August 06, 2013

ヤンキース、というと、すぐに「常勝」だのなんだのという単語を連想したがる奇妙な人が日米問わず多いようだ(笑)まぁ、たぶん日本でいうなら、セ・リーグ某球団ばかり見てきたか、MLBをよく知らない人たちの慣習なのだろうが、そんなもの、どうでもいい(笑)
MLBを見てきた人なら誰でもわかっている。ボストン・レッドソックスがかつてお荷物球団だった時代があるのと同様、この30年のヤンキースの歴史は、けしてこのチームがずっと常勝だったわけではなく、むしろ「他のあらゆるプロスポーツ同様に、容赦ない栄枯盛衰のリズムに従ってきた」ことを物語っている。
そんなことくらい誰でもわかりそうなものだが、歴史に目をつぶって間違った自説を信じたままでいたい人もたくさんいるようだ。そんな人間に何を言っても馬耳東風。放っておいて遠くから冷笑するに限る(笑)
New York Yankees Team History & Encyclopedia - Baseball-Reference.com

何度も書いてきたように、ヤンキースという「ビルディング」が、80年代から90年代初頭にかけての長い低迷期を90年代中期に抜け出し、ある意味の「建て替え」に成功できた根本理由は、1990年代中期に、この30年間でたった一度だけ、ヤンキースのファームが本来の「育てる」という機能を最大限に(それも奇跡的なくらいに)発揮したからだ。
だから、その後のヤンキースの繁栄は、90年代に一度だけ成功した若手育成によって組み上げられた「太い鉄骨」、つまり「構造材」の強靭さによってもたらされただけの果実なのだ。
バーニー・ウイリアムスの全盛期の終焉は、彼を中心としたヤンキース黄金期の終焉を意味していて、2003年以降の「黄金期後のヤンキース」は単に、ステロイド・ホームランを量産するバッターをカネでひたすら買い集めながら、「ビルの骨組みである『太い鉄骨』が錆び朽ちるまでの強度」によって「ビルディング全体をなんとかもたせてきた」に過ぎない。
「ヤンキースの構造材となった選手」は、具体的にはもちろんジーターやリベラなどだが、彼らが役割を終わろうとしつつある今、若い世代の「跡継ぎ」を育ててこなかったヤンキースの屋台骨が根本から揺らぐのは当然の結果であって、驚くことでもなんでもない。


1981年
80年代唯一のワールドシリーズ進出と、後の選手育成
Gene Michaelの功績

この30年間、選手以外で「最もヤンキースに貢献したといえる人物」が誰かといえば、選手を「買う」ことしが眼中になかったヤンキースのファーム・システムをたった一度だけ復活させ、ヤンキース黄金期を支える「構造材」を大量生産することに成功したGene Michaelのような人物だといっていい。近年のヤンキースのステロイド・ホームランバッターの名前を挙げられる人はいくらでもいるだろうが、そんなことはどうでもいい。
Gene Michaelは1990年ヤンキースGMになり、92年にバック・ショーウォルターを監督に据え、彼とともに若い人材を育て上げた人物だが、同時に、1981年に「ヤンキースの80年代における唯一のワールドシリーズ進出」を果たしたヤンキース監督でもある。また、黄金期のキープレーヤー、バーニー・ウイリアムスがトレードされそうになったとき、ショーウォルターとともに阻止した人物でもある。
「ヤンキース史」とか「ヤンキース年表」と自称するもののうちで、Gene Michaelの仕事の重みを軽視しているものは全て無視していいと思う。


1982年〜1993年
ポストシーズンに一度も進出できない長い低迷期

監督時代のGene Michaelによる80年代唯一のワールドシリーズ進出の後、1982年から1993年までの12シーズン、ヤンキースは一度もポストシーズンに進出していない。この間、ビリー・マーチン、ヨギ・ベラ、ルー・ピネラなど、数々の名監督がヤンキースを蘇生させようとしたが、誰も悪い流れを変えられなかった。


1992年〜1995年
ジーン・マイケル、バックショーウォルター体制の登場

誰も流れを変えられなかったヤンキースを「変える」ことに成功したのが、1990年にGMに就任したGene Michaelだ。彼はヤンキースの選手編成の手法そのものを根本的に見直して、カネで選手を買ってくるのではなく、ファームで生え抜きの若い選手をゼロから育てた。
例えば、バーニー・ウイリアムスは、1992年にヤンキースのマイナーであるColumbus Clippersのゲームに、マイナーでの経歴としては最多の「95試合」に出場している。同じくジーターも1995年にColumbus Clippersで最多の「123試合」に出場しているし、リベラがメジャーデビューしたのも同じ1995年だ。(ちなみに若い時代のリベラのトレードを思い留まったのも、このGene Michael)
Gene MichaelがGMに就任した1990年、ヤンキースのスタメンに誰ひとりとして3割を打っているバッターはおらず、先発ピッチャーは全員がERA4点台という、2013年よりずっと酷いチームだった。
だが、Gene Michaelは就任の4年後、94年には、ヤンキースを地区優勝できるチームに仕上げている。これは、それまで東西2地区制だったア・リーグが、中地区を設けて「3地区制」になったため、東地区の強豪が他地区に分散したことが寄与したのも確かだが、それよりなにより、バーニー・ウイリアムス、ジーター、ペティット、ポサダ、リベラ、カノーなど、ファーム育ちの生え抜き選手が成長したことによる。


1996年〜2002年
バーニー・ウイリアムスの全盛期とダブる、
「ヤンキース黄金期」

ヤンキースに復活をもたらしたGene Michaelとバック・ショーウォルターのコンビは1995年で退き、翌96年からはGMがBob Watson、監督がジョー・トーリという新コンビにガラリと変わる。これはせっかく収穫を迎えた麦を他人に収穫させるようなもので、よくこんなことをしたものだと思う。
後にBob Watsonは、1997年にワールドシリーズ連続出場を逃した責任をとらされて1998年2月退任しているが、今にして思えば、あまりにもハードルが高すぎる。もしその条件を、Bob Watsonの後任として1998年2月にヤンキースGMに就任したブライアン・キャッシュマンにあてはめるなら、彼はもう何回も辞任していなくてはならない。しかし、彼は一度も辞めてない。

言うまでもないことだが、「キャッシュマン、トーリ体制」は、「ジーン・マイケル、バック・ショーウォルター体制」が生産した「ヤンキースというビルディングの骨組み」をそのまま受け継いだに過ぎない。
それは、ボストン・レッドソックスで1994年から2002年までGMだったダン・デュケット(現ボルチモア・オリオールズ編成責任者)が集めた人材を、後任GMであるテオ・エプスタイン(現カブスGM)が踏襲しただけなのに、あたかも2000年代のボストンの強さがエプスタインの手腕の成果ででもあるかのように誤解され続けてきたのと、まったく変わらない間違いだ。


2003年〜
ステロイド・ヤンキース

MLBでは、地区最下位になるような弱小球団は、翌シーズンのドラフトで才能あるドラフト上位選手の指名権を得ることでチーム再建への一歩を踏み出すことができる仕組みになっている。若い選手はサラリーが安いわけだから、こうしたドラフトによる再建方法は、育成に時間がかかりはするものの、コスト面では安上がりで済む。
だが、90年代末ヤンキースのように、毎年のように優勝する状態が続くと、ドラフトによる有望新人の指名権獲得は期待できなくなっていき、同時に、選手獲得コストがうなぎ登りに上昇していくことになる。そうなると、自軍の若い有望選手をキープしたまま選手レベルを維持しようとすると、他チームから高額なサラリーのFA選手を買うか、ドラフト外でラテンアメリカやアジアから選手をかき集めるくらいしか方法がなくなる。
実際、2000年代中期ヤンキースのスタメンには、2004年入団のAロッドはじめ、メルキー・カブレラ、シェフィールド、ジオンビーなどなど、ステロイド系スラッガーが多く名前を並べている。その背景には、ヤンキースが「ジーン・マイケル、バック・ショーウォルター体制」で作ったせっかくの若手育成機能をみずから放棄し、再び1980年代のような「カネで選手を買い集めるシステム」に戻ってしまい、なおかつ悪いことに、そこに「ステロイドの蔓延」も加わってしまった、ということがある。
いま多くの人がイメージする「ホームランの多い常勝ヤンキース」とは、2000年代に作られた人工的な「偶像」でしかない。

2006年にヤンキースが、1997年から28年間も傘下に置いてきたAAAのColumbus Clippersを手放してしまったのだが、その背景には、ヤンキースが「若い選手を育てる」のを止め、「FA選手を買う」という選手編成方針の転換があった。

例えばNeil Allenは、2003年、2004年、2006年にColumbus Clippersの投手コーチをつとめているように、長くヤンキースのさまざまなマイナーチームで投手育成の要職をこなしてきた人だが、彼は、ヤンキースが2006年にColumbus Clippersを手放すと、ついにヤンキースを離れてしまい、翌2007年からはタンパベイ・レイズのマイナーであるDurham Bullsの投手コーチに就任して、とうとう長年続いてきたヤンキースとの絆を断つことになった。
これは、ヤンキースのファームシステムが再び80年代のような弱体化傾向にあることを示す事例のひとつであり、マイナーのコーチ流出はヤンキースの若い選手の才能がなかなか開花しない原因のひとつにもなっていると思われる。


2012年〜
ノン・ステロイド・ヤンキース

2000年代中期に「若い選手を育てる」路線を自ら捨て、「FA選手を買う」路線に戻ってしまったヤンキースだが、買ってきた高額サラリーの選手たちの度重なる怪我、ステロイドによる出場停止、贅沢税問題など、さまざまなトラブルを抱えていて、その結果、予算はとてつもなく「硬直化」している。つまり、足りない選手を補強しようにも、自由に予算を使うことができないのである。
そして、おまけに悪いことに、予算の自由度がまるで無い中で、GMブライアン・キャッシュマンは、内野手やピッチャーのような「絶対的に不足しているポジション」の選手ではなく、外野手のような「既にダブついているポジションの選手」ばかり買ってくるのだから、まったくもって始末が悪い。

ステロイドのせいもあって、ホームランを量産する選手への風当たりは、いうまでもなく、きつくなり続けている。
最近のアンチ・ドーピングの流れを受けて、MLBでも大規模かつ執拗なドーピング検査が行われるようになったこともあるし、また、近年のデータ活用の発達で、打者の傾向が簡単にスカウティングされるようになってきたこともある。ヤンキースに限らずだが、ホームランを量産するスラッガーや主力先発投手など、長期高額契約選手のプレーに対するマークは、年々きつくなっていくばかりだ。
言うまでもないことだが、これまでステロイドを使って長打を量産してこれた選手が、近年の規制強化でステロイドが使えなくなったことで成績がガタ落ちした、ということもあるだろう。おおっぴらにならないだけだ。

こうした中、ジーター、リベラといった長年ヤンキースの骨組みとなってきた「構造材」には耐用年数の限界が見えてきている。

2012年は、Aロッド、グランダーソンなど高額サラリーの主軸打者の長期のスランプ、主力投手サバシアのストレートの球威低下、Aロッドのステロイド問題、あらゆる問題が表面化しかけたが、それでもヤンキースは、イバニェスイチローカノーなど、一部選手の頑張りによって、かろうじて地区首位を拾った。
だが、翌2013年は、前のシーズン終盤で活躍をみせたイバニェスと再契約せず、またイチローを重用しないという、ピント外れのままのスタートとなり、さらに重い怪我でDL入りする主力選手が続出。また、補強ポイントを間違ったピント外れの選手補強が連綿と続くことで、2013年ヤンキースは結果的に「内野手は常に不足し、逆に、外野手は常にあり余っている状態」、「打力は足りないので補強が必要だが、かといって、投手力も補強されない、投打が両方壊滅する状態」、「補強した野手のポジションがあまりにもかぶり過ぎていて、どれだけ野手を補強しても同時には出場させられない」などという、アンバランスな状態になった。

せっかく好調期を迎える野手が出てきたとしても、好調期→起用法の変更→調子落ち→好調期→起用法の変更→調子落ち、という「ムダな繰り返し」の連続では、チームの得点力なんてものが安定するわけはない。
こうした「的確でない選手獲得を原因とする、度重なる起用法の変更」と「ジラルディの不安定な選手起用」は、2013ヤンキースにおけるひとつの「連続したワンセットの自己崩壊現象」であり、ヤンキース野手陣を常に不安定な状態におとしめる大きな原因のひとつになっている。
ベテランの多いチームにとって「意味のわからない不安定さ」はプラス要因にはならない。ヤンキースが2013年にやっている頻繁な起用法変更は、ベテランの競争意識を煽って成績を向上させるような代物では、さらさらない。

2014年〜
不透明なヤンキース

怪我をしてゲームに出られない主力選手、ピークを過ぎた選手と結んだ5年を超えるような長期契約に多くの予算が裂かれているバランスを欠いた予算配分により、来年以降もヤンキースのチーム予算の硬直化は避けられない。今後ヤンキースがとるべき対策が、どの程度の「深さ」なのか、誰もまだ測定していない。


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