June 28, 2016

「ネット検索して出てくる情報」が正しいとは、限らない。たとえそれがもっともらしく「Q&A形式」になっているとしても、だ。

そういう例のひとつとして、ボールパーク名物のひとつ、「ホットドッグのネーミングの起源に関する話を出発点に、いろいろと書いてみる。

「1908年ポロ・グラウンズで行われる野球の試合の告知ポスターが、"Take Me Out to the Ball Game"の作詞をてがけたJack Norworth (1879-1959)のインスピレーションの源だった」ことを2012年に記事に書いた。
2012年4月27日、1908年の試合告知ポスターにインスピレーションを得て作られたといわれる "Take Me Out To The Ball Game" の「元になったゲーム」を探り当てる。 | Damejima's HARDBALL

1908年にできた"Take Me Out to the Ball Game"の歌詞に、"Buy me some peanuts and Cracker Jack" とあることからして、20世紀初頭のMLBのでは既に「観戦中に観客が楽しむ食べ物」がボールパーク内で販売されていたことがわかる。もちろん「ホットドッグ」もそのひとつで、1900年代初頭には既に販売されていた。


STEP 1) 初歩的間違い

「ホットドッグ」というネーミングの起源に関して、よくある「間違った説明」は例えば以下のようなものだ。
1901年4月ニューヨークのポロ競技場にて。  
熱々のソーセージをパンに挟んだ「ダックスフント・ソーセージ」が売れに売れており、それを見たニューヨークジャーナル誌のスポーツ漫画家が,「Hot dachshund!」と声高に売られていた「パンに挟まれて湯気を立てているソーセージ」の漫画を描いて紹介した。だが、その漫画家は「dachshund」の綴りがわからず、その漫画の中で「Hot dog」としてこれを紹介した

もっともらしく書かれているが、「ポロ競技場」などという書き方で、そのいい加減さがわかる。「ポロ・グラウンズ」という言葉の意味もわからない人間がアメリカのスポーツ文化についてマトモな話ができるわけもない。おそらく「自分で何が書いてあるのかわからないまま、どこかのサイトから引用」して、下手するとそれを「機械翻訳した」だけだろう。

この説明文のいう「漫画家」とは、1900年代にニューヨーク・ジャーナル紙の漫画家だったTad Dorgan (Thomas Aloysius Dorgan 1877-1929)のことで、実在の人物ではある。

だが、Tad Dorganの経歴からわかることだが、「Tad Dorganが1901年にニューヨーク・ジャーナル紙にホットドッグの漫画を描く」ことなど、ありえない。
Dorganは1902年まで西海岸のサンフランシスコ・クロニクル所属であり、彼がニューヨークに転居するのが1903年(資料: "Word Myths: Debunking Linguistic Urban Legends" by David Wilton, 2008)、New York Journalで働きだすのはもっと遅れて1905年だ。

ハッキリした経歴との矛盾から「Tad Dorganがホットドックの命名者ではない」ことは、かなり前からアメリカの数多くのサイトと書籍に明記され、否定されてきた。加えて、現在にいたるまで「Tad Dorganが野球場のホットドッグを題材に書いた1901年の漫画」そのものがこれまでまったく発見されていない。
No one has found a copy of the cartoon said to have given the hot dog its name. Maybe the cartoon never existed.
Hot Dog History | NHDSC

ちなみに、日本のウェブ上には、この誤った「Tad Dorgan1901年命名説」をいまだに記載しているサイトが多数あるわけだが、その「元ネタ」をきちんと明示しているサイトはほとんど存在しない。ということは、そうしたサイトのほとんど全部が「Tad Dorgan1901年命名説」をまったく検証もせず載せているということだ。


書籍 "The Cooperstown Symposium on Baseball and American Culture, 2013-2014" (William M. Simons, 2015)によれば、「Tad Dorgan1901年命名説」のオリジナルは、1935年にCollier's誌に掲載されたジャーナリストQuenthin Reynoldsの記事だそうだ。

Collier'sはアイリッシュ移民だったPeter F. Collierが1888年に創刊した雑誌で、1892年には25万部を売り、当時アメリカで最も売れている雑誌のひとつだった。
Collier'sの売りは、記者が「埋もれている事実」を発掘してきて記事にするという独特の執筆スタイルにあった。Collier'sや、1893年創刊のMcClure'sなど、20世紀初頭の「追及型の記事スタイルの雑誌」を、アメリカのジャーナリズム史においてMuckraker(マックレイカー)と呼ぶ。
Collier'sやMcClure'sの一時的な成功は、1906年の演説で大統領セオドア・ルーズベルトが "muckraking journalism" と苦々しく呼んだように、第一次大戦前までのアメリカで多くの追従雑誌を生んだ。(Muckrakerは後年名称が変わり、Investigative journalism(=調査報道)などと呼ばれるようになった)

だが、Collier'sの創刊初期の宣伝文句は "fiction, fact, sensation, wit, humor, news" というものであり、Collier's自身が必ずしも「事実のみを報道する」とは言っていないのである。日本のジャーナリズムにありがちなことだが、Muckrakerが事実のみを追求した純粋な報道だったというのは、単なる思い込みに過ぎない。この点を忘れずに、ここから先を読み進めてもらいたい。

The Baseball Player by Norman Rockwell, Collier's June 28, 1919.Collier's 1919年6月号
イラストはノーマン・ロックウェル


STEP 2) 少しこみいった話

Madison Square Garden (1890)二代目Madison Square Garden
今では否定されている「Tad Dorgan1901年ポロ・グラウンズ説」にかわる説として、「Tad Dorgan1906年マジソン・スクエア・ガーデン説」というのもある。
これはTad Dorganが1906年にマジソン・スクエア・ガーデン(=1889年移設された二代目MSG)で開催されたいわゆる「6日間レース」でホットドッグに出会い、それをネタに漫画を描いたという説で、こちらのほうは書いた漫画も実在しているらしい。

だが、この説も残念ながら間違いだ。
イェール大学の学生の出版物などの資料によって、Hot Dogという表記が1900年より前からあったことがわかっている。たとえTad Dorganが1906年にホットドッグの漫画を描いたのが事実であっても、その時点では「ホットドッグ」という名称は「既にあった」わけだから、Tad Dorganの命名ではない。


ただ、1906年MSG説がちょっと面白いのは、なぜ話が「ポロ・グラウンズの野球」から突然「MSGの自転車レース」にすりかわったのか、という点だ。

ブログ主が思うには、 Tad Dorgan の2歳年下の弟、John L. DorganがMSGのPR責任者だったからではないかと思う。

Six-day racingというのは、1878年ロンドン北部イズリントンという町で開催された「2人組で6日間走りぬく耐久的な自転車レース」のことで、1891年にニューヨークのMSGで開催されるようになった。2人組の自転車レースに今でも「マディソン (Madison)」というレース方式があるが、そのネーミングは、100年ほど前に「Six-day racing」がMSGで開催されはじめたことに由来している。

Six-day racingはしばらくしてからアメリカで人気となって、逆輸出もされてヨーロッパ各地でも開催されたが、当初はあまり人気がなかったらしい。

と、なると、当時MSGのPR担当者だったTad Dorgan の弟、John L. Dorganが、ニューヨークメディアの漫画家である自分の兄に「なぁ、兄ちゃんよぉ、ちょっと人気がイマイチで困ってるんや。MSGの自転車レースをネタに、漫画をひとつ書いてもらえへんか?」と「頼んだ」のではないかと、ブログ主は考えた。

これが事実かどうかについては、これまで誰も追及していない。
ホットドッグのネーミングの起源をいい加減に書きつらねてきた人々は、Tad Dorganの弟がMSG関係者だったことにも、「1906年の自転車レース」というのが、ただの普通名詞ではなくて、「スポーツの殿堂でもあるMSG発祥の、歴史的なイベントのひとつだった」ことにも、まるで気づかないまま書いているのだから、当然だ。


STEP 3) 少しこみいった蛇足

1906年マジソン・スクエア・ガーデン」という話でどうしても書きくわえておきたいのは、同じ年、同じ場所で起きた実在の大スキャンダル、スタンフォード・ホワイト事件だ。

二代目MSGは、20世紀初頭のアメリカを代表するボザール出身の3人の建築家の設計事務所、McKim, Mead & Whiteの、スタンフォード・ホワイト(Stanford White, 1853-1906)が設計したものだ。

100年ほど経った今も数多く現存している彼らの作品群は、彼らがアメリカ建築史に永遠に名前を刻まれたレジェンド、いわば殿堂入り選手であることを物語っている。
1993年シカゴ万博の有名な白い建築群。イタリア産大理石に包まれたBoston Public Library(旧館)。荘厳なコロンビア大学のLow Memorial Library。Washington Square Arch。とても書ききれない。壮麗なアーチの美しさに時を忘れてみとれてしまう作品が多数ある。

Agriculture Building, Columbian Exposition, Chicago, 1893
Boston Public Library(旧館)
Low Memorial Library, Columbia University


その有名人が、自分が設計したMSGでミュージカルを観劇していて、不倫相手イヴリン・ネズビット(Evelyn Nesbit, 1884-1967)の夫、富豪ハリー・ソーに射殺されるという悲惨な事件が、スタンフォード・ホワイト事件だ。
1906年6月25日、色男でオンナ遊びに忙しいスタンフォード・ホワイトと、ハリー・ソー夫妻は、昼間レストランで、そして夜遅くにMSGのミュージカルで、二度顔を合わせた。曲が演奏される中、いきなり立ちあがったハリー・ソーはホワイトの顔面に鉛の弾を3発も撃ち込んだ。おそらく二度も顔を合わせたことでブチ切れたのだろう、

Evelyn NesbitEvelyn Nesbit

この事件の裁判では、ネズビットがハリー・ソーの母親にカネをちらつかされ、夫ハリー・ソーに有利な証言をしたこともあり、なんとハリー・ソーは「一時的な狂気」として罪を逃れた。ちなみに、ハリー・ソーの母親は結局ネズビットにカネを払わなかったというから、したたかすぎる。

この事件は何度も映画化されていているが、リチャード・フライシャー監督『夢去りぬ』(The Girl in the Red Velvet Swing)では、イヴリン・ネズビット本人が監修しているため史実に近いらしい。
なお、原題のRed Velvet Swing(赤いベルベットのブランコ)とは、スタンフォード・ホワイトが24丁目に持っていたアパートの「隠し部屋」の天井からぶら下がっていたブランコのことで、ネズビットが裸に近い恰好でブランコをブラブラさせて遊んだという実話が由来になっている。

こうした突拍子もない事件に「1900年代のスキャンダルが死ぬほど好きなメディア」が飛びつかないわけはない。ウィリアム・ランドルフ・ハースト系列の新聞メディアなどは、この裁判を「世紀の裁判」(Trial of the century)などと謳って、連日記事にして儲けたらしい。


STEP 4) 単純で、あまり面白くもない「真実」

さて、話をhot dogに戻して英語辞書をウェブ上でひくと、こんな結果が出てくる。
hot dog (n.)
also hotdog, "sausage on a split roll," c. 1890, American English, from hot (adj.) + dog (n.). Many early references are in college student publications; later popularized, but probably not coined, by cartoonist T.A. "Tad" Dorgan (1877-1929).

Meaning "someone particularly skilled or excellent" (with overtones of showing off) is from 1896. Connection between the two senses, if any, is unclear. Hot dog! as an exclamation of approval was in use by 1906.

hot-dog, n.
1. One very proficient in certain things. 2. A hot sausage. 3. A hard student. 4. A conceited person. ["College Words and Phrases," in "Dialect Notes," 1900]
The Online Etymology Dictionary

どうやらアメリカの19世紀末の英語では「ソーセージ」のことを dog と表記する表現があったり、あるいは、傑出した人物、勤勉な学生のことを hot dog などと呼ぶ表現もあったらしい。

実際、前述のWord Myths: Debunking Linguistic Urban Legendsによれば、1884年のイェール大学の学内新聞Yale Recordに、 "dog" という単語を「ソーセージ」という意味で使っていたという記述例らしきものが複数みつかっているらしい。このことから、同書は「ホットドッグのネーミングの起源」として、「19世紀末の大学では、dogはソーセージと同義語として使われていた」という、味もそっけもない拍子抜けな結論(笑)を導きだした。(なお「大学内のスラングがなぜ世間に広まったか」は説明されていない)
Yale Recordにおける1985年の使用例
But I delight to bite the dog
When placed inside the bun
Word Myths: Debunking Linguistic Urban Legends - David Wilton - Google Books


STEP 5) Tad Dorganのための、蛇足の蛇足

これはジャズ・スタンダードのひとつ、But Not for Meという曲の歌詞だ。(曲はジョージ・ガーシュイン、作詞はその弟で作詞家のアイラ・ガーシュイン)
Old man sunshine listen you
Don't tell me dreams come true
Just try it and I'll start a riot
Beatrice Fairfax don't you dare
Ever tell me he will care
I'm certain it's the final curtain
I never want to hear from any cheerful Polly-Anna's
Who tell you fate supplies a mate - it's all bananas



この歌詞に it's all bananasという不思議な表現がある。これはTad Dorganが作った「気が変になる」という意味の造語 go bananas からきているらしい。
他にも、"cheaters"、"drugstore cowboy"、"hard-boiled" などがスラングづくりの天才といわれたDorganの作といわれていて、たとえHot DogがDorganの創作でないとしても、Dorganが多彩な才人だったことには疑いない。(ただ「ハードボイルド」に関して「ブロードウェイでビリヤードの教習所を開いていたJack Doyleという人物が発明者だ」なんて説もあるくらいで、Dorganのオリジナリティは常に霧の中に包まれている)



ここまで長々と書いたが、以上の事象のすべてに共通していることは、Tad Dorganの活躍した19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカが、新しい言葉、新しいメディア、新しいビジネスが次から次へと生まれた「若さあふれる時代」、「アメリカが本当に若かった時代」だったということだ。


この時期に生まれた初期のマス・メディアを「アメリカでジャーナリズムがまだ飼いならされていない、アメリカが正義感に溢れた時代」と、やたらと称揚したがる人が多い。

だが、Collier'sに掲載された「hot dogのネーミングの語源に関する記事」が実は根拠のない間違ったものだったにもかかわらず、Tad Dorgan起源説が長く信じられてきた。
記事が間違いであることは当時のTad Dorganの経歴を調べれば誰でも簡単に指摘することができるわけだが、それが長年行われてこなかったのは、「Collier'sのジャーナリズムは高級だから、間違ったりはしないだろう」という先入観によるものだったのではないだろうか。


ブログ主にいわせれば、19世紀末から20世紀初頭の非常に若さに溢れていた時代のアメリカの人々が、日々起こるニュース、新製品、新しいスポーツ、新しい言葉、新しい食べ物、企業や有名人のスキャンダルなど、さまざまな「新しさ」に飛びつくことが、3度のメシより好きだった理由は、けして「真実を貴ぶ気持ちから」ではなく、むしろ単純に、それらが情報として強い刺激に満ち満ちた「スキャンダラスなまでの赤裸々さ、なまなましさ」に溢れていたことが理由だろうと考える。

つまり、当時の彼らにとっては、Tad Dorganが作ったスラングも、スタンフォード・ホワイト事件も、ウィリアム・ランドルフ・ハーストのイエロー・ジャーナリズムも、Collier'sのInvestigative journalismも、「赤裸々さ」、「リアルタイムさ」、「なまなましさ」という点で、たいした差はないのである。


いいかえるなら、「情報」という「強い酒」に酔うことを初めて覚えた、それが、「20世紀初頭の若きアメリカ」だったのだろうと思うのだ。

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