February 2011

February 26, 2011

以前から非常に心配しているテキサスのマイケル・ヤングの移籍問題が、さらに複雑なことになってきた。

もともとテキサスを愛してやまないマイケル・ヤングが、チームに対する失望や怒りを露わにする引き金になったのは、エイドリアン・ベルトレの獲得によるDHへのコンバート、さらにトレードの画策と、チームがこれまでチームの攻守の柱を務めてきたマイケル・ヤングを軽んじて扱ったことだが、皮肉なことに、そのベルトレが筋肉の張りを訴えてスプリングトレーニングを10日から2週間ほど休むことになったのだ。
果たして開幕にベルトレが間にあうのかどうか、この怪我が今シーズン以降のベルトレの守備にどのくらい影響があるかは、現時点では不明。

下記の関連記事では、セカンドのイアン・キンズラーも毎シーズンのように怪我でDL入りしていることだし、テキサスはマイケル・ヤングをチームに引き止めておいたほうがいいんじゃないの?的な気楽な書き方をしているわけだが、そんな失礼すぎる展開で残留を要請されても、マイケル・ヤングの心の傷が癒され、怒りがおさまるわけがない。
そもそも、チームのためにDHコンバートまで受け入れてチームに残ることを選んだのはマイケル・ヤングのほうなのであって、「ベルトレが怪我をしちゃいましたんで、三塁手がいなくなる可能性もあるんで、マイケル・ヤングさん、チームに残ってください」じゃ、マイケル・ヤングの怒りに油を注ぐようなものだということが、この記事を書いたライターはわかってない。選手はチームの道具じゃない。

マイケル・ヤングのファンとして、彼の行く末を非常に心配している。マイケル・ヤングのトレード拒否リストにのってないチームは8つほどあるが、どのチームも戦力補強はだいたい終わってしまっているわけだし、このままではこの稀代の好プレーヤーが宙ぶらりんになってしまう可能性がある。
Beltre injury shows Michael Young's value - Dallas Texas Rangers Blog - ESPN Dallas


今回のマイケル・ヤングの移籍騒動の背景をご存知でない方のために、彼がこれまで、いかにチームのためを思って度重なる守備位置のコンバートに応じてきたか、そして、なぜ今回の騒動でついにキレて、本格的なトレード志願にいたったか、経緯を軽くまとめておく。


2000年二塁手デビューと、2004年遊撃手転向
マイケル・ヤングが二塁手としてメジャーデビューしたのは、2000年。だが、この年は数試合しか出場していないため、二塁手としてプレーしたキャリアは実質2001年以降の3シーズンだ。
ヤングが204安打を放った2003年のシーズン終了後、当時テキサスの遊撃手だったA・ロッドがヤンキースに移籍するのにともなって、テキサスはヤンキースから二塁手アルフォンソ・ソリアーノを獲得した。そのためマイケル・ヤングは、チームのためならと、A・ロッドの抜けたショートに転向した。(なお、遊撃手としてゴールドグラブ級だったA・ロッドは、移籍先にデレク・ジーターがいたため、ヤンキースでは三塁手に転向した)

遊撃手としての成功とゴールドグラブ受賞
マイケル・ヤングは、2004年のシーズン開幕を前に4年1000万ドルの契約を結び、このシーズンから遊撃手としてプレーする。この年はオールスターに初出場し、球団記録を更新する216安打を記録する大活躍。2005年に球団史上初めて2年連続で200安打を達成すると、以降、5年連続で200安打を達成。この頃にはチームの攻守の要として、チームリーダー格になった。
2008年には、初のゴールドグラブを、遊撃手として受賞した。

2009年三塁手への転向
2008年オフ、テキサスはマイケル・ヤングに、若いエルビス・アンドラスにショートのポジションを譲って、三塁手に転向するよう打診する。マイケル・ヤングは当初は拒んでトレードも志願したが、やがて受け入れ、2009年以降は三塁手としてプレーしている。
Young will shift to third base | texasrangers.com: News


2010年オフの三塁手エイドリアン・ベルトレ獲得と
マイケル・ヤングのDHコンバート

2010年オフのマイケル・ヤングの本格的な移籍志願騒動の発端になったのは、球場の狭いボストンに移籍して打撃成績を回復させることに成功した元マリナーズのベルトレに、テキサスが5年8000万ドルもの大金をはたいて三塁手として三顧の礼で迎え入れたこと、にある。
このトレードによるDHへのコンバートについて、マイケル・ヤングは当初「チームのためなら」というスタンスで渋々受け入れていたことを、後にFOXのケン・ローゼンタールにあからさまに語った。
“I’ll be the first to admit that I was not particularly keen on the idea of being a DH. But I did agree to do it. I wanted to put the team first. I wanted to be a Ranger. But in light of events that happened in the process, I got pushed into a corner one too many times. I couldn’t take it anymore.”
「DH転向には乗り気じゃなかった。だけど意を決して同意したんだ。チームのことを優先して考えたかったし、ずっとレンジャーズの一員でいたかったから。なのに、その後に起きたいろいろな経緯を経て、僕はあまりにもたびたび窮地に追い込まれてきた。もう我慢も限界だ。」
Rosenthal: Michael Young Q&A - MLB News | FOX Sports on MSN
参考記事:
エイドリアン・ベルトレ、
給料もらい過ぎプレーヤーランキング12位に
Jayson Werth leads overpaid and Kerry Wood tops underpaid players - Jon Heyman - SI.com

マイク・ナポリ獲得による球団不信と
チームのヤング放出の画策発覚による決定的な亀裂

マイケル・ヤングがベルトレ獲得によるDH転向に渋々同意した矢先、2011年1月になって、テキサスはエンゼルスから、キャッチャーで1塁手やDHもこなすマイク・ナポリを獲得してきてしまう。
このことで、ただでさえ内心では、これまでの度重なる守備位置の変更の果てのDH転向を快くは思っていないマイケル・ヤングに、本当にチームは自分を必要としているのか?という疑心暗鬼が決定的になったと考えるむきもある。
だが、マイケル・ヤング自身はローゼンタールとのインタビューを読むかぎり、ナポリのトレードが決定的な亀裂を生んだという説については、表向き否定している。
むしろ、マイケル・ヤングとチームの間の亀裂が決定的になったのは、ナポリ獲得に前後して、テキサスが主にロッキーズを対象にマイケル・ヤング放出トレードを画策していたことが表沙汰になったことにあるようで、このトレード画策の発覚の後に、マイケル・ヤングは住み慣れたチームを出て行きたいと、トレード志願を公言した。


今回のトレード志願について、マイケル・ヤングはローゼンタールとのインタビューで、mislead「あざむく」、manipulate「(人心を)あやつる」という、きつい意味の単語を使って、こんな風に言っている。
Young said. “I asked for a trade because I’ve been misled and manipulated and I’m sick of it.
「トレードを志願したのは、僕がこれまで、欺かれ、操られてきて、もう、うんざりしたからだ。」

温厚な彼、マイケル・ヤングが、こんな厳しい言葉を使ってモノを言わなければならなくなった理由については、ここまで挙げてきたように、彼のメジャーリーガーとしてのキャリア全体において「守備位置をたびたび変更させられ続けてきたが、チームのことを思って受け入れてきたマイケル・ヤングの歴史」があったことを、彼の名誉のために理解してやってもらいたいと、切に願う。


何もなくて、こんなことを言い出す根性の曲がった男ではないのだ。






February 25, 2011

500個の四球が350本のヒットに相当する、というセイバー流の試算から、四球をヒットに換算する行為を「愚かしい」と感じる理由をいくつか書き留めて残しておこうと思う。
打率.280の打者でも沢山の四球を選んだ打者の成績は「四球を全部ヒットに換算すると打率.320くらいに相当する」とかいう「アナリストの視線からの発想」は、ブログ主に言わせば、あまりにも貧相だし、ベースボール的でない。


(1)数式と現実の混同

まず言いたいのは、「A=B」だからといって、「AとBの互換性、可逆性を完全に想定してはいけない」のが、現実世界というものだ、ということだ。

たとえば、数式で「A=B」という等式が成立したとする。

しかし、そのことは、現実の世界において、現象Aと現象B、商品Aと商品Bの可逆性とか互換性を保証する根拠になどならない。現実の世界には、そういう例は数かぎりなくある。

例えば、世界的に非常に評価が低い通貨Aと、世界的に流通している強い通貨B、2つの通貨があり、両方の通貨の為替レートがあらかじめ「500A=350B」などと決まっているとしよう。
為替レートが決まっているのだから、この2つの通貨は世界のどこでも常に無限に交換できるか、というと、そうでもない。弱い通貨Aから基軸通貨Bへの換金は簡単でも、基軸通貨Bを弱い通貨Aに戻す行為が商取引で必ずしも歓迎されるとは限らない。

また化学反応で、物質Aと物質Bを化合させ、第三の物質Cができるとする。
この場合、いちど化合させてしまった物質Cを、簡単に元の物質Aと物質Bに戻せるとは限らない。たとえばプラスチックは石油からつくられるが、プラスチックを簡単に石油に回生できるわけではない。

つまり言いたいのは、A=B(あるいはA+B=Cでもいいのだが)とかいうような「ある条件の下で成立しているギミック」が存在するからといって、それが「AとBは、どんな条件でも常に等価であり、互換性が完全に保証されたものとして扱っていい」とか「世界のどこでも、BをAに常に換算していい保証になる」わけではないのである。

そもそも「500個の四球=350本のヒット」という考えかたの根は、そもそも「空論」であって、中身がない。根本にある思考方法が、あまりにもベースボールの現実から離れている。


(2)プレーヤー目線からみた「四球とヒットの大差」

さて、論理的なことはさておき、あなたは野球で打席に立ったことがあるだろうか。あるとしたら、あなたは四球とヒットを「同じもの」「同じ価値のプレー」と感じ、同じように実現できるだろうか? また、四球を選んだチームメイトと、ヒットを打ったチームメイトを、「同じ視線」でッ評価するだろうか?

「アナリスト目線」ではなく「プレーヤー目線」から見れば、「350本のヒットを打つ」という行為と、「500の四球を選ぶ」という2つの違った行為を相互に換算できないのは明らかだ。


ほとんどのMLBの打者は、早いカウントでの打率が高い。言い換えると、ヒットを多く打てるカウント、というのは、「早いカウント」なのがベースボールである。たとえそれが、選球眼が非常に良く、多くの四球を選ぶことで知られたヤンキース時代のボビー・アブレイユであろうと、2−2が得意カウントであるような特殊な待球型打者のひとりであるジョー・マウアーであろうと、例外ではない。
打者がヒットを打てる確率が高いのは、「早いカウント」である。
こういうとき、フルカウントのような追い詰められたカウントでも通算打率3割打ててしまうイチローを念頭に置いてはいけない。イチローのような打者は、もしかすると地球上の生物ではないかもしれない(笑)といっても過言でないほど例外中の例外の天才であり、ほとんど全ての打者は、「早いカウント」に比べて、「煮詰まったカウント」ではかなり打率が下がるのである。


何が言いたいかというと、ヒットを打つ行為の大半は早いカウントでの打者側のチャレンジ、冒険する行為であり、「バットを振るのを自重する行為である四球」とは、全く目的の異なる行為だ、という、ごくごく当たり前の話だ。


歴史的にも、ベースボールというゲームができた当初、ルールブックには「四球」というプレーは存在していない。
ベースボールができた当初、打者は、投手に対して「自分の打ちたいコース」を指定できたし、ボールは何球でも見逃してよかった。ベースボールは、塁に出て、やがてホームに帰ってくることを目的に出発したゲームなのであって、「四球を目的にしたゲーム」として出発してはいない。
ヒットは、ベースボールが出来た当初からあり、打席に入る「そもそもの目的」、ベースボールというゲームのゆるぎない「根幹プレー」である。だが、四球は、後日つけ加えられた蛇足的なルールであり、また、打席に入る「目的」ではなくて、「結果」に属する。

ヒットと四球、両者は、プレーのもつ「質」が、根本的に違う。

四球は「待つ行為」「プレーの自重」であり、ある意味「冒険の自重」だが、ヒットを狙ってバットを振ることは、ある種の「冒険」であり、「未知のフロンティアへの大いなる挑戦」である。
そしてファンは、プレーヤーのチャレンジを見に、スタジアムに足を運ぶのである。


(3)ファン目線からみた「四球とヒットの違い」

仮に、1シーズンで500も四球を選ぶ選手と、1シーズンに350本もヒットを打てる選手、2人の個性的な選手がいたとしよう。メジャーで打席数が常にトップになることの多いイチローでも、シーズン打席数は700ちょっとだから、500も四球を選ぶ選手の大半の打席は、四球による出塁ということになる。

問題にしたいのは、この年間500もの四球を選ぶ選手を見るために「わざわざスタジアムに行いつめる気持ちになれるかどうか」、だ。

ブログ主なら、500の四球を選ぶ選手より、1シーズンに350本のヒットを打つ選手のほうを見に行く。つまり、「ファン目線」から言うなら、500個の四球と350本のヒットは等価ではない、のである。



ここで3つほどポイントを書いてみて気づいたのは、「アナリスト目線」「数字だけからみた野球」が、必ずしも、「プレーヤー目線」でもなければ、「ファン目線」に立脚して野球をプランニングしているいない、という事実だった。
実は、このことに気づいたことが、ブログ主にとって、最も意味のあることだった。これ、単純なようだが、実はこれからのベースボールを考える上で、とても大事である。
そういえばMLBでも、数字に頼ったチームづくりに着手した結果、そのチームの野球が、色気もなく、味もそっけもなく、かといって強くもない、意味のわからないチームになってしまったチームが、いくつもある。彼らはいったい誰のため、何のために野球をやっているのだろうと思っていたが、その「味気無い野球」の原因は、こういうところにあったのか、と、ハタと膝を打ったのである。
プレーヤー目線でも、ファン目線でもない数字の野球は、やはり何か重要な部分が欠けるのである。

「数字」を扱う行為は、それが誰の目線から見たものか? というシンプルな論点が往々にして欠けている。
だが、ヒトはなかなかそのことに気づくことができない。そして、ヒトはすぐに数字に溺れ、数字に騙される。




ブログ主も、数字をいじること自体は好きなほうだし、
このブログでも、よく自分の主張を補強するために、言いたいことの意味を数字に置き換えるという手法で、数字を「主張の道具」にしている。
だが、それはあくまで主張を数字におきかえるだけの行為だ。まるで乾いた雑巾を無理矢理絞るように、既存の数式から更に考えられることを無理矢理引き出して、数式を主張にかえるような本末転倒なことはしない。

主張は数式に置き換えられる。だが、逆の「数式を主張にみせかける行為」は本末転倒で、愚劣だ。

近年のMLBは、球団経営だけでなく、選手の能力評価、その選手に与えるべきサラリーの計算、獲得すべき選手の選定、チーム編成、ゴールドグラブなど賞の選考基準に至るまで、セイバーメトリクスに代表されるような「数字」が非常に幅をきかせるような時代になってきていると思うわけだが、「数字好きの人々」が自重しなければいけないと強く思うのは、「四球数を無造作にヒット数に換算する」ようなデリカシーの無さと、自己中心的な姿勢だ。それは「数字いじり」で、ベースボールではない。

数字に、選手とファンへのリスペクトが欠けてはならない。
選手は、コンピューターゲームの中でプレーしているわけではなく、実際にフィールドでプレーでそれを実現している。また、ファンは日頃の生活の中に野球に対する興味を持続しつつ、時間とお金をさいてスタジアムに足を運び、お気に入りの選手やチームを応援する。
野球を支えているのは数字ではなく、プレーヤーとファンだ。その彼らに対する敬意やデリカシーがなければ、数字いじりは非常に愚かな作業になるとしかいいようがない。四球はヒットの65%の価値とみなす、とか、勝手に決められても、困る。

四球に価値がないと言いたいのではない。四球とヒットには、換算しきれない根本的な差異もあることを忘れて、数字だけいじくってメディアでモノを言われても困るのだ。スタジアムの現実とかけ離れすぎた数字に、意味などない。


(4)数字によるチームづくりの「勘違い」

ここからは蛇足。
例えば、シーズン40個のファインプレーができる守備の名手の価値が、年間に180本のヒットを打てる選手の価値ど同等とみなせる、というデータが仮にあったとしよう。

では、だとしたら、チームは、40個のファインプレーが期待できるが、打率がたったの.200しかない選手に、年間180本ヒットを打つ打者と同じサラリーを払うのか? また、チームに守備の名手を9人揃えて野球をやれば、それは180ヒット×9人=1620本のヒットに相当するから、間違いなくチームは地区優勝できるのか?

そんなわけがない。

堅い守備に価値がないというのではない。数字に埋没した「内輪ウケのアナリスト目線」だけに頼って、ベースボールをやろうとするな、ということだ。

たとえ、500個の四球が350本のヒットに相当するデータがあったとしても、500個の四球を選ぶバッターが、350本のヒットを打てるバッターと同じサラリーをもらえるようなおかしな事態を、ブログ主は望まない。

まるで異なる通貨同士の為替レートを決めるように、四球とヒット、守備と攻撃の間の「換算レート」をいくら決めても、そんなものにたいして意味はないのである。
数字を扱うのはいい。だが、その数字が、「プレーヤーと、ファン、そしてベースボールというゲームにとって、意味のあるもの」でなければ、それはベースボールをつまらなくするだけのガラクタだ

カロリーばかり気にしてメシを食っても、ちっともメシはうまくならない。大事なのはカロリーを気にしなくてすむ代謝のいいカラダづくりなはずだが、カロリー(数字)ばかり気にする人に限ってデブ(カラダを動かさない人間)だったりする。

そしてブログ主はデブが大嫌いだ。






February 19, 2011

大事なのは、野球そのもので、数字などではない。

たしかに数字という道具は便利だ。「野球の見えづらい部分に、より正確にピントをあわせるためのメガネ」や、「自分なりに野球を測定するための定規」、「野球を別の角度から見るための双眼鏡」になってくれたりする。
だが、忘れてならないと思うのは、どこまでいっても「メガネや定規は、野球そのものではない」ことだ。ボールはバットでなら打てるが、定規では打てない。


いままで、こういう当たり前のことは、誰かが説明しなくてもハッキリしていた「はず」だった。
だが、これだけ数字が幅をきかせる時代になってくると、いつのまにやら「数字をいじくること」が、ヒットを打つことと同等だとか、それより偉いとか、大きな勘違いをするようにもなってくる。人間ってのは、ほんとうにそういう「心の弱い動物」で、困ったものだ。


数字という「メガネ」をかけてモノを見ることに慣れると、いつのまにか「裸眼」で野球を見れなくなってしまう。

そうすると、もう、その人の「目」はダメだ。

「メガネをかけ続けるようになって、目をダメにした人」の意見は、時代を牽引しない。むしろ、発展にフタをして、成長に邪魔をするようになる。(もちろん、ここで言いたいのは、「たとえばなし」である。メガネをかけた人たちを差別しているわけではない)



イチロー好きなスポーツライターJoe Poznanskiは、数字だけにとらわれないライターだとは思っているし、好感をもっている。
だが、だ。「500の四球は、350本のヒットに相当する」なんていう雑すぎる論点から、「打率.280で四球をたくさん選んだバッターは、打率.320のバッターに匹敵する」なんてことを軽々しく、公共の場(この場合はSI.com)に書いてはいけない。
たまにはJoe Poznanskiも「メガネ」をはずしてみるべきだろう。師匠のビル・ジェームズのような「Fielding Bibleの投票で、ロクにゲームに出てないのに、自分のお気に入りの選手だからという、くだらない理由だけでジャック・ウィルソンに高い点数を入れてしまうほど、耄碌したメガネ親父」のことなど忘れて野球を見るべきだ。
Joe Posnanski » Posts Trading 500 for 325 «


ブログ主は複数の理由から
500個の四球が、350本のヒットと「同じもの」だ、「同等」だ、
なんて思ったことは、一度たりとも、ない。四球はヒットとは根本的に違う性格のプレーである。

数字は、ヒットを打ったり、カーブを投げたりはしない。ヒットを打つのはバッターで、カーブを投げるのはピッチャーの仕事である。数字は、盗塁したり、ファインプレーしたりもしない。
数字も、数字を扱う人も、ヒットを打つことより偉くなんかない。


打率.280あたりで四球をたくさん選んだバッターは、打率.320のバッターにも匹敵する、なんて与太話は、「メガネ親父の好きな、つまらない『数字の上のお遊び』」だということくらい、瞬時に見抜けなくてはいけない。
こういうくだらないギミックは毎日のようにメディアに大量に流布され続けているわけだが、こういうのを見ても、まるで疑問も抱かず、即座にうなづいてしまうほどアタマが弱ったら、ブログ主は野球ブログなんてやめたほうがマシだと思っている。






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