August 27, 2017

2001年イチローがMLBデビューしたことで築かれたシアトルのシーズン記録116勝を塗り替えるかもしれない今シーズンのドジャースだが、その原動力は編成部長アンドリュー・フリードマンだと思っている。

そのフリードマンのよく知られた言葉のひとつに、「情報はいくらあってもいい」というのがあるが、この言い方は「誤解」を招きやすい。「情報を集めれば集めるほど、勝てる」などという「間違った理解」を生みやすいからだ。情報の多さが勝ち負けを決めるなら、誰も苦労などしない。(もちろんフリードマン自身、そんな意味では言ってないと思う)



「現場」にとって、情報は重要なのはたしかだ。
だが、情報が多ければ多いほど「対策や戦術がパーフェクトになる」わけではない。

むしろ大事なのは、以下の鉄則だ。
情報は常に不完全だ」という前提で戦う


災害」を例に考えてみる。


ブログ主が東日本大震災から学んだことのひとつは、災害の被害規模を決定する要因は、過去と現代とでは異なる、ということだった。
かつては地震の震度やマグニチュード、台風の風速や暴風圏の広さがそのまま被害規模を決定していたが、現代では、天変地異のパワーが被害規模とイコールとは限らない。
むしろ、ブログ主がみるかぎり、東日本大震災の未曾有の惨事の被害規模を決めたファクターは地震の大きさではなく、「情報の混乱と寸断」にあるとしか思えなかった。


例えば台風だが、昭和の時代には室戸台風や伊勢湾台風のような「数千人もの死者が出た事例」があった。だが近年になると、物理的な被害はまだまだ防ぎきれないにしても、こと人的被害についてだけいうなら、「対処のしかた次第で、その大半を防止できる可能性」は高い。「防災技術や情報共有メディアの発達した現代」においては、災害の被害規模は、必ずしも「天変地異の規模だけ」で決定されるのではなくて、「避難や情報供給の成功不成功」によっても決まるのである。

この話をもっと一般化していえば、「避難と対策さえ的確なら、災害の被害は多少は抑え込める可能性がある」ということであり、逆にいえば「避難や対策が失敗なら、被害はより拡大する」ということでもある。


ここでちょっと横道にそれる。

これはあまり気がつかれないことだが、
「災害」という現象の最大の特徴は、実は、災害そのものが『避難や対策を妨げるように働く』ことなのである。むしろ、これこそが災害の怖さの本質と言っていい。

例えばだが、洪水や津波で押し寄せる大量の水で溺死の危険に晒されることは誰でもわかっている。
だが、家のまわりが大量の水であふれかえっている状況になったら、簡単には避難できなくなる。つまり、「大量の水によって、生命の危険がさし迫っていることがわかっていても、避難自体ができない状況が、広範囲に、かつ同時に生まれる」のであり、これこそが災害という事象の「現代的な怖さ」なのだ。
もちろん、災害対策を実行する立場の人々にとっても、災害は、情報伝達、分析、決断、人材や資材の移動など、あらゆる面でのスピードや的確さなど、あらゆる対策の妨げになる。

これは地震や火事などでも同じだ。
地震の激しい揺れそのものが多数の人命を奪うというよりも、揺れによって家屋や道路などあらゆるものが破壊され、精神的にも萎縮してしまい、「避難も対策も困難になる状況」が多くの生命を危険にさらすのである。

災害という現象は「人を避難させないように、その場に釘付けにする」という、とてもやっかいな特徴をもっている。「避難もできず、かといって対策もとれない状況」が生まれることで、災害の被害は拡大する。現代における災害、特に人命の危険という点で怖いのは、災害時の自然現象そのものより、むしろ「避難」と「対策」の両面が長時間にわたって妨げられ続けることにある。


では、福島原発のメルトダウンはどうだったか。
この未曾有の惨事の直接的な原因は、「冷却のための電源が喪失したこと」だが、ブログ主は、もしこの事故が「平常時」に起きていたら、おそらく「結果はまったく違ったものになった」のではないかと考えた。
つまり、「情報がスピーディーかつ正確に伝わるための障害も混乱もない」という意味での「平常時」においては、「冷却のための電源が喪失した」という「情報」はおそらく、もっとスピーディーに伝達され、もっと的確に分析され、より正しく決断され、対策のための人材と資材がもっと適所に配置されたのではないか、と思うわけだ。


だが、福島原発で実際に起こったのは
メルトダウン」という最悪の事態だった。

詳しい経緯を知っているわけではないが、「冷却のための電源の喪失」という非常事態が、情報の伝達、分析、決断、人材や資材の配置など、「情報管理のあらゆる面でミスを発生させていたこと」はなんとなく推定できる。


では、情報が多ければ多いほど、対策は万全になったのか。
そうではない。と、ブログ主は思う。本当に必要だったのは、「欠けている情報下での決断」だったはずだ。

・災害の現代的な怖さは、自然現象の規模そのものよりも、水、雨、風、火、揺れなどの自然現象が、家屋の倒壊や道路の寸断などと重なって、「避難」と「対策」の両方が著しく、かつ広範囲に妨げられる点にある

・災害対策の妨げになるのは、とりわけ「情報の流れが決定的かつ大規模に阻害されること」だが、それが災害の本質そのものである以上、「情報の阻害をゼロに抑えこむこと」は不可能。非常時に情報収集にばかり気をとられることは、むしろ対策の実行の妨げになる可能性が高い

・ゆえに、災害のような非常時においては、むしろ「情報の欠如」を前提に行動すべき



現場」というものは、多くの場合、「情報が不完全」なのが当たり前なのだ。そういう場所においては「情報が多ければ多いほど、対策はより万全になる」なんていうタテマエは何の意味もなさない。このことをもっとよく考えるべきだ。

自然災害だらけの国、日本でさえ、人は災害においてこそ、パーフェクトな情報収集が必要だなどと思い込みやすい。
自治体の災害担当者などにしても、責任感からか何か知らないが、おそらくそういう思い込みを根強く持っているにちがいないから、災害を目の前にすると、ついついこんなことを考えてしまう。
情報の正確でスピーディーな集約
的確な分析
正確な決断
効率的な資材や人材の調達と配置

だが、実際に起こることは、まったく別の事態だ。
情報網の寸断や消滅
情報の不足や遅れ、デマの流布による混乱
決断の遅れや誤り
資材や人材の不足、配置ミス
避難手段の欠如
無駄な行動の多発


「現場」というものは、常に「情報が不完全な状態」にある。このことを忘れて、情報をパーフェクトにそろえないかぎり何も決断できないような組織を作るなら、そんな不安定で役たたずの組織は「現場」ではまったく機能しない。

例えば、「災害時に情報管理を完璧にこなせるシステム」なんてものを大金かけて構築しようとしている人がいるとしたら、そんなもの、非常時に役に立つわけがない。
また、大学の情報論の教授が、「いかに情報を完璧に収集し、完璧に行動するか」だけを論じるなら、そんな議論は何の役にも立たない。
また、もし災害の現場で「何やってるんだ! 完璧な情報を早くもってこい!」と、大声で怒鳴り散らしている管理者がいたら、そんアホウこそ「最も現場に必要ない人間」だ。(実際、東日本大震災時の首相菅直人はおそらくそういう風に行動したに違いない)


いつも思うことだが、『24』のようなアメリカのドラマは、シナリオとして、とてもよくできている。

というのは、時々刻々と変わる現場、情報の錯綜、「現場」と「管理者」との情報のズレ、現場の変化についていけず判断ミスを繰り返す頑迷な管理者、自分だけ正確な現状を理解している「主人公」が判断を躊躇している「組織」にどう対応すべきか、など、緊急時の「現場」に起こるさまざまなシークエンスの大半が、「情報の不完全性を前提に」描かれているからだ。
こういうドラマはえてして、無理すぎる設定、辻褄のあわないエピソード、キャストの都合によるシナリオの変更など、細かいミスが数多くあるわけだが(笑)、そういう制作上のいい加減さはともかくとして、「非常時に起こる情報のズレ、ギャップ、断片化など、非常時の情報収集に起こる混乱ぶりを描くことによってのみ表現できる、現代的なリアルさ」が、この「情報混乱時代」に生きる視聴者を飽きさせない理由だと思う。





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