May 30, 2013

ポール・サイモンの歌をスタジアムで聴くリベラとジーター(1999)

これは1999年4月ジョー・ディマジオ・トリビュート・デイのためにヤンキースタジアムに来たポール・サイモンが、ギター1本で『ミセス・ロビンソン』を呟くように歌いかけ、フィールドを埋め尽くした大観客を魅了する魔法のような瞬間を、「指をくわえるように」じっと見つめる「若き日のマリアーノ・リベラと、デレク・ジーター」だ。

熱心なヤンキースファンでもあるポール・サイモンがスタジアムで『ミセス・ロビンソン』を歌った1999年は、リベラとジーターを含むコア・フォーと呼ばれた若い才能の登場でヤンキースが10数年ぶりに強さを取り戻した「幸福な時代」にあたっている。


Where have you gone, Joe DiMaggio?
Our nation turns its lonely eyes to you, woo woo woo
What's that you say, Mrs. Robinson?
Joltin' Joe has left and gone away, hey hey hey
Hey hey hey


マリアーノ・リベラの初登板は、まだバック・ショーウォルターがヤンキース監督だった時代の1995年5月23日エンゼルス戦だが、当時のリベラはまだ、これといってハッキリした特色の無い、どこにでもいる若い先発候補生でしかない。彼がクローザーになったのは、監督がジョー・トーリに交代した96年の翌年、1997年だ。

ヤンキース、というと、この100年間ずっと、ホームランを大量生産し続け、ずっとポストシーズンに進出し続けて、ワールドシリーズを100回くらい勝っているかのように勘違いしたままの人も多いわけだが(笑)、このチームが「ポストシーズンの常連」の位置に返り咲いたのは、91年デビューのバーニー・ウィリアムスが本格化し、生え抜きのリベラ、ジーター、ペティット、ポサダが一斉にデビューした「1995年以降」のことで、「1982年〜1994年のヤンキース」は、10数年もの間ポストシーズンに縁がないという、まるで近年強くなる前までのまるで不甲斐ないボルチモアに似た立ち位置のチームでしかなかった。

ショーウォルターの若手育成手腕を評価する人が多いのは、90年代後期のヤンキースもそうであるように、「ショーウォルターが監督をやった時期に育てられた生え抜きの若手」がその後チームを強くした例が、ヤンキースやテキサス、ボルチモアなど、いくつもあるからであり、今のショーウォルター率いるボルチモアの強さには、「90年代中期のヤンキース復活劇」に多少似た部分がある。


クローザーとしてのリベラの初登板となったのは、アンディ・ペティット先発の1997年4月2日シアトル戦だが(アレックス・ロドリゲスにツーベースを打たれている)、16対2とヤンクスの一方的な勝ちゲームだったために、セーブはつかなかった。

その後リベラは、新米クローザーとして、6度もらったセーブ機会のうち3度も失敗している。
4月8日ビジターのアナハイム戦では、9-8と1点リードの9回裏に同点タイムリーを打たれ、その後チームは延長で敗れた。4月11日オークランド戦では、1-0と1点リードした9回表、マーク・マクガイアに同点ホームランを打たれてしまい、これも延長で負け。さらに4月15日のホームのアナハイム戦では、5-4と1点リードで迎えた9回表に逆転2点タイムリーを浴び、負け投手になってしまっている。(アナハイム8回のセットアッパーは長谷川滋利)



先日、サイモン&ガーファンクルの "America" という曲の新たな歌詞解釈にトライしたばかりだが (Damejima's HARDBALL:「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。参照)、今日のサブウェイ・シリーズ第3戦で、奇しくもポール・サイモンがヤンキースタジアムにやってきて、前ニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニや、『サタデー・ナイト・ライブ』で知られる有名テレビ・プロデューサー、ローン・マイケルズと一緒にゲームを観戦していた。(観戦だけで歌は歌っていない)


東海岸生まれの若いサイモン&ガーファンクルが映画『卒業』のサウンドトラックとして "Bookend" をリリースしたのは、1968年だ。それから押しも押されぬ大スターになったポール・サイモンは、 "Bookend" から約30年もたった1999年に、ヤンキースタジアムでニューヨークを象徴するレジェンドのひとりとして、 "Mrs. Robinson" を歌った。
当時それをダグアウトで聴いていた若いリベラやジーターは、10数シーズンの活躍を経て、自分自身もニューヨークのレジェンドに加わり、さらにMLBを『卒業』して殿堂入りする日も近づいている。


ヤンキースは1995年から2000年までの6シーズンで3連覇を含んで4度ワールドシリーズに勝っているが、リベラやジーター、バーニーなどがかつて築いた「90年代後半の強いヤンキース」は、2000年代中期のステロイドまみれのヤンキースと、けしてイコールではない。

リベラやジーターは、「2000年代ドーピング・ヤンキース」を支えた選手たちよりも先にデビューして「90年代後期の黄金時代」を築いたが、彼らは「2000年代ドーピング・ヤンキース」の選手たちが副作用にありがちな故障などで引退や移籍に追い込まれていったのよりも長く選手生活を続けてきた。
今シーズンを戦っているヤンキースのダグアウトに、かつてのステロイドまみれ時代の選手たちの大半は消え失せて、影も形もないし、また、そうした選手の誰ひとりとして野球殿堂入りを果たす気配などない。
いいかえると、「2000年代のドーピング・ヤンキース」は、90年代後半にリベラやジーターが作った「ヤンキースの強さのベース」の上に、単にのっかっていただけに過ぎないのである。


今日ポール・サイモンが観た「ヤンキース」は、90年代後半以降ヤンキースを長年プッシュアップしてきたリベラ、ジーターなどがチームを去る日をカウントダウンしつつある「過渡期のヤンキース」だ。サッカーにも手を出す、なんて言い出したヤンキースが、近い将来大きく形を変えることになるのは間違いない。


5月24日の記事で「今のヤンキースは攻守のバランスで首位を保っているチーム」と書いたように、過渡期には過渡期の野球スタイルというものがある。
Damejima's HARDBALL:2013年5月24日、「ボールを振らず、かつ、ストライクだけ振れるチーム」など、どこにも「存在しない」。ボールを振るチームはストライクも振り、ボールを振らないチームは、ストライクも振らない。ただそれだけの話。
「過渡期のスタイル」は、90年代後期の「若い才能に恵まれたヤンキース」ではもちろんないし、かといって、2000年代中期の「ドーピングでパワーを人工的に増幅させたヤンキース」でもない。


とはいえ、アイデンティティのハッキリしないものを維持し続けながら次のスタイルを模索することは、けして容易な仕事ではない。

「過渡期にあるヤンキース」が、オーナー、監督、メディア、ポール・サイモン、イチロー、ジーター、リベラ、ヴェテラン、新人、ファン、ありとあらゆる立場の人それぞれにとって、「アイデンティティを非常に見つけにくい状態にある」のは間違いない。(そして、「アイデンティティが定まらない状態に全員が置かれて、もやもやしている」という状態は、「確固としたアイデンティティ同士がぶつかりあう競争社会である」ということと、意味は同じではないことは、言うまでもない)


ジョー・ジラルディはたぶん「チームのアイデンティティ」を、毎日探して、毎日作っては、毎日壊れて、そして、毎朝つくりなおしていることだろう。

ほんと、同情を禁じ得ない。


Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です

Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
Categories
ブログ内検索 by Google
ブログ内検索 by livedoor
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month