October 15, 2014

パスカルの賭けPascal's Wager)という話をご存じだろうか。

計算1 パスカルによる「神から受ける恩恵の期待値」計算

神が実在する場合の恩恵期待値
=(神が実在する確率)×(神から受ける恩恵=無限大)
=無限大(少なくともゼロよりは大きい)

神が実在しない場合の恩恵期待値
=(神が実在しない確率)×(実在しない神から受ける恩恵=ゼロ)
=ゼロ

有名な17世紀の哲学者Blaise Pascal(ブレーズ・パスカル)は神の実在について、こんな意味のことを考えたらしい。
「何も得られないゼロより、プラスのほうがいい。計算上、神の実在を信じないより信じたほうが恩恵がある。だから、神を信じたほうがいい」

この記事の目的は「期待値」というものについて考えてみることだ。神の実在を論じることでも、パスカルの賭けへの反論でもない。だからパスカルの賭け、それ自体を深く論じることはしない。
(勘違いしてほしくないのは、たとえ「パスカルの賭け」というロジックの貧弱さがわかったとしても、だからといって超自然的な存在が実在しない証明にはならないことだ。いつの世も、破綻するのは常に人間の浅知恵のほうであって、大自然の摂理ではない)


さて、ここに「ギャンブルにおける期待値(トラップ満載版)」を用意してみた(笑)
これはロジック内部にいくつもの「論理的なトラップ」を故意に用意して、読んだ人をあざむくために作ったロジックだ。ゆめゆめ脳内が汚染されないよう、気をつけて読んでもらいたい(笑)

計算2 ギャンブルにおける期待値計算(トラップ満載版)

ギャンブルすることの期待値
=(賭けに当たる確率)×(賭けに勝つことの利益=プラス)
=少なくともゼロよりは大きい

ギャンブルしないことの期待値
=(賭けに当たらない確率)×(利益=ゼロ)
=永遠にゼロのまま

結論:「ギャンブルすることの期待値」は常にプラスであり、いつまでたってもゼロのままである「ギャンブルしないことの期待値」より、常に大きい。だから結論として言えるのは、「ギャンブルは、やらないよりも、やったほうが、間違いなく儲かる」ということだ。


さてどうだろう。
この「ギャンブルにおける期待値計算(トラップ満載版)」のどこに、どういう形の「ロジックの罠」があるか、わかっただろうか。


少し種明かしをしてみよう。
計算3 ギャンブルにおける期待値計算(修正版)

ギャンブルして、賭けに当たる期待値
=(賭けに当たる確率)×(賭けに勝つことの利益=有限のプラス)
=少なくともゼロよりは大きいが有限であることが多い

ギャンブルして、賭けに当たらない期待値
=(賭けに当たらない確率)×(賭けに負ける損失=無限のマイナス)
=理論的にいえば「限度なしのマイナス」

ギャンブルしないことの期待値
=(賭けに当たらない確率)×(賭けの利益=ゼロ)
=永遠にゼロのまま

結論:「ギャンブルをやる」ことは「必ず儲かる」ことを意味しない。また「ギャンブルをやったほうが、やらないよりは儲かる」とはいえず、そうした断定に根拠はない。

ここまで書くと、「なぜギャンブルというものが、ちょこちょこ勝って、大きく負けることが多いのか」が、多少理解できると思う。


計算2「ギャンブルにおける「期待値計算」(トラップ満載版)」には、ざっと挙げただけでも、下記のような「トラップ」、論理的な落とし穴がある。

計算2に内在している「トラップ」

・ギャンブルにおける行為選択には少なくとも、第1に「参加する、しない」、第2に「勝つ、勝たない」という、「2段階のステップ」があり、「それぞれ別の確率の発生場面」が存在するが、計算2は「2段階の行為選択」をまったく区別せず、混同して語っている。

・第1段階の行為選択における「ギャンブルに参加しない」というチョイスは、第2段階における「賭けに勝つ、勝たない」という行為とその確率とまったく無関係の事象であり、拘束されない。にもかかわらず、計算2は、関連のないもの同士を無理に関連づけて計算している。

・ギャンブルの結果には、「勝つ」以外に、「勝たない(負ける)」という選択肢がある。だが計算2は「負ける」という結果とその確率を視野から消去している。

・ギャンブルの利益は、たとえ「勝つ」場合でも、たいていの場合「有限」なものだが、「負ける」場合のマイナスの利益=損失は、理論的には「無限」である。そのため「負ける」という結果や確率を視野から消去した話においては、ギャンブルのプラスの利益ばかりが過大に評価され、イメージに焼き付きやすい。

・ギャンブルに投資できる「原資」は、例外なく「有限」であり、賭けにおける当たりに遭遇するまで「無限に投資し続けること」は不可能。しかし、計算2ではそれが想定されていない。現実には「勝つ確率が非常に低いギャンブル」の場合、大多数の人は負けのみを経験し、負債の山とともにギャンブルの場面から退場することになる。


「パスカルの賭け」というロジックに多くの誤謬、論理矛盾、トラップがあることは、ここまでの説明(というか証明)でわかると思う。
それでも、計算2のようなトラップ満載のロジックは、現代社会のありとあらゆる場面で、毎日のように実際に使われ、数多くの人がその「落とし穴」に毎日落ちてもいる。また、「パスカルの賭け」に存在する、誤謬、論理矛盾、トラップは、この有名なロジックについて書かれてきた多くの書籍やブログできちんととらえられてさえこなかった。困ったものだ。
記事例:確率1

ただ、パスカルの生きた17世紀にはまだ「確率論の土台」というものがなかったことを思えば、彼のロジックの甘さやズルさをいまさら問いただすより、むしろ、彼が後世の確率論そのものの開祖のひとりであることのほうを忘れてはいけないのだろうとは思う。
彼がやったような、「論理を、まるで建築物の構造部分でも組み上げるかのように組み立てていき、その『建築されたロジック』というメスで、あらゆる対象を例外なく解剖できる、と信じる」という、その「度外れた論理オタクぶり」(笑)が、中世を近代に引き寄せた彼の業績そのものなのだ。(もちろん現代でそれをやっても意味などない。中世にやったから意味があっただけで、現代からみたパスカルの「論理の建築」はミスだらけの「あばら家」だ)
「神」のような超自然的なものですら、「計算で発見できる」と考えた論理思考の鬼、それがパスカルなのだ。


さて、さらに話を
低打率のホームランバッター」に振ってみる。


wOBAでは「ホームランは、シングルヒットの約2倍程度の得点貢献度がある」という発想をするわけだが、これを「文字として」読んだ人は、脳内で「ホームランバッターは、すべての打席において平均的な打者の2倍の得点をたたき出す能力を持っている」だのなんだのと、勝手に脳内変換しやすい(笑) ほんと、つくづく人間の脳の仕組みって出来損ないだなと、いつも思う。

もちろん、そんなことはありえない。
「パスカルの賭け」がもっている論理矛盾をえぐりだしたことで理解できると思うが、ホームランという現象には、「打席に入る」、「ホームランを打つ」という「2つの段階」がある。このことは常に見過ごされ、忘れられやすい、ただそれだけの話だ。

わかりにくいと思うので、もう少し具体的に書いてみる。

ホームランを打つという行為は、「打席に入る」、「ホームランを打つ」という「2段階の行為」なのだ。だから「ホームラン1本あたりの得点期待値」と、「ホームランバッターの、1打席あたりの、ホームランによる得点期待値」とは、イコールではない。
もし「ホームランバッターの、1打席あたりの、ホームランによる得点期待値」を計算したければ、必ずホームランの「出現確率」を想定に入れておかなくてはならない。また、計算3でわかるように、大多数の打席が実は失敗に終わること(=たとえば三振など、打席がなんらかの意味の「凡退」に終わること)の「損失の大きさ」も、損益計算に入れておくべきだ。

だが、上に挙げた「パスカルの賭け」や、「ギャンブルの期待値計算2」からわかるように、人は「当たりの出現確率の低さ」というやつを意識したがらないし、失敗が起きる頻度の高さを想定したがらない。また、「ホームランバッターが、いとも簡単に三振するバッターでもある」ということを、最初からまるで想定しないとか、または「無様な失敗場面を全部なかったことにして話す」ことも、非常によくある。

こうした無頓着な17世紀的ギャンブル感覚(笑)が、結果的に「ホームランの出現を信じる人のほうが、信じない人より恩恵がある」などという飛躍した論理、つまり、「ホームランという神」を生み出す原因になる。

計算4 「パスカルの賭け」を無批判に鵜呑みにした
トラップと論理矛盾まみれの「ホームランの恩恵の期待値」の計算例

ホームランが実現した場合の恩恵期待値
=(実現する確率)×(恩恵=はかりしれないほど大きい)
=少なくともゼロよりは大きいプラス

ホームランが実現しない場合の恩恵期待値
=(実現しない確率)×(恩恵=ゼロ)
=ゼロ

「パスカルの賭け」的ホームラン主義の結論:何も得られないゼロよりは、プラスのほうがいい。たとえ「低打率のホームランバッター」であっても、計算上、ホームランを打たないより打ったほうが恩恵がはるかに高いのだから、ホームランを期待して打席に送りだすべきだ。

計算4の論理の、どこがどう間違っているかは、もう説明するまでもない(笑) だがこの21世紀になっても、いまだに17世紀の「パスカルの賭け」の論理を使ってモノを考えたがる人の、多いこと、多いこと(笑)

では最後に、前記事にちなんで、ちょっとした計算をしておこう。
前記事:2014年10月13日、「ホームラン20本の低打率打者A」と「高打率の打者B」をwOBAでイコールにしようとすると、「打者Aのホームラン以外のヒットは、全て二塁打でなければならなくなる」という計算結果。 | Damejima's HARDBALL

打席数600、打率.220で、ホームラン20本を打つ打者A
打席数600、打率.330で、シングルヒット198本を打つ打者B

打者Aのホームラン1本、1打席あたりの得点期待値
2×(20÷600)≒0.06666666…
打者Bのシングルヒット1本、1打席あたりの得点期待値
0.9×(198÷600)≒0.297


「0.067の神の出現」だけを延々と待ち続ける野球をするのは、その人の自由だから、勝手にすればいいが、ステロイドで「0.067でしかないものを、0.1くらいに無理矢理に引き上げる不正行為」はまったくもって感心しない。ステロイドで捏造した神はニセモノであり、野球の冒涜だ。

たしかに0.297をうまく積み重ねることだけが野球の方法論ではない。また、期待値に縛られるのがスポーツの醍醐味ではないことも間違いない。だが、「マイナス面を直視しないパスカル的ギャンブル」は、もはや過去の遺物である。
現実というものを見て実利的で効果的な打線構造を決め、その上でギャンブルすべきタイミングを見定めていくのが、「ノン・ステロイド時代の打線」というものだ。


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