November 26, 2016

65歳以上人口と75歳人口の比較

上のグラフは「65歳〜74歳人口」と「75歳以上人口」を比較したものだ。この2つの数字はたいていの場合、積み上げグラフとして「上下に並べて」表示されているために、関係がもうひとつよくわからないので、作り直してみたのである。
(元資料:2050年には1億人割れ…日本の人口推移をグラフ化してみる(高齢社会白書:2016年 - ガベージニュース

こうしてデータを作り直してみて初めてわかることは、
来年以降、2017年から2025年頃にかけて、
日本の高齢者の中身は 「質的」 に大きく変わる
ということだ。

もう少し具体的に書くと、こうなる。
2017年から2018年頃にかけて
「75歳以上人口」が初めて「65歳〜74歳人口」を追い越す。

2025年以降になると、高齢者のコアは、減少傾向に転じる「65歳〜74歳人口」ではなく、なおも横ばい状態が続く「75歳以上人口」に移る。
ということだ。


「なんだ、そんなことか。後期高齢者って言葉、知らないの? わかってるよ、それくらい。」と、思うかもしれない。
(ちなみに、「後期高齢者」という単語に、「この言葉は礼儀を欠いている」と怒ってる人がいるようだが、この単語はもともと人口学や老年学の学術用語らしい。お間違えなきよう)

だが、ブログ主は
「いやアンタ、わかってるつもりになってるだけで、事態の深刻さが全然身にしみてわかってない」と、言わせてもらう。


簡単にいえば、
社会の高齢化自体にも、ヒトと同じように、「前期」と「後期」があるのだ。

いつのまにか「高齢ドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違えて、人を轢き殺した」だの、「高齢ドライバーが高速道路を10数キロも逆走した」だのというニュースが毎日のように流れるようになったことは、けして偶然などではないのである。

言いかえると、いまや日本は「想定外の行動をする人間に出くわす危険性を、常に予想していなければならなくなった時代」であり、「ブレーキとアクセルを踏み間違えて、他人を轢いてしまう高齢者が、毎日どこにでも出現する時代」こそ、本当の意味での「衰え」が社会問題となる「後期の高齢化社会」なのだ。
このやっかいな「後期の高齢化社会」に比べれば、「日本が1980年代から2000年代までに経験した高齢化社会」、つまり、「65歳から74歳の人が多かった、前期の高齢化社会」など、まだまだ牧歌的だっただろうと思う。

「本当の意味での『肉体的精神的な衰え』が、社会のあらゆる面に問題として突出する時代」が、この「75歳以上だらけになっていく、後期の高齢化社会」の「意味」なのだ。

この「意味」を、ほとんどの人が甘くみていた。


さて、以降は「おまけ」だ。

高齢化社会の「内部」で起きてきた「質的変化」について、他にもいくつか例を挙げてみる。我々は高齢化社会の「内部」で起きていることについては案外知らないのだ。

以下の図で、赤い点は「高齢単身世帯」と「高齢者夫婦のみで暮らす世帯」を表わす。左が1995年(平成7年)、右が2005年(平成17年)だ。最初に挙げたグラフでいうと、「1995年から2005年までの10年間」は「まだ65歳から74歳までの人口が、75歳以上人口より多かった、『前期の高齢化社会』」にあたる。
図から、高齢世帯の「中身」は、西日本と東日本とで、まったく違うことがわかる。正直、「10年で西日本だけが真っ赤に染まった理由」は、まるで見当がつかないが、すくなくとも「西日本では、東日本、特に関東でまったく想像のつかない『別種の高齢化』が進行した」ことは明らかだ。
平成7年と平成17年の国勢調査における「高齢化」比較


続いて、以下は「持ち家をもっている世帯における、世帯形態と住宅の延べ床面積の関係」をグラフにしたものだ。
この図によれば、「持ち家を所有する65歳以上の高齢単身および高齢夫婦世帯」の「半数以上」が100平方メートル以上の広さの家に住んでいる一方で、「持ち家に4人以上で住んでいる家族」の「約3分の1」が100平方メートル未満の家に住んでいることになる。
このグラフだけを根拠に「高齢者ほど、広い家に住んでいる」と断言することなどもちろんできないが、高齢者と若者で資産格差があることは歴然としていることや、日本の「住環境」と「世帯の平均年齢」がミスマッチを起こしていることは、まぎれもない事実だ。
また2つの図から「子供が家を出て都会に住み着いた結果、両親だけが田舎に残っている」「その傾向は西日本ほど強い」などと想像することくらいはできなくもない。

広大な家に住む高齢者と狭い家に住む家族


高齢者の中身の「質的変化」は、いやおうなく社会に変化を要求する。
では、その「変化を起こすべき、担当者」は誰か。どうみても高齢者自身ではない。思いやりはもちろん永遠に必要だ。だが、だからといって、安易なヒューマニズムに流されていいわけではない。

ここに挙げた程度の頼りない大雑把なデータからでさえ、例えば「日本で『空き家』が、従来の数をはるかに越えた、空前絶後の数で出現しはじめるかもしれない」というようなことは、誰でも想像できる。
以前も書いたことだが、たとえ空き家が増えても、そのうちアパートに建てかわって、地方の税収も増えるから万々歳、なんて夢物語は絵に描いた餅に過ぎない。

参考記事:2014年8月4日、誰もが読めていない「空き家の増加」というニュースの本質〜日本における「文字読み文化」の衰退 | Damejima's HARDBALL

日本の「空き家率」の推移

何を想定し、何を暮らしやビジネスに役立てるかは、それぞれの人の自由だが、少なくとも、「高齢化社会」なんていう雑な考えと安易なヒューマニズムでモノを言っていられる、のんびりした時代は終わるということは、われわれ全員がアタマに入れなければならない。


Play Clean
日付表記はすべて
アメリカ現地時間です

Twitterボタン

アドレス短縮 http://bit.ly/
2020TOKYO
think different
 
  • 2014年10月31日、PARADE !
  • 2013年11月28日、『父親とベースボール』 (9)1920年代における古参の白人移民と新参の白人移民との間の軋轢 ヘンリー・フォード所有のThe Dearborn Independent紙によるレッドソックスオーナーHarry Frazeeへの攻撃の新解釈
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年11月8日、『父親とベースボール』 (8)20世紀初頭にアメリカ社会とMLBが経験した「最初の大衆化」を主導した「外野席の白人移民」の影響力 (付録:ユダヤ系移民史)
  • 2013年6月1日、あまりにも不活性で地味な旧ヤンキースタジアム跡地利用。「スタジアム周辺の駐車場の採算悪化」は、駐車場の供給過剰と料金の高さの問題であり、観客動員の問題ではない。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年7月3日、『父親とベースボール』 (2)南北戦争100年後のアフリカ系アメリカ人の「南部回帰」と「父親不在」、そしてベースボールとの距離感。
  • 2012年6月29日、『父親とベースボール』 (1)星一徹とケン・バーンズに学ぶ 『ベースボールにおける父親の重み』。
Categories
ブログ内検索 by Google
ブログ内検索 by livedoor
Thank you for visiting
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

free counters

by Month