August 05, 2014

日本の「空き家率」の推移
7月末に、日本中で空き家が増えているというニュースを見た。

総務省が7月末に発表した「2013年住宅・土地統計調査(速報)」によると、全国の空き家数は前回調査(2008年)に比べて8.3%(63万戸)増えて820万戸となり、空き家率は前回より0.4ポイント上昇して、過去最高の13.5%となった。

総住宅数は前回比5.3%(305万戸)増の6,063万戸。別荘などの2次的住宅数は41万戸で、2次的住宅を除いた空き家率は12.8%だった。

ついこのあいだ漁港の鮨が旨くないという話を書いたばかりだが、ついでに、「都市と地方」という意味で繋がりのあるこのニュースについても、「読み方」の間違いを指摘してみたいと思う。
2014年7月14日、なぜ「漁港にある寿司屋なら間違いなく旨い、とは言えない」のか、そして、なぜ「地方の若者が都会で寿司屋や野球選手になる」のかについて。 | Damejima's HARDBALL

こういう記事と数字を目にすると、自分で自分の脳を使わない人は、すぐに「日本中で空き家が急増している」だのなんだのと勝手に思い込み、情緒的な安っぽいヒューマニズムを発揮しようとしてしまう。
だが、記事をよく読んで、自分のアタマで考えてみればわかることだが、実際には、この記事は「都市でも地方でも日本全体で空き家が増えている」とまでは言ってない。「空き家が増えている特定の場所」があるのである。

誰も彼もこのニュースの読み方を間違っている。原因はおそらく「行間をちゃんと読みこむという日本らしい文化」が、いまや本当に衰退しつつあるからだ。

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東日本大震災の直後、「電気が足りないのだから、野球のナイターはやめろ」などとヒステリックに叫んだ短絡的なヒューマニズム馬鹿が数多くいた。
だから、こういうニュースについても、すぐに「空き家が増えるのはよろしくない」から対策を進めろだの、「空き家に入居する人への家賃補助制度を創設しろ」だの、「長期に空き家になっている家を取り壊すための条例や予算を制定しよう」だの、「空き家をできるだけ埋める運動をしよう」だの、ピントの外れたことばかり言い出す人が雨後のタケノコのように現れる。
だが、そのどれもこれもが、このニュースの本質を読み違えた、場当たりでスジ違いな意見ばかりで、まったく日本らしい「文字読み文化」はどこにいってしまったのだ、と言いたくなる。

ピント外れな新聞記事の一例:空き家対策 国と地方で本腰入れよ | 社説 | コラム・連載・特集 | 中国新聞アルファ


いいだろうか。

何よりも先にまず気づくべき点は、単純に
人の住んでいた家が、なぜ簡単に『空き家化』してしまうのか?」という点だ。


仮に、ある家に高齢の居住者Aさんが住んでいるとしよう。

たとえ居住者Aさんが亡くなったとしても、Aさん家族が同居している場合なら、家は相続人である家族に引き継がれる。だから、家がやすやすと『空き家化』することはありえない。(田畑の場合でも、それが相続人の誰かに引き継がれるなら『空き家』にはならない)

なんとも当たり前の話をしているように聞こえるかもしれない。だが、安易に空き家を論じてばかりいる人の視野には、この「家族が同居していない独居の持ち家だからこそ、主(あるじ)を失ったとき、家が『空き家化』していくのだ」という最も基本的な視点がポッカリと抜け落ちている。


アタマは生きている間に使わなければ意味がない。
次に、「同居していない家族」とは、いったい誰のことで、そして彼らはどこに住んでいるのかを考えるべきだ。

「同居していない家族」とは、当然ながらその大半は家の所有者Aさんの「息子B」や「娘C」を意味する。彼らは、その家で育った時期があったにせよ、今となっては親と同居してはいない。

なぜか。

答えは簡単。
田舎から都会に移住したからだ。

彼らが次男、次女であれば、都市部に住みたがる傾向はかなり強いだろうし、少子化社会の昨今なら、子供は1人か、多くても2人しかいないわけだから、たとえ長男・長女であろうと田舎を出て都会に住みたがる。


さて、さらに想像を逞しくしていかなくてはならない。
それは、老いた所有者Aさんが亡くなったとき、その「家」は誰のものになるかという点だ。

もちろん、息子Bや娘CはAさんの家のすべて、または一部を相続する。だが、相続はするのだが、「都会に移動した田舎人」であるBやCが、その田舎の家に住むことは、もはやない

これが、『空き家化シナリオ』の大筋だ。
(実は、日本の田舎から本気の農家と田畑が実は消滅しつつあることや、地方の一般家庭が片手間で家庭菜園をやっている半端な農家みたいな家ばかりになってきている理由、田舎に住んでいるのにどういうわけか不労所得で食っている人間が急増している理由なども、大半がこれで説明がつく)


やがて空き家は放置される。もしくは、親の住んでいた空き家を壊してアパートに建て替えたり、相続した休耕田や畑にアパートを新築したりする息子、娘たちもいることだろう。

ここで気づくべき大事な点は、相続された家(あるいは田畑)の所有権、あるいは、その土地に建てたアパート等の家賃収入が、「どこに住む、誰のふところに入るのか」という点だ。

もうおわかりだろう。

家の所有権にせよ、アパートの家賃収入にせよ、それらはすべて、都市あるいはその周辺に住む「相続者のふところ」にころがりこむのであって、さらにいえば、それらはやがて「都市に住む地方出身住民の不労所得」になっていく。
説明するまでもないだろうが、もはや住む人のいない「空き家」、耕す人のいない「草ぼうぼうの田畑」は、実は地方自治体にとって「その土地には無縁の、異物のような存在」になっているのである。(そしてもちろん、その土地と、相続人BやCとの「縁」も切れている)

どうだろう。
かつて田舎町に存在していた「家」という資産が、時間の経過とともに、都会に移り住んだ子孫たちの「不労所得」に化けていくこと、そしてその一方、田舎の家屋や田畑が「空き家化」していく仕組み、地方自治体の税収が減退し、衰退し続けていく図式が少しはアタマに思い浮んだだろうか。

言い方を変えるなら、「田舎の空き家化した家屋や、草のはえまくった田畑や空き地」は、実はもう「田舎の一部」ではなくなることが多いのである。
それらは、もはや「都会に住むことを選択した田舎出身の相続人が、遠く離れた場所で所有する遊休資産のひとつ」にすぎない。いうまでもないことだが、たとえ相続人がそこに小洒落たアパートを建てて家賃収入を得たとしても、その税収は地方自治体ではなく、都会の自治体の財布におさまることになる。
だから、地方自治体がそうした根も葉もない遊休資産をいくら大事にする制度を作ったとしても、その結果、地方自治体の税収が増えたり、地方文化が栄えたりすることはない。

こうした「田舎を、都会に住む相続人がリモートコントロールしているような、とてつもなく形骸化した田舎システム」のもとで、「形骸化した田舎」は健全に機能しているわけはない。

いま、人の目に見えているもの、
それは実は、もはや「田舎」ではないのだ。
ただの「田舎のぬけがら」だ。


こうした「空き家化シナリオ」が推論として正しい証拠として、最初に挙げた総務省の空き家調査において、東京・神奈川・埼玉の3都道府県が「空き家率が著しく低い県」に属していることを挙げておきたい。
つまり相対的にいえば、大都市周辺で空き家はそれほど増加などしていないのである。

こうした「田舎のぬけがら化現象」をしっかりアタマに入れた上で、あらためて、空き家に入居した人に家賃補助をしよう、なんていう話を考えてもらいたい。
それは、ただでさえ四苦八苦しつつある地方自治体の税収の一部を、都会に住む相続人にくれてやり、彼らの納税行為を通じて都市の税収を増やすような、チグハグな結果にしかならないことが容易にわかるだろう。
その他の空き家対策を進めよう、なんて話にしたところで、多かれ少なかれ、この複雑な問題の本質をはき違えたまま論じているに過ぎない。


今日のニュースで、朝日新聞がかつての慰安婦問題とやらで犯したミスの一部(というか、事実の捏造)を認めたという話があったばかりだが、汚職がバレかけて東京都知事を辞職した元ジャーナリストの猪瀬直樹のだらしなさといい、安易なヒューマニズムのくだらなさには本当に辟易させられる。

安易なヒューマニズムが、どれだけこの国の「文字を読む文化」をダメにしてきたことか。

新聞に限らず、出版にしても、大学などにしても、自分たちのヒューマニズムこそが日本の精神文化を保護・育成してきたとか勘違いしている人はは多い。
もし情緒的で安易なヒューマニズムをふりかざすことがジャーナリズムであり、さらには日本の文字文化の根幹だというなら、詩人などにしたって、みんながみんな習字をやって「人はそれぞれ大切だ、人生いろいろある。がんばろう」だのなんだの、安易に書きなぐっていさえいれば、人から詩人と呼んでもらえることになる。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そんな安易なヒューマニズムをふりかざすだけしか取り柄が無い詩人の、どこが詩人か。


「文字という文化」はそんななまぬるいもんじゃない。
ほんと、舐めるのもいい加減にしてもらいたい。


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