February 27, 2014

Wendell O. Pruitt
(写真)第二次大戦における名誉あるアフリカ系アメリカ人パイロット、Tuskegee Airmenのひとり、Wendell Oliver Pruitt(ウェンデル・プリューイット)大尉 (1920-1945)


第二次大戦前後になってさえも残っていたアフリカ系アメリカ人に対する人種差別から、当時のアメリカ軍では、アフリカ系アメリカ人と白人との混成をできるだけ避けており、パイロットに関してもアフリカ系アメリカ人専用の育成機関と、そこを元にアフリカ系アメリカ人だけで編成された部隊を作って対応していた。
これが後に、Tuskegee Airmen(タスキーギ・エアメン)と呼ばれることになる名誉あるパイロットたちである。
彼らはアラバマ州のタスキーギ基地で訓練され、332d Expeditionary Operations Group(=第332戦闘航空群 機首と尾翼を赤く塗っていることからRed Tailsなどと呼ばれた)など、いくつかの「アフリカ系アメリカ人だけの部隊」に配属された。

Wendell PruittはRed Tailsのヨーロッパ戦線におけるエース・パイロットのひとりとして北イタリアなどで活躍し、Distinguished Flying Cross(殊勲飛行十字章)受賞。1945年にタスキーギ基地における訓練飛行中の事故で、25年の短く熱い生涯を終えている。

(ブログ注)
「タスキーギ・エアメン」について、2本の映像作品が製作されている。

"The Tuskegee Airmen" (邦題「ブラインド・ヒル」)
1995年テレビ映画。主演は、Matrix3部作や「CSI:科学捜査班」に出ていたローレンス・フィッシュバーン。

"Red Tails" (日本未公開)
2012年劇場用映画。ジョージ・ルーカス製作。1995年の "The Tuskegee Airmen" に出ていたキューバ・グッディング・ジュニア、テレンス・ハワードなどが再び出演した。
Wendell PruittがJoe "Lightning" Littleというキャラクターとして描かれていることなどでわかるように、この映画自体はフィクションの部分が多く、必ずしも史実を完全に踏襲したノンフィクションではないことに注意すべきだ。例えば「Tuskegee Airmenがエスコートした爆撃機は1機たりとも撃墜されなかった」という伝説が語られることがあるが、資料では25機が撃墜されているとされており、また、Tuskegee Airmenは戦闘機パイロットを輩出してはいない。
なお、ルーカスは製作費5800万ドル全額と配給費用3500万ドルをすべて自腹負担したが、興行収入は約5000万ドルに終わったらしい。
資料:Red Tails - Historical accuracy

と、まぁ、ここまでは書いているウェブサイトなどが探せばある。
だが、10人兄弟の末っ子としてセントルイスで生まれた彼が、なぜ狭き門を突破して「パイロットになれた」のか。その理由が、彼が卒業したミズーリ州のLincoln Universityの歴史が深く関係していることは、ほとんどどこにも書かれていない。


第二次大戦直前のイタリアやナチス・ドイツでは、国が民間の学校を利用して若いパイロットを大量養成する独特の教育システムを持っていたため、数多くの若いパイロットの養成に成功しつつあったが、それに危機感を持ったアメリカでも、それらの国のシステムに習い、民間の大学などの協力を得て、Civilian Pilot Training Program(CPTP)と呼ばれる民間パイロット訓練プログラムを実施することになり(1938-1944年)、アメリカ国内の多くの大学や専門学校が協力を申し出た。

当時のアフリカ系アメリカ人はまだ公然たる人種差別の下にあり、高度な教育も、主に「アフリカ系アメリカ人だけが通う、人種隔離された大学」でのみ行われる有様だったが、そのうちほんの少数でではあったが、CPTPのプログラムを受講して飛行ライセンスを取得することのできる大学が存在した。

Wendell Pruittが在学したLincoln University of Missouriは、まさにそうした「パイロット志望のアフリカ系アメリカ人に門戸を開いている、ほんのわずかな大学」のひとつだった。

Pruittの経歴を詳しくみると、彼は、他のタスキーギ・エアメンのようにタスキーギにおける訓練によってライセンスを取得したのではなく、既にライセンスを取得した後でタスキーギにやってきたことがわかる。
彼にそうしたキャリアが可能だった理由を知るには、CPTPの存在とその社会的な意味を知っていなければならない。タスキーギ・エアメンの華々しさだけにスポットを当てた記述や映画だけ知っているだけでは十分ではない。

Lincoln University of Missouri

アフリカ系アメリカ人の大学で、
CPTPに協力していた教育機関の例

West Virginia State College
Delaware State College
Hampton Institute
Howard University
Toni Morrisonの出身校(1993年アフリカ系アメリカ人作家として初のノーベル文学賞受賞)
North Carolina Agricultural and Technical State College
Lincoln University(Missouri)
Lincoln University (Pennsylvania)
Tuskegee Institute

資料:Notable Black American Women, Book II
by Jessie C. Smith (1996) Publisher:Thomson Gale

Tuskegee Instituteの図書館
整然としたTuskegee Instituteの図書館

Tuskegee Institute (1902)Tuskegee Institute (1902)



さらに歴史の源流を遡ろう。

Lincoln University of Missouriは、なぜ「早い時代からアフリカ系アメリカ人を受け入れる大学」になったのか。話は南北戦争まで遡る。


イギリスから独立する前のアメリカにおいて、アフリカ系アメリカ人の反逆を恐れた白人は、彼らを軍から遠ざけ、武器を持たせなかった。たとえ戦時に臨時徴用した場合でも、非戦闘部隊に配属した。
奴隷解放を叫んだ19世紀末の南北戦争(American Civil War 1861-1865)の北軍ですら、当初はアフリカ系アメリカ人を軍から排除していた。

しかし、こうした事情は、独立戦争(1775-1783年)以降あたりから少しずつ変化してくる。「戦時のみに入隊を許す臨時の兵士」としてアフリカ系アメリカ人を軍に入隊させる例が増え、南北戦争の北軍でも1862年に方針が変わり、「アフリカ系アメリカ人を臨時の兵士として使う」というやり方が盛んに行われるようになった。

南北戦争では、アフリカ系アメリカ人だけを集めたUnited States Colored Troops(USCT, 合衆国有色人種部隊)という特殊な連隊が組織され、アメリカ史に燦然と名を残す勇猛果敢な兵士群Buffalo Soldiers(バッファロー・ソルジャーズ)も、このUSCTから生まれた。

USCTUSCT at Fort Lincoln, November 17th, 1865


南北戦争終結後になると、「平時でもアフリカ系アメリカ人を正規軍として雇用し続ける」という新しい政策が決定されたため、USCTを退役したアフリカ系アメリカ人たちの中に、アフリカ系アメリカ人を教練するための「専門学校」を作る者たちが現れた。当然ながら、これらの学校の多くは兵役につくことを前提にした専門教育を行ったため、結果的にアメリカ陸軍に多くのアフリカ系アメリカ人の人材が提供されることになった。
結果、第一次大戦期には、アメリカ陸軍に40万人ものアフリカ系アメリカ人が在籍したといわれ、戦闘部隊への参加も許されていった。


こうした南北戦争後に誕生した「USCTにルーツを持つ、アフリカ系アメリカ人のための専門学校」は、やがて「アフリカ系アメリカ人のための大学」へと成長していく。
このような「USCTにルーツを持つ、アフリカ系アメリカ人学生の多い大学」を、Historically Black Colleges and Universities(HBCUs) と呼ぶ。

名誉あるTaskegee Airmenのひとり、Wendell Pruittが在籍したLincoln University of Missouriは、まさにそうしたUSCTにルーツを持つ大学=HBCUsのひとつなのだ。
List of historically black colleges and universities - Wikipedia, the free encyclopedia


アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンがデビューするのは、第二次大戦直後の1947年だが、彼は第二次世界大戦中に何をしていたかというと、スポーツ指導者の職を失った後で徴兵され、1942年5月にカンザス州フォートライリーで訓練を受けて陸軍少尉になっている。
ここまで書いてきたことでわかる通り、ジャッキー・ロビンソンがまがりなりに「士官になるための試験を受けることができ」、そして実際に「将校になれた」ことは、単に彼の才気や周囲の人の支えもさることながら、独立戦争以来アフリカ系アメリカ人たちが不利な条件のもとで従軍してきた歴史の積み重ねがあったからこそ達成できることだ。

なお、その後のジャッキー・ロビンソンは1944年に人種隔離の厳しいテキサス州フォートフッドへ配置転換させられている。彼はバス内で白人運転手に黒人用の座席へ移動を命じられ、移動を拒否した。結果的に無罪にはなったが、軍法会議にかけられ、ロビンソンは自ら希望して除隊。やむなくスポーツに活路を求めた。(もちろん歴史にタラレバはないが、もし彼が軍で受けた人種差別に嫌気がさして軍を飛び出し、スポーツに活路を求めるのではなく、ひとりの兵士としてそのまま生涯を終えていたら、MLB史は大きく変わっていたかもしれない。人間の人生とはわからないものだ)


独立戦争から第一次大戦にかけて「アフリカ系アメリカ人にとっての兵役」は、彼らが社会参加への最初の一歩を踏み出すためのきっかけのひとつだった。
第二次大戦における戦没で多くの男性労働力が失われたこともあって、第二次大戦後、多くのアフリカ系アメリカ人は南部から北部に移住し、工場で白人男性の代替労働者として働く機会を得た。
こうして兵役、そして工場労働へと、数少ない機会を最大限利用してアフリカ系アメリカ人が社会参加の幅を拡大する努力を積み重ねたことは、1950年代以降の公民権運動を可能にする要因のひとつになった。


言うまでもなく、「初めての社会参加」が「戦争」であったり、「兵役」であったりすることは、喜ばしいこととはいえない。それは確かだ。

だが、当時の彼らには、「数の限られた社会参加の道」しか用意されていなかった。

少なくとも、アメリカ軍におけるアフリカ系アメリカ人の歩いた道と、彼らの社会参加の発展を対比して見るかぎり、奴隷の立場から出発した彼らの歴史にとって、「軍役につくこと」、あるいは、「兵役のための教育を受けること」が、彼らと彼らの子孫にとって、社会参加への道を開き、アメリカ社会に一定の位置を占めるための「突破口」になったことは、まぎれもない事実だろうと思う。


繰り返しになるが、人と人の争いを賛美したいわけではない。
そんなこと、いうまでもない。

アフリカ系アメリカ人たちの独立戦争以来の兵役参加の歴史は、20世紀後半になってようやく人並みの自由の一部を得る前の彼らにとって、「社会参加への道が、かつてどのくらい固く閉ざされていたか」を知る手がかりのひとつであり、歴史の記念碑なのだ。
それを、半端なヒューマニズムから眺めたいとは思わない。

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