January 2010

January 17, 2010

メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」
『damejimaノート』(10)

「MLB的カウント論」研究 <1>
なぜアメリカの配球教科書の配球パターンは
4球」で書かれているのか?




2009年に、アメリカで教科書的に教えられている配球パターンが日本といかに違うかを紹介する意味で、ウェブサイト上に公開されている「6つの典型的配球パターン」というのを紹介したことがある。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』(1)「外角低め」「ストレート」という迷信

Pitching Professor Home Pageを主催するJohn Bagonzi氏によるもの(WebBall.com - Pitch Sequence & Selection)で、ストレート、カーブ、チェンジアップと、3つの限定された球種だけを使い、6つの配球パターンを創案されている。
(彼自身がサイトで公表しているだけでなく他サイトにも転載されているので、記事では勝手に孫引きさせてもらったが、もし問題があればTwitter (http://twitter.com/damejima/)にでもご連絡をしていただければ対応したい)


メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」『damejimaノート』というシリーズの9回目までの部分で扱った「日米の配球の根本的な違い」という話題については、(それを反響と呼ばせてもらっていいかどうかわからないが)ありがたいことに内容に触れていただいた記事を目にしたことがある。
だが、John Bagonzi氏による6つの配球パターンの、ひと目みれば誰もがわかる「ある、わかりやすい特徴」については、残念ながら、いまだどなたも触れた形跡はない。

それは、6つのパターンすべてが、下記の4TH SEQUENCEにみられるように、全てのパターンが「4球」で記述されていることである。
(4TH SEQUENCE以外の5つのパターンは、次のリンクを参照。すべてが「4球」で構成されている。:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』(1)「外角低め」「ストレート」という迷信

例:4TH SEQUENCE
Away, away and in


1. Fastball lower outer half
2. Repeat fastball lower outer half
3. Curveball away
4. Fastball up and in


なぜ5球でも、3球でもなく、
「4球」で配球パターンを構成するのか?

もちろん説明しきれるはずもないが、考えてみる価値はある。MLBのバッテリーにとって「カウント」のもっている意味、いわゆる「カウント論」とかいうやつだ。

そもそもカウントは本来、配球論のベースのひとつにほかならないはずだが、日米の間では、以前にいろいろ書いたように「配球」に違いがあるだけでなく、配球以前の「カウント」に対する考え方においても、あらゆる面で大きな違いがあるような気がする。
例えば、日本でカウントごとに漫然と分類されて考えられている「投手有利」だの、「打者有利」「五分五分」だのという話にしても、あまりに感覚的であり、果たしてMLBの実態に沿っているか? 根拠はあるのか? という疑問があった。


たとえば、この「なぜ4球なのか?」という問いに、「メジャーは球数制限があるから、手早く打者を片付けることに目標を置いているから」とか言えば、あたかも話が済んでしまうかのように思うかもしれないが、そんな馬鹿馬鹿しい説明では、まるで説明にならない。
「打者をうちとることのできるパターンをどうしても『4球』で創造すべき必然性」が、たとえ片鱗であっても説明できなければ、なんの意味もない。

さらにもうひとつ、話にならないほど間違った解答例をあげてみると、「2ストライク(つまり、投手有利なカウント)に打者を追い込んだ後、外角に1球外すから、『4球目が勝負』という意味だろう?」などという戯言(タワゴト)に至っては、まったくお話にならない。
(そんなことくらい誰でもわかりそうなものだが、大なり小なり、「0-2カウントが、どこの国でも、投手にとって最も有利なカウント」だの、「打者を追い込んだら外に遊び球」だの、そういうおかしな先入観にまみれたままMLBを見ている人は案外多いから困る)

6つの配球パターンを読むとき、先入観として、「どのパターンでも最初の2球で投手はできるだけストライクをとり、打者を、いわゆる『投手有利な0-2カウント』に追い込むことを目指す」と思いこんで読む人が多いかもしれないが、そんなこと、配球教科書のどこにも書かれてない。

実際「0-2カウントが最も投手に有利」なんていう話自体、ある意味ただの与太話、先入観であって、「打者という他者の存在と、0-2カウントを実現させるための投手側の多大なリスク」を無視した、ただの脳内お花畑以外の何モノでもない。「打者という他者の存在を想定しない配球」など、なんの意味もない。
0-2カウントがいつでも簡単につくれるくらいなら、投手は誰も苦労などしないし、配球論など必要ない。
また、投手に大きなリスクを犯させてまで「0-2」を無理に実現しようとする配球を強要するメリットは、実際にはほとんどない、と考える。わかりやすくいえば、0-2カウントを無理に実現しようとして初球と2球目を打たれまくっていては、なんの意味もないのである。


そんなだから、またぞろコネ捕手城島のような、あらゆるタイプの投手に三振配球を強要したりする、単調で、能の無い、先入観まみれの出来の悪い捕手が、はるばるアメリカにまでやってきてしまうのだ。
城島の他者を想定しない自己満足で非現実な配球のせいで、シアトルの投手がどれだけの「無用なリスク」を背負い、どれだけの失点をしたことか。


メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」『damejimaノート』というシリーズの10回目以降では、イチロー、ボビー・アブレイユなど、実際のMLB好打者たちの例をひきあいに出したりしながら、
「なぜイチローは、リベラの初球をホームランできたのか」
「なぜイチローの唯一の苦手カウントが、1-2なのか」
「なぜメジャーの投手のメッタ打ちパターンは『初球、2球目を連打され続けるのか?」

といった話を
「なぜアメリカの配球教科書に挙げられている配球パターンは、『4球』で書かれているのか?」
「なぜHardball Timesは、カウント1-1を研究したりする必要があるのか?」

といった話題につなげて、「なぜ4球なのか?」という疑問に多少なりとも糸口をつけていければと思う。

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9回裏、1点ビハインド。
2人が三振し、2死。
代打スウィーニーが2塁打を放つ。代走はソーンダース。
打席に入るイチローの動作はいつもと変わらない。

初球。

雷鳴に似た歓声。
インコースにややボール気味に投げこまれたカットボールが、総立ちのライトスタンドに吸い込まれて消えていく。見送りながら、マリアーノ・リベラは何度も怒鳴る。"No!、No!"

憮然とした顔でマウンドを去っていくマリアーノにかわって主役がプレートを踏むと、シアトルの長い長い祝賀会が始まった。

サヨナラホームランを打ったイチローを出迎えるマイク・スウィニー

Ichiro's walk-off shot stuns Mariano, Yanks | Mariners.com: News

NY Yankees vs. Seattle - September 18, 2009 | MLB.com: Gameday

2009年9月18日イチロー、サヨナラ2ランfromマリアーノ・リベライチローのサヨナラ2ラン
初球カットボール。

イチローサヨナラ2ランの後ハグするヘルナンデスとロブ


カットボール連投で2三振させていたリベラが
スウィニーへの初球にかぎってストレートだった不思議


9回裏にハナハン、カープと連続三振をとったリベラの投げた球種は、全球カットボール。彼らの打撃ではまったくリベラの得意球カットボールに歯が立たなかった。
次打者はジョシュ・ウィルソンだったが、ここで監督ワカマツはスウィニーを代打に送った。このゲームはシアトルの順位を上げるものではなかったが、ヘルナンデスにとってはサイ・ヤング賞のかかった重要なゲームのひとつだったから当然だ。
ここで不思議なのは、マリアーノ・リベラが、スウィニーへの初球に、カットボールではなく、ストレートを選んだこと。次の打者がイチローでもあるし、ここでゲームを終わりたいのは当然であるにしても、ちょっと不思議なことである。


「2球目強打者」、マイク・スウィニー。

スウィニーは、基本は早打ち打者だが、カウントによって打ち方をはっきり決める、ちょっと不思議なバッティングをする。
スウィニーにとっての初球は長打狙いのカウントで、必ずといっていいほど強振してくる。打率は低い。打数が多く、2009までの3シーズンで最多。ホームランも、17本のうち5本を打っていて、最多。
2球目、ここがスウィニーの「得意カウント」である。1-0であれ、0-1であれ、非常に高い打率とOPSを記録している。2球目の打率は妙に高い。

2009 スウィニー カウント別打率
Count 0-0 .200 OPS.595 打数40(最多)
Count 0-1 .435
Count 1-0 .556
Count 1-1 .300
Mike Sweeney Stats, News, Photos - Seattle Mariners - ESPN

2007〜2009 スウィニー カウント別打率
Count 0-0 .260 OPS.716 打数127(最多) 
Count 0-1 .364
Count 1-0 .377
Count 1-1 .313
スウィニーの3シーズンの打撃スタッツ
Mike Sweeney Stats, News, Photos - Seattle Mariners - ESPN


あれだけカットボールを連投していた投手のリベラが、スウィニーへの初球にストレートを選んだのはなぜだろう。スウィニーが早打ち打者だとわかっていたから、わざと球種を変え、2球目にカットボールを投げる予定だったのだろうか。
また、カットボール連投で2三振くらうのをベンチで見ていたスウィニーのほうも、自分の打席に限って、初球にカットボールでなくストレートが来ることは予測していたのだろうか。なぜ初球のストレートを見送って、得意の2球目にスイングするほうを選ばなかったのか。

わからないことだらけだが、これだから本当に野球は面白い。
リベラがスウィニーに、このイニングで初めてストレートを投げて打たれたことは、イチローの初球にカットボールを投げる(というか、ストレートを投げられなくなった)伏線になっている。

2009年9月18日代打スウィニー2塁打マイク・スウィニーの2塁打
初球ストレート。
初球に長打を狙ってフルスイングするのは、いつものスウィニーの打撃パターンそのもの。



苦手カウントの存在しないイチロー

最近「damejima版カウント論」なるものをちょっと考えていて、もうすぐまとまるので長々と連載する予定なのだが、イチローという打者の天才ぶりには、あらためて驚かされた。
スウィニーにとっての「2球目」のように、イチローにも得意カウントがあるといえばある(0-0、1-0など)のだが、そんな些細なことより驚かされるのは「不得意カウント」というものがほぼ存在しないことだ。
イチローは0-2と追い込まれても、フルカウントでも、3割打てる。こんな打者、そうそういない。だからこそ、毎年のように高打率が残せるのだろうが、ほとほと関心する。

ただ「ほぼ」、と書いたのにはもちろん意味があって、穴のまったく存在しない天才野球少年イチローにあっても、たったひとつ「苦手カウント」というものは存在している。いや、むしろ、ひとつでも存在していることが不思議なくらいだ。そのことについては後日書く。(次の記事以降を参照:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:メジャーと日本の配球論の差異から考える「城島問題」 『damejimaノート』(10) 「MLB的カウント論」研究 <1> なぜアメリカの配球教科書の配球パターンは「4球」で書かれているのか?


初球の打率4割のイチローに
初球勝負をかけ「られて」負けたリベラ


イチローのホームランは、投手のリベラではなく、打者側のイチローが「勝負をかけて、勝った」とみるほうが現実に即していそうだ。この3年間のイチローの得意カウントの打率はこうなっている。
0-0 .402
0-1 .401
1-1 .394
どうだろう、この異様な打率の高さ(笑)
だが、これだけを見て、イチローを「早打ち打者」と決め付けるのは、実際のゲームを見ていない証拠だ。実際のゲームをみれば、いかにイチローが頻繁に「初球ストライクをやすやすと見逃している」ケースが多いか、わかる。「どうしてあれを振らないんだ」と、ファンがやきもきするほど、その数は多い(苦笑)

だが、これも勘違いしてはいけない。
こんど書く予定のカウント論を先取りして言うなら、「メジャーの好打者はほとんどの場合、初球、2球目の打率は、誰でもびっくりするほど高い」ことが多いものなのだ。彼らの追い込まれてからの打率傾向は打者によって大きく違うものだが、初球、2球目についてはほぼ共通して打率が異様に高い。
イチローの初球の打率が高いからといって、その程度のデータでイチローを「早打ち」と決め付けるのは、まったくもって間違いだ。イチローのケースでは、「あらゆるカウントで打てる」というのが、むしろ正解。
Ichiro Suzuki Stats, News, Photos - Seattle Mariners - ESPN


この劇的なサヨナラで16勝目をあげたヘルナンデスは、わずか104球(65ストライク、39ボール)で9回を投げ抜いて、1点負けたままベンチで9回裏を迎えた。劇的な勝ちをもたらしたイチローのあまりにも劇的なサヨナラホームランで好投が霞んでしまったが、104球で強打のNYYに9回投げきったのだからたいしたものだ。
負けも覚悟したであろうヘルナンデスにとっては、ここで負けてはサイ・ヤング賞レースが終わってしまっていた可能性もあった。だからこそ逆転を信じて9回まで投げさせたわけで、試合後のヘルナンデスが興奮してイチローに抱きついて喜んだのも非常によくわかる。

この日のピッチングは、なんといってもグラウンドアウト(GO)を16もとったことが画期的に素晴らしい。これほどの数は、いくらヘルナンデスがグラウンドボールピッチャーといえど、今シーズン最高の数のグラウンドアウトだ。

ヘルナンデスがフライボールピッチャーばかり揃ったシアトルでは非常に珍しいグラウンドボールピッチャーであることは、一度指摘したことがある。
1試合で三振を15以上も獲ることももちろんすごい偉業だが、グラウンドアウトを16もそうそうとれるものでもない。キング・オブ・グラウンドボールピッチャーは、MLB全体でならロイ・ハラデイだが、シアトルではフェリックスだ。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2009年9月24日、先発ゲーム4連勝のロブ・ジョンソン二塁打2四球、ヘルナンデス11三振で17勝目。サイ・ヤング賞レースに生き残る。9月8日の城島のサヨナラ負けがなければ、9月のア・リーグ月間最優秀投手はとっくにヘルナンデスに決まっていた。

ヘルナンデスのGB/AB、GO/AO
(カッコ内はESPN、それ以外はBASEBALL REFERENCE
2005 2.08(2.14)  2.93
2006 1.40(1.41)  2.09
2007 1.55(1.60)  2.56
2008 1.06(1.10)  1.62
2009 1.13(1.17)  1.55
キャリア   1.31 (1.35)  1.95
MLB AVG. 0.78       1.06

Felix Hernandez Pitching Statistics and History - Baseball-Reference.com

Felix Hernandez Stats, News, Photos - Seattle Mariners - ESPN






January 07, 2010

ノーラン・ライアンのコーチを受ける若き日のランディ・ジョンソンピッチング改造に取り組む
若き日のランディ・ジョンソン

“I was 40 years old, and to throw a 98-mile-an-hour in the ninth inning for the last out of the game, I still remember that,” Johnson said.
引退記者会見:自らのキャリアで最も輝ける瞬間は? と問われたランディ・ジョンソンは、「40歳の年齢で完全試合を達成し、そして9回でも98マイルを投げられたこと」と答えた)
Randy Johnson Retires; Matt Holliday Remains With Cardinals - NYTimes.com



2004年5月18日
ランディ・ジョンソン完全試合のBOX SCORE

May 18, 2004 Arizona Diamondbacks at Atlanta Braves Play by Play and Box Score - Baseball-Reference.com


ノーコン時代のランディ・ジョンソン

引退を発表したランディ・ジョンソンのキャリアをまとめたMLB Tonightの動画をみると、若き日のランディがひどいノーコン投手で、四球を出しまくっていたことを示す貴重なゲーム映像や、ノーラン・ライアンの指導を受けたことでピッチングが大きく改善され、大投手への道を歩きだしたことなど、ランディの22年の長いキャリアが一望できる。たいへんよくできた動画なので、ぜひ見てもらいたい。
MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson
Baseball Video Highlights & Clips | MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson - Video | MLB.com: Multimedia

ノーコン時代のランディ・ジョンソンの
与四球数・WHIP・K/BB

1989年 96   1.51  1.49
1990年 120  1.34  1.62
1991年 152  1.50  1.50
(=ノーラン・ライアンがPitcher's Bibleを発行した年)
1992年 144  1.42  1.67
1993年 99   1.11  3.11
1994年 72   1.19  2.83
Randy Johnson Statistics and History - Baseball-Reference.com

動画によればランディが1989年にシアトルにやってきたのは、あまりにもノーコンすぎてモントリオール・エクスポズにいられなくなったからだ。シアトルでの最初の4年間も、当時のWHIPの悪さをみればわかるように、四球数が毎シーズン100を越えていた。
シアトルに来たばかりのランディがまだたいした投手ではなかったことをみると、1990年代のマリナーズの観客動員がまだまだ低い数字に終わっていた理由もわかる。初期のランディ・ジョンソンは、まだ「ビッグ・ユニット」ランディ・ジョンソンではなく、ブランドン・モローのような、豪速球のノーコン投手のひとりにすぎなかったわけだ。(これはモローがダメ投手という意味ではない。ノーコンを修正するのは、ランディ・ジョンソン、ノーラン・ライアンでさえ、周囲の多大な協力があってはじめて実現した、ということである)

創立時以来のマリナーズ観客動員数推移グラフ


ランディ・ジョンソンのノーコン矯正のきっかけを作った
「ジ・エクスプレス」ノーラン・ライアンと
投手コーチのトム・ハウス


MLB Tonightの動画でランディ・ジョンソンのピッチング・フォームの改善のきっかけはノーラン・ライアンによるピッチング指導などと説明されているが、ライアンはランディがシアトルに移籍した90年代前半にはまだ現役投手であり、生まれ故郷のテキサスに所属していたわけで、なぜ同地区ライバルチームの投手であるランディをコーチングするに至ったのか? ちょっと経緯はよくわからない。
それはともかく、ノーラン・ライアンの投球術指導の能力の高さは、現在では折り紙つきだ。(例:スポーツ大陸)ノーラン・ライアンの著書Nolan Ryan's Pitcher's Bible (with Tom House, 1991)は、メジャー投手たちのピッチングの定番教科書となっていることで有名であり、ボストン松阪大輔の愛読書としても知られている。

このNolan Ryan's Pitcher's Bibleは、ライアンと、1985年にテキサスで投手コーチに就任し、80年代のノーラン・ライアンを甦らせたといわれている心理学の得意なトム・ハウスとの共著。
トム・ハウスはシアトル生まれの元投手で、いくつかの球団を経て、球団として発足したばかりの頃のマリナーズに入団、77年と78年に2シーズン投げて故郷のシアトルで引退している。
Tom House - Wikipedia, the free encyclopedia

コーチとしてのトム・ハウスはシアトルに在籍したことはないのだが、ランディ・ジョンソンとどこで接点があったのだろう?
ランディが若い頃に所属したモントリオールやシアトルでは、トム・ハウスのコーチ歴はないが、両者ともアストロズなら在籍したことがある。そのため、最初はトム・ハウスがランディを指導するとしたら、98年のランディのアストロズ在籍時か?とか思ったのだが、ランディはヒューストンに移籍する前の96年にトム・ハウスの共著でFit to Pitch(Human Kinetics Publishers, 1996. ISBN 0-87322-882-0. With Randy Johnson.)という本を出版している。
つまり、ランディとトム・ハウスの関係が始まったのは、90年代後半ではないく、90年代前半のシアトル時代なのは間違いない。

ちなみに下記の現地記事でも、ランディがトム・ハウスのコーチングを受けたのは、やはり90年代初頭のランディのシアトル時代、としている。やはりランディがシアトルにいて、他方ノーラン・ライアンとトム・ハウスがテキサスにいた90年代前半に、彼らの親密な関係は始まっている。
In the struggle to overcome his problems with ball control, Johnson got some valuable tips from world-famous pitching authority Tom House during the early 1990s. At the time House was pitching coach for the Texas Rangers.
Randy Johnson - Related Biography: Pitching Coach Tom House

これはただの想像だが、1991年時点ではノーラン・ライアンが、トム・ハウスとの共著Nolan Ryan's Pitcher's Bible本を出版したばかりの時代で、出したばかりの本のプロモーションがわりに、別球団のシアトルのノーコン投手ランディ・ジョンソンを指導してみせて、著書の内容の正しさを世間にデモンストレーションした、ということかもしれない。
指導対象にシアトルの投手を選んだのは、トム・ハウスがシアトル生まれで、しかも70年代にシアトルで投手をしていたというコネクションを利用したのかもしれない。
Nolan Ryan - Wikipedia, the free encyclopedia
ちなみに、テキサスで1988年にメジャーデビューした19歳のイヴァン・ロドリゲスがメジャー昇格2日目の6月21日にバッテリーを組んだのは、44歳のノーラン・ライアンだった。まだ新人のパッジも、おそらくノーラン・ライアンからは色々と感化されたに違いない。(そのわりには近年のリードは単調さが目立つが 苦笑)
Historical Player Stats | MLB.com: Stats


ランディ・ジョンソン以上のノーコン投手だった
ノーラン・ライアン


ノーコン投手時代のランディ・ジョンソンをコーチングして、彼が大投手になるきっかけをつくった「ジ・エクスプレス」ノーラン・ライアンだが、若い頃のライアン自身がランディ以上のたいへんなノーコン投手であり、ライアンのキャリア自体がまるでランディそっくりである(笑)だから、この師弟関係、なんとも微笑ましい。
ライアンはサンディ・コーファクスがドジャースで奪三振のメジャー記録をつくった1965年に、トム・シーバードン・サットンの先発投手全盛時代のメッツに入団した。以降ずっとノーコンに苦しんで、偉大な先発投手だらけのメッツでは居場所がなく、1971年12月に、アナハイムに移転する前の弱小球団だった時代のカリフォルニア・エンゼルスに放出された。
つまり、ノーラン・ライアンの若い頃は、ノーコンすぎてモントリオールにいられなくなってシアトルに放り出されたランディ・ジョンソンの若い頃そっくりなわけだ(笑)
若い頃のノーラン・ライアンは、1973年にサンディ・コーファクスのシーズン奪三振記録を塗り替えているわけだが、同時に、ランディ・ジョンソン以上の最悪の四球王でもあり、メジャー歴代ベスト3に入るシーズン200個以上もの四球を、それも2度出したことすらある。WHIPこそ、若い頃のランディ・ジョンソンの酷い数値に比べればマシだが、いかせんグロスの四球数がハンパなく多い(苦笑)

ノーコン時代のノーラン・ライアンの
与四球数・WHIP・K/BB

ちなみに、シーズン与四球204は、MLB歴代2位。202は、MLB歴代3位。183は、歴代7位(笑)さすが、何をやらせてもスケールが大きいノーラン・ライアン(笑)
1971年 NYM 116  1.59  1.18
1972年 CAL 157  1.14  2.10
1973年 CAL 162  1.23  2.36
(=ジェフ・トーボーグの引退シーズン)
1974年 CAL 202  1.27  1.82
1975年 CAL 132  1.43  1.41
1976年 CAL 183  1.32  1.79
1977年 CAL 204  1.34  1.67
1978年 CAL 148  1.41  1.76
1979年 CAL 114  1.27  1.96
Nolan Ryan Statistics and History - Baseball-Reference.com


ノーラン・ライアンのノーコン矯正のきっかけを作った
捕手ジェフ・トーボーグ


自分自身がもともとノーコン投手だった若き日のノーラン・ライアンに大投手になるきっかっけを作ったのが、当時カリフォルニア・エンゼルスでキャッチャーをやっていたジェフ・トーボーグ、というのも有名な話だ。
トーボーグは、「ライアンはモーションを急ぐために、足の踏み出しに腕の振りが追いついてない」と、フォームの欠陥を指摘したという。
その後ライアンは、監督や投手コーチも交えフォーム改造に取り組んだが、後年「機械的でうんざりすることもあったが、結局はこの作業が私のピッチングを変えることになった」と振り返っている。
(原資料:武田薫 「ノーラン・ライアン 「永遠の奪三振王」──その揺るぎなき本質」 『スポーツ・スピリット21 No.20 メジャーリーグ 栄光の「大記録」』、ベースボール・マガジン社、2004年、ISBN 4-583-61303-2、32-35頁。)

トーボーグは、後に監督業に転じて、クリーブランド、シカゴ、モントリオール、メッツ、フロリダの監督をやり、1990年にはシカゴでア・リーグ年間最優秀監督賞を受賞している。伊良部のフロリダ時代の監督でもある。
Jeff Torborg - Wikipedia, the free encyclopedia



捕手ジェフ・トーボーグにマウンドから投球術を伝授した
サンディ・コーファクス


Sandy Koufaxのピッチングフォーム

サンディ・コーファクスの背番号ウオッシュバーンロブ・ジョンソンの共同作業(参照資料:ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:『ドルフィン』 by ウオッシュバーン&ロブ・ジョンソン)を思いおこさせるようなピッチャーとキャッチャーの共同作業によって、ノーラン・ライアンが大投手になるきっかけをつくったジェフ・トーボーグだが、彼がキャッチャーとして、とてもつもないノーコン投手だったノーラン・ライアンの球を受けていて、ライアンのフォームの欠陥を見抜くことができた理由は、トーボーグがドジャース時代に、あのサンディ・コーファクスの球を受けていたことにあるという。



トーボーグは、キャッチャーとしてカリフォルニア・エンゼルスに1971年に来たが、その前は、1964年から1970年まで7年間同じ西海岸のロサンゼルス・ドジャースに在籍していて、ノーラン・ライアンが1973年に記録を塗り替えるまでシーズン奪三振のMLB記録をもっていた大投手サンディ・コーファクスの球を実際に受けていた。
コーファクスの現役は1955年から1966年(58年にドジャースはブルックリンからロサンゼルスにホームタウンを変えた)だから、トーボーグとコーファクスは1964年からの3シーズンしかキャリアの重なりがないが、よく知られているように、コーファクスの全盛期はキャリア最後の4年間だから、大投手サンディ・コーファクスが最も輝きを放ったシーズンを体で最もよく知るキャッチャーが、このジェフ・トーボーグということになる。
コーファクスがメジャー奪三振記録382を作ったのも、最後のノーヒット・ノーランを達成したのも、引退前年の1965年。キャリア最後の4シーズンでコーファクスのWHIPは、4シーズン連続で1.00を切っている。ちなみに、コーファクスのキャリアWHIPは、1.11という、とてつもない数字だ。

サンディ・コーファクス 栄光の4年間の
与四球数・WHIP・K/BB

1963年 58  0.875  5.28
1964年 53  0.928  4.21
1965年 71  0.855  5.38
1966年 77  0.985  4.12
Historical Player Stats | MLB.com: Stats

Sandy Koufax Statistics and History - Baseball-Reference.com

そして、このコーファクスもまた、ランディ・ジョンソン、ノーラン・ライアンと同じく、若い頃は速球は速いもののコントロールの悪さから、ノーラン・ライアンほどではないが、四球が多かった(笑)
1955年 28  1.464  1.07
1956年 29  1.619  1.03
1957年 51  1.284  2.39
1958年 105 1.494  1.25
1959年 92  1.487  1.88
1960年 100 1.331  1.97


サンディ・コーファクスが達成した最後のノーヒッター(=1965年9月9日の完全試合)、そして、サンディ・コーファクスの奪三振記録を塗り替えたノーラン・ライアンが記録した最初のノーヒッター(1973年5月15日)、この両方の試合でキャッチャーをつとめたのが、ジェフ・トーボーグであるのも有名な話だ。
ちなみにトーボーグは、ライアンが最初のノーヒッターを達成した1973年シーズンを最後に引退している。まるでコーファクスの投球術をライアンに授けるためにメジャーリーガーになったような捕手である。

1965年9月9日
サンディ・コーファクスの完全試合のBOX SCORE

September 9, 1965 Chicago Cubs at Los Angeles Dodgers Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com
コーファクスの最後のノーヒッターゲームだが、実はドジャース側もわずか1安打。つまり、両チームあわせて、たった1安打の、超投手戦。試合時間はわずかに1時間43分。コーファクスはカブスを8回、9回と、6者連続三振に打ちとるなど、14三振を奪った。
1973年5月15日 ノーラン・ライアンの
最初のノーヒットノーランのBOX SCORE

May 15, 1973 California Angels at Kansas City Royals Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com



トーボーグ自身は、キャリア10年で打率,214、ヒット数わずか297本と、バッターとしてはさえない成績に終わったが、キャッチャーとして(または指導者として)、サンディ・コーファクスの投球術(あるいは投球フォームなのかもしれないが)をノーラン・ライアンに伝えた、という意味では、メジャーの歴史に残る大仕事をしたといえる。
「メジャーのキャッチャーは壁だ」なんていうのは、ただの迷信だ(笑)
またノーラン・ライアンは、キャッチャーのジェフ・トーボーグを経由することで、時代の離れたサンディ・コーファクスの投球術を受け継ぐことができた。さらにライアンは投手コーチのトム・ハウスとともにPitching Bibleとして集大成する仕事を成し遂げることでメジャーの投手たちを啓発し、ことランディ・ジョンソンに関しては、手取り足取りノーラン・ライアン流投球術のエッセンスを授けた、といえる。

1試合15奪三振以上試合数

1位 29試合 ランディ・ジョンソン
2位 26試合 ノーラン・ライアン
3位 10試合 ペドロ・マルチネス
4位  9試合 ルーブ・ワッデル
4位  9試合 サンディー・コーファックス
4位  9試合 ロジャー・クレメンス






January 06, 2010


ランディの好きなもの


ビッグユニット」こと、300勝投手ランディ・ジョンソンがFAのまま引退を表明した。
あらためて彼のサイ・ヤング賞5回、という記録が痺れる。2009シーズンのヘルナンデスを見てもわかることだが、この賞、獲るのはどれだけ大変か。ランディは、そのサイ・ヤング賞を5回(95年にシアトルで受賞。その後1999年〜2002年にアリゾナで4年連続受賞)も獲っているのである。
また、試合中に鳥にデッドボールを与えたのは、たぶんメジャーでも、ランディ・ジョンソン、ただひとりだろうと思う。あれはあれで、たいへん懐かしい。あの鳥は出塁率100%のまま昇天した。

ランディ・ジョンソンの22年間のキャリアの記録

とか、なんとか、ねぇ・・(笑)頭の悪い新聞記者かライターなら、こういう誰でもわかること書いてお茶を濁しとけばてすむところだろうが、そうはいかない(笑)
ランディが現役を退いたことで、日本のMLBファンとしてはランディ・ジョンソンの実物に会って、握手のひとつもしてもらえる確率がかえって高まったことになる。喜ばしいことである。ランディ・ジョンソンにRock on!!!!、とでもいいたいところなのである(笑) 今後、新宿に行くMLBオタクは常に色紙を持参しとくべきだ(笑)
Big Unit officially ends 22-year career | SFGiants.com: News


ちなみに、上の記事には、さまざまな動画へのリンクがはられているが、MLB Tonight制作のランディ・ジョンソンのキャリア全体を眺めるA Randy Johnson retrospectiveというムービーは、一度みておく価値があると思う。
大投手になる前のモントリオール時代と初期のシアトル時代のランディが、いかにノーコンなヨレヨレ投手だったか。また、ランディが大投手になる道を歩みはじめることができたのが、ノーラン・ライアンにコーチされてピッチングを矯正してもらって以降であること、などなど、彼の素晴らしい投手成績を眺めているだけではわからない内容がドキュメント風にわかりやすく詰め込まれているからだ。さすがMLB Tonightである。

ノーラン・ライアンのコーチを受ける若き日のランディ・ジョンソンノーラン・ライアンの指導を受けるノーコン時代のランディ・ジョンソン
Baseball Video Highlights & Clips | MLB Tonight looks back at the career of Randy Johnson - Video | MLB.com: Multimedia

ランディ・ジョンソンの動画(公式サイト)
Multimedia Search | MLB.com: Multimedia

ランディ・ジョンソンのキャリア・スタッツ
Randy Johnson Stats, Bio, Photos, Highlights | MLB.com: Team


引退を表明したランディが、メタルはじめ、ロックミュージック・オタクであることは、一部ではよぉぉーーーーく知られている。
よく、彼が最も好きなアーティストがZEP、つまり、レッド・ツェッペリンだとか書いているサイトもあるが、そうでもない。
ランディが複数回行ってオトモダチ常連さん状態になっている某静岡県浜松のレコ屋さん(この方の名前、偶然だけど「スズキ」さんなんだよね。浜松らしい苗字だ(笑))のウェブサイト等の資料サイトを見れば、ランディのコレクションがジューダス・プリースト、ブラック・サバス、スコーピオンズ、ラッシュ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトンなどなど、たいへん幅広いものであることがわかる。

まぁ、ランディ・ジョンソンもこれでスプリング・トレーニングに行かなくてよくなったことだし、心置きなくレコ屋漁りができることになったわけだ(笑)だから、この冬には西新宿浜松に現れても、ぜんぜんおかしくない。これらの街に突然、身長2メートルを越す巨大なヒゲ面のアメリカ人がぬっと現れる確率が相当に高まったものとみていいのではないだろうか?(笑)
今年の冬はさすがに覚えている人がいるだろうから彼のコレクション選びの時間を邪魔しては悪いだろうけど、来年以降ともなれば彼のことを覚えている人はだいぶ減るだろうから、よけいにランディから直々にサインを貰えるチャンスは高まったんじゃないだろうか(笑)

ちなみに。
野球しか見ない人やMLBファンの場合、レッド・ツェッペリンというと、すぐにボストン・レッドソックスを思いだすかもしれないが、ZEPの「レッド」のスペルはLEDであって、RED SOCKS、赤靴下のREDとは違う(笑)
70年代バンドであるレッド・ツェッペリンのライヴが19年ぶりに実現したのは、2007年12月10日にロンドンで行われたアトランティック・レコード創設者アーメット・アーティガンの追悼コンサート。ランディはこのコンサートに、「ファンのひとりとして」行っていたらしい。
ランディ・ジョンソンが浜松のレコード店にふらりと現れたのは、その数日後、12月15日(日本時間)。某レコ屋さんのウェブサイトで「ジミー・ペイジはすごい、今まで見たなかでベストのライヴだった!」とランディ・ジョンソンが興奮しながら店主に話したというのは、もちろん、このコンサートのことだ。
たぶんランディは、コンサートのためにロンドンに行き、その興奮をキープしたまま日本に立ち寄ってレコード漁りをしまくり、それからアメリカに帰ったのだろう。つまり、ランディは、ロックのために「地球を一周」したのだ(笑)
ロックで世界一周旅行!・・ってアンタ・・・(笑)
本当にロック好きなんだなぁ。ロック馬鹿のランディ、大好き(笑)

2008年以降もあれこれとツェッペリン復活の噂はあるけれど、ソロ活動に専念したいロバート・プラントが「邪魔をするな」とカンカンになって否定しつづけているため、ツェッペリンの一時的な復活ライブが、次にいつ、どこで行われるのかは、ロバート・プラントのご機嫌次第という話。
だが、次のツェッペリンのライヴが、たとえ南極であろうと、宇宙ステーションの中であろうと、どこであろうと、ランディ・ジョンソンは必ず行くと思う(笑)
Led Zeppelin : レッド・ツェッペリン、21世紀に完全復活 / BARKS ニュース

ツェッペリンのギタリストといえば、もちろんジミー・ペイジだが、このジミー・ペイジも、ロック・オタクのランディ・ジョンソン同様に、西新宿の中古レコード屋でブートレグを漁りに来たのを目撃されたことがある。ジミー・ペイジの場合はどうも自分の演奏をコレクションしているようだ。
ジミー・ペイジがランディと大きく違うのは、ミュージシャンでなくMLBの投手であるランディは店でブートレグを買うのにお金を払うのに対し、そもそも原著作者であるジミー・ペイジの場合は、「自分の演奏しているブートレグをタダでもっていく」という点であるらしい(笑)やれやれ、ジミー・ペイジ(笑)

今回のランディ・ジョンソンの引退を記念して、ジミー・ペイジがランディになにか贈呈したりしないかねぇ。そしたらジミー・ペイジをもっと尊敬するんだが(笑)






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