November 29, 2013

まず前記事を要約する。

20世紀初頭のMLBのスタジアムで「イタリア系、ポーランド系、ユダヤ系など、『新参の白人移民』が外野席を占める」という現象がみられるようになった。その背景には、ヨーロッパ、特に東欧やドイツからアメリカに移住してきた「新参の白人移民」の急激な増加があった。
やがてこうした新参の白人移民の社会進出が進み、一方でマス・メディアの発達が始まると、アメリカ社会に「大衆化」現象がはっきり表れた。
MLBにおいても、チームオーナー、プレーヤー、ファン、すべての領域において、「新参の白人移民の参入」が急速に進行した結果、ベースボールは最初の「大衆化」のステップを経験することになった。(ここでいう「大衆化」とは、いうまでもなく白人限定の意味での大衆化)
前記事:Damejima's HARDBALL:2013年11月8日、父親とベースボール (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力

自分で書いておいて言うのもなんだが(笑)
「アメリカ社会の変貌を効率よく把握する上で、1920年代の『新参の白人移民の社会進出』を分岐点のひとつととらえて、前後で切り分けて考える」という視点は、アメリカ史を考える上で、あるいは、「20世紀特有の大衆化社会」というものを正確に把握する上で、とても役に立つ整理方法、だと思う。


さて、この「新参の白人移民の急速な社会進出」をきっかけにアメリカ社会に起きた「大衆化」現象を、独立戦争より前からアメリカに住み、長くアメリカの土台を築き上げてきた「古参の白人移民」は、どう感じていたのだろうか

古参の白人移民の感じた「不快感」を示す、こんなエピソードがある。

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1920年1月、MLBに大事件が起きた。
ボストン・レッドソックスに在籍していたベーブ・ルースがヤンキースにトレードされたのである。

この劇的なトレードはMLBファンなら誰でも知っているわけだが、当時のレッドソックスのオーナーが、Harry Frazee(ハリー・フレイジー)という名の男であることは知らない人が多い。
彼の本業はブロードウェイの劇場関係の仕事だが、当時の彼は球団購入のための借りた借金と本業の経営難から、とても金に困っていて、それがベーブ・ルースをトレードする原因になったといわれている。

Harry FrazeeHarry Frazee
(1898-1929)

最初に誤解が生じないようにことわっておくと、このHarry Frazeeなる人物は、「ユダヤ系移民」ではなく、スコットランド移民だ。
資料例:For Harry Frazee III, 'The Curse' has different meaning - seattlepi.com

だが、この「ユダヤ系移民ではない」Harry Frazeeを、「ユダヤ人」と決めつけた上で、 "How Jews Degraded Baseball" (『いかにユダヤ人が野球を貶めているか』)と題する1921年9月10日付の攻撃的な記事など、非常に強い論調で批判し続けたミシガン州の新聞がある。
反セミティズム主義(=ある種の『反ユダヤ主義』)でも有名な、あの自動車王、ヘンリー・フォードが1927年まで所有したThe Dearborn Independent紙だ。(ちなみにDearbornとは、ミシガン州にある地名で、ヘンリー・フォードの出身地)
The Dearborn Independent紙は、筆禍から1927年に廃刊されるまで、たとえ根拠があろうがなかろうが、おかまいなしに、ありとあらゆる「気にいらないもの」を「ユダヤ」と決めつけ、世間にユダヤ移民の影響の排除を促す攻撃的な記事を数多く掲載する反ユダヤキャンペーンを続けた。
同紙の攻撃ターゲットは、ベースボールだけでなく、ジャズから金融ビジネス、果ては飲酒習慣にまで及び、やがてThe Dearborn Independent紙の主張した「ユダヤ脅威論」は、"The International Jew" のような典型的な反ユダヤ主義のテキストとしてまとめられたことで、遠くナチズムにまで影響したといわれている。
資料:Harry Frazee and the Red Sox | SABR

The International Jew - Wikipedia, the free encyclopedia

The Dearborn Independent, Sept. 3, 1921The Dearborn Independent - Wikipedia, the free encyclopedia


と、このエピソードだけを読むと、ヘンリー・フォードだけがあまりにも歪んだ差別主義者で、故郷の新聞社を買収してまでして、自分の歪んだ主義主張を世間に広めようと、身銭を切って印刷した新聞を無料で配布しまくった「えげつない世論操作」とでも思われそうだが、実際には、あながちそれが全てともいえない部分がある。
というのは、このThe Dearborn Independent紙が1925年当時のミシガン州で、実に「90万部」もの発行部数を維持していたからだ。マスメディアが未発達だった時代のことだから、この「90万部」という発行部数はけして少なくない。当時それを越える部数を発行できていた地域紙といえば、他にはニューヨーク・デイリーニューズくらいしかない。
発行部数データの出典:The Dearborn Independent - Wikipedia, the free encyclopedia


この耳ざわりのけしてよくないエピソードを紹介した理由は、「アメリカの古参の白人移民にとっては、新参の白人移民の急速な社会進出が、我慢できないほど不愉快なものでもあった」というニュアンスを肌感覚としてわかってもらうためだ。
ヘンリー・フォードのThe Deaborn Independent紙を通じた常軌を逸した人種的偏見キャンペーンは糾弾されてもいたしかたない事実ではあるが、その一方で、ドイツや東欧出身の新参の白人移民の流入によって濁流のようなパワーとスピードで起こった「大衆化」現象が、けして在来のアメリカ人のすべてに快く受け入れられていたわけではなかったことも、また事実なのである。


1920年代以降、「大衆化」が急激に進むアメリカ社会に渦巻いていた「強烈なモチベーション」は、ブログ主の考えでは、2つある。
ひとつは、新参の白人移民の「社会進出や自己実現に対する強烈な欲望」であり、もうひとつが、「そうした新参の移民の急速な社会進出を、冷ややかに眺める古参の白人移民の感じていた不快感」だ。
なかでも、古参の白人移民に積み重なったのは、鬱積したネガティブなモチベーションであり、これはやがて「なにがなんでも『他者』という目障りな存在を排除したい」という「差別欲求」をも産み出し、アメリカ社会のさまざまなネガティブな要素を強める元凶になったのではないかと、アメリカ史を読んでいていつも思う。

(もちろん、本来なら、この2つの「白人のモチベーション」以外にも、この時代にアメリカ南部から北部の大都市に移住を開始しはじめた奴隷出身のアフリカ系アメリカ人たちの「自由を求める強いモチベーション」も語られなければおかしい。
だが、いかんせん、まだ公民権運動すらなく、ジム・クロウがまだ幅をきかせていた1920時代という時代は、アフリカ系アメリカ人の自由への欲求や自己実現欲求は、まだ実現の糸口すら見えない暗い時代なのであって、当然ながら1920年代のMLBにアフリカ系アメリカ人の存在は、まったく影も形もない。19世紀末のUnderground Railwayを支えたハリエット・タブマンも1913年に亡くなってしまっている。
「新参の白人移民による大衆化」時代である1920年代においては、「北部に移住したアフリカ系アメリカ人」の存在感は、残念ながら、まだ「ひとりのアメリカ人として認知される」というレベルにはなく、いわば「プランテーションの奴隷に毛が生えた程度の使用人」という非人間的な扱いしか受けていない。ニューヨークのハーレムなどで肩を寄せ合って暮らした北部移住後のアフリカ系アメリカ人がアメリカ史の表舞台に登場するのは、もっとずっと後のことだ)
関連記事:Damejima's HARDBALL:2012年8月5日、父親とベースボール (6)アフリカ系アメリカ人史にみる「都市と田舎の分離」。南北戦争前のUnderground Railroadによる北部都市への脱出。南北戦争後のReconstructionの挫折による「ジム・クロウ」の誕生とGreat Migration。

1920年代のニュージャージーの工場労働者
1920年代のニュージャージーの工場労働者たち via:Maas & Waldstein Company Newark, New Jersey


人間のモチベーションの「」は、とかく複雑で、つかまえにくい。それでも「解読」を試みようと思うなら、道徳感にとらわれたままモノを考えるのは、けしてプラスにはならない。

ブログ主は、ヘンリー・フォードのユダヤ移民に対する偏見の「根」は、必ずしも人種にまつわる差別感情がすべてではなく、そのさらに奥を掘っていくと、「新参の白人移民たちが急速に社会進出してくる当時の社会において、古参の白人移民たちが感じていた『縄張り意識』からくる強い不快感」に突き当たるのではないかと考えた。
(本当は「縄張り意識が化学変化し、やがて『エリート意識』に変質していくこと」を詳しく論じるべきところだが、ここではまだ論じない。いずれにしても、表面的に「エリート意識」と見える心理の根底にあるのが、実は『強い縄張り意識』であることに気づくことができたことは、このシリーズ記事を書いてきた重要な成果のひとつだと思っている。これまで書かれた歴史書、社会史の多くが、近代特有のエリートや大衆、ナショナリズムなどの発生の源流を見誤ってきたという気すらしている)

1920年代当時のアメリカでは、映画、プロスポーツなどの娯楽産業やマスメディアは「まだ海のものとも山のものともわからないヴェンチャービジネス」というポジショニングでしかなく、だからこそ、これらの新しい産業でならばこそ、「新参の白人移民」であってもオーナーや経営者になれた。
たとえニューヨークの貧民街から成り上がったような移民でも、頑張ればMLBやNFLのオーナーになれた1920年代は、ある意味、牧歌的な時代でもあった。
対して、古参の白人移民がかねてから牛耳ってきたのは、銀行、重化学工業、自動車、石油、鉱業、運送業、保険など、いわゆる経済のメインストリームを担うビッグビジネスばかりであって、新参の白人移民がそうしたメインストリームのビジネスに簡単に参入することなど、できるわけもない。
だからこそ、新参の白人移民は、プロスポーツ、エンターテイメント、マスメディアなどの新しい産業で自分たちの生きる道を開拓し、発達させていこうとしていたわけだが、古参の移民の視点からみれば、たとえそれが自分たちの専門外の分野であっても、スタジアムの外野席でベーブ・ルースのホームランに浮かれ騒ぐ彼らの自由なふるまいが横行する事態は、次第次第に「目ざわりきわまりないもの」と映るようになっていったに違いない。

サーフィンのポイントにはよく「ローカル」と通称される地元サーファーが陣取っていて、ローカルルールを外部から来た通りすがりのサーファーに押し付けたがるものだが、それと同じように、古くからその場所にいて既得権を守りたい人間が「新参モノの登場」を喜ばないのは、どんな時代にもあることだ。
「新参モノの参入に対する反発」は、多民族国家のみならず、どこのどんな国でも、けして特殊なものではないし、それどころか「普通の人たちが、ごく普通に持っているベーシックな感情のひとつ」ですらある。

1920年代のアメリカの古参移民たちの間にもそれと同じ「縄張り意識」が非常に強くあったはずで、なんでもかんでも「ユダヤよばわり」して攻撃を加えたヘンリー・フォードの行動が常軌を逸していたのは確かだが、彼の極端な主張の根底にあるモチベーションを、人種的な偏見だけから考えるより、もっと子供っぽい感情が根底にあると考えたほうが、当時The Deaborn Independent紙がミシガン州で「90万部もの支持」を獲得できていたことに説明をつけやすいと思う。

つまり、1920年代のヘンリー・フォードは、手当たり次第になんでもかんでも「ユダヤよばわり」し、新聞記事を通じて攻撃を加えたわけだが、その理由は、「子供っぽい性格のまま大人になった『わがままなオトナ・コドモ』のヘンリーが、「自分の嫌いなもの」のすべてに対して『ユダヤ』というレッテルを貼ってまわって、蹴飛ばしまくることにした、ただそれだけのことだ」という風に見切って考えたほうが、彼の行動の執拗さの根源がかえって理解しやすくなると思うのだ。

彼のエリート意識の根源は、「ユダヤ移民に対する人種差別」というよりは、むしろ、「アメリカはオレたちが育てた畑だ。新参モノは、おとなしくしてやがれ」という、子供じみたシンプルな「縄張り意識」だ。
この「縄張り意識から派生したエリート意識」を、もう少し難しい言葉で言い直すと、「古参の移民たちが独立戦争前から大事に育て上げてきた『古き良きアメリカ』が、新参の白人移民の登場によって急速に『大衆化』し、変質していくことを、古参の白人移民たちはたまらなく不快に感じていたのではないか」という説明になるわけだが、いずれにしても言っていることの本質はまるで変わらない。


この「縄張り意識が根源にあるエリート意識説」が正しければ、ヘンリー・フォードが表現した「ユダヤへの嫌悪感」の「正体」は、「急速に大衆化社会が広がっていくことに対する嫌悪」であることになる。
だが、その「大衆化」を心底毛嫌いしたはずのヘンリー・フォードが、彼の事業を通じて後世に残した偉大な作品といえば、アメリカの「大衆化」のシンボルそのものである「大衆のための自動車」だったりするわけだから、歴史とはやはり皮肉なものだ。

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こうした「表面的には人種差別という形をとるが、その奥底に、他者を縄張りの外に排除しようとする意図が隠されている行動」は、それが表向きか本質かは別にして、アメリカという国の内側には常に渦巻いている。

例えば、Helen Thomasは、かつてUPIの大統領番記者として、ジョン・F・ケネディ以降の歴代アメリカ大統領を取材した輝かしいキャリアを持ち、2013年7月に92歳で天寿を全うしたアメリカの有名ジャーナリストだが、経験豊富な彼女にしてからが、記者キャリアの最後は反ユダヤ主義的発言の責任をとる形で引退している。

ちなみに、Helen Thomasは、ヘンリー・フォードと同じミシガン州育ちだが、ヘンリー・フォードのお膝元のデトロイトと、ニューヨークやボストンのような移民が非常に多い東海岸の諸都市との間には、街の歴史に非常に大きな相違点があって、それがMLBでいえばデトロイト・タイガースと、ヤンキースやレッドソックスとの「チームカラーの違い」にすら反映しているように思えることが多々あるのは、たぶん気のせいではないだろう。
注:
かつて、ワシントン州タコマ出身のリチャード・ブローティガンが書いた " A Baseball Game " という野球のゲームにまつわる詩についての解釈を試みたことがあったが、あの詩が「ヤンキース対タイガース戦」を題材にしていることについては、やはり、何かしらのアメリカ文化的バックグラウンドからくる「この対戦カードについて書くのでなければならない必然性」があるに違いないと、あらためて思う。
記事:Damejima's HARDBALL:2012年3月6日、「1958年の西海岸」という特別な年、特別な場所。リチャード・ブローティガン 『A Baseball Game』の野球史的解釈。


JFKを取材するHelen ThomasJFKを取材するHelen Thomas

このHelen Thomasにしても、彼女がもし単に「人種的な偏見に凝り固まっていて、ジャーナリストとしての素養のかけらすらない、評価に値しない人物」だったとしたら、大統領に直接取材する責任ある仕事を長年継続することはできなかったはずだ。

ユダヤ主義を徹底的に毛嫌いしたといわれるヘンリー・フォードだが、「経営者としての彼」はアフリカ系アメリカ人の雇用については積極的だったのであって、歴史に名を残した彼の才能のすべてを「ユダヤ移民に差別と憎悪を向け続けるのを生き甲斐にした極悪人」としてのみ説明しておしまいにするのは、ちょっと無理がありすぎる。

(南部のプランテーションが害虫ワタミハナゾウムシの大発生や市況の悪化などから急速に没落して、多くのアフリカ系アメリカ人が職を失う一方で、北部の工業都市は産業革命の進展から人手が足りずに困っていたため、デトロイトやシカゴなどのアメリカ中部の大都市では、手に技術を持つための教育を受けていない南部のアフリカ系アメリカ人でも、工場労働者として数多く受け入れられた。このことは、これ以降の記事であらためて触れる)

ブログ注:
これらのエピソードはユダヤ移民に対する人種差別事例のひとつではあるが、記述の目的は人種差別の是非を問うことそのものではない。またユダヤ主義、反ユダヤ主義の、どちらも目的としていないし、また偏見を助長したいわけではないし、また、人種についての偏った考え方を正す道徳的意図から書くわけでもない。
考えたいのは、「たくさんの人種から構成される文化」をもつ移民の国に特有の文化の特性や歴史を、わからないながらも、まずは「ありのまま」学んでみる機会を持つことだ。そうした機会を何ももたないまま、移民の国で生まれた文化である「ベースボール」、あるいは、その影響を受けた「日本」を語り続けてもしょうがない。

アメリカに限らないが、世界中からありとあらゆる人種が集まって成り立ってきた多くの国では、「人種にまつわる偏見」という、やっかいなシロモノが歴史の背骨にまで埋め込まれてしまっているのが、むしろ「普通」ではあって、さらに日常の習俗の中に抜きがたい生活要素として組み込まれてしまっていることも、けして珍しくない。(勘違いしないでもらいたいが、だからといって「多民族国家では人種差別をなくす努力なんてしなくていい」と言っているわけではない)

多くの人種が関わるスポーツであるベースボールにしても、けして綺麗ごとだけで出来てきたわけではなく、数々の偏見や失敗、あまたの紆余曲折を繰り返して現在の繁栄に至っている。
だが、幸いにもベースボールは、ジャッキー・ロビンソンのMLB加入をはじめ、困難な壁を何度も乗り越えることによって、結果的に事業としての拡張を継続できてきた。
MLBの事業拡大は、けして人種に対する偏見をなくすこと自体が目的ではないが、さまざまな壁を無くしていくMLBのたゆまぬ努力が、結果的に大きなマーケティング的成功に繋がってきたことは、ゆるがぬ事実だ。

そうした先人の Long And Winding Road を理解するためには、たくさんの人種が集まったとき、はからずも生じやすい歪んだ感情表現や根拠なき偏見を、まず可能な範囲でありのまま観察することが求められることも多い。この記事は、最初から中途半端な道徳観、倫理感に縛られて、価値観を固定されることを避け、まず事実を知ることから始めたいと望む人たちのための資料を残したいと思って書いた。
MLBとアメリカ史を、善悪の分類を目的にではなく、地に足のついたリアルな視点からきちんと接続した資料は、残念ながら、思ったほど多くないものだ。事実は事実として知ってもらいたいし、事実から何を思うか、それは個人個人の自由だと思う。

宮崎駿の『風立ちぬ』のような天真爛漫な映画作品ですら、批判することが自分たちの特権だと勘違いしている、どこぞの新聞屋から受け売りしてきた安っぽい道徳やヒューマニズムから批判したがる人たちがいるが、彼らがこれまで主張してきたような「狭苦しいモノの見方」から、もう我々日本人は脱却して自由な観点からモノを見れるようになってほしい、という願いも、もちろんある。いうまでもなく「新聞」というメディアが偏見をもたないとか、ジャーナリスト出身の東京都知事は裏金などとらないなどというのは、単なる「幻想」に過ぎない。

困り果てた顔の猪瀬直樹


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  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
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