March 26, 2020
いまだに武漢ウイルスの感染について、世界のマスメディアはいまだに感染患者数や死亡者数といった、「表面的な数」ばかり追跡して、人の不安を煽り、買い物パニックを誘発し続けている。挙句の果てに、ニューヨーク・タイムズなどに至っては、「日本の感染者数が少なすぎる」とケチをつけ、検査が少なすぎるからだと無理矢理に理由づけして印象操作しようと必死になる始末だ。
本当に、くだらない。
マスメディアには、なんの責任感も、知性のカケラもない。
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いま必要なことは、何か。
数字の増加にまどわされてはいけない。
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「日本以外の世界」において、感染症の拡大を決める要素で重要なのは、
感染者数とか死亡者数といった、「数」にふりまわされてはいけない。「数」というのは、単体では時として意味がないのである。
世界で最も長い歴史をもつ国家である日本の場合は、「人の密度や、移動の自由度」のみで感染症の拡大度合いが決まるわけではなく、加えて、「衛生面を非常に重視して築き上げられてきた文化と、それを維持管理してきた非常に長い歴史」が「加算される」わけだが、そうしたハイレベルな文化的伝統をいますぐ全世界に求めることは残念ながら難しい。
なので、世界全体についてはやはり、「密度」と「移動の自由度」程度の簡単な指標で判断するほかない。
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例をあげる。
その地域に何人の医師がいるか、という「数値」があるとして、では、その数値から、その国や地域での医療サービスのレベルが推し量れるか、というと、それは無理だ。わかるわけがない。
例えば「ある地域に、医師がひとり」といっても、その地域の人口が「100億」なのか、「100人」なのかによって、『医師の密度』は、まったく変わるのである。
人は、「人口100人の過疎の村に、医師がひとり」というと、ものすごく「劣悪な環境」とか、「かわいそうに」とか、安易なヒューマニズムでモノを考えがちだ。
だが、「国別にみた、住民1000人あたりの医師数」は、世界ランキング1位のキューバですら「7人ちょっと」であり、日本全体でも「2人ちょっと」でしかない。だから「住民100人に医師ひとり」、つまり、「住民1000人あたり、医師10人」という状態は、実は「ダントツで世界No.1の医師密度」なのだ。
だから、「医師が何万人」とか「死亡者が何人」というような「数」そのものにはたいした意味はなく、なんの比較基準にもならない。
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話をもどす。
日本の住民1000人あたりの「医師密度」は「2人ちょっと」で、世界の先進国でみると、けして高くない。むしろ、かなり低い。
では、武漢ウイルスが感染爆発した国はどうだろう。
イタリアやスペインが「4人」前後で、世界のトップクラス。他に、フランスとかイギリスが「3人前後」だ。アメリカは日本とほとんどかわらない。
先進国を気取っている欧州の方々には、たいへん申し訳ないが、「住民1000人あたりの医師の多さ」は、感染症の防御力にならないということが、こんなに簡単に明らかになる。先進国のみなさんはたいへんデリケートで、理解したがらないだろうが(笑)事実なのだからしょうがない。
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では感染者数を、まずは「リニアなグラフ」でみてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020
最も下にある「横ばいの、茶色の線」が
わが日本である。
このグラフは、縦軸の目盛りが、10000、20000、30000というふうに、「10000単位」でできている。一定の幅でできている「リニア」なグラフだ。
日本の茶色のグラフが「横軸にくっつかんばかり」に横に伸びている。「感染者数の少なさ」は一目瞭然だ。これだけでも、日本がいかにこの感染症をコントロールできているかがわかる。
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では、サービスとして(笑)感染者数を「住民100万人あたり」に直したグラフにしてみる。何か変化があるだろうか。(日本のグラフの位置があまりにもわかりづらいので、赤い丸をブログ側でつけてある)
ソース:Coronavirus Disease (COVID-19) – the data - Our World in Data viewed 03/26/2020
「人口100万人あたり」でみると、なかなか面白いことがわかる。
無能なライターやマスメディアが、日本をこきおろす目的で日本との比較にやたらと使いたがる「感染者数の少ない国」は、アジアではシンガポール、台湾などだが、それは『感染者の密度』で考えれば、根本的に間違いだ。
だが、(別に武漢ウイルスを発生させた重すぎる責任のある中国を懐柔する意味でなく言うのだが)シンガポールの「100万人あたりの患者数」は、武漢肺炎大国の中国を既に越えてしまっている。
また、(これも友好国である台湾に対して悪意からではなく言うのだが)台湾の「100万人あたりの患者数」は、日本とたいした差はない。
また、欧米メディアが感染への対処成功例として「検査数の多さ」を理由に持ち上げたがるのは韓国だが、その「住民100万人あたりの感染者数」は「中国のほぼ2倍」という、べらぼうな数なのであって、初期対応が見事だ、などとはとてもいえず、各国、特にアメリカでの報道ぶりが事実をロクに見ていないことは明らかだ。
ちなみに、この「100万人あたりの感染者数」は、指数関数の感染者数グラフに慣れた人でも、あまり見ていないと思う。というのも、シンガポールや台湾が「人口あたりでみると、感染者数が想像以上に多く、感染者の密度が高いこと」は、どのマスメディア、どのSNSでも、ほとんど指摘がみあたらないからだ。
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さて、さらにこんどは
グラフの縦軸を対数、log scaleにしてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020
他のグラフ同様、最も下にある「横ばいの、茶色の線」が
わが日本である。
最初に挙げた、同じソースからひっぱった「リニアなグラフ」と比べると、事態の見え方の違いがわかる。
「グラフの縦軸が対数で、できている」というグラフの特性で、「感染者数がものすごく多い国」と、「感染者数がものすごく少ない国」が、非常に接近してみえるのである。
であればこそ、さらっと見ただけの人の中には、「日本には感染者が大勢いるんじゃないか」などと勘違いしてしまう人がいるかもしれないのである。
だが、それは「錯覚」にすぎない。
グラフの上のほうの部分の「目盛り」が「1万から10万まで」と「10000が単位」であるのに対し、グラフの下のほうの部分の「目盛り」は、「1、100、1000」と、おおよそ「100単位」なのである。
上と下とでは、目盛りの1単位が「100倍も違う」のだから、「数そのもの」はここでは何の意味もなさないのだ。
対数グラフにすることの主な意味は、
特に、人口の多い国、例えば中国やアメリカでは、毎日100人単位、1000人単位で感染者や死亡者が出る。そのため、単に人数だけを追いかけてしまうと、数字の大きさにまどわされ、事態が悪化の一途をたどっているようにしか見えない。
それでは、「事態の大きな変化」が見えてこない。
では、対数グラフにすると、何がいいのか。
例えば、ここが最大のボトルネックだが、「グラフが寝てきた、フラットになってきた」時点では、「まだ感染者が多数発生している状態」ではある。だからもし「感染者数の発表だけしか見てない」と、ただ憂鬱になるだけで終わってしまい、不安はまるで解消されない。
だが、対数グラフでは、たとえ「まだ感染者が多数発生している状態」であっても、「グラフが寝てきた、フラットになってきたこと」によって、「その国での感染のピークがやや過ぎつつある段階に入るのかもしれない」という意味であることがわかるのである。
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さて、ついでだから、
こんどはグラフの縦軸を対数、log scale、
かつ、「人口100万人あたり」にしてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020
他のグラフ同様、最も下にある「横ばいの、茶色の線」が
わが日本である。
「縦軸を対数にしただけのグラフ」と、「縦軸を対数かつ人口比にしたグラフ」では、ほとんどの国でポジショニングの違いは起こらない。例えば、中国、アメリカ、イタリア、スペインなどの位置付けはほとんど変わらないのである。なぜなら、これらの国が「人口も感染者数も、両方が多い国だから」である。
日本についても、位置付けはほとんど同じだが、その意味するところは、中国やアメリカなどとは、まったく違う。
日本は、世界で人口10位と、多いほうから数えたほうが早い国であるにもかかわらず、「武漢ウイルス感染者数では、世界で最も感染の少ない国のひとつ」なのである。この日本の優秀さを認識しようとしないメディアが多いのには、まったくもって理解しかねる。
ちなみに、「縦軸を『対数+人口比』にしたグラフ」で見えてくるのは、むしろ、「人口が少ないからわかりにくい、隠れ感染国」の存在である。いい例がアジアではシンガポール、ヨーロパではスイスだ。
世界の報道ではシンガポールが感染対策で大成功などと宣伝されることも多々あるが、騙されてはいけない。「狭い国土の国」は、たとえ人口が少なくても、「人の密度」は高い。
感染症という事態において、「密度」はとても重要なのだ。世界各国の大都市で感染が大発生するのが当たり前であるように、「国土の狭い国」でも大きな感染は起こる。だが、そんな当たり前のことでさえ、感染者数だけ見ていると気づかないのである。
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ブログ主はなにも、対数で見ないとダメだ、などとは思っていない。適宜、場合と目的に応じて、フレキシブルにさまざまな数字を見ていけばいいとは思う。
だが、毎日のように感染者数が増えました、死亡者がこれこれ、などと、人々の不安を煽るようなことしか言わない無能なテレビや新聞のような馬鹿げた報道ぶりに、あきれてモノがいえないのである。
何度もツイッターで発言しているとおり、今の日本は、「世界でも有数の、感染者数の少ない国」であり、「世界でも稀有な、人口が多いのに感染者数の少ない国」であり、「感染者数の増加傾向の変化を示す対数グラフのカーブが寝てきていることからわかるように、感染の増加のピークを越えつつあるところにある、数少ない国のひとつ」なのだ。
だが、東京という巨大な都市はちょっと別で、今後の推移を見ていかなければいけない、「どちらにころぶか、わからない状態にあること」が、数字の微妙な傾向からわかる、と言っているのである。
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日本全体が無能なマスメディアに踊らされることなく、責任と自覚ある行動、日本人らしい他人を思いやる行動をとることを、心から願っている。
本当に、くだらない。
マスメディアには、なんの責任感も、知性のカケラもない。
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いま必要なことは、何か。
「事態の推移を見ること」だ。
数字の増加にまどわされてはいけない。
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「日本以外の世界」において、感染症の拡大を決める要素で重要なのは、
人の「密度」と「移動の自由度」だ。
感染者数とか死亡者数といった、「数」にふりまわされてはいけない。「数」というのは、単体では時として意味がないのである。
世界で最も長い歴史をもつ国家である日本の場合は、「人の密度や、移動の自由度」のみで感染症の拡大度合いが決まるわけではなく、加えて、「衛生面を非常に重視して築き上げられてきた文化と、それを維持管理してきた非常に長い歴史」が「加算される」わけだが、そうしたハイレベルな文化的伝統をいますぐ全世界に求めることは残念ながら難しい。
なので、世界全体についてはやはり、「密度」と「移動の自由度」程度の簡単な指標で判断するほかない。
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例をあげる。
その地域に何人の医師がいるか、という「数値」があるとして、では、その数値から、その国や地域での医療サービスのレベルが推し量れるか、というと、それは無理だ。わかるわけがない。
例えば「ある地域に、医師がひとり」といっても、その地域の人口が「100億」なのか、「100人」なのかによって、『医師の密度』は、まったく変わるのである。
人は、「人口100人の過疎の村に、医師がひとり」というと、ものすごく「劣悪な環境」とか、「かわいそうに」とか、安易なヒューマニズムでモノを考えがちだ。
だが、「国別にみた、住民1000人あたりの医師数」は、世界ランキング1位のキューバですら「7人ちょっと」であり、日本全体でも「2人ちょっと」でしかない。だから「住民100人に医師ひとり」、つまり、「住民1000人あたり、医師10人」という状態は、実は「ダントツで世界No.1の医師密度」なのだ。
だから、「医師が何万人」とか「死亡者が何人」というような「数」そのものにはたいした意味はなく、なんの比較基準にもならない。
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話をもどす。
日本の住民1000人あたりの「医師密度」は「2人ちょっと」で、世界の先進国でみると、けして高くない。むしろ、かなり低い。
では、武漢ウイルスが感染爆発した国はどうだろう。
イタリアやスペインが「4人」前後で、世界のトップクラス。他に、フランスとかイギリスが「3人前後」だ。アメリカは日本とほとんどかわらない。
先進国を気取っている欧州の方々には、たいへん申し訳ないが、「住民1000人あたりの医師の多さ」は、感染症の防御力にならないということが、こんなに簡単に明らかになる。先進国のみなさんはたいへんデリケートで、理解したがらないだろうが(笑)事実なのだからしょうがない。
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では感染者数を、まずは「リニアなグラフ」でみてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020
最も下にある「横ばいの、茶色の線」が
わが日本である。
このグラフは、縦軸の目盛りが、10000、20000、30000というふうに、「10000単位」でできている。一定の幅でできている「リニア」なグラフだ。
日本の茶色のグラフが「横軸にくっつかんばかり」に横に伸びている。「感染者数の少なさ」は一目瞭然だ。これだけでも、日本がいかにこの感染症をコントロールできているかがわかる。
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では、サービスとして(笑)感染者数を「住民100万人あたり」に直したグラフにしてみる。何か変化があるだろうか。(日本のグラフの位置があまりにもわかりづらいので、赤い丸をブログ側でつけてある)
ソース:Coronavirus Disease (COVID-19) – the data - Our World in Data viewed 03/26/2020
「人口100万人あたり」でみると、なかなか面白いことがわかる。
無能なライターやマスメディアが、日本をこきおろす目的で日本との比較にやたらと使いたがる「感染者数の少ない国」は、アジアではシンガポール、台湾などだが、それは『感染者の密度』で考えれば、根本的に間違いだ。
だが、(別に武漢ウイルスを発生させた重すぎる責任のある中国を懐柔する意味でなく言うのだが)シンガポールの「100万人あたりの患者数」は、武漢肺炎大国の中国を既に越えてしまっている。
また、(これも友好国である台湾に対して悪意からではなく言うのだが)台湾の「100万人あたりの患者数」は、日本とたいした差はない。
また、欧米メディアが感染への対処成功例として「検査数の多さ」を理由に持ち上げたがるのは韓国だが、その「住民100万人あたりの感染者数」は「中国のほぼ2倍」という、べらぼうな数なのであって、初期対応が見事だ、などとはとてもいえず、各国、特にアメリカでの報道ぶりが事実をロクに見ていないことは明らかだ。
ちなみに、この「100万人あたりの感染者数」は、指数関数の感染者数グラフに慣れた人でも、あまり見ていないと思う。というのも、シンガポールや台湾が「人口あたりでみると、感染者数が想像以上に多く、感染者の密度が高いこと」は、どのマスメディア、どのSNSでも、ほとんど指摘がみあたらないからだ。
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さて、さらにこんどは
グラフの縦軸を対数、log scaleにしてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020
他のグラフ同様、最も下にある「横ばいの、茶色の線」が
わが日本である。
最初に挙げた、同じソースからひっぱった「リニアなグラフ」と比べると、事態の見え方の違いがわかる。
「グラフの縦軸が対数で、できている」というグラフの特性で、「感染者数がものすごく多い国」と、「感染者数がものすごく少ない国」が、非常に接近してみえるのである。
であればこそ、さらっと見ただけの人の中には、「日本には感染者が大勢いるんじゃないか」などと勘違いしてしまう人がいるかもしれないのである。
だが、それは「錯覚」にすぎない。
グラフの上のほうの部分の「目盛り」が「1万から10万まで」と「10000が単位」であるのに対し、グラフの下のほうの部分の「目盛り」は、「1、100、1000」と、おおよそ「100単位」なのである。
上と下とでは、目盛りの1単位が「100倍も違う」のだから、「数そのもの」はここでは何の意味もなさないのだ。
対数グラフにすることの主な意味は、
「カーブの傾きから、感染拡大の『傾向』がどう変化しているかを読みとること、そしてもし可能ならば、近い将来の状態を予測して、それを対策に活かすこと」だ。このグラフには人数の多さを比較する意味はない。
グラフが「立っている」間は、感染が「かなり爆発的にピークに向かって進む状態」だし、グラフが「寝て」くれば、「感染拡大が止まっていく傾向にある」のである。
特に、人口の多い国、例えば中国やアメリカでは、毎日100人単位、1000人単位で感染者や死亡者が出る。そのため、単に人数だけを追いかけてしまうと、数字の大きさにまどわされ、事態が悪化の一途をたどっているようにしか見えない。
それでは、「事態の大きな変化」が見えてこない。
では、対数グラフにすると、何がいいのか。
例えば、ここが最大のボトルネックだが、「グラフが寝てきた、フラットになってきた」時点では、「まだ感染者が多数発生している状態」ではある。だからもし「感染者数の発表だけしか見てない」と、ただ憂鬱になるだけで終わってしまい、不安はまるで解消されない。
だが、対数グラフでは、たとえ「まだ感染者が多数発生している状態」であっても、「グラフが寝てきた、フラットになってきたこと」によって、「その国での感染のピークがやや過ぎつつある段階に入るのかもしれない」という意味であることがわかるのである。
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さて、ついでだから、
こんどはグラフの縦軸を対数、log scale、
かつ、「人口100万人あたり」にしてみる。
ソース:http://nrg.cs.ucl.ac.uk/mjh/covid19/ =イギリスの大学であるロンドンカレッジユニバーシティの研究者のサイト viewed 03/26/2020
他のグラフ同様、最も下にある「横ばいの、茶色の線」が
わが日本である。
「縦軸を対数にしただけのグラフ」と、「縦軸を対数かつ人口比にしたグラフ」では、ほとんどの国でポジショニングの違いは起こらない。例えば、中国、アメリカ、イタリア、スペインなどの位置付けはほとんど変わらないのである。なぜなら、これらの国が「人口も感染者数も、両方が多い国だから」である。
日本についても、位置付けはほとんど同じだが、その意味するところは、中国やアメリカなどとは、まったく違う。
日本は、世界で人口10位と、多いほうから数えたほうが早い国であるにもかかわらず、「武漢ウイルス感染者数では、世界で最も感染の少ない国のひとつ」なのである。この日本の優秀さを認識しようとしないメディアが多いのには、まったくもって理解しかねる。
ちなみに、「縦軸を『対数+人口比』にしたグラフ」で見えてくるのは、むしろ、「人口が少ないからわかりにくい、隠れ感染国」の存在である。いい例がアジアではシンガポール、ヨーロパではスイスだ。
世界の報道ではシンガポールが感染対策で大成功などと宣伝されることも多々あるが、騙されてはいけない。「狭い国土の国」は、たとえ人口が少なくても、「人の密度」は高い。
感染症という事態において、「密度」はとても重要なのだ。世界各国の大都市で感染が大発生するのが当たり前であるように、「国土の狭い国」でも大きな感染は起こる。だが、そんな当たり前のことでさえ、感染者数だけ見ていると気づかないのである。
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ブログ主はなにも、対数で見ないとダメだ、などとは思っていない。適宜、場合と目的に応じて、フレキシブルにさまざまな数字を見ていけばいいとは思う。
だが、毎日のように感染者数が増えました、死亡者がこれこれ、などと、人々の不安を煽るようなことしか言わない無能なテレビや新聞のような馬鹿げた報道ぶりに、あきれてモノがいえないのである。
何度もツイッターで発言しているとおり、今の日本は、「世界でも有数の、感染者数の少ない国」であり、「世界でも稀有な、人口が多いのに感染者数の少ない国」であり、「感染者数の増加傾向の変化を示す対数グラフのカーブが寝てきていることからわかるように、感染の増加のピークを越えつつあるところにある、数少ない国のひとつ」なのだ。
だが、東京という巨大な都市はちょっと別で、今後の推移を見ていかなければいけない、「どちらにころぶか、わからない状態にあること」が、数字の微妙な傾向からわかる、と言っているのである。
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日本全体が無能なマスメディアに踊らされることなく、責任と自覚ある行動、日本人らしい他人を思いやる行動をとることを、心から願っている。