September 24, 2014

イチローがヤンキースに移籍した2012年をあらためて思い出している。

あれはヤンキースがシーズン終盤に失速して2位ボルチモアの強烈な追い上げを食らい、あわてふためいたシーズンだった。何度も書いてきたことだが、ラウル・イバニェスとイチローの奇跡的な活躍が、足がほとんど止まりかけていたヤンキースの背中を押して前進させ、食い下がるボルチモアをなんとか振り切って地区優勝を果たしたのだ。
この何年もの間、実は、ヤンキースのスタメンはたいした仕事をしてこなかった。だからこそ、いつも夏にあわてて選手を補強し、そういう「後からやってきた選手」が想定以上の活躍でもしないかぎり、地区優勝なんかできない。ヤンキースはそういうチームだっだ。

2012年9月20日、『イチロー・ミラクル・セプテンバー』全記録(1)9月19日トロント・ダブルヘッダー全ヒット。東海岸が初体験する「ゲップが出るほどのイチロー体験」のはじまり、はじまり。 | Damejima's HARDBALL

2012年9月28日、『イチロー・ミラクル・セプテンバー』全記録(2)9月21日オークランド戦以降の「魔法」 〜イチローがアメリカで「ウィザード」と呼ばれる理由。 | Damejima's HARDBALL


あの2012年は、いうまでもなく「ヤンキースの主力選手全体が、投手・野手に関係なく衰えてしまい、なおかつ、短期での自力復活は全くありえない」ことが明確になったシーズンだったわけだが、2012年あたりでは、たとえそれを声を大にして言ったとしても、ちゃんと耳に入って理解できる人はまだ少なかった。
というのも、当時はまだ「グランダーソン、Aロッド、スウィッシャー、テシェイラ、この4人だけでもホームランを120本以上打てるんじゃないか」だのなんだの、ありもしないことを信じ込みたがっている「現実を直視できない、頭の悪い人」が、GMや監督はじめ、ヤンキース関係者にも、NYメディアにも、ヤンキースファンにも、山のようにいたからだ。
そういう人たちは、例えばグランダーソンやAロッドがシーズン終盤の勝負どころでまったく働かず、ポストシーズンのデトロイト戦ではついにスタメンから外れされて、ベンチからゲームを眺めている、なんて光景をまるで想像もしてなかったし、そうしたみじめったらしい光景を見た後ですら「来年こそ彼らはやってくれる。そうに違いない」程度に思っていた。

もちろん、2012年だけでなく、2013年も2014年もずっとそうだったわけだが、彼らのような使えないスタメンを見切るタイミングが遅れた原因は、いつものように「決断力の無い監督ジラルディの判断の遅さ」だった。


その後、当然のことながら、2012年の選手の大半はこの2年の間に、ほとんどが引退するか、移籍した。
2012年シーズン後にラッセル・マーティン、ラウル・イバニェス、ニック・スウィッシャー、フレディ・ガルシア、ラファエル・ソリアーノなどがいなくなり、さらに2013年終了後にはマリアーノ・リベラ、アンディ・ペティット、カーティス・グランダーソン、ロビンソン・カノーなどがいなくなった。
野手で残っているのは、ガードナー、ジーター、イチロー、テシェイラくらいのものだ。

移籍した選手で、2014年にマトモに活躍できたのはロビンソン・カノーくらいしかいないが、ヤンキースはその「ヤンキース在籍選手のうち、今後とも主力として長期的に活躍できるであろう、ほんのわずかな選手であるはずのロビンソン・カノー」にどうしたものか再契約を提示しなかったために、ヤンキース生え抜きで、ヤンキースと再契約するつもりが十分あったのカノーを心底怒らせ、落胆させた。


ヤンキースがデトロイトに4連敗した2012年ALCSの第1戦と第4戦、2つのスタメン表は、2000年代ヤンキースの末路を象徴するデータだと思う。(数字は2012ポストシーズンの打率などの打撃成績)

2012ALCS 第1戦
Jeter .200
Ichiro .353
Cano .056 18打数1安打
Teixeira .200 .
Ibanez .231
A-rod .111 9打数1安打
Swisher .250
Granderson .000 11打数ノーヒット
Martin .143

第4戦
Ichiro
Swisher
Cano
Teixeira
Ibanez
Chavez
Martin
Gardner
Nunez


ALCS第1戦にあった、ジーターグランダーソンAロッドの名前が、第4戦のスタメン表にない。ジーターは怪我、残り2人はスランプで、スタメンを外れていた。そして10月のロビンソン・カノーに精彩はない。


ジーターにとっての2012年終盤は、足首のケガを押してチームのために出場し続けた辛いシーズン終盤だったわけだが、デトロイトとのALCS第1戦でついにチームメイトの肩を借りなければ歩けないほどの状態になり、途中交代せざるをえなかった。その後のジーターは第2戦以降も出場できず、チームのポストシーズン敗退をベンチから見守った。

この途中交代のときのジーターの「まるでジーターらしからぬ様子」について、イチローがコメントしている。

Usually Derek is the most upbeat person, always saying “Get ‘em tomorrow, another game tomorrow” stuff like that, always a real positive influence. But that night was the first time that I saw him say, “I don’t have a game tomorrow.” Seeing Derek Jeter like that was a moment that I’ll never forget.
「普段のジーターはすごく楽天的。どんなときでも 『明日がある。だから明日また頑張ろうぜ』みたいなフレーズで、チームメイトにほんとにポジティブな影響を与えてくれる。でもあの夜(=デトロイトとの2012ALCS)、そんな彼が「僕には明日ゲームがない・・・」と言うのを初めて見た。ああいうジーターを見たことは、僕にとって忘れられない瞬間だった」

Sweeny Murti: Favorite Derek Jeter Stories From The Yankees Clubhouse « CBS New York


翌2013シーズンのジーターは、足の怪我が十分治りきっていないにもかかわらず、「復帰してはDL入り」を何度も何度も繰り返し、キャプテンらしからぬ「焦り」を隠そうとはしなかった。
この2013年の「復帰を焦るジーター」は、イチローファン視点だけから正直に言わせてもらうと、彼が復帰するたびに、打順から守備位置からなにから、現場の選手起用が非常に混乱する、とても迷惑な存在だった。


カーティス・グランダーソンは、オースティン・ジャクソンのようなデトロイト時代のプレースタイルから、ヤンキース移籍後に「インコースのストレート系だけをフルスイングする」などという極端な手法で一躍ホームランバッターに変身を遂げたわけだが、そうした彼の極端な狙い打ちが他チームにスカウティングされ、通用しなくなったのが明確になったのが、この2012年だった。
Aロッドは、ドーピング問題が発覚してその後のシーズンを棒に振ることになった。


今思えば、ジーターの「シーズン」は、あの「2012年ALCSの途中退場」で終わっていたのだ、と思う。そしてたぶん、彼自身それを当時からわかってもいただろう、と思う。(ちなみに「シーズン」という言葉には、「旬」とか「最盛期」という意味もある)

誰もいなくなったのを見届けて、最後に自分が出て、ドアを閉める。それもキャプテンとしての仕事だと思うから、彼はこの2年の「余白」を頑張ってきたに違いない。

お疲れ様、デレク・ジーター。

さよなら。
デレク・ジーター。




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