November 2011

November 26, 2011

海を見て育った自分には経験がないのだが、山を見上げて毎日をおくる、という行為には、何か特別な感覚があるようだ。岩手に住んでいる人は岩手山を見上げ、鹿児島の人は桜島を見て育つように、地元に力強い名山のある人は、その山の存在を、心の支え、支柱として、自分の背骨か何かのように感じつつ育ち、終生忘れない。
それぞれの地方にそれぞれ名山がある。なんとなく「自分の山」を持てた人を、うらやましく感じることがある。



阪急ブレーブス・近鉄バファローズを率いてそれぞれ初優勝に導いた西本幸雄さんがお亡くなりになられた。91歳。リーグ優勝8回。1988年野球殿堂入り。

西本さんは優勝経験が一度もない球団(阪急、近鉄)を、2つも初優勝に導いた。偉業というほかない。この事実だけで、西本さんはプロ野球ファンの記憶に永遠に残る資格があると思うし、また、野球殿堂入りに十分すぎる価値がある。優勝したことの無いチームを優勝させることが、野球の繁栄にとって、どれほど高い価値がある貢献であることか。
なにせ、野球は9人もの多人数でプレーするチームスポーツなのだから、そう簡単には強豪チームと弱小チームの戦力差を埋められない。
西本さんの選手育成やチームづくりの優れた手腕からは、数々の名選手と指導者が巣育ち、数々の名勝負が生まれた。

ちなみに、日本シリーズで勝てなかった西本さんを悲運の名将などと呼ぶ人がいるが、優勝の常連チームでないチームを日本シリーズに連れていくまでに育てるのだから、大舞台での経験不足が露呈するのは、やむをえない。そこは多少補正して手腕を評価しないとダメだと思う。



西本さんが現役時代に所属していたのは、1949年のエクスパンジョンで発足した毎日オリオンズである。西本さんは、このできたばかりの毎日オリオンズの選手として、翌50年にリーグ優勝と日本一を経験した。
よく知られているように、日本に2リーグ制がもたらされるきっかけになったのは、1949年の毎日オリオンズなどの新規球団加盟を巡る騒動であり、2リーグ制移行を推奨したコミッショナー正力松太郎氏の発言もあって、結局、電鉄系の賛成派がパ・リーグ、既存球団の反対派がセ・リーグを結成する形で収束した。
プロ野球は、この2リーグ制発足にともなうチーム数増加によって選手が大量に不足したことから、球団間の激しい選手争奪戦が起こり、当時プロにも遜色のない人気と実力があった社会人野球から、多くの実力ある選手がプロ野球に移った。

西本さんは、プロになる直前の1949年当時、九州の別府星野組という社会人野球の強豪チームで監督・一塁手・3番打者として都市対抗野球に出場し、日本一に輝いた。この別府星野組自身も1949年の2リーグ制移行の際にプロ野球新規加盟を申請したチームのひとつだったが、審査により加盟を却下されたため、西本さん自身含め、多くの主力選手がこのエクスパンジョンをきっかけにプロになったのである。(西本さんが別府星野組や毎日オリオンズ加入に至るまでの紆余曲折をめぐる資料は少ないが、たいへんな苦労があったようだ。 資料例:ya1goの部屋 : 野球の神様

西本さんのライバル三原脩氏(1983年殿堂入り)が後に監督に就任することになる西鉄ライオンズの前身、西鉄クリッパーズも、1949年の2リーグ制発足時に創設された新興チームのひとつだが、間髪置かずパ・リーグの中心チームになることに成功している。これは西鉄が、あわてて球団を持った近鉄などと違い、もともと戦前から社会人野球チームを保有していたことに加え、当時非常に盛んだった九州の社会人野球(八幡製鉄、別府星野組など)から有力選手を大量にかき集め、さらには他のプロ野球球団からも九州出身の有力選手を引き抜いたことで、すぐ優勝争いできるほどの戦力が整った、という当時の時代背景による。
三原監督時代の1950年代後半に西鉄は3連覇しているが、当時、2番に強打者を置く「流線型打線」で有名になった。好打者が揃わないと実現できない「流線型打線」は、当時の西鉄がいかに有力選手の集結した恵まれたチームだったか、という証明でもある。

西本さんがプロになったのは30歳になってからのことだが、これにはもちろん第二次大戦の影響がある。
去年2010年暮れに92歳で亡くなられた元クリーブランド・インディアンズの名投手ボブ・フェラーが、第二次大戦の従軍で4シーズンを棒にふったことについて、「もし大戦がなければ、350勝、3,000奪三振を達成していた」と言われているように、西本さんも、もし平和な時代にプレーしていたら、さぞかしもっと長く素晴らしい数字を現役生活で残していただろう。
だが、大戦前後のドタバタした難儀な時代に、西本さんは立教大学と社会人で監督兼選手としてキャリアを積んでいる。野球をやるのにけして適した時代ではなかったことがかえって、親分肌の強い西本さんに若いうちに監督経験を積ませることになったのだから、人生はわからない。



阪急ブレーブスは、2リーグ制発足以前からあった伝統あるプロ球団だったが、1950年代は低迷が続き、なにかにつけて「灰色」と揶揄されて呼ばれた。というのも、上で書いた1949年の2リーグ制発足による選手不足から引き起こされた球団間の選手引き抜き合戦により、阪急は、エース、主軸打者2人、キャッチャーと、多くの主力選手を失ったためだ。

西本さんが監督になってからの阪急ブレーブスは、1960年代のドラフトで、山田久志(2006年殿堂入り)、加藤秀司福本豊(2002年殿堂入り)、3人の名球会入りプレーヤーを指名して育て上げることでチームを立て直し、ついに67年に悲願のリーグ初優勝を遂げた。
阪急監督時代晩年のヘッドコーチは、逸材が育って油の乗ったチームを西本さんから引き継ぎ、後任監督として阪急を日本シリーズ3連覇などの黄金時代に導いた上田利治(2003年殿堂入り)。また山田久志は後に中日ドラゴンズのコーチ・監督として、岩瀬仁紀福留孝介荒木雅博井端弘和などを育てて、後の落合中日躍進の基礎を築いた。
ちなみに腰痛や肝炎に苦しみつつ1986年に読売を自由契約になった加藤秀司は、翌1987年に南海でかつての同僚山田久志からホームランを打ち、念願の2000本安打を達成しつつ同年限りで引退しているが、これは加藤の恩師西本さんが立教大学の後輩杉浦忠(1995年殿堂入り)に頼んで、苦境にあった加藤の南海移籍を実現し、花道をこしらえたらしい。

史上最高のサブマリン山田久志史上最高のサブマリン
山田久志


近鉄バファローズは、1949年の2リーグ制発足時にできた新興球団のひとつで、発足当時は近鉄パールスといった。だから、長い伝統のあった阪急ブレーブスとは球団の成り立ちそのものが違う。阪急がエクスパンジョンによる選手争奪戦に巻き込まれて他球団に主力選手を引き抜かれたことで低迷したのと違って、近鉄は球団発足当初から選手層が薄く、そのことが1970年代にまでわたる数十年間もの長期低迷の足かせになった。
(例えば、1950年入団で近鉄パールス設立以来の生え抜きである関根潤三氏(2003年殿堂入り)が1964年に愛する近鉄を退団せざるをえなかった件も、外から補強した選手ばかり厚遇し、生え抜きを大事にしない当時の球団の姿勢に腹を立てたためといわれており、これもある意味、球団創設時の選手層の薄さに端を発した弊害といえる)

西本さんは、このもともと選手層の薄い近鉄に、阪急をやめた1974年にやってきて、1979年から連覇を果たした。(当時の近鉄の編成部長は、西本さんの立教大学時代のチーフマネージャーだった中島正明氏)
なお、ごく稀に、この西本近鉄の初優勝に関して、三原監督時代の遺産などと誤った記述をしたがる人を見るが、優勝時の主力は、1972年入団の平野、羽田、梨田、佐々木恭介、73年入団有田、井本、74年栗橋、75年村田、79年マニエルと、いずれも70年の三原脩氏の近鉄退団以降に入団した選手たちの成長と活躍によるもの。西本近鉄はむしろ、74年土井正博、75年佐々木宏一郎、76年永淵洋三、77年伊勢孝夫と、前の時代の選手を放出し、新しい選手と入れ替えることで成立した。
西本さんの近鉄監督時代には、後に近鉄最後の監督になる梨田昌孝や、現フィラデルフィア・フィリーズ監督のチャーリー・マニエルがいる。西本さんの監督としての手腕は、海を渡り、フィリーズにも受け継がれることになった。
イチローを発掘した仰木彬(2004年殿堂入り)さんは、70年代の近鉄の上昇期にコーチをつとめて指導者経験を積んだが、このとき最も長く仕えた監督が、西本幸雄さんである。(仰木さんは後に、1994年に阪急ブレーブスから球団譲渡され後継球団となったオリックスの監督に就任するわけだが、オリックスの球団名は、ブレーブス(1988年11月)、ブルーウェーブ(1990年11月)、バファローズ(2004年12月)と変遷しており、仰木さん就任時は「オリックス・ブルーウェーブ」だった。いうなれば、仰木さんは、西本さんの育てた「阪急」を引き継いだのである)

顎を骨折した後も試合に出続けたチャーリー・マニエル顎を骨折した後のヘルメット
チャーリー・マニエル


「私もいろんな指導者に仕え、また見てきましたが、西本さんがNo1の指導者です。選手は育つと信じ切って戦い続けた方で、今の指導者が見習わなければならない姿勢です。」訃報を受けて、広岡達朗氏(1992年殿堂入り)。
広岡達朗氏「“次の近鉄の監督はおまえだ”と誘われたことを思い出す」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球
「私の監督生活は、西本さんの阪急にいかに勝つか、から始まりました」野村克也氏(1989年殿堂入り)
西本幸雄氏逝去 ノムさん「日本一が見たかった」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球
「落合博満を世に出してくれた大恩人」落合博満氏(2011年殿堂入り)
落合前監督「落合博満を世に出してくれた大恩人が西本さん」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

盗塁を狙う福本豊
(写真キャプション)やはりいい選手は、立ち姿自体が美しい。写真なのに、ふくもっさん、今にもセカンド方向に弾丸のように走り出しそうに見える。写真なのに(笑)
イチローは、ブルーウェーブ在籍時の恩師でもある福本さんのもつ先頭打者ホームラン記録43本に日米通算で並んだとき、「福本さん気にしないでください」と言い、福本さんは「気にしたことがない」と答えた。国民栄誉賞を、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」と固辞した人と、「まだ現役なんで」と2度も断った人同士は、やはり阿吽の呼吸なのである(笑)(1989年に現役引退した福本さんが打撃コーチに就任した時点のオリックスは、阪急から球団を譲り受けた直後なので「ブレーブス」。イチローが入団した1991年時点のオリックスは「ブルーウェーブ」で、福本さんが二軍監督をしていた)



監督としての西本さんの終生のライバルといえば、もちろん三原脩さんだが、イチローを世の中に送り出した仰木彬さんは、コーチとして、その西本さん、三原さん、2人の名監督の薫陶を受けている。言うなれば、仰木さんには、2人分の名将の血が流れていることになるわけだ。仰木さん自身も監督就任時のコメントで「三原脩と西本幸雄を足して2で割った監督になりたい」と語っている。



仰木さんは近鉄・オリックスを率いて、それぞれの球団から野茂英雄イチローを輩出した。
野茂さんがNOMOベースボールクラブをつくって選手育成に熱心なのも、なんとなくそういう西本・仰木両監督から受け継いだ選手育成の血のなせるわざかもしれない。
また西本幸雄さんとイチローは、ここまでの記述でわかるとおり、福本豊さん、仰木彬さんといった「西本幸雄人脈」を介して関係がきちんとつながっており、ブルーウェーブ時代のイチローは、いわば西本さんの阪急での流れを汲む「孫弟子」にあたる。(それになぞらえていえば、野茂英雄は、西本さんの近鉄における流れに沿った「孫弟子」)

西本さんは、「昭和の名野球人」であると同時に、指導者を育てる指導者」として、日本の野球にとっての「昭和の次の時代」を準備してくれた人でもある。



昭和の時代のプロ野球史に残る名場面、名勝負には、西本さんと西本さんの育てた選手たちの名前がそこらじゅうに登場する。
毎日オリオンズ監督時代の1960年、ライバル三原脩監督率いる大洋ホエールズとの日本シリーズ第2戦、1死満塁でスクイズにトライして失敗し、そのことをオーナーが批判したことが原因で監督を自ら辞めていることに始まり、1967年10月1日の西京極球場で阪急を球団創設初優勝に導いたときにネットの網ごしに無理矢理右手指2本をねじこんでスタンドにいたオーナーと交わした握手、近鉄監督時代の1974年に、初のリーグ優勝を賭けた試合で、阪急監督時代に育てた山田久志に敗れ去ったゲーム、近鉄監督時代の教え子梨田捕手と阪急時代の教え子福本豊との盗塁阻止を巡る逸話、1979年近鉄のリーグ初優勝後、広島カープとの日本シリーズ最終戦で、9回裏、1点ビハインドで迎えた1死満塁の逆転サヨナラ勝ちの好機を、名投手江夏豊に阻まれて3勝4敗で敗退、いわゆる「江夏の21球」を生んだことなど、エピソードが多すぎて、とても書ききれない。(ちなみに「江夏の21球」のあの場面、代走でセカンド走者にいたのが、女優吹石一恵さんの父上である吹石徳一)


名将、名勝負とともにあり。
西本幸雄さんは、日本野球史に残る「名山」である。
合掌し、謹んでご冥福を祈りたい。どうぞ、これからも日本の野球と野球選手を遠くから見守ってください。




この記事に登場した野球人 出身県一覧
西本幸雄  和歌山県 1988年野球殿堂入り
上田利治  徳島県  2003年野球殿堂入り
山田久志  秋田県  2006年野球殿堂入り
加藤秀司  静岡県
福本豊   大阪府  2002年野球殿堂入り
梨田昌孝  島根県
仰木彬   福岡県  2004年野球殿堂入り
イチロー   愛知県  現役
野茂英雄  大阪府
関根潤三  東京府  2003年野球殿堂入り
広岡達朗  広島県  1992年野球殿堂入り
杉浦忠   愛知県  1995年野球殿堂入り
野村克也  京都府  1989年野球殿堂入り
落合博満  秋田県  2011年野球殿堂入り
正力松太郎 富山県
三原脩   香川県  1983年野球殿堂入り
江夏豊   奈良県



メープルバットの典型的な折れ方メープル特有の
縦に裂ける
折れ方

メープル(かえで)でできたバットが問題になりだしたのは、鋭利な形状に折れたバットで怪我をする選手、コーチ、ファン、アンパイアが続出しているからであり、既にMLBでは訴訟にもなっていて、日本でも選手にケガ人が出ている。

2008年にMLBと選手会によって行われた第三者による調査では、2008年7月から9月の3か月間に折れたバットは、2,232本。うち、756のケースでは、バットが複数ピースに分割される形で折れている。つまり、756のケースでは、折れたバットがなんらかの形でどこかに飛散した、ということだ。
そしてこの調査で、メープルのバットは、ホワイトアッシュの少なくとも3倍は、バットが複数ピースに分割される形で折れる、ということが判明している、らしい。

The rash of dangerous incidents in the 2008 season prompted an investigation by MLB and the players' union. Scientists from the U.S. Forest Service's Forest Products Laboratory, Harvard University and the University of Massachusetts made some eye-opening discoveries.
From July through September 2008 there were 2,232 bats broken in Major League games. They were collected and analyzed. Of those, 756 broke into multiple pieces. Maple bats were three times more likely than ash to break into two or more pieces.
Major League Baseball should ban maple bats | Tulsa World

資料記事:
カブスの外野手タイラー・コルビンの胸にバットが刺さる
Colvin’s Injury Highlights Danger When Wooden Bats Break - NYTimes.com
この場面の動画→http://chicago.cubs.mlb.com/video/play.jsp?content_id=12243779&topic_id=8878834&c_id=chc
タイラー・コルビンがチームメイトの折れたバットでケガ

LAAトリー・ハンターの折れたバットで女性観客が顔にケガ
Los Angeles Angels' Torii Hunter's broken bat could reignite maple debate - ESPN Los Angeles

Torii Hunter's broken bat hit Kansas City Royals fan in the face | Plog

デビッド・プライスがエイドリアン・ベルトレの折れたバットでケガ
Joe Maddon Renews Call for Maple Bat Ban After David Price Injured
デビッド・プライスがエイドリアン・ベルトレの折れたバットでケガ

球審ブライアン・オノーラがミゲル・オリーボの折れたバットでケガ Ump O'Nora hit in head by broken bat | MLB.com: News
球審ブライアン・オノーラ ミゲル・オリーボの折れたバットでケガ

ブラッド・ジーグラーがマイク・ナポリの折れたバットでケガ
Ziegler's injury revives maple bat debate | oaklandathletics.com: News

ロッテ 伊藤の左すねに折れたバットが突き刺さる
ゲンダイネット

ジャック・カストの折れたバットがクリフ・リーの頭部に当たりそうに
ジャック・カストの折れたバットが
クリフ・リーの頭に当たりそうになり、耳をかすめる


もともとバットをめぐる議論に詳しくないためもあるが、
このニュース、どうも細部がきちんと伝わってこない。

現在出回っている記事によれば、
Major League Baseball ban on the use of low-density maple bats by new players.

資料:Canadian manufacturer on board with MLB low-density maple bat ban - ESPN
と表記されているのだが、どうもこの文面だけでは言わんとしていることがハッキリしない。

例えば、
疑問1) new playerとは「どの範囲の選手」を指すのか
疑問2) densityという単語の意味は、木そのもののオリジナルな「比重」か、それとも「多少の加工を施した後の、密度」を意味するのか
疑問3) 禁止になるlow-densityとは、どの範囲までなのか、数値として既に決まっているのか
疑問4) そもそもメープルのバットは、「低比重のものは折れやすい」が、「高比重のメープルなら、折れにくい」と言えるのか。そもそも「メープルのバット全体が折れやすい」、という事実はないのか

1)についてだが、「既に、バットメーカーに発注してしまって、たくさん在庫を抱えているプレーヤーは、それを使ってプレーするのは許す。だが、新規発注して使うのは、もう禁止にする。だから、実質的には、今後はメープルのバットは使えなくする」、という意味なのか? どうも意味がよくわからない。(まさか、「ベテランさんは使ってもいいが、新人さんは使うな」という意味じゃないよな? 笑)


少し捕捉しておくと、市販されているメープルのバットのdensityはひとつではない。メープル製にも、低比重タイプもあれば、ライアン・ブラウンが使っているような、より高比重なタイプもある。
どうも今回禁止になるのは、低比重なタイプのメープルだけらしいから、バットメーカーさんは表向きは、「メープル禁止? 別にいいんじゃね。ウチが販売してるのは低比重タイプだけじゃないし」とか平静を装ったコメントをしているが、たぶんそれは表向きだけだろう(笑)
なぜって、最初に低比重だけを禁止にしたとしても、来シーズン以降に、より高比重のメープルでもあいかわらず事故が起き続けることがわかれば、やがてメープルバット全体が禁止になるのは、目に見えているからだ。
ただ、メープルバットを全面禁止にしないのは、メープルの使用率が上がってしまっているために、メープルバットを使用禁止にすると、MLBへのバットの供給が追いつかなくなる、という理由もあるらしい。(資料:ユニバーサルスポーツ店長日記 最近のアメリカのバット事情



以下に軽くメープル製バットが使われだした経緯をまとめておく。

もともと使い出したのは、10年ほど前、1999年のバリー・ボンズらしい。バリー・ボンズのホームラン記録で、ステロイドは禁止になったが、メープルバットは禁止にはならなかった、というわけだ。

従来MLBでよく使われてきたバットは、タモの一種で、ホワイトアッシュが中心だったが(他にヒッコリーなどもあるにはある)、ホワイトアッシュは折れやすかった。(たしかにゲームで見ていると、粉々に砕ける感じで折れる)
そこでホワイトアッシュより固く、より遠くに打球が飛ぶ(と、思われている)メープルを、バリー・ボンズにならって使う選手が増えた。ちなみに、イチローも使っているアオダモは、しなりが生じるために、打球を遠くに飛ばす能力は低い(と、ブログなどによく書かれている)。

だが、メープルは、その固さという特性が災いして、折れやすく、また、折れ方がホワイトアッシュやアオダモとまったく違う。
一般的に言えば、折れたバットが、縦に裂けるように、鋭利に尖る形で折れ、その折れたバットが、かなり遠くまで飛んでいって、人体に刺さる事故を起こす可能性が高い、ということだ。


それにしても、来シーズンからはHGH(ヒト成長ホルモン)の判定のための血液検査も実施するというし、血液検査、メープル禁止と、MLBをめぐる状況の変化は、このところちょっと目が離せない。MLBで今なにかが変わろうとしているのは確かだ。



November 23, 2011

来シーズンは、動向がまだ不明のダルビッシュはじめ、青木中島川崎チェン福原など、かなりの数のNPB在籍選手が来シーズンのメジャーデビューに向けて準備している(あるいはMLB側が調査している)ようだが、評価の高いダルビッシュを除くと、MLB側がNPBの選手を評価する基準は、もう、かつて松坂井川が大金で移籍した時代ほど高くはない。 (というか、明らかに下がっている)

それはそうだろう。彼らも、「たくさんの失敗」を経て「懲りている」のである。もちろん、ダメ捕手城島も、その失敗例のひとつだ。
そのことをスポーツ・イラストレイテッドのTom Verducciがまとめた記事があちこちで引用されているのだが、その中に城島について書かれた部分が少しだけあるので、以下に記録として残しておく。

この記事については既に翻訳がネット上に存在しているわけだが、いかんせん、残念なことに、城島について触れた部分の翻訳が、極めてよろしくない。きちんとした記録として残しておくためには、原文を貼っておしまいにするか、自分で訳し直すしか方法がないので、しかたなくちょっと作業して記事を作ることにした。やれやれ。


Lack of success by Japanese stars opens debate about next wave - Tom Verducci - SI.com

原文(原文の一部)
Aoki has drawn some comparisons to Suzuki for his style of play, though he has not been that kind of impact player. Other than Suzuki and Matsui, many position players from NPB have been less than advertised as major leaguers despite major financial investments, including infielder Kaz Matsui ($20.1 million for three years), catcher Kenji Johjima ($24 million, three years), outfielder Kosuke Fukudome ($48 million, four years) and Nishioka ($9.25 million, three years).

One talent evaluator said the track record of such players has been so poor that his club devalues NPB players at least one level from their established level in Japan, saying, "If you're looking at everyday position players you probably think of them as fourth outfielders or utility players for the most part. Whatever role they had there, we downgrade and then see if that's a fit for us."


当ブログ訳
アオキは、イチローとプレースタイルにおける類似点をいくつか指摘されてきているが、彼がイチローのようなインパクトのあるプレーヤーだったわけではない。イチローとマツイ以外、内野手のカズ・マツイ(3年20.1M)、キャッチャーのケンジ・ジョージマ(3年24M)、外野手のコウスケ・フクドメ(4年48M)、ニシオカ(3年9.25M)を含め、NPBから来た野手の大半は、多大な投資によって獲得されたにもかかわらず、メジャーリーガーとして額面どおりの活躍を見せることはなかった。(ブログ注:advertised=表示価格と実際の活躍が釣り合わない、つまり「期待はずれに終わった」という意味)
あるスカウトによれば、これまでの日本人野手のこうした期待はずれな成績から、彼の球団では、NPBの野手評価を、彼らが日本で確立していた評価のレベルから、少なくともワンランク下げて考えるようになった、という。「日本ではスタメンだったとしても、おそらく、たいていの場合、外野手の控えか、ユーティリティ程度に考えないといけないと思う。たとえ彼らが日本でどんな地位にあったにせよ、我々はいったんそこから割り引いて考え、それからその選手が我々に必要かどうか、判断している」



同じ文について、別サイトでの訳に、こんなのがある。

「アオキのプレースタイルは、よくスズキと比較される。しかし彼はそれほどインパクトの有る選手ではない。スズキとマツイ以外のNPBからきた多くの野手は、メジャーリーガーとして多額の投資をしたにも拘わらず、その効果はもう一つだ。内野手のカズ・マツイ(3年、20.1百万ドル)、キャッチャーのケンジ・ジョージマ(3年、24百万ドル)、外野手のコウスケ・フクドメ(4年48百万ドル)、そしてニシオカ(3年9.25百万ドル)らだ。
ある評論家は、これらの選手の悲惨な成績が、NPB選手に対するそのチームの評価となり、日本でプレーする選手の評価につながっていると言った。曰く「もし君がレギュラーでプレーする選手を見ても、彼らを第4の外野手か、ユーティリティプレーヤーが良いところだと思うだろう。彼らが、そこでポジションを与えられて、それが私たちにフィットしていると思えても、グレードダウンになる」
ダルビッシュがメジャーで成功する鍵とは? - Can I talk about MLB? - Baseball Journal (ベースボールジャーナル) - livedoor スポーツ


原文、あるいは当ブログの訳文と比べて読んでもらえばわかるが、正直こんないい加減な訳では、ほとんど原文の意図がわからない。

原文には、近年では日本人野手についてdevalue at least one level (最低でもワンランク評価を下げる)のが普通になったと、これ以上ないくらいハッキリ書き、downgradeという単語も使っているのに、こんなわけのわからない機械翻訳みたいな日本語に訳したのでは、原文の単語の意味もわからず、また、文章全体の意図もまるで理解できないまま訳しているとしか思えない。
MLB関係者が、イチロー以降の野手たちの「失敗ぶり」が原因で、日本人野手の評価をNPB在籍時代からワンランク割り引いて考えるようになっている、という話は、この原文の最も重要な論旨のひとつである。
また、メジャーでダメ捕手城島が「日本人野手獲得の失敗の、代表例のひとつ」と考えられていることも、こんな訳では曖昧になってしまう。

当ブログ訳では、talent evaluatorを、「どこかの球団の内部の人間」である、という意味で、「スカウト」と訳した。talent evaluatorというのは、NFLなどでも聞く職業だが、野球の場合、「戦力分析家」とか訳して何のことだがわかりにくくしてしまうくらいなら、単純に「スカウト」と訳したほうが混乱を防げる、と考えた。
これを、別訳のように「評論家」などと訳してしまうと、後半部分のコメントを寄せたMLB関係者は「どこのチームにも直接属さない、外部の人物」ということになってしまって、その後の「his club(彼の所属球団)」という一節および文章全体とまったく意味が通じなくなる。
「評論家」と訳した後者は、明らかに、talent evaluatorがどんな位置にいる人物かわからないまま訳しているために、文章後半の主語weとかyou、あるいはhisやusという言葉が、具体的に何を指すのか、ほとんどわかっていない。


別に他人の訳文をけなしたいわけではないのだが、曖昧にされたくないことなので、いたしかたない。



November 22, 2011

RIP Greg HalmanGreg Halman

Gregory Anthony Halman
Born: August 26, 1987 in Haarlem, Netherlands
Position: Leftfielder
Uniform Numbers: 56

Greg Halman Statistics and History - Baseball-Reference.com

His smile.
So young.
Thoughts and Prayers from Japanese MLB fans go out to his family.



November 15, 2011

武将・落合は、屈んで刀を脇に構え、
絶妙な間合いで抜刀しては、つど、鞘に収める。

イチローが投手との立合においてバットを一度立てる「正眼」の使い手であるのに対し、落合は脇構えからの「居合」の使い手である。いつ抜くか、わからせない。剣の長さも見せない。
どちらもまったくもって日本。侍の振舞いである。見事であるというほかない。


面白いものだ。
中日ドラゴンズ落合博満監督の評価が、ポストシーズンの試合を1試合1試合経過するたび、日増しに高まっていく。それも、とりわけ落合中日に負けた他球団ファンの間で。中日ドラゴンズの社長さんと一般の野球ファンとの間で、これだけ180度違う評価がついたのだから、なんとも愉快だ(笑)

ブログ主も、この秋、武将・落合がやってきた「戦」(いくさ)には圧倒的な感銘を受けた。特に、その刀の扱い方。



勝ちを求める人は多い。
それはそうだ。
勝てば、褒美がついてくる。

だが、「勝ち方」を愚直に求める人はどうだ。多いか。
いや。多くない。
スティーブ・ジョブズを見てもわかる。自分にしかない道を歩く定めを自分に課して生きる人は、ほんの一握りしかいない。

自分なりの勝ち方を、時間をかけ、手間をかけ、追求し続けることに、どれほどの価値があるのか、誰も確信が持てない。もしかすると無駄に終わるかもしれないことを、誰もがやりたがらない。
勝ち方より、勝ちそのもののほうが価値が高い、高く売れると思い、誰もが日々を暮らしている。


言葉の少ない落合博満だが、滲み出るオーラはむしろ雄弁だ。彼の戦ぶりは饒舌に彼の信念を物語っている。
「勝ちと勝ち方は似ているが、まったく違う。勝ちを追い求めるより先に、勝ち方を身につけろ」
武将・落合の兵の身体にはなにやら、8年かけてしみついた、勝ちに向かう習性が常に匂う。勝つかどうかは結果でしかないが、彼らの心の内には常に仁王立ちした戦装束が見える。


アイデンティティという便利な言葉がある。中高生でも知っているくらいの便利な言葉なわけだが、たいてい誤解されて理解されている。「アイデンティティは、誰にでも、最低ひとつは備わっているだろう」という、安易な理解からくる誤解だ。

ブログ主はアイデンティティや自分のスタイルというものは誰にでも備わっていると思ったことが、一度もない。むしろ、アイデンティティの無いままオトナになり、無いままに年老いて、無いまま死んでいく人が大半だ、という理解のもとに世界をずっと眺めてきた。

自分、というものを持つに至る人が、世の中にはほんの少ししかいない、ということを、ヒトはなかなか気づけない。また、言われても、それを信じることができない。中日ドラゴンズの社長さんなども、おそらく自分というものが無いままオトナになった哀れな人間のひとりだが、こういう人にいくら説明してもわからない。それはそれで、しかたがない。黒船が来たとき初めて、「あぁ、これで江戸の時代は終わるのか」と呟くのが、こういう人の役回りだ。そしてもうその頃には、船は舵を切っている。


武将・落合の戦には物語がある。物語を持てる武将は少ない。大半は時間の波間に消えていく。
人は中日の地を這うごとくの進撃にようやく、勝ちの味ではなく、勝ち方というものの真髄を知って目が離せないのだろう、と思っている。野球ファンは、落合中日の何によって負けたのかを、8年たってようやく知るのである。

November 11, 2011

最近野球の話題でよく「パークファクター補正」なんて言葉を耳にすることがあると思うが、この「パークファクター」という指標は「2つの要素」がごちゃごちゃに混ざった数字であって、ある意味「単なるデタラメな数字」に過ぎない。

例えばホームランについてのパークファクター(以下、適宜PFと略す)の計算において「分母」になっているのは「特定スタジアムでの、1ゲームあたりのホームラン数」だが、この数字には、以下の2つの要素が、何の基準もないまま混ざってしまっている。
1)自軍バッターが「打った」ホームラン
2)自軍ピッチャーが相手チームに「打たれた」ホームラン

中学生でもわかることだが、これでは「自軍が「打った」ホームラン、相手チームに「打たれた」ホームラン、その2つの数値のうち、どちらが増加しても、結果的にそのシーズンのパークファクター数値は大きくなってしまう」という、妙な現象が生じてしまう。

これではあまりにも雑すぎる。

よく、「パークファクターはスタジアムごとの物理的な構造の差異、特にスタジアムごとに違う外野の広さや外野フェンス高さの違いによって生じる、『ホームランやヒットの出にくさ』を表現した、人間の主観の入り込む余地の無い、非常に理論的な数値」だと思いこんでいる人がいる(笑)
だが、実際にはパークファクターはスタジアムの物理的特性だけで変化するわけではなく、スタジアムの物理構造にまったく関係ない「チームの戦力の変化という『人的要因』」によって大きく左右される数字でもあり、また、戦力、つまり投打のどちらに依存して変化したのかがきちんと定義も明示もされていない数字だ。
そういう意味では、現状のパークファクターなんてものは、理論的どころか、非常に恣意的な数字にすぎない。

たとえば、改修などをまったく行わず、スタジアムの構造がまったく変化しなくとも、シーズンによっては、打線が異常に大活躍して「ホームランを打ちまくる」こともあれば、投手陣があまりにも酷すぎて「ホームランを打たれまくる」ことも、それぞれ逆もありうる。
その、どのケースでも、パークファクターは上昇(あるいは下降)するわけだが、パークファクターから「数値の変化をもたらしたのが、いったい打線なのか、投手なのか」を見分けることができない。
また、同一シーズンに、投手陣が壊滅していてホームランを打たれまくったAチームと、打撃陣が異様に絶好調でホームランを打ちまくったBチームがあったとすると、AとBの本拠地のパークファクターは、どちらも上昇をみせる。この場合、2つのスタジアムAとBとでパークファクターの上昇が見られるわけだが、その数字の変化の意味がまったく違うのにもかかわらず、それをパークファクターから読み取ることができない。
さらにいけないのは、例えばたとえ「パークファクターの上昇が投手陣の壊滅でもたらされた場合」であっても、それを打者の打撃スタッツの補正に用いたりすることだ。そういう行為にはほとんど何の意味もない。逆もまたしかり。


実際、下記に挙げたテキサス・レンジャーズの例でわかるように、「パークファクターの数値の増減には、シーズンによって、自軍の打ったホームランが大きく寄与するシーズンもあれば、相手に打たれたホームランの多さが寄与するシーズンもある」。
そのため、「パークファクターだけでは、自軍の投・打、相手チームの投・打、この4つのうち、どれが主に寄与してその数値が成立したのか、さっぱりわからない」。
なのに、数字オタクどもときたら、「打者が寄与したのか、投手が良かったのか、自軍の戦力アップのおかげなのか、はたまた相手チームにやられたせいなのか、まるで確かめようがない恣意的な数字を使っている」くせに、「あらゆるシーズンの数字を十把ひとからげに『パークファクター』と呼んですませて」、なおかつ、「パークファクターとやらを、スタッツ補正にも使いまくって、あらゆるスタッツを誰よりも正確に把握できていると自称して、鼻高々になったりしている」のである(笑)


これだけでは何を言っているのかわからないと思うので
ちょっと、実例を見てみよう。

以下に、テキサス・レンジャーズのホームグラウンド、レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンのホームランに関する2001年から2011年のパークファクターと、テキサス自軍の打者のホームラン率(=1ゲームあたりのホームラン数)をグラフにしてみた。
ここでいうホームラン率はホームだけの数字ではなく、ビジターも含めた数字であることに注意してもらいたい。また、以下で特に注釈を設けない限り、パークファクターといえば、「ホームランについてのPF」のみを指す。またアーリントンの外野フェンス等の改修工事の有無については検討から除外する。さらに、年度別のPFを相互比較するのは無意味という議論は、この際あえて無視してもらいたい(笑)
Texas Rangers Team History & Encyclopedia - Baseball-Reference.com
赤い折れ線=アーリントンにおけるホームランのパークファクター
緑の折れ線=テキサス打線の「打った」1ゲームあたりホームラン数
テキサスのPFとHR率 2001年から2011年まで

このグラフの上がり下がりの方向の一致・不一致と、変動幅の大きさを見るだけで、テキサス・レンジャーズのパークファクターが、次の2つの時期に大別できることは、中学生でもわかると思う。(さらに詳細に見れば、「2004年以降」というカテゴリーが、さらに「2004年2005年」と「2006年以降」の2つに細分化することができることもわかるだろう)
1)2001年〜2003年まで
2)2004年以降

2003年までのグラフは、パークファクター()と自軍のホームラン率()の上下動が、まったく逆向きになっている。
明らかにこの時期のパークファクターを左右しているのは、「自軍バッターの打ったホームラン」ではなく、おそらく「自軍ピッチャーの打たれたホームラン数」だろう、という推測が成り立つ。
実際、2001年から03年までのテキサスのチーム防御率は、5.71、5.15、5.67と、それはもう酷い数値であり、シーズンで打たれたホームラン数は、その3年間それぞれ、222本、194本、208本で、2001年の被本塁打222本、被ホームラン率1.39などは、1961年のテキサス・レンジャーズ創設以来、最悪の数値を記録している。

ところが、2004年以降になると様相がガラッと一変してくる

まず2004年に、パークファクターと自軍のホームラン率の「数値の上げ下げの向き」が、同じ方向に揃った。これは、打線の改善によって「自軍の打ったホームランがパークファクターを左右する時代が到来した」と推測される。(具体的に言うと、2003年終了後にFA移籍したラファエル・パルメイロ、ヤンキースにトレードしたアレックス・ロドリゲス、2人のホームランバッターの移籍でできた穴を、2004年のアルフォンソ・ソリアーノや、生え抜きのマイケル・ヤングマーク・テシェイラが埋めたために、チームのホームラン数を思ったほど減らすことなく、新生テキサス打線が生まれ、育てられていった)

ただし、2004年から2005年までは、パークファクターと自軍バッターのホームラン率の変動の「向き」は同じとはいえ、2つの数字の「変動幅」にはまだまだ大きな差がある。
このことは、これら2シーズンが、「たしかに自軍のバッターもホームランをたくさん『打った』が、同じように、相手チームにもホームランをしこたま『打たれた』シーズン」だったことが、なんとなく想像できる。(実際、2003年の先発5人をみると、ディッキーベノワパク・チャンホの3人が揃ってERA 5点台と、まだまだ酷い投手陣だった。セットアッパーレベルの投手を3人も先発させているのだから、この当時のテキサスの投手陣は火の車なのだ)

これが2006年以降になると、2004年2005年と同様に、パークファクター()と自軍の「打った」ホームラン率()のグラフの上げ下げの向きが同じ方向に揃っている状態が維持されただけでなく、2つの折れ線グラフの振幅がお互いに近くなってきていて、2つの数字の乖離は非常に小さくなってくる。
これは、明らかに、2000年代中期の打線改良に引き続いて、こんどはテキサスが先発投手陣のリフォームに手をつけ、「ホームランを打てる打線、なおかつ、ホームランを打たれない投手陣」という理想的なバランスが多少もたらされつつあったことを意味する。(具体的には、2006年にケビン・ミルウッドビンセント・パディーヤを補強したことで、先発投手陣の立て直しに光明が見出された時期にあたる)

そして2年連続でワールドシリーズに進出した2010年、2011年のテキサスのチーム防御率は、3.933.79と、2年続けて4点台を切っている。そこにはもう最悪の投手陣だった2001年の陰はない。
この「2年連続防御率3点台」は、1989年〜1990年以来、20年ぶりに達成された出来事で、2009年からテキサスの投手コーチをしているマイク・マダックス(名投手グレッグ・マダックスの兄)がテリー・フランコーナの後任としてボストンの監督候補に名前が上がるほど高い評価を得ているのは、こうした点なのかと思わせる数字だ。(だが、以上の記述からもわかるとおり、テキサスの投手陣の改革が始まったのは、2009年のマイク・マダックスの投手コーチ就任以前の、2006年あたりから既に始まっているのであって、マイク・マダックスだけの功績とは言い難い)


もう少し説明を加えるために、
上の「パークファクターと、自軍の打ったホームラン率」のグラフに、さらに被ホームラン率、つまり「ホームランを打たれた率」を加えてみる。
赤い折れ線=パークファクター
緑の折れ線=テキサス打線「打った」1ゲームあたりのホームラン数
青色の折れ線=テキサス投手陣の「打たれた」ホームラン率(HR/9)
テキサスのPFとHR率・被HR率 2001年から2011年まで

2001年から2003年の赤と緑のグラフの「上下動の方向」と「変動幅」が一致しているのがわかるだろう。この3年間のパークファクターは「打ったホームラン」だけでなく、「打たれたホームランの多さ」にも大きく左右されている。
これが、2005年になると、赤と緑の線、つまり、パークファクターと、「打った」ホームラン率が揃って急上昇しているにもかかわらず、青の線、打たれた」ホームラン率だけが急激に低下しているのが、実に印象的だ。
青い線の動きをトレースしてみればわかるように、2001年に球団創設以来最悪の酷い状態にあったテキサスの投手陣の被ホームラン率は、2000年代中期以降に改善し、その状態を現在までなんとか維持し続けている。
たとえ本来はホームランの生まれやすいホームパークであっても被ホームラン数を極力抑え込むことに成功したテキサスは、長い時間をかけて投打のバランスを修正したことで、ワールドシリーズに行けるチームに変貌したのである。


ちょっとまぁ、いつものように話が長くなってしまった(笑)が、「打った数字」も「打たれた数字」もいっしょくたのパークファクターなんてシロモノが、どれだけ「データとしてだらしない」か、わかってもらえたら、それで十分だ。
これからは、その頼りない数値で補正、補正と、鬼の首をとったように喜んでいる馬鹿を見つけたら、思い切りせせら笑っておけばいい(笑)

2011年のセーフコのホームランのパークファクターは1.037という数字らしいが、それが「チーム打率が2割ちょっとしかないシアトル打線の打ったホームランによるものなのか」、それとも「ヘルナンデスをキングとか称して持ち上げまくった一方で、フィスターを安売りしたシアトル投手陣の打たれたホームランによるものなのか」、そしてこの10年のセーフコのパークファクターの軌跡の意味くらいは、それぞれが自分の頭を使って考えたらいい。
2011 MLB Park Factors - Home Runs - Major League Baseball - ESPN
さらに言えば、投手有利と言われてきたホームパークを持ち、超守備的チーム編成を目指すと自称しながら、このパークファクターとは、いったいシアトルのGMは何をやっているのか、こんなGMに複数年契約をくれてやって、馬鹿なのか、と言われて当然だ、くらいのことも、ついでに頭に入れておくといいだろう。



November 09, 2011

2002年に新しいオーナーの決めた新しいGMとして、弱冠20代のテオ・エプスタインがやってくる前に、1994年から2002年までボストンGMだったダン・デュケットが、ボルチモアの編成責任者として3年契約したらしい。
なんで今ごろこんな映画をやるのか、まるで意味がわからない「マネーボール」とやら(笑)が日本で封切りになることでもあるし、色褪せつつあるビル・ジェームスやボストンのこの10年間の足跡の「過大評価」を、もうちょっとマトモに、というか、大きく下方修正する良い機会だろう。


テオ・エプスタインは最近ボストンのGMから、5年契約でシカゴ・カブスのGMに就任したばかりだが、彼のwikiには、誰が書いたのか知らないが(笑)、こんなことが書かれている。
レッドソックスは客観的データに基づく統計学であるセイバーメトリクスを重視する方針を打ち出し、セイバーメトリクスの産みの親であるビル・ジェームスをアドバイザーとして招聘する。この結果、2003年にはメジャーチーム最高得点を叩き出し、チーム長打率4割8分9厘はブロンクス・ボンバーズと恐れられた1927年のヤンキース打線を上回る結果となった。
2004年のシーズン中にはチームの人気者であったノマー・ガルシアパーラ遊撃手を放出してまで守備力、走塁力の強化に力を入れ、周囲から大変な非難を浴びた。しかし、結果的にはこのトレードで獲得したオルランド・カブレラ遊撃手、ダグ・ミントケイビッチ一塁手、デイブ・ロバーツ外野手はチーム86年ぶりのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。この成果からボストンでは一躍人気者となった。


これだけを読むと、あたかも「テオ・エプスタインとビル・ジェームスが敏腕だったために、素晴らしい選手が集結し、それで2004年ワールドシリーズを制覇できた」と言わんばかりの持ち上げぶりだが(笑)、いやはや、馬鹿馬鹿しい(笑)


そもそも、上の引用文中で名前を挙げられているカブレラ以下の3選手は、ワールドシリーズ制覇した2004年シーズンに50ゲーム前後しか出場してないわけで、控え選手の彼らのおかげで優勝できた、などという記述は、明らかに妄言。言い過ぎ。ウソ八百。守備要員として彼らを獲得したのかなにか知らないが、出塁率にやたらとうるさいセイバー球団にしては、この3選手、出塁率もまるでたいしたことがない。
だいたい、そもそもこれらの控え選手を獲得できたのは、ボストン側に交換ピースとして、ダン・デュケットがボストンGMに就任した94年のドラフトで1位指名したノマー・ガルシアパーラがいたからにすぎない。

同じような話は他にもある。
ボストンがフロリダ・マーリンズから、現在も主力先発投手のひとりであるジョシュ・ベケットと、サードの名手マイク・ローウェルを獲得できたのも、ダン・デュケット時代の2000年に国際FAで獲得したハンリー・ラミレスという交換ピースが手元にあったからだ。
ハンリー・ラミレス獲得については当時、相場に合わない高額すぎる契約としてデュケット批判を招き、デュケットをクビにする理由のひとつにされてしまうわけだが、あらためて振り返れば、結果的にハンリー・ラミレスと交換にベケットとローウェルを手に入れ、2000年代の10年を戦っていく骨組みを作るコストだったと思えば、ムダ金使いやがってという当時の批判は、今となっては的はずれだ。


まぁ、言いたいのはつまり、2004年のワールドシリーズ制覇はじめ、2000年代のボストンで「最も太い基本骨格として投打に機能した選手たち」の大半は「ダン・デュケット時代に獲得した選手」であること、そして、その「太い基本骨格」の肉付けとなった控え選手でさえ、デュケット時代の有名プレーヤーを交換ピースに獲得して成立したチームなのだから、「テオ・エプスタインの手腕など、2004年のワールドシリーズ制覇とほとんど関係ない」ということだ。
2004 Boston Red Sox Batting, Pitching, & Fielding Statistics - Baseball-Reference.com
「太い骨格」となった主力選手は、投手で言えば、ペドロ・マルチネス(97年モントリオールから獲得)、ティム・ウェイクフィールド(95年ピッツバーグから獲得)、デレク・ロウ(97年シアトルから獲得)。(エースのカート・シリング獲得にしても、交換ピースになったのはケイシー・フォッサムホルヘ・デラロサといったデュケット時代に獲得していた投手たちである)
野手でいえば、ジェイソン・バリテック(97年シアトルから獲得)、マニー・ラミレス(2001年FAで獲得)、ジョニー・デーモン(2001年FAで獲得)、ケビン・ユーキリス(2001年ドラフト)。(他にも、デュケット時代の獲得野手は、アダム・エベレット、デビッド・エクスタインなどがいる)
こうして名前を並べていけば、2007年に松坂大輔投手がボストンに入団したあたりで、日本で広く知られるようになり人気も出たボストンの投打のヒーローたちの大半は、ダン・デュケット時代末期の2000年代初期には既にピースとして出そろっていて、そこに後からドラフト組のペドロイアエルズベリーバックホルツなどが加わっただけだという、ボストンの近年の「選手構造」が一目瞭然にわかるはず。
テオ・エプスタインとビル・ジェームスはダン・デュケット時代に蓄えられていた遺産を継承し食い潰しただけ、と整理したほうが、よほど脳内がスッキリする。


2011年シーズン終盤のポストシーズン進出失敗の歴史的大失態があって、テオ・エプスタインとテリー・フランコーナがボストンを去ったのをいい機会に、この2人、特にエプスタインの業績については、シカゴ・カブスがエプスタインの何をどう評価して5年もの長期契約を与えたのか知らないが、評価を大きく下方修正するのが妥当というものだ。
エプスタインになってからのトレードといえば、ミッチェル報告でステロイダーとして名指しされたのがわかっていたはずのエリック・ガニエ獲得のために、デビッド・マーフィーなどをテキサスに手放したことなどは十分すぎる汚点といってよく、デビッド・オルティーズの薬物使用に関する処分の甘さ軽さといい、どうもボストンはステロイドに寛容すぎるきらいがあるのがどうも好きになれない。
他に、エドガー・レンテリア、フリオ・ルーゴ、松坂、J.D. ドリュー、マイク・キャメロン、ジョン・ラッキー(2011オフにTJ手術予定)、カール・クロフォード。エプスタインがGMとして獲得してきたFA選手は地雷だらけ(笑)


マネーボール」という映画にしても、既に知られているように、この映画の企画が最初に持ち上がってから紆余曲折がありすぎたことが原因で、とっくに旬が過ぎている。映画として封切られるまでに「マネーボール」という話題そのものの賞味期限が終わってしまっているのは明らかだ。
ブラッド・ピット自体は大好きな俳優のひとりで、「ファイトクラブ」なんてのはマジにお気に入りの1本だが、こと野球に関しては安易に譲るわけにはいかない。野球をほとんど知らないとか、興味がないとか公言する映画監督と主演俳優が、旬の過ぎた題材を映画にしたとしても、ブログ主はまったく関心が湧かない。

知らんがな。古臭い。
とだけ、言わせてもらおう。


むしろ今の今、ボストンとマネーボール(さらにオークランドのビリー・ビーンも含めて)に関して、最もリアルでコンテンポラリーなアプローチと言えるのは、「セイバーの再評価」だろう。今のヨーロッパの財政危機における国債の格付けの変動になぞらえていうなら、セイバーの評価の「格下げ」、「ダウングレード」だ。



November 06, 2011

このブログは、いつも球審の判定に文句ばかりつけているブログではあるわけだが(笑)、今年のプロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ第3戦の10回裏に実質決勝タイムリーとなる二塁打を打った長谷川という選手の打席での「4球目の判定」について、なにやら世間が騒いでいたようなので、ネットで拾ったキャプチャー画像を少しばかりいじってみた。

場面は、先攻の西武が1点リードで迎えた10回裏のソフトバンクの攻撃。2死2塁で、カウント1-2からの4球目の判定は「ボール」。この「4球目」をストライクと感じた人が少なからずいたようだ。
もしこれがストライクなら、ゲームセットで西武の勝ちになり、シリーズの決着は翌日以降に持ち越されていたわけで、この判定がどの程度きわどい判定だったかは別にして、試合結果に大きく影響した判定ということにはなる。

2011年11月5日 ソフトバンク対西武 第3戦 10回裏 打者;長谷川


2011年11月5日 パ・リーグCS第3戦 10回裏長谷川 4球目判定


上の画像はクリックすると別窓で開いて、出てきた画像をさらにクリックすると、かなり大きな画像として見ることができる。気をつけるべきポイントが、以下のとおり、たくさんある。

)元画像自体が本当に100%信用できると言えるとは限らない
この意味は、いちおう「元画像自体が拾いものである以上、誰かが悪意で画像処理ソフトなどで作った『こしらえモノ』である可能性は絶対にゼロだ、とは言い切れない」という意味もあるが、それだけではない。
カメラ越しにとらえられた画像というものは、「必ずしも現実をフラットに見せているわけではない」という点にも留意しなくてはならない、という意味でもある。
例えば、普段メガネをかけているとか、カメラ好きの人なら、わかると思うが、「カメラのレンズ越しに見る世界」は、魚眼レンズほど極端に歪まないにしても、実際よりもずっと近く見えたり、歪んで見えたり、多少なりともレンズの影響があることが多いものだ。カメラのレンズ越しの視野を、プレートの真後ろで判定している球審の視野とまったく同じ、と、考えてはいけないのである。

)画像の中のA〜Dって?
上の画像のアルファベットのA、B、C、Dで示した4本のラインは、元の画像にはなく、全てブログ側が新たに書き込んだものだ。(もちろん元画像そのものはいじっていない。また1番目〜3番目の画像に、A、B、C、Dのラインをつけ加えるにあたっては、まったく同じ画像を、同じ位置になるようにペーストしてある)
この4本のラインを新たに書き入れてみた目的は、パースペクティブを検証するためだ。
4本とも、左右のバッターボックス前と後ろのライン、つまり縦方向のラインを、プレートからマウンドに向かって延長してみただけのものであり、厳密なものではないし、まして、ストライクゾーンの両端を示す線ではない。

)無視すべきラインD
A、B、C、D、4本のラインは厳密なものではないとは言ったが、相互比較すれば、右バッターの後ろの「ラインD」だけが、他の3本のラインA〜Cと、まったくパースペクティブが異なっていることは、容易にわかる。
ラインDが歪んでいる原因はおそらく、カメラのレンズの「収差」(=カメラやメガネのレンズそれぞれがもつ固有の歪み)が原因ではなく、ゲーム途中にラインを引き直す時に、方向も何も考えずに適当に引き直したのが原因と思われる。
ラインDは「4球目の判定」の検証に、何の役にも立たない。それどころか画像を見る人の印象をいたずらに歪める可能性すらあり、「4球目の判定」を考える上では、意識からラインDの存在を消去して考える必要がある。(ラインDがどうしてこうなっているのかについては、「4球目の判定」の検証には関係ないので、議論を省く)

)重要なラインB、ラインC
最も「4球目の判定」に関係するはずなのが、ラインBとラインCだと思う。
たぶん中継カメラは、センターバックスクリーン周辺からプレート周辺をズームアップして撮っているはずだから、画像上でラインBとラインCがまったく平行になっているようだと、この画像は後から手を加えられている可能性がある。絵画の遠近法でもそうだが、ラインBとラインCの幅は、「バックネット方向に接近していくにつれて、だんだん狭くなる」のでないと、理屈にあわない。
幸いなことに、画像を見てもらうとわかるが、元画像上のラインBとラインCは、マウンドからプレートに向かって少しずつ幅が狭くなっていっており、画僧自体の信頼性には問題がないように思える。

)左バッターのアウトコースのゾーンの広さは
  右バッターとは違う
このブログで何度も書いてきたことだが、MLBのアンパイアの場合、左バッターと右バッターとでは、アウトコースのストライクゾーンの広さがまるっきり違う。また、アンパイアごとの個人差も、非常に激しい。人によっては、ゾーンがほぼルールブック上のストライクゾーンどおりにであることさえある一方で、人によってはボール2個分を遥かに越える広いゾーンで判定している人すらいる。
日本のプロ野球の場合の球審の判定については、MLBのように十分なサンプル数をふまえた集計データが存在しているのかどうかがわからないため、プロ野球の球審の場合のアウトコースのゾーンの広さが、右バッターと左バッターとではどのくらい違うのかが、さっぱりわからない。だから確かなことは言えない。
だが、少なくとも問題の「4球目の判定」が「左バッターのアウトコース」である以上、アウトコースの判定を「ゾーンの広さは、右バッターとまったく同じ」と最初から断定して考察することはできないことくらいは、念頭に置いておくべきだろうと思う。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2010年10月29日、MLBのストライクゾーンの揺らぎ (2)2007年の調査における「ルールブックのストライクゾーン」と、「現実の判定から逆測定したストライクゾーン」の大きな落差。

)ボールから地面に向かって引いた垂直線の
  下端の終点は「簡単には決められない」
各画像で、ボールから地面に向かって垂直に引かれた線は、ブログ側で後から書き込んでいる。目的はもちろん、その瞬間に「ボールがマウンドからプレートまでの、どの位置にあるか?」を推測するため。
この「垂直線の下端の終点が、必ずしもラインCの上になるとは限らない」。この点は非常に重要だ。
なぜなら、もし検討を始める前から「垂直線の下端が、常にラインCにある」と思い込んでしまうと、「4球目は、常にラインCの上空だけを通過した後、キャッチャーミットに収まった」と、先入観で決めつけることになってしまう。
もちろんそれは、この投球を最初から「ボール」と決めつけてかかることを意味するわけで、それはおかしい。

)垂直線の下端を決めるファクターは無いのか
前項で説明した「垂直線の下端がどこなのか?」を決められる材料は、非常に乏しい。だが、唯一の確実な要素といえるのは、たぶん、ボールがキャッチャーのミットに収まる寸前と思われる3番目の画像での、「キャッチャーの足のつま先の位置」だろう。3番目の画像で、
  a)ボールの位置から、地面に下した垂直線
  b)キャッチャーの左右のつま先を結んだ線
  c)ラインC
この3つの資料から考えると、3番目の画像に限っては、他の画像と違ってボールから地面に下した垂直線の終点が、おおまかになら決められる。
おおまかにいって、キャッチャーのミットに収まる寸前、ボールは「最低でも、右バッターボックスの最内ラインである「ラインC」の上、もしくは、ラインC上よりもさらにアウトコース側」にあるように見える。

)打者の視線の方向は、それなりに重要
あくまで補助的なものだが、「打者の目の位置とボールとを結んだライン」も、元画像に書き入れてみた。
もし打者の顔の向き、つまり視線の方向と、後から書き込んだこの「打者の目とボールを結んだライン」があまりにもかけ離れているとすれば、この「打者の目とボールを結んだライン」はまったく役立たずなわけだが、画像から判断するかぎり、そこそこ矛盾の無い範囲にあるように見える。
この「打者の目とボールを結んだライン」は、「ボールから伸ばした垂直線の下端を、どれくらいの長さと推定すればいいか?」という問題について、不完全ではあるものの、少しは判断材料にできる。(だが、「打者の視線方向」を、鵜呑みにすることはできない。下で説明するが、ボールがミットに収まろうとしている瞬間にも、打者の視線は遅れて、自分の真ん前あたりを見つめていたりする。100数十キロの速度で移動する物体を目で追いかけているのだから、遅れて当然だ)

)ピッチャーの球種がもし「シュート」だったら
Yahooでみかけた投球データによると、西武・涌井投手は、この「4球目」に「ストレートを投げた」ことになっている。
だが、画像だけを見て判断するかぎり、右投手である涌井投手が投げようとしたのは、ストレートではなく、「シュート」であるように思えるのだが、どうなのだろう。
というのも、画像を見るかぎり、投球後に涌井投手の左足位置が、「ラインB」よりかなりファースト側に踏み出していることから、涌井投手はプレート左端を踏み、かなりアウトステップして投球していると思われるからだ。おそらく左バッターのアウトコース一杯を、逃げるようにスライスしながらギリギリに通過するシュートを投げようとしたのではないか。
カウント1-2からの「4球目」の意図は、左バッターのアウトコースをまっすぐ通過して完全にボールになる「見せ球」(あるいは空振りを誘う釣り球)のストレートではなく、見逃し三振をとろうとした「勝負球」で、この球はかなり意図的に角度をつけられている。
そうなると、ボールはアウトコースに多少スライドしながら、キャッチャーのミットに収まったことになるわけで、意図したシュートか、シュート回転のストレートかは別にして(ステップの方向からして意図的なシュートだろうとは思うが)、「多少なりともボールがスライドしている」と仮定すると、球審の位置から見るのでもかぎり、この3枚の画像だけでボールがプレートのどの位置を通過したのかを正確に判定することは、残念ながら、かなり難しくなる。

10)1番目と2番目の画像で、
   ボールからの垂直線の下端が「やや短め」にしてある理由
実は、1番目と2番目の画像で、ボールからの「垂直線」は、ラインCに届かない程度に、わざと短めにしてある。これは、涌井投手の投球が「多少なりともシュートしている」ことを、いちおう考慮に入れた結果だ。
もしこれがプレート右端を踏み、まっすぐステップして投げたアウトコースの「見せ球」なら、この投球の判定が「ボール」であることに疑いの余地は無いし、これほど野球ファンがとやかく言うことでもない。

11)球審がストライクゾーンを広げたり、狭くする
   「特定のカウント」がある
この件とは直接関係ないのだが、MLBの球審は、特定カウントでゾーンを故意に広くしたり、狭くしたりする傾向がある。このことは、以前一度記事として取り上げた。
具体的にいうと、カウント0-2と、打者が一方的に追い込まれると「ゾーンは狭く」なり、また、カウント3-0と、投手が四球を出しそうになると「ゾーンは広く」なって、結果的に「球審が判定の厳しさを恣意的に変えることで、三振と四球を避け、バッターとピッチャーの対決を長く観客に見せようと仕向ける傾向がある」ことを、データの集積から発見した人が、メジャーにはいるのだ。
今回の「4球目の判定」は、カウント1-2での出来事だから、これらのケースには該当していない。
ダメ捕手、城島健司。The Johjima Problem.:2011年7月11日、MLBのストライクゾーンの揺らぎ (5)カウント3-0ではゾーンを広げて四球を避け、カウント0-2ではゾーンを狭めて三振を避ける。あらためて明らかになったアンパイアの「故意にゲームをつくる行為」。


前置きばかり長くなったが(笑)、画像それぞれを見てみよう。

1番目の画像
何もいじっていない元の画像だけ見ると、「ボールがバッターの手元近くに来た瞬間の画像」と見えなくもない。
だが、「ボールから引かれた垂直線」「ラインC」「打者の視線」など、線を引いておいてから判断しなおすと、印象がまったく違ってくる。どうやらボールはまだ「グラウンドの芝が、土に切り替わるあたりまでしか来ていない」のである。
問題は、このときボールがどのくらいアウトコース側を通過したのかを見極められるかどうかだが、それを知るためにボールから引かれた垂直線の下端の位置を特定できるかどうかについて考えてみたが、特定のための材料に乏しく、ちょっと特定は難しいと思う。

2番目の画像
これも元画像だけを見ると、「ボールが打者のヒッティングポイントを通過した瞬間」にも見える。
だが1番目の画像と同じように、「ボールから引かれた垂直線」「ラインC」「打者の視線」などから印象を修正してみると、ボールがまだ「バッターボックスの、投手寄りの最先端部分あたり」にあることがわかる。打者のヒッティングポイントよりは、ほんのわずかではあるが、まだ投手側にある感じなのだ。
ここでも、ボールから引かれた垂直線の下端の位置を特定するのは難しいのだが、ボールとバッターボックスの位置関係が多少は見えてきていることを考慮すると、「ボールが、バッターボックスの最前部に来たときには、プレートの右端と、ラインCの中間あたりを通過している」といえるようには思う。

3番目の画像
これなども、他の画像同様で、元画像だけ見ると「ボールが、打者のまさに真ん前を通過した瞬間」に見えなくもない。
だが1番目、2番目の画像と同じように、「ボールから引かれた垂直線」「ラインC」「打者の視線」などをもとに印象を修正していくと、ボールは「すでに打者の前を通過し、バッターボックスの後端あたり、すでにキャッチャーミットに収まる寸前まで来ている」はずだ。
このとき打者の視線は「プレート上あたりを見ている」わけだが、3番目の画像においてが、他の画像と違って、打者の視線とボールの位置は「少しズレている」のである。
ここでは、最初の2枚の画像と違って、キャッチャーの位置、バッターボックスとの位置関係などから、ボールの位置を多少なりとも推定できる。
「ボールから引かれた垂直線」、「キャッチャーが左腕をめいっぱい伸ばしていること」、「キャッチャーの左右のつま先を結んだ線」、「ラインC」等々の要素からして、「ミットに収まる寸前のボールは、どう少なく見ても、ラインC上よりアウトコース寄り(=三塁側)に位置している」ように見える。
2番目の画像の時点ではボールはプレートとラインCの中間にあったと思われるから、3番目の画像でボールは「アウトコース側にスライドした」ことを意味する。


やたらと長くなったが、ストライクボールの判定は、上に書いたさまざまな理由から確実なことは言えないわけであって、実際にゲームを見ていた人それぞれの判断にまかせたい。
(まぁ、こっそり小声で(笑)いうなら、この球は最低でもボール2個、実際には2個半くらいは、はずれていただろうとは思う。ただ、左バッターのアウトコースのゾーンが右バッターより広いこと、投手が意図的に角度をつけていると思われる投球であることを考慮すると、実際にどう判定するかについては、アンパイアの個人差にも左右される。もしブログ主が球審なら、たとえプレートの左端を踏んで投げ、しかもシュートしているにしても、プレート付近に到達するまでの途中段階で、「ボールの軌道が外に寄りすぎている」という根拠で、躊躇なく「ボール」と判定する)

まぁ、そんなことより、わざわざこんな長文を書いたのは、スタジアムのバックスクリーンから見た映像は、テレビの画面で投手と打者の勝負を観戦するには大変わかりやすい角度だが、同時に、かなりパースペクティブがついたアングルからの映像でもあるために、球審の判定については、見た目の印象と判定結果が異なるというやっかいな現象が起こりうるアングルであることを、自分でも一度確認しておきたかったからだ。それさえわかれば、この件は十分だ。こういうことも、野球の楽しさの一部だ。

この球がストライクに見えた人がたくさんいたこと自体は、とてもよくわかる。だが、たとえ静止画であっても動画であっても、画像や動画と、自分が自分の目で見た印象が、かけ離れていることは、十分ありうるのだ。


資料:元画像
いちおうウイルススキャン済みですが、
開くかどうかは自己責任でどうぞ(笑)

2011年11月5日 元画像



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