February 03, 2014

引退したマイケル・ヤングについて、FoxNews.comのライターが "Michael Young: A poor man's Derek Jeter " と題する記事を書いている。日本語に訳せば、「劣化版デレク・ジーターのマイケル・ヤング」という意味だ。
Rounding Third: Michael Young: A poor man's Derek Jeter | Fox News


書いたやつは出てこい。と、言いたい。馬鹿野郎
どこを見てモノを言ってるんだ。わかってないにも程がある。

ヒットの本数や打率などを比べる程度の議論で、何がわかる。こういうくだらない記事を書くときに限って無記名記事にしやがる。引退する名プレーヤーの業績を矮小化する記事を書くときくらい、記名記事にしやがれ。

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マイケル・ヤングはデビュー当時、二塁手だった。

彼が1997年ドラフトでMLBに入ったのは、テキサスではなくトロントだ。トロントのマイナーでセカンドを守り、その後トレード移籍したテキサスで二塁手としてメジャーデビューを果たした。
ヤングのMLBデビュー時、テキサスのショートには守備でも名手と評価されていたアレックス・ロドリゲスがおり、ヤングはAロッドとの二遊間守備から多くを吸収した。


2004年、マイケル・ヤングは志願して遊撃手になった。

彼は2008年まで腐ることなくショートを守り、2008年についに遊撃手としてゴールドグラブを手にした。また彼は、遊撃手だった2004年から2007年までの間、4シーズン連続でシーズン200安打を達成して気を吐いた。

彼が遊撃手に志願したのは、ヤンキースとのトレードでショートを守るAロッドが去り、かわりにヤンキースの二塁手だったアルフォンソ・ソリアーノがテキサスにやってきたからだ。
マイケル・ヤングはチームのためを思い、二塁手から遊撃手へのコンバートを志願した。テキサス在籍中のソリアーノは2004年〜2005年にセカンドを守り、その間、何の問題も起こさなかった。
その後ソリアーノは2006年、トレードでナショナルズに移籍するが、そこで大きなトラブルを起こしている。外野手へのコンバートというチーム方針を嫌がって出場拒否したのだ。ソリアーノは結果的にコンバートを受け入れたが、この2006年のトラブル以降、緊急措置で守備する場合を除いて、ソリアーノがMLBで内野守備につく機会そのものが消滅した。


2006年、二塁手ソリアーノがトレードでいなくなったが、マイケル・ヤングは二塁手に戻れなかった
というのも、テキサスがセカンドをまかせたのは、もともと二塁手だったマイケル・ヤングではなく、新人イアン・キンズラーだったからだ。
だが、マイケル・ヤングは腐ることなく、二塁手の先輩として、打力は十分だが守備に不安のあるキンズラーに、さまざまな守備面のアドバイスを惜しまなかった。(ブログ主に言わせれば、「劣化版デレク・ジーター」といえるのは、マイケル・ヤングではなく、守備に不安のあるイアン・キンズラーだ)


2009年、マイケル・ヤングは三塁手になった。新人エルビス・アンドラスに遊撃手を譲ったのだ。
度重なるコンバートに、さすがのマイケル・ヤングもブチ切れて、チームにトレードを志願した。だが、最終的にはヤング側が折れた。
それでも彼は、ストレスのたまる2009シーズンに打率.322を打ち、6年連続オールスターに出場を果たしている。さすがというほかない。


2011年、マイケル・ヤングはDHになった。チームが名三塁手と名高いエイドリアン・ベルトレを獲得してきたからだ。
当然のことだが、忍耐強いマイケル・ヤングの堪忍袋はもはや完全にブチ切れてしまい、チームにトレードを強く志願した。だが、またしてもヤング側が折れることで事態は決着した。それでも彼は、2011シーズンに自己最高打率.338、キャリア6度目のシーズン200安打となる213安打をマークしている。
その後、マイケル・ヤングは2011年2012年と、40試合前後で一塁手としてスターターをつとめるなど、DH兼内野のユーティリティという立場に甘んじることになった。
Fangraphなどでみると彼の守備評価点はマイナス79.4と、MLB最低クラスになっているが、これは主にDH兼ユーティリティに回された2011年以降の数字があまりにも悪いためであって、彼の守備が最悪なわけではない。
(ちなみに、同じ2000年から2013年でライトの守備をみると、グティエレス68.3に続いてイチローが67.0で第2位。グティエレスの数字はほとんどがセンターとしての評価だから、ライトではイチローが1位。少なくともイチローが引退したとき、守備でデレク・ジーターと比較されることは全くありえない)


2012年、マイケル・ヤングは、ついにテキサスを去った。

マイケル・ヤングが去る直前、テキサスの内野陣は、キンズラー、アンドラス、ベルトレと、まさにヤングの長年の忍耐が育んだラインアップとなり、チームは2010年2011年と、2度のワールドシリーズ進出に成功した。
だが、マイケル・ヤングのいなくなった2012年のテキサスは、シーズン終了直前、予算の少ないオークランドに地区優勝をさらわれることになった。そしてテキサスは結局二塁手イアン・キンズラーをデトロイトに手放した。

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テキサス・レンジャーズというチームは近年、2010年・2011年と、2シーズン続けてワールドシリーズに進出し、ア・リーグ屈指の有力チーム、ポストシーズン常連チームのひとつとみなされるようになってきたわけだが、こうしてあらためて振り返ってみれば、テキサスの攻守の戦力の基礎となる内野の不動のレギュラーたちが、ひとつにはマイケル・ヤングの度重なる妥協のおかげで整備できたことは、火を見るより明らかだ。


例えば、これと同じ意味の検証を、ヤンキースの内野陣の崩壊とデレク・ジーターについて見てみてもらいたい。そうすればマイケル・ヤングが「劣化版デレク・ジーター」などではないことなど、簡単にハッキリする。

参考記事:
Damejima's HARDBALL:2013年8月5日、「生え抜きの成長、黄金期、ステロイド、そして衰退」 正しいヤンキース30年史。

Damejima's HARDBALL:2013年9月19日、「2000年代中期までのドラフト上位指名の成果」と、「2010年代の選手層の厚み」との関係。「もともと育ちの悪かった植物」に、突然、大量の肥料を与えだしたヤンキース。

Damejima's HARDBALL:2013年9月25日、ポジション別wOBAからみた平均的なチーム編成と、かつてのヤンキースの特殊構造との比較。その「アドヴァンテージ」を実はまるで理解していなかった2013ヤンキースの編成の崩壊。

Damejima's HARDBALL:2013年10月5日、「2012年9月」に表面化していた長期的問題に対する対応を完全に間違えたヤンキース。

よくデレク・ジーターをほめちぎりたがるヤンキースファンやメディアのライターがいるわけだが、マイケル・ヤングの引退までのチームへの献身ぶりやチーム成績の向上ぶりと比較するなら、近年のデレク・ジーターの「キャプテンシー」なるものが、近年のヤンキースの内野の崩壊ぶりでわかるように「実は、チームの結束にとって、それほど効果はなかった」ことが明確にわかるはずだ。

そもそもジーターのショート守備の評価は低い。それは足の怪我が原因で衰えたのではなく、怪我をする前からそうだ。ゴールドグラブ受賞歴にしても、疑問を呈する専門家は多かった。だが、それでもジーターはショートに居座り続けてきた。

ヤンキースでは、チームが長年に渡って活躍を続けるための骨格として、特に守備面で重要な役割を果たすはずの内野手に、「レギュラークラスの実力を持った生え抜き内野手」が、(カノーを除いて)結局ほとんど育っていない。さらに言えば、「若手の育成システム」そのものがほとんど崩壊している。そのため、今後チーム内で内野手を育て上げることはほとんど不可能な状態にある。

2013シーズン中に、ジーターの足の故障が完全に癒えきっていないのは明らかであったにもかかわらず、度重なる無理な復帰と休養の繰り返しによって、チーム低迷に拍車をかけた

ポストシーズンを逃した2013シーズン後、「レギュラークラスの生え抜き内野手」としてヤンキースの唯一の貴重品だったはずのレギュラー内野手ロビンソン・カノーの流出阻止において、キャプテンであるジーターの存在はほとんど役に立たなかった。コア・フォーというお題目も、カノーにとっては結局のところ「オマージュ」であり、「追憶」でしかなかった。


もう一度、ハッキリ書いておく。

マイケル・ヤングがチームに「残した」功績は、無記名記事を書くライター風情に劣化版デレク・ジーターなどと公然と呼ばれるような、スケールの小さいものではない。
「マイケル・ヤングがテキサスに残していったもの」は、在籍時の守備貢献だけでも、在籍時のバッティングの数字だけでもない。移籍選手がチームに残してくれたものだってあるのだ。

そんなことさえわからずに、「マイケル・ヤングがデレク・ジーターに勝っていたのは、アヴェレージ・ヒッターとしてヒットを打つ能力だけ」なとと、軽はずみな文章を書くライターに、敬意など必要ない。


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