October 01, 2018

樹木希林さんのご葬儀に前後して、たぶんかなり型破りな関係だろうと想像されてきたご主人との夫婦関係について、生前のやりとりの一部が公開され、世間で感動を呼んでいるようだ。

ブログ主には、世間の人たちと、希林さんの娘さんは、外からは理解しにくかった2人の奇妙な夫婦関係に「愛が存在することを発見して、ようやくホッとした」、というふうに見えた。



この記事でブログ主が言いたいことは、その「愛が存在することを確かめることでようやく安堵する現象」は、とても人間的ではあるものの、始末に負えない、人間特有の悪癖だ、ということだ。


後でわかったことだが、実際には、彼ら夫婦の間には、周囲にわかるかどうかは別にして、当初から「彼らなりのカタチでの恋愛や夫婦関係」があったようだ。

だが、希林さんの娘さんを含め、世間には、彼らにある種の「不安(人によっては嫌悪感)を覚えた人たち」がたくさんいた。
希林さんの娘も含めた世間が、希林さん夫妻の不思議な夫婦関係に、不安を覚えたり、人によっては嫌悪を抱いたりした理由は、おそらく「愛がないのに、関係だけ維持している」、「ああいうのは愛とはいえない」などといったネガティブな感情であり、それらをひとくるめに言えば、「先入観」である。



このケースで、人がなぜ不安を覚えるか。
人は、愛がたしかに存在することを確かめずにいられないという、非常に強い欲求から逃れられないからだ。



この「確かめずにいられない欲求」の一端について、女性向けアダルトビデオを制作しているという牧野江里さんという方が、「セックス」という切り口から、ある意味岡崎京子の漫画を文章にしたような秀逸な文章にまとめていらっしゃる。

参照:セックスは愛を確かめる行為ではない?エロメンから学ぶエクスタシーに達する方法|AM

牧野さんが不思議に思ったことを自分なりに受け止めて書きなおすと、人は「愛を確かめる行為こそセックスだ」と思いたがる。だが実際のセックスにおいては、相手の性感帯もわからないまま愛をたしかめようとするような、ある意味で無謀で乱暴な行為が頻繁に行われもする。
その結果、人は不幸なセックスを繰り返しながら、別れと出会いを繰り返す。
(この「愛」という部分は「幸福」といいかえてもいい。「セックスでこそ幸福が確かめられる」と思い込んでいる人がたくさんいるにもかかわらず、その方法論はといえば、「出たとこ勝負」だったりするのである)


ブログ主の今回の問題意識に換算してみよう。
すべての「出発点」は、これだ。

人は「愛というものの存在を確かめずにいられない」。


確かめずにいられない、確かめないと不安になる、と、いうのなら、確かめればいい、ただそれだけの話だ。

だが、現実にはどうか。
確かめない」で、不安だけ抱える、のである。
あるいは「不用意に、不手際だらけの手法で確かめようとして、関係を壊す」のである。


そういうことになってしまう理由はいくつか考えられるが、そのひとつが、「外部からは、そこに愛が存在することが簡単に確かめられないような人間関係」のケースだ。

例えば、「子供から見た、親の夫婦関係」がまさにそうだ。

ブログ主だけの理解かもしれないが(笑)、「恋愛感情も含め、夫婦の関係というものは、親子関係とは、まったく異質、まったく異次元のもの」であり、「子供から、両親の人間関係が見えるわけがないし、まして理解できるはずもない」のである。

だが、不思議なことに、そういう事例に出会うことは、まずない。「理解させるべき」「理解できるはず」「理解したい」「確かめたい」「理解したら美しい」、そんな安易なヒューマニズムのオンパレードで、人は洗脳されていく。

だからやたらと確かめたがる。


確かめないと、どうなるのか。
確かめない関係は可能なのか。


樹木さんなら、たぶんこう言うと思う。

「確かめたら、どうなのよ。あの人、家に帰ってくるの?(笑)
帰ってくるような人だったら、アナタ、うれしい?(笑)」


だから、ブログ主は言うのである。
あれは「恋」だ。と。

確かめることを放棄する(放棄させられる)ことから始まったロックな関係に、常識など通用しない。そのことはご当人が誰より理解していたはずだ。そういう関係にあてはめる言葉がない。「恋」とでも呼ぶほかない。




ちなみにブログ主は、両親が愛し合っていたかどうかとか、気にしたことがほとんどない。そのことで失った人間関係の感覚もある一方、そのことでしか得られなかった感覚もある。そのことは、自分自身が一番よくわかっている。

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