August 05, 2017




上に挙げたツイッターでの質問に対する「答え」にたどり着くための「道筋」となる記事を書きとめておいた。ここに書いたことが糸口になって、とめどなく垂れ流され続けているマスメディアのウソに流されない「自分なりの考え」をまとめるきっかけにしてもらえたら幸いである。
とはいえ、これを読んでもまだ理解できないようなら、あなたの知性は危険水域にあるとは思う。こんな簡単なロジックすら理解できないようでは、「国家という集団維持システム」の大事さも、「グローバリズムのまやかし」も、理解することはできない。


憲法というルールの性格は、
国ごとに異なる」という点にひとつの特長がある。

いいかえると、
憲法は世界共通ルールではない

当然ながら、
日本の憲法が、同時に、世界共通ルールでもあるべき「義務」など、まったく存在しない

そして、「国ごとのルール」である憲法においては、「それぞれの国に所属する(あるいは所属を宣誓した)国民だけがルールの対象」なのだ。

したがって、
外国人は「憲法の対象外」だ。


にもかかわらず、だ。
憲法が大事だとか、心にも無いことを言いたがる輩に限って、「国家という枠組み」を軽視したがる。憲法というルールは、「国家という単位を前提にして成立しているルール」なのだから、それはどう考えても「矛盾」である。
国家は大嫌いだが憲法だけが好き、それも、憲法の「ごく一部分だけ」が好きで、憲法の嫌いな部分は死んでも守らない、などというのは、「子供じみた好き嫌い」に過ぎない。外部からどんな新しい概念を持ち込んで矛盾をごまかそうとしても、そんなものは詭弁でしかない。


さて、
最初に挙げた設問でいう「憲法」とは、
もちろん「日本国憲法」を意味している。


では、
「日本国憲法」は外国人に適用されるだろうか。
答えは簡単だ。

外国人には適用されない


憲法の項目には「外国人にも適用されうる条項」があると主張したがる人がいるが、そういう詭弁を耳にして勘違いしてはならない。

憲法の条項には、国際的な共通の理解のもとにある人道などの範疇内にあるものもある。だが、それは単に「異なる2つのルールがオーバーラップしている部分がある」という意味に過ぎない。
オーバーラップしているからといって、そのことによって「日本国民だけに適用されるはずの日本の憲法のすべてが、外国人全員にも適用される」わけではない。そんなこと、ありえない。


また、これもいうまでもないことだが、「日本の憲法は、外国人全員の権利や義務を保証する責務を負っている」という意味にも、まったくならない
くり返して言わせてもらうが、「あらゆる国の憲法と同じく、日本の憲法は、全世界をカバーするルールではない」のだ。当然のことだ。ゆえに
日本の憲法が「日本という国家が全世界の人々に対して義務を負うと、宣言している」わけでもなければ、全世界の人々に権利の保証を公約した、わけでもない。
のである。
(国際条約があるだろ、などと、「例外を示したつもり」になる人もいるだろうが、国際条約は単に「批准した国々の間の取り決め」に過ぎない。批准していない国にはなんの拘束力もない)


さらに、間違ってはいけないことがある。以下のようなことだ。
「日本国憲法が外国人全員に適用されるかどうか」という問題と、「日本にたまたま滞在しているだけの外国人に、国際的な了解が成立している範囲での人権が存在するか」という問題とは、イコールではない。それどころか、まったく別の話だ。
ということだ。

この点で、前後の歴史において世の非常に多くの「人権を錦の御旗にしてきたブログ、メディア、SNS、外国人組織などが、「問題のすりかえ」を行って、日本に損害を与えてきた。その手口は、まさに上に挙げた「論点の意図的なすりかえ」によるものだ。


「たとえ」を挙げてわかりやすくしてみる。

旅行で日本に来た外国人ツーリストがいた、とする。

いうまでもないが、その人間に「人権がまったくない」わけがない。そんなことは、ありえない。
しかしながら、世界レベルで了解されている国際的な人権が外国人ツーリストにもあるからといって、「日本国憲法が定める国民の権利や義務」が外国人にも適用されるかどうかというと、それはまったく別次元の話だ。こんなことがわからないようでは、アタマがおかしいと言われてもしかたがない。

例えば、日本の「伝統的な」銭湯には、「全員が全裸で風呂に入る」という日本独自の文化習慣、日本独自のルールがある。このルールは、酔っ払いなどの不心得な人を除外すれば、「入浴者全員が守るべき日本のルール」だ。

では、もし「銭湯を経験したい外国人ツーリスト」が、「自分の出身国では、全裸になった自分を他人の視線に晒す文化はない」と理由をつけて、番台で「水着で銭湯に入らせろと、大声を挙げてゴネた」としたら、どうだろう。

それは、許されない

もちろん、もしその外国人ツーリストが「他人の目の前で全裸入浴を強制された」のだとしたら、それは明らかに「人権問題そのもの」だが、それはまったく別の話だ。いうまでもない。

日本の伝統的な銭湯で外国人に「裸になりたくない」と声高に主張されても、いい迷惑だ。日本には、「他人の目の前で全裸になって入浴したくない人」や、「日本式の入浴と異なる文化のもとで育った人」には、他に無限の「選択肢」がある。また、異なる選択肢を利用・検索するための情報元も無数にある。
日本の銭湯では、「日本人か外国人かを問わず、全裸での入浴が求められる」のは当然のことだし、外国人にも全裸での入浴を求めることは人権の侵害ではない。(むしろ、「国籍を問わないドメスティックなルール」だからこそ、「平等に」全裸での入浴を求めるのだ)


さらに、ここも大事なことだが、「日本の銭湯に入る」という行為は、別の観点からいえば「銭湯という日本文化を受け入れる」という意味である。
もし「日本の文化を受け入れない狭量な人間」が、日本の文化を味わいたいという美名(または言い訳)のもとで、自分だけが水着で銭湯に入ろうと主張してゴネるとしたら、それは自分個人の価値観の「強要」であり、土足が許されない日本の家庭に「土足であがる」ようなものである。

日本の文化という家を土足で踏みにじること」は許されない。


上記の「たとえ」だけでも話の大半は終わっているが、
もう少しだけ本来の話をしておく。


「日本国民であることによって生じる、自由、権利、義務」には、「外国人を対象としないもの」、あるいは「外国人の場合は内容に制限がもうけられるもの」が複数ある

例えば以下のようなものだ。(以下がすべてではない)
参政権
出入国の自由
政治活動の自由
社会保障を受ける権利


このことは、逆にいえば、どんな国であれ、「外国人については、その国の憲法が規定する自由、権利、義務などが、まったく適用されない、あるいは、一定の制約が生じるのが、あたりまえなのだ」という意味でもある。
この「外国人には、その国の憲法が適用されない」という原則は、憲法というルールがもともと「その国の国民にのみ適用されるルールであること」から生じているだけの話だ。それは、日本の憲法が「世界的な平等の原則にそむくものであること」を意味していない。また、もしそういう批判があったとしても、それは単なる「いいがかり」に過ぎない。


ここからは余談だが、上で書いた「憲法が規定する、外国人を対象としない自由や権利の数々」をみるだけでも、戦後の日本の憲法がいかに「蚕食」されてきたかがわかる。(そして、日本の憲法の蚕食を意図的に行ってきたのは、日本の憲法を見た目だけありがたがっているようにみせかけてきた「護憲派の人々」でもある)

例えば「外国人に対する生活保護」である。
日本では憲法の規定に基づく社会的な保護機能を受ける権利は、「日本国民だけのもの」であって、「外国人」にはその権利が最初から存在していない。法的に当然のことだ。「外国人に対する生活保護が不法であること」は、とっくに最高裁で認定されてもいる。
ところが、この「本来あってはならない、あるはずのない利益を、なんの負担もなく、タダで享受している外国人」が、「日本にびっくりするほどたくさんいる」のである。

他にも例はまだまだたくさんある。
外国人の政治活動の自由や、国会議員の二重国籍の問題だ。

これも、外国人に対する生活保護供与と同様で、「外国人の政治活動の自由」など最初からない。外国人には政治献金すら許されていない。また、謝蓮舫のような二重国籍は、国会議員に認められていない。
これらのルールは国家としての治安上の意図によるものであって、日本だけがそういうシステムをとっているわけではない。それは、日本にナショナリズムが蔓延しているからでもなければ、日本人が多様性を認めないからでもないし、日本が人権後進国だからでもない。
日本に限らず「国家」という社会維持システムにおいては、国会議員に特別な地位が与えられ、守られると同時に、国会議員たるにあたっての資質に制限も加えられいてる。それは「その国の国籍を有しており、その国だけのために粉骨砕身で奉仕することを誓約した者」だからだ。そうでない「怪しげな者」が国会議員職に就くことなど許されない。


マスメディアや人権派と自称する人たちの「都合のいい説明」を鵜呑みにしてはいけない。
戦後、彼らは、片方では、憲法を守れと声高に叫んできたクセに、他方では、憲法に規定されてもいない外国人の「なんの根拠もない権利」を怒声をもって主張することで、憲法の遵守義務を怠り、憲法の根幹を蚕食してきたのである。
憲法を蚕食しているくせに、都合がいいときにだけ都合のいいことを言っているだけの人間たちが、都合のいいときに持ち出してくるのが憲法という「便利な言葉」だということだ。最初に挙げたのは、そのいい例だ。


もちろん白鵬は、親方になりたければ、日本文化を受け入れる意味で「帰化」という道をみずから選択するだろうし、帰化したあとも、相撲という文化における「親方システム」を遵守するだろう。彼が、水着で銭湯に入らせろと番台でゴネるような人物とは思えない。

にもかかわらず、である。すすんで帰化しようとしている人物の話題すら、日本を貶めるネタにしようとする、頭のおかしな人間がいる。

彼らの主張の「狙い」は結局のところ「ひとつしかない」ということが、この記事に書いたからもわかるはずだ。
彼らがやりたいのは、「日本人だけに規定されている憲法などの法的な自由や権利を、外国人にも認めろ」という意味ですらない。つまるところ彼らが主張していること、やってきたことは、タダ乗りさせろ、好きなようにやらせろ、ということにすぎない。

たいがいにしろと、言いたい。

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