June 26, 2016

高齢化社会という出来損ないのスローガンと、老人を最優先すべきとかいう間違ったモラル、この「セットメニュー」を誰が、いつ広めたのか知らないが、いまの時代に最も必要なモラルはむしろ、「若者は安易に老人に道をゆずるな」、「足の遅い老人は脇にどいて道をゆずれ」というものだろうと、ずっと真面目に思ってきたが、人前でそれを言うと誰もが眉をしかめるのはなぜだ(笑)
日本国籍の無い外国人に税金で生活保護費を払ってやるような根本的に間違ったことがいまだに現実にまかり通っているおかしな国では、こういう話はマトモには取り扱ってもらえない(笑) ガイジンに払う生活保護費こそ、他の用途、例えば介護する人の給料にでも回すべきだなんてことも誰も発言しない(笑)
 

2013年にこんなことを書いた。(太字は今回の記事で新たに添付)

「若者」という存在は、古代から現代にいたるまで、いついかなる時代においても「主役」であると思いこまれがち(そして、そう教えこまれがち)だが、実は、「若者をそれほど必要としない時代」もある

2013年5月4日、「1958年の西海岸」 特別な年、特別な場所。アメリカにおける「放浪」の消滅(3) サイモン&ガーファンクルの "America"の解読〜ニュージャージー・ターンパイクの渋滞の中で気づく「若者を必要としないアメリカ」 | Damejima's HARDBALL

昔のMLBについて調べているうち、移民の国アメリカが「本当の意味で若かった」、「チャンスにあふれていた」のは、よくいわれる50年代とか60年代とかではなく、むしろ「1900年前後」だという確信が湧いてきた。
40年代に「放浪」が法的に禁止されたことでもわかるように、アメリカは50年代には既に成熟期だったのであり、実は「若さに対する需要」なんてものはそれほど大きなものではない。もっと後のアメリカン・グラフィティ世代、フラワーチルドレン世代に至っては、いわずもがなだ。それらは見た目に派手だが、アメリカの若さの「本質部分」ではない。

上の記事でも書いたが、ブログ主の中では常に「今の時代に若者がマイノリティなのは当然」という意識がある。
ただ、意味を間違ってもらいたくない。「若者はもともと無力だから、黙って耐えていろ」という意味ではない。
「若いという立場に安住していてはダメで、自分たちがただでさえ数が少なく、常に押され気味だという意識をもて。アタマを使え。安易なヒューマニズムに、けして流されるな」とでもいう意味だ。


国民投票でEU離脱を選んだイギリスの「投票結果」について、メディアはしきりに「失業に苦しむ若者はEU残留を望んだのだが、EU離脱を望む老人のわがままに押し切られた」という図式を連呼して世論誘導をはかろうとしている。また、徒党を組んで署名を集め、国民投票のルール自体を変えて、国民投票までやってようやく決まった結論を覆そうとする人たちもいる。

だが、そうしたムービング・ゴールポスト的な行為こそ、恥ずべき「衆愚」というものだ。

考えれば誰でもわかることだが、少数者が「多数決」なんてものに頼ったら負けるに決まっているし、負けたら結論に従うべきだ。当たり前だ。
選択を間違えた勝負に出て、負けてしまい、後から「ルールそのものがおかしい。変えるべきだ」とか愚痴をたれることこそ、愚劣な衆愚そのものだ。


そんなころ日本のメディアでも離脱派の勝利をよく思わない慶応大学の教授だかが「ポピュリズムの蔓延」という言い方でEU離脱を批判していた。

ほんと馬鹿馬鹿しい。「ポピュリズムとレッテルづけすれば批判できたことになる」、「グローバリズムという言葉を使えば正当性を説明できたことになる」なら、誰でも学者になれる。批判したいターゲットを決めて、なりふりかまわず「相手をヒトラー呼ばわり」する幼稚で馬鹿げた手法を使う馬鹿と、どこも、なにも変わらない。

こういうタイプの人間はたぶん「グローバリズム」という言葉を、他人を批判するときに使うだけでなく、理想を語るときにも使う。例えば、世界企業がケイマン島で税金を逃れる的な意味でのグローバリズムは罵倒するくせに、ヨーロッパをひとつにまとめる的な意味のグローバリズムは歓迎したりする。

そういうご都合主義で他人を批判できるようにはならない。


そもそもグローバリズム「信仰者」がなんとも不思議にみえる理由のひとつは、彼らが「グローバリズムと国内雇用が正比例でもする」と思っているらしいことだ。
彼らはEUのような「アメリカとはまた違う、変種のグローバリズム」が「新たな不平等」を生んでない、とでもいいたいのだろうか。


考えてみてもらいたい。
「国家という集団」にとって「自国内の国民」がそうであるように、「企業という集団」にとっては、「正社員」とそのスキルが持つ「ローカリズム」は、いわば国内文化、自国文化のようなものだ。
ならば、いまグローバル化を最大限に進めようとしている企業があったとして、その企業は「雇用」について、「正社員数を最大化して、企業内部のローカリズムをより深化させていく方向」をとるだろうか。

ありえない

むしろ、グローバル企業というものは「雇用を外部化」する傾向にあるのが普通なのであって、彼らは世間の批判をかわすために正社員を増やす例外的なとき以外には常に「正社員という、ある種のローカリズムにできるだけ依存しないですむ内部構造をとろう」とする。当たり前の話だ。
いいかえると、グローバリズムにとりつかれた企業が「地域性」や「ローカリズム」に重きを置く理由など、どこにもないのである。


イギリスのEU残留を支持したのが、当地の若者だとしたら、いい機会だから「EUという名の、ある種のグローバリズムが、イギリスの国内雇用をも増大させてくれる」という発想がどれだけ安易だったか考えるべきだ。


ここでちょっと角度を変えてみる。

「老人対若者」という対立図式は、いわば世の中の構造における「上下」の方向の問題で、昔からあった「左右方向の問題」、つまり、イデオロギーの違いとか、政治信条の違いとかの問題ではない。

この「上下の問題」をきちんと扱えた党派やメディアなんてものは、いまのところ存在しない。(メディアは左右方向でしかモノを考えられない人間だけが集まった硬直した場所だから、当然といえば当然だが)
それが証拠に、今の時代、「政策課題」なんてものは(他国の便宜をはかろうという異常な目的ででもなければ)どんな国、どんな党派、どんなイデオロギーだろうと、それほど違わない。
例えば、どんなイデオロギーの国だろうと、与党だろうと、野党だろうと、財政は健全化しなくてはならないように、「やるべきこと」や「目標」は実はたいして変わらないのであり、手法や期待値もそれほど大きくは違わない。
つまり、もはや「左右という価値観」には価値などほとんどないということだ。


かつて日本で、「非正規」といわれる人たちが、特に若い世代で急速に増加し、「新しいクラスター化」しつつあった時代があった。その同時期、老人に対する年金支払いなどの「手厚すぎる庇護」はかつてないほど肥大していった。
これはある意味、「上下」方向、つまり世代間の利害は、不一致どころではなく、むしろ「完全に衝突している」ことが判明した時代でもあった。


だがこのとき、その「新たに出現したクラスター」と、その層の人たちに向けて何を発信すべきかを明確にとらえていた既存組織があったか、というと、少なくとも日本にはなく、鋭敏に反応したのは違法な人材派遣業だけという悲惨な有り様だったため、働き方の自由などという甘い言葉につられて、多くの若者がフリーターに転落していった。

労働組合があるじゃないかと思う人がいるだろうが、第二次大戦後ずっと労働者がどうのこうのと連呼し続けてきたこの既存団体は、新しいクラスターの発生にも、世代間の利害の衝突にも、当初からまるで無頓着で、そういう既存組織の「反応の遅さ、世間の変化を見る目の無さ」は違法な人材派遣業が跋扈する原因を作った。
それは、それらの既存団体が実は「公務員」や「特定の業界」、「正社員」といった「限定された特定のクラスだけを庇護するだけの団体」で、社会の流動性を確保していくチカラなど全く無いどころか、むしろ社会の「固定化」に資する団体でしかないことがバレた瞬間でもあった。


こうした「既存団体に庇護された特定のクラス」は、公務員に代表されるように、社会のグローバル化に左右されない、いわば「無風地帯」であり、グローバル化によって雇用(あるいは違法な生活保護)が脅かされる心配がない。「無風地帯」に長らく生存している人たちと、「無風地帯」の庇護が目的の団体にとって、社会のグローバル化で起きる事象の大半はしょせん「他人事」でしかない。

そのクセ、イギリスでトニー・ブレアの労働党もそうだったように、グローバリゼーションを肯定した人々は、その一方で厳格な負担を個人に求めた。日本でも社会保険庁のルーズさが厳しく摘発された一方で、同じ時代にその裏では公的機関による個人からの「取り立て」が厳格化されていった。「無風地帯の人々」が「風当りの強い場所」から「年貢」を取り立てるのだから、無風地帯への支持など広がるはずもない。


こうした「グローバル化と雇用が反比例していく流れ」は、ルーズすぎた諸制度の立て直し、あるいは、財政健全化というタテマエがあったにせよ、実質的に「個人生活を国家の財政再建へ隷属させる」ことにつながった。非・無風地帯の個人消費は文字どおり「死んだ」のである。にもかかわらず、「100円のハンバーガーを食うことはデフレだ」などという狂った考え方を、モノを考えるチカラのまったく無い既存のマスメディアが広めたのも、この頃だ。

もしこの「流れ」が、日本の高度経済成長期のような「正社員がたくさんいるローカリズム重視の時代」に起きたなら、直接税の増収などで国家財政は多少健全化した程度の効果はあったかもしれない。
だが、実際には「非正規」が大量生産されだすグローバリズム加速時代に行われたわけだから、「過度の福祉負担」なんてものが「若年層の貧困を加速させる直接の原因」のひとつにしかならないのは当然であり、「遊休資産を持たない貧困世代に対して、とりわけ重い負担を強いる一方で、遊休資産を持った世代を厚く処遇する」という、まったく本末転倒な時代の幕開けにしかならない。


ローカリズム全盛時代に長い正社員生活を経験し、いまや年金負担もとっくに終えた老人が「多数」いて、「無風地帯に住む特定のクラス」だけを庇護する、やたらと横につながりたがる既存の団体がある一方で、グローバリズム全盛時代に育ってほとんど正社員雇用を経験せず、重い福祉負担を義務化された若い世代が「横のつながりをほとんど持たないマイノリティ」として存在している、としたら、どうだろう。

「若い世代が安易にグローバリズムを支持すること」は、かえって自分の立場を苦しいものにしかねない。よく考えもせずグローバリズムを安易に支持したりする前に、「グローバリズムと国内雇用が果たして両立するものなのかどうか」、じっくり考えておくべきだ。


なお蛇足でひとことつけ加えると、「多数決」などという古臭い方法論が理想的に機能する、つまり、結論が出た後では対立が収まって全てが丸く収まる、なんていう、絵に描いた餅みたいなことが起きうるのは、多数決の参加者の大半が「ローカリズムの内部に共存できている場合」だけだ。
散逸的なグローバリズムが蔓延した今の世界においては、「ひとつの結論は、次の新たな対立を呼ぶ」ただそれだけのことであり、共同体内部の対立の解消につながったりはしない。

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