August 09, 2016



3000安打を目前にしていたイチローが、2016年7月末に、抜けていればおそらく三塁打だっただろうという「2本の長打」を、フィラデルフィアのライト、ピーター・ボージャスの好プレーと守備シフトに阻まれたことは、以下の記事に書いた。
2016年7月26日、イチロー vs フィリー 「3000安打 全力阻止シフト」。3000安打目前のイチローから長打2本を奪い去ったピーター・ボージャスへの拍手。「他チームのセンターには手を出すな」という負の法則。 | Damejima's HARDBALL


イチローのMLB3000安打達成が、野茂さんがかつてノーヒット・ノーランを達成したクアーズで、それも、ホームランではなく、三塁打だったことは、昔から「三塁打こそ野球の華」と思ってきた自分にとって非常に嬉しいことだったのはもちろん、信貴山縁起ではないが、野球というスポーツにはやはり何か「縁のつながり」のようなものがあることを感じたのだ。


イチローと縁のあるHOFポール・モリターの3000安打達成が「三塁打」だったことは日米のメディアがさんざん伝えたわけだが、同じく忘れてもらっては困るのは、日本の「三塁打王」福本豊さん(イチローの116本は日米通算だから、記録上は今も福本さんが日本の三塁打王)は「通算2543安打」で引退なさっているわけだが、その福本さんの節目となった2500安打も、イチローの3000安打達成と同じ、「三塁打」だったことだ。


他にもある。

福本豊さんが「最後の三塁打」を打ったのは「1988年4月8日」の近鉄バファローズ戦5回裏(投手:阿波野秀幸 場所:阪急西宮球場)だが、この1988年というのは、いうまでもなく阪急ブレーブスという球団の最終年でもあった。
この球団の衣鉢を受け継いだのはいうまでもなく今のオリックスであり、そのオリックスの黄金期を作った仰木彬さんが育てたのがイチローなのだから、簡単にいえば福本さんとイチローという2人の「三塁打王」は、球団史的にも「先輩後輩の間柄」にあるわけだ。


さらにいえば、日本プロ野球の「三塁打史」には福本豊さんだけでなく、他にも何人かの阪急ブレーブスの選手が登場する。

例えば、1936年に阪急で「3イニング連続 かつ 3打席連続 三塁打」という、日本プロ野球における唯一無二の三塁打記録を樹立したのは、ハワイ出身で、日本プロ野球「最初の外国人選手」にして、柴田勲に先立つ「スイッチヒッター第1号」でもあった堀尾文人(ジミー堀尾)だ。
堀尾は、プロデビューとなった大日本東京野球倶楽部(=後の巨人)の一員として、沢村栄治スタルヒンなどとともに1935年の第一回アメリカ遠征に参加していることからもわかるように、草創期の日本野球の第一人者のひとりで、かのBaseball Referenceにも経歴紹介ページがあるほどの選手だ。
ちなみに、当時メジャーデビューの夢を持っていた堀尾は、1936年にパシフィックコースト・リーグのシアトル・インディアンスの入団テストを受けるなどしたが、メジャーデビューの夢はかなわなかった。(1949年に42歳で病没)
Jimmy Horio - BR Bullpen
The Dai Nippon Baseball Club in 1935, photographer Stuart Thomas
後列右端が堀尾文人。後列左端から2人目が沢村栄治。前列左端がスタルヒン。Photo courtesy of the City of Vancouver Archives, photographer Stuart Thomas

また、1948年11月1日に「1試合3本の三塁打」という珍しい記録を持っていた川合幸三も、阪急ブレーブスの選手だ。(おまけに川合幸三はイチローと同じ愛知県出身の選手)


こうした「阪急ブレーブスと三塁打」の関係はけして偶然ではない。
プロ野球で1シーズンのチーム最多三塁打の日本記録を持っているのが、ほかならぬ、阪急ブレーブス(66本 1955年)であり、「3者連続三塁打」などという珍しい記録が生まれたのも、同じ「1955年の阪急」(河野旭輝、原田孝一、バルボンで記録。他に1987年ヤクルト、1990年阪神)であり、とにかく「福本豊さんが入団するはるか前から、阪急というチームは、1955年はじめ、神がかったかのごとく三塁打を打ちまくってきた『三塁打の王国』だった」のである。


こうして「三塁打王国の歴史」を追ってみると、むしろピーター・ボージャスがイチローの長打性のライナー2つを捕ってくれていなければ、「ちょうど3000安打で三塁打を打ったイチローが、ちょうど2500安打で三塁打を打った福本豊さんの三塁打記録を抜く」なんていう「劇的展開」にはならなかった気もしてくるわけで(笑)、ボージャスにはむしろ感謝しなくてはならない(笑)ありがとう、ピーター。


いうまでもなくイチローの3000安打という記録は「MLBデビュー後の記録」であり、たったの16シーズンでその大記録を達成できてしまったイチローは「天才」以外の何物でもない。
以前書いたように、イチローがこれほど短い間に3000安打を達成できたのは、「1番打者だったために打席数が多かった」のが理由ではない。それはただの「いいがかり」にすぎない。
2015年8月24日、「ヒット1本あたりの打席数」ランキングでみれば、イチローの通算ヒット数の多さは「打順が1番だから」ではなく、むしろピート・ローズの安打数こそ単なる「打数の多さによるもの」に過ぎない。 | Damejima's HARDBALL


だが一方でイチローの「通算三塁打116本」という記録は、3000安打と違って「イチローが日本でプロデビューして以来の、すべての三塁打の数」なわけだから、「試合数がMLBよりはるかに少ない日本の野球環境の中で、通算115本もの三塁打を打った福本豊さんの「三塁打王としての能力」がいかに凄いか、あらためて驚かされる。
通算打席数/通算三塁打数

イチロー 約122打席(NPB+MLBの打席数で計算)
福本豊  約88打席


いずれにしても、三塁打王国・阪急ブレーブスから、福本豊さん、オリックス、そしていまイチローへと、「三塁打王」の「王冠」が無事受け継がれたことを喜びたい。








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