか。この60年代カップルは、「自分らしい自分」、「自分の目で発見したアメリカ」を探したいから、無謀で気ままな旅を開始したのではなかったのか。
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この「主語の変更」にはもちろん意味がある。
それをこの記事で解読していく。
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歌詞の前半部分について、こんな風に解読した。
カップルでヒッチハイクをすると成功率が低くなることも知らないまま、無謀にチャレンジし続けた4日間のヒッチハイクで、カップルはようやくピッツバーグまで辿り着いた。
だが、ここで疲れ切った2人は、ヒッチハイクだけでニューヨークを目指すのはさすがに諦め、グレイハウンドに乗ることにした。雨が降り続く中、カップルは残り少ないタバコを吸い続けながら、グレイハウンドを待った。
バスにようやく乗ることができたとき、2人の関係は、ふとした会話をきっかけに冷めていく。女は、男が「探しているつもりになっている何か」が、実は「ありもしない」ことに気づいてしまう。

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歌詞の後半部分で、男は、ニュージャージー・ターンパイクにさしかかったとき、グレイハウンドの座席で眠りこける女を見ながら、こんなことをつぶやく。
"Kathy, I'm lost," I said, though I knew she was sleeping
I'm empty and aching and I don't know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike

「キャシー、僕は何かを見失っちゃったみたいだ。」
彼女が寝てるのは知ってたけど、言ってみた。
虚しくて、心がつらい。なのに僕は、わけもわからないまま
ニュージャージー・ターンパイクで車の数を数えてるんだ。
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なぜ、男は脱力感にまみれながら、「バスから外に見える車の数を数えている」のか。曲を作ったポール・サイモンは、この無気力な行為を描くにあたって、なぜ「ニュージャージー・ターンパイク」という固有名詞を使う必要があったのか。
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男がグレイハウンドから外を見て、車の数を数えている。
それはグレイハウンドの周囲に、たくさんの車がひしめきあっていることを意味する。

おそらく、小回りのきかない大型バスであるグレイハウンドは、アメリカ東海岸の「有料の高速道路」特有の「渋滞」に巻き込まれている、のである。

渋滞でグレイハウンドが立ち往生していることは、男と女の関係、「アメリカ探し」の両方が両方とも行き詰っていることを、比喩的に表現している。
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ターンパイク(turnpike)」とは、元は、通行料金を徴収するために故意に道路をふさぐように置かれた障害物やゲートを指したが、後に「有料」の高速道路そのものを「ターンパイク」と呼ぶようになった。(有料高速道路には他にParkwayなんて言い方もある)

ニュージャージー・ターンパイクは、ワシントンDCとニューヨークをつなぐ東海岸の大動脈で、西海岸に多いフリーウェイとは違い、日本の高速道路のと似た「料金所」があるため(コインやトークンを投入する)、ひどく渋滞する。また交通事故が日常茶飯事であることでも悪名が高い。
New Jersey TurnpikeNew Jersey Turnpike

ちなみに、現在アメリカには日本のETCの元祖ともいうべきE-ZPassという料金収受システムがある。最近のE-ZPassは改良によって時速15マイル以下に減速する必要がない。

E-ZPass
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ニュージャージー・ターンパイクが作られたのは1951年。
New Jersey Turnpikeのロゴ
50年代とは、アメリカで「放浪」が消滅した時代であり、「アメリカにおける交通の主役交代が始まった時代」でもある。
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アメリカの高速道路網インターステイト・ハイウェイの建設が本格化するのは、アイゼンハワー大統領が推進した道路整備計画の一環として、1956年に連邦補助高速道路法(Federal-Aid Highway Act of 1956)が成立してからのこと。この法律の制定により、道路利用者が払う連邦税の全額を道路整備に振り向けることが定められ、高速道路網建設のための財源が確保された。

だが、アメリカ東海岸の諸州では、アイゼンハワー時代より前からターンパイクが盛んに建設されていた。

19世紀初めのアメリカでは、既に1万数千キロものターンパイクが建設され、馬車による交通の発展を後押しした。しかし鉄道の時代が始まると、馬車とターンパイクは一度衰退する。
1940年代になると、アメリカで再びターンパイク建設が盛んになる。ターンパイク利用者は馬車から自動車に変わった。1950年代の旅客機の発達は、かつて馬車を衰退に追いやった鉄道や、グレイハウンドのような公共交通機関の衰退に拍車をかけつつ、自動車時代の進展を加速させた。こうして、馬車にエンジンをつける形で始まった自動車の発展は、鉄道の発達で一時衰退したターンパイクを、復活に導いた。
参照先:Damejima's HARDBALL:2013年4月28日、「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。 アメリカにおける「放浪」の消滅(1) 「アメリカの放浪の消滅」を示唆する3つの旅
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アメリカの高速道路事情は、西海岸と東海岸とでまったく異なる

アメリカの高速道路は全体の90数パーセントが無料だが、西海岸では無料の高速道路が多いのに対して、ターンパイクの歴史の長い東海岸では有料比率が高い。例えばニューヨーク州では40%が有料、マサチューセッツやニュージャージーでも20数%が有料の高速道路だ。

トンネルについても、西海岸では一部の例外を除くと無料であることが多いが、東海岸では有料の橋やトンネルが少なくない。例えばニューヨーク、ペンシルベニア、ニュージャージー、デラウェアの各州境を流れるデラウェア川にかかる橋の大半は有料だし、リンカーン・トンネルやジョージ・ワシントン・ブリッジなどの「ニュージャージー側からハドソン川を渡ってニューヨークに入る橋やトンネル」も有料だ。(つまり「ニュージャージーから出る」には料金が必要ということ)

東海岸のターンパイク、橋、トンネルでは、料金所(toll gate)が数多くあるため、困ったことに、金を払わないと通れない道路であるがゆえに、かえって渋滞に巻き込まれるという、納得しにくい現象が日常化している。
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歌詞解読に戻る。

ニューヨークを前にして男はおそらく、渋滞に巻き込まれたグレイハウンドの車窓から外を見ながら、「あと20台・・・あと19台・・・」などと、自分の乗ったグレイハウンドを邪魔している自動車の台数でも数えているのだろう。(もしくは単純に、渋滞の暇つぶしにぼんやり車の数を目で数えている)

歌詞のみによって男のいる場所を明らかにするのは難しい。もしニュージャージー・ターンパイクの終点付近にいるとしたら、ハドソン川にかかるジョージ・ワシントン・ブリッジの手前かもしれない。

こうした「ニュージャージとニューヨークを結ぶ橋を、東方向に行く行為」は「有料」だ(逆は無料)。「西から東へ向かって」旅をする行為が「東から西への旅」と意味が180度異なることは、ここでも示されている。
New Jersey Turnpikeの終点付近

料金所手前の車列はなかなか短くならない。

ターンパイクの料金所では、身軽で小回りのきく自家用車のドライバーは我さきに列に割り込んで料金ゲートに殺到する。その一方で、図体が大き過ぎるグレイハウンドは小回りがきかないため、他の車に割り込まれ続けて料金所になかなか近づけない。
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グレイハウンドのような大型バスは、鉄道とともに、かつてのアメリカの長距離移動手段の花形として栄えた。

だが、旅客機の発達と自家用車の増加でグレイハウンドは交通の主役の座から引きずり降ろされ、やがて衰退していく。市場回復をめざして、乗車料金を値下げするなど、さまざまな対策が講じられたが、後にグレイハウンド社は2度の倒産という苦渋を舐めさせられた。

"America" という曲で、ターンパイク特有の渋滞に巻き込まれて、自由を奪われ、行き詰ったグレイハウンドの姿は、アメリカ社会の変化を象徴してもいる。
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東へ東へと向かう「ちょっとピント外れのミシガンのカップル」は、なぜまた、当時、時代に追い抜かれつつあったグレイハウンドに乗ることを選択したのか。
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もし彼らが普段ニューヨークに暮らしている人間なら、ターンパイクで渋滞することは想定できる。

だが、ミシガンの田舎からニューヨークに出てきたばかりの「お上りさんカップル」は、スムーズなはずの高速道路が有料で、しかも渋滞している、なんていうややこしい事態は想定できない。

もしカップルが、「西から東へ」と旅行するのではなく、ジャック・ケルアックやロバート・フランクのように「東から西へ」旅行していたなら、どうだったか。
西海岸の高速道路の多くは無料だから、料金所がない。東から西へ旅していたら、渋滞に巻き込まれず、イライラせずに済んだかもしれない。

だが、東海岸のターンパイクの渋滞を経験したことがないミシガン出身のカップルは、慣れないヒッチハイク、雨、タバコを切らしたこと、ターンパイク特有の渋滞、気ままな旅のあらゆる選択においてミスを犯し続けてしまう。
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1950年代に始まった「旅客機と自動車の発達」は、それまでアメリカの交通の花形だった鉄道やグレイハウンドを、徐々に主役の座から引きずりおろしていった。

1958年にニューヨークのドジャースとジャイアンツが西海岸移転を決行したが、その英断の背景にも旅客機の発達があった。MLBの選手たちが北米の東西をスピーディーに行き来できるようになるには、旅客機の発達が不可欠だった。
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そうした「アメリカの変化を記録に残すこと」を最初に思い立ったのは、小説家、写真家といったアーティストだった。

Esther Bubleyは1940年代に、グレイハウンドを利用する人々など、当時のアメリカ人のリアルな暮らしの息吹をフィルムに収めた。ジャック・ケルアックは、1940年代に「東から西へ」放浪して、そのアンダーグラウンドな経験を1950年代に小説として発表し、一躍ベストセラー作家になった。ロバート・フランクは、1950年代にグッゲンハイム財団の資金援助で「東から西へ」撮影旅行をして、「自動車に乗る人々」を撮影して人気を博した。
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ボブ・ディランの名曲 The Times They Are A-Changin' 『時代は変わる』がリリースされたのは1964年。サイモン&ガーファンクルの "America" が作られたのと、時代はほぼ同じだ。("America"が収められた"Bookend" というアルバムのリリースは68年だが、曲自体が作られたのは60年代初期)
だが、ごく普通の人々(とりわけ田舎に住む人々)にしれみれば、「時代が変わりつつあること」、例えば「将来グレイハウンド社が倒産する」なんてことを想像することは、おそらく難しかった。(グレイハウンド社の2度の倒産は1990年代と2001年)

なにせ、アメリカでは、「グレイハウンドこそが、アメリカ」という時代が長く続いたのだ。いたしかたない。

だが1950年代に「放浪」がアメリカから消滅しただけでなく、「アメリカそのものだったはずのグレイハウンド」ですら、アメリカの主役ではなくなりつつあった

これは何を意味するのか。
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まとめよう。

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ミシガン州サギノーに住むカップルは、書籍や雑誌で見聞きしたことしかないビートジェネレーションの奔放さや破天荒な自由さに憧れて、いわゆる「アメリカ探しの旅」に出た。(それは「ビートジェネレーションが発見した『アメリカ』の追体験ツアーのようなものだった)

彼らは最初、慣れないヒッチハイクに挑戦したが、カップルであるために成功率が低く、4日もかかってようやく400マイルほど移動して、ピッツバーグに着く。疲労困憊した上に、雨にもたたられた2人はヒッチハイクを諦め、グレイハウンドでニューヨークを目指すことにした。

バス旅行は最初は楽しかった。だが単調なバスの長旅は、2人の関係を冷めたものに変えていく。グレイハウンドがあと少しでニューヨークというニュージャージーにさしかかったとき、そこには東海岸特有の有料高速道路の渋滞が待ち構えていて、カップルの行く手をさえぎった。遅々として進まないグレイハウンドを尻目に、追い抜いていく沢山の自動車。

たくさんの自動車に追い抜かれながら、男は「沢山の都会のオトナたちが、とうの昔に自分のもつ『若さというメリット』を追い越していたこと」、つまり「自分の探したアメリカは、前の時代の若者たちである今のオトナたちが発見し尽くしていて、しかも、かつての古いアメリカが終わって、新しいアメリカになりつつあり、さらには、自分がその変化についていけていないこと」に気づく。
かつて若者だった多くの人々は、ミシガンから来たカップルよりずっと早く「アメリカ探し」を終え、今は「オトナ」として都市に住んでいる。「オトナ」たちは、アメリカにかろうじて放浪が存在していた1950年代までの時代に、東のニューヨーク、あるいは西のサンフランシスコなどの都市にやってきた。彼らは既に都会での自分の居場所を探しあてており、都市に暮らす「オトナ」として、自動車という新しい交通手段を駆使して都市の一部になって暮らしている。

ターンパイクでクルマを運転していたのは、
そういう「アメリカのオトナ」だった。
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ニューヨークを前にしてミシガン州サギノー出身の男は、ようやく、気づく。

放浪も、アメリカ探しも、ヒッチハイクも、グレイハウンドも、自分たちがいままで、「これこそアメリカ」、「これぞアメリカの若者らしさ」と固く信じこんでいたものの大半が、実は「古いアメリカ」であり、それらは既に衰退、あるいは、消滅しつつあること。
さらに、自分たちがいま熱中している「アメリカ探し」「自分探し」も、かつて若者だった「オトナ」たちが、「とっくに経験した文化、とっくにやりつくした文化」であること。
They've all gone to look for America
All gone to look for America
All gone to look for America
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サイモン&ガーファンクル、というと、60年代の若者と、それ以降の「若さがもてはやされた時代」にとって、「若さをもてはやす側」の代弁者のように思われがちだ。

だが、彼らの作った "America" という曲は、1960年代のアメリカが、実は「若さというエネルギー」をもはや必要としなくなりつつあったという、非常に痛々しい事実を、容赦なく指摘しているのであって、別に「若さの礼賛」などしていない。

ある意味、若いということ以外、たいした取り柄が無いことが「若さ」というものの痛々しいメリットだとすれば、この曲は60年代、70年代以降の若者にとって「耳にするのもつらい曲」と受け止められてもよかったはずなのだが、当時の若者はおそらく、原曲の歌詞の意図などほとんどおかまいなしに、耳ざわりのいいメロディだけ聞き流して過ごしてしまったに違いないと、思えてならない。
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「放浪」が50年代に消滅し、かつて「アメリカそのもの」だったグレイハウンドが渋滞にまみれつつ交通の主役でなくなる日が近づいていた。

「若者」という存在は、古代から現代にいたるまで、いついかなる時代においても「主役」であると思いこまれがち(そして、そう教えこまれがち)だが、実は、「若者をそれほど必要としない時代」もあるということ。
これが、かつて「ティーンエイジャー」を発明したアメリカという社会が、老成していく時代に初めて発見した冷徹な事実だったのかもしれない。


だが、それでも人はエネルギッシュに生き抜きたいと願うものだ。ならば、どうすれば時代に立ち向かえるのか。

(次の記事に続く。次回がこのシリーズの最後の記事)
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