January 17, 2014



上のツイートをしたMLBcathedralsは、MLBのボールパークの写真を紹介しているアカウントだが、その紹介スタンスが素晴らしい。というのは、やみくもになんでもかんでも紹介するのではなく、MLBのボールパーク史のターニングポイントとして意味がある写真や場面を掘り起こしてくれているからだ。
例えば、もう現存しない20世紀初頭に建設されたボールパーク(例えばエベッツ・フィールド)などは、カラー画像など存在しないだろうなどと思っていると、どこからか「非常に貴重なカラー画像」とかいって掘り起こしてきてくれる。(とはいえ、その写真がもともとカラー画像なのか、それとも最新技術でモノクロ写真をカラー化したものなのかまでは、残念ながらわからない)


上の写真をもう少し丁寧に説明しておこう。

これはアメリカの古いボールパークファンにはよく知られた1929年の空撮写真で、「数ブロックしか離れていなかったフィラデルフィアの2つのボールパーク」が同時に写っている。
上にチラリと見えているのが、1938年までフィリーズの本拠地だったBaker Bowl。(1887年4月30日開場 俗称としてPhiladelphia Baseball Groundsや、Huntingdon Street Groundsといった別の呼び名もある)
そして下に大きく写っているのが、フィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)の本拠地だったShibe Park(1909年4月12日開場)。

c9aa1249.jpg
Burns-Eye Views of Big Time Parks, #6 – Shibe Park | behind the bag

草創期のボールパークは木製だったため、1911年4月のPolo Groundsの火災など、数多くの有名球場が火災で焼失しているわけだが、Baker Bowlも1894年の火事で全焼している。また再建された後も、1903年の事故(外野席が崩落し死者12名)、1927年の事故(ライトポール際の崩落で1名が死亡)などが続き、結局フィリーズは1938年6月30日のジャイアンツ戦を最後に、数ブロック先のコンクリート製の球場、Shibe Parkに移転することになる。

1909年開場のShibe Parkは、世界で初めて鉄骨と鉄筋コンクリートを用いて建設された球場だ。
クリーブランドにあったLeague Parkが木製からコンクリート製になったのが1909年シーズン終了後。デトロイトの木造のBennett Parkがコンクリート製のNavin Fieldに建て替えられたのは、1911年。コンクリート製のエベッツ・フィールドが開場したのが1913年だから、Shibe Parkはまさしく、「木造のボールパークがコンクリートに変わっていき、ボールパークが一新されていく時代の先陣を切った記念碑的モニュメント」ということになる。
だからこそ、これら2つの球場が同時に写された写真は、ただ単に「球場が2つ写っている、だから珍しいでしょ」というだけの写真ではないのである。
参考)Polo Groundsの1911年の火災に関する記事:Damejima's HARDBALL:2012年3月21日、1958年ドジャース、ジャイアンツ西海岸移転に始まる「ボールパーク・ドミノ」  (1)エベッツ・フィールド、ポロ・グラウンズの閉場

ちなみに、1909年4月12日のShibe Park開場当日の大混乱ぶりは、写真として残されている。
外野の広告看板の上の、ほんとに危なっかしい場所に観客が鈴なりになっているが、さらに拡大して見てもらうと、看板の後ろ側のフェンスが破壊され、誰でも勝手に球場内に入りこめるようにされてしまっているように見えるし、また、球場周辺の家屋の窓や屋上に数多くの人がいて、球場で行われているゲームを入場料金を払わないまま「覗き見している」のが見てとれる。
1909年4月12日Shibe Park開場の日の外野席の混雑ぶり

Connie Mack日本のWikiに、「当時のShibe Park周辺の球場内を覗き見できる高さの家では、やがて屋上に座席を設けて金を取るようになったため、激怒したフィラデルフィア・アスレチックスのオーナー兼監督Connie Mackが、覗き見をやめさせるために近隣住民に対する訴訟を起こしたりしたが、敗訴し、最後は1933年に右翼フェンスの高さを12フィートから一気に33フィートに引き上げて覗き見を防止した」ことが記載されているが、この写真を見ればわかるように、「Shibe Parkにおける球場内の覗き見行為」は、実は、球場がオープンしたその日から既に存在していた


また、最初に挙げた空撮には、ほんのわずかな違いではあるが、下記に挙げたようなアングルの異なる写真も現存している。(via テンプル大学ライブラリー Aerial North Philadelphia :: George D. McDowell Philadelphia Evening Bulletin Photographs
アメリカ版Wikiでみると、「ノース・フィラデルフィアにあった2つのボールパークが同時に写った空撮写真」として紹介されているのは、記事冒頭の写真ではなく、別アングルのほうの写真が採用されている。(スタジアムの影や車の位置などから判断する限り、2枚の写真はまったく同じ日に空撮された別カットと思われるが、詳しいことはわからない)
Shibe Park - Wikipedia, the free encyclopedia

テンプル大学所蔵の1929年のShibe Park空撮


この例のように、アメリカでは古いボールパークの写真が公開のライブラリーなどにも残されていて、古きよき時代のベースボールの空気を現代のファンに語りかけてくれる。素晴らしいことだ。
日本でも、こうした野球にまつわる写真コレクションやストーリーが、もっときちんとした形に整理され、ファンの目に触れるようにできるといいのにと、常々思っている。
たとえ素晴らしい資料であっても、人目に触れる場所になければ、結局はその価値を十二分に発揮することはできない。

stadiums│George D. McDowell Philadelphia Evening Bulletin Photographs

Connie Mack Stadium - Air Views │ Digital Collections





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