July 26, 2013

ル・モンド紙によれば、1998年にツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアをダブル優勝したイタリアのサイクリスト、マルコ・パンターニの98年ツール・ド・フランス総合優勝時の検体を、「現在の技術」で調べたところ、EPO(エリスロポエチン)が検出され、彼が「やはり」血液ドーピングをしていたことが明らかになった、という。
今回の再検査では、総合2位のヤン・ウルリッヒ(ドイツ)にもEPOの痕跡があり、3位のボビー・ジュリッチ(ボビー・ジュリック)の検体からも疑わしい値が検出されていて、ランス・アームストロングより以前から既にツール・ド・フランスが「ドーピングまみれ」だったことが、あらためて立証された。

1998年ツール・ド・フランスの表彰式で並ぶ3人のドーピング使用者
Tour de France 1998
左からウルリッヒ、パンターニ、ジュリッチ


あえて「やはり」という表現をとったのには理由がある。

現在に至るまで、かつて自転車界のヒーローだったパンターニをあくまで弁護しようとする人が存在する。彼らは、主に以下のような主張を繰り返してきた。

主張A)パンターニは、ドーピングをやってない。
主張B)当時の自転車界はEPOが禁止されていない時代だった。だからパンターニは法的には無実。

誰が読んでもわかることだが、2つのロジックはまったく両立しない。
片方で「パンターニは、ドーピングなんて下劣なことはやってない」という「優等生的な潔癖さ」を主張しつつ、他方では「当時のルールでは、EPOは禁止されてない。だからパンターニのEPOは、法的には何の問題もない」と、まるで脱法ドラッグを覚えた優等生が自己弁護するかのような「世間ズレした、世渡り感覚」を主張している。

まるで一貫性も、整合性もない。
都合の良いことばかり言ってんじゃねぇよ、としか言いようがない。


彼らの主張を流し読みした人はたぶん、「当時はドーピングを規制するルールがそもそも無かったのか」とか、「当時はEPOを規制するルールがまったく無かったわけだから、EPOはいくらやっても合法だったんだろう」などと誤解する可能性がある。


だが、それはまるで事実に反している。

当時のUCI(国際自転車競技連合)は、血液中に占める血球の容積の割合を示す数値であるヘマトクリット値を規制していた。

なぜ当時のUCIが、EPOそのものではなく、ヘマトクリット値を規制していたかといえば、ひとつには、当時の技術ではEPOそれ自体を正確に検出できなかったからだ。

EPOを使ったドーピングでは、「EPO」という「手段」を使って、血液が持っている機能を人工的に上げて(それがヘマトクリット値の上昇という現象に現れる)、超人的な持久力を得るという「結果」を得ていた。
だから、EPOによるドーピングを摘発する場合、やり方は「2種類」考えられる。
1)ドーピングの「手段」であるEPOの使用そのものを発見し、摘発する規制(ドーピング摘発技術の進化により、現在ではこれが可能になった)

2)ドーピングの「結果」であるヘマトクリット値の異常を発見することで、結果からさかのぼってEPO使用を摘発する規制


ここまで説明すれば誰でもわかると思うが、「1998年当時は、EPOについてのドーピング規制はなかった」という主張は根本的に間違っている。
当時はまだ検体からEPOそのものを検出する技術がまだ開発されていなかったから、やむなくドーピングの「結果」である「ヘマトクリット値の上昇」という別の指標を使うことで、ドーピングを犯している選手を摘発していたという、ただそれだけのことだ。
これはドーピングの巧妙化にともなって、ドーピング物質そのものを検出するのではなく、ドーピングの隠蔽に使われる利尿剤の検出を行って、結果的にドーピングを摘発するのと同じ考え方だ。


現実にマルコ・パンターニは、1999年ジロ・デ・イタリアでヘマトクリット値が当時の規制値をかなり超えた「52」を示して、出場停止処分になっている。(これは自転車界を直接管轄するUCIによる自発的な摘発ではなく、イタリア当局による抜き打ちの検査によって摘発された。UCIは当時も今もドーピング摘発に及び腰であり、そのなまぬるい体質が自転車界を長くドーピングまみれにしてきた原因になってきた)

99年のジロにおけるパンターニの摘発は立派に「当時の技術レベルにおける、まがいもないドーピング摘発」であって、「当時はEPOに関する規制がなかった」という主張も、「パンターニは法的に問題ない」という主張も、どちらも事実とはいえない。当時のEPOに関する規制手法としては精一杯だったといえる「ヘマトクリット値による規制」に、パンターニは違反し、みずからの不正によって失格したのである。

そして今回、明らかになったのは、以前からわかっていた1999年のドーピングではなくて、その前年1998年のツール・ド・フランスでのドーピングであり、しかも、今回はヘマトクリット値の異常ではなく、EPOそのものがハッキリ検出されている。
加えていえば、2006年7月のコリエレ・デッラ・セーラ紙(Corriere della Sera, イタリア)によると、パンターニは、スペインのドーピングスキャンダルで有名なフエンテス医師と関係をもち、2003年にはEPOのみならず、成長ホルモン、アナボリック・ステロイド、更年期障害に関するホルモンを「ダース単位」で買い、多額の代金を支払ったとみられると指摘されている。
The doctor gave 'PTNI' more than 40,000 units of EPO, seven doses of growth hormone, thirty doses of anabolic steroids and four doses of hormones used to treat menopause.
Latest Cycling News for July 4, 2006 www.cyclingnews.com - the first WWW cycling results and news service

これでマルコ・パンターニのドーピングは、濡れ衣でもなければ、疑惑でもなく、れっきとしたドーピングそのものだったことが、あらためて立証された。彼が駆け上がったのは、フランスやイタリアの風光明媚な山岳ではなく、ドーピング物質で固められた、どす黒い山だ。


チームぐるみのドーピング事件であるランス・アームストロング事件では、アームストロングと同じチームの選手からも多くのドーピング処罰者が出ているが、「1998年以降、選手キャリアの大半ほでドーピングしていた」と自白しているオーストラリアのマット・ホワイトは、「1998年当時のイタリアのドーピング状況の酷さ」について、オーストラリアのテレビ番組でこんなことを言っている。
「イタリアに渡ったとき、あまりにもドーピングがおおっぴらだったので、非常に驚いたが、仕事をキープするには、自分もPEDをやらないと話にならない、と思った。イタリアに着いたその日のうちにドーピングをやった。非常識な話ではあるが、それくらい当時のイタリアではドーピング薬物が広く出回っていた」


ちなみに、1998年ツール・ド・フランスで、マルコ・パンターニに続く2位になったドイツのヤン・ウルリッヒは、昨年2012年に、これまでずっと否定し続けてきたドーピングスキャンダルへの関与を認めるコメントを出して謝罪している。
このウルリッヒは、パンターニがダブル・ツールを達成する1998年の前年、97年に、それまでたいした実績がないまま出走したツール・ド・フランスで突如として優勝し、一躍ドイツのヒーローになった人物で、ドイツに爆発的な自転車ブームを引き起こしたドイツのヒーローだった。

だが、2006年スペインでの有名なドーピング・スキャンダル『オペラシオン・プエルト』への関与が疑われ、2006ツール・ド・フランスの出走前日にチームを解雇され、事態は一変した。
ウルリッヒは、当時からずっと一貫して関与を否定し続けてきたが、2012年2月にスポーツ仲裁裁判所によってドーピングが確定し、2005年5月以降の成績は抹消され、ウルリッヒ当人もドーピングの事実を認める謝罪コメントを発表した。

ウルリッヒのオペラシオン・プエルトへの関与で抹消された成績は、「2005年5月以降」のものだが、今回の1998年の検体の検査結果によって、オペラシオン・プエルトよりずっと前から既にウルリッヒがEPOによるドーピングに手を染めていたことがわかったわけだ。
1997年に実績のないウルリッヒが突如としてツール・ド・フランスに優勝したことを、ドーピング以外でどんな説明がつくというのだろう。あらたなドーピングが判明した以上、ウルリッヒの成績抹消は、さらにさかのぼって、1990年代の成績についても抹消されるべきだ。


EPOが検出された18名

マルコ・パンターニ(イタリア)
ヤン・ウルリッヒ(ドイツ)
ローラン・ジャラベール(フランス)
ジャッキー・ドゥラン(フランス)
ローラン・デビアン(フランス)
エリック・ツァベル(ドイツ)
イェンス・ヘップナー(ドイツ)
マリオ・チポッリーニ(イタリア)
エディ・マッツォレーニ(イタリア)
アンドレア・タフィ(イタリア)
ニコラ・ミナーリ(イタリア)
ファビオ・サッキ(イタリア)
アブラハム・オラーノ(スペイン)
マルコス・セラーノ(スペイン)
マヌエル・ベルトラン(スペイン)
イェルン・ブライレヴェンス(オランダ)
ボー・ハンバーガー(デンマーク)
ケヴィン・リヴィングストン(アメリカ)


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