August 11, 2015



ダサい新・国立競技場ザハ・ハディド案と安藤忠雄
東京都観光ボランティアのダサいユニフォーム
ダサい東京五輪エンブレムと佐野研二郎


上に挙げた、新・国立競技場、東京都観光ボランティアのユニフォーム、東京五輪エンブレム、3つの「デザイン」は、以下の3つの点において共通点がある。

1)「場」に対する不似合いさ
デザインは、目的に沿うものである必要があるわけだが、3つのデザインそれぞれが「ダサい」という印象を人に与える原因のひとつは、「」に「あっていない」ことだ。
新・国立のザハ案は明治の森という「場」に「あっていない」し、東京都観光ボランティアのダサいユニフォームは東京という街の現在の空気に「あっていない」し、佐野研二郎のエンブレムは日本がいま目指す方向性にも、東京五輪そのものにも、「あっていない」。

2)時代に対する共有感の無さ
3つのデザインは、方向性において相互に統一感がない。このことは逆説的な意味でいうなら、共通点でもある。つまり、3つが3つとも、「いまという時代への共有感」がまったくなく、デザインコンセプトの共有もディレクションの共有もほとんどされておらず、ただそれぞれがてんでんバラバラに存在しているに過ぎない。

3)非コンペティティブな選考方法
上の項目で指摘したように、3つのデザインには意匠における共通性はないが、その一方で、「決定の仕方」だけはソックリであり、「コンペ(=競争、競合)」とは名ばかりの「非コンペティティブな選考方法」で決定されたことに著しい特徴がある。
ザハ案は安藤忠雄のほぼ独断で決まっただろうし、残り2つも、コンペとは名ばかりの密室での談合みたいなもので決まったに過ぎず、そこには、閉塞しきっているマラソン界に市民ランナー川内優輝が突然登場して「常識を塗り替えた」事実にみられるような、「時代の転換を感じさせる驚き」は、カケラもない


なぜ、日本を代表するイベントのひとつとなろうとしている2020東京五輪に、こういう、場にあっていない、不揃いな、非コンペティティブなものが、提案され、決定されかかっているのだろう。
原因を簡単にいえば、いまの日本の内部には、「場に沿うものを作りだすことの大事さを忘れた」、「不揃いで、バラバラな」、「競争原理が働いていない非コンペティティブな部分」が、多々ありすぎるからだ。

逆に言えば、外野フライを追うイチローのように、2020東京五輪に真っ直ぐ向かうために必要なのは、「場に沿うこと」だったり、「方向を揃えること」だったり、「コンペティティブな競争」だったりする。


1964年の東京五輪には、高度経済成長という時代のキーワードがあり、五輪そのものが日本が先進国の仲間入りをするイベントであるという共通理解があったことなど、「なぜいま五輪を開催するのかについての、全国民共通の理解」があった。
だから、当時の亀倉雄策をはじめとするデザイナーは仕事はしやすかったはずだ。なぜなら、当時の日本では「日本そのものをシンプルに、強く描写する」という、わかりやすいデザインコンセプトが明確に共有できていたからだ。


だが、2020東京五輪においては、上の3つのデザインを眺めてもわかることだが、どれを見ても、今の日本を共有できていない。つまり、今の日本が目指すものについて、理解もされていなければ、新しい発見も提示されていない。

誰も彼もコンセプトが無いまま作っているのだから、
作品はどれもこれも弱いし、ダサい


では、いま日本で起きている最大のモメンタムは何だろう。


日本はひとつの「大きな転換期」を迎えている。それはディスカバー・ジャパンという、1970年代のキャンペーンと似ているようでいて、根本からして違う。
いま求められているのは、1970年代に流行した「忘れられかけている日本の良さの再発見」ではなく、「日本の内部的な再構築、reconstruction:リコンストラクション)」だからだ。

こう書くと、わかる人には何のことを言っているのか、説明しなくてもわかるわけだが、「わからない人と、わかりたくない人」には、まったく理解されない。
少なくとも東京五輪のデザインについて言えることは、最初の3つの小手先のデザインとそれを決定した人たちは、「今の日本が向かっている方向をわからない人」や「今の日本をわかりたいと、そもそも思わない人」だということだ。
そういう基本的なことを、理解できない人、理解したくない人が、グランドデザインに関わってはいけないのである。ピント外れなものしか作れず、梯子を外されるのは当たり前だ。


もう一度書いておこう。
これからの日本が迎えようとしているのは、「再構築の時代」だ。

日本が再構築に向かうことが意に沿わない人は、グランドデザインから退場してもらって、まったくかまわない。自分の位置が時代からかけ離れているからといって、桑田佳祐のようにデザインに黒々とした暗黒を塗り込むような心の暗い人に、時代をデザインすることなど、できはしないし、やってもらっては困る。


1964年よりもはるかに複雑な今の時代の「気分」を「明るく描ける人」をなかなか思いつかないのが困るが、少なくとも、再構築に通じるドアのノブを最初に回したのは、宮崎駿の映画「風立ちぬ」であったと、ブログ主は確信している。
なので、このブログとしては、2020東京五輪のグランドデザインとか演出は、彼、宮崎駿に任せてみるべきではないか、と提案しておきたい。
参考記事:2013年9月2日、空を飛ぶ夢。 | Damejima's HARDBALL

あの作品におけるご本人の意図は、もしかするとブログ主の思うところとはまったく違うところにあったかもしれないが、少なくとも、「天の岩戸」のように錆びたドアを押し開き、長く狭い場所に閉ざされていた戦後日本をオモテに出したのは、あの作品の空気に満ちている「何か」だった気がしてならないのだ。







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