December 06, 2014

2012年にイギリスの「駐車場の発掘」でみつかった人骨が、かのリチャード3世の遺骨と判明したことで、いろいろなことが明らかになってきた。

ボズワースの戦いBattle of Bosworth by Philip James de Loutherbourg


最初に中世以降のイングランド王室史をひもとこう。

ヨーク家の家紋、白薔薇ランカスター家の家紋、赤薔薇
14世紀以降のイングランド中世は、ヨーク家(白薔薇)とランカスター家(赤薔薇)の争いの歴史だ。
ランカスター朝のヘンリー6世から王位を奪ってヨーク朝を開いたヨーク家と、なんとしても王座奪還をはかりたいランカスター家の骨肉の争いとなった薔薇戦争は、ヨーク朝最後のイングランド王 リチャード3世(Richard III)が、後にテューダー朝をひらくことになる ヘンリー・テューダー(Henry Tudor)に1485年ボズワースの戦いで敗れ戦死したことによって事実上終結する。

リチャード3世を破ったヘンリー・テューダーは国王の愛人の子孫で、その王位継承権には数々の疑問があったのだが、彼は「ランカスター家の継承者」を意味する「ヘンリー」を名乗り、ヘンリー7世としてテューダー朝を開いた。

だが、ヘンリー・テューダーの息子ヘンリー8世が、カトリックから強引に離脱して英国国教会まで作り、複数の侍女を含め6度も結婚して男系を意地でも持続させようと執念を燃やしたにもかかわらず、テューダー朝は100年ちょっとで血脈が絶えてしまう。
そこでやむなくヘンリー・テューダーの血統がかろうじて維持されていたスコットランドから、スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王として迎えられ「ステュアート朝」が生まれ、同時にイングランドとスコットランドの合併が行われた。いわば血統の「接ぎ木」が行われたわけである。

しかしながら、その「接ぎ木」のスチュアート朝も早くも18世紀には血統が途絶えてしまい、こんどはジェームズ6世の血統がかろうじて残されていたドイツのハノーヴァーから選帝侯ゲオルクが招かれ、イングランド王ジョージ1世(ゲオルクの英語読みがジョージ)として即位し、イングランドにドイツ系の「ハノーヴァー朝」が誕生することになった。
(18世紀のアメリカ独立戦争でアメリカ独立派と戦ったイギリス国王ジョージ3世は、このハノーヴァー朝の国王)

イングランド国王が「ドイツ系」になったことで、王室周辺にはドイツ出身者が急増した。このことは、以前いちど書いたように、「アメリカの全人口に占めるドイツ系住民の割合が非常に高いこと」や「アメリカ文化の底流にドイツ系文化が流れていること」など、かつてイギリスの植民地だったアメリカの社会構造にいまも非常に強い影響を残している。
関連記事:2012年7月16日、『父親とベースボール』 (4)アメリカにおけるドイツ系移民の増大。18世紀ドイツの美術史家ヨハン・ヴィンケルマンが欧米文化のルーツとして捏造した「白いギリシア」。 | Damejima's HARDBALL

なお、イギリス王室周辺のドイツ系出身者増加の要因は、ハノーヴァー朝誕生以外にもある。
ヘンリー・テューダーの息子ヘンリー8世は、6度の結婚のうち、当時のスペイン王国および神聖ローマ帝国の支配者の叔母だった王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚する際にローマ・カトリックから離脱するという荒業を用い、新たに「英国国教会」を作った。
この歴史的な大事件の後、イングランドは法改正によって、古くから英国王室が保ってきた周辺のカトリック系諸国の王家との縁戚関係を法的に禁止する方向に進んだため、イギリス王室周辺からスペイン、イタリア、フランスなどの出身者がいなくなっていったのである。


話を リチャード3世に戻そう。

Photo : King Richard III found in 'untidy lozenge-shaped grave' (リンク先にはリチャード3世の遺骨発掘時のリアルな写真がありますので、見たくない方は閲覧をご遠慮ください)

リチャード3世の遺骨の発見場所は「駐車場」という、一風変わった場所だったわけだが、それには理由がある。
15世紀の薔薇戦争当時、リチャード3世の埋葬場所はレスターの「Greyfriars(グレイフライアーズ修道院)」だったのだが、薔薇戦争に勝利したテューダー朝のヘンリー8世時代に「カトリックからの離脱」が行われ、修道院など多くのカトリックの施設が破壊されたため、そのグレイフライアーズ修道院が破壊され、その後、長い年月を経て「駐車場」になっていたのである。

いいかえると、「カトリック離脱によってグレイフライアーズ修道院の跡地が教会とまったく無縁の場所になり、すっかり埋葬場所がわからなくなった」ことがかえって幸いして、リチャード3世の遺骨が長い期間、盗掘も発見もされないまま、DNA鑑定技術が発達する時代になるまで「眠り続け」たために、地中に彼の「遺志」が保存され続けた、ともいえるのである。


さて、リチャード3世の死後80年ほどして生まれている1564年生まれのウィリアム・シェークスピアの生きた時代は、テューダー朝末期からステュアート朝にかけてであり、イギリス・ルネサンス演劇が隆盛し、ロンドンに数々の公設の劇場が建設された時代でもあった。

その一方で、当時は英国内の清教徒(ピューリタン)が、国王の離婚のために設立された英国国教会と対立を強めていた時代でもある。その清教徒は「劇場」を「封鎖すべき犯罪の温床」ととらえ、強い敵意を抱いていた。
したがって、ウィリアム・シェークスピアのような庶民向けの劇場にシナリオを提供するのを仕事にしていた劇作家は、劇場封鎖を虎視眈々と狙う清教徒に対抗する意味で、「英国国教会側にプラスになるような、しかも庶民にわかりやすい勧善懲悪的な、史劇」を書く必要があったのである。

そもそも英国国教会を作ったのはテューダー朝のイングランド王ヘンリー8世であり、リチャード3世は、そのヘンリー8世の父親ヘンリー・テューダーの「宿敵」だった人物である。
だから、英国国教会を擁護すべき立場に置かれていたシェークスピアとしては、「英国国教会創設者の父親の宿敵だったリチャード3世を、血も涙もない極悪人として描かなければならない理由や必然性」があったことになる。(ちなみに、リチャード3世の汚名を晴らし名誉回復をはかる歴史愛好家たちを「Ricardian(リカーディアン)」と呼ぶ)

ちなみに、ヘンリー・テューダーに敗れたリチャード3世は、英国国教会派の劇作家シェークスピアの手で「極悪人」として描かれたわけだが、その約300年後、こんどはヘンリー・テューダーのかなり遠い子孫にあたるジョージ3世が、アメリカ独立戦争に敗れたことで1776年アメリカ独立宣言に「極悪人」として描かれることになった。


ちなみに、英レスター大学によって行われたリチャード3世の骨のDNA判定によると、ヘンリー4世からヘンリー6世までのランカスター朝と、リチャード3世を戦死させたヘンリー・テューダーに始まりエリザベス1世で終わるテューダー朝、つまり、リチャード3世のヨーク家の宿敵であるランカスター系の家系図には、「家系が断絶している部分がある」という重大な疑問を生じさせる可能性があるという。
ヘンリー・テューダーの王妃はヨーク家の人間であるため、両家にDNAの繋がりがある。そのため、ヨーク家当主リチャード3世のDNAからでも、対立するランカスター家のDNAの検証が可能なのだ。

リチャード3世は、1485年ボズワース戦いでの敗戦で薔薇戦争に敗れたが、死後527年もの長い歳月を経て、長年論じられ続けてきたヘンリー・テューダーの王位継承権の正当性を疑う疑惑に対して、「みずからのDNAの提供」という、誰も考えてもみなかった形で決定的証拠を提出し、宿敵ヘンリー・テューダーに500数十年ぶりのリベンジを果たすかもしれないのである。


cf: 2012年12月21日、ニューヨークまみれのクリスマス・キャロル(1) ワシントン・アーヴィングとクリスマスとバットマン | Damejima's HARDBALL



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