March 2011

March 30, 2011

このブログはじまって以来のまとまりのない記事だ。指摘したいポイントが多すぎるため、しかたない。地震関連の記事はここまでにして、これからは野球の話に戻ろうと思う。(1行抹消:好きなようにやるさ 笑)


素朴な話だが、あなたは
被災地」という言葉が、いったい「どこの場所」のことを指すと思っているだろうか。

「被災地」を「東北3県のみ」に限定する感覚というか、プロパガンダがある。ブログ主は、これにまったく同意しない。
「がんばれ東北」というスローガンを押し付けてくる公共CMやイベント、誰がいつどこで作ったのかわからない「がんばれ東北」のフラッグ、芸能人やスポーツ選手の「がんばれ東北」発言、すべてに賛成しないし、同意もしない。

「がんばれ」という言い方そのものの精神的副作用を問題視しているせいもあるが、もし百歩譲って「がんばろう」という言い方を使うにしても、納得して受け入れることができるのは「がんばろう日本」であって、「がんばれ東北」ではない。

これが、この長くてまとまりのない記事の前提だ。


ようやく決着したセ・リーグの開幕問題だが、批判がはじまった発端そのものは、ひどく簡単だ。精神的な焦りからか、ドーム球場の使用やナイターにこだわった一部の野球人が、世論の反応を読まずに行ったミスリードである。
あらかじめ、首都圏以外の球場、あるいはデーゲームへの変更を手配しつつ、リーグあるいは野球界全体として取り組む寄付と節電に関して決め事を世間に大々的に発表しておいて、あとはプレーヤーから被災者に届けるメッセージCMでも流しておけば、何も問題はなかった。だから、ミスリードに批判があったこと自体は、いたしかたない。

だが、その初動のミスにつけこんで、執拗に批判をくりかえし、批判の輪を執拗に拡大させ、野球そのもののバッシングにまで広げていこうとした行為は、ドームのナイター開催批判とはまったく別次元の話である。度を過ぎた野球のバッシングは、そもそも、ある種の悪質なプロパガンダを含んで、野球を節電スケープゴートに仕立て上げようとする世論誘導行為である。(もちろん都市のバッシングも同じ)

ああいうアンフェアな批判の根底にある独特の感覚には、いくつか特徴がある。
1)「都市」と「田舎」の対立図式
2)「首都圏」と「東北」の立場の違いを強調した煽り
3)「東北」こそ真の被災地であり、「首都圏」は被災地ではない、とする意識誘導
4)「首都圏」は寄付や節電に励み、被災地=東北を助けろという、負担の一方的な押し付け

福島にある某スポーツのトレーニング施設は、福島に原発をつくる見返りに東京電力が出した金でつくられ、その建設費は最終的に首都圏の消費者の電気料金に上乗せされたという話を、最近ネットでみかけた。某スポーツにまったく関係ない世帯も含めて、首都圏の消費者に、その特殊なトレーニング施設の建設費を負担させたわけで、理不尽きわまりない。
関係ない人にまでコスト負担させておきながら、一方で、「身銭」はまったく切らない人たちの、こういうゴリ押し感覚の底辺にあるのは、たぶん「福島原発の生産する電力は首都圏で使い果たすのだから、原発建設の見返りとして福島に作るスポーツ施設の建設費くらい、首都圏で負担するのが当然」という歪みまくった発想だろう。馬鹿馬鹿しすぎて言葉にならない。
「被災地」をイメージ的に「東北の津波被害」に限定するロジックを繰り返し繰り返しテレビでプロパガンダしながら、首都圏に負担を押し付けるスキームは、かつて首都圏の電気料金に原発の見返りのスポーツ施設の建設費を上乗せした感覚にそっくりだ。


首都圏だって十分被災地だという単純な理由で、ブログ主は、「被災地」という言葉で「東北3県」だけをさす、そういう感覚を否定している。
また今回の地震のネーミングは「東日本大震災」で問題ないにもかかわらず、いつまでたってもメディアによって表記が確定されないのも、根底には「東日本全体を被災地としてしまうと、なにかと不都合なこともある」というおかしな発想が邪魔をしている、と考える。

また、「首都圏」の住人は「募金すべき人」なのであって、募金を「もらう」のが「被災地」、そういう人、つまり被災者は首都圏にはいない、などと決め付ける、馬鹿げたメンタリティも否定する。
どこをどう間違うと、募金を「する」か「もらう」かで、その場所が被災地かどうか「仕分け」できるのか。
首都圏は、「目に見えやすい被害」があまりなく募金能力が温存できているから、首都圏で募金を集める行為自体は、やればいい。だが、だからといって「首都圏が被災地でない」ことにはならない。そこが、いつのまにか、はきちがえられている。
首都圏は、「募金すらできない被災地ではない」のは確かだが、あくまで「募金可能だが、被災地でもある」、ただそれだけのことだ。


「首都圏を被災地として見ない偏った発想」。
これが、野球の開幕時期についてのバッシングの背景にある、と思う。

公共CMや大臣が、「買占めはやめよう」「節電しよう」と発言する場合、あきらかに、「首都圏」が名指しされている。また、有名人の誰かが「被災地のことを思え」とか発言する場合の「被災地」は、逆に、首都圏をさしていない。
つまり、彼らの言う「首都圏」は、「買占めをして、電力を大量消費して水を買い占めている、ワルモノの巣窟」(笑)であって、「被災地」ではないのだろう(笑)

こういう「都市」と「田舎」、「首都圏」と「被災地」を故意に分離し、被災地のひとつであるはずの都市に負担だけを求める歪んだ感覚が、彼らの野暮ったい表現や、悪質な仕分け感覚にあからさまに現れている。


そもそも今回の地震の被害と影響は、いくつかの次元に分かれている。
「被害」と「影響」は分けて考えるべきだが、いずれにしても災害は日本中、世界中に被害と影響を広げつつあることくらい、誰でもわかりそうなものだが、なのに、どういうわけで「被災地は東北3県、首都圏は節電もしないで買占めばかりしている」などという印象操作をするのだろう。よほど、被害を津波などの狭い定義の範囲におしとどめておきたい人がいるとしか思えない。原発から放射能が漏れていることが確定している現在、それは悪あがきにすぎない。

地震
→津波被害(人、家屋、企業、家財、他)
→避難所でのモノ不足(水、食料、医薬品、灯油、ガソリン、衣料、他)
→→原発事故
→→→放射線被害
→→→→環境被害(土壌、水、海、空気、生態系、他)
→→→→首都圏でのモノ不足(水など)
→→→計画停電
→→→→停電による被害(個人、企業、自治体、他)
→→→→個人のあらゆる面での消費減退
→国内企業の経済的被害(製造業、農業、漁業などの生産性低下や操業停止、水田の塩害、他)
→→外国人の国外退避、外国人観光客の減少
→→外国の産業への影響(自動車部品、農産物、他)
→→外国のエネルギー政策への影響(ドイツ、アメリカ、タイ、中国、オーストラリア、フランス、スイス、他)
→→→→→避難所関連コスト(物資供給、避難所維持、仮設住宅建設、他)
→→→→→国の財政的被害(復興の財源問題、財政の不健全さの拡大)
→→→→→個人、企業の経済的被害(増税)

資料:3月の新車販売37%減=震災響き、大きく落ち込む―自販連 (時事通信) - Yahoo!ニュース

<日銀>景気判断引き下げ検討へ 大震災被害、原発深刻化で (毎日新聞) - Yahoo!ニュース


今回の地震被害を大雑把に箇条書きしてみた。
被害は、直接の被害、つまり地震と津波による人命・家屋の被害に留まらず、「派生する災害が大きい」のが最大の特徴。近未来にこれから発生すると予想される被害も含め、けして小さいものではない。環境、経済、被害の及ぶ範囲も、種類も、これまでになく多い。国内の被害レベル、被害が今後継続する時間、復興にかかるコスト、どれもが第二次大戦を除けば、たぶん日本人がこれまで経験したことのない未曾有の規模の災害になるのは間違いない。
こうした被害のさまざまな種類がある中で、

首都圏は被災地でない、のか。
首都圏だけで負担しきれる被害なのか。
首都圏の停電した工場や店舗は、スイッチさえ戻せばすぐに生産力、収入が復活できるとでも思っているのか。
首都圏にある2000万世帯で、毎日使う飲み水を多少なりともミネラルウォーターでまかないだしたとしても、ミネラルウォーターの流通在庫は永遠に無くならないとでも思っているのか。
首都圏に、日本の子供の半数が住んでいるが、自分の子供に飲ませられる安全な水が蛇口から出ていると、すべての親を納得させられる説明を東京電力や自治体ができていると、本気で思っているのか。


ようやく決着をみたセ・リーグの開幕時期の問題そのものの中身についても、納得などいかない。
経済観念ないまま野球批判に便乗した大臣たちの安っぽい批判。毅然としてないだけのに正義感ぶっている選手会。世論対策を最初のステップからして間違えたオーナー。そして、4月12日開幕という曖昧な着地点。ほとんどわけがわからない。
なぜ「3月末」はダメで、「4月12日」ならOKなのだ。
ひとりで行くのが怖い低学年の小学生がトイレに行くのに友達を誘うごとくに、セ・パが同時開幕したほうがいいとかいう理由は何だ。
ホウレンソウの出荷停止に補償金を出すというのなら、なぜ野球に補償という話を出して自粛を求めないのか。


納得がいかない理由をどう説明したらいいか迷ったが、一番いいのは、
「首都圏」という単語を、「野球」という単語におきかえてみることだと思ったわけだ。(あるいは「被災地」という単語を、「田舎」という単語におきかえてみてもいい)

いいたいことが伝わるように、わざと物議をかもしそうな書き方をしてみる。「こんなこと、誰も書かないだろう」と思って書くくらいだから、読んで不快に思ったら謝ることにする。だが、野球と都市を重ねあわせて執拗に批判するロジックの歪みとズルさを指摘するためには、このくらい書かないとわからないと思う。

「首都圏は被災地でない。同じような意味で、野球はこの災害の被害者ではなく、むしろ加害者」
「田舎だけが、今回の真の被災地。都市は、節約もしながら、募金やモノを援助すべき」
「本当の意味の被災地は田舎だけ。そこでは、いま電気が通じていない。だから、首都圏はとにかく節電して、似たような生活を体験すべき。電気を無駄使いする野球を楽しむなど、もってのほか。当分やめておけ」
「福島のたくさんの原発は、もともと首都圏の生活を支えるために作られた。それが壊れて田舎の被害が甚大な以上、首都圏はこんどの災害の被災者ではありえない。都市民は節電して当たり前だし、電気料金もたくさん払え」


どうだろう。
「都市」と「野球」をイメージ的に故意にダブらせ、「田舎」を唯一の被災地に仕立てあげ、都市や野球に責任と道徳をなすりつけていく、こういうロジックのあくどさ。都市バッシング。野球バッシング。

節電は都市経済の健全さを阻害するのでやめておけ、節電など必要ない、などと、馬鹿げたことを言いたいわけではない。電力需要が急増する真夏が来てしまう前に、首都圏全域で節電生活の基本スタイルをあらかじめスタンバイしておくことは絶対達成しなくてはならないことくらい、いうまでもない。
だが、あえて言うと、野球をやろうと、やらまいと、都市の節電は達成しておかなくてはならないメトロポリスの使命であって、野球だけを「節電スケープゴート」にして「節電の義務感」を都市住民のマインドに無理矢理植えつけようとするあからさまなプロパガンダは醜悪としかいいようがない。都市民はそもそも災害の被害者であって、加害者でもなんでもない。これもいうまでもない。


プロの野球は、仕事だ。仕事としてトマトや米やホウレンソウを作るのと、まるで変わりない。野球を仕事にすることを、野球では「プロ」になるというわけだが、家庭菜園とプロの農家の違いのように、なにかを仕事にしたプロの大変さは、どんな仕事でもかわりはない。

こういうことを言うと、テレビが板のように薄くなった現代になってさえ、「農業と娯楽は、同等の業種なわけがない」などと、旧石器時代のような古い発想でモノを考える人がいる。今回の地震はどこからどこまでが被災地か?という基本的なことについて、よくわかってもいないクセに、他人様の節電意識や寄付行為に横からクチをはさんで憤る人も、大勢いる。
そういう「都市」と「田舎」を対比的に考えた上で、「偉いのは、お米を作る田舎のヒトだけ」みたいな古くさい発想が、いまだに日本人の脳内の片隅にこびりついていることには、本当に驚く。

もうそんな時代ではない。

「コメだけは特別」「野球だけは特別」なんて単細胞な発想で世の中を渡っていけた昭和の時代がとっくに終わった。だから、野球のオーナー企業だって、かつての鉄道や新聞が中心の時代から、IT・通信業などの新興産業にシフトしていったのだ。サラリーマンだって、農家だって、漁師だって、ウェブ・デザイナーだって、なんだって、お金を稼ぐのはたいへんだ。


被災地の定義を大きく拡大せざるをえないのは、もちろん原発事故の存在があるからだ。

今回の災害は、地震だけの被害だけだったら、被害はもっとびっくりするほど小さかったはずだ。だが、津波が原発事故を生んだことで、すべての様相が変わった。電力不足による計画停電、放射能汚染と、立て続けに被害の種類とエリアが拡大して、被害の規模と、被害の継続時間は、ありえないレベルに拡大している。
逆にいえば、「被災地の定義をなんとしても東北限定、津波限定におしとどめよう」というプロパガンダは、ある意味で、「原発事故によるさまざまな影響は、たいした被災ではないし、直視すべき現実ではない。そのうち消えるから心配するな」とまやかしを言っているのと変わらない部分がある。

そんなこと、ありえない。

東北の被害は「タテに深い」が、首都圏の被害は「ヨコに広い」。だからわかりにくいだけだ。
首都圏をはじめとする住民は、さまざまな脅威に怯えながら、外出を控えたり、ミネラルウォーターを買いこんだりしている。24時間フル生産しているミネラルウォーターを作る会社は儲かるかもしれないが、トータルでみれば日本全体の消費は減退しているだろう。
現に、飲食業やタクシーなど、都市の夜を支えてきた業種では収入が減少しているらしい。都市でヨーグルトが食べられないのは、計画停電でヨーグルト工場の生産が安定しないためらしい。東日本のあらゆる観光地では観光客が減少していることだろう。
漁業なども影響は必至だ。たとえ東北以北の港が修理され、出漁できるようになったとしても、消費地の首都圏で魚が敬遠されるようになっていれば、長期的な打撃を受ける。事実そうなりつつある。

これは誰もが言いづらいことだと思うが、「東北」の、それも「農家や漁師」だけが、この大震災と原発事故の被害にあったわけではない。「東北以外」、「農家や漁師以外」だって、もし誰かに金銭的補償を受けられるものなら、どれだけ生活あるいは経営が助かるか、と思っている人が大勢いる。
だが、こんな時代にお互い無理は言えないのはわかっている。だから、みんな我慢をしている。それだけだ。



首都圏だけでなく、各地に飛び火してもいるらしい買占めについても一言いいたい。

ミネラルウォーターはなくなるのが当たり前だ、と思う。

「買占めはやめよう」というお題目で戒めたり、批判だけする行為には、まったく賛成しない。それは「節電」というお題目で野球をバッシングしたのと、図式としてまったく同じだ。指摘するだけなら誰でもできる。その程度のことを指摘したくらいで安っぽいヒーロー気分に浸るのは滑稽だ。

思わず水のペットボトルを見るたびに買ってしまう家庭の奥さんたちは、もともと別に、ミネラルウォーターを買いおきしておきたいわけじゃない。むしろ無駄な出費など、したくもないだろう。だが、自分の子供や暮らしを守るためになら、買わないわけにはいかない。当然の話だ。

問題なのは「首都圏に住む人口の多さ、あるいは子供の集中度」だ。都市の現実を理解もせず、ズレたテンポで腰くだけの道徳ばかりを書きつらねている東北在住の作家がいるが、都市の現実をわかっていない人間の批判は的はずれもいいところだ。

たしか記憶では、
子供の2人に1人は、首都圏に住んでいる」。
だとしたら、子供のいる世帯が毎日必要な量だけ、つつしみ深くミネラルウォーターを買うだけでも、毎日、万という単位のペットボトルが売れていくことになる。
放射能の心配から、店頭からあっさりミネラルウォーターが消えてなくなってしまうのは、むしろ当たり前なのだ。
買占め? そりゃ一部にはあるかもしれない。だが、そんなのは全体から見たら、たいした量ではない。コンテナ単位で買っているわけじゃない。また、店側が店頭で1人1本とか、きちんとルールを決めないようなルーズな店で、箱単位で買っていくのを黙認していてはどうしようもない。そういうケースでの問題は店側のモラルと知恵にあるのであって、消費者の責任ではない。

買わざるをえない理由がある消費者が首都圏に大勢いる。
それが「現実の都市」だ。

首都圏の消費規模は大きい。人口の集中し、情報も早い首都圏で、日用品のどれかが足りなくなるとわかれば、その商品はあっという間に店頭から消えてしまうのが当たり前だ。

批判の前に、水の量が足りないのなら、首都圏の乳児、子供たちにもっと潤沢に水を供給するように、なぜあらかじめ手を打っておかないのか。「この放射線量では、ただちに健康に、どうのこうの」とモグモグ言っているだけで、水の供給問題に手を打たないのでは、人が水道水を信用しなくなる速度は加速していくだけだ。
道徳の押し付けより、必要なのは対策であり、工夫だ。対策が被災拡大の速度に追いつけないところに問題がある。

そもそも首都圏の水不足は、単なる道徳違反なのではなくて、一種の「被災」だ。なのに「こういう見えにくいタイプの被災者」に対する対策は何も手を打たず、「買占めはやめよう」だの、「戒め」だけを押し付けるのか。「戒め」だけでは、なんの解決にもならない。


よく外国メディアの人の記事で「日本人は政府を信用しすぎている」なんていう記事がある。だが、首都圏の消費者はおそらく、水、魚、野菜、そういう、いままで当たり前にあったモノを信用しなくなりつつあると思う。
非情なように聞こえるかもしれないが、いま東北で魚を獲るより、たくさんの東北の漁師さんに臨時で西日本で漁ができるように政府や自治体が話をつけて、安全な西日本から首都圏に魚を供給できるようにでもしたらどうか、とか思う。
「首都圏で魚が売れないのは、風評被害が原因だ」と主張しつつ、その一方で、魚は無理矢理獲って、廃棄処分にせざるをえない結果を招くけれども、金銭の補償はしてほしい、では、誰も浮かばれない。資源も無駄になる。
魚だって命がある。無駄にしていいわけはない。
まぁ、こういうアイデアは極端な思いつきにすぎないわけだが、いま獲っても消費されにくい海域で無理矢理に魚を獲っては、含まれる放射能を測定して一喜一憂するより、なにか東北の漁師さんの生計をたてながら、首都圏の消費者の魚の消費も復活できる方法論を、誰か頭のいい人が考えるべきだ。
でないと節電フリークのイカレた人間が、首都圏の消費者は東北の魚を食え、とか、馬鹿馬鹿しいことを言い出しかねない。


災害による支出の増加、収入の減少は、個人にもあり、企業にもあるわけだが、補償の一線はどこで引かれるのか。

プロの野球はビジネスだ。停電で仕事ができなくなって収入が減る床屋さんと同じように、プロ野球も、れっきとしたビジネスで、停電で収入面で被害を受けていることを忘れて話をする節電フリークがたくさんいる。首都圏の話と同じで、野球はこの震災の被害者であって、あたかも加害者のようにウダウダとバッシングされ続けたこと自体、そもそもおかしい。

では、なぜ首都圏の野球がなぜ被害者としてきちんと扱われなかったのか。
一部の野球人が「ドーム球場でナイターを開催したい」などと世論への初期対応を間違えたことで、ちょうど節電アピールのためのスケープゴートを探していた行政に「つけこまれた」感は否めない。

「つけこまれた」とは、ちょっと穏やかな言い方ではないように聞こえるかもしれない。

だが、いま日本は非常にセンシティブになっている。もっといえば、「静かなるパニック」の真っ最中だ。そのことを読まなければいけなかった。
被災地におけるちょっとした善意が非常に賞賛される空気は「やはり日本はいい国だ」という感慨を生むけれども、それは逆に言えば、ちょっとした失言、わずかなミスが針小棒大に扱われ、大きな失地を招くナーバスな時代だ、という意味でもある。困ったことに、善意を自分のモノサシで測定して、それが十分だと感じない相手はひどくバッシングするような悪質なロジックが、大手を振ってネット上を闊歩している。

本来なら被害者のひとりである「野球」というビジネスに携わり、牽引している方々は、こういうデリケートな時期に、どうすれば穏便にコトが進んで開幕にこぎつけることができるか、それをもっとよく考えて行動していなければならなかった。4月の開幕前にチャリティゲームを開催するくらいのことは素人でも考えつくのだから、ナーバスな世論環境のもとで何を、どういうタイミングでアピールしていくべきか、十分考慮すべきだった。
なのに、「プロ球界は、災害に配慮して、これこれ、これだけの寄付をし、節電の工夫もこういう風にしていく予定でいますよ」と好印象を与えおくことも、「野球も大きな被害を受けているのですよ。ご理解ください」とさりげなくアピールしておくこともせず、「無理やり開幕を強行しようとしている」という第一印象だけを与えれば、そりゃ批判をまねくに決まっている。
「たとえばなし」として言うなら、災害直後、今シーズンのスタートを1ヶ月か2ヶ月、まとまった期間遅らせます、シーズン全体の試合数も減るかもしれません。しかし、そのかわり、東京電力にゲーム開催で得られたはずの金銭の補償を求めていきますよ?、とでもいうようなスタンスを毅然とした態度でいちおう表明しておいて、その後、世の中の推移によって臨機応変に対応していっていたら話は違っていた。



風邪を引いて、出た症状ごとに薬を飲んでいくようなやり方を「対症療法」という。頭が痛くなったら頭痛薬、熱が出たら解熱剤、特効がないだけに、症状の数だけ、たくさんの薬が処方される。
今回の地震でも、ホウレンソウに放射能が検出されたら、ホウレンソウを出荷停止にして、そのかわり補償を約束し、ブロッコリーが出荷停止になったらブロッコリーに補償を約束し、被害が出た作物と地域の順序にそって、いちいち「補償する」などと耳ざわりのいいことを言う大臣がいるが、そんな場当たり的なことを続けていては、最終的にどうみても莫大になるはずの震災被害への対策費が、各産業、各地域に、しかも「先着順」にばらまかれてしまい、復興をみないうちに予算の破綻をまねきかねない。文句を先に言った者勝ち、先着順ではダメだ。

なにも困っているのは「ホウレンソウ」だけではないし、東北だけでもない。津波で家が流された地域だけが被災地ではなく、首都圏のサラリーマン家庭だって、企業だって、地盤の流動化で苦しむ断水継続中の浦安市だって、被災地であり、困っている。
こと「福島」「ホウレンソウ」にかぎって表立って補償とか言い出したのは、ある意味、単に「原発問題によるパニック」を避けたいだけ、それだけの「対症療法」だった。

「ホウレンソウ作り」が「営利によって暮らしを支える仕事」で、出荷自粛を求めるかわりに政府が収入を補償するのだとしたら、かたや「野球」という、基盤の弱い小さいビジネスに対しても、もし「節電」というお題目で自粛を求めるのなら、同時に、日程の変更やゲームの中止などで発生する損害の金銭的補償も頭に入れつつ発言するのが、スジであり礼儀というものだろう、というのが、ブログ主の発想である。
野球の経済被害をまるで考慮せず、節電だけしろ、は、ない。

先手を打つ才が無く、毎日起きる予想外の事態に、コトが起きた順番に対症療法だけしか策が打ち出せない、そんな余裕の無い人たちに、「つけいるスキ」を与えてはいけないのである。






March 26, 2011

最近のダルビッシュのフォームが、松坂投手のように、まず「蹴り出し動作」(=上げた左足を、いったん後方に蹴り出す投球動作。右投手の松坂はおおむねショートの守備位置方向)をまず行った後に、自分の左横の方向にホームプレートを見るイメージで、プレート方向へ横ステップして体重移動していく、「未完成なやじろべえ的 横ステップスタイル」ではなくて、「上げた左足を、そのままスッと下に降ろし」、「自分の上半身のひねりは、十分すぎるほど保ったまま」、「ホームプレートを自分のより正面に見るイメージで、いきなり踏み込んでいく」ような「ノーランライアン風、前ステップスタイル」に近づいてきていることについて、ちょっと書いた。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年3月23日、昔のダルビッシュと、今のダルビッシュ、どこが、どういう意味で違うのか。ノーラン・ライアン、松坂と比べながら、考える。


日本の投手で、ノーラン・ライアンや、今のダルビッシュばりに、「蹴り出し動作が少なく、プレート方向にスッと足を下ろすフォーム」の投手がいないものかと、ネット上の画像をいろいろ探していたら、ちょうどよさそうな例がひとり見つかった。

松永昂大(まつなが たかひろ)投手。大阪ガス。

高松商業、関西国際大学の出身で、大学3年のときに阪神大学野球の2季連続MVPを獲得。プロ入りが期待されながら、ご本人の希望で社会人の大阪ガスに行った逸材。

写真で見比べてみてもらいたい。
ノーラン・ライアンは、6フィート2インチ(約188cm)ある背の高い右腕だが(とはいっても、最近のMLBでは2m以上ある投手がゴロゴロいたりするわけが)、松永昂大投手は173cm70kgの小柄な左腕で、2人の体格に違いはある。だが、ホームプレートに踏み込んでいくときの姿形はそっくりだ。
サイドスロー気味に投げる松永投手は、関西の学校出身の左腕ということもあって、元阪神の左腕のセットアッパーで、左バッターに投げるクロスファイアーで一世を風靡したジェフ・ウィリアムスの再来などとも言われるようだ。

彼の将来についてブログ主は、フォームが日本での指導で小さくまとまっていってしまい、プロ野球でセットアッパーとして酷使されていくより、いっそ、メジャーに直接チャレンジして、もっと上半身のひねりをきかせるか、胸の張りをもっときかせた躍動感のあるフォームにチャレンジしてみてはどうだろうか、などと思う。

松永昂大投手(大阪ガス)松永昂大投手(大阪ガス)の大学時代の投球フォーム

出典:【硬式野球部】松永昂大投手が2季連続MVP(阪神大学野球秋季リーグ)|関西国際大学

ノーラン・ライアンの投球フォームノーラン・ライアンの
投球フォーム

松永投手は、肩関節の柔軟性が足りないのかもしれないが、もう少し両肘を高くすると、もっとノーラン・ライアン風になる。やはり見比べると、ノーラン・ライアンのほうがずっと躍動感がある。


ちなみに、日本人投手のうち、「蹴り出し動作」があまりみられない投手というと、関西国際大学出身の松永昂大投手のほかに、たとえば斉藤隆投手(東北高校→東北福祉大学)、黒田博樹投手(上宮高校→専修大学)がいて、いずれもMLBの現役投手だ。NPBでは、藤井秀悟投手(今治西高校→早稲田大学)が、比較的蹴り出しが少ないようにみえる。

逆に、「蹴り出し動作」が非常に強くみられるのは、なんといっても、今後MLB移籍を目指すと思われる楽天の岩隈久志投手(堀越高校出身)が筆頭だろう。岩隈投手は松坂投手以上に、誰よりも強い「蹴り出し動作」がみられる独特のフォームで投げる。
ほかに田中将大投手(駒大附属苫小牧高校出身)、前田健太投手(PL学園出身)などにも、岩隈ほどではないが、「蹴り出し動作」がみられる。

岩隈投手のフォームクーニンスポーツさんから拝借し、加工。
これほどハッキリ後方に足を蹴り出す投手はそうそういない。


いくつか例を眺めてみると、大学出身の投手たちに「蹴り出し動作」があまりみられないのに対して、高校卒業後すぐにプロになった投手たちには「蹴り出し動作」が強くみられる、という傾向があるようにも見える。
これが日本の野球選手全体にいえるのかどうか、正確なことはわからないが、もしかすると日本の野球指導者の中で、とりわけ高校野球の指導者が投手をコーチするときのベースになっているピッチング・フォームが、「後方への蹴り出し動作」や、プレートに対して体を横に向けたまま倒していくイメージの体重移動を基本にしているために、こうした、高校を卒業してすぐにプロになった投手と、大学出身の投手との投球フォームの違い、という現象が起きている要因なのかもしれない。

前にステップする松永昂大投手プレート方向に「前ステップ」する松永昂大投手。
両肩を結んだラインが水平をキープ。人体の「やじろべえ」の形状に傾斜をつけない水平なフォームなだけに安定しているだろう。ただ、クリフ・リーのように大きく胸を張ってないし、ダルビッシュのような「上半身の強烈なひねり」も加わってない平凡な前ステップだけに、球威に問題があるかもしれない。


横にステップする松坂投手「蹴り出し動作」の後、
横ステップ」する松坂投手。
人体の「やじろべえ」形状を大きく傾斜させ、両肩を結ぶラインは地面に対して大きく傾斜する。体が大きくセカンド方向に傾く分だけ、重心位置がわずかながら上昇するから、力学的には不安定要素は増えやすい(その分だけ、体全体を回転させる運動は容易になる) そのため、ボールを持った右手とグラブを持った左手、両腕を左右に大きく広げることで、「やじろべえ」でいうと「腕を長くする」ような安定化対策なども必要になる。また、グラブを少し重いものにしてみるのも、もしかしたら「やじろべえ」のバランスを安定させる効果があるかもしれない。


と、なると、東北高校を卒業してプロに入ったダルビッシュが、自分の投球フォームから「蹴り出し」を無くしていったのは、プロになったばかりの時期にあった「高校生特有の投球フォーム」、つまり「後方への蹴り出しの強い、高校からプロに入った投手たち特有のフォーム」を、この数年で改造し、より進化させていっている、とでもいうことになる。
さすがダルビッシュ。






March 25, 2011

前の記事で書いた松坂投手の投法だが、何の物理学的知識もないクセに、今の時点では「不完全で、未完成な、やじろべえ方式」なのではないか、と、勝手に思いだして、いま「やじろべえ」にハマりだしている(笑)
また「やじろべえ」とか「振り子」は、地震はもちろん、柔軟で安定した防災システムにもたぶん大いに関係がある。


鉄道車両に「振り子式車両」という、通過速度の向上と乗り心地の改善を狙った技術がある。
ブログ主は、いわゆる「鉄ちゃん」ではないため(笑)、よくはわからないのだが、できたばかりの頃、「単純に傾くだけだった」振り子式車両は乗り物酔いを起こす欠点を持っていたようで、背骨で内臓を錘(おもり)にして「やじろべえ方式」に支える人体もまた、左右への体重移動だけで簡単にコントロールできたりはしないのではないか、と、今の時点では思っているわけだ。
この「やじろべえと、人体、およびピッチングの関係の話」については、いつかただの好奇心としてだけでなく、きちんとした話にまとめられる日が来たらいいなと思う。
振り子式車両 - Wikipedia


下記の図は、大阪大学の2011年度大学院物理学科の入試問題に出題された「やじろべえ」だ。
大学院の、それも物理専門の入試に出題されるような複雑で高度なものを、頭に血が昇るのは誰よりも早いクセに、頭はけしてよくないブログ主が理解できるわけはないが(笑)、「やじろべえ」に内在している力学には、なにかしら「美」みたいなものが存在することは感じとれる。
大阪大学:過去の大学院入試問題
大阪大学2011年度大学院物理学科入試問題に出題された「やじろべえ」

こちらは、上記のリンク先の大学院入試問題を解いた人の描いた「傾いたやじろべえの状態」。回答を読んだが、難しくて、1行もわからない(笑)どうやら、単純にみえる「やじろべえ」には、非常に複雑で愉快な仕組みが隠れているらしい。野球と同じだ。
2011年度 大学院入試問題 物理学専攻解答 その1 - 〜なんとなく物理〜 - Yahoo!ブログ
大阪大学2011年度大学院入試問題を解いた人の書いた「やじろべえ」

問題の意味がさっぱりわからないブログ主だから、回答のほうの意味もさっぱりわからない(笑)が、「やじろべえ」は重心が支点より低い位置にあって、重心が支点と離れていることで安定していること、「傾いたやじろべえ」には、元の位置に復帰しようとする復元力が働くことは、あやしげな理解からなんとなくわかっている(笑)

上の、問題を解いた方の指摘で、「なるほど」と気づかされたのは、「傾いたやじろべえ」は、「傾くことで、重心位置がごくわずか上昇」して、「重心と支点の距離が、ごくわずかだが、接近する」という点だ。

支点と重心の位置の距離が近くなることは、「やじろべえ」にとって「不安定化」を意味する。支点と重心が重なると「やじろべえ」は「やじろべえ」でなくなる。これはよく飛ぶ紙飛行機をつくる原理と同じだ。
二足歩行するように進化してきた人体は、骨盤にささった位置にある背骨が、左右の内臓を錘(おもり)にして「やじろべえ方式」に支えるような力学的なしくみになっているらしいが、ブログ主の意見では、野球のピッチャーは、単純に「やじろべえ方式」に左右に体重を移動するだけのシステムでは、開発当初の振り子式車両が「お釣り」などさまざまな問題があったように、どうも「自分自身の力学的制御がうまくいかなくて、不安定になる部分が出てくる」のではないか。そんなことを思ったが、どうなのだろう。
人体の力学

横にステップする松坂投手横にステップする松坂投手

上に書いた大阪大学大学院の入試問題でわかるとおり、「やじろべえ」の形から横に傾くと、重心位置は「まっすぐ立った状態」よりもやや高くなり、重心が支点に近づくことで、やじろべえである人体は、わずかながら不安定化する。

一度でいいから、大学の物理の先生をとっつかまえて、死ぬほど野球の質問責めにしてみたいものだ(笑)


法隆寺などの五重塔などは、「やじろべえ」や「振り子」そのものではないが、さまざまな力学的な仕組みによって、ある種の柔構造を獲得することで、1000数百年の時を超え、壊れずにきたらしい。
資料:五重塔は耐震設計の教科書【プラント地震防災アソシエイツ】
野球とは関係ないが、津波の被害を防止するための防波堤とかの技術について、「やじろべえ」的に考えて思うのは、剛構造で、15メートルとか20メートルとか、ものすごく高くて硬いコンクリートの防波堤を作ったところで、所詮は人間の知恵、巨大津波のような自然の超越的パワーには勝てなかった、ということだ。

もし防波堤が硬いコンクリートではなくて、柔らかなシリコンでできていたらどうだったかな、などと妄想したくなった。
と、いうのも、三陸沖では、かつて100年ほど前にも巨大津波に襲われて、そのときも、今回同様の、2万2000人ほどの方が亡くなられているからだ。
明治三陸地震 - Wikipedia
100年という月日が経ち、数知れぬ人の努力、それも科学の発展初期によくある人生すべてを犠牲にするような献身的努力によって、日本の技術と科学と素材は格段に進歩してきた。
だが、やはり100年たっても、100年前とまるで同じように、2万人以上の人命が失われるのを防ぐことはできなかった。そのことに、ブログ主はある種の、言葉にできない感覚に襲われている。

科学に失望し、政治に失望して、ブルーになったのではない。
言葉にするのが非常に難しい。むしろ、ある種の「感銘」に近い。

100年たってもダメだったのは、技術の進歩がなかったからではなく、ぼくらの頭の中じゃないか。
1次災害の「地震」は、少しは予知もでき、家屋の全面的倒壊もなんとか防げるようになってきても、ぼくらの頭の中の構造はまだまだ「硬くできて」いて、2次災害の「津波」も、3次災害の「原発事故」も、4次災害の「電力不足」「帰宅難民」も「水不足」も、防げるようにはなってはいない、そういうことを知ったとき、ブログ主は、ただただ単純に「なるほどっ」と、膝を打ったのだ。
なぜだか失望はまったく感じない。むしろ、どういうわけか、まだまだやることだらけじゃないか、と、うれしくなる。

コチコチに硬い防波堤を作る、という発想は、ある意味の「硬い脳」から生まれてくる。津波や原子力のような、「人間の力をはるかに超越した自然界のパワー」を、力づくで封じ込めようとする発想だ。
だが、人の暮らしを守りたい、と思うのなら、「コンクリートの硬さ」だけではダメだ。そう思ったのである。別に、コンクリートの壁でなくて、シリコンでもいいのなら、ぷよんぷよん、ぽにょんぽにょんのシリコンでいい。
ブログ主はなんとなく、こういう気づきから、次の100年のライフスタイルが生まれはじめてきている気がする。


復興のためのスローガンについてだが、
「がんばる」は、やめてみようと思う。

なぜかというと、「がんばる」「がんばろう」というだけの発想は、いかにも「硬い、頑固なコンクリートのにおい」がするからだ。欝病の人に対する励ましの言葉で「がんばれ」は禁句だというが、災害で精神的に疲弊しきった沢山の人たちがいるにもかかわらず、こうも誰も彼もが「がんばろう」とか言い出すのでは、ちょっと気味が悪いし、工夫が無さ過ぎる。



できないとき、人は無理にがんばらなくていい。
たとえば、壊れ果てた故郷の土地にしがみついて命を落とし、健康をそこなうのではなく、モノがない、電気がないのなら西にでも一度逃げて、時期がきたら帰ったらいいし、そのまま、行った先の土地に住み着いて、その土地の土に、その土地の海のチリに還るのも、また人生だ。地盤沈下で使えない土地に無駄に再び大金を落とし必死になって元の町を復元しようとする頑固さばかりではなく、まったく新しい場所に新しい町をつくろうとする、そういうしなやかさもあっていい。

強い風に無理に抵抗しない、だが、けして屈しない。
そういう、しなやかさ。
それが、五重塔や、やじろべえ。
日本という、世界の東の果ての、小さい小さい場所で育まれた
美しい心の様(さま)である。






March 24, 2011

工夫のない人ばかりが集まって、もめてばかりいる日本のプロ野球セ・リーグ開幕時期の問題について、もうちょっと書きたい気持ちがあって、いろいろと情報を追っていたのだが、馬鹿馬鹿しい主張ばかり聞かされて疲れきってしまった。

好きな野球のことなら、いくら考えても疲れない。むしろ、データを集めるにしてもなんにしても、むしろ楽しいくらいだが、こういう理屈の言い合いは別だ。
原因は、わかっている。お役所の大臣たち、球団オーナー、選手会、それぞれの発言は、細かくみていくと、それぞれがミスを犯しているからだ。
野球というビジネスの経済原理にそぐわないことを自粛という大義名分で平然と押し付けようとする大臣、本来は自分たちも被害者なのに世論を味方につけるのに失敗したまま自己主張しようとして二重に失敗しているオーナー、ガキくさい感傷的なことを平気で言い、水も電気もない真夏の厳しさを想定もせずダブルヘッダーも辞さないとかいってカッコつける選手会。
もうちょっとしたらまとめてはみるが、それぞれが、それぞれに自分の発言の落ち度を反省しなくてはいけない。

こういう出来の悪い屁理屈のコレクションから一度離れて、好きな野球の話に戻りたくなった。ちょっとダルビッシュの投球フォームのことでも書いて、気ばらししてみよう。

ダルビッシュ 体のヒネリ「ガニ股」豪腕
ダルビッシュ

これは最近のダルビッシュの投球フォーム。なんとまぁ、素晴らしく力強いフォームだろう。惚れ惚れする。
特徴的なのは、「左足」をホームプレート方向に踏み出しているのにもかかわらず、「上半身」が、「左足の向きとはまさに正反対」なこと。つまり、ダルビッシュは「プレートに背中を向けた状態を保ったまま、左足をホームプレート方向に踏み出せる」のである。
おそらく体を「故意に、強烈に、よじっている」のだ。


「左足の角度」だが、左膝の向きから察するに、ダルビッシュの左足のつま先はすでにプレート方向に向いて、両足の向きは多少「ガニ股っぽく」なっている。これは、一度、クリフ・リーと松坂投手の比較をしたとき引用したノーラン・ライアンに近い。

ノーラン・ライアンの投球フォームノーラン・ライアンの左足の角度
「ガニ股」な踏み出しで、
プレート方向を向いている

ボールを持った手は既にかなり高い位置にある

ホームプレートに踏み出すときノーラン・ライアンは、股関節を大きく開いて、はっきり「ガニ股」で踏み出していく。そのため、右足はサードを向いたままなのに、左足だけはホームプレートを向く。だから、左足と右足のつくる角度は、ちょうどアルファベットのTの字のように、90度の角度にかなり早い段階で開く。これは想像でしかないが、ノーラン・ライアンにとってのホームプレートは、普通の投手よりもずっと「自分の正面方向にプレートをイメージできる感じ」になっているはずだ。


ボストン松坂大輔投手のフォーム松坂投手の左足の角度
「内股」な踏み出しで、
三塁方向を向いている

ボールを持った手は、腰より下で「タメ」ている

一方、松坂投手は、写真のとおり、むしろ多少「内股な感じ」で踏み出していく。右足と左足がつくる角度は、カタカナのハの字程度というか、平行に近い。ボールへの体重の乗せ方は、ダルビッシュやノーラン・ライアンのように「ひねる」というより、蟹のように自分の体の横方向に向かって行う体重移動から発生する。横に向かって踏み出していくイメージだから、「やじろべえ」の原理よろしく、ボールを握った右手をあらかじめかなり低い位置に垂らして「タメ」をつくっておく必要があり、その下げた右肩を上げていきながら体重移動しつつ、ボールを握った手を上げていき、ボールに遠心力をつける。結局、松坂投手にとってのホームプレートは、ノーラン・ライアンと違って、「自分の左横方向にプレートがあるイメージ」になる、と思う。



こうしたダルビッシュ特有のフォームについては、こんな風に評論なさっている方がおられた。

「ダルビッシュのフォームには一つだけ欠点が有る。それはグラブ腕がフォロースルーで背中側に引かれる事だ。藤川球児のようにグラブ腕は最後まで胸の前に残らなければならない。グラブ腕が背中側に引かれるのは、投球腕を振る反作用がかかっているためで、言い換えれば、その反作用に抗しきれていない事を意味する。根本的な原因は脚の上げ方にあるのかも知れない。ダルビッシュの脚の上げ型は藤川球児より松坂に近い。」
トップハンド・トルク:ピッチング・守備

この「グラブ腕がフォロースルーで背中側に引かれる」という点について、ブログ主は、こんな風に考えてみた。

右投手が左足をプレートに向かってまっすぐスッと踏み下ろす、単にそれだけでは、ボールにまるでパワーが乗らず、球威が足りない。だから、ダルビッシュやノーラン・ライアンのように、「プレートにまっすぐ踏み出すが、それでも球威がある」という相反する事象を成立させるためには、「体をひねる」ことでボールにパワーを注入する必要がある
ノーラン・ライアンのフォームに「ひねる」という言葉をあてはめるならば、ダルビッシュのそれには「よじる」という言葉がふさわしい。
ダルビッシュがプレート方向に左足を踏み出した後も、打者側からはたぶんダルビッシュの背中が、かなりの長時間見えているのではないだろうか。それほど、彼のフォームには「強いひねり」が加わっている。
だから、その「ひねり」の結果として、「グラブを持ったほうの腕が、フォロースルーで背中側に強く引かれている」のだと思うのだ。

これはこれで、しかたがない、彼の個性だ。つまりあらかじめ上半身を強くねじっておき、投球動作の中で上体を強くひねり戻すプロセスで、グラブ側の腕が強く引かれることは、ダルビッシュの球威を生むメカニズムのひとつ、と、ブログ主は考える。
よほど体幹が強く、体が柔らかいのだろう。感心する。簡単に真似できることではない。


ダルビッシュが昔から、こういう「上半身にひねりを加えながら、まっすぐ踏み出す」フォームだったかというと、どうもそうではないようだ。その証拠を、とあるブログから拝借させていただいた。

ダルビッシュ分解写真(改)野球サイトPA日記:「Stop the World」 連続写真更新(と、コマの切り方)より引用

上の5コマと、下の5コマは、別々の日のダルビッシュ(たぶん下のほうが、より昔のフォーム)で、フォームが違う。違いは、上の画像で赤い線で囲った左から2コマ目の上下の画像(A)(B)にある。
上の左から2コマ目、(A)では、「上げた左足は、スッと下に降ろされている」のに対して、下の左から2コマ目(B)では、「上げた足は、一度後ろ(セカンド方向)に蹴りだしてから、前に伸びてくる」のである。
つまり昔のダルビッシュ(B)には「上げた足を、後ろに蹴り出す動作」が存在した

この昔のダルビッシュの「上げた足を、一度後ろに蹴り出してから、前に伸びてくる、昔のフォームの特徴」は、、これは、まさしく下記の記事で一度書いた松坂投手のフォームそのものである。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月26日、クリフ・リーの投球フォームが打ちづらい理由。「構えてから投げるまでが早くできている」メジャーの投球フォーム。メジャー移籍後のイチローが日本とはバッティングフォームを変えた理由。

松坂投手のフォーム(足をショート側に向ける瞬間)松坂投手は、左足を、ホームプレート方向に踏み出す前に、一度、自分の斜め後ろにあたる三遊間方向に向かって伸ばしている(左写真)
クリフ・リーにはこの「蹴り出し動作」が全くない。


前述のブログ(トップハンド・トルク:ピッチング・守備)の方も、
「ダルビッシュの脚の上げかたは、藤川球児より、松坂に近い。」
と、明確に指摘されておられる。
この記事の書かれたのは2009年3月だから、たぶんこの記事で指摘なさったのは、上の分解写真でいうところの「下の5コマ」、つまり「ちょっと前のダルビッシュ」だろう。
ならば、「松坂に近い足の動作をしていた、昔のダルビッシュ」、分解写真の指摘するダルビッシュのフォームの変化、このブログで松坂投手をクリフ・リーと比べた記事、すべてがツジツマがあう。


そんなわけで、ダルビッシュのフォームの変遷をちょっとまとめてみる。

かつてのダルビッシュの「上げた足の下ろし方」は、かつては、松坂投手そっくりの「後方蹴り出し型」だった。
それを近年「上げた足を、プレート方向にガニ股風にスッと下ろすノーラン・ライアン風」に修正し、その一方で、ダルビッシュ特有の「強くよじっておいて、打者にずっと背中を向けたままリリース動作に入るようなトルネード風のねじる上半身」がより強化され、球威を加えていった。


イチローのバッティングフォームが年々変わっていくことは有名だが、やはりプロの野球選手はたゆまぬ研鑽と変化がないと、一流でいつづけることは難しいのだ。

イチローのフォームの変遷MLBデビュー以降イチローのフォームの変遷
画像内に「今年」とあるのは、たぶん「2009年」の意味。画像はかつて某巨大掲示板でかつて流通していたものを拝借。


やっぱり野球のことを語るほうが、屁理屈こねるより、ぜんぜん楽しい(笑)いくら書いても疲れない。

いい加減、プロ野球を取り巻くおかしな屁理屈の山がマトモになって、盛大な開幕を迎えてほしいものだ。

March 21, 2011

プロ野球の開催問題に関して、こんなデータが出回っている。各球場での1試合あたりの消費電力である。
このデータをどう読むかだが、日本の球場の電力消費について、いくつか捻じ曲げた理解が広まっていると思う。

別にブログ主は、明らかに電力を食うドーム球場を擁護したいわけではない。だが、「野球は、ナイター照明が大量に電力を食うから、当分の間、やるべきではない」とかいう、「もっともらしくみえる」だけで、実際には何の根拠もない批判で、野球というスポーツをいわば「吊るし上げる」行為は、まるで感心しない。
こういうかなり曲がった理解をした人につられて、弱気になっている野球人も、世間にはいらっしゃるようだから、ひとこと言いたい。
ナイター照明だけをネタに野球そのものを批判できた気になるような世間やメディアは、総じて言えば、球場というものの仕組みへの理解が低く、災害に感傷的になっているか、ヒロイズムに酔っているだけの場合が多い、と思うのだ。

マツダスタジアム  4000〜5000kw/時
神宮球場      7000〜8000kw/時
千葉マリン     ナイター 16000kw/時
             デーゲーム 11000kw/時
横浜スタジアム   21000kw/時
東京ドーム      50000〜60000kw/時
             (40000kw/時というデータもある)
資料;asahi.com(朝日新聞社):東京ドーム消費電力、一般家庭の6千世帯分「対策検討」 - 東日本大震災
資料;時事ドットコム:節電難しいドーム=プロ野球


最初に指摘しておくと、
「オープンエアの球場の電力消費は、ドーム球場より小さい。悪いのはドーム球場だ」というのは、球場の現状を知らない人の思い込みであり、単なる「決め付け」だ。必ずしも正しくない。
むしろ、表現として正確なのは
ドームであれ、オープンエアであれ、消費電力の非常に大きい球場と、そうでない球場がある
球場の電力消費量は、照明だけで決まるのではない。照明、大型スクリーン、空調など、さまざまな要因から球場ごとに決まる
というのが正しいと思っている。
エネルギー効率のいい電化製品もあれば、そうでない電化製品もある。燃費のいいクルマもあれば、悪い車もある。球場も同じだ。
燃費規制はわかるとしても、「車は燃費が悪いから、車全体が当分走るのを自粛しろ」などという論理が暴論なことくらい、わからないのか。

また最近、マス・メディアは「野球1試合の開催に必要な電力は、家庭6000世帯分にあたる」などと書きたがるが、その割りには頭を使いたがらない。
野球を見に来た人は、家を出るときに、部屋の照明をつけっぱなしにし、テレビをつけっぱなしにし、エアコンをつけっぱなしにしたまま、家を出るわけではないのである。


このごろ、こんな無根拠なことを平気で言う人もいる。
「屋根がない球場であればデーゲーム(昼間の試合)はライトをつけない分だけ節電になるかもしれないが、東京ドームはもともと室内なのでデーゲームもナイターもライトをつけなくてはならない。確かに、消費電力は変わらない……
石原「ナイター野球じゃなく日中にやるべき」/ 球場「日中も消費電力は同じです」 ? ロケットニュース24(β)

一見もっともらしいが、実はあまり球場のことがわかってない人だろう。印象操作でもしたいのだろうか?
「ナイター照明」だけを根拠に野球に反対してみよう、批判しようなどと、浅はかなことをするから、人に失笑される議論になる。言っていることに正しい部分がないこともないが、基本的には最初から結論ありきで、「野球はやるな」と決め付けたいだけで議論を開始したにすぎないとしか思えない。

例えば甲子園球場のようなオープンエアの球場でも、照明以外の消費電力があまりにも大きいことで、電力消費量に問題を抱えた球場もある。また、東京ドームのように、そもそも電力消費の大きいドーム球場の節電の課題は「照明」だけにあるわけではない。
球場の使う電力の問題を「照明」だけに矮小化しては、球場の節電について十分な議論ができるわけがない。


甲子園については、こんなデータがある。誰でも手に入るネット上の資料である。
「年間計画発電量の193Mwhは、1年間のナイター照明の電力をまかなう量ですが、阪神甲子園球場の年間使用電力の約4%とのことで、ナイター以外にも結構電力を使う
甲子園球場の太陽光発電量がナイター照明の電力量を超えた 太陽光発電の徹底検討

甲子園球場はもちろんオープンエアの球場である。そのオープンエア球場で、「ナイター照明が消費する電力が、年間総消費電力のわずか約4%」だと、この資料はいうのだ。この意味がわかるだろうか?

つまり、こういうことだ。
マリンスタジアムのナイターとデーゲームの電力消費量の差が「5000kw/時」であるから推定すると、(もちろん球場ごとに違うだろうが)照明点灯に必要な電力は数千kw/時なのではないか、と思われる。
そして、千葉マリンがナイターをデーゲームにすると電力消費を3分の2に抑えることができるにもかかわらず、甲子園球場では「照明が消費する電力は、年間消費電力のわずか数%にすぎない」というのなら、甲子園での「1試合あたり」の消費電力量は、明らかに「数万kw/時の単位」と推定されることになる。
この数字は神宮や千葉マリンなど、エネルギー消費の少ないオープンエアの球場と比べて、はるかに大きい
オープンエアの甲子園の、いったいどこで、そんな大量の電力を消費する必要があるのか。理解しかねるが、少なくとも、ちょっとばかり太陽電池を設置したからといって甲子園球場をベタ褒めする必要などない、のである。(ドーム球場については、後で書く。そもそもが消費電力が大きくなりがちな構造物なのは確かだが、その原因は「照明」だけにあるわけではない)

甲子園をホームにする阪神の新井選手会会長が野球開催に及び腰だからといって、彼をあたかもヒーローのように扱いたがる人がいるが、オープンエアの甲子園球場で、なぜこんなに照明目的以外の電力を大量消費しているのか? そこを選手会でもきちんと把握し、甲子園のエネルギー効率の酷さを意識しつつ発言してもらわないと、野球開催の是非を議論するようにみせかけつつ、その実、暗にドーム球場での野球開催を批判するようなことでは困る。そういう報道や議論は、それを公平ということはできない。(ドーム球場での開催に問題がない、という意味ではない)

ちなみに、太陽光発電の採用は、甲子園だけだと思っている人もいるようだが、それも違う。なにも甲子園だけの専売特許ではない。
広島の本拠地マツダスタジアムでも、年間10万4,800kWの発電能力を持つ太陽光発電システが導入され、すでに甲子園球場と同時期の2010年春に稼動している。
そのマツダスタジアムでのナイターの消費電力は4000〜5000kw/時と非常に小さいわけで、もし仮に甲子園の1試合あたりの電力消費が「数万kw/時」だとしたら、マツダスタジアムに比べ、照明以外に使う電力消費量があまりにも大きすぎる甲子園球場は、たとえナイターをデーゲームに振り替えても大量に電力を浪費するから、一切の試合を開催すべきでないという計算になる。

ドーム球場だけを槍玉に挙げて野球開催を批判するのはお門違いである、くらいのことは理解しなければ、本当の意味で節電をベースにした野球開催の是非を議論することなど、できるわけがない。



メディアはいま、災害時にありがちな一時の正義感をふりかざしてヒロイズムに酔いたいのか何か知らないが、根の浅い正義感だけであれこれ言うのは、ある種の言葉の暴力でしかない。
こんなときだからこそ、感情や感傷に流されず、きちんと整理した話をすべきだ。

もういちど言うと、
プロ野球がゲームをやるときの電力消費の課題は、「照明」だけが問題なのではない。このことがきちんと把握されていなさ過ぎる。
球場の電力消費に大きな割合を占めるのは、「照明」以外に、「大型スクリーン」、「ドーム球場特有の空調」などいろいろあって、電力をあまり消費しない試合の開催を実現するには、それらの課題を総合的に議論すべきだし、しかも球場ごとに条件が大きく違うことを頭にいれ、スタジアムごとに課題を切り分けて考えないとダメなのだ。
ドーム球場の、それも「ナイター照明」だけを槍玉にあげて批判するだけの報道は、単なる悪意ととられてもしかたがない。


ちなみに野球のスタジアムでは、照明以外のどんな設備に電力を大量消費しているのだろう。
ひとつは、「大型スクリーン」だ。

千葉ロッテ関係者は「大型スクリーンが毎時4000〜5000キロワットを消費する」と言っている。わかりやすい。
ならば、大型スクリーンを使わずに試合すればいい、それだけのことだ。それだけで、たぶんどこの球場でも、数千kw/時を節電できることになり、試合開催にまた一歩近づける。必要なのは工夫だ。まなじり釣り上げた議論じゃない。
ロッテ、西武は開幕ナイターやらない - プロ野球ニュース : nikkansports.com


次に、「ドーム球場の空調」。

前にこのブログで、 MLBの「クッキー・カッター・スタジアム」について記事を書いたことがある。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年8月21日、ボルチモアのカムデンヤーズは、セーフコのお手本になった「新古典主義建築のボールパーク」。80年代のクッキーカッター・スタジアムさながらの問題を抱える「日本のスタジアム」。

「クッキー・カッター・スタジアム」というのは、MLBで、1960年代中盤から80年代にかけて野球の黎明期からある古い球場の老朽化が問題になりMLBで、マーケティング上の理由もあって、ボールパーク(野球場)に「多目的スタジアム Multi-purpose stadium」、特にアメリカンフットボール用のスタジアムとの兼用化を求める時代が来て、全米各地に数多く作られたドーム球場のことだ。
東京ドームがお手本にしたミネソタ州ミネアポリスのメトロドームも、その「クッキー・カッター・スタジアム」のひとつで、総重量が340トンもある屋根を、内部の空気圧で押し上げる方式になっている。(空気圧で押し上げるエアドーム式を採用するメリットは、柱を作る必要がないために、工期が短く、建設費も安上がりにすむため)
2010年12月には、このドーム屋根が雪の重さで崩壊してしまい、屋根に積もっていた大量の雪がドーム内に落下する映像が有名になったが、エアドームは常に内圧が必要な構造だ。

メトロドームをお手本にした東京ドームも、総重量400トンもある屋根を空気圧で押し上げている。だから東京ドームは「野球のゲームがない日でも、空調を動かしてドーム内部の圧力を保ち、屋根を押し上げておく必要がある」のである。
野球開催派であれ、野球延期派であれ、「デーゲームにすれば、照明を使わないから、なんとかなる」などと、トンチンカンな議論をする人がわかっていないのは、こういう点だ。
東京ドーム関連の記事で、「東京ドームのナイターでは、試合がない日の3、4倍の電力を消費する」という記述があるが、これは、逆にいうなら、「ナイターがない日」でも、試合の日の3分の1か、4分の1、つまりナイター時には数万千kw/時の電力を消費する東京ドームの場合、試合のない日でも数千kw/時の電力を消費している、という意味だ。それは、こうしたドーム球場特有の柔構造の屋根に原因があるのである。

現在のMLBでは、さまざまな理由からこうしたエアドーム式で人工芝の「クッキー・カッター・スタジアム」が絶滅しつつあるが、ドーム式球場そのものがなくなったわけではない。
例えばシアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドは開閉式ドームだが、セーフコの屋根の構造はエアドームではなく、フィールドも人工芝ではなく天然芝だ。鉄骨による硬い構造の屋根を、レールの上を移動させて開閉する。ドームの構造も進化しているのだ。
だが、日本のスタジアムは、野球においては、いまだに人工芝エアドーム全盛であり、サッカーにおいても、陸上競技とサッカーの兼用スタジアムが大半なのであって、日本のスポーツスタジアム環境はかなり遅れたままであることは、すでに何度も指摘してある。


個人が通常の生活で消費する電力量との比較

最後に、これはブログ主の発見でもなんでもないが、ネット上での指摘を読んでうなづくものがあったので、書いておく。
「人は家にいても、電力を消費する。彼らが家庭にいて消費する電力量は、明らかに球場で野球見に来ていて消費される電力量より、大きい。」という指摘だが、ブログ主もそれに賛成したい。

あるネット上の指摘では「大人1人が、1時間に消費する電力量は、1kw強」らしい。
野球のゲームがはじまって終わるまでの約2〜3時間、そして球場への往復の2時間程度を合わせると、野球を球場で見るのには、観客1人当たり4〜5時間ほどの時間を取られている。
入場者数を2万人と仮定すると、もしも彼らが球場に来ずに家にいた場合の電力消費の総量は、1kw/時×20000人×4時間=8万kw/時、あるいは、1kw/時×20000人×5時間=10万kw/時、ということになる。入場者数1万人なら4〜5万kw/時、入場者数3万人なら12〜15万kw/時の電力が家庭で消費される。
一方、球場でナイター1試合に使う電力量は、球場によって違い、4000kw/時から60000kw/時のレンジだから、球場ごとの平均入場者数の違いを考慮すると、それぞれの球場の消費電力は、そこに来る観客が家で消費する電力量に見合うか、下回ったものになっている。
さらには、ナイトゲームがデーゲームになり、大型スクリーンを使わず、売店なども照明に配慮するなどすれば、「大多数の人にとって、野球の試合に見に来ることは、家庭で消費するはずの電力消費を、球場で消費するだけの意味だ」そう言い切れる可能性だって、計算上は出てくる。

「野球1試合の開催に必要な電力は、家庭6000世帯分にあたる」などと書きたがる人が多いが、頭は生きている間に使えとはよくいったものだ。
もういちど書こう。
野球を見に来た人は、家を出るときに照明をつけっぱなしにし、テレビをつけっぱなしにし、エアコンをつけっぱなしにしたまま、家を出るわけではない

人は、野球場以外では電気を使わない、なんてことはありえない。生きているかぎり、どこにいても、なにかしら電気を使う。それが電気で生きる現代人である。だから、節電の問題は、球場にだけ発生するわけではない。これからのライフスタイルの問題だ。
野球の開催だけを問題視する人に、ブログ主は、「そこまで反対したいのなら、夜、節電のためにまったく電気をつけずにジッとしていろ」と言えるとは思わない。そういう間違ったニセモノの道徳は、ある種の暴力だ。だが、その反面で「野球開催には絶対反対だが、自分は家で、エアコンをつけて、パソコンをしながら、冷えたビールを飲んで、テレビを見ていたい。車で近所に買い物にも行きたい」などという人とは、議論にならないし、友人にもなれない。
3万人の人間が集まった場所を一挙に照明するための1人あたりの電力が、1人の人間、あるいは家族が過ごす部屋を、暖房し、明るくし、テレビを見て泣いてみるための電力と、どれほど違うのか。同じなのか。ちょっとは考えてみた上で、発言すべきだし、記事を書くべきだと思う。

球場だけが電力を消費している悪者なわけはない。そういう、球場だけを悪者にしたヒステリックでニセモノの道徳風レトリックは、よく見れば、静かなパニックであり、自分勝手なギミックの押し付けに過ぎない。
非常時、災害時には、感傷だけでモノを言い、それを他人にもニセ道徳として押し付けようとする人が出てくる。くれぐれも流言に惑わされないことだ。


今のわれわれは、electrical creature、電気がないと生きられない生物、だ。
原発事故が提起しているのは、これからの100年をどう生きるかのライフスタイルの問題であって、チマチマした節電道徳などではない。






March 20, 2011

当初から今回の地震で亡くなった方の数は、たぶん最終的に2万人を越えてしまうだろうとみていた。
その理由はもちろん、「誰が避難できていて、誰が行方不明なのか。どこで、誰が、救助を求めているのか」という確認作業が、かなりの部分で滞ったままだったからで、どうみても、死亡者数も行方不明者数も、日ごと増えていくのは目に見えていた。

短くいえば、
「どこに、誰がいるか、わからない」上に、
「誰がいなくなったのかが、そもそも、わからない」
2つの問題が、同時に起きているのである。



阪神淡路大震災のような都市直下型地震における「緊急の人命救助」は、主に「家の倒壊で、その場所の、目の前のガレキの下敷きになっている人を助けること」がコンセプトであり、そうした「定位置」での救助を行うための装置が、あの災害を教訓に日本ではさまざまな形で開発されたと思われ、その装置群が日本の災害救助システムを世界的のトップランクの評価に押し上げているのだろうと思う。

だが、今回のような「広域の津波被害」、「放射能汚染の危機」においては、「初期の救助のコンセプト」が違ってくる。

地震直後の津波では、高いビルの最上階に取り残された人もいれば、船や漂流物につかまったまま沖に流される人、倒壊した家屋の下で動けない人、車の中にいる人、様々な人が広い「不特定の場所に分散」する。そして広域を襲う津波では、海水が人とモノを広い地域に押し流す。そのため、緊急救助(あるいは災害後の救援)を待つ被災者が不特定エリアに分散して存在することが、救助活動を大きく妨げる。

被災者が「不特定位置」に分散している大規模津波災害の初期は、車両による地上からの救助には頼れない。
そのため「ヘリコプターでの空中からの救助」が、初期の唯一の救助手段であることが今回わかったが、残念ながらすぐに稼動できるヘリコプターの数は無限ではないし、そもそもヘリコプターは一度に救助できる人数に制約がある。

ヘリコプターに限らず、災害救助の救命率アップや救助作業の効率化には、「緊急の救助を求めている人が、いま、どこにいるのか?」を確認することが第一歩だろうと思うが、もちろん津波災害で救助する側には「この、だだっ広い地域の、どこに被災者がいるのか、最初はまるでわからない」のが当たり前だ。

こうしたことから、津波に限らず、災害の緊急救助の弱点は、使う器具の使いやすさや重機の規模、救助技術の洗練など「救助する側」ではなくて、むしろ、単純に「救助を求める側から、救助する側に対して連絡する手段が失われること」なのではないか? と思うようになった。

「救助を求めている側」は、往々にして、自分の位置すら、どこにも連絡できない。
連絡がない以上、救助する側は、例えばヘリコプターで被災地を飛び回りながら、空中から被災者を発見する必要に迫られる。それ自体はもちろん意味のある作業だが、反面で、けして効率のいい作業とはいえない。こうした限られた条件下で、「運の良かった人」から順に救助されている現実がないとはいえない。


携帯電話および携帯メールそのものの便利さは、もちろん日常生活になくてはならないものだ。
だが携帯電話は、東北の被災地周辺ですぐに機能が止まったのはもちろん、物理的な被害のほとんどなかった東京周辺で「帰宅難民」が出たときも機能していない。たとえば「メールは、送信できても、受信できない」というような状態が長く続くことで、都市住民も、いざというときには携帯は使えない、ということを思い知った。
資料:東日本大震災 もろかった通信 携帯基地局が機能停止 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
「地震と津波で、携帯電話大手3社の東北や関東地方の基地局は最大で▽NTTドコモ6720カ所▽ソフトバンクモバイル3900カ所▽au3680カ所−−が機能を停止。固定電話もNTT東日本の中継局が被害を受け、約136万回線が不通になった。」

また、被災後すぐに必要になる安否確認においても、「救助を求めている側が、どこにも連絡できない」状況が、救援活動の遅れ、地域格差を生み、人々の不安感、不信感、パニックを増幅させ、救援する側にも救援される側にも、ひどくストレスを生む原因になる。


救助する側の方は言いづらいことだろうが、津波で亡くなった方全員が救助できる可能性があったわけではない。救助する側の技術や経験がいくら日夜研鑽されているとしても、大規模な津波で救助できるのは、とてつもない大波の内部に飲まれたしまった人ではなく、どこかの構造物の上か内部、または漂流物の上で、助けを待つ限られた人だけだ。
その「限られた救助の可能性をもっている人たち」ですら、「自分の存在を誰かに連絡できる手段が何もない」ことが、救助を阻む大きな要因になっている。


ごく当たり前ではあるが、
自分の生存と居場所を発信するための方法論がなにか整備されれば、救われる命をもっと増やし、また災害後の救援の遅れ、救援のバラつきなどをもっと減らすことができる。


具体的には、救助を待つ人が救助をする人に自分の場所を教えるために、どんな方策、どんな機器が可能だろう?
よくはわからない。

携帯電話に、通常の通話とは別に、緊急救助要請信号のみを自動的に長時間発信できる特殊な機能を装備するのか。
あるいは、市販品として、救助要請信号を発するGPSチップでも発売し、災害時には居場所が一斉にマッピングされるようにでもするのか。
そういうモノを発明するのにはたぶん時間も金もかかるだろうが、期待はしたい。

マス・メディアを、ニュースを垂れ流すだけの「発信場所」として使うのは、メディアの古いの活用スタイルだ。
そうではなく、もっと「被災した側」の情報を「受信するためだけの場所」「アンテナ」として機能すべきだと考えはじめて、それを実際に実行しはじめている局も、番組もある。それはいろいろ限界をもつにせよ、ものすごく価値のある試みだ。

なんにせよ、
生死にかかわる災害時の一方通行のコミュニケーションの問題を解決するため、新しい技術を開発し、またメディアの活用コンセプトを変えてほしいと、切に願う。

もういい加減に一方通行の時代は終わってほしい。






March 19, 2011

音楽がなくても死にはしないなら、じゃあ、いったいなんのために音楽家や画家が存在しているのか。
なんとなくはわかっていても、そんなこと、ひとことで言えるくらいなら、ブログ主は寺の坊主にでもなれるかもしれないが、そんな才能はないので、いつものように長々と書くしかない(笑)


日本のプロ野球を開催すべきかどうか、について、非常にトゲトゲしい議論が交わされている。
ある者は「節電しなければならないこんなときに、ナイターなど、とんでもない!」と怒り、ある者は「経済が沈没してしまったら、日本全体が沈没してしまう。そんなことにならないためにも、野球を開催しろ!」と主張する。また、ある者は「故郷が災害にやられ、知人の消息もわからない今、とてもプレーする気分になどなれない・・・」と肩を落とす。

どれも、ちょっとみると、真っ当な意見っぽく見えないこともない。
だが、真っ当っぽいが、どれもこれもそれぞれの立場にそって感想を言っているだけで、まなじりが釣り上がり、肩に思い切りチカラが入っている割りには、中身はない。
発言している誰もが、大きな震災のストレスによる緊張に満ちて発言しているのが、よくわかる。


それではダメだ。


東京では「余震で揺れているわけでもないのに、カラダが揺れている」と感じながら毎日を送っている人が、非常にたくさんいる。
公衆道徳を説くCMが繰り返されるだけのテレビを見て、いつ止まるかわからない電車で出かけ、マトモに動いていない会社で仕事して、いつ計画停電に出くわすかもしれない家に帰り、次にいつ買えるかわからないコメを食べる。クチには出さなくても原発に恐怖を感じ、そして日本の行く末にも多少の不安を感じている。

これでストレスを感じないわけがない。

被災しているのは東北の被災地の人だけではない。
日本の誰もが、ストレスを感じている。
このストレスは十分に災害だ。



ブログ主は2つ、言いたいことがある。

ひとつは、
いつまで心が折れたままでいるんだ、気分を切り替ろ、
ということ。
2つめは、
「平凡でない人生を送る道を選ぶ」にあたって必要な心構え。


野球選手、野球関係者、官庁の人。いまストレスのたまりきった状態の人たちが「絶対にやるべきでない」「いや、絶対にやるべき」と、堅苦しい議論をしている。

ブログ主は、両方とも、どうでもいい。
どうしたらできるか? 考えて、可能にすればいい。それだけだ。
なにもナイターの公式戦を毎晩やれ、なんて思わない。デーゲームでいい。ホームグラウンドでなくてもいい(ホームでないほうが、地方の人を元気にできるし、野球の啓蒙にもなるしで、そのほうがいいくらいだ)もしデーゲームですらできないのなら、晴れた日に、晴れたグラウンドに集まって、チャリティー・ゲームをやったっていい。別になんの問題ない。


大事なのは、「こういう不安定な日本が当分の間、続く」ことに、腹をくくらないとダメだ、ということだと思う。
「地震の恐怖心と、故郷が壊れた悲しみで心が折れて、いつまでたっても気持ちが沈んだまま、気持ちが切り替わっていかない人間」同士が、まなじり釣り上げて必死に議論しても、野球も人生もリスタート、再開できない。なんでもかんでも節約するべきだ、なんて極端で、貧しくて、暗い、工夫のない意見に、ブログ主は賛成しない。



昔から、歌舞伎役者、碁打ちなど、特定の職業では「親の死に目に会えない」と言われてきた。
その言葉が比喩かどうか、それはわからない。人を楽しませるような特殊な仕事についたことで、普通の人と同じ穏やかな人生を全うすることは難しいのか、それも知らない。
だが、ブログ主は「コメを作るのでもなく、魚を獲るのでもなく、野球選手のような、特殊な形で他人様から大金を頂戴して生きていける道を選んだ人は、自分は親の死に目には会えない、それくらい腹をくくって、振り返らずに自分の仕事にあたるべきだ」と、これまで思ってきた。

芥川龍之介は、『杜子春』という作品で、痛めつけられる親の姿を見て、思わず「お母さん」と叫んで現実に引き戻される男を描いたわけだが、「親の死に目にも会えないような仕事」においては、自分の天職を中断して「お母さん」と叫びながら病院に駆け込むことが許されない、そんなふうに思うのである。

たしかに、ダルビッシュの言うように、今回のような大災害は、「ボールを投げ、バットを振り回している場合じゃない」と思えるほどの緊急事態である。
だが、ブログ主が思うのは、こういう未曾有の事態のときにさえ、ボールを投げ、バットを振り回して、人に勇気を与えなければならない、そういうキツい立場なのが、プロの野球選手だ、ということである。

もちろん、シンディ・ローパーのようなミュージシャンも、何も薬のない荒野で診療を続ける医師や、放射能に満ちた現場に向かうレスキューや自衛隊員のような特殊な仕事でも、同じだ。彼らは、程度の差こそあれ、非常時には、進むか退くか、腹をくくらねばならない。臆病なことを言っていては、日本は壊れてしまう。


平凡には生きられない、特別な道を選ぶ人がいる。
そういう人は、平凡な人にとっての支えになることもある。また、邪魔になることもある。
いずれにしても、平凡でない道を選ぶ以上、腹をくくらなければ、平凡でない人生を生きる人間に「道」はない。
平凡な道を歩む人と、そうでない人、その両方がいて、世界ははじめて、まがりくねった困難な道、ビートルズの言うロング・アンド・ワインディング・ロードを前に進むことができる。



いまテレビで、詩人金子みすゞ(かねこ みすず)さんの書いた詩の一片が、災害時の道徳教育でもするかのように、一日に何百回と流されている。
だが、この「金子みすゞさん」が、26歳という短い一生を、どれほど過酷で、どれほどどうしようもない状況の人生を送らなければならなかった人だったか、まったくメディアは知らせていない。知らせもせずに、メディアは彼女の珠玉の詩から勝手に、こういう災害時に耳ざわりのいい道徳的教訓だけを勝手に引き出して、のほほんと流し続けている。詩人など普段は無視しているくせに、都合のいいときだけ作品をもってきているのである。
やはり詩人も、平凡でない道を歩むしかない孤高な仕事である。
リンク:金子みすゞ記念館

金子みすず金子みすゞ
1903年(明治36年)4月11日生
1930年(昭和5年)3月10日没
26歳



野球を、やるべきだ、やるべきでない。両方の意見がある。
でも、それは単なる「べき論」、単なる「意見」にすぎない。覚悟をともなった「工夫」ではない。

工夫すれば、原発の暴走は止まる。
ならば、だ。
工夫すれば、野球くらい、できる。
野球くらいできる工夫ができなくて、この難局をどうする。


悲観的になるばかりでは、何も乗り越えられっこない、というのがブログ主の意見だ。
悲しい気持ちになって、心が折れるのは、わかる。
だが、ストレスに負けている意見など聞きたくない。

なぜ工夫しようと思わないのか。
ストレスで、頭が固くなっているだけではないのか。


いま、最も野球が必要なのは、心をひどく痛めつけられた野球選手そのものかもしれない。ある種の腹のくくれない野球関係者が、いま最も感じているストレスは「いったいなんのために野球なんてものがあるんだろう?」という弱々しい疑問なのかもしれない。
時代が平穏なら考えないような疑問を突きつきられ、考えさせられるのが、非常時というものだが、自分がきちんと解答を示せないでストレスばかりがたまるのは、自分が腹をくくれてないからだ。



こんなときだからこそ、野球選手は
目をつぶって深呼吸するべきだ。

そして目をあけたら考えてほしい。
自分が、誰のために野球という場所を保証され、生きているのか。
寄付さえすれば、野球選手なのか。

寄付するのは、お金さえあれば誰でもできる。
だが、野球で人間を充電できるのは、プロの野球選手だけだ。


コメをつくってくれ、魚を獲ってくれ、とは誰も言わない。、
畑も、漁船も、ほっといてくれていいから、火の出るような熱いボールを投げ、ボールをたたきつぶすようなスイングでバットをうならせて、ぼくらに、ちょっとだけ現実を忘れて、おかしな体の揺れをとるお手伝いをしてくれれば、ぼくらにはまた、荒れた大地を耕しなおすチカラが湧いてくる。


野球がなぜ存在しているのか、
そんなことをデスクの前で考えているのは、
野球選手らしくない。
グラウンドに出ず、家にひきこもっていてはダメだ。

グラウンドで汗を流して、君らの給料のもとになっているファンと触れ合ってもないのに、その答えが自分の頭の中にみつかる、なんて思うのは、
不遜な考えもいいところだ。


グラウンドに出ろ。
汗を流せ。


野球の仕事は、グラウンドにある。

March 18, 2011

SUKIYAKI

先日シンディ・ローパーのことを記事にしたが、日本人で、いまの日本を勇気づけられるシンガーがいるとしたら、この人以外、思いつかない。


坂本九さん。


坂本九さんは、1985年8月12日、あの日本航空123便墜落事故に巻きこまれて亡くなられている。(この事故、野球関係者では、阪神タイガース社長中埜肇氏も亡くなられている。遺体の身元確認が難航する中、中埜氏の遺体が確認できたのは、決定的遺留品として、この1985年に阪神タイガース球団が創立50周年を迎えたことを記念して作られた虎のロゴマーク入りのネクタイピンだった。同1985年10月16日、阪神タイガースは1964年以来となる21年ぶりのセ・リーグ優勝を遂げ、そのウイニングボールは中埜氏の霊前にたむけられた)
奇しくも、この1985年はシンディ・ローパーも参加したWe Are The Worldがレコーディングされた年でもある。


この震災にみまわれた2011年に、九さんの歌をYoutubeで聞いてみた。

昭和の歌だが、リクツ抜きにカラダに歌のチカラがしみわたってくる。
なぜ日本人坂本九さんの「上を向いて歩こう」が、「スキヤキ」として全米を席捲し、かのエド・サリバンショーにまで招かれたのか、その理由が、嫌というほどわかる。(ちなみに、たいへん残念なことだが、九さんは当時スケジュールがあわないという理由で、オファーがあったにもかかわらず、エド・サリバンショーに出演していない)

他のどの曲も、どうしてこんなに「せつな明るく」、素晴らしいのだろう。


   「二人なら 苦しくなんかないさ」


もう言葉にならない。


日本のミュージシャンはつまらないレコード会社の枠など越えて、日本版We Are The Worldプロジェクトとして、「上を向いて歩こう」をレコーディングし、世界に向けて発売すべきだと思う。(ただし泉谷しげるを除外)

ブログ主のどうでもいいリクツより、動画をクリックして曲を聴いて歌を胸に刻み、今日という、二度と来ない1日を、精一杯頑張ってほしい。



上を向いて歩こう

1961年4月からNHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」の10月、11月の「今月のうた」として発表され、同年10月にレコードが発売された。作詞永六輔、作曲中村八大。
春のセンバツ高校野球大会の入場行進曲に、日本国内で流行した曲が使われるようになったのは1962年の第34回大会からだが、その第1号の曲が、この「上を向いて歩こう」である。
坂本九さんは、67年70年と2度行進曲に選ばれている競作の「世界の国からこんにちは」を除いても、単独で発売した曲が、「明日があるさ」を含め4曲もセンバツの入場行進曲に選ばれており、この最多記録は今も誰にも破られていない。

下記のYoutubeのクリップの冒頭、英字新聞のカットで、この曲のタイトルを、SUKIYAKIではなく、SUKIYAKAと表記しているのは、間違いではない。むしろ、これがある意味、正しい。
なぜなら、アメリカで最初にこの曲を紹介したのは、ワシントン州パスコのラジオDJリッチ・オズボーンで、前年にイギリスでSUKIYAKIというタイトルで発売されていた「上を向いて歩こう」をオズボーンがラジオ番組内で紹介して評判になり、レコードとして発売されることになった経緯があるのだが、このときSUKIYAKAと、最後の一文字が誤記されたまま発売された、という歴史があるからだ。

ちなみに、2009年5月に亡くなった忌野清志郎は、1979年に「上を向いて歩こう」をカバーしている。
忌野清志郎がユニットを組んだことのある坂本龍一が畏敬する70年代の天才サックスプレーヤー阿部薫は、坂本九さんの甥(坂本さんの姉の息子が阿部薫)にあたり、坂本さんと阿部薫は、ともに神奈川県川崎市の出身なのだ。
また、R&Bの聖地テネシー州メンフィスは、リズム&ブルースに傾倒していた忌野清志郎の憧れの地で、2006年にレコーディングも行っているが、震災のなか来日して公演中のシンディ・ローパーもニューアルバムをメンフィスでレコーディングしており、さらには、「上を向いて歩こう」をカバーしようとしていたらしいエルビス・プレスリーが育ったのも、この街だ。

上を向いて歩こう - Wikipedia
Sukiyaki (song) - Wikipedia, the free encyclopedia

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 思い出す春の日 一人ぼっちの夜

 上を向いて歩こう
 にじんだ星をかぞえて
 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜

 幸せは 雲の上に
 幸せは 空の上に

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 思い出す秋の日 一人ぼっちの夜

 悲しみは 星のかげに
 悲しみは 月のかげに

 上を向いて歩こう
 涙がこぼれないように
 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜

 一人ぼっちの夜
 一人ぼっちの夜





見上げてごらん夜の星を

大阪労音が1960年に制作・公演した同名のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の劇中主題歌。作詞永六輔、作曲いずみたく。
見上げてごらん夜の星を (曲) - Wikipedia

 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる

 手をつなごう ぼくと
 追いかけよう 夢を
 二人なら 苦しくなんかないさ

 見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる




明日があるさ

日本テレビのテレビドラマ『教授と次男坊』主題歌。作詞青島幸男、作曲中村八大。
明日があるさ - Wikipedia

 いつもの駅でいつも逢う
 セーラー服のお下げ髪
 もうくる頃もうくる頃
 今日も待ちぼうけ
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 ぬれてるあの娘コウモリへ
 さそってあげよと待っている
 声かけよう声かけよう
 だまって見てる僕
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 今日こそはと待ちうけて
 うしろ姿をつけて行く
 あの角まであの角まで
 今日はもうヤメタ
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 思いきってダイヤルを
 ふるえる指で回したよ
 ベルがなるよベルがなるよ
 出るまで待てぬ僕
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 はじめて行った喫茶店
 たった一言好きですと
 ここまで出てここまで出て
 とうとう言えぬ僕
 明日がある明日がある
 明日があるさ

 明日があるさ明日がある
 若い僕には夢がある
 いつかきっといつかきっと
 わかってくれるだろ
 明日がある明日がある
 明日があるさ




March 17, 2011

このブログの本来の持ち味といえば、「歯に衣を着せぬモノ言い」とでもいうことになる(苦笑)
歯に衣を着せぬ、といっても、言いたい放題でやってきた、というつもりはまったくない。むしろ主張の根拠としてデータやロジックを常に示しながら主張してきたつもりだが、いずれにしても、いらぬ遠慮などしていては、物事がクリアにならない、という立場であることには変わりない。


この地震については、勉強不足も多々あるし、災害時に一定の慎みは求められるわけだから、どうしても、きつい物言いはしにくい。
だが、そんな生ぬるいことでは、こういうスタイルのブログをやってきた意味もない。今回の地震の対策ぶりで気になる点があるので、このブログらしいクチの悪さ、遠慮の無さを久しぶりに発揮して、発言してみたい。



問題にしたいのは
伝言、募金、支援物資の乱立と、それによる無駄な災害情報の氾濫である。
災害の規模があまりにも巨大すぎるだけに、震災関連情報も膨大になる。それはそれでやむをえないのだが、膨大すぎる情報は利用しにくい。
いま、本当に必要な人のもとに「情報」と「モノ」が届いていない。いくつか例を挙げてみたい。


数が多いわりに機能してない災害用伝言システム

災害用の伝言システムは、NTT東日本、携帯電話各社、Yahooなどのインターネットのポータルサイトだけでなく、ツイッターなどを見るかぎり、それ以外にも、さまざまな場所に用意されているらしい。
だが、被災者側から見て、これだけ乱立した伝言システムの状態は本当に利用しやすい状態だろうか?
こういう状態は、被災者に対して、たくさんの伝言システムを全てチェックでもしないかぎり、自分の探している人と連絡がとれない、という状況を強制していないだろうか?
(もちろん、もしこの指摘が単にブログ主の勉強不足、理解不足が原因なら、平身低頭して謝る。以下の記述についても同様である)
伝言システムを用意した側の好意は、好意として素晴らしい。だが、被災者には、全ての伝言システムを見て回ることができるだけの電源は無い。それどころか、通信手段そのものも用意されていない。移動基地局も少なすぎる。結果、あまりにたくさんの伝言システムが乱立しても、被災者はそのメリットを十分に活用できわけがない。
また、たとえば、ひとつの家族で、家族全員がドコモを利用しているわけではなく、「父親はau、母親はドコモ、子供はソフトバンク」というような場合だってあるだろう。そういう場合、どうするのか。

参考資料:報道発表資料 : 携帯電話事業者間における「災害用伝言板横断検索機能」の導入について | お知らせ | NTTドコモ
上記プレスリリースによれば、携帯会社の違いを越えたシステムを構築しようという動きはあるにはあるらしいのだが、それが実現できているというソースがどうもみつからない。


募金の乱立

募金も乱立している。これについては、伝言システムの乱立よりさらに強く疑問を感じる。
日本赤十字社をはじめ、マス・メディア、芸能人、スポーツ関連、街角の募金を自主的にすすめる人たち、NGO、NPO、さまざまな立場の人たちが、さまざまな場所で募金窓口を開設なさっているようだ。素晴らしいことである。
だが、募金(それも、特にマス・メディアの主催する募金)について思うのは、これだけたくさんの「窓口」が必要だとは思えない、ということ。また、数多くの募金システムを通じて集められる現金なりは、どういう経路で、誰に向かって使われるか、という疑念もある。被災地ごとに、募金の配布のバラつきが生じないものなのだろうか。

もしも、それぞれの募金の大半が、いったん全額が日本赤十字社にでも集められて、赤十字社なり政府が、被害を受けた地域ごとに、被害の程度に応じて配分するシステムにでもなっているのなら問題はない。
だが、もしもそうでないのなら、配布する人たちそれぞれの配布先がバラつくことによって、支援が地域によってバラついてしまうのではないのか。こんな混乱した状況だし、多少の混乱やバラつきはやむをえないが、募金による支援にあまりにも不公平感が出るのでは、いいわけがない。


被災者数と支援物資のアンバランス
避難所ごとの格差


高速道路を物資支援のトラックが走れるようになって、食料や、毛布、水など、さまざまな支援物資が現地に送られはじめているようだ。これについても、募金の乱立と似たような心配がある。

さまざまな自治体、企業、芸能人、スポーツ関連、NGO、NPO、さまざまなシステムを通じて集まった支援物資は、どういう経路で、どこに向かっっているのだろう。
自衛隊が、いちどどこかの拠点に集約して、行き先と届ける量を管理しているのなら、まだいい。
しかし、テレビで中継されている避難所や、特定の自治体が「特定の、仲のいい自治体」に向けてモノを送る、というような送り主の都合に左右されるようなバラバラな取り組みがあまりにも数多く起きてしまっているようだと、避難所ごとに届けられる物資に大きな格差ができてしまう。
簡単にいえば、ものすごく恵まれた避難所がある一方で、何もモノが届かない避難所がある、というような状態だ。これを避ける工夫が必要になりつつある、と思う。

自衛隊、被災地への物資輸送一元化・迅速化 (読売新聞) - Yahoo!ニュース


上に書いたような屁理屈はいい、じゃあ、おまえ、どうすればいいと思うのか?と、言われそうだから、思いつきで書いておく。


アナログな災害伝言システム

(今回は無理なのかもしれないが)各人が利用できるメディアは、避難者、避難所によって違う。各人が使っている携帯電話の会社の違いなど、差異に左右されることなく、被災者の伝言などを、なんらかの方法で集約し、整理し、届けるシステムが必要だ。現状の伝言ダイヤルは明らかに不十分だ。その結果、沢山の人が貴重なガソリンを使って、避難所全てを回って、壁の紙に書かれた伝言を見て回ったりして、家族や親族、友人を探そうとする。気持ちはよくわかる。
こうした伝言システムの不備に業を煮やしたテレビ局が、避難所を取材してほんの数人の伝言を中継しても、それはテレビ局の取材スタッフの自己満足にしかならない。それではせっかくのテレビという広域メディアを使う意味がない。

ブログ主がなにか作業をするときいつも心がけていることのひとつは、「これまでの経験の積み重ねから、ひと目見て、パッと段取りが頭に浮かぶのが普通だが、もし迷うようなことがあれば、そのときは、段取りをウジウジ考えて時間を無駄にしてはいけない。どんな段取りでもいいから、まず取り掛かる。そのほうが、結局早く作業が終わる」という法則がある。

この伝言システムの場合も、結局は「紙とマジック」で、現地で被災者に手で「自分の名前と住所、探したい人」を書いてもらい、「誰が、どこにいるのか」「誰を探しているのか」を集約する、なんていうアナログな方法こそ、確実という気もするのだ。
どんなシステムがいいのかを考えこむくらいなら、紙とマジックを自衛隊の方にでも全部の避難所に配って、お年寄りに書きこんでもらい、それを回収したほうが結局早い、と思えてならない部分があるのである。


募金窓口を減らす

全部の募金を一本化する必要はない。自由度は必要だ。
だが、せめて、日本国内の地上波のテレビ局や新聞社といった、マス・メディアの募金システムくらい、全部のテレビ局をとりまとめている民放連か、新聞連盟か、総務省かどこかが、とりまとめて「ひとつの募金名、ひとつの口座」にできないものか、と思う。
非常にたくさんの募金先があって、たくさんの銀行の口座番号が乱立していては、口座名情報が膨大になるばかりで、なんの意味もない。
加えて、募金の窓口をできるだけ減らすことには、怪しげな募金、募金詐欺を防ぐ、という意味もある。


モノを供給するより、
「ヒトを、被災地から遠い、インフラの完備した場所」に
移動することを基本にする


多くの被災者が食べているものは、いまだに「1食で、1個のパン」などというケースも多いらしく、とても栄養が足りているとは言えない。暖房も無い。
そうでありながら、被災者を救援する側は、応急処置として毎日毎日パンや水を大量に被災地に運ばなくてはならないのは言うまでもない。

だが、しかし。

何10万人もの人間の食事を確保しつづけることを前提にした救済システムには、そもそも無理がある
「他県に移動できる健康状態の被災者」は、政府で大型バスを大量に借り上げてでも、可能なら原発から遠い西日本へ、西日本が無理なら最低限関東以西の安全な場所に移送するシステムを作動させる必要がある、と思う。
また、放射能の脅威から身を守るために高速バスや飛行機などを利用して自主的に西に逃れる人が増えることにも意味があると思う。

被災地の人数が減ることは、被災地の避難所に供給しなければならない物資の総量が減ることを意味し、さらに、被災者ひとりあたりに配ることのできる物資の量が増えることを意味する。
簡単にいえば、避難所の人数が減れば「ひとり1日にパン1個」だったのが、「2個」食べられるようになるかもしれない。「ひとりあたり毛布1枚」だったのが、「ひとりあたり毛布2枚」にできるかもしれないということだ。

放射能を避ける意味で他県に行く人で、西日本などの他県には身寄りの無い人もいるだろう。そういう場合も、各県の官舎や公営住宅を開放するなり、各家庭が臨時のホームステイ先になるなりの方法で、日本中で分散して被災者を受け入れて、受け入れ側の負担を共有していく必要がある。

これだけの人数の人が同時に被災した天災は、日本でほとんどなかった。だから、これまでの災害のように、被災者に一時的に避難所の生活を続けてもらいながら、一方で仮設住宅の建設を待つ、という手法はまったく通用しないと考えるべきだと思う。
そんな手法では、とてもとても40万人もの人たちのために、暖房、暖かい食事、水、暖かいお風呂などを短期に確保することはできない、と思う。

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最悪の状況に置かれても「我慢」のできる日本人の国民性はたしかに素晴らしいし、他国から賞賛されれば面映い(おもはゆい)し、誇りにも思う。
だが、決断の遅い人を待っていることを、「我慢」と呼んではならないと強く思う。そんなのは我慢じゃない。

「考えてから走る」のでは遅い。
こういうとき必要なのは、
「走りながら考える」ことだ。






March 13, 2011

1985年の「USAフォー・アフリカ」として集結したミュージシャンたちが歌った名曲 We Are The Worldの最初の歌いだしは、マイケル・ジャクソンとともにこの曲の作詞・作曲をしたライオネル・リッチー

There comes a time
when we heed a certain call
When the world must come together as one


と、静かに歌い出すところから始まる。
(heed:他動詞 〜に気を付ける、〜を気に掛ける、注意{ちゅうい}を払う、〜を心に留める、留意{りゅうい}する)



ライオネル・リッチーが口を開いて歌い出すその瞬間、瞬時に鳥肌が立つ。声を張り上げるわけでもない。なのに、正確だし、なによりハートが熱くなる。
これが、いわゆる「歌のチカラ」というやつだ。聞く人は、彼が「本当のなにかをもって生まれてきた歌手」のひとり、であることがわかる。そして、この曲に参加している天才シンガーたち全員が、空間に解き放つ「声」は、世の中には、天性ならぬ「天声」とでもいうべきものが存在していることを、まざまざと教えてくれる。
ウィ・アー・ザ・ワールド - Wikipedia

この曲のメイキングでは、狭いスタジオに一同に会したミュージシャンたちが、深夜どころか朝になるまでレコーディングを繰り返したことが記録されているが、数ある有名なシーンの中に、シンディ・ローパーがジャラジャラつけていたアクセサリーについて、エンジニアか誰かに「録音にジャラジャラ音が入る」と言われて、シンディが笑顔でアクセサリーをはずしてOKテイクを歌う、というシーンがある。

当時のシンディは、前年84年にソロ歌手としてGirls Just Want to Have Funでメジャーデビューを果たして大ヒットをぶっ飛ばしたばかりの新人だったわけだが、We Are The Worldの録音においては、アメリカの名だたる大御所だらけの中、遠慮なく自分のスタイルで堂々とシャウトしまくり、名録音を残した。
(大ヒット曲Girls Just Want to Have Funは当初、日本での曲名は『ハイスクールはダンステリア』とかいう、わけのわからないタイトルだったが、後にガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファンと、原曲名どおりのカタカナ表記に訂正された)


シンディ・ローパーは、新幹線の中でビール片手にスルメ(笑)をかじるほどの親日家として知られている。
彼女が親日家になった理由については、彼女が1989年に日本の番組に出演した際に、以下のエピソードを披露した。
なんでも、シンディが定職もなくブラブラしていた時、ニューヨークで『ミホ』というジャパニーズレストランを経営しつつ、売れないアーティストの支援もしている鈴木サクエさんという日本人女性から、「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘われ、鈴木さんは常にシンディに、「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励した。この出会いがシンディを日本贔屓にさせるきっかけとなった、らしい。

その後シンディは、We Are The Worldから10年たった1995年の阪神淡路大震災の折にも、寄付を行ったのみならず、1996年2月3日に震災チャリティーとして行われた生田神社震災復興節分祭の「豆まき神事」に、「この豆まきに参加する、ただそれだけのためだけ」に来日している。

いかに、シンディの親日家としてのパフォーマンスがホンモノであるかがよくわかる。
シンディ・ローパー - Wikipedia


さて、日本の東北地方での大震災が起きる約1週間前、2011年3月4日にシンディはブエノスアイレスの空港にいた。そのとき空港ではフライト遅延や欠航が続出、怒りに燃える乗客から空港側に抗議が殺到して、非常に殺伐とした雰囲気に満たされていたらしい。

たまたまその場にいたシンディがとった行動は、なんと、「空港のアナウンス用マイク」をひっつかんで、『Girls Just Wanna Have Fun』を歌い出す、というものだった。

世界的ミュージシャンの突然の「空港ライヴ」が始まったことで、乗客や乗務員が大合唱。みんなの表情は一変して歓喜の笑顔になったという。
このときのシンディの雄姿は、たまたまその場に居合わせた幸運な人々が家庭用ビデオカメラで撮った映像として、何種類もYoutubeにアップされている。
興が乗ったのか、シンディは、Girls Just Wanna Have Funだけで終わらず、名曲True Colorsまで歌ってみせた(笑)
Cyndi Lauper : シンディ・ローパー、怒りを一瞬で笑顔に / BARKS ニュース




「さすがシンディ」と思わせたブエノスアイレス空港での心温まるエピソードが某巨大掲示板などで紹介され、大きな話題になったのは、つい先週の、それも、東北で巨大地震が起きる前のことだ。
ブログ主も先週の時点ですでにこのニュースを知っていて、これをどうにかMLBと関連づけて記事にできないものか考えていたのだが、まだ記事にしないうちに、この巨大地震が起きたのだ。


そのシンディ、今の今、いる場所は
どこだろう。

日本、である。


どこまで日本に縁のある人なのだろう。
15年前、あの神戸の地震において、あれほど日本を気にかけてくれたシンディが、ブエノスアイレスのハプニングの後、どうやら日本でコンサートのために来日していて、偶然この東日本大震災に遭遇したらしいのだ。

この人、ほんとうに
「なにかもっている」。


こんな状況のもとだし、多数の人数を集めてコンサートを開くことは簡単ではないだろうし、もしかしたらコンサートは中止になるのかもしれない。

だが、ばかばかしい妄想とのそしりを承知、無理も承知でブログ主は妄想したいと思う。
15年前に大地震にみまわれた、あの神戸のスタジアムで、テレビカメラを前に、あの笑顔で、日本の「さくら」を、日本全国に向けて歌うシンディの姿を見てみたい。
余震も多いことだし、安全を考えれば無観客なのはやむをえない。また、ブログ主の好みからいうと、本当はシンディのヒットソング、たとえばTime After Timeなんかを聞きたいところだが、残念なことに、日本のお年寄りの方にはおわかりにならないだろう(苦笑)。神戸スタジアムが無理なら、シアトル・マリナーズの開幕戦で歌うのも、可、である(笑)


シンディが口を開いて、
さくら」と、
歌いだした瞬間に、
1985年にWe Are The Worldの最初の歌いだしをライオネル・リッチーが歌い出したときと同じように、「歌のもつチカラ」は、人々の心の奥深くに刻まれるのではないか。そう思うのだ。

さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん

さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり


Girls Just Wanna Have Fun

I come home in the morning light
my mother says when you gonna live your life right
oh mother dear we're not the fortunate ones
and girls just want to have fun
oh girls just want to have fun

the phone rings in the middle of the night
my father yells what you gonna do with your life
oh daddy dear you know you're still number one
but girls they want to have fun
oh girls just want to have--

that's all they really want some fun
when the working day is done
girls-- they want to have fun
oh girls just want to have fun

some boys take a beautiful girl
and hide her away from the rest of the world
I want to be the one to walk in the sun
oh girls they want to have fun
oh girls just want to have

that's all they really want
some fun when the working day is done
girls--they want to have fun
oh girls just want to have fun,
they want to have fun,
they want to have fun...






March 12, 2011

いま、まざまざと思い出すのは、15年前の、あの1995年1月17日の阪神淡路大震災の後、「がんばろう神戸」というメッセージを掲げて懸命にプレーし、ついには初のリーグ制覇したたイチローと仰木監督の時代のオリックスである。

第二次大戦後の荒廃した日本で、街頭テレビに映るプロレスの映像は当時のすさんだ人心を非常に勇気づけたと聞くが、阪神淡路大震災の直後は、神戸での試合開催が危ぶまれたが、最終的には神戸での試合開催が決定され、その後のオリックスの快進撃は被災者の傷ついた心を大いに慰めた。

がんばろうKOBE画像をクリックするとッ保存することができます。パソコンの場合は、画像を右クリック。携帯の場合はメニューから「画像保存」に関連するメニューを選択。



WBCへの熱狂を例に引くまでもなく、
ぼくらは、いつも白球を追い、
野球はいつも、ぼくらと、ぼくらの暮らしを勇気づけてくれた。


今回の大きすぎる地震被害は、阪神淡路大震災よりさらに広範囲に及んでいる。

だが、われわれは頑張れる。
かつての神戸がそうであったように、必ず壊れされた街と暮らしを甦らせる。

だが、頑張るには、チカラが必要だ。

だからイチローはじめ、たくさんの野球人が、熱いプレーする姿をみせて、阪神淡路大震災のときと同じように、ヒトを勇気づけるエネルギーを与えてほしい。既にMLBコミッショナーバド・セリグ氏も、MLBによる日本の救援活動を約束してくれている。(もっとも、カリフォルニアやハワイにも2mを越すTSUNAMIが到達して被害が出ているので、アメリカも日本同様にこの地震の被害者でもある)

Bud Selig issues a statement on the earthquake and tsunami in Japan | HardballTalk

Japanese baseball players concerned for family in wake of earthquake | MLB.com: News


がんばるぜニッポン
負けないぜニッポン

がんばるぜニッポン
負けないぜニッポン


災害用伝言板

災害用伝言ダイヤル(NTT東日本)

災害用伝言ダイヤル(171) | NTT東日本

災害用伝言ダイヤルで伝言を残す 171 → 1 → 電話番号
災害用伝言ダイヤルで伝言を再生 171 → 2 → 電話番号

災害用伝言ダイヤルのもっと詳しい使用方法
まず 171 にかける

「録音される方は1(いち)、再生される方は2(に)、暗証番号を利用する録音は3(さん)、暗証番号を利用する再生は4(よん)をダイヤルして下さい。」との案内が流れる

次に
録音は1を押す
再生は2を押す

伝言を録音する場合も、伝言を聞く場合も、ここで
「被災地の方はご自宅の電話番号、または連絡を取りたい被災地の方の電話番号を、市外局番からダイヤルして下さい。被災地以外の方は連絡を取りたい被災地の方の電話番号を、市外局番からダイヤルして下さい。」
とのメッセージが流れる。1(録音)か、2(再生)を選んだ後、電話番号を入力する。

伝言を残す自分の電話番号、または
伝言を聞きたい相手の電話番号を押す

電話番号を押すと、案内が流れる。
伝言を録音する場合に流れる案内は
「○○○○(←電話番号)の伝言を録音します。プッシュ式の電話機をご利用の方は数字の1(いち)のあと#(シャープ)を押して下さい。ダイヤル式の方はそのままお待ち下さい。なお、電話番号が誤りの場合、もう一度おかけ直し下さい。ピッ」
伝言を聞く場合に流れる案内は
「○○○○(←電話番号)の伝言をお伝えします。プッシュ式の電話機をご利用の方は数字の1(いち)のあと#(シャープ)を押して下さい。ダイヤル式の方はそのままお待ち下さい。なお、電話番号が誤りの場合、もう一度おかけ直し下さい。ピッ」

NTT東西「災害用伝言ダイヤル171」のWeb版
「災害用ブロードバンド伝言板」

災害用ブロードバンド伝言板


ドコモ
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KDDI
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ソフトバンク
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ウィルコム
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イーモバイル
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Google Person Finder: 2011
http://japan.person-finder.appspot.com/?lang=ja

気象庁津波情報
気象庁 | 津波警報・注意報、津波情報、津波予報

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日本の為に祈りを。


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March 07, 2011

この記事はいちおう「ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月21日、ダメすぎる「1年目」の通知表。(1)巨人の主軸打者4人の打撃比較でわかる阪神のクライマックスシリーズ2ゲームの悲惨さ」という記事の続編だ。要するに、阪神移籍後のダメ捕手城島の「通知表」のようなもの。

このシーズンオフ、ダメ捕手城島の身辺にいろいろと賑やかな騒動が続いているのはわかっていた。だが、あえて書かなかった。
理由は、怪我をしたアスリートをあげつらうような真似をするわけにはいかない、と、単純に思ったからだ。怪我はアスリートにとって、どんな出来事よりも辛いことなわけだし、いくらダメな選手であっても、怪我をネタにしようとは思わない。

だが、ダメ捕手城島が膝の半月板を手術してからのトンデモ発言や傍若無人な行動ぶりを眺めるにつけ、きっちり書いて引導を渡す必要が生じているのがわかった。
アスリートの怪我をせせら笑う意味ではなく、ダメ捕手の「これまで」がわかっている立場の人間として、事の良し悪しをハッキリさせる必要があると考える。あんなおかしな発言がトンデモ発言だとわからないようなら、野球など見ないことだ。

以下、「問題児であるダメ捕手城島を獲得すること」につきまとう「多大なデメリット」を、「チームの負担するコスト」や「チームの抱え込むリスク」という意味において書く。コストやリスクは、なにも金銭面に限らない。



GMギリックが辞めてからというもの、シアトル・マリナーズにかかわる人間には、どういうわけか「問題児」といわれる人物が多かった。
かつてのGMバベシも酷いものだったし、バベシが獲得してきた打率2割の4番打者セクソン、防御率6点を越える先発投手ウィーバーシルバなども酷いものだが、彼らはまだ「才能の無いGM」とか「高給取りのクセに成績の酷いダメ選手」ですむところもある。
だが、ブラッドリーバーンズなどになってくると、もういけない。彼らはある意味、「モラルとか法律スレスレの、危ないスーパー問題児」だからである。
近年でいうと、ブログ主は、ベンチの中で監督とつかみあいまでしたフィギンズなども、トラブルメーカーという意味で十分「チームをゴタゴタさせる問題児」だと思っている。さらには、超守備的野球とか言い出してチームを破綻させておきながら、大失態を認めようとせず、それどころか「セカンドをまがりなりにこなしていたロペスを放り出し」、「ショートに自分のお気に入りのジャック・ウィルソンがいる」にもかかわらず、「別のショートの選手を獲ってきた」だけで飽き足らず、「ショートしかやったことのないジャック・ウィルソンをセカンドコンバート」とか、一度の失敗をさらに失策で上塗りするような愚策ばかり労する意味のわからないGMズレンシックも、本質的には野球音痴の、ある種の「問題児」だと思っている。音痴はプロのオペラに出るべきではない。

そして、かつてはシアトルファンにその厳然たる事実が気づかれることはなかったが、ダメ捕手城島が日本のプロ野球阪神に移籍して1年目の冬の動向を見てわかってきたことは、実は城島も、ただの「ダメ選手」ではなく、彼らと同じ、まさに「問題児」というジャンルの選手だった、ということだ。


プレー上での話に限って、この選手がいかに「多大なデメリット」を抱えた選手であるかは、例えば思いつきで挙げる例のいくつかを見てもわかると思う。

・リードの単調さによる投手の失点増
・成績を落とされる投手たちとの決定的な亀裂
・リーグ最低レベル打率、リーグ最多併殺打などの雑なバッティング

こうしたプレー上のデメリットは、ひとつひとつが巨大なマイナス要素だが、これらについてはシアトルでの4シーズンで十分すぎるほど証明が終わっている。
だから、もうこれから改めて議論することはない。
今後これらは、「事実」としてだけ扱われる。

MLB在籍中のあらゆるデータ。それだけではなく、MLBで前例のない「主要先発投手3人からのバッテリー拒否」という事実。野球の現場の首脳陣すら知らないところで、野球の成績と全く無関係に高額3年契約を与えてもらった事実。城島がチームにいられなくなって日本に逃げ帰っていなくなったことで、城島を拒絶していたフェリックス・ヘルナンデスが長期契約に応じてチームに残り、さらに最多勝投手、サイ・ヤング賞投手になった事実。あるいは、ESPN、FOX、Fieldimg Bible、PETACOなど、アメリカのスポーツ関連メディア、野球関連シンクタンクの大半から城島に与えられ続けたMLB最低の評価。
城島のシアトル時代の評価ついては、もはや議論の必要はない。



「出たがり」のコストとリスク

さて、ここから本題の「城島獲得のコストとリスクのはかりしれない大きさ」について書く。以下に挙げるのは、主として、存在するのがわかりきっているプレーの上のデメリットではなく、チームをマネジメントしていく上でのデメリットや、チームワークの問題が中心だ。
まず、シアトル時代の4シーズンの出場ゲーム数を見てもらおう。

2006年 144(131) 出場ゲーム数1位 先発数2位(CERA 4.81)
2007年 133(128) 出場ゲーム数3位 先発数2位(CERA 5.01)
2008年 100(95) 出場ゲーム数20位 先発数19位(CERA 4.57)
2009年 70(67)  出場ゲーム数37位 先発数35位(CERA 4.84)

最初にことわっておくのだが、城島の膝の半月板損傷が、どれほど、この「出たがり病」と相関関係があるのかは、正確にはわからない。(たぶん本人だってわからないだろう。1シーズンに何ゲーム出たら膝が壊れるとか、そんなこと誰にだってわからない)
ある程度の情報はネット誰でも入手できる、そういう時代だ。判断は、記事なりデータなりから、読む人自身が決めればいい。それがネットの時代のルールというものだ。


ダメ捕手城島は、シアトル在籍時から「MLBの常識では、控え捕手にまかせることの多いカード最終戦のデーゲームにまで出場を強行すること」が多々あった。これはある意味「病的なまでの出たがり」である。
勘違いされては困るのだが、この「出たがり病」は、出場ゲーム数が激減する前の、2006年、2007年だけにあった現象ではない。出場機会の激減した2008年、2009年にも、同じように見られた。つまり、怪我で休養する期間のあったシーズンでさえも、控え捕手が出場して正捕手は休養をとるのが普通のデーゲームにすら出場したがった、という意味である。

特徴的なのは、MLB移籍直後の2006年シーズンだろう。
このシーズンの城島はメジャーデビューしたての新人であり、「まだまだMLBの投手たちから信頼されるかどうかもわからず、MLBのシステム、MLBの配球論も知らず、英語もままならない外国人キャッチャー」でありながら、いきなり144ものゲームに出場している。そしてまた翌2007年も、133ゲームに出ている。

この初年度の出場ゲーム数の異様な多さは、明らかに実績にそぐわない。
と、いうのも、MLBデビューの2006年は、これまでこのブログでも触れてなかったデータだが、パスボール10個で、これはMLBの捕手ワースト5位であり、エラー数も8個で、これまたMLBワースト5位なのである。
明らかに、城島のもともとのキャッチングの下手さだけが原因ではなく、MLBのバッテリーシステムに対する不慣れさ、日本にはないMLBの投手の球筋や日本とは異なる配球術、外国語でのコミュニケーションに慣れていないこと、そしてそれらの新しい環境全てに自分から順応しようとしない融通の利かない頑迷な性格が、数字面から伝わってくる。「不慣れで、コミュニケーションがとれないだけでなく、自分にしかわからない個人的スタイルを他人にまで押し付けようとしてくる押し付けがましい外国人キャッチャー」のクセに、契約に守られて144ゲームも出場したことが、異様なパスボール数とエラー数で、まるわかりだ。
Kenji Johjima Fielding Statistics and History - Baseball-Reference.com
こんな不慣れな選手が144ものゲームに出場するのだから、出場させるチームの側もどうかしているが、だからこそ軟投派のベテラン投手ジェイミー・モイヤーなどは呆れて、長年在籍したチームを去った。
やがて、「城島問題」の本質的な解決どころか、むしろ成績と無関係な高額3年契約まで与えたオーナーサイドのやり方に業を煮やしたシアトルの先発投手たちが「一斉に城島とバッテリーを汲むのを拒否する」という前代未聞の反乱を起こし、チーム内の城島の居場所は実質消滅した。形として城島は、チームメイトたち自身の手でチームから追い出されたのである。


MLBをよく知らないひとのためにいちおう書いておくと、この10年ほど、年間130ゲーム以上も先発できる有力捕手というのは、1シーズンあたり5人以下程度しかいない。
イチローがデビューした2001年前後なら、ベニート・サンチアゴホルヘ・ポサダジェイソン・ケンドールラモン・ヘルナンデスあたりが出場ゲーム数の多いキャッチャーだし、近年ならヤディア・モリーナラッセル・マーティンブライアン・マッキャン、あとはカート・スズキ、丈夫さが売りの(笑)ジェイソン・ケンドールくらいだ。つまり、所属チームで「押しも押されぬ大黒柱」と認定されるような有力キャッチャーだけが、130試合以上もマスクをかぶらせてもらえるのだ。
2010 Regular Season MLB Baseball C Fielding Statistics - Major League Baseball - ESPN
もうMLBで20シーズン以上キャッチャーをやって、キャッチャーでの出場が歴代1位の2390ゲームになるイヴァン・ロドリゲス(日本では野村克也氏の3017試合)でも、130ゲーム以上出れたシーズンはこれまで、わずか6シーズンくらいしかない。
また、近年ではア・リーグを代表するキャッチャーのひとりになったジョー・マウアーも、キャッチャーとして130ゲーム以上出場したのは正捕手になった6シーズンでたった1度しかない。

ちなみに城島の2006年の「144試合出場」という数字は、MLBのキャッチャーの単年出場ゲーム数の記録として、なんと「歴代77位」にあたる。
「MLBのバッテリーワークの原理も知らず、英語もままならなず、MLBのやり方に従おうとする素直さ謙虚さもない、MLBド素人の新米キャッチャー」が、いきなり「MLB歴代77位」? よほど出場の保証された有利な契約をしていたのだろうが、この暴挙には呆れるほかない。
19シーズンプレーしたかつてのヤンキースの殿堂入り捕手ヨギ・ベラですら、140試合以上ゲームに出たシーズンは通算6回しか記録していないのである。

MLB歴代キャッチャー出場記録(歴代)
Single-Season Leaders & Records for Def. Games as C - Baseball-Reference.com
MLB歴代キャッチャー出場記録(シーズン別)
Yearly League Leaders & Records for Def. Games as C - Baseball-Reference.com
ヨギ・ベラのスタッツ
Yogi Berra Statistics and History - Baseball-Reference.com


阪神移籍後の全試合出場強行の「故障コスト」

さて、この「出たがり病」、阪神移籍後はどうだろう。
2010年に、セ・リーグで144ゲームにフル出場したプレーヤーは13人いるが、キャッチャーで全試合出場などという、わけのわからないことを実行したのは、城島ただひとりだ。
城島以外で最も出場ゲーム数の多いセ・リーグの捕手は、巨人の31歳、阿部慎之助の137試合だが、30代になったばかりの阿部でさえ、137試合はキャッチャーとしてプレーしたが、残り5試合は一塁手としてプレーして守備負担を減らしている。
2010年セリーグ在籍の捕手達
ちなみにパ・リーグでは、シーズンフル出場を、5人しか記録していない。キャッチャーのフル出場はもちろん無い。(パ・リーグ捕手の最多出場は、楽天の26歳と若い捕手が127試合でトップ)
パ・リーグには、先発キャッチャーはこの1人だけと決めてシーズンに臨むチームはほとんどなく、2人を併用するイメージが強い。
2010年パリーグ在籍の捕手達

肩の故障から外野からの返球が満足にできない阪神の金本外野手のフルイニング出場がいろいろと阪神ファンの話題にのぼった2010シーズンだが、金本、城島、両選手のファンでも支持者でもないブログ主から言わせてもらうなら、金本選手のフルイニング出場を手厳しく批判するのであれば、全試合出場を強行しておいて、挙句の果てに野球選手として致命傷になりかねない半月板損傷を患い、さらにチームがやむをえず捕手を補強すると、いちいち子供のように「心が折れたの、どうのこうの」と文句を垂れる選手も、同じように徹底的に批判されるのが普通だし、当然だと考える。(城島への批判をかわしたいのか何か知らないが、やたらとネット上で金本批判を煽って批判の鉾先が城島に向かないようにするのが城島オタクの常套手段だとしたら、それは卑劣な行為だ。こうした「ネット上でのすりかえ批判」は、シアトル時代にもたびたび見られた)


近未来の藤川球児のメジャー移籍を決定的にした
「人的コスト」


問題児城島を獲得する代表的コストのひとつに、「投手からの信頼の欠如」というのがある。シアトル時代については既に散々書いたが、阪神移籍後の代表的な「城島嫌いの投手」というと、たぶんクローザー藤川球児になるだろう。

2010シーズンのセ・リーグ最終順位は、終わってみれば「ほんの紙一重、ごくごく僅かの差」でしかなかった。
その厳しい競り合いの中で、阪神は、飛ぶボールを使い、近年では最強打線を揃えることに成功していたにもかかわらず、シーズン終盤の「ここが大勝負」といえる数試合の大事なゲームをことごとく負けることで、自ら優勝を逃した。
中でも、「お得意様」のはずの横浜戦で村田に打たれた痛恨の逆転3ラン、あるいは巨人戦の劇的な負けっぷりについては、このブログで詳細に書いたとおりだ。阪神の2010シーズン敗退のキーポイントはもちろん「ダメ捕手の、ダメリード」だった。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年9月30日、逆転3ランを打った村田が「なぜ、あれほど勝負のかかった場面で、高めのクソボールを強振できるのか?」についてさえ、何も書かない日本のプロ野球メディア、野球ファンの低レベルぶり。

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月17日、イニングに入る前から「そのイニングの全打者に対する配球をあらかじめ『ひとつ』に決めきって」、結果、ボコボコに打たれて逆転負け、ポストシーズン敗退というダメ捕手城島の想像をはるかに越えたダメリード。(1)「結論と原則」編

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月17日、イニングに入る前から「そのイニングの全打者に対する配球をあらかじめ『ひとつ』に決めきって」、結果、ボコボコに打たれて逆転負け、ポストシーズン敗退というダメ捕手城島の想像をはるかに越えたダメリード。(2)実戦編

ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月21日、ダメすぎる「1年目」の通知表。(1)巨人の主軸打者4人の打撃比較でわかる阪神のクライマックスシリーズ2ゲームの悲惨さ

こうした経緯の中で、優勝を逃した直後の藤川投手の「冷めた態度」が誰の目にも奇異に映らないわけがない。

では、彼がなぜああいう「冷めた態度」をとったのか?
そして、藤川投手が長年信頼を寄せてきた矢野捕手引退試合の、あの、あまりにも奇妙な展開。その後の藤川投手の発言の数々。藤川投手が優勝を自ら逃した2010シーズン終盤の痛々しいいくつかの負けゲームの「責任」について、「決定的な責任が自分にある」とは感じていないことは明らかだろう。

同じチームメイトとして言いたくても言えないこともあるだろう。ブログ主が、藤川投手が言いたくても言えないことを代弁するとするなら、こうだ。
シーズン優勝がかかっていた数試合の大事な場面、俺は、言われた通りに投げたまで、です
これらの大事な場面で藤川投手に、サインを出し、従わせたのは、「誰」か。言うまでもない。メジャー移籍の権利がとれ次第、藤川投手は城島の居座る阪神に別れを告げることだろう。

キャッチャーのリードというものに深く関心を持たず、優勝できたはずの2010年シーズンの責任の所在もわからないほど目の曇った阪神ファンが、キャッチャーの単調なリードによる自滅も理解せず、責任を疲労のたまった藤川投手にかぶせて狂ったように批判しまくっていたのが、ブログ主は哀れでならない。


故障によるキャッチャー補充の「金銭コスト」と
補強の追加による「選手枠の無駄づかいコスト」。
そしてシアトル時代そっくりの「捕手3人制」


本来は、ひとりの選手が全試合に出場しようと、しまいと、そんなことはどうでもいいのである。たとえ何試合出ようが、故障せず活躍さえしていれば、何も問題はない。
最初に書いたとおり、アスリートにとっての怪我は、本人にとっては選手生命にも関わることであり、そのこと自体をとやかく言うことはできない。

だが、しかし、である。

高額な長期契約の選手、それも、「キャッチャーが半月板損傷」というハプニングは、当然ながら、チームにとっては「重いコスト負担増」を意味する。

・かわりのキャッチャーの獲得
・かわりのキャッチャーに払う給料
・かわりのキャッチャーに提示せざるをえない複数年契約
・かわりのキャッチャーに保証する1軍枠
・かわりのキャッチャーが占める支配下選手枠
・かわりのキャッチャーが占めるプロテクト枠
・将来、故障が再発するリスク

実際、阪神は、城島の故障のフォローのために楽天イーグルスから藤井彰人捕手を獲得してきた。緊急事態に対応するためのキャッチャー確保が絶対条件になっていた阪神側としては、悪く言えば「城島復帰後もずっと使うかどうかわからない控えキャッチャー」に対して(もちろん、同時に、膝に爆弾を抱えた城島自身にしても、半月板損傷から復帰しても、4年後の契約満了までパーフェクトなプレーが続けられるかどうか、もうわからなくなっている)、単年ではなく、「2年契約」を提示せざるをえなかったことも、「無駄に増えた、要らざる補強コスト」である。

また、あらゆるプロのチームスポーツは、1軍の人数、支配化選手の人数、あるいはプロテクト枠の人数に「制約」がある。
阪神がロッテから獲得したセットアッパー小林宏投手の人的補償として、阪神のスプリングトレーニングで頭角を現してきていた高濱選手がロッテにピックアップされて、阪神は貴重なドラフト1位選手を失ったことが、ここ最近ずっと阪神ファンの話題にのぼっているが、このとき、仮に「城島が故障せず、あわてて獲得してきた藤井捕手の分のプロテクト枠が空いていた」のなら、もしかすると阪神は高濱選手を失わずに済んだのかもしれない。これだって「高い人的コスト」である。

いずれにせよ、いかなるやむをえない理由があろうと、高額長期契約の主力選手は「長期間にわたってプレーレベルを低下、あるいは喪失するような大怪我」を、(他人に怪我をさせらてしまったのならともかく)みずから招くことのないよう、身体をケアするのは、「義務」、なのだ。いうまでもない。
将来にわたってプレーの質と量を低下(あるいは喪失)させる可能性がある半月板損傷という怪我は、本来、そのプレーヤーの商品価値を大きく低下させる。当然「トレード価値の低下というコスト」も生じてくる。


公然と球団批判のトンデモ発言

では、こうした予想外の補強コストを球団側が負担してスッタモンダしている時期に、このダメ捕手さん、どういうダメ発言をしたか。

「18日に球団首脳が示した「復帰は6月でもOK」という見解。新聞報道で知った城島が、真っ向から反論した。室内でのフリー打撃を終えると、吉田バッテリーコーチに「ボクは朝から気分を害しています。ボクの心は折れましたよ」と強烈な“ジャブ”。あらためて開幕戦への意欲を語るその声は、明らかに怒気をはらんでいた。」
6月復帰プランにNO!開幕目指す城島「気分を害しています」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球


折れた?(笑)って、何がよ?(笑)
いや、もう、開いたクチがふさがらないとは、このこと(笑)もちろん、この発言を聞いたときに、この記事を書く決意が固まったのだ。
すぐに記事を書かなかったのは、もちろん、その後の経緯を見守っていたからにすぎない。その後の経緯も経緯で、案の定すぎた(笑)


阪神球団側からすれば、日本人選手として最高年俸に近い金額を数年間払い続けなければならない30代なかばのオッサンキャッチャーを獲得し、その高い買い物のキャッチャーが無謀ともいえるシーズン全試合フル出場を強行した挙句に、「半月板をやっちゃいました」と重大な怪我を報告され、手術するだのテンヤワンヤな状態で、他球団の、それも控え捕手を「アタマを下げる形(=複数年契約)」で獲得せざるをえなくなった状況で、当の怪我をした本人、本当にパーフェクトに治療ができて、これから数年きちんと働けるのかどうかもまだわからない高額長期契約の選手本人に、こんなおかしな発言をされたのだ。
よく球団側が厳重処罰しないものだ。(ブログ主がオーナーなら安易な球団批判を許さない意味で即時解雇する)言いたい放題のショーン・フィギンズを野放しにしているシアトル・マリナーズとそっくりである。

城島が怪我から無事復帰すれば、藤井捕手が控えに回って、問題は全て解決? 甘い。甘い。(笑)
藤井捕手に単年でなく2年契約を与えたからには、阪神が大なり小なり「出場機会保証」を約束している可能性がある。また、半月板損傷は捕手生命にかかわる大怪我なだけに、阪神側とすれば、大金を払っている正捕手の守備負担軽減という意味から、控え捕手藤井に多少なりとも出場機会を与えようとするだろう。それが常識的な行動だ。
だがその常識が、「出たがり、出しゃばり」には、たぶん理解できない。自分の怪我が原因で無駄な出費を払って獲らざるをえなかった控え捕手なのに、天に向かって唾を吐くかのように「自分の出場機会の減少について」不平不満を言わずにはいないだろう。(シアトル時代も監督室に怒鳴りこんだ)
だから、たとえこのダメ捕手が無事にスタメン復帰したとしても、今後、現場の混乱は必須
だと言うのだ。まさにシアトル時代とそっくり。

また、ブログ主は別に真弓監督のファンでも支持者でもなんでもないが、現在のチームの指揮をとっている真弓氏が、ダメ捕手城島に「監督として、いい感情をもっている」ことは、到底ありえない、と思う。
チームと選手本人のために、むしろ春先だけは自重してキッチリ怪我を治してから実戦に戻ってくれという親心がわからないのか何か知らないが、周囲から「しばらく自重してくれ」と言われれば、いちいち逆ギレして、やれ「ココロがどうたらこうたら」などと、言いたい放題。
もし無理して復帰して、半月板損傷が再発でもすれば、もはや誰も同情しないだろう。怪我が怪我だけに、再発の不安は何年も続く。周囲の不安も配慮せずに、「ココロ」もなにもないもんだ。


シアトル末期同様、比較対象キャッチャー出現で明らかになる「ダメ捕手」の「ダメぶり」

こうした経緯で明らかになった事実は、ひとことで言い表すことができる。
ダメ捕手城島は、野球界にも世間にもよくいる「問題児」そのもの
ということだ。


ダメ捕手が阪神移籍後のわずか1年で既に引き起こした騒動は、シアトル在籍時代末期をよくわかっている身にしてみれば、「ああ、またやってるのか(笑)」という内容ばかりである。
投手との不和。控え捕手との軋轢。控え捕手より酷いが、ポジションを失わない契約で守られた正捕手。シアトル時代に引き起こしていた数々の騒動はどれもこれも、偶然でもなんでもなかったのである。

シアトルに移籍したばかりの2006年には、ロクにメジャーの投手たちの配球術の基礎も理解せず、投手主導のリード手法も知らず、ロクにチームが捕手を休養させる選手起用システムも知らず、そして問題なのは、それらに従う素直さも無く、かといって、ロクに英語も話せないクセに出しゃばり続けて、144試合も出場した。
だが、そのうち自軍の投手たちとさえ問題を起こし続けている事実が、いつしか外部とメディアに漏れ、世間にバレていき、やがて主力投手のほとんどが表立って「わけのわかってないキャッチャーへの反乱」を起こすようなMLBに前例のない事態まで起こして、城島に振り回されて野球をする馬鹿馬鹿しさを、チームの多くが拒絶した。
その経緯の中で、「城島が先発マスクのときと、そうでないときの、投手の成績の差」は、キャッチャーとして城島が持っている「実力の無さ」「問題児ぶり」「チームにもたらした混乱」を、最も顕著に白日のもとに晒したわけだ。


これから本当の意味の「問題児コスト」を払わされる阪神

城島のシアトル時代末期と同じように、「比較対象するキャッチャー」である藤井捕手が意図せず出てきてしまった阪神の2011年シーズンは、シアトル時代末期と同じ混乱の末路を辿ること必至である。

シアトルにもMLBの野球スタイルにも本当は何の関心ももたなかったのと同じく、本当は阪神というチームになど何の関心も愛情もない城島オタクは、たとえどんな小さい失敗でも、藤井捕手(あるいは藤川投手)がなにか失敗するたび、目の色をかえて自軍選手を公然と批判し、そして藤井捕手がなにか成功する、あるいは城島不在のときに投手陣が大活躍するたびに目の曇った阪神ファンの目が覚まされていき、結局、ファンとチームは「問題児」とそのファンに振り回されながら、混乱に巻き込まれて分裂していく。
そして、ふと気がついた頃にはマートンも藤川もメジャーに移籍していなくなり、チームは、半月板に爆弾を抱える高額長期契約捕手を抱えたまま、生え抜きの主力選手のいない「寄せ集めチーム」と化すのである。

March 02, 2011

ホノルルで2月28日に与那嶺要さん(ウォーリー与那嶺、Wallace Kaname Yonamine, born June 24, 1925)が逝去なさった。享年85歳。
Wally Yonamine, 85, Dies - Changed Japanese Baseball - NYTimes.com

Wally Yonamine Minor League Statistics & History - Baseball-Reference.com

プレーヤーであれ、ファンであれ、我々は、先人に築き上げでもらったベースボールの文化的経済的な基盤があってこそ、楽しさを享受できている。だから、先人の足跡へのリスペクトなしに、野球を文化として考えることはできない。
戦後初の外国人選手として、戦後の日本野球の、発展というより、「戦後の日本野球を根本から変えてくれた恩人」のひとりであり、大きな功績のあった偉大な先人である与那嶺さんの逝去を心から悼むとともに、その素晴らしい足跡の片鱗に触れておきたいと思う。

お名前をどう表記するか迷う。
これまで日本では主に漢字で表記されてきたわけだが、マウイ島生まれの与那嶺さんはもともとアメリカ国籍の日系二世であり、戦後日本で初めてプレーした外国人選手としての業績も後世に讃えられてしかるべきなのだから、亡くなられた今となっては、漢字の「与那嶺さん」ではなく、同じマウイ島出身で日系4世のカート・スズキの名前をカタカナ表記するのと同じように、カタカナ表記で「ヨナミネさん」とさせていただくのが、これからはふさわしいように思う。
Wally Yonamine - Wikipedia, the free encyclopedia

Wally Yonamine Minor League Statistics & History - Baseball-Reference.com


まず、マウイで生まれた日系二世であるヨナミネさんは、野球選手である前に、日本人の子孫として初めて、プロフットボールプレーヤーになられた方だ。1946年に創立され、今ではフットボールの名門となったSan Francisco 49ersで、47年にランニングバックとしてプレーされている。(49ersがNFLに参加するのは1950年になってからのことで、チーム発足当時は別組織に属していた。だからヨナミネさんを「日系人初のNFLプレーヤー」と呼ぶのは多少正確さに欠ける)
近年、NFLにチャレンジする日本人の挑戦がなかなか成功しないのをみても、ヨナミネさんがフットボールの花形ポジションであるランニングバックとしてプレーできたという事実が、いかに素晴らしい快挙かがわかるし、誇りに思う。


フットボールプレーヤーとして足の速さが絶対条件であるランニングバックをつとめていたことでもわかるように、ヨナミネさんのプレーのひとつの特徴は、イチローと同じく、その「快足ぶり」にあった。

そして、そこに、ヨナミネさんが「戦後の日本野球に持ち込んだもの」があった。(つまり、ある意味で、「ヨナミネさんが戦後日本に持ち込んだタイ・カッブ時代のアグレッシブな野球」のうち、「スピードの部分を、イチローが21世紀のアメリカで、MLBに甦らせた」ともいえる)
ヨナミネさんは、激しいスライディングだけでなく、セフティバントを日本に導入したことでも有名。


ヨナミネさんの通算盗塁数は、163。それほど多くはない。
だが、なんといっても目立つのが、通算11回も記録したホームスチールだ。これは、日本プロ野球歴代1位。(2位は黒沢俊夫さんの10回)
加えて、ヨナミネさんは、1951年9月12日に、同一イニングに二盗、三盗、本盗を決め、1イニング3盗塁という、とてつもない盗塁記録も打ち立てている。


ちょっとMLBでのホームスチール記録もみてみよう。
回数では、案の定、遠慮のないアグレッシブなスライディングで有名だったタイ・カッブが、54回で、断トツのトップだ。
イチローにシーズン安打記録を抜かれたジョージ・シスラーも20回で、第8位。やはり、あの時代の選手はみんな走れる。あの小太りのベーブ・ルースだって、通算10回もホームスチールをしている。
MLB歴代ホームスチール記録
Stealing Home Base Records by Baseball Almanac

ホームスチール名人のヨナミネさんもアグレッシブな走塁で知られているプレーヤーだから、ヨナミネさんとタイ・カッブ、ホームスチールの名手2人のプレーには実は共通点が多い。
1951年にヨナミネさんが記録した「同一イニングに、二盗、三盗、本盗」という記録も、タイ・カッブはなんと4回も記録していて、ア・リーグ最高記録。これは、同じく4回記録しているナ・リーグのホーナス・ワグナーと並んで、メジャー記録ともなっている。
MLB歴代 同一イニング二盗、三盗、本盗 記録
Players who have stolen second base, third base and home in the same inning


「まさか」という場面でホームベースに突入してくる単独ホームスチールは、ある意味、野球の華だと思うし、ブログ主は非常に好きだ(笑)

ちなみに、足が遅いことで知られる元捕手の野村克也氏は7回ものホームスチールを成功させている一方で、日本の盗塁キング福本豊氏は7回試みて、わずか1回しか成功していない。バッテリーの油断を突く必要があるホームスチールが、必ずしも足の速さだけで決まるプレーではないことを、よく表している。

タイ・カッブは、シングルヒットを二塁打にしてしまうことでも有名だったが、その秘訣を後に明かして「外野手がボールを利き腕で処理するかどうかを、いつも注意深く観察していたのさ」と言っている。
ヨナミネさんが、盗塁数のキングではなくて、ホームスチールの稀代の名手だったのは、相手の隙を突くことで有名だったタイ・カッブと同じように、どんなプレーにおいても気を抜かず、常に相手の気の緩みを許さず、アグレッシブな全力プレーをし続けたからだと思う。

こうしてみると、首位打者を3回獲得し、走れて、バントも上手いヨナミネさんは、現代的なリードオフマンとして、イチローの大先輩でもある。

素晴らしい先達を持てたことを喜ぶとともに、
ご冥福を心から祈りたい。


Youtubeで見られるホームスチール
ジャッキー・ロビンソン
YouTube - Jackie Robinson Steals Home
アーロン・ヒル
YouTube - Aaron Hill stole home
ジャコビー・エルズベリー
YouTube - Jacoby Ellsbury Steals Home
ジェイソン・ワース
YouTube - 2009/05/12 Werth steals home

MLB公式サイトの動画で見られるホームスチール
クリス・ネルソン(COL)
Baseball Video Highlights & Clips | CIN@COL: Nelson steals home to put the Rockies ahead - Video | MLB.com: Multimedia

その他のサイト
オマー・ビスケール
オマー・ビスケル ホームスチール 野球動画まとめ - 動画共有サイトzoome






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