August 09, 2013

前の記事で書いたことだが、ヤンキースというチームがこの30年間にやってきたことは、つまりこういうことだ。
Damejima's HARDBALL:2013年8月5日、「生え抜きの成長、黄金期、ステロイド、そして衰退」 正しいヤンキース30年史。

低迷し続けた80年代が過ぎ、ヤンキースは90年代中頃、ようやく若い選手を育てる手法に転じることにした。勝率はみるみる上昇。90年代末には黄金期を迎えた。だが、2003年以降になると、チームはステロイド系スラッガーを抱えこみながら、ゆるゆると下降し続け、やがて「次の時代をどうするか」難しい選択を迫られた。

アレックス・ロドリゲスのステロイド問題は、直近のヤンキース30年史という「ちょっと高い位置」から眺めると、バーニー・ウイリアムスの全盛期が終わるのと並行して90年代末の「黄金期」が終了したあとも、ヤンキースは、まるで医師が重篤な状態にある患者に対して延命措置を施すかのように、ひたすら黄金期を「延命」し続けようと、もがき続けてきた中で生まれてきた問題だ。
かつて若手だったリベラがいまや引退を目前にしているわけだが、ヤンキースは「リベラ、ジーターの次の世代をどう開拓するのか」という長年の課題に明確な手を打てないまま、ゆっくりと下り坂を下っていく。これは、いってしまえば、社会の高齢化に明確な手を打たないまま高齢化社会時代を迎えてしまった日本の年金制度のような話だ。


バイオジェネシス事件には、アレックス・ロドリゲスの弟分で、かつてヤンキースに2005年から2009年まで在籍し、期待の若手のひとりと言われ続けて結局芽が出なかった、かつてのセンター、メルキー・カブレラも深くからんでいる。

これはなにも「一部選手のステロイド使用を、ヤンキースがチームとして公認していた」とか、「黙認していた」とかいう意味で言うのでは全くないと明確に断っておいてから言うのだが、もしファンやメディアも含めた意味の「ニューヨーク・ヤンキース」が「アレックス・ロドリゲスがやってきたような何か」をこれまで一切認めてこなかったなら、そもそも2000年代中期の「下降を続けていくヤンキース」自体が存在せず、むしろ、2000年代前半のどこかでヤンキースは一度バッタリと停止して、もっと違う道(例えば新しいチームづくりへの道)を歩んでいたかもしれない。

だから、ヤンキースにとって、いま起きている「アレックス・ロドリゲス問題」をどう処理するか、という問題は、実は意味的には、単なる「スポーツ選手のドーピングについての道徳的な善悪判断」なのではなくて、むしろある種の「清算」といったほうがいい部分がある。
たとえば長く愛し合ってきた男女が関係を「清算」するとする。その行為は、法律や道徳からみた善悪の判断には必ずしも沿わない。当事者は、いいことも悪いこともひっくるめて色々と脳裏に思い出しながら、「これでひとつの時代が終わるんだな・・・・」と感傷にとらわれながら、どこにあるのかわからない終着駅をアテもなく探しながら、右往左往することになる。
外から、「あなたがたはもう、長い時間を清算するときだ」と冷静に言い放たれたとしても、酔っ払いが長居しすぎた店で飲み代を払ってタクシーで家に帰るように、簡単にはいかないのである。


珍しくこんなことを考えたのも、この記事を読んだからだ。
The Greedy Pinstripes: It Is Time To Sell: Brett Gardner

この記事の内容については触れてもしょうがない。記事の意味、記事の価値は、自分で読んで、自分で判断してもらいたい。
読む人それぞれが、それぞれの立場から読むしかない。どんな思い入れをもってゲームを眺めているかは、人によってまるっきり異なる。


ひとことだけ言うと、
この記事の書き出しは、とてもいい。

Writing this article really hurts me as a fan of not only the Yankees but of Brett Gardner as well.
この記事を書くことは、ヤンキースファンであるだけでなく、ブレット・ガードナー・ファンでもある自分自身をひどく傷つけることになった。

ヤンキースという「構造材の耐用年限が到来した、古いビルディング」には、遅かれ早かれ、再建の必要なときが来る。

ブレット・ガードナーは、ヴェテランの多いヤンキースにしては唯一の若いスタメンといえる選手だ。
その彼に、「近未来のヤンキースにおいて、どういう役割を期待するのか」を考えること、そして「未来の彼に、何が期待できるのか」を判断し、想定しておくことは、「先発ローテーションをどう再建するのか」という最も重要な課題に次いで、「これからのヤンキース」を考える上の不可欠な要検討事項であるのは確かだ。
だが、たいていの人は漫然としかモノを考えない。若い頃のジーターの打撃成績やキャプテンシーと、今のガードナーとでは、あらゆる点で比べものにならない「差」があることすら考慮しないまま、「そりゃ、これから若手を使う時代になったら、生え抜きの中では唯一スタメン張ってるガードナーがリーダーになるにきまってるだろ?」などと、型にはまった紋切型の意見しか持たない。そして、型にはまった思考がこのチームを硬直化させてきたことに疑問すら持たないくせに、昔からのヤンキースファンを自称したがる。

人をいなす能力にだけは長けているニューヨークのメディアだが、彼らにしても、バーニー・ウイリアムスの引退以降、これまで有り余るほど長い時間があったにもかかわらず、ヤンキースがここまで老朽化するまで、この問題についてのきちんとした議論の場を用意してこなかった。


だが、この記事を書いたDaniel Burchは、違う。

たぶん彼は、この問題、つまり「これからヤンキースはどう再生すべきか」について、嫌になるほど考え抜いてみたのだろう。そして、考える上で、あらゆる前提条件を一度とっぱらって考えてみたはずだ。
結果、彼は「自分でも考えもしなかった、ある地点」にまで、うっかりたどりついてしまう。それは、「ガードナーは放出すべき」という「自分でも思ってみなかった結論」だ。
それは、彼自身が記事の冒頭でいっているように、「ヤンキースファンであると同時に、ガードナーファンでもある自分自身を酷く傷つける」結果になった。

でも、彼は勇気をふりしぼって書いた。
It Is Time To Sell: Brett Gardner
ブレット・ガードナーは、今こそ売り時だ」と。


この記事の主張の中身が的を得ているか、そうでないかは、この際判断しない。そんなどうでもいいことより、この「書きづらい記事」をいまのタイミングで書くことの「辛さをともなった、真摯さ」に敬意を表して、Daniel BurchGreedy Pinstripesに、心からの敬意をこめた拍手を贈りたいと思う。

例えばイチローにしても、ヤンキース移籍を前にして考え抜いた結果、「自分は『これからのシアトル・マリナーズ』に必要ない」と自分自身について結論づけた行為も、やはり彼自身を傷つけたことだろう。
ヤンキースとの再契約を選んだ2年契約については、ブログ主には賛成しかねる部分もあるにはあるが、それを外野から声高に言うより前に、決めづらいことを決める一瞬一瞬の決断に対して敬意を忘れないようにしなければと、この記事を読んで、あらためて考えさせられた。

いまのジョー・ジラルディにしても、言いたいことは山のようにある。だが、Daniel Burchの「真摯さ」には、とても学ばされるものがあったことだし、ジラルディ・ヤンキースのゲーム手法の稚拙さを全く批判をしないわけにもいかないのだが、なにもかもを否定するのはもう少しだけ我慢してみることにしたいと思う。


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